クルーグマンのはずれた「未来予測」

ちょうどリドレー『人妻とイノベーション』を読んでいるところで、なかなかおもしろい。

これについては、またきちんと書く機会もあるだろうけれど、ピンカー、ロンボルグ、ファクトフルネスの人、その他、自由と理性と進歩の可能性を重視する論者としてだんだん勢力を増しつつある一群の一人として、基本的にぼくのものの見方とほぼいっしょではある。

さてそのリドレーがときどきネタに持ち出すのが、だれあろう、ポール・クルーグマン。インターネットなんか大したことないよ、という話を彼がしたのをしょっちゅう持ち出して、経済学者に先のことなんかわからない、と言われている。でも具体的に何を言っているんだろうと思って、例によってまた掘り出してきて訳してしまいました。

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うーん。まあこれは……揶揄されても仕方ない面はある。やりたかったことはわかる。当時のWIRED的な、うわっついたインターネット翼賛論への反対という点では、当時は意義があったはず。そして「ITは経済統計に全然出てこない」というのはかなり大きな謎で、生産性が本当に上がってきたのはちょうどこの頃ではあった。そしていまだに、ITがかつての蒸気機関や電気に比べて本当にすごいのか、自動車やボーイング747や鉄骨造高層ビルや新幹線に比べてどこまでインパクトがあるものなのかについては、ロバート・ゴードンみたいに疑問視する声もあって、決してバカにしたものではない。

実際問題として、スマホ使ってもぼくたちの生活水準が目に見えた上がったわけじゃない。インダストリー4.0も製造業をそんなに大きく変えただろうか? ただそうした正当な疑問から調子にのって、すぐにメッキがはげる、進歩は止まる、停滞する、とまで言ってしまったのは、今にして思えば痛い。技術進歩の部分についてはまだいろいろ議論があったにしても、本丸の経済方面のインフレ率にしても生産性にしても資源価格にしても大きくはずしたのはさらに痛い感じ。

そしてこの一年半後に、彼はしばらく前に紹介したこんな文を書いている。

cruel.org

アメリカは万事快調、生産性もあがり自由市場体制はイノベーションをもたらし……うーん。ここまで手のひら返しをしてしまうというのは、少しアレな感じはする。

そのしばらく前に彼が書いた技術関連の文章というのは、もっとずっと当たっているんだよね。たとえば次のやつ。

cruel.org

あるいは「良い経済学、悪い経済学」所収の、「技術の復讐」もそうだ。

ここらへんの堅実さ、しっかりしたビジョンに比べて……うーん。

ちなみにこの文、「なぜ経済学者の予想はほぼまちがっているのか」という題名だけれど、中に経済学者の話はぜんぜん出てこない。これもちょっと不思議。どうしてこんな題名でこんな文章になったのか……