世に倦む日日 2008-12-01T13:24:28+09:00 thessalonike4 本と映画と政治の批評 Excite Blog 再々度の引越しのお知らせ http://critic3.exblog.jp/8591932/ 2008-05-14T23:55:00+09:00 2008-06-14T17:04:18+09:00 2008-05-14T16:09:00+09:00 thessalonike4 未分類 <![CDATA[容量オーバーのため新しいブログに再々度引越します。 
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福島瑞穂は多数派形成の構想と決断を - 政治指導者とは何か http://critic3.exblog.jp/8591654/ 2008-05-14T23:30:00+09:00 2008-05-14T18:04:20+09:00 2008-05-14T15:06:25+09:00 thessalonike4 ガソリン国会と後期高齢者医療 <![CDATA[_b0087409_1535114.jpgロバート・ラウシェンバーグが死んだ。あれは確か1986年だったが、世田谷美術館で展覧会を開催しているのを見に行ったことがある。いわゆる現代美術と言われるものをそのとき初めて見て、一目で気に入ってしまった。それまで、美術と言えばせいぜいダ・ヴィンチとかピカソくらいしか知らず、マチスもカンディンスキーも知らず、ポップアートの作品などは最初から鑑賞する対象として除外していたのが、天井から吊るされたラウシェンバーグの大きなコラージュの作品の前に立った瞬間に考え方が変わり、その芸術に魅力を感じるようになった。アイディアと方法に共感を覚えた。考えてみれば、水戸芸術館の開館が1990年、ちょうどあの頃、バブルの頃が日本人全体が現代美術に入門して行く時期で、日本の中産階級に現代美術の文化を導入する事業を精力的に進めていたのが西武セゾンの堤清二だった。ラウシェンバーグに感謝しつつ合掌。

_b0087409_154512.jpg福島瑞穂のBLOGに5/11のNHKの「セーフティネット・クライシス」を見た記事が載っている。他の国会議員のBLOGでこの社会保障の特集番組について書いているものを見つけていない。末尾の時刻を確認すると、記事は当日の22時22分に上げられていて、番組の放送は10時30分までだったから、福島瑞穂は番組を見ながらBLOGを書いていたことがわかる。そしてさらに、もう一本記事を書いてその夜のうちに上げている。内容は短いが、やはりその生産力とスピードに驚かされる。公党党首の激務の中を福島瑞穂はよく頑張っていると率直に感じる。BLOGの記事は私的な日記であると同時にコミュニケーションであり、党首の立場であれば、社民党からの国民へのメッセージの発信である。責任は重い。言葉も数字も間違えない。やはり東大法学部の弁護士は大脳のクロック・フリクエンシが常人とは違うなと思わされる。脱帽せざるを得ない。

_b0087409_1541612.jpg想像もできないほど多忙な党首生活の中で、福島瑞穂はNHKの特集番組を見て、こまめにBLOGの記事を発信し、さらに本もよく読んでいる。これは立派と言うほかない。優秀で体力のある人間だからできることで、さすがに組織の上に立つ人間の器量は凡人とは違う。そして、福島瑞穂のBLOGの記事には人柄がよく現れていて、テレビの発言や国会での演説と同様に好感が持てるコミュニケーションになっている。コミュニケーションとして成功している。人間としても国会議員としても何の不備も不満もない。よくできた人物だ。福島瑞穂自身が言っていたと思うが、まさに日本の戦後教育が純粋培養的に育てて、モデリッシュに「全人格的発達」が実現された姿のように映る。福島瑞穂は宮崎生まれで、自然の中で育った大らかさや純粋さがあり、同じ戦後教育の世代でも大都会で育った人間たちと明らかな違いがある。子供は田舎で育った方がいいと思う事例を福島瑞穂が見せている。

_b0087409_154309.jpgだが、もし福島瑞穂がブログを読んでいれば考えて欲しいことがある。福島瑞穂は5/12の記事の中で、「次の衆議院選挙では、社民党は、なんとしても衆議院の議席を2桁にしたい」と書いている。この言葉に私は失望を感じる。2桁では政治を変えることはできない。2200億円の社会保障費削減を止めることができない。後期高齢者医療制度を廃止することができない。議席数は過半数必要なのである。次の総選挙で241議席を獲得しなければならない。福島瑞穂は社民党の党首であるから、社民党としては現在の7議席を2桁にすれば成功なのだろう。だが、仮に社民党が議席を倍増させて14議席を獲得しても、自民党と公明党と民主党の3党が450議席を占める結果になれば、現在の社会保障の政策は大きく変わることはないのである。自民党の議席減が確実な状況で選挙をする場合は、自民党は必ず政界再編を仕掛けて選挙に臨む。民主党も一枚岩ではなく、政界再編に同調する部分が必ず出てくる。

_b0087409_1544051.jpg福島瑞穂が考えなくてはいけないのは、福祉国家の政策で政権を取る多数派勢力をどう作るかということだ。社民党の議席を2桁にする前に、自分たちが国会で多数派になる戦略を構想する必要があるのではないか。その発想が福島瑞穂には欠落しているように見える。そこで悩んでいない。われわれは福島瑞穂にそこで悩んで欲しいのであり、そこで大胆な政治革新のブレイクスルーをアイディアできる人間こそが本当の指導者なのだ。例えば、福島瑞穂に質問したいが、社民党はなぜ国政選挙において共産党と選挙協力しようとしないのか。二党とも1桁政党の小党なのに二つの政党に分かれて別々に護憲票を奪い合おうとするのか。有権者から見れば、社民党と共産党の掲げる政策はほぼ同じであり、二党に分かれている必要は全くない。票を無用に分散させて議席を減らしているだけであり、保守二党に余分な議席を与え、社会民主主義の勢力を減少させ、政治の現場や世論における地位を後退させているだけだ。

_b0087409_1545177.jpg社民党と共産党の仲が悪いという事情は誰でも知っていて、骨肉相食む近親憎悪的な関係が長い歴史の中で培われているという事実も有権者は薄々承知している。しかし、そうであればなおのこと、勢力をシュリンクさせた二党がいがみ合うのは滑稽で無様であり、無意味であり、あまりに政治姿勢が過去に捉われすぎている。過去の人間の怨念のために政治をやっているのではないはずだ。過去のしがらみを引き摺るのではなく、福島瑞穂は自分のリーダーシップで構想して決断したらどうか。中国とチベットが対話を始めたように、選挙共闘に向けて具体的に条件を提示したらどうか。福島瑞穂がやらなくてはいけないことは、多数派をどう組織するかを考えて実行することだ。大型の社会民主主義の指導者をめざすことだ。目標を10議席とか20議席に置いてはいけない。政権を取ることを目標にしなければならず、自分が総理大臣に指名される瞬間を常に意識しなくてはならない。福島瑞穂の意識の中にそこまでの執念や野心はあるだろうか。権力への執念や野心のない政治家は結局のところはお飾りになる。

福島瑞穂を見ていて、人格や頭脳は申し分ないけれど、政治家として小型に見えるのはそういう問題があるからではないか。次の選挙の後で自分が総理大臣になることを考えて欲しい。これから選挙までの時間をそのために使って欲しい。それができれば、福島瑞穂は大型の政治指導者になれる。そして誰かがそうしなければ、民主党などに任せていれば、いつまで経っても日本社会が新自由主義の地獄から解放されるということはないのだ。


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ガソリン国会の終幕と欺瞞 - この国の政治は一党独裁制である http://critic3.exblog.jp/8585402/ 2008-05-13T23:30:00+09:00 2008-06-04T08:30:56+09:00 2008-05-13T13:22:42+09:00 thessalonike4 ガソリン国会と後期高齢者医療 <![CDATA[_b0087409_14114868.jpg昨日の記事に関連して、昨日の朝日新聞の2面に新潟で5/11に開催された労働サミットの記事があったので、少し取り上げておきたい。連合会長の高木剛が記者会見の席上で厚労省と経団連に猛然と噛みついている。この事件はテレビのニュース番組では一切報道されなかった。それだけでなくネットのニュースサイトでも朝日新聞以外のサイトからは発信がない。無視されている。この問題を何も知らない人は多いのではないか。高木剛を見直した。高木剛は、政労使のサミット開幕記者会見をシャンシャンで纏めて流そうとした厚労官僚のペーパートークを遮り、マイクを掴んで敢然と経営側を批判、大企業が労働者派遣法違反を公然と繰り返している実態を糾弾した上で、さらなる労働市場の規制緩和を求める経団連に対して、「ルールを守らない人間に正当性を主張する権利があるか」と憤激の鉄槌を下している。高木剛、よく言った。立派だ。一歩も退くな。押しまくれ。

_b0087409_14121614.jpg高木剛はこうして奮闘しているが、民主党は国会で何をしているのだろう。今年になって、民主党が国会で格差問題を論じた場面はなく、格差問題はマスコミ報道からすっかり消えてしまっている。国民の関心からも消えつつあるような状況になっている。ウェーバーに従って何度もしつこく言うが、民主党は昨年の参院選で格差の是正を訴えて選挙を戦った。マニフェストに記された7つの提言の第一には「雇用を守り、格差を正す」とある。選挙戦の最中から直後にかけて、民主党は御手洗富士夫を国会に召還してキャノン栃木工場の偽装請負について証人喚問すると言い、格差問題に対する積極的な姿勢を国民にアピールしていた。選挙から9ヶ月が経って、そんな話はまるで大昔の出来事だったような印象がある。ガソリン問題ばかりを争点にして、雇用や労働法制を議論しようとしない。9ヶ月間、格差問題を国会で論議していれば、経団連から「さらなる規制緩和を」などという言葉が今頃出ることはなかった。

_b0087409_14122852.jpg私は、今年に入って、民主党の「ガソリン国会」戦略を痛烈に批判してきた。しかし、一般のBLOGは民主党の戦略を支持し、暫定税率や道路特定財源問題の追及で衆院の解散総選挙に追い込むという民主党の主張に期待して応援する声を上げていた。「ガソリン国会」も終盤にさしかかった。「ガソリン国会」を支持して声を張り上げていた者たちは、今の国会と民主党を見てどう思っているのだろう。芝居だったと気づいただろうか。民主党に騙されたことに気づいただろうか。民主党の言う「解散総選挙」が嘘だったと分かった人間はいるだろうか。民主党は今週「ガソリン国会」の幕を引いた。国会でガソリン問題で自民党を攻めるのをやめ、今後は後期高齢者医療制度で攻めると言う。事実上の陣地放棄であり、戦略の失敗の露呈である。思い出して欲しいが、5/13の「道路整備費財源特例法」の衆院再可決に際して、連休前のマスコミの情勢報道では、これが政局のヤマ場と言われ、自民党の造反者も出るだろうし、民主党は必ず問責決議案を出すと予想されていた。

_b0087409_14124186.jpgそして思い出して欲しいが、5/13の「道路整備費財源特例法」の再可決は先送りされた「決戦」であり、その前は、山口2区補選後の4/30の「暫定税率」の衆院再可決がヤマ場だと言われ、民主党の問責決議案が出るかどうかが注目されていた。この国会に入って、一体何度「問責決議案を出す」機会が報道されたことだろう。1月の「新テロ特措法」の衆院再議決のときにも言われた。少なくとも3回は出すタイミングが取りざたされたが、結局は全ての機会に見送りされた。問責決議案出す出す詐欺。冷静に政治を見ている人は考えて欲しいが、あの4/30の「暫定税率」復活の再議決のとき、民主党はなぜ本会議を欠席して議長室の前の廊下を占拠する愚劣な場外乱闘戦術を採ったのか。本会議での採決となれば、一人でも二人でも自民党から「暫定税率」復活反対の造反議員が出て、議場退席の場面が見られる可能性もあったのではないか。マスコミも誰もその点を指摘しないが、冷静に考えれば奇妙である。対決しているように見せて、本当は裏で自民と民主は手を握って国会運営を密談協議しているのではないか。

_b0087409_1413887.jpg結局、ガソリン問題で解散総選挙はなかった。問責決議もなかった。ガソリンの値段は下がらなかった。内閣支持率は下がったが、これはガソリンよりも後期高齢者医療制度の影響の方がずっと大きい。民主党は何をしたのか。問題の後期高齢者医療制度だが、昨日のニュースを見ていて驚いたが、民主党はまだ廃止法案を参議院に提出すらしていない。夜のニュース番組で菅直人が党本部で喋っている場面が出て、「廃止法案を参議院に出す手続きの最中です」と言っていた。後期高齢者医療制度問題の参議院での審議がニュースにならないので何をしているのだろうと訝っていたが、審議どころか、連休が明けても委員会提出すらしていなかった。廃止法案は衆院には2月に出している。同じものを参院に提出すればいいだけで、時間はかからないはずだし、参院は野党が委員会運営のフリーハンドを握っている。法案の障害物は何もない。私の記憶では、朝日新聞が民主党による廃止法案の参院提出を記事にしたのは、私がそれに関する記事を書いた翌日の4/29だった。あれから二週間も経っている。民主党は廃止法案を本当に参議院に提出して審議可決する気があるのか。

_b0087409_14131937.jpg疑わしい。参議院に廃止法案を出し、そこで制度設計した厚労官僚を呼び、制度を立案した経緯を問い質して小泉構造改革の真実を暴露すればよく、与党が修正法案を出してくれば、その修正法案の妥当性を議論すればいい。当然、民主党は廃止法案を出す以上、制度廃止によって老人医療費の予算支出が膨らむ分(今年度1500億円と言われているが)を補填する財政措置案を出さなくてはいけない。暫定税率問題でも、結局、民主党は代替財源案を出さないまま、言いっ放しの水掛け論で問題を終息させた。マスコミと自民党に東国原英夫を握られ、東国原英夫に具体的な対案で反論することができず、ガソリン国会で自公政権を追い詰めることができなかった。今度も同じ構図になる可能性があり、民主党が廃止法案を出せば、自民党は財源問題で反論し、マスコミを使って消費税増税のキャンペーンを打たせる手に出るだろう。そして、解散なしの両党の暗黙の合意のまま、後期高齢者医療制度の国会論議も曖昧に終わり、制度は無傷で生き残り、自民と民主の政界再編の動きだけが活発に展開することになるだろう。

_b0087409_14184352.jpg大きく引いて全体を考えて欲しい。これは一体何なのか。マスコミもブログ左翼も、日本は二大政党で二党が政策を争い、国会で対立して論戦し、それをマスコミが正しく報道して国民の支持を奪い合っているのだと言う。開かれた民主主義の二大政党制だと言う。本当にそうか。私から見れば、眼前の日本の政治的現実は二大政党制ではない。自民党と民主党に違いはなく、二党は実は一党であり、一党が二つの大きな派閥に分かれて表面上争っているだけで、政治の真実を正しく表現すれば二大派閥制である。事実上の一党独裁制であり、一党独裁制の下での二大派閥制である。マスコミの政治報道は、国民の世論を操作することが目的であり、国民に真実を伝えることが目的ではない。大新聞の政治記事はすべて政権や政党の幹部が流すオフレコ記事であり、テレビのニュース報道も意図的なプロパガンダ放送である。言論の自由や報道の自由だのは形式として保障されているだけで、実質を隠蔽するカムフラージュの役割を果たしている。中国の政治と本質的に変わりない。選挙はあっても、実質的には自民党か民主党しか選べない。二つの派閥しか投票の選択肢がない。

_b0087409_1415235.jpg1月からずっとガソリン国会の政治が続いた。この政治は、医療問題と格差問題を国民の前から消すための芝居の政治である。マスコミ報道を道路問題一色に染め、国民の政治関心をそこに漬け込むための謀略の政治であり、医療問題と格差問題と年金問題を国会とマスコミから消すための政治である。そして大連立の可能性と政界再編のデザインの可能性を探る時間稼ぎの政治でもあった。二党は対立していない。対立は見せかけで実際には馴れ合っている。本当に対立しているのだったら、暫定税率と道路整備の二度の再議決の際に、民主党は自民党の中に手を突っ込んで造反者を炙り出していた。福田首相と小沢一郎が喧嘩分かれしたというのは嘘だ。マスコミに流させている操作情報だ。二人は今でも連絡を取り合っている。ガソリン国会で続いた通常国会が終わったとき、そこに待っているのは政界再編と消費税増税である。保守二党が適当に新党を立てて分かれ、適当な公約を言って選挙をやり、選挙後にまた名前と政策を変えて離合集散する。マスコミは適当な争点を作って国民の投票を誘導する。官僚の願いは、一刻も早く消費税を増税して、そのカネで天下り先の特殊法人を温存することである。この国は二大政党制ではない。

_b0087409_17391526.jpgそう言っているのは山口二郎だけであり、権威である岩波書店と山口二郎がそう言うから、国民の誰もが騙されて信じ込むのである。よく考えて欲しい。米国で民主党と共和党の幹部同士が夜に密会して政界再編の相談などしているか。英国の労働党と保守党の幹部が、次の政界再編をどうしようかと高級レストランでフルコースを食いながら密談したりする図があるか。日本の「政界再編」の概念を彼らに英語で説明したら驚いて混乱するだろう。例えば、マケインとオバマが密会して新党作りに動くなどという想定が米国の政治アナリストにできるか。クリントンとブッシュが大連立の密議をしたなどというクレージーな想定を米国の有権者ができるか。日本の二大政党制というのは、それが当然にできる二大政党制なのである。選挙の毎に新党を作ったり壊したり、政策を変えたり戻したり、議員があっちへ行ったりこっちへ戻ったり、何でも融通無碍にできる二大政党制なのだ。山口二郎が作った日本の二大政党制というのは、そういうシステムなのである。確かに彼らは権力の奪い合いをやっている。だが、彼らのやっている権力の奪い合いは、派閥のボスの権力の奪い合いであって、英国や米国の二大政党間の権力争奪戦ではない。

一党独裁制という呼び方が不適当なら、擬似的な二大政党制と呼ぶしかない。そして日本の一党独裁制が中国の一党独裁制より質(たち)が悪いのは、それが世襲制だからいうことである。世襲制の一党独裁体制。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

1978年の 柳ジョージとレイニーウッド の 『雨に泣いている』を。

流行ったよね、レイニーウッド。 コンサート、行きましたか?
この曲を聴いて思い出すのは、あの頃の横浜の街。

関内から球場を見ながら山下公園へ歩いて行く道路。
神奈川県民ホールがあって、当時人気のクルセイダースのコンサートも見に行った。
ホテルニューグランドがあって、クラシックで、やっぱり横浜はいいよね。



街に気品と風格があり、明るくオープンで、歩道が広くて、街路樹が立派で、
田舎者には横浜はたまらなく魅力的だった。
デートをするなら関内、馬車道と元町と中華街だよね。
渋谷みたいにガサガサしてなくて、歩きながらゆっくり話ができる。


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NHK『セ‐フティネット・クライシス』 - 吉川洋は政策の舵を切るか http://critic3.exblog.jp/8578825/ 2008-05-12T23:30:00+09:00 2008-06-25T22:55:59+09:00 2008-05-12T12:39:03+09:00 thessalonike4 ワーキングプアと社会保障 <![CDATA[_b0087409_135710.jpg 昨夜(5/11)放送されたNHKスペシャルの『セーフティネット・クライシス』は内容の濃い番組だった。年末の『ワーキングプアⅢ』の報道視角を延長させた形で、今回は具体的に政策担当者をスタジオに呼んで問題を議論させていた。政府の社会保障国民会議の座長を務めている吉川洋をその場に座らせ、生々しい現実を映像で見せ、批判者である金子勝と討論させた企画は秀逸で、実際にこの番組を契機に政策が変わるかどうかは分からないが、視聴者である国民や弱者に多少の希望の光を感じさせた中身になっていた。同席していた経済同友会社会保障改革委員会委員長の門脇英晴も、同じ同友会の宮内義彦や奥村禮子とは異なる印象を見せていた。単純な新自由主義のイデオローグではないように見える。こういう番組を制作できるNHKはやはり素晴らしい。民放ではこのような番組は作れない。『ワーキングプア』以来のNHKの報道は国民の声を代弁して政治の空気を変えることに寄与している。

_b0087409_134452.jpg健康保険証を失って病院に行けず、病気が手遅れになって死んだ例が幾つか出た。大腸癌で死んだ岡山の52歳の配管工の例が冒頭に出た。病院に担ぎ込まれた後でも、高額の治療費が払えないからと、自分で点滴の針を引き抜いて病院から脱走していた。どんな気分だっただろう。普通に生きてきた人だ。こういう死に方をするとは2年前までは思ってもいなかっただろう。高い健康保険料が払えず、何とか社会保険に入れる正社員の仕事を探している53歳の門真の溶接工の例もあった。「一度落ちたら早いな」と言っていた。2年前までは普通に生活していた人なのだ。健康保険、介護保険、生活保護の三つの社会保障の現状が90分の番組の中で報告されていた。どれも悲痛で、見るのが苦しい映像だったが、それだけ真実を的確に射抜いた報道だったと言うことができる。一番見るのが苦しかったのが生活保護の事例で、病気を患った母親と3人の子供の家庭のケースだった。子供が出てくると本当に辛い。正視できない。

_b0087409_1343147.jpg母親は自営業に失敗した夫と離婚、皿洗いの仕事をしながら育ちざかりの3人の子供を育て、2001年に市から生活保護を受けて暮らしていたが、2004年に市が生活保護の支給を停止。高校に入学して、他人のお下がりの制服をもらって高校に通っていた長男は、早々に退学してアルバイトをせざるを得なくなり、中学生の次男は弁当を持って行けないことが理由で不登校となった。今、こういうことが日本中で起きていて、その事実を承知してはいるけれど、生の映像で目の前で見せつけられたらやはり身悶えして心が痛い。二人の男の子を見るのが辛かった。2004年というのは、小泉構造改革が社会保障の聖域に手をつけて、生活保護予算を削減し、厚生労働省が自治体に「生活保護の見直し」と「適正な実施」を指示した年だった。番組でも触れられていたが、厚生労働省がネット上に残している資料を見ても、2004年に何が起きたのか分かる。市の担当者は病気で働けない母親に何度も電話をかけ、早く仕事を見つけて就けと冷酷な催促を繰り返していた。これは虐待だ。

_b0087409_1341843.jpgテレビの画面に各国の社会保障費のGDPに占める割合とその支出構成の中身を示した積み上げ棒グラフが出て、スウェーデン、フランス、ドイツ、英国、日本、米国の先進六ヵ国が比較され、特に母子家庭に対する給付額が注目され、吉川洋の口から、「フランス並みにすると6兆円増えるが、2兆円くらいは増やしたい」という言葉が出た。6月の骨太と8月のシーリングに反映されるだろう。金子勝が、「(吉川洋が)今日の発言で大きく舵を切った」と評価して喜んでいた。吉川洋は2001年から2006年まで小泉内閣の経済財政諮問会議の民間議員を勤めた人間である。小泉構造改革の理論的中枢にあり、それを経済学者として支えてきたイデオローグである。霞ヶ関の官僚たちを小泉改革に靡かせたのは、慶應大学で突出した新自由主義者の竹中平蔵のアジテーションではなく、官僚たちの故郷の東京大学の権威である吉川洋の理論経済学の説得だった。小泉構造改革に果たした吉川洋の影響と功績は絶大で、われわれの立場からすればまさにA級戦犯と言える。「給付と負担のバランス」や「持続可能な制度」論は吉川洋が開発した改革の言説ではないか。

_b0087409_13455100.jpg吉川洋は2003年に岩波書店から『構造改革と日本経済』を出している。単位を取るのは上手だが難しい経済理論はよく分からない霞ヶ関の官僚たちは、吉川洋の改革理論が岩波書店がオーソライズしたものであることを知り、安心して新自由主義の改革路線を受け入れたのだろう。岩波ブランドが官僚たちに与える影響は絶大で、それは権威と信頼と帰依のシンボルである。岩波書店の責任は重いと私は思う。小泉構造改革を正当化するような理論書を岩波書店は出版すべきではなかった。山口二郎の『政治改革』に次ぐ第二の失敗と錯誤と言える。最近、岩波(iwanami.co.jo)からブログにアクセスが届くようになった。編集部だろうか。政治改革に棹差し、構造改革に棹差し、日本を政治反動と経済格差に導いた責任をどう考えているのか、弁明できるのか、私にメールを返して欲しい。この国において、本来は反動的で反国民的な実質の政策が、マスコミの演出によって国民的で必然的な政策の外装を纏うときは、必ずそこに左側の論者や機関が介在して左側から国民を説得している。立ち回り屋がいる。

_b0087409_1326404.jpgテレビを見ながら、『ワーキングプアⅢ』のときとは違う別の感慨もこみ上げた。それは、NHKがこれだけ頑張っているのに、インターネットはなぜ何もできないのかという痛憤だった。なぜネットは運動を起こせないのか。社会保障を削減させず拡充させる政策を実現しようとすれば、セーフティネット主義の政策を掲げる政党を立ち上げて、次の選挙で国会の過半数の議席を占めればいい。簡単なことだ。そうした運動を興せるネットという政治装置も持っている。郵政選挙から二年半も経つのに、一向にそうした動きが出て来ないのはなぜなのか。志(こころざし)の高い人間はどうして出現しないのだろう。そしてそれ以上に、社会科学の研究者の中から日本の社会保障を守るために颯爽と立ち上がって指導者となる人間はなぜ出て来ないのか。どうしてマルクスになろうとする人間が現れないのか。体ごと新自由主義にぶつかって行く闘士が出ないのか。そのことが不思議でならない。国民が不幸になる状況を静観して合理化している人間ばかりだ。それはこうであれはこうでこれはあれでと現代思想のクズ言葉で脱構築ごっこして終わりだ。

_b0087409_1351859.jpg脱構築ごっこは要らない。個人の趣味のBLOG日記も要らない。現実を変えるのだ。国の予算と法律を国会で変えるのだ。大事なことは現実を変えることで、現実を変革する組織に結集することで、そのためにネットを使うことだ。必要なのは、高い志と血判で団結した鉄の組織だ。理想を掲げて組織を引っ張る指導者だ。番組の中には多くの人間の嘆きと涙があった。介護保険の給付を削減され、週3日1日3時間だった介護サービスを1日1.5時間に縮減され、買い物に行きながら右半身のリハビリをしてしていた72歳の女性がそれをできなくなった嘆きの涙があった。釧路の母子家庭の母親が、高校進学した娘の入学金の金がなく、市役所に相談に来て机に伏して体を震わせる場面があった。嘆きと涙がある。『反貧困フェスタ2008』へ行ったときに、グッズを売っていたところでボランティアの人と二人でのみ込んだ嘆きと涙がある。この嘆きと涙を終わらせたい。総選挙の投票結果が出た時点で終わらせたい。あと1年と4ヶ月後には、嘆きと涙が地上からなくなるようにしたい。2200億円の予算など簡単に出せるはずだ。「持続可能な制度」の言説には嘘がある。

特殊法人や防衛費の予算浪費の無視があり、財政再建に回せる国家原資(ガス田と米国債)の無視がある。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

2000年のヒット曲で 倉木麻衣 の 『Reach for the sky』 を。

NHKの朝の連続テレビ小説『オードリー』の主題歌。
この曲が入っている2枚目のアルバム 『Perfect Crime』 が倉木麻衣の最高傑作だと思う。
このとき18歳、現在26歳。

『名探偵コナン』の主題歌になった『Start in my life 』も『always』も素晴らしい。
毎週月曜の夜、アニメの『名探偵コナン』を見ていた。いい作品だよね。
倉木麻衣というと、私の中ではそのまま『名探偵コナン』に繋がる。



倉木麻衣の歌には、ベートーベンの『第九』的な印象がある。
苦難の中を通り抜ける者をやさしく助け支え励ますメッセージがある。
そして曲作りの才能は素晴らしい。
いい子だ。日本の宝だ。


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NC9の中国残留孤児帰還報道 - 日中友好に流された汗と涙と血 http://critic3.exblog.jp/8566499/ 2008-05-10T23:30:00+09:00 2008-09-03T17:12:32+09:00 2008-05-10T14:12:43+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_14433846.jpg一部に、日本は中国との経済関係において全面的に依存する関係にあるから、日本は中国との間で戦争を起こすことはないという意見がある。歴史を振り返れば、こうした見方が安直で楽観的に過ぎることがよく分かる。歴史を鑑にしなければならないと言われる所以である。1941年12月、日本は世界最大の経済大国に宣戦布告して戦争を始めた。その国は日本の最大の貿易相手国であり、しかも自給不能なエネルギー資源である石油の輸入を100%依存している国でもあった。常識では開戦など絶対にあり得ない選択だが、陸軍も海軍も天皇も政府も開戦を選択して、機動部隊で奇襲攻撃をかけた。中国が日本の最大の貿易相手国であるという経済的事情は、日本が中国に侵略戦争を仕掛けないという論理的根拠にはならない。第二次大戦における独と英仏の関係を見ても同じだろう。経済関係は友好関係の第一歩だが、経済関係を深めるだけでは友好関係を深めることにはならない。 

_b0087409_14431039.jpgそれ以上に重要なのは心の問題である。日本の国民が中国とどう向き合うかが大事なのであり、態度こそが信頼関係を築く鍵となる。それは日常の人間関係と同じであり、不信ではなく信頼を持ち合えるかどうかが友好関係を深める前提となる。両国の国民が相互に信頼を維持するためには、両国の国民と政府が両国間の基本法である72年の日中共同声明の精神を守る必要がある。原点の誓いを忘れずに守る必要がある。いつだったか、70年代後半だったと思うが、民間と厚生省による中国残留孤児の調査と帰還の運動が始まって、第一次と第二次の残留孤児の帰還があったころ、NHKの「ニュースセンター9時」に身元不明の残留孤児たちが出演して、中国語で「お父さん、お母さん、どうして私を助けてくれないんですか」と泣きじゃくりながら訴えたことがあった。何人も何人も、男も女も。そのとき、生放送のスタジオで、NHKの女のアナウンサ-が堪えきれずに涙を流して泣いた。覚えているだろうか。

_b0087409_14435179.jpg日中友好とか、日中関係とか、その原点とか、そういう言葉に触れるときに私の頭の中に浮かび上がるのは、田中角栄と周恩来の調印式や握手の映像ではなく、そうではなく、人民服を着て日本に来た皺だらけの顔の中年の残留孤児たちの悲痛な叫びであり、そして涙を流して泣いたNHKのアナウンサーの姿である。あのとき感涙で声を詰まらせたのは誰だっただろう。宮崎緑だっただろうか、メインのキャスターは磯村尚徳だったと思うが、今は正確に思い出せない。そういう瞬間があった。戦後生まれのわれわれが、侵略戦争の残痕の悲劇に生々しく立ち会い、戦争が何を残したのかを肌身で知らされた瞬間があった。「ニュースセンター9時」の中国残留孤児帰還事業の報道。あれこそNHKであり、国民のNHKの姿である。NHKの関係者はどうかそのことを忘れないで欲しい。思い出して欲しい。日中友好の最前列で奮闘尽力して立派な貢献と功績を残してきた先輩たちのことを忘れないで欲しい。日中関係はただの二国間関係ではない。

_b0087409_144447.jpg胡錦涛主席が早稲田大学で言ったように、国交回復から35年、そこには日中友好のために汗を流した人たちがいる。汗を流す前には、あの「ニュースセンター9時」の残留孤児帰還事業報道のように、われわれは涙を流した。涙を流し、汗を流したが、その前には、それに百倍千倍する中国人の血が流されているのである。すなわち日中友好には、無数の人々の血と涙と汗が染み込んでいる。だから、日中関係はただの二国間関係ではなく、経済関係に一元的に還元解消される単純なものではなく、重い重い歴史があり、歴史を抜きにしては語ることのできない関係なのである。その重さを一人一人が感じ、重い歴史の石を心の中で持ち上げなくてはいけない。それは日韓関係においても基本的に同じで、日本側の謝罪と反省の姿勢を欠いた未来志向関係などあり得ない。国と国との関係も人と人との関係と同じで、要するに国民と国民の関係なのであり、現業の実務の立場や利害以上に生い立ちと感情を持った生身の人間が国家を動かしているのである。

_b0087409_14441665.jpg胡錦涛主席の早稲田大学での講演は意義深いもので、一言一句が重要で、精読して意味を確認する必要のある両国民へのメッセージだが、中国では全土にテレビで生中継されたが、日本の夜のニュース番組で中身を詳しく取り上げた局は一局もなかった。福原愛との卓球の映像ばかりがクローズアップされて報道された。翌日の新聞に全文は無理でも要旨は載るだろうと思っていたが、朝日新聞は要旨すら掲載しておらず、日本側の報道では毎日新聞の記事をネットで読むしか確認することができない。5年前、ブッシュ政権がイラク戦争を始めたときは、開戦前から、開戦後も、何度も何度もブッシュ大統領の戦争演説の生中継が入り、ニュース番組では長い演説映像が流され、ワシントン支局長の手嶋龍一が出ずっぱりでカメラの前に立ち、大統領の神聖演説を英語の分からない日本の臣民に解説して聞かせていた。十年に一度の中国国家主席の訪日とそこでの演説は、歴史的にも重要なものと思われるが、その言葉を日本人と日本のマスコミはどうして簡単に無視するのだろう。

_b0087409_14442715.jpg早稲田大学での演説の中にもあったが、胡錦涛主席は今回の訪日で日中の青少年の交流拡大に意欲を示している。これは有意義な政策で、特に中国が大々的に投資して戦略的に力を入れて取り組むべき課題だと思われる。最近、日本の若い世代に極端に右傾化が目立つ。これは日本の責任であり、また若い世代に責任のある問題でもなく、無理もないと言うか、本屋に行けば右翼漫画家の反中嫌韓マンガが山積みになり、テレビを点ければ青山繁晴の恫喝罵倒や金美齢のヒステリーばかりが聞こえ、田原総一朗や古館伊知郎の反中プロパガンダを「中立」だと思って鵜呑みにする日本の青少年に反中反共ロボットになるなと言う方が無理がある。日本側に日中友好を牽引する若い人間が少ない。スポーツの福原愛の他に誰がいるだろう。NHKの鎌倉千秋くらいか。中国語を話せる若い日本人が少なすぎる。日本の優秀な青少年を大量に中国に招いて勉強させることだ。中国政府にぜひお願いしたいことがある。日本ではこの十年の新自由主義政策の徹底によって格差(貧富の差)が極端に開いた。

_b0087409_1444394.jpgそのため、低所得家庭や母子家庭の子供は勉学の意志と希望を持っていても大学に進学できない状況になっている。どれほど学力があっても、家庭に経済的余裕がないために大学進学を諦めている子供がたくさんいる。最近、岡山駅で殺人事件を起こした18歳の大阪の少年もそうした一人で、格差社会に対する絶望と怨念が犯行の動機の一つと考えられている。そういう子供たちに優先的に光を当てて欲しい。中国は社会主義国なのだから、貧困な家庭の子供たちに教育の機会を与える政策は、きっと原理的に採用してもらいやすいだろう。ぜひ、恵まれない日本の子供たちに機会を与えてあげて欲しい。経済大国の大型投資を、貧しい日本の子供たちに教育機会を与える中日友好事業に振り向けて欲しい。裕福な家庭の子供ではなく貧困な家庭の子供を中国に留学させていただきたい。機会を与えてもらった子供たちは、きっと日中友好に貢献する人材に成長するだろう。人材交流は重要だ。今は、あまりに日中関係を壊そうとする人間ばかりが多すぎる。日本の政治家やマスコミだけでなく、日本で犯罪を犯している中国人も含めて。

5/9の朝日新聞の一面にあった若宮啓文のコラムに批判を加えたかったが、紙幅もないので次の機会にする。昨日(5/9)読んだときは、その歴史認識の出鱈目さに怒りと憤りを覚えたが、一日経って読み直すと、力が抜けて気分が萎えるだけで、批評を試みようという積極的な気分になれない。気の抜けた産経新聞と言うか、産経新聞が軟体動物になってふにゃふにゃ漂っている感じがする。その代わり、日本在住の中国人(学生)と思われるブログ読者からのメールを紹介する。

【 名前 : foggy  性別: 女 】
今の状況からみると、日中平和の実現は不可能ではないですか?

実際、先月からインターネット上でアンケート調査をやっていますが、今のところでは約8割以上の留学生の回答者が「今回のことで日本という国を嫌うようになった」という項目を選びました。
 
留学生は本当なら将来日中友好の実現に力を捧げるはずでしたが、いまは全く逆方向に走っています。長く日本に居れば、居るほど日本のマスコミやそのマスコミに洗脳された日本人に対する絶望感が強くなってしまいます。

日本はこれからどういう対中政策を取るでしょう? 日本にいる中国人の心すら掴めない日本は、中国にいる中国人の心を掴みたいと思っている(と言える)でしょうか?

26日に長野で国旗を振った留学生のほとんどは雨の中で涙をこぼして泣きました。その涙は中国のためではなく、日本のためにこぼした涙でした。日本という国が大好きだったからこそ、泣き出すほど悲しみます。大好きだった日本からこれだけの侮辱を受け、毎日古館伊知郎の発言を聞いてる留学生の心境は日本人には分かりません。

日本のマスコミは日中平和の破壊の種をいま埋め込みましたが、将来その種から出てきた果実を味わうのは、結局「日本」という国自身です。


本当に申し訳ないと思う。申し訳ないとしか言えない。他に何も言えないのが苦しい。申し訳ない。

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【世に倦む日日の百曲巡礼】

1987年の T-SQUARE の 『TRUTH』を。 映像は1992年5月25日のモナコGPのバトル。

このレースは夜のフジテレビで実際に見ていた。セナとマンセルの歴史に残る一騎打ち。
あの頃、翌朝月曜の職場へ行くと、男たちは朝から昼休みまでF1の話題ばかりだった。
F1-GPは90年から94年までが最高に盛り上がった時期で、その主役はセナだった。
新車のプレリュードを買って嬉しそうに乗っていた男がいたね。



月に一回、日曜日の深夜に夜更かししてテレビを見る習慣は、
1994年5月1日のサンマリノGPを最後に終わった。
関心が消えた。あれから一度もF1を見ていない。
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反中プロパガンダ゙に狂奔するテレビ朝日とユネスコ憲章の警告 http://critic3.exblog.jp/8559764/ 2008-05-09T23:30:00+09:00 2008-07-09T12:14:47+09:00 2008-05-09T11:43:11+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_12113182.jpg現在のテレビ朝日の中国報道は、イラク戦争開戦当時のCNNと同じほど極端に偏向した内容になっている。連日の胡錦濤主席訪日関係の報道は、まるで北朝鮮から来た外交使節を監視しているようであり、あからさまに敵視して、胡錦濤主席の一挙手一投足を悪辣に貶めて歪める報道姿勢に徹している。国家主席は元首であり、天皇陛下と同じ国家のシンボルである。天皇陛下が訪中や訪韓したときに、その式典演説や親善行事をこれほど酷く現地のメディアに貶めて報道されたら、それを知った日本人は怒りで震えが止まらなくなるだろう。昨夜(5/8)の「報道ステーション」では、中国のこの間のチベット問題と北京五輪問題への対応を評して、「第一の敗北」と「第二の敗北」という表現を使い、国際政治の情報戦における中国の「敗北」を強調して伝えていた。フジテレビや産経新聞と同じかそれを上回る過激で露骨な反中報道に驚愕する。

_b0087409_12114599.jpgテレビ朝日によれば、3/14に起きたラサ市内での暴動の映像の放送が「第一の敗北」であり、世界を回る聖火リレーで居留中国人が五星紅旗を林立させたことが「第二の敗北」であると言う。いずれも、中国政府が自己の正当性を国際社会に訴えながら、国際世論に支持されなかったから「敗北」だと言うのである。私は、この「敗北」報道は著しく偏向した反中プロパガンダであり、中国国民の反日感情をさらに高め、日本の平和にとって危険な影響を齎すものであると思う。テレビ朝日による「情報戦」の評価は、最初からテレビ朝日自身がチベット側に立っていて、報道機関としての客観的で公正中立な立場からの判定では全くない。中国を敵視する反中宣伝機関が中立のジャッジなどできるはずがなく、CNNのイラク戦争報道が一方的な米軍の正義と勝利をプロパガンダしていたのと同じだ。中国側からすれば、この「敗北」報道は不当な決めつけである。

_b0087409_12115788.jpgもし仮に、中国が長野に留学生を大量動員しなければ、聖火リレーの沿道はチベット旗だけが振られる図となり、それを撮影放送するテレビ朝日は、日本国民はこのように熱烈にチベットを支援していると報道で言い、中国側の「敗北」を囃し立てただろう。実際のところは、旗で沿道を埋め尽くそうと情報戦の政治を扇動したのは2ちゃんねる掲示板を策謀の拠点とする右翼であり、中国側は仕掛けられた情報戦に応戦して反撃し、数で右翼チベット側を圧倒したのだった。テレビ朝日の報道にとっては、事実がどう転んでも中国は「敗北」と先に結論が決まっているのである。最初から右翼チベット側に立った報道しかしないのだ。これがプロパガンダのシャワーである。シャワーを浴びせられた視聴者は、内面に反中政治意識が培養される。リテラシーの低い一般視聴者はテレビ朝日の報道は中立だと思っているから、簡単に古館伊知郎の折伏を信じてしまう。プロパガンダをフィルタリングできない。

_b0087409_12121388.jpgプロパガンダが政治の常識になる。郵政民営化の小泉劇場も同じだった。古館伊知郎によるプロパガンダのシャワーで洗脳された人間にとっては、郵政民営化は正義の政策であり、小泉改革は無謬の国民的選択であり、一票入れる先は自民党以外になかった。郵政民営化に反対する抵抗勢力は悪であり国民の敵だった。国民の敵だから、生放送のスタジオで反論を無理やり妨害して遮断してもよかった。今まさに、あのときの「抵抗勢力」と同じく中国が「国民の敵」に仕立て上げられている。古館伊知郎を筆頭とする日本のマスコミの反中プロパガンダは、中国を敵性国として決めつけ、中国への反感と憎悪を煽るもので、一般視聴者の内面に中国に対する不信と嫌悪を醸成させるものである。戦争はまず人間の心から始まる。ユネスコ憲章は言っている。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。古館伊知郎がやっていることは、まさに戦争準備そのものである。

_b0087409_12162292.jpgユネスコ憲章は続けてこう言っている。「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった」。持たなくてもよい中国に対する疑惑と不信を持たせているのは誰か。中国に対する疑惑と不信を持たせるように日本の国民を煽っているのは誰か。日中友好で築かれていた「心のとりで」を破壊しているのは誰か。ユネスコ憲章の言葉は真実だ。戦争は国家が国民の知らないところで勝手に始めるのではない。国民がメディアに煽られて戦争しようと言うのだ。侵略戦争を求めるのは常に国民である。日露戦争もそうだった。主戦論の急先鋒は民間の新聞社であり、伊藤のように政府の方に慎重論が多かった。同じ構図は昭和に入っても続き、民間の新聞が国民世論を炊きつけ、それに軍部が便乗して侵略戦争の謀略を仕掛け、その既成事実を政府が追認した。戦争世論を炊きつけて扇動した先鋒が朝日新聞だった。

_b0087409_12123640.jpgユネスコ憲章に従えば、われわれ日本国民は、共産党独裁という異質な制度で国を統治している中国を認めなくてはいけない。相手の立場を認めなくてはいけない。そこに言論の自由がないからとか、西側マスコミの取材の自由がないからとか、人権が制限されているからと言って、そのことを相手国を理解する上での障害にしてはならず、不信や敵対の根拠にしてはいけない。それが両国の理解や友好の障害になるのなら、72年の日中共同声明はなく、日中が平和友好条約を結んで国交回復することはなかった。ネットの中で護憲派を名乗る者たちに言いたい。今こそ戦争の危機のときではないのか。ユネスコ憲章を正しく読み、テレビ朝日の露骨で執拗な反中報道に接したとき、これが戦争の始まりだと思わない者はいるのか。況や、最も尊敬が表されて然るべき国家元首が来日しているときの報道である。9条を守る平和主義というのは、9条をペットのように愛玩するフェティシズムではないはずだ。9条の平和主義は日常の現実の中でこそ生きた視線を持たなければならない。

_b0087409_12204922.jpg平和主義者が監視し警戒すべきは、政府以上にマスコミでなければならないはずだ。戦争の火種を作り出し、中国への憎悪を煽り立て、日本の外交を中国との冷戦に導こうとしているマスコミこそ、ユネスコ憲章と9条の敵であり、平和に対する真の敵ではないのか。古館伊知郎のプロパガンダは、単に日本国民に対する洗脳や扇動の意味だけではない。公共の電波を使った中国国民に対する挑発行為の意味がある。日本の世論の「代表」を偽装したプロパガンダによって、恰も日本国民全体が甚だしく攻撃的な対中姿勢で固まっているかのような「現実」が作り出される。古館伊知郎を否定するマスコミが現れなければ、古館伊知郎の主張は日本国民の意見や心情の「代弁」になる。当然、中国国民は反発し、反発と反日の声がネット掲示板に上がり、日本に対する不信と敵意が増殖されることになる。不信と敵対の応酬になり、後戻りできないほど強い反日感情と反中感情が固まる。それは政府を動かす原動力になり、軍事予算拡大を支持する世論になり、日本では憲法改正を後押しする世論となる。

_b0087409_1213025.jpg今こそ平和の危機のときなのだ。日中が冷戦状態に入るかどうかの境目なのだ。聖火リレーの後、世界の潮流は、春先のような中国叩きのブームは鎮静化の傾向にある。材料を二つ挙げたいが、まず中国に対する侮辱報道をしたCNNのその後の対応がある。CNNのキャスターが中国人と中国製品を侮辱罵倒した問題で、NY在住の中国人がNYの裁判所に謝罪と賠償を求めて提訴、日本では報道されてないが、裁判所はCNNに召喚状を出し、5/8の時点でCNNは原告側に謝罪文を送っている。謝罪の次は補償となるが、要求されている金額は13億ドルである。事件はCNN側の完敗で決着する予想となっている。13億ドルの根拠が面白くて、中国人1人に1ドルの損害賠償をというもので、われわれは苦笑するが、移民の国で訴訟大国の米国では大真面目な話となって経営者は顔面蒼白になる。日本の中国人も日本のテレビ番組でのマスコミ右翼による恫喝や侮辱の発言を見逃さず堂々と提訴すべきだ。テレビ朝日はこの提訴と勝敗については中国とチベットをめぐる「情報戦」の一部として捉えないのだろうか。

_b0087409_12131264.jpgもう一つは、国際オリンピック(IOC)の選手委員会が4/24に声明を出し、北京五輪開催を支持し、開会式のボイコットなどをしないように世界に訴えたことである。声明は、北京での開催を決めた7年前の選択を「適切な論拠によるものであり、現在も適切である」と支持。この重大な事実は日本ではテレビでは全く報道されておらず、ほとんどの日本人は知らない。野口みずきが長野で発したコメントと同じであり、長野での聖火リレー直前のIOC選手委員会の声明に沿って野口みずきのコメントが出たとも言える。選手たちは北京五輪を支持していて、北京五輪がチベット問題の政治に邪魔されないことを願っている。原点はここだ。五輪の政治利用だ。これらの流れに加えて、5/7の日本での首脳会談と福田首相による北京五輪支持の声明が世界に発信された。チベット問題で福田首相が胡錦濤主席を牽制する場面もなかった。また、欧州側は自分たちの主導で中国とチベットの対話を実現させた実績に満足している。これが現在の世界の流れであり、「情報戦」の情勢である。これを見ると、テレビ朝日の「情報戦」報道の一面性と政治性が際立つ。

反中プロパガンダで染まっているのは日本だけだ。
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【募集】
誰か、PhotoShopを使える人で、「上野動物園にパンダを呼ぼう」と「北京五輪を成功させよう」の2種類のバナーを製作してくれる方、いませんか。ブログの左右カラムに貼ります。こちらまで。
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 【世に倦む日日の百曲巡礼】

1989年の 美空ひばり の 『川の流れのように』 を。

もうすぐ母の日。そして美空ひばりの命日が来る。
美空ひばりの歌の中で、この曲だけが特別に素晴らしい。
昭和の時代を追うように52歳で死去。日本は間もなくバブル崩壊。



1988年の東京ドームのコンサートがスポーツ新聞の1面に出ていたのを覚えている。
来年は二十回忌。
皆さん、親孝行しましょう。
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戦略的互恵関係 - 歴史問題を後退させたチベット問題の利害 http://critic3.exblog.jp/8553883/ 2008-05-08T23:30:00+09:00 2008-05-18T17:48:25+09:00 2008-05-08T13:23:06+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_135192.jpg昨日(5/7)の日中首脳会談後に発表された日中共同声明では、両国は「戦略的互恵関係」の新局面を切り開くことになったと宣言され、マスコミも「戦略的互恵関係」の言葉を強調して何度も報道して解説していた。マスコミは「戦略的互恵関係」の意義を積極的に評価するが、これは本質を裏返せば、単に「都合のいいように相手を利用する関係」である。今回の日中首脳会談の政治がまさにそうだった。中国側の最大の関心はチベット問題と北京五輪で、欧州とは異なる日本のマイルドな対応を世界に見せることであり、この問題で国際的に孤立していないことを世界に示すことが訪日の目的だった。福田首相の口から記者会見で「この五輪は是非とも成功させてほしい。成功しなければいけません」の言葉が出たことは、中国にとっては大きなポイントで、世界の世論に与える影響は小さくない。

_b0087409_13543787.jpg日本側の関心は福田政権の支持率で、今回の首脳会談で「中国に言うべきことは全て言って多くの譲歩を引き出した」演出で国内世論に訴え、外交評価の得点を稼ぐことが目的だった。首脳会談直後にネットに報道されたマスコミの記事は、いかにも官邸と外務省に誘導されたものばかりで、政府が今度の政治をどう国民にメッセージしたかったが伝わってくる。共同通信は「胡主席が日本の常任理入り肯定 中国首脳で初めて」という見出しの記事を会談直後に発信している。これが首脳会談と共同声明発表の後に共同通信が書いた最初の記事で、ネットで情報を待っている者たちの目に最初に飛び込んで来た。時事通信は、「福田首相、ギョーザ事件の解明要請」の見出し記事を最初にネットに出し、福田首相が国民の要望に従って、ギョーザ問題で中国側に強い態度に出たように演出している。

_b0087409_13513052.jpgまた、温室効果ガス削減問題についても、日本が提唱推進している「セクター別アプローチ」に中国の前向きな評価を引き出し、2050年にガス半減をめざす目標に中国の積極的な姿勢を表明させたことも得点だと夜のテレビ報道は評価を与えていた。最も大きいのは歴史認識問題で、これは単なる演出ではなく共同声明に書き込まれた点で重要だが、日本側の「侵略戦争に対する反省」が共同声明文書で扱われず、単に「歴史を直視する」という表現にとどまり、中国に対して反省を拒絶する現在の日本の国民世論に対して大きく得点を稼いだ外交となった。10年ぶりの国家主席訪日の席で、しかも靖国問題のために両国関係が不具合になった後の国家主席訪日の共同声明でありながら、そこに歴史認識問題への言及がなくなったということの意味は大きい。「戦略的互恵外交」の意義はまさにこの点にあり、歴史認識問題での中国側の後退と譲歩こそが決定的と言える。北京五輪と歴史問題を日中でバーター取引した。

_b0087409_13514216.jpgこの共同声明からの歴史問題の後退は、反中で固まったマスコミを喜ばせ、右傾化した日本の世論を喜ばせ、マスコミの提灯記事で福田政権の支持率回復に寄与するかも知れない。日本のマスコミは、この歴史問題が消えた「戦略的互恵関係」について、両国関係の成熟の証であるとか、未来志向の前進であるなどと意義をクローズアップする報道をしている。だが、昨夜のNHKのニュースでは北京市民のインタビュー映像が出ていて、「共同声明から文言が消えても問題は残っている」という言葉が返ってきた。歴史認識の問題から離れて未来志向の関係へという姿勢は、中国だけでなく韓国に対する外交でも同じで、日本が右傾化して靖国問題を始めとする歴史問題が噴出してから、騒動の後に外務省が小細工して体面を取り繕うその場凌ぎの東アジア外交を象徴するものである。問題は必ず噴火する。右翼政治家が政権の中心に座れば、靖国問題が再浮上して「戦略的互恵関係」や「未来志向」の言葉を一瞬で無意味化するだろう。

_b0087409_13515114.jpg互いに都合のいいように相手をうまく利用する。外交の観念には本来的にそうした利益の取引だとか利害の妥協だとかの意味がある。それこそが国家間の外交の本質で、原理的な立場に立たずにその場その場の利得を冷静に計算するのが外交だという考え方がある。そうした外交論で現在の政府の日中外交や日韓外交を合理化し正当化する認識や主張が正論になっている。しかし本当にそうだろうか。日本の国民と国民、そして国家と国民の関係の基本契約として憲法がある。憲法は国家と国民を原理的に拘束する。日本国憲法には哲学があり、それは平和主義の理想である。日本国民はその哲学の上に立っている。国家と国家の間にも基本関係を定める憲法はある。日本と中国の間にある基本法は72年の日中共同声明である。ここには哲学がある。どれほど時間が経っても、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」の原点は消えないし、そこへ立ち戻るように日本の政府と国民は要請される。

_b0087409_1352045.jpg二国間関係や外交はゼニカネの問題のように見えて、実は本質的には哲学の問題なのである。没価値的なフラットな利害調整のように見えて、実は思想的原理的な拘束性から逃れられない世界である。なぜならそこに両国間の歴史があるからだ。現在は過去の積み重ねの上にある。本当なら、中国の国家主席が訪日したこの機会に、小泉純一郎による靖国参拝の暴挙を反省し、靖国参拝が72年の日中共同声明に対する違約行為であった事実を日本側が率直に認めて謝罪するべきだった。そういう日中首脳会談にするべきだった。ところが、チベット問題の国際政治の浮上があり、中国側に人質としての北京五輪があり、残念ながら靖国問題を謝罪して信頼回復する外交にはならなかった。逆に歴史問題に蓋をして相互に利用する「戦略的互恵関係」の外交になった。靖国問題は曖昧なままで、将来の日本の首相が参拝する可能性は残されている。共同声明の文言から歴史問題が後退したことは、靖国問題に対する日本側の縛りが緩くなったことを意味するだろう。日本国民として歓迎すべきことではない。

_b0087409_13521063.jpg以上が「戦略的互恵関係」の政治について感じたことで、この没理念的な二国間のテーゼは、歴史問題の再噴出によって遠くない時期に有名無実化と再検討の憂き目を見るだろう。最後に少し意外だった点として、福田首相が北京五輪開会式への出席を確約しなかった問題がある。これは小さくない問題だ。北京五輪の成功を支援する立場をあれほど強く強調しながら、なぜ開会式出席については明言を避けたのだろう。ブッシュ大統領と李明博大統領は参加で方針が固まっている。福田首相の開会式出席を躊躇させる要素は特に何もない。考えられる理由は二つあり、これをカードとして残して、洞爺湖サミットまでにさらに温室効果ガス排出問題で中国側の譲歩を具体的に引き出すという思惑が一つ。東シナ海ガス田の交渉が妥結寸前まで行っていて、切り札としてこれを使うという戦術もある。国家主席訪日までに詰め切れなかった課題は多くあり、これからが日中外交の本格的な再始動だという考え方もある。両国外務省の事務レベルはそういう感覚だろう。

_b0087409_13533747.jpgもう一つの可能性は、サミット後に福田首相が辞任するため五輪開会式参加できないという政局である。数日前の政局記事で、福田首相が森喜朗と青木幹雄の二人に会い、解散はしない旨を正式に約束したという報道があった。解散はしない。支持率が一桁に下がっても解散しない。問責決議案を出されても解散しない。これは辞めるというコールサイン以外の何ものでもないだろう。自民党の山崎拓が二日前の「報道ステーション」に映像で出て、現在の自民党内の空気を披露していた。誰が総理大臣になっても選挙で自民党は単独三分の二の議席を割る。三分の二を割るのは確実だからポスト福田は無意味である。そのように言っていた。だが、三分の二割れが確実でも、その後の政界再編を睨めば、現職の自民党議員としてはなるべく票を多く取れる総理の方がいいに決まっている。落選したくない。福田首相よりも一票でも多く取れる麻生太郎を担ごうとするだろう。福田首相は、自分の手で解散総選挙はやらない。サミット後に辞めるか、それを凌いでも秋の総裁選で辞める。

北京五輪開会式出席を確言しなかった理由は、8月に首相の座にいる可能性がきわめて小さいからである。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

1984年の曲で中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』。

映像は1990年の12月。やっと掘り出した。ずっとこの感じの映像を探していた。
中森明菜は90年代が圧倒的にいい。
大人の女になり、妖艶で蠱惑的な女になり、
日本の歌手の中で最高のビジュアル・パフォーマンスを見せていた。

それをテレビで見ることができるのは、年に一回あるかないかだった。
いま43歳。容姿はまだ衰える年ではないけれど、歌の方はどうだろう。
花の命ははかなく短い。



ついでに『ミ・アモーレ』を。 この曲、いいよね。
1985年の日本レコード大賞曲。
この頃の日本人が何を求めていたのか、どこからどう変わろうとしていたのかよくわかる。
経済大国の頂点に立った日本人の内から噴出する欲望と誘惑。
心の解放とデカダンス。
バブル崩壊まであと6年。
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中国国家主席の訪日とチベット亡命政府の戦略 - 独立と自治 http://critic3.exblog.jp/8547038/ 2008-05-07T23:30:00+09:00 2008-05-08T22:33:03+09:00 2008-05-07T12:21:17+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_12413852.jpg中国首脳の日本訪問は盛り上がる。力が入る。誰もが固唾をのんで見守る特別な雰囲気が出来上がる。外国の首脳の訪日は実は毎日のように行われている。私はそれを外電のニュース記事で見ていて、福田首相と官邸で撮った写真が毎日ロイターやAPで報じられているが、日本のマスコミが報道で取り上げる国というのはきわめて限られている。米国、韓国、ロシア、そして英、仏、独。ブラジルの大統領やシンガポールの首相が来ても報じないし、欧州でもスペインやイタリアの首相の来日は無視している。訪日前からこれほど大きく報道で盛り上がるのは中韓米の三国で、その中でも中国の国家主席の訪日は図抜けている。特別に関心が高い。緊張と注目で熱を帯びる。日本国内の大気の温度が1℃上昇する感じがする。日本国内だけでなく、中国はもとより韓国や台湾の人々が熱い視線で注目するのだ。中国国家主席の訪日は1998年の江沢民以来10年ぶりのことになる。 

_b0087409_1242108.jpg江沢民が日本に着いたのは夜だった。黒いコート姿だった。空港の報道陣に「こんばんわー」と日本語で言い、その映像が「ニュースステーション」で放送されたのを覚えている。江沢民が歴史認識問題で怒ったのは何が契機だったのか具体的に思い出せない。訪日した後で何かがあった。共同声明文の中の(歴史に関わる)文言だっただろうか。あの頃から民間でも政権の中でも日本は右傾化が酷くなり、72年の日中共同声明を(公然と隠然と)裏切る行動と態度に出ていたが、日本全体が右に寄り、つまりマスコミも右に寄ったから、江沢民が激怒した理由には触れず、江沢民が一方的に歴史問題で怒った図だけが切り取られて報道され、それが江沢民訪日の「事実認識」として固められている。朝日新聞などの報道は、「日中間がまずくなった」という言い方しかしないが、中国から見れば「日本が反動化した」のであり、日中戦争に対する反省の認識が消え、対中姿勢が友好から敵性のものに変わったのである。日本が先に変わった。

_b0087409_12422146.jpg中国の指導者の来日は重い。それが現代史として残る。中国政治の大きなマイルストーンになる。鄧小平が日本に来たのも一度だけだった。一度だけの来日、しかし滞在期間は長く、逸話を多く残す旅をしている。日本の首相のように外務省のお人形さんになって行って帰るだけの外遊ではない。困難な局面での重責の使命を帯びた呉儀と温家宝の来日もそうだった。温家宝について、私は訪日前は人物の器量をさほど評価していなかったが、昨年の訪日の大仕事を完遂したときの温家宝の姿は実に大型の政治家だった。見直した。精神力が強い。本物だ。中国の指導部に無能はいない。ここが日本の政権と決定的に違うところである。江沢民が訪日した10年前、1998年、10年後に中国のGDPが日本と並んでいると予想していた人間はいるだろうか。実際のスピードは予測よりはるかに速かった。あの頃、私自身も中国が日本と経済で並ぶのは30年後(2028年)くらいだろうと漠然と思っていた。今、中国経済がGDPで日本経済を追い抜くのは5年後だと言われている。

_b0087409_12423013.jpgもっと早くなるのではないか。米国をキャッチアップする時期も、現在の予測より早く到来するかも知れない。日本に追い着くのがこれほど早くなったのは、中国経済の高度成長が失速しなかったことと、日本経済が低迷して逆に縮小して行ったからの二つの要因がある。ドル暴落と米国経済のシュリンクが長期のトレンドとして固まれば、キャッチアップの時期は予想より確実に早くなる。無論、逆に中国経済のバブルが崩壊して混乱低迷する可能性も十分にあるが、想定される将来の経済要因として幾つかあり、一つはタリム盆地の大型油田が開発されること、そしてもう一つは自動車の製造開発技術で日本を追い抜くことである。この二つが現実のものになれば、10年後の日中関係は我々がいま思っている予想図とは根本的に異なるものになる。我々はそのとき日中関係がどうなっているかイマジネーションするべきだ。10年前に10年後の日中関係を予測できなかったように、私は10年後の日中関係を予想することができない。が、漠然と暗い予感があり、それは戦争のイメージである。

_b0087409_12481038.jpg昨日(5/6)、胡錦濤主席の訪日に抗議する右翼とチベット支援者の抗議集会が都内で開かれ、そこに出席したチベット亡命政府議会のカルマ議長が重大な発言をしている。「中国指導部が私たちの気持ちを酌まなければ、完全な独立を願い、権利行使することになる」。この集会はネット右翼の巣窟である2ちゃんねる掲示板で何日も前から告知宣伝され、日本中のネット右翼に動員が呼びかけられていた。チベット亡命政府の議会の議長の発言は、チベット青年会議や米国拠点のNGOの関係者の発言とは違う。当然、亡命政府の公式見解と看做されるが、この過激な発言は、深圳で行われた特使間での両者の話し合いについてチベット亡命政府のサムドン首席大臣が語ったマイルドなコメントとはニュアンスが異なる。首席大臣は5/6に放送されたNHKの7時のニュース映像で、「率直な意見交換ができたので、対話再開の第一歩としてはよかったと思う」と述べ、対話の継続に期待を示していた。昨日の集会でのカルマ議長の発言は、チベット側が中国への要求と目標を「高度な自治」から「完全な独立」に転換するという意思表示である。

_b0087409_12425870.jpgチベットが独立をめざすのが不当だと私は言っているのではない。「民族の自由と独立ほど尊いものはない」とホーチミンも言っている。チベット側の従来の主張である「要求は独立ではなくて高度な自治である」の言葉が欺瞞的なのであり、政治的なマヌーバーとして二枚舌を使っている点に不信感を持つのである。「独立ではなくて自治なのだから」という要求のレベルの低さを表向き強調することで、「その程度の要求ならなら認めてやれや」という国際社会の同情を巧妙に誘いつつ、現実には米国の諜報機関や海外工作財団法人と繋がり、独立に向けた謀略活動を用意周到にやっている。「高度な自治」の具体的条件を提示せず、中国の現行の国家体制の枠内での「自治」を目標としているとは思えない。むしろ、共産党支配体制の中国を崩壊させようとするイデオロギー上の戦略目的が前面に出ていて、その同じ目標を持つ反共反中の同志たちを糾合している。中国の政府や国民から強い不信感を抱かれるのは当然であり、言うならば最初から「独立」の本音が見抜かれている。「高度な自治」は言葉だけの建前であり政治上の方便である。

_b0087409_1243731.jpgチベット側が本当に独立でなく自治を求めるなら、中国側の不信感を取り除くべく行動するべきで、そのためには米国の情報工作機関や謀略資金財団とは手を切るべきではないのか。中国の国内にダライ・ラマ14世とチベットを支持する世論を醸成させるべきだろう。ネットで世界の情報を知り得る現在、中国国内の反チベット感情の沸騰が単に中国政府によるプロパガンダのせいばかりとは言えない。西側世界と結託して北京五輪潰しの策動に動いた今度の戦略は、中国国民に対する政治としては大きく失敗したと言えるのではないか。ここまで来たら、中国国民全体を敵に回して正面からチベット独立運動を展開せざるを得ない。勝算はあるのか。チベットにとっては今度の政治は短期決戦であり、8月までに中国政府を追い詰めて、二度と後戻りできない「成果」を上げる必要がある。8月の五輪が終われば世界の目はチベットから自然に離れる。人質がなくなる。米大統領選挙で当選した民主党候補は、コロッと態度を一転して、選挙前の中国非難の発言など忘れたように中国にうやうやしく接近するだろう。秋以降も反中反共チベット支援の興奮と熱気が残るのは日本だけだ。

「高度な自治」を真に求めるなら、その要求の中身を法制度的に詰めた表現で言わなくてはいけない。中国側が合意できる具体的な権利の中身でなくてはならない。そして、全世界の中国監視は、この8月で終わりだと前提した戦略で臨まなくてはならない。いつまでもテレビのトップニュースがチベットを扱ってくれるわけではないのだ。予想するに、恐らく、8月本番に向けて、チベット側は「高度な自治」を後ろに下げ、「独立」の看板を前に出すようになるだろう。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

沖縄民謡で夏川りみの『てぃんさぐぬ花』を。

暑くなってきた。今日の東京は夏の天気だった。今年も去年のようになるのだろうか。
てぃんさぐの花を爪先に染めて美しくするように
親の教えは心に染めなさい。



蒸し暑くなって、夜も半袖でよくなると、ゴーヤのチャンプルーが食べたくなるね。
晩酌の酒も欧州産安ワインからチェンジして琉球古酒と黒糖焼酎へ。
「琉球王朝」と「奄美の杜」を、一日おきにロックアンドウォーターでがぶがぶと。
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ジョッキは大きめ半透明ブルーの琉球グラスで。 
ウォーターはこちらをお奨め。スーパーで売ってますのでお試しを。
「民族の自由と独立ほど尊いものはない」のは沖縄だって同じだ。
奄美だって同じだ。
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米軍基地負担を沖縄県民に推しつけている日本人がチベットの人権問題を言えるのか。
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胡錦濤訪日を妨害する右翼 - 東シナ海ガス田問題と靖国問題 http://critic3.exblog.jp/8533869/ 2008-05-05T23:30:00+09:00 2008-05-07T18:07:25+09:00 2008-05-05T13:07:43+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_14172979.jpgこの季節、北京では空から柳絮が降って舞う。7年前に訪れたときも毎日降り落ちていた。漢文の授業で習ったとおり、雪が舞っているように見える。本当なら情緒豊かな春の風物詩なのだけれど、中国の都市の空気は排ガスで極端に汚く、その上に黄砂の粉塵が夥しく飛散していて、排気ガスと黄砂で白く染まった空気の中を白い大粒の柳絮が舞っていた。空気中に三つの異物が混ざっている感じだった。中国の都市で外の空気の中に身を置いていると一日で喉がおかしくなる。車の排気ガスの濃度が異常に高い。そして黄砂が鼻や耳の孔に入り、髪の毛に付着して不快な気分になる。顔が汚れる。鼻腔と咽喉が不具合で苦しい。日が経つうちに徐々に慣れてくるが、逆に早く日本に戻りたい気持ちも高まってくる。きれいな空気ときれいな水のある日本が無性に恋しくなる。それでも、7年前はテレビで見る今よりはまだ大気汚染の程度は軽かった。今は本当に真っ白だ。

_b0087409_13545094.jpg中国は現在、黄金週の真っ最中である。労働節の5月1日から一週間が休みになる。1999年から制度が導入された。「黄金週」。言うまでもなく日本の「ゴールデンウィーク」がモデルとなったものだ。日本のシステムが採り入れられて生きている。戦後日本が中国の中で生きている。と、私は思って感動を覚えるが、マスコミの反中プロパガンダで洗脳された多くの日本人はそのような感動を覚えることはないだろうか。この制度を名前ごと導入した中国政府の幹部たちが日本をどう見ていたががよく伝わる。遣日使が幹部になった中国政府。日中関係はこういう状態がずっと続くべきだった。もし小渕政権の後が森政権でなく野中政権だったなら、その後に加藤政権や田中政権が続くマイルドな日本であったなら、中国大陸を走る高速鉄道は日本の新幹線の規格で早い時期に決定されて、今頃は北京と上海の間を日本と同じ型の新幹線が走っていただろう。東シナ海ガス田は共同開発で順調に採掘が始まっていた。

_b0087409_1355353.jpg今週の『サンデープロジェクト』では、田原総一朗が岡本行夫を連れて北京の中央電視台に乗り込んで中国を悪辣に挑発する反中プロパガンダを放送していた。中国側が田原総一朗をうやうやしくもてなす理由はわからないでもない。公明党あたりがブリッジになっている見方もできる。しかし、中国側に忠告しておきたいが、田原総一朗と癒着するのはやめた方がいい。日本国民に反中プロパガンダをシャワーしている実行犯の一人であり、偏向し歪曲した中国報道を仕切っている親玉の一人だ。中国の利益にならない。番組の中で岡本行夫は、「チベットは1945年まで独立国だった」と言っていた。この発言に驚いたが、岡本行夫は元外務省の人間で橋本内閣と小泉内閣で首相補佐官を務めた高官である。日本政府の幹部OBの肩書で仕事をしている人間がこの発言はどうだろうか。国際法のプロの人間で、田中優子のような民間でアマチュアの人間とは立場が違う。「1945年まで独立国だった」という歴史認識の中身も意味不明である。

_b0087409_13551656.jpg1945年に中華民国がチベットの独立を奪ったと言うつもりなのか。岡本行夫の発言の中で最も気になったのは、3年前の中国の反日デモの問題に触れて、「小泉さんは戦死者を純粋に慰霊する気持ちで参拝した」のだと言って首相の靖国参拝を正当化した点である。これは真っ赤な嘘だ。小泉純一郎は総理大臣になるまで一度も靖国参拝など行っていない。小泉純一郎が靖国を参拝したのは、それが総裁選前の日本遺族会(対抗馬の橋本龍太郎の票田だった)に対する選挙公約だったからと、その「魔法の杖」の効力に気づいたアーミテージが、日本と中国との間に楔を打ち、日中友好を破壊して東アジアを冷戦環境にするために、米軍再編とMDのために、小泉純一郎に何度も炊き付けて行わせた政治であるに過ぎない。「純粋に戦死者を慰霊する気持ち」など冗談じゃない。だが、よく考えれば、この岡本行夫の靖国参拝正当化の弁は、現在でも日本政府の公式見解として生きているもので、政府の外交政策実績として既成事実になっているものだ。

_b0087409_13595944.jpg今度の胡錦濤国家主席訪日の際には、日本政府は歴史の反省は言わず、首脳会談で歴史認識の問題も議題にしないらしいが、いつかどこかの時点で、この靖国参拝正当化の欺瞞の政府見解を覆して否定しなければならない。「靖国神社は軍国主義の精神的支柱だった」とする野中広務や渡辺恒雄の正論の主張を政府の公式見解に据えて、総理大臣による靖国神社参拝の過誤を反省する宣言を立てなければならない。それを内外(中国・韓国・米国議会)に発表しなければならない。その上で、A級戦犯分祀や国立追悼施設について具体的な政策化を図る必要がある。毒ギョーザ問題も東シナ海ガス田問題も、それが両国間で解決しない根底には靖国問題がある。毒ギョーザ事件で、中国側があるとき掌を返したように公安当局発表を出して、中国側には何の原因も責任もないと卓袱台をひっくり返したのは、その裏に東シナ海ガス田問題の交渉があったからだ。卓袱台をひっくり返したのである。東シナ海ガス田問題の交渉打ち切りの意思表明を示したのだ。中国側の外交術策だ。

_b0087409_13554053.jpgということは、実はいいところまで交渉を詰めて中国側を追い込んでいたのである。国際司法裁判所の提訴に持ち込めば日本側の境界線主張が認められる公算が高い。交渉妥結のためには中国側の譲歩が必要で、また東シナ海ガス田問題の決着こそが胡錦濤主席訪日の第一の目標であり、この交渉が長引いていたために訪日の日程が4月から5月に延びていたのである。結局、毒ギョーザ問題で中国が卓袱台をひっくり返して強硬態度を見せつけ、東シナ海ガス田問題まで影響が及んで交渉妥結がご破算となった。中国側の目的は東シナ海ガス田問題の交渉を白紙に戻すことで、そのために毒ギョーザ事件を使ったのである。原油や石炭のエネルギー資源が高騰して、それだけ東シナ海ガス田の国家的価値が中国にとって高まったのであり、日中関係改善を放棄するリスクを賭けても、東シナ海の天然ガス資源を確保する判断をしたのだ。これを決定したのは国務院外交部ではなく、恐らく党中央政治局常任委員会である。東シナ海ガス田問題の解決を先送りして、中国側の(実効支配と単独掘削の)既成事実を固める作戦に出た。

_b0087409_15342429.jpg東シナ海ガス田の地下資源を日本が手にするためには、中国と交渉して妥結するか、軍事力に訴える以外にない。日本国憲法は武力による国際紛争の解決を禁止していて、したがって中国と話し合いで問題を決着させるしかない。どうすれば話し合いで中国を妥協させられるか。エネルギー資源のない工業国であり加工貿易立国である中国と日本。両国どちらにとっても石油の一滴は血の一滴である。私は日本が決断するしかないと思う。歴史認識問題で譲歩をするのだ。靖国神社からのA級戦犯分祀、もしくは思いきって石橋湛山的な靖国神社の解体毀棄。それ以外にない。正論(日中共同声明)の立場からすれば一石二鳥。靖国問題を解決して東シナ海ガス田問題も解決する。A級戦犯分祀なら天然ガス資源は40/60で日本、靖国神社の解体毀棄で天然ガス資源は25/75で日本。こうなるだろう。もし靖国神社を維持してA級戦犯合祀を続けたままなら、天然ガス資源は100/0で中国のものとなる。ガス資源を取るためには憲法を改正して武力に訴えなくてはいけないことになる。今、日本に必要なのは、日中の歴史認識の問題を解決して天然ガス資源を手にする政策と政権だ。

_b0087409_1356380.jpg護憲派の読者たちに言いたいが、9条を守るためには中国と韓国の人々と広く共同戦線を作る必要があるとは思わないか。外国の人々の中で誰が本当に9条を守る動機を持っているのか。抽象的な平和主義の連呼や合唱ではなく、自分自身の生存と安全保障の問題として、緊張して日本の9条改憲問題を注目している人々はどこにいるのか。日本の侵略戦争の被害国の人々こそがそうではないのか。チベットの人々は、チベット亡命自治政府の人々は、彼らは憲法9条を守るべく声を上げてくれるのか。欧米と日本のメディアによれば、彼らこそが至上の平和主義者であり、ダライ・ラマ14世は平和の化身の仏教指導者なのだそうだが、安倍晋三や稲田朋美と緊密に連携している彼らが、本当に憲法9条を守るべく動いてくれることを期待できるだろうか。9条の問題は世界政治の重要問題であり、特に東アジアの安全保障において決定的に重要な問題だ。中国や韓国の反日感情を反日ではなくて反靖国・反日本右翼へと転轍させる必要がある。そして三国の市民が一つの方向で結集する必要がある。日本右翼を包囲しなければならない。そのためには日本のマスコミの反韓反中プロパガンダを暴露することだ。

長野で敗北した日本右翼の胡錦濤主席訪日妨害活動の勢いは凄まじい。2ちゃんねる掲示板では、ありとあらゆるスレッドに唐招提寺と法隆寺の電話番号がコピペされ、電話で抗議するようにネット右翼が扇動している。電話抗議の問答マニュアルまで用意され、唐招提寺と法隆寺に胡錦濤主席の訪問行事を辞退させるように圧力をかけている。長野の善光寺に圧力をかけて転向させた「成功」で味をしめた右翼が、寺は組みやすしと唐招提寺と法隆寺に狙いを絞って攻撃をかけているのである。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

今日は子どもの日。1971年の橋幸夫の『子連れ狼』を。

若山富三郎の映画は1972年、萬屋錦之助のテレビは1973年。
小池一夫原作・小島剛夕画で「漫画アクション」に連載。
単行本になったものを田舎の貸本屋で借りて、受験勉強の合間に読んでいた。

この作品や曲は、漫画やテレビを見ていた当時もよかったが、
それ以上に、大人になってからの方が、何とも言えない感動の余韻が心の底で疼く。
大五郎の存在と配置が素晴らしく、小島剛夕の描いた大五郎の絵がかわいい。



拝一刀と大五郎。この二人のシチュエーションに胸が熱くなる。
最終回、物語の結末は強烈で、涙が出て仕方がなかった。
小島剛夕は2000年に他界。

『子連れ狼』は日本の不滅の名作。
古典となり、『忠臣蔵』のように何度も何度も永遠にリメイクされ続けるだろう。
日本の侍(サムライ)は素晴らしい。日本の男の子はかわいい。
日本の男はこうでないと。日本の男の子はこうでないと。 
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四度目の憲法記念日に - 朝日新聞は小尻記者の霊と向き合え http://critic3.exblog.jp/8521923/ 2008-05-03T23:30:00+09:00 2008-05-10T18:53:46+09:00 2008-05-03T15:06:23+09:00 thessalonike4 憲法 ・ 皇室 <![CDATA[_b0087409_17455692.jpg今日は憲法記念日。新聞を読むと、各紙の世論調査で改憲賛成派が減少して護憲派が増えている事実が紹介されている。昨年7月の参院選挙で憲法改正を掲げる安倍自民党が大敗した後遺症が尾を引いているはずで、改憲を前面に出しすぎると国民に警戒されて票が逃げるという意識が政治家とマスコミの間に働き、安倍内閣当時のような改憲プロパガンダを全開せず、洗脳シャワーの栓を絞ったことが数字に影響している。3年前を思い出すと、ネットの中には護憲を主張するBLOGなど皆無だった。あれから状況はずいぶん変わり、今では護憲派の看板を出しているBLOGが無数にある。護憲を掲げるBLOGは増えたが、それらが果たして国民の世論に影響を与えているかどうかはきわめて疑わしい。実際には、現在の改憲派の後退は一時的なもので、無能で無責任な安倍晋三のマイナスシンボルのダメージのために、勢いを殺がれた改憲派が態勢の立て直しのために雌伏しているだけに過ぎない。

_b0087409_15492154.jpg新しいシンボルが立てば改憲勢力は必ず攻勢に転じる。麻生太郎が新総理に就任すれば、内閣支持率は急角度で上昇し、麻生太郎が政権公約する憲法改正への世論の支持も一気に高まることだろう。世論の数字など所詮はその程度のもので、マスコミ報道が誘導するままにフラフラと簡単に変動する。マスコミが改憲で固まった以上、護憲はネットで声を上げるしかない。その声を世論に響かせる力にするしなかい。そう思い、3年前から懸命にネットで声を上げ、護憲派の政治勢力の結集を訴え、社民と共産は一つの政党に合同して選挙で護憲票の受け皿になるように呼びかけてきた。しかし、二つの政党は全く動かず、あれから国政選挙は二度あり、間もなく三度目があるけれど、勢力結集の動きは微塵もない。そういう呼びかけをするBLOGもない。逆に、護憲派の勢力の結集を訴えたブログは、ネット左翼から凄絶な誹謗中傷攻撃を受け、悪意に満ちた揶揄と罵倒と侮辱を浴びせられて袋叩きにされる災難に遭った。

_b0087409_15492969.jpgマスコミに対抗する言論の拠点をネットに築こうと考えた私の認識と判断が間違っていたのだろうか。単に人を引きずり降ろして自分が上に立ち、自己を目立たせたいだけの狭小な人間や、護憲のイデオロギーで同類項を呼び集めて小さな和みサークルで群れ合うだけの人間ばかりがそこにいる。本気で政治を変えようとする主体をネットの中に見出そうとした戦略は根本的に誤謬だったのだろうか。来し方を見つめれば、溜息ばかりが出る憲法記念日に、ようやく朝日新聞の社説だけは気分を軽くしてくれるものだった。今日の朝日新聞の社説は非常にいい。朝日新聞らしい。醒めた理性と知性がある。これが朝日新聞だ。誰が書いたのか分からないが、日常の記事もこのような護憲の精神に沿って書いてもらえないだろうか。朝日新聞は社説もぶれが大きく、記事に基本精神が欠けている。せめて「醒めた理性と知性」だけは最後まで捨てずにいてもらいたいが、昨今の中国報道は様式も中身も産経新聞と完全互換で、私を苛立たせ狼狽させる。

_b0087409_15493848.jpg「民主主義の社会では、だれもが自分の思うことを言えなければならない。憲法はその自由を保障している。軍国主義の過去を持つ国として、ここはゆるがせにできないと、だれもが思っていることだろう。だが、この袋にも実は穴が開いているのではないか。そう感じさせる事件が続く。 名門ホテルが右翼団体からの妨害を恐れ、教職員組合への会場貸し出しをキャンセルした。それを違法とする裁判所の命令にも従わない。 中国人監督によるドキュメンタリー映画『靖国』は、政府が関与する団体が助成金を出したのを疑問視する国会議員の動きなどもあって、上映を取りやめる映画館が相次いだ。 インターネット社会が持つ匿名性は『両刃の剣』だ。多数の人々に個人が自由に発信できる世界を広げる一方で、無責任な書き込みによる中傷やいじめ、プライバシーの暴露が、逆に個人の自由と人権を抑圧する。  こうした新しい現実の中で、私たちは自由と権利を守る知恵や手段をまだ見いだしていない」。

_b0087409_15494746.jpg今日の社説は、憲法の問題は9条だけでなく25条の問題もあるのだという主張だが、結語を置く前に「言論の自由」の問題にきちんと触れている。この社説は構成がいい。構成がいいだけでなく、日本における「自由権」の問題に触れているところが秀逸だ。生存権も危機的状態だが、自由権も危険な状態にある。そのことを正しく衝いている。憲法が保障している国民の基本的人権が根こそぎ危機にある状況を浮かび上がらせている。そして私は朝日新聞に言いたい。私が現実に感じるところを率直に言えば、9条の問題はまさに言論の自由の問題そのものなのだ。両者は不可分で、9条に危機が迫れば迫るほど、そのときは言論の自由が侵されている状況になっているのである。この実感について朝日新聞にも共通の認識を持ってもらいたい。問題は具体的なのだ。この朝日の記者が書いているように、言論の自由の危機とは、映画「靖国」の問題であり、プリンスホテルの日教組へのキャンセルである。朝日の記者はいいところを衝いている。憲法の問題を見逃していない。そのとおりだ。だが、そこからよく考えて欲しい。

_b0087409_15495816.jpg映画「靖国」の問題や、ホテルのキャンセルの問題は、まさに9条の危機の問題と同じではないのか。構造として実体として一つではないのか。9条を改正しようとする勢力が、映画「靖国」の上映を中止させるべく映画館に圧力をかけ、日教組の集会を妨害するべくホテルに圧力をかけたのではないのか。これは単純な「言論の自由」の侵害の問題ではなく、まさに9条の危機と一体の問題であって、憲法問題として一つの問題なのである。この社説の書き方だと、論理的な構成のためではあるけれども、9条の問題と自由権の問題が別々の問題のように配置されている。9条の問題が特殊なイデオロギーの問題であるかのような仮象で浮かび上がらされている。9条を守ろうとする立場が自由権を守る立場と無関係であるような操作が論理構成に埋め込まれている。それは違う。9条を改正しようとする勢力が権力と暴力を使って言論の自由を侵すのである。自由な言論を奪いながら9条を変えようとするのであり、9条を変えることでさらに国民の言論の自由を奪って行くのである。両者は不可分一体の問題なのだ。直近の現実としては映画「靖国」と日教組の問題がある。

_b0087409_15543550.jpgだが、朝日新聞の社説は何も触れてないが、本当はもっと大きな問題があった。それは6年前からの北朝鮮拉致問題であり、拉致問題に関連しての在日朝鮮人に対する異常な迫害と人権侵害であり、拉致問題報道についての報道機関への圧力である。これこそ最近の日本における「言論の自由」侵害の最大の問題であったはずだ。従軍慰安婦問題で報道に圧力をかけた勢力や政治家も、北朝鮮拉致問題で報道に圧力をかけた勢力や政治家も、映画「靖国」で映画館に圧力をかけた勢力や政治家も、全く同じ人間たちだった。そして、朝日新聞もブログ左翼も見落としている点だが、ここ数年、改憲世論が勢いを増して9条改正に賛成が反対を上回ったのは、空気を染める決定的な要因として、そこに拉致問題があったからである。あの無能な安倍晋三が総理大臣になれたのも拉致問題があったからだ。拉致問題の報道と狂騒と思考停止があったためだ。家族会の絶叫とそれを報道するマスコミのプロパガンダのシャワーがあったからだ。家族会と救う会は日本の世論を北朝鮮との戦争に導き、9条を捨てるように毎日国民を折伏した。あの無能な安倍晋三を救国の英雄に押し上げたのは誰だったのか。

_b0087409_15501953.jpg言論の自由を守ろうとすれば9条を守らなくてはならないのである。そして言いたい。ヒルとライスが米国外交の主軸となり、ラムズフェルドとアーミテージが外れて、ようやく日本の政権はマスコミにファナティックな対北朝鮮戦争誘導報道を減らすように指示するようになった。シャワーが減って拉致問題の熱は急速に冷め、9条護憲の世論が復活するようになった。しかし、9条を改正したい側は北朝鮮拉致問題に続く第2弾を用意していて、それが今度の北京五輪とチベット問題である。拉致問題も、朝日新聞やネット左翼が右翼の誘導に幻惑され便乗して共闘しなければ、あれほど国民的に泥酔した熱狂翼賛世論にはならず、改憲世論も盛り上がることはなかった。9条改正に反対する左翼が右翼の尻にくっついて、右翼と声を合わせて「拉致被害者救出」を叫ぶのは、観念倒錯と自己欺瞞のなせる業である。それは9条改正の声を上げているのと同じだ。そして言論の自由を自縄自縛する行為だ。同じ問題なのである。北朝鮮拉致問題も、靖国問題も、米軍基地問題も、チベット問題も。同じ問題なのだ。北朝鮮と日教組と中国を攻撃する中心にいる人間たちは、靖国を擁護し9条を改正しようとする人間たちである。

_b0087409_17553554.jpg朝日新聞に言いたい。朝日新聞は、今回、憲法記念日に合わせた憲法特集報道を憲法25条に焦点を合わせ、ワーキングプアの問題を紙面に取り上げたが、これは朝日新聞の憲法報道としてお茶を濁す態度ではなかったか。なぜ阪神支局襲撃の原点に触れなかったのか。なぜ右翼に殺された小尻記者の霊とまっすぐ向き合う報道を避けたのか。私が代わりに答えよう。それは変節と転向を巧く隠蔽するためだ。目を背けるためだ。チベット問題の報道で産経新聞と同一論調の記事を書くようになった朝日新聞は、気まずくて小尻記者と顔を合わせられないのである。これから胡錦濤主席が来日し、朝日新聞はさらに激烈に中国批判の記事を書かなくてはいけない。右翼が喜ぶ方向へ記事の論調を傾斜させなくてはいけない。それは右翼に散弾銃で虐殺された小尻記者の霊が許さない方向である。だから、朝日新聞は、改憲化した自己を護憲的に自己演出して騙すために、今年は25条のワーキングプア問題にフォーカスしたのである。自己欺瞞としての25条報道なのだ。小尻記者が殺されたときのことを私は覚えているが、朝日新聞はあの事件の後に社員一同で固い決意をしたはずである。何を守り何と戦うかを世間に誓ったはずである。

その朝日新聞はどこへ行ったのか。朝日新聞は護憲の立場を宣言せよ。小尻記者の霊と向き合え。誰が自分たちに銃弾を放ったかをもう一度思い出せ。チベット問題と北京五輪問題で右翼と歩調を合わせる偏向報道をやめよ。日中友好の立場に立て。チベット報道を第二の北朝鮮拉致報道にするな。
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2005年
■憲法は革命の瞬間に生まれる - 改憲の現実性は有事下のみ
■改憲阻止を世界の世論に - 人類史の到達点としての平和憲法
■改憲と有事 (1) - 憲法改正のイマジネーションとシミュレーション
■改憲と有事 (2) - 自作自演のテロ戦争と徴兵制による思想統制
■憲法9条を守る政治戦略 - 唯一の隘路としての護憲新党
■共産党は小選挙区票を民主党に流せ - 社民と共産は合同せよ

2006年
■日本国憲法をめぐる一年間の政治 - 護憲新党と世界署名運動
■丸山真男 「憲法第九条をめぐる若干の考察」(64年)を読み返す
■憲法記念日の憲法報道 - 朝日新聞世論調査と「九条の会」サイト
■ネット企画としての5・3憲法デイ - 平和憲法のエバンジェリズム
■ビッグネ-ム・オルグ - 村上春樹・宮崎駿・中田英寿・宇多田ヒカル
■中島みゆきに九条の歌を - 小沢征爾をA9国際運動の指揮者に


【世に倦む日日の百曲巡礼】

2000年の中島みゆきの名曲『ヘッドライト・テールライト』を。

同年に放送が始まったNHKのドキュメンタリー番組のエンディング・テーマ。
ブログを開設して四度目の憲法記念日に、
1987年に右翼に虐殺された朝日新聞の小尻記者に捧げる。



合掌。
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田中優子の問題発言 - 「チベットは一度独立してたんですよね」 http://critic3.exblog.jp/8515387/ 2008-05-02T23:30:00+09:00 2008-05-04T21:22:15+09:00 2008-05-02T14:19:26+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_14534719.jpg私が中国に特に惹きつけられる理由は、その歴史や文化への憧憬もあるけれど、それ以上に、中国国内に住む日本語を話す人々の存在がある。正確にはわからないが、少なくとも5年前までは、中国の国内では英語人口よりも日本語人口の方が多かった。学校教育としての外国語ではなくビジネス外国語としてのプライオリティは、90年代前半までは日本語の方が英語よりも優位を占めていた。7年前の北京で知ったのは、中国にはTOEICのような本格的な日本語の資格検定制度があり、年に一度の試験に何十万人もの中国人が受験しているという事実だった。ありがたいと思った。そんな国は他にない。こんな辺鄙な国の言語を。グローバル時代になった現在、事情は大きく変わったに違いないが、それでも中国は世界の中で最大の日本語人口を持つ外国である。日本にとってこれ以上の海外資産があるだろうか。米国に住む日系人や南米に住む日系人と同じか、それ以上に貴重で重要な国家の財産であると私は思う。

_b0087409_1453581.jpgこの話には続きがあり、そのことを私に教えてくれた北京のブルジョワ出身の若いお嬢さんは、自分は大学で日本語を勉強したけれど、そのことを今では後悔していると私の前で率直に語った。英語を学んで豪州に留学すればよかったと進路決定を悔やんでいた。彼女がなぜ日本語(日文科)の選択を後悔していたのか、わざわざ立ち入って理由を聞くまでもなかった。2001年はすでに十分にグローバル社会の時代に入っていて、日本経済は金融危機を経て凋落の一途にあり、さらに日本国内では右翼が台頭して粗暴で有害な嫌韓反中思想が論壇とマスコミの大勢を占めつつあった。日中友好の思想環境は後退する一方だった。私は悲しくなり、申し訳ないと心の中で思った。外国語を学習して身につけるということは大変なことで、個人にとって決して容易なことではない。その国の文化や習慣に好感を持って臨まないと習得できないものだ。7年前、中国で会った人たちは、日本のニュースや音楽や芸能情報を本当によく知っていた。驚かされた。

_b0087409_145486.jpg4/27のTBS「サンデーモーニング」を見ていると、冒頭に長野の聖火リレーの問題が取り上げられて、そこで不意に、田中優子から「チベットって一度独立しているんですよね」と発言があった。関口宏に向かってしれっと言った感じで、言われた関口宏も応答を返すことはなく、誰もその発言に対してコメントを付け加えることなく生放送の番組が進行した。同じ話は「サンデープロジェクト」でも田原総一朗の口から出されたが、このときは中国政治外交史の研究者である朱建栄に一蹴され、反論できずに引っ込めている。田中優子は法政大学教授で近世文化研究者であり、番組の中で最もバランスのとれた発言をするコメンテータである。特にイラク戦争のとき、国内のマスコミが小泉政権による自衛隊イラク派兵を支持して翼賛世論を塗り固めていたとき、週末の政治番組に登場する人間としては最も果敢に反戦と派兵反対を訴えていて、そのときの言論が印象に残っている。しかしながら、今回の「チベットは一度独立していた」の発言は、責任ある立場として軽率の謗りを免れない。

_b0087409_14541716.jpg何を根拠に「独立」の歴史的事実の断言に及んだのだろうか。まさか古代の唐の時代の吐藩の話ではないと思うが、歴史研究者としては些か問題発言と言わざるを得ない。広辞苑の「独立国」の意味は、「完全な主権を有する国家」「国際法上の能力を有する完全な国際法主体」とある。主権の意味は「他の意思に支配されない国家統治の権力」。国際法上の独立あるいは独立国の定義を厳密に調べようとすれば、歴史的にヨーロッパで神聖ローマ帝国が解体して主権国家が成立するグロティウスの時代まで遡って検討する必要があるだろうが、ここでは常識に従って、国家独立の歴史的事実を確定できる根拠として二つの条件を上げることができるだろう。すなわち、①独立宣言の事実があるかどうか、②周辺国や国際社会による承認の事実があるかどうか、の二つである。チベットの場合は②の「国際承認」の要件が充たされておらず、「一度独立していた」とは言えない。独立承認の事実がないことは、歴史認識としてチベット側も認めざるを得ないはずで、決して中国側の一方的な主張ではない。

_b0087409_14542633.jpg確認のために「ダライ・ラマ法王日本代表部」のHPの記述を検証したところ、その中に「チベットの歴史」と題されたページがあり、これがチベット側の公式の歴史だが、この中身の記述を見ても外国がチベット独立を承認した事実は全く書かれていない。1912年に清朝が滅亡した直後、1908年に清の侵攻を受けてインドに逃れていたダライ・ラマ13世はラサに帰って独立を宣言するが、それを承認する国は一国もなかった。実際にはチベットは1904年に結んだラサ条約によって英国の保護国となっていて、事実上の植民地の状態であり、ダライ・ラマ13世の独立宣言も中華民国に対するもので英国に対するものではない。チベットが独立国となるためには、厳密には英国の植民地支配を脱する必要があったと言える。手元にある『朝日=タイムズ世界歴史地図』を開くと、107頁に関連地図があり、チベット領は英国の支配圏を意味する紫色の斜線で塗られていて、「1912以降はイギリスの影響下で自治領化」とある。このとき中華民国は当然ながらチベット独立を認めず、その後、中華民国が台湾に移ってからも公式の態度は変わってない。

_b0087409_14543486.jpg台湾の中華民国はモンゴルも自国の領土のままとした。田中優子が番組で言った「一度独立していた」という話は、この1912年からの歴史的事情を指すものと思われるが、英国とチベットとの関係や何より独立承認手続きの問題を無視した軽率な発言であり、マスコミを使った影響力を考えても、やはり厳しく批判される必要があるだろう。歴史の捏造と言われても仕方がない。もし田中優子的な主張が正当化されるなら、例えば極端に言えば、高橋はるみ知事が札幌の道庁で「北海道独立」を宣言すれば、外国がそれを承認しなくても、歴史認識として「北海道は一度独立していた」ということになる。無理がある。優秀な田中優子が歴史認識で何故このような安直な誤りを犯したのか不明だが、チベットの人権問題への意識が突出したことと、現在の日本において右も左も中国叩きで固まっていて、国論が統一されている現状に安住していた思考態度の問題が考えられるだろう。少々の暴論を吐いても、中国や中国人以外から批判を受けることはないだろうと高を括っていた気配が感じられる。田中優子の発言の意味は、主張をコロコロ変える浮薄なマスコミ権力者の田原総一朗とは重さが違う。

_b0087409_14544397.jpg田中優子を含め、日本の左派のサイドから、右翼に負けじと中国バッシングの猛攻が繰り広げられている現状がある。中国によるチベットへの弾圧と人権問題は無視できない問題だが、われわれにとってもっと重要なのは、きっと日本国内の市民の権利の問題なのだ。今は張景子が青山繁晴や太谷昭宏や長島昭久から侮辱と罵倒を浴びせられている。人間扱いされていない。前は拉致問題で北朝鮮の立場に立った人間が暴言と恫喝を浴びせられた。拉致問題の発生以降、日本では朝鮮総連の関係者は一般社会の住人として認められない差別的扱いを受け、嫌がらせが常態化して基本的人権を剥奪された状態が続いている。同じ人間として正当に扱われていない。今度は中国人に攻撃が向けられ、まるで護送者に乗せられた犯罪者を市民が罵るような、常軌を逸した激しい攻撃が公共の電波を使って行われている。不条理な差別と人権侵害が公然と行われ、そうした異常が社会的に正当化されている。朝鮮人が座らされ、中国人が座らされ、その次にそこに座らされて罵倒されるのは誰なのだ。共産党とか社民党とか護憲派とかの人間ではないのか。6年前の拉致事件のときを思い出しても、土井たか子への右翼の中傷攻撃は凄まじかった。

今度の問題の本当のところはそういうところにあるのだが、実態をよく分かってもいないチベットの人権問題に観念をスリカエて、左翼の人間たちが中国攻撃の左右シンクロナイズに精を出している。それほどチベットの人権問題が大事なら、なぜ今まで一度も声を上げなかったのだ。右翼と一緒に中国批判をしなかったのだ。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

1980年の喜多郎によるNHK『シルクロード』のテーマ曲を。

この音楽と番組は最高だった。NHKの古典中の古典。不滅の傑作。
4WD車を連ねて河西回廊と天山南路を移動するNHK取材班が羨ましかった。
番組冒頭のタイトルバックに黒いチャドル姿の美しい女性がアップで出ていたね。

西安の城壁の西門がシルクロードへの出発点の玄関で、
そこには天皇陛下が立ったお立ち台があり、日本人観光客に必ず案内される。
この映像は一昨年新しく制作放送された『シルクロードⅡ』のもの。
青蔵高原と青海湖が出てくる。行きたい。



青海省出身の人と一人だけ出会ったことがある。
丸顔で、いかにも田舎出身っぽくて、北京のブルジョワ嬢とは全く雰囲気が違っていた。
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田原総一朗の中国バッシング - 朱建栄に対する狡猾な言論妨害 http://critic3.exblog.jp/8509319/ 2008-05-01T23:30:00+09:00 2008-05-08T11:35:00+09:00 2008-05-01T16:33:40+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_1722196.jpg7年前の5月1日、私は北京空港から成田に戻ってきた。その日は、偽造旅券で不法入国した金正男が成田から国外退去になった日で、処分を差配したのは外相に就任したばかりの田中真紀子だった。金正男は私と入れ替わりに北京へ飛び、二人は黄海上空ですれ違っていた。田中真紀子が外相に就任したのは、その5日前の2001年4月26日。第一次小泉内閣のときだった。私が中国に降り立ったのが同じ4月26日で、宿舎のテレビのニュースで小泉内閣誕生の映像を見た記憶がある。中国の人たちは、新しく誕生した小泉政権に大きな期待を寄せていた。その前の森政権のとき、国旗国歌法の成立や周辺事態法の成立や「神の国」発言があり、日本は極端に右傾化し、自由主義史観運動の毒々しい興隆があり、右翼マンガのブームがあり、中国の人々、特に改革開放時代に日本と深い関係を持ってきた日本語を話すエリート層の人々は、日本の右傾化を心配し、日中友好の稀薄化と形骸化に心を傷めていた。 

_b0087409_1785451.jpgそのとき、中国の人々が小泉新政権に期待を寄せた理由として、外相に田中真紀子を起用した組閣が大きかった。反中右傾化の度を深めて行く日本の状況を何とか食い止めて欲しいと願い、田中真紀子に希望を託していたのである。彼らは私にこう言った。「日本が右傾化したのは、きっと経済が悪くなったからですよ。でも、バブル崩壊から時間も経ったし、必ず日本経済は立ち直ります。経済がよくなったら日本はまた元の正常な状態に戻って、今のような酷い右傾化はなくなるでしょう。小泉さんは改革をすると言っているから、私たちは小泉さんに期待しています。日本経済に早くよくなって欲しい」。この話は嘘ではなく、作り話でもなく、私が実際に中国で聞いた言葉だ。日本語で聞いた言葉だ。絶対に死ぬまで忘れない言葉だ。その言葉に対して私がどう返事したかは、2年前のブログの記事で書いた。そして小泉内閣の5年間があり、現在の日中関係がある。読者はこの上の言葉を噛み締めて欲しい。そして歴史の皮肉と残酷さに思いを馳せて欲しい。

_b0087409_179374.jpg4月27日のテレビ朝日の「サンデープロジェクト」に、久しぶりに朱建栄が出演していた。3年前の「反日デモ」のとき以来の姿である。朱建栄は「反日デモ」のとき、エキサイトのBLOGを開設して情報を発信していた。あれから閉鎖したのだろうか。探したが見つからなかった。「反日デモ」のときは朱建栄と葉千栄がよく頑張った。ファナティックな反中狂騒一色で染まった日本の政治番組で、獰猛で暴慢な日本のマスコミ右翼の怒声と咆哮を浴びながら、日本語の能力を駆使して中国の立場を弁明していた。「世に倦む日日」が政治の記事に注力し始めたのは「中国の反日デモ」が直接の契機である。それまでは本と映画の話題が中心の趣味のブログだった。目立たない方がよく、アクセス数も少なくてよく、気の合う人に読んでもらうのが目的で、トラックバックを精力的に送信したりもしなかった。「中国の反日デモ」以来、方針を変え、なるべく多くの人に読んでもらうように努力するようになった。それは、マスコミだけでなくネットの中も狂暴な嫌韓反中右翼一色に染まり、マスコミ以上にネットの中が反中反共イデオロギーで充満して轟然としていたからだ。日中友好の立場に立ったBLOGは本当に一個もなかった。

_b0087409_1791418.jpg朱建栄は1957年生まれで今年51歳だが、文化大革命のときに下放の経験がある。「ワイルドスワン」のユン・チアンと同じ。年齢を考えれば、文革末期と思われるが、BLOGの中で朱建栄は自身の下放体験について短く語っていた。私が田舎の映画館で女の子と『エマニエル夫人』を見ていた頃、朱建栄は長江下流にある中洲の島の農村で下放生活を送っていた。4/27の「サンデープロジェクト」では、米戦略国際問題研究所の渡部恒雄と田原総一朗と3人の討論だったが、例によってと言うべきか、本来は司会で中立であるべき田原総一朗が、なりふり構わず獰猛に朱建栄に襲いかかり、朱建栄が論理的な説明で反論するのを声を荒げて途中で遮り、自分だけが討論の進行を独占して反中プロパガンダを吠えていた。渡部恒雄は田原総一朗の横に寄り添い、田原総一朗に庇護してもらう格好で、喋るときもまともに朱建栄の方を見ず、専ら保護者の田原総一朗に向かって何かブツブツと垂れていた。この不細工な男は何者なのだ。ルックスも最悪、トークも最低。とてもテレビに出れるような人間ではない。米戦略国際問題研究所とは一体何なのだ。親の七光りと田原総一朗のコネ以上に、米資と電通の差し向けなのだろう。

_b0087409_1792531.jpgしかし、これほど無能でルックスバッドな男が出ては、反中情報工作のプロパガンダも全く効果が上がらない。結局、朱建栄と渡部恒雄ではまともなディベートの勝負にならず、田原総一朗が朱建栄の説明に途中でオブストラクションを入れて無理やり遮断、一方的に話題を変え、朱建栄の説明を視聴者に聞かさないように悪質な討論妨害を繰り返していた。田原総一朗の手法は狡猾で、「チベットは独立していた」という田原総一朗の発言に対して朱建栄が歴史的根拠を提示して反論すると、「もう昔の話はいいから大事なのは今の話で」と喚いて朱建栄の反論を強引に中断させ、今度は、3/10から3/14までの暴動の事件詳細について朱建栄が説明を始めると、「そんなこと言ったって共産党がチベットを弾圧したから」と話を混ぜっ返して3月の暴動の事実検証の議論を潰す。それに応じて朱建栄が「解放」前チベットの奴隷制や僧侶の特権支配の歴史を説明し始めると、またぞろ「昔の話をしたって仕方がない」と切り捨てて話の腰を折る。結局のところ、朱建栄にはまともな説明をさせないのだ。させる気がないのだ。朱建栄を叩くという田原総一朗のシナリオがあるだけなのだ。討論を偽装した中国バッシングであり、視聴者を反中へ誘導するのが番組の目的なのだ。

_b0087409_1794847.jpg無意味な反中宣伝番組だったが、それなりに収穫はあった。米戦略国際問題研究所の研究員の立場の渡部恒雄は、3月のチベット暴動の真相について「ブラックボックスですよね」と小さく言い、実際のチベット人犠牲者の数が何名なのか、何が発端で誰の責任で事件が発生したのか、自らの立場で責任を負って明言することができなかった。チベット亡命自治政府は、この4/27の討論の時点では、チベット側の犠牲者数は140名(4/30の最新の発表で203名)と言っている。だが、朱建栄はこの発表に対して中国政府の公式見解で反論、「140名のうち氏名が出されたのが50名、氏名と住所が示されのが5名、そのうち4名は生存、1名は該当者なし」の当局調査結果を示したが、渡部恒雄はこれに対して何も反論を返すことなく「ブラックボックス」を繰り返した。犠牲者140名(現在203名)の数字は本当にどこまで信用できるのか。この数字の出所は、米政府系ラジオ放送局「自由アジア」と米国に拠点を置くNGO団体「チベットのための国際キャンペーン」である。朱建栄も「米政府系の団体が最も情報を持っている」と言っていたが、この米政府系ラジオ局とNGO団体の提供する情報は果たしてどこまで信憑性があるのか。世界と日本のマスコミはその情報を検証しようとする態度がない。

_b0087409_1711716.jpg中国が世界のメディアをチベットに入れないから中国の発表は信用できないという主張は理解できる。だが、それなら、米政府系ラジオ局や米国拠点NGOの発表はどうして事実であると無条件に信用できるのか。せめて、中国側の反論に対する再反論を米政府系ラジオ局やNGO団体に求めるべきで、4名が生存していたとする中国側の発表にどう反論するのか、残り135名の名前と住所は発表しないのか、それを聞き質してもよいのではないか。それ以上に、私にとって不可解なのは、現地情報を持っている米政府系ラジオ放送局とNGO団体の人間が表に出ないことである。プレス発表はダラムサラのチベット亡命自治政府が行っている。情報を持っている人間が裏に隠れてないで表に顔を出すべきだ。それができないから、彼らは根拠を明瞭に示せないから、渡部恒雄をして「ブラックボックス」と言わしめているのだろう。田原総一朗やマスコミは、犠牲者数を含めた事件の真相が不明である責任を中国政府の非公開の体質や政策だけに求めているが、情報についての責任は一方の当事者である米政府系ラジオ局やNGO団体にもあるはずで、万が一、彼らが政治目的で意図的に虚偽の情報を流していたのであれば、これは重大な国際問題であり、その非を糾弾されて然るべきだろう。責任者が表に出て堂々と話をするべきだ。

_b0087409_1720723.jpgそう言えば、亡命自治政府が昨日4/30に「犠牲者203名」の最新情報を発表したが、日本のテレビのニュースでその情報を取り上げて報道した番組はなかった。暫定税率復活でそれどころではなかったというのが実情だろうが、この問題の関心が、チベット暴動を離れて、北京五輪ボイコットと中国のレジームチェンジへと関心が移動させられている報道の実態が分かる。チベットは単なる材料の一つであり、狙いは国民世論を中国バッシングへ斉一化することである。日本では胡錦濤主席の来日に向けて、ありとあらゆる中国関連情報を中国バッシングの材料に動員する動きが固まっていて、上野動物園にパンダが来るという情報でさえも、中国の謀略外交だから警戒せよという表現とメッセージで伝えられるようになった。中国は北朝鮮と同じ扱いにされ、嫌悪や侮辱や罵倒が投げつけられる悪の存在になっている。6年前の北朝鮮の「喜び組」報道の前夜と同じ思想環境になっている。日中友好の立場を守ろうとする言論人がいない。日中友好こそが日本の21世紀の要だと考える人間がいない。中国に挑発を仕掛け、日中関係を冷戦に持ち込もうとする人間ばかりだ。20年前を振り返れば、そういう主張をしていたのは右翼だけだった。マスコミを含めて日本中が狂暴無頼な反中右翼になり、私だけが20年前の日本人と同じ日中友好を言っている。

不思議な光景だ。20年前に較べれば、中国のシステムは先進国とコンパチビリティを増しているにもかかわらず。
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張景子への青山繁晴の罵倒と恫喝 - 朝日新聞の産経新聞化 http://critic3.exblog.jp/8501792/ 2008-04-30T23:30:00+09:00 2008-12-01T13:24:28+09:00 2008-04-30T13:34:19+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_14461478.jpg長野での聖火リレーを契機に日本のマスコミの反中反共キャンペーンの奔流ががさらに激しく勢いを増している。朝日新聞は「北京五輪百日前」と題した特集を聖火リレー翌日の4/27から4/29まで3日間組み、1面と3面の二面を使って連日大きく報道した。その報道が、紙面の使い方と言い、記事の内容と言い、実に産経新聞そっくりで、これが朝日新聞かと目を疑うものだった。この種のイデオロギッシュな特集報道は産経新聞の個性と特徴をあらわすもので、こうした独特の報道姿勢が一定の読者層を掴んで産経新聞の販売部数を支えていた。朝日新聞の産経新聞化に直面して率直に戸惑いを覚える。朝日新聞が小泉改革以来、徐々に新自由主義路線の方向へ舵を切り、日経新聞との対立軸を喪失していた状況は気づいていたが、まさかこのような、産経新聞と瓜二つの反中記事が紙面構成される日が来るとは思わなかった。記事は中国に対する露骨な敵意と警戒心が基調になっている。

_b0087409_14215419.jpg私は前の記事で、古館伊知郎の過激な反中プロパガンダについて、それを裏で指図しているのは電通だろうと睨んでいたが、どうやら親会社の朝日新聞が直々に指令して中国バッシングを煽っている疑いが強い。今日(4/30)の朝日新聞も、国際面で聖火リレー後に高まった韓国内の反中世論について大きく紹介、論調が産経新聞ソウル支局発とフルコンパチブルになっていて驚く。同じ「事実」に対して従来の朝日新聞はこうした書き方をしなかった。だから、読者は朝日と読売と産経を読み較べて、各紙の論調の相違を踏まえながら、実際にそこで何が起きたのか自分で判断して「真実」を組み立てていたのである。イデオロギーに関わる問題に対して一歩引いて慎重だったのが朝日新聞だった。今回のチベット問題では、産経新聞も真っ青のハッスルぶりで、中国攻撃の最先鋒に立って日本の反中世論を喚起している。前に触れたが、論説主幹の若宮啓文が筑紫哲也との対談で語っていた言葉を思い出す。

_b0087409_17195570.jpg積極的に右に陣地を広げて右の読者を獲得する機会があればそうしたい。今がその機会なのだろう。新聞社としての事業の生き残りを賭けた右寄り作戦なのだ。昨夜(4/29)の「報道ステーション」では、胡錦濤訪日の際に中国が上野動物園にパンダを送る件を話題にしていたが、その報道での古館伊知郎の口ぶりは、中国のパンダ外交に対する嫌疑と牽制に満ちたもので、まるで金正日が小泉訪朝団にマツタケを土産に持たせたときの日本のメディアの反応と同じバイアスのかかったものだった。現在の「報道ステーション」の中国報道では、中国はすでに北朝鮮と同じ「敵国」になっている。中国のどのような「行為」や「事実」も、歪曲され一面的に偏向した論説が被され、ニュースに接する視聴者に中国への敵意や反感が醸成されるように仕向けられている。パンダ外交について、最初から一貫して不審と警戒の視線で報道していたのは産経新聞であり、朝日新聞やNHKが、それと歩調を同じくするという事態はあり得なかった。

_b0087409_14193499.jpg4/28のテレビ朝日の「TVタックル」では、青山繁晴と金美齢と大谷昭宏と長島昭久の四人が、張景子と王曙光の二人の中国人に罵声を浴びせて詰り倒す見苦しい映像が放送されていた。番組での張景子の議論は整理された理性的なもので、中国の少数民族政策や人権問題について中国の立場で分かりやすく事実と状況を説明し説得していたが、右翼側の連中はそれを最後まで聞こうとせず、説明が半分も終わらないうちに次々と汚い罵声を投げつけて発言を暴力的に遮っていた。張景子の説明は中国を代表したもので、それがどこまで真実と評価できるかは別にして、日本のメディアでは報道されることのない貴重な情報であり、視聴者のわれわれはその説明を聞きたいのである。欧米と日本の中国バッシングに対する中国側の反論に耳を傾けたいのだ。ところが、青山繁晴と金美齢と大谷昭宏は全く話を聞こうとせず、恐らくは張景子の反論の中身に説得力があったからだろうが、説明の途中で喚いて乱暴に張景子の口を封じた。特に酷かったのは青山繁晴で、街宣右翼より粗暴な、暴力団の恫喝の口調そのものの醜さだった。

_b0087409_14194454.jpg張景子は外国の女性である。最低限の礼儀というものがあるだろう。非常識に過ぎる。青山繁晴の暴力的罵倒は非論理的で、渋谷の街宣右翼の怒号と同じで、聞く者に何の説得力も感じさせなかった。政治的効果としてはマイナスである。三宅久之や金美齢ら右翼が、持論に反対する相手を感情的に激高して罵倒する図は「TVタックル」では慣例化した演出だが、相手が外国人である場合は番組は少しは常識と節度を考えるべきではないのか。あれと同じ罵倒攻撃を米国や欧州の代表論者に対してできるのか。青山繁晴と金美齢と大谷昭宏と長島昭久の常軌を逸した罵倒攻撃は、張景子に対する侮辱にとどまらず中国に対する侮辱である。張景子は侮辱と暴言に耐え、感情を抑えて、よく理性で反論を展開していた。テレビはまた3年前の「中国の反日デモ」の報道に戻り、6年前の「北朝鮮拉致」の報道に戻りつつある。今回、私が特に思ったのは言語の問題で、張景子は日本語を流暢に話す能力を持っている。青山繁晴は日本語しかできない。張景子は青山繁晴らの悪罵を聞きながら、その意味は理解しながらも、あまりの愚劣さと粗暴さに立ち往生していたことだろう。

_b0087409_14195573.jpg張景子が北京で日本語を勉強したとき、そのとき教えられる日本語は、礼儀正しい日本語で、品よく格調高い日本語が教えられるのだ。言語は文化そのものだから、一国の言語が他国で外国語として語学教育されるときは、習得者がその国と言語に尊敬の心を自然に持つように、そのように配慮されて、教育的価値を持った崇高な存在になるのである。正しい文法が教えられる。最も基準的で規範的な「国語」が教育される。われわれにとって英語がそうだった。スラングや汚い言葉使いは教室では教えられなかった。発音も米語ではなくクイーンズが尊ばれ、われわれはその二者の差異を聴き分けることができ、クイーンズの方が言語として上質であるという観念をベースに持っている。だから日本語を北京で勉強した張景子は、日本語というものを文化的に価値の高いものと思い、それは日本語と日本人への尊敬に繋がっていたはずである。怒声が飛ぶスタジオの中で、張景子は正確な日本語を話そうと懸命に努め、乱れる感情を抑えて語法に間違いのないように大脳の回路を作動させている。外国語で外国人と討論するということは、その経験のない日本人が思うほど簡単なことではない。

_b0087409_1420618.jpg英語で米国人と討論するということは大変な苦行だ。知識や情報でどれほど勝っていても、言語能力で劣れば一蹴される。こちらは常に受身になる。イーブンな立場を確保できない。張景子と青山繁晴の場面を見ながら想像したのは、少し前の日米構造協議の時代の日本と米国の関係だった。会議は英語でなされる。日本語ではない。米国側の代表者は、一方的に日本は閉鎖的だと主張し、(世界標準に合わせて)開放しろだの改革しろだのを声高に主張して要求し続ける。日本側の主張は聞かない。客観的合理性や論理で劣勢になれば、卓袱台をひっくり返して喚く。「日本は閉鎖的だ」と怒声を上げる。「日本には日本の基準がある」と言っても聞く耳を持たない。結局、その「国際標準」の主張に押し切られ、ズルズルと「年次改革要望書」の求めるままに日本の法制度を変え、金融規制も資本規制も労働規制も全て変え、米資が濡れ手に粟で貪れる新自由主義のシステムに変えてしまった。交渉で粘り強く押し返すべきだったが、無論、協議に英語で出席した日本の官僚に責任があるわけではなく、米国に日本を売り渡した政権に問題がある。

_b0087409_14202622.jpg中国には中国の基準がある。と、そう張景子は言っていたわけだ。中国に人権問題が存在する事実を認めながら、今後の努力で徐々に個人の権利を拡充する方向に持って行くから、中国に対して世界と日本は寛大な目で見守って欲しいと訴えていた。これは鄧小平路線の立場を外国に向かって説明するときの基本的な表現である。日中共同声明の原点に立てば、日本人はそれを認めるべきで、中国の人権問題に対して過剰に口を挟む必要はない。中国の国民自身が現在の政治体制を認めている現実がある。基本的人権が天賦の権利で普遍的な権利であることは間違いないが、その権利は無制限なものではなく、どの国の憲法でも公共の福祉による私権の制限が認められている。そのとき、公と私、全体と個のバランスは、それぞれの国と地域の歴史と文化によって現実形態が異なるのであって、全ての国が一挙に米国のような現実になるものでもないし、なればいいというものでもない。例えばイスラムの国においては、イスラム法の原理と秩序の体系に従った人権の法理と適用がある。われわれはそれを一方的に否定できない。基本的人権は、それぞれの国民の努力と選択の何如による。

_b0087409_14201636.jpgそれともう一つ、張景子が中国共産党員であったとしても、そうでなかったとしても、日本のマスコミは、「TVタックル」が典型例だが、中国を代表して発言する在留中国人に対して、あまりに凶暴に中国共産党非難のイデオロギー攻撃を浴びせすぎる。中国共産党の立場の人間には人権の存在すら否定しているような恫喝と暴言がまかり通る。迫害に近い。これは、最近は少し沈静化しているが、拉致問題が起こったときの朝鮮総連と在日朝鮮人に対する差別や嫌がらせの横行と全く同じ思想的空気の下で起こっている問題であり、まさに基本的人権(思想信条の自由)に関わる問題だと言えるだろう。中国の場合、中国共産党員というのは、日本で言えば国家公務員上級職合格者のよう社会的身分の存在であって、必ずしも本人が内面的に選択した思想信条の問題ではない。本人が選択した思想信条でないものに対して、イデオロギーの歴史的過誤の責任を推し被せ、断罪して糾弾する行為は公正と言えるだろうか。人は生まれる国を選ぶことはできない。人は親を選ぶことができない。立場を背負って公的な場で発言している張景子に対して、イデオロギーを理由にした侮辱や迫害を加えるのは正視できない映像である。

暫くは、こういう右翼のイデオロギー花粉がネットとマスコミの空間を飛散、蔓延して、抗原抗体反応で憂鬱な日々が続くのだろうけれど。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

1974年にヒットしたフランス映画『エマニエル夫人』のテーマを。

懐かしさいっぱいの音楽と映像。
いわゆるソフトコア映画として話題を呼びブームに。
美しくかわいかった主演のシルビア・クリステル、元気だろうか。

上映された当時、
「男の子と一緒に見に行った」実績を作らなければいけない市場の強迫観念があり、
その需要のおかげで、お誘いの声をかけてもらった幸運な思い出がある。



フランス映画には必ずパリの白い街が出てきて、それが何とも素敵に見えた。
この頃、中国は文化大革命の後期、韓国は朴正熙の軍事政権。
この映画の思い出を語れるのはアジアでは日本だけ。
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山口2区補選結果と後期高齢者医療制度 - 「廃止法案」の欺瞞 http://critic3.exblog.jp/8488125/ 2008-04-28T23:30:00+09:00 2008-05-01T08:42:38+09:00 2008-04-28T14:07:32+09:00 thessalonike4 ガソリン国会と後期高齢者医療 <![CDATA[_b0087409_14362238.jpg昨夜(4/27)、午後9時前に放送されるTBSの短いニュース番組で山口補選の報道があり、その映像に一瞬だけとくらさんの姿が映っていた。開票と同時に当選を決めた平岡秀夫が壇上で万歳をして、左右に立つ者と握手した後、すぐに壇を下りて向かって右側に歩み寄り、両手を差し出した先にとくらさんの姿があった。昨年の参院選のときと同じ白のスーツの格好をしていた。お元気そうで何より。平岡秀夫が真っ先に寄って来て握手したということは、きっとこの選挙でとくらさんの活躍が大きく、集票において多大な功績があったから、奮闘に対する感謝の気持ちがそうさせたのに違いない。そんな気がする。選挙は勝つと負けるでは天国と地獄の違いだ。立候補した者は現職も新人も等しく崖っぷちに立たされる。当選した者だけが絶体絶命の窮地から生還できる。だから、こういうときは人間の心が素直に行動に現われるのだ。選挙運動で最も貢献してくれた人から自ずと順番に感謝の気持ちが伝えられて行くのだろう。

_b0087409_1436458.jpg何となくテレビで顔を見れそうな予感がしていた。「今“変える”ことこそが『地域活性化』への近道」と題された記事は、公示日前日に書かれたものだが、この頃が自民党候補の猛追を受けて平岡陣営が最も苦境に陥っていた時期であり、情勢の逆転が報道され、東京で小沢一郎が鳩山由紀夫を怒鳴ったり、匙投げ発言をした記事が書かれていた局面だった。記事は静かな檄文であり、醒めた決意が行間から伝わって来る。この人が決意したときのパワーは凄まじいものがあるだろうなと私は思い、陣営が劣勢を挽回した原動力の一つだったに違いないと想像する。政治の運動でこれほど強力なエネルギーを発揮できる実力者を他に知らない。昔はそのような政治活動家が多くいた。今はいなくなった。口先だけの政治家ばかりになり、地位と金と権力を追いかけて威張ることだけが目的の政治屋ばかりになった。真摯なメッセージやエネルギーで人を動かすことのできる政治家が日本にいなくなった。その意味で彼女は貴重な存在なのだろう。

_b0087409_14371197.jpg参院選の後、岩国市長選でも負け、くやしい日々が続いていた。負けず嫌いの人の久しぶりの勝利となる。本人の永田町デビューの日が一日も早く来ることを願ってやまない。新聞は、今度の選挙の民主党勝利について、いわゆる「三点セット」の訴えが奏功したと書いている。しかし私は、選挙情勢が逆転したのは、後期高齢者医療制度が施行されて高齢者の年金から保険料の冷酷な天引きが始まり、その問題がマスコミで大きく報道された結果だろうと考える。もし、後期高齢者医療制度の問題がなく、単に「ガソリンと道路」の争点だけで選挙戦を戦っていれば、平岡秀夫は接戦の末に敗北していただろう。後期高齢者医療制度の風が吹いて情勢が再び民主党有利に反転した後、4/20に福田首相が山口入りして演説したが、報道で紹介されているとおり、この演説の有権者をバカにした言葉遣いが最悪で、緊張感がないと言う以前に常識がなく、およそ国政選挙で候補者の応援をしている言葉とは思えない。聞いた者は拒絶と反発と嘆息を返すしかない異常な語りだった。

_b0087409_14365785.jpg自民党候補者の山本繁太郎も醜悪だった。容姿が最悪で態度も最悪。勘違いをしているとしか思えない映像ばかりがテレビの画面に出て、見ているだけで不愉快であり、どうしてこのような醜悪な人物が全国注目の補選の候補者に選ばれるのか不可解で仕方がなかった。また、あのような人物が公示日前後に現職を追い上げて当選を射程に入れていたという事実も不可解で、有権者の良識を疑ったものだ。山本繁太郎の奇矯で低俗な風貌を見ていると、バブル官僚のなれの果てという不快な表象が浮かんで来る。これまでどれほどの税金を飲み食いに使ってきたことか。この男の意識では、それが当然であり、官僚で貪り、次は議員で貪るのが当然で、有権者の国民は官僚を議員にする通過儀式で一票入れる存在であり、官僚から議員になるときは官僚の宴会でやった裸踊りの真似事を選挙カーの上でパフォーマンスするサービスをすればいいと思っているのだ。人の暮らしが行きづまり、政治が切実な問題になっている今の日本で、どうしてこういう人物が厚顔無恥に表に登場するのか。

_b0087409_1437244.jpgそれと、補選結果に関連して次のことを言いたいが、民主党と野党はなぜ「後期高齢者医療制度廃止法案」を参議院に提出しないのか。野党4党がそれを2月末に衆院に提出した報道はある。だが、それがどのように審議されたのかは全く情報がない。委員会で否決されたのかどうかも不明だ。報道を見るかぎり、3月の国会では後期高齢者医療制度の議論は皆無であり、政治家たちは暫定税率と道路特定財源の問題ばかりを国会の外で、テレビの政治番組でくっちゃべっていた。この問題が報道の表に出るのは4月に制度が施行されて現場で混乱が始まってからだ。本当に制度の廃止が必要だと考えるなら、廃止法案を3月に参院に提出して国民の前で審議すればよかったのではないか。野党はそれをせず、混乱が始まってマスコミが報道を始めた4月になってから政権を攻撃する材料として後期高齢者医療制度を政治的に使っている。それは民主党だけでなく社民党も同じだ。3月に後期高齢者医療制度問題を発言していた議員はいるのか。もし廃止法案を参院に提出していれば、制度の設計過程の内実も明らかになっただろう。

_b0087409_14363477.jpg制度の立案に携わった厚生官僚を委員会に呼んで証言させ、具体的に竹中平蔵や高橋洋一からどのような指示が下されたかを暴露させることができただろう。委員会審議とマスコミ報道を通じて、廃止法案の参院採決で自民党議員の中に賛成あるいは保留の議員も出たに違いない。参院で廃止法案を可決成立して衆院に送ったとき、これを自民公明が衆院で否決するのはきわめて難しい状況になり、制度の廃止もしくは全面修正せざるを得なくなっていただろう。そういう政治状況を簡単に想定することができる。後期高齢者医療制度こそ政局の争点に据えればよかった。暫定税率よりも簡単に自民党を割ることができ、自民と公明を分断することができ、民主主導の政界再編へ政局を運ぶことができ、解散総選挙へ追い込むことができた。選挙となれば、自民も民主も後期高齢者医療制度の存置継続などは公約のしようもなく、選挙を前に一瞬で制度は廃止される事態になったに違いない。要するに、民主党は本気でこの制度を廃止する気があるのかということだ。単に票欲しさだけで「廃止」を言っているのではないのか。政権攻撃の材料に利用しているだけではないのか。

_b0087409_14373853.jpg今日(4/28)のマスコミ報道では、衆院で自公が暫定税率の再議決をやり、ガソリン価格が上がり、その次に5/12の道路整備財源特例法の改正案再可決が焦点になったなどと言っている。次々に幕が上がる。ガソリン国会の論戦が再開する。民主党は山口2区補選に勝ったにもかかわらず、また、福田内閣の支持率が史上空前のレベルまで低落したにもかかわらず、問責決議案は提出しない方針を固めている。すなわち、ずっと同じガソリン国会の芝居が続くのだ。「みなし」だの「再可決」だの「審議拒否」だの「与野党協議」だの「議長斡旋」だのの騒動を続けながら、不毛なガソリン国会の芝居を会期末まで続けるのである。テレビの政治番組はその聞き飽きた与野党の「論戦」を見せるのだ。そして後期高齢者医療制度は結局は何も手つかずで、特に修正もなく、消えた年金と同じように高齢者は我慢を強いられ、我慢を受け入れ、そのうちマスコミも何も言わなくなり、次の総選挙のときは争点ですらなくなっているのだ。そして制度は定着させられ、2年後は予定どおり保険料が引き上げられるのだ。引き上げ反対と誰かが言えば、朝日新聞を筆頭とするマスコミと山口二郎が、それなら消費税増税だなと言うのだ。

民主党の「高齢者医療制度廃止法案」など、世論の前のただのポーズだ。本気じゃない。

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【世に倦む日日の百曲巡礼】

1971年の Three Dog Night の 『An Old Fashoned Love Song』 を。

哀愁漂うオルガンのイントロとロマンティックなバラードが懐かしい。
3DNはシカゴと並んで民主党支持の旗幟鮮明な米国のロック・グループだった。

『Black And White』 などいかにもそれらしいテーマの曲。
対して共和党を支持していた保守派の筆頭格がカーペンターズの兄妹。



しかし、保守化とか右傾化というのは日本だけの出来事じゃないよね。
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世界に日本のオペレーション・エクセレンスの水準示した長野聖火リレー http://critic3.exblog.jp/8480795/ 2008-04-27T23:30:00+09:00 2008-05-13T22:53:50+09:00 2008-04-27T12:58:31+09:00 thessalonike4 チベット暴動と北京五輪 <![CDATA[_b0087409_13233934.jpg野口みずきの言葉がとても印象的だった。「北京オリンピックの成功とそれから平和を願いながら走りました」。素晴らしい。最高のコメントだ。バランスがとれている。賢い子だ。「アスリートは四年に一度の大舞台に合わせている。その五輪が政治に絡んで混乱するのは残念だ」。芯の強い子だ。さすがに金メダリスト。世界のアスリートの女王が語る重い言葉。灼熱のアテネで本命ラドクリフを制してオリーブの栄冠を手にした小さな小さな女王。あの感動のドラマを世界は忘れていない。陸上のアスリートの女王が訴えたこのメッセージを欧米のプレスは聞き逃さずに発信して世界に伝えて欲しい。日本のマスコミは、昨日(4/26)の長野聖火リレーに対して無意味で無価値だったと貶めの論評に躍起だが、私は全くそうは思わない。参加者も裏方もよく頑張った。立派だった。岡崎朋美が笑顔で走るのを見ながら、十年前の長野五輪の感動が甦って懐かしかった。長野五輪は素晴らしい五輪だった。

_b0087409_13234990.jpg序盤のスケートで日本選手がよく頑張った。金メダルをとった清水宏保の「母さん」という言葉に胸が熱くなったことも思い出した。清水宏保も聖火ランナーに出場すればよかった。原田雅彦も船木和喜も元気な顔を見せてくれればよかった。政治の場となり、騒然として緊張した政治闘争の舞台になってしまったが、そうなる前の、チベット問題の政治が北京五輪を汚す前の、最初に企画された原案での平和の祭典の祝賀行事の趣向が、昨日の中継の画面にはきちんと映し出されていた。長野市実行委と関係者が一生懸命に準備したイベントの思いが伝わってきた。また、聖火走者の横をガードして伴走する若い機動隊のメンバーの白のユニフォームがよくて、あのジャージとキャップのデザインも長野五輪を思い出させる意匠だった。彼らの聖火を守る機敏な動きがとてもよかった。日本らしい。日本を世界に見せていた。目的と使命を遂行しながら柔らかく対応する。きっと世界中の人間がそう思ったはずだ。

_b0087409_13235869.jpg長野駅前で中国人とチベット支援の右翼の衝突を制止した警察官もよかった。日本らしい。こういう場面で日本の警察は優秀だ。彼らは体を張って両者の間に入って分けていた。それが当然の任務だと言えばそれまでだが、誰からも讃えられることのない縁の下の役割で、マスコミから「ものものしい警備」と罵られ、「市民不在」と謗られ、「こんな聖火リレーをやる必要があるのか」と叩かれる日陰の身の仕事なのである。無責任で安全圏の日本のマスコミは簡単にそう言う。しかし、世界中が注目して、一つ間違えば重大な国際問題になる昨日の長野が、現場の警備当局にとってどれほど責任の重い正念場の一発勝負だったか。警察はよく頑張った。声を大にして褒めてやりたい。現場の警察官と長野市の実行委に心から拍手を送ってやりたい。皮肉なことに、この評価は長野に来た「国境なき記者団」のメナール本人が語っていて、日本の警察の対応を賞賛している。他の国ならこうはならなかったことをメナールは知っているのだ。

_b0087409_1324881.jpg警察は中立の立場を守っていた。抗議行動を力づくで押さえることもしなかった。中国人にも配慮をしていた。双方の言論の自由を守りながら、混乱が最小限に収まるように現場の秩序を守っていた。まさに「地上の星」の姿。国益を守るということは、マスコミや政治家はそれを軽々しく口にするけれど、まさに昨日の長野の警察と実行委こそが国益を守る真の姿なのである。口先ではなく縁の下の力持ちが守るのだ。聖火リレーは予定のコースを無事に終了した。コースの変更はしなかった。短縮もしなかった。パリやSFの無様の二の舞は演じなかった。粛々と行事を遂行して、聖火を次へ繋ぎ、それを世界と中国に見せつけた。こういうときの日本の当局は実に見事だ。日本の世論が野口みずき的な理性と常識のバランスを回復するのはいつだろうか。日本のマスコミは、遂に五輪は政治と区別することはできないなどと言い始め、北京五輪を人質にした中国への政治圧力を完全に正当化した論調を固めている。スポーツ選手は政治家なのか。

_b0087409_13241766.jpgさて、逆にリアルな生の政治として昨日の長野を見た場合だが、見てのとおり政治戦は中国側の圧勝で右翼側の完敗だった。動員の規模で十倍以上の差があった。田中角栄が言ったとおり、政治は力、力は数である。日本の右翼はあれほど2ちゃんねる掲示板とBLOGで動員を呼びかけ、長野をチベット旗で覆い尽くすと豪語して宣伝扇動していたにもかかわらず、逆に中国人の数に圧倒されて存在感を誇示することもできず、追い詰められ、最後は長野駅東口で暴力沙汰を仕掛けて中国人を挑発するという惨めな負け犬に終わっていた。今の政治戦は情報戦である。テレビの映像で何を見せるかが全てだ。中国側は士気が違っていた。テレビ中継の要所要所は悉く中国側が押さえていた。開会式場のゲート前道路沿いの位置を埋め、閉会式会場横の柵を陣取って横断幕を掲げていた。その場所を陣取るためには、敵に与えず味方で制するためには、敵よりも早い時間に現場に着き、敵よりも多い人数で場所を制圧しなくてはいけない。早起きしないといけない。

_b0087409_13242614.jpg士気の高かった中国側の勝利である。日本右翼の示威行動を完封し、チベット旗をテレビカメラの撮影角に入れなかった。テレビ局のヘリのカメラは真上から聖火リレーを捉えたが、沿道に切れ目なく林立するのは赤い五星紅旗ばかりで雪山獅子旗の存在感は薄かった。日本の右翼は中国と在留中国人の実力を思い知っただろう。政治は数を動員できる方が勝つ。数を一点に結集できる方が勝つ。今日(4/27)の朝日新聞は、一面で、長野の五星紅旗乱舞の問題に触れ、中国のナショナリズム高揚に対して露骨に警戒感と不快感を示す記事を書いている。筆調は産経新聞の日常の謙中記事と変わらない。朝日新聞が忘れているのは、どうしてこのような中国ナショナリズムの現象が起きたのか、何が中国人のナショナリズムを刺激したのかという基本的事実である。国際社会が、北京五輪を人質にしてチベット問題で中国に圧力をかけるという政治をしなければ、五輪に政治を持ち込む愚を犯さなければ、このような中国ナショナリズムの発揚はなかった。問題の発端の責任は欧州にある。

_b0087409_1325462.jpg長野への動員についても、ネット右翼が無用な反中行動を策謀扇動しなければ、あれほど膨大な数の中国人が長野に集結することはなかっただろう。長野を政治騒動の場にしたのは、チベットを支援する反中右翼の陣営であり、騒動と混乱の責任は右翼と右翼に加担した善光寺の側にある。善光寺が市実行委と歩調を合わせていれば、あれほどネット右翼が増長することもなく、中国側がカウンターの政治に奔走して数を動員することもなかっただろう。長野の象徴としての公正公平な立場を逸脱して混乱に拍車をかけ、長野市民と関係当局に迷惑をかけた善光寺は自己批判すべきだ。そして、日本の国民もマスコミも、隣人の大国である中国との関係のあり方を再度真摯に考え直すべきだろう。一党独裁批判や言論の自由不在批判の一般論だけで、単純に国論を嫌中反中へ固める方向が日本にとって正しい選択なのか。大国である中国とパートナーシップを組む発想がマスコミや評論家には根本的に欠落している。本当なら、欧州に向かって「北京五輪を人質にするな」と常識と正論の声を上げるべき国が日本なのだ。

_b0087409_13253551.jpgそれができる国がアジアのリーダーなのだ。それができれば、日本は中国と欧米の間に入ることができ、さらにチベットと中国の間に入って調停することができる。双方に自制を求める有意味な第三者の立場たり得ることができる。そういう役割こそが国際社会に必要で、中国はそういう役割を果たしてくれる国を求めているにもかかわらず、日本がその役割を果たすことができない。宮沢内閣とか細川内閣とか橋本内閣とかの時代の日本なら、あるいはそういう第三者の仲介者の役割を果たすことができたかも知れない。森内閣以降の日本は戦慄するほど極端に右傾化し、小泉内閣の靖国参拝で最後のとどめを刺して中国との関係を破壊した。修復はできていない。東シナ海ガス田の領海問題も、中国製ギョーザの食品問題も、日中の根本には靖国問題がある。今回、私が本当に残念だったのは、崔天凱中国大使の人品と言語で、前任大使の王毅とは比較にならないほど見劣りする人物が式典で何か言っていた。ショックだった。王毅は魅力的な人物だった。王毅の日本語は素晴らしかった。崔天凱は日本語が話せないらしい。

_b0087409_13243676.jpg日本のマスコミの前で中国語で話す中国大使を初めて見た。これほどの衝撃はない。日本人はこの事実をどう受け止める気なのか。前外相の李肇星も日本語で話しているのを聞いて安心したことがある。唐家旋の日本語は言うまでもない。今度の外相の楊潔篪は日本語を話せない。以前は、日本語ができる人間が政府の要職(特に外交部)を占めた。今はそれが変わった。このことがどれだけ重大な問題か日本人は気づいていない。唐家旋は、恐らく自分の後継者(中国外交責任者)の本命を王毅に据えていて、その繋ぎ役が六カ国協議で担当をしていた武大偉だったはずだ。武大偉も日本語がよくできた。唐家旋、武大偉、王毅の日本語ラインで中国外交部の路線ができていた。それが一瞬で変わった。唐家旋も外交のトップを外された。そして日本語のできない人間が日本の大使に派遣されている。つまり、中国政府の中での日本の地位が決定的に下がり、親日家がポストを占めれなくなっている中国政治の現実がある。あらためて言うが、鄧小平路線とは戦後日本がモデルの経済政策だったのである。だから日本語のできるエリートを国家の要職に配置した。

中日友好は鄧小平の遺訓であり、中国の国是で国策だったのだ。わずか十年、絶句する思いだ。どうして私と同じ思いの日本人が一人もいないのだろうか。
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【世に倦む日日の百曲巡礼】

1998年の長野五輪開会式での小澤征爾指揮によるベートーベンの『喜びの歌』

この映像と演出は素晴らしかった。日本が世界に誇るモニュメンタルなスペクタクル。
五大陸六都市(NY、北京、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結んで同時大合唱。
こんな壮大なプロジェクトを企画してプレゼンテーションできる金と力が日本にあった。

確か大陸間の通信時差で音がコンマ数秒ズレるから補正をどうのという技術の話があり、
なるほど日本らしいハイテク応用の文化演出だと世界を納得させていた。
あの頃の日本に帰らないといけない。グローバリズムの前のハイテクの日本へ。



カジュアルな服装のアフリカ人が体をゆすりながらコーラスする「第九」が印象的だった。
小澤征爾は旧満州の奉天(瀋陽)の生まれなんだね。
中国政府に招聘されて中国の音楽家の指導もしている。 
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今度の問題を小澤征爾はどう思っているのだろうか。欧州にガツンと発言して欲しい。
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