初練習前に行われた、フロントスタッフもまじえた全体ミーティング。その直前になって、坪井はチョウ貴裁監督から突然呼び出された。何事かと思って部屋に入ったチーム最年長の35歳は、指揮官から予想もしなかった提案を切り出される。
「副キャプテンを務めてほしいと。ちょっと断れない雰囲気だったので、その場で『わかりました』と返事をしました。やるしかない、という感じでしたね(笑)」
Jリーグ記録を更新する開幕14連勝をマークするなど、ベルマーレは昨シーズンのJ2戦線を圧倒的な強さで制圧し、1年でのJ1復帰を果たした。新チームの平均年齢は約23歳。若さに導かれた爆発力と躍動感を武器とする一方で、J1における成功体験を持ち合わせた選手がいない。
できれば守備陣に経験が豊富で、サッカーに対して常に真摯な姿勢で取り組む選手がほしい――チョウ監督がこのような青写真を描いていたところへ、レッズが坪井との契約を更新しないという情報が飛び込んできた。ベルマーレの動きは素早かった。大倉智社長が明かす。
「レッズの練習を見に行きましたけど、コンディション的にもまったく問題がなかったのですぐにオファーを出しました。おそらくウチが一番早かったと思います」
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現役続行を希望していた坪井も、ベルマーレから電光石火で届いたオファーに誠意を感じた。J1で通算292試合に出場し、2006年にリーグ戦を、2007年にはACLを制覇。日本代表としても通算40試合に出場し、ジーコ監督の下で臨んだワールドカップ・ドイツ大会のピッチにも立った。もっとも、こうした濃厚な経験だけを評価されていたならば、坪井はオファーに断りを入れていただろう。
交渉のテーブルで、坪井はチョウ監督が発したある言葉に心を打たれたと笑顔で明かす。
「チョウさんから『ツボ(坪井)にとって、ウチはまだまだ成長できる場所だと思う』という言葉をいただいたんです。この年齢になって、まだそういうことを言っていただけることにすごく感動を覚えたので」
ベルマーレの監督を務めて4シーズン目となるチョウ監督は、そのシーズンに預かるすべての選手を成長させるというテーマを自身に課してきた。若手、中堅、そしてベテランに関係なく、誰もが伸びる可能性を秘めているという考えのもとで日々の指導にあたっている。
補強を惜しまないレッズのチーム事情も相まって、坪井のリーグ戦出場は2013年シーズンが7試合、昨シーズンはわずか1試合にとどまっていた。おそらくは忸怩たる思いを募らせていたのだろう。自身よりも年上ながらハイパフォーマンスを続けるMF中村俊輔、DF中澤佑二(ともに横浜F・マリノス)らの存在も刺激になっていたはずだ。
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燻っていた坪井の心にチョウ監督の言葉が炎を灯し、副キャプテンという肩書がさらに責任感を加える。原則として午前、午後の二部練習が組まれるハードなスケジュールの中で、坪井は充実感で目を輝かせながらボールを追っている。
「この年齢でも厳しいトレーニングを積めば動ける、ということを示していきたいですね。年をとるたびにいろいろな経験をしてきましたが、このチームで自分が何をできるのか、何を残していけるのかが非常に重要だと思っています。何もしなければ(経験は)ただの過去になってしまうので」
背番号はあえて『20』を希望した。福岡大学からレッズに加入した2002年シーズンの番号という点に、ゼロからのスタートを期す坪井の決意が凝縮されている。
「(レッズの赤以外の色が)似合うかどうかは皆さんに判断してもらいますけど、非常に新鮮な気持ちでやっています。移籍を経験した選手から『意外といいものだよ』という話を何度も聞いてきましたけど、本当なんだなといまは感じています(笑)」
運命の悪戯か。3月7日にホームのShonan BMWスタジアム平塚で行われる開幕戦は、レッズを迎えることがすでに決まっている。