刺激を求める
我々は常に刺激を求めている。旅行に行ったり、ライブに行ったりなどの非日常の時間は1年間で見ればほんのわずかで、多くは見慣れた景色、過ごし慣れた時間で刺激がない毎日なのだ。だからこそ日常に刺激を欲するのだ。
そんな日常をロックでヘヴィにしましょう!
マンネリ化した日常に馴染んではダメなのだ。刺激は自分で作っていかねばならない。刺激から粗品を持って挨拶にやってくるわけではない。こちらの努力でロックでヘヴィな自分になれば、全てが解決する。そこでヘドバンなのだ。
たとえば「踏切」
踏切が鳴り始める。電車の通過を普通に待っていてはダメだ。ロックでヘヴィな自分になって刺激を作りだすのだ。さすればそこはライブ会場。バンド「踏切」が作り出すリズムに合わせてロックでヘヴィに生きるのだ。
ヘドバンしましょう!
踏切のリズムに合わせてヘドバン。電車の通過を待つ時間がロックでヘヴィになるのだ。これが刺激である。理解していただきたい。日常にはヘドバンをするタイミングが溢れているのだ。このタイミングでヘドバンすれば日常は刺激だらけになるのだ。
ヘドバンが答えでした
リズムが溢れる
ロックでヘヴィな目で日常を過ごせば、街中にはリズムが溢れていることがわかる。それさえ分かれば、あとはヘドバンをすればいい。毎日がライブで、毎日が知らない場所への旅となる。そういうことなのだ。
信号のリズムで、
ヘドバン!
車のハザードのリズムで、
ヘドバン!!!
信号は街中を歩けば必ずある。そして、青から赤へと変わる少し前からリズムを刻み出す。青色が点滅するのだ。それに合わせてヘドバン。車もウィンカーやハザードでリズムを刻む。彼らのリズムに我々も答えなければならない。それがヘドバンなのだ。
刺激的!!!
ロックでヘヴィだぜ!!!
リズムを作れ!
リズムを作り出すものもいれば、リズムを刻めないものもいる。だったら、こちらからリズムを作り出せばいいのではないだろうか。リズムは待つものではない。自分で作るのだ。そして、ヘドバンするのだ。
自販機で、
お茶を買って、
口にくわえて、
飲む
戻して、
飲む!
すなわち、ヘドバン!!!!
どこにヘドバンが潜んでいるかわからない。何気なくいつも行っている動作がリズムを刻み出し、ヘドバンになるのだ。ペットボトルのお茶を飲むだけでもヘドバンという刺激につながる。ちなみにこれをコップでやるとこぼれるので、注意していただきたい。
ペットボトルはロックでヘヴィ!!!
公園はロックでヘヴィ
公園の遊具もまたロックでヘヴィなもので溢れている。だからこそ、子供は公園で遊ぶのではないだろうか。大人になると公園の遊具で遊ぶことが減るけれど、子供の頃を思い出して欲しい。ロックでヘヴィ以外の何物でもないのだ。
ブランコも、
ロックでヘヴィ!!!
シーソーも、
刺激的!!!
回転する遊具も、
ヘドバン!!!!
ロックでヘヴィが加速する。刺激が増幅する。ヘドバンが止まらない。それが公園なのだ。見慣れた、遊び慣れた公園が今までとは違うステージに連れ出してくれる。全てはヘドバンのおかげ。そして、ヘドバンを終えると視点がなんか定まらず、見慣れた景色ではなくなるのだ。
首がすごく痛い!
ヘドバンしようぜ!
日常はリズムで溢れ、さらに自らがリズムを作り出すことができると分かったと思う。ヘドバンが止まらないのだ。X JAPANのYOSHIKIが「ヘドバンは良くない」と言っていた。確かに首が痛くなるけれど、それは喜びの痛みということにしたい。これこそが刺激であり、ロックでヘヴィなのかもしれない。