世に倦む日日
2008-12-01T13:24:28+09:00
thessalonike4
本と映画と政治の批評
Excite Blog
再々度の引越しのお知らせ
http://critic3.exblog.jp/8591932/
2008-05-14T23:55:00+09:00
2008-06-14T17:04:18+09:00
2008-05-14T16:09:00+09:00
thessalonike4
未分類
<![CDATA[容量オーバーのため新しいブログに再々度引越します。
http://critic5.exblog.jp/
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福島瑞穂は多数派形成の構想と決断を - 政治指導者とは何か
http://critic3.exblog.jp/8591654/
2008-05-14T23:30:00+09:00
2008-05-14T18:04:20+09:00
2008-05-14T15:06:25+09:00
thessalonike4
ガソリン国会と後期高齢者医療
<![CDATA[
ロバート・ラウシェンバーグが死んだ。あれは確か1986年だったが、世田谷美術館で展覧会を開催しているのを見に行ったことがある。いわゆる現代美術と言われるものをそのとき初めて見て、一目で気に入ってしまった。それまで、美術と言えばせいぜいダ・ヴィンチとかピカソくらいしか知らず、マチスもカンディンスキーも知らず、ポップアートの作品などは最初から鑑賞する対象として除外していたのが、天井から吊るされたラウシェンバーグの大きなコラージュの作品の前に立った瞬間に考え方が変わり、その芸術に魅力を感じるようになった。アイディアと方法に共感を覚えた。考えてみれば、水戸芸術館の開館が1990年、ちょうどあの頃、バブルの頃が日本人全体が現代美術に入門して行く時期で、日本の中産階級に現代美術の文化を導入する事業を精力的に進めていたのが西武セゾンの堤清二だった。ラウシェンバーグに感謝しつつ合掌。
福島瑞穂のBLOGに5/11のNHKの「セーフティネット・クライシス」を見た記事が載っている。他の国会議員のBLOGでこの社会保障の特集番組について書いているものを見つけていない。末尾の時刻を確認すると、記事は当日の22時22分に上げられていて、番組の放送は10時30分までだったから、福島瑞穂は番組を見ながらBLOGを書いていたことがわかる。そしてさらに、もう一本記事を書いてその夜のうちに上げている。内容は短いが、やはりその生産力とスピードに驚かされる。公党党首の激務の中を福島瑞穂はよく頑張っていると率直に感じる。BLOGの記事は私的な日記であると同時にコミュニケーションであり、党首の立場であれば、社民党からの国民へのメッセージの発信である。責任は重い。言葉も数字も間違えない。やはり東大法学部の弁護士は大脳のクロック・フリクエンシが常人とは違うなと思わされる。脱帽せざるを得ない。
想像もできないほど多忙な党首生活の中で、福島瑞穂はNHKの特集番組を見て、こまめにBLOGの記事を発信し、さらに本もよく読んでいる。これは立派と言うほかない。優秀で体力のある人間だからできることで、さすがに組織の上に立つ人間の器量は凡人とは違う。そして、福島瑞穂のBLOGの記事には人柄がよく現れていて、テレビの発言や国会での演説と同様に好感が持てるコミュニケーションになっている。コミュニケーションとして成功している。人間としても国会議員としても何の不備も不満もない。よくできた人物だ。福島瑞穂自身が言っていたと思うが、まさに日本の戦後教育が純粋培養的に育てて、モデリッシュに「全人格的発達」が実現された姿のように映る。福島瑞穂は宮崎生まれで、自然の中で育った大らかさや純粋さがあり、同じ戦後教育の世代でも大都会で育った人間たちと明らかな違いがある。子供は田舎で育った方がいいと思う事例を福島瑞穂が見せている。
だが、もし福島瑞穂がブログを読んでいれば考えて欲しいことがある。福島瑞穂は5/12の記事の中で、「次の衆議院選挙では、社民党は、なんとしても衆議院の議席を2桁にしたい」と書いている。この言葉に私は失望を感じる。2桁では政治を変えることはできない。2200億円の社会保障費削減を止めることができない。後期高齢者医療制度を廃止することができない。議席数は過半数必要なのである。次の総選挙で241議席を獲得しなければならない。福島瑞穂は社民党の党首であるから、社民党としては現在の7議席を2桁にすれば成功なのだろう。だが、仮に社民党が議席を倍増させて14議席を獲得しても、自民党と公明党と民主党の3党が450議席を占める結果になれば、現在の社会保障の政策は大きく変わることはないのである。自民党の議席減が確実な状況で選挙をする場合は、自民党は必ず政界再編を仕掛けて選挙に臨む。民主党も一枚岩ではなく、政界再編に同調する部分が必ず出てくる。
福島瑞穂が考えなくてはいけないのは、福祉国家の政策で政権を取る多数派勢力をどう作るかということだ。社民党の議席を2桁にする前に、自分たちが国会で多数派になる戦略を構想する必要があるのではないか。その発想が福島瑞穂には欠落しているように見える。そこで悩んでいない。われわれは福島瑞穂にそこで悩んで欲しいのであり、そこで大胆な政治革新のブレイクスルーをアイディアできる人間こそが本当の指導者なのだ。例えば、福島瑞穂に質問したいが、社民党はなぜ国政選挙において共産党と選挙協力しようとしないのか。二党とも1桁政党の小党なのに二つの政党に分かれて別々に護憲票を奪い合おうとするのか。有権者から見れば、社民党と共産党の掲げる政策はほぼ同じであり、二党に分かれている必要は全くない。票を無用に分散させて議席を減らしているだけであり、保守二党に余分な議席を与え、社会民主主義の勢力を減少させ、政治の現場や世論における地位を後退させているだけだ。
社民党と共産党の仲が悪いという事情は誰でも知っていて、骨肉相食む近親憎悪的な関係が長い歴史の中で培われているという事実も有権者は薄々承知している。しかし、そうであればなおのこと、勢力をシュリンクさせた二党がいがみ合うのは滑稽で無様であり、無意味であり、あまりに政治姿勢が過去に捉われすぎている。過去の人間の怨念のために政治をやっているのではないはずだ。過去のしがらみを引き摺るのではなく、福島瑞穂は自分のリーダーシップで構想して決断したらどうか。中国とチベットが対話を始めたように、選挙共闘に向けて具体的に条件を提示したらどうか。福島瑞穂がやらなくてはいけないことは、多数派をどう組織するかを考えて実行することだ。大型の社会民主主義の指導者をめざすことだ。目標を10議席とか20議席に置いてはいけない。政権を取ることを目標にしなければならず、自分が総理大臣に指名される瞬間を常に意識しなくてはならない。福島瑞穂の意識の中にそこまでの執念や野心はあるだろうか。権力への執念や野心のない政治家は結局のところはお飾りになる。
福島瑞穂を見ていて、人格や頭脳は申し分ないけれど、政治家として小型に見えるのはそういう問題があるからではないか。次の選挙の後で自分が総理大臣になることを考えて欲しい。これから選挙までの時間をそのために使って欲しい。それができれば、福島瑞穂は大型の政治指導者になれる。そして誰かがそうしなければ、民主党などに任せていれば、いつまで経っても日本社会が新自由主義の地獄から解放されるということはないのだ。
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ガソリン国会の終幕と欺瞞 - この国の政治は一党独裁制である
http://critic3.exblog.jp/8585402/
2008-05-13T23:30:00+09:00
2008-06-04T08:30:56+09:00
2008-05-13T13:22:42+09:00
thessalonike4
ガソリン国会と後期高齢者医療
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
1978年の 柳ジョージとレイニーウッド の 『雨に泣いている』を。
流行ったよね、レイニーウッド。 コンサート、行きましたか?
この曲を聴いて思い出すのは、あの頃の横浜の街。
関内から球場を見ながら山下公園へ歩いて行く道路。
神奈川県民ホールがあって、当時人気のクルセイダースのコンサートも見に行った。
ホテルニューグランドがあって、クラシックで、やっぱり横浜はいいよね。
街に気品と風格があり、明るくオープンで、歩道が広くて、街路樹が立派で、
田舎者には横浜はたまらなく魅力的だった。
デートをするなら関内、馬車道と元町と中華街だよね。
渋谷みたいにガサガサしてなくて、歩きながらゆっくり話ができる。
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NHK『セ‐フティネット・クライシス』 - 吉川洋は政策の舵を切るか
http://critic3.exblog.jp/8578825/
2008-05-12T23:30:00+09:00
2008-06-25T22:55:59+09:00
2008-05-12T12:39:03+09:00
thessalonike4
ワーキングプアと社会保障
<![CDATA[
昨夜(5/11)放送されたNHKスペシャルの『セーフティネット・クライシス』は内容の濃い番組だった。年末の『ワーキングプアⅢ』の報道視角を延長させた形で、今回は具体的に政策担当者をスタジオに呼んで問題を議論させていた。政府の社会保障国民会議の座長を務めている吉川洋をその場に座らせ、生々しい現実を映像で見せ、批判者である金子勝と討論させた企画は秀逸で、実際にこの番組を契機に政策が変わるかどうかは分からないが、視聴者である国民や弱者に多少の希望の光を感じさせた中身になっていた。同席していた経済同友会社会保障改革委員会委員長の門脇英晴も、同じ同友会の宮内義彦や奥村禮子とは異なる印象を見せていた。単純な新自由主義のイデオローグではないように見える。こういう番組を制作できるNHKはやはり素晴らしい。民放ではこのような番組は作れない。『ワーキングプア』以来のNHKの報道は国民の声を代弁して政治の空気を変えることに寄与している。
健康保険証を失って病院に行けず、病気が手遅れになって死んだ例が幾つか出た。大腸癌で死んだ岡山の52歳の配管工の例が冒頭に出た。病院に担ぎ込まれた後でも、高額の治療費が払えないからと、自分で点滴の針を引き抜いて病院から脱走していた。どんな気分だっただろう。普通に生きてきた人だ。こういう死に方をするとは2年前までは思ってもいなかっただろう。高い健康保険料が払えず、何とか社会保険に入れる正社員の仕事を探している53歳の門真の溶接工の例もあった。「一度落ちたら早いな」と言っていた。2年前までは普通に生活していた人なのだ。健康保険、介護保険、生活保護の三つの社会保障の現状が90分の番組の中で報告されていた。どれも悲痛で、見るのが苦しい映像だったが、それだけ真実を的確に射抜いた報道だったと言うことができる。一番見るのが苦しかったのが生活保護の事例で、病気を患った母親と3人の子供の家庭のケースだった。子供が出てくると本当に辛い。正視できない。
母親は自営業に失敗した夫と離婚、皿洗いの仕事をしながら育ちざかりの3人の子供を育て、2001年に市から生活保護を受けて暮らしていたが、2004年に市が生活保護の支給を停止。高校に入学して、他人のお下がりの制服をもらって高校に通っていた長男は、早々に退学してアルバイトをせざるを得なくなり、中学生の次男は弁当を持って行けないことが理由で不登校となった。今、こういうことが日本中で起きていて、その事実を承知してはいるけれど、生の映像で目の前で見せつけられたらやはり身悶えして心が痛い。二人の男の子を見るのが辛かった。2004年というのは、小泉構造改革が社会保障の聖域に手をつけて、生活保護予算を削減し、厚生労働省が自治体に「生活保護の見直し」と「適正な実施」を指示した年だった。番組でも触れられていたが、厚生労働省がネット上に残している資料を見ても、2004年に何が起きたのか分かる。市の担当者は病気で働けない母親に何度も電話をかけ、早く仕事を見つけて就けと冷酷な催促を繰り返していた。これは虐待だ。
テレビの画面に各国の社会保障費のGDPに占める割合とその支出構成の中身を示した積み上げ棒グラフが出て、スウェーデン、フランス、ドイツ、英国、日本、米国の先進六ヵ国が比較され、特に母子家庭に対する給付額が注目され、吉川洋の口から、「フランス並みにすると6兆円増えるが、2兆円くらいは増やしたい」という言葉が出た。6月の骨太と8月のシーリングに反映されるだろう。金子勝が、「(吉川洋が)今日の発言で大きく舵を切った」と評価して喜んでいた。吉川洋は2001年から2006年まで小泉内閣の経済財政諮問会議の民間議員を勤めた人間である。小泉構造改革の理論的中枢にあり、それを経済学者として支えてきたイデオローグである。霞ヶ関の官僚たちを小泉改革に靡かせたのは、慶應大学で突出した新自由主義者の竹中平蔵のアジテーションではなく、官僚たちの故郷の東京大学の権威である吉川洋の理論経済学の説得だった。小泉構造改革に果たした吉川洋の影響と功績は絶大で、われわれの立場からすればまさにA級戦犯と言える。「給付と負担のバランス」や「持続可能な制度」論は吉川洋が開発した改革の言説ではないか。
吉川洋は2003年に岩波書店から『構造改革と日本経済』を出している。単位を取るのは上手だが難しい経済理論はよく分からない霞ヶ関の官僚たちは、吉川洋の改革理論が岩波書店がオーソライズしたものであることを知り、安心して新自由主義の改革路線を受け入れたのだろう。岩波ブランドが官僚たちに与える影響は絶大で、それは権威と信頼と帰依のシンボルである。岩波書店の責任は重いと私は思う。小泉構造改革を正当化するような理論書を岩波書店は出版すべきではなかった。山口二郎の『政治改革』に次ぐ第二の失敗と錯誤と言える。最近、岩波(iwanami.co.jo)からブログにアクセスが届くようになった。編集部だろうか。政治改革に棹差し、構造改革に棹差し、日本を政治反動と経済格差に導いた責任をどう考えているのか、弁明できるのか、私にメールを返して欲しい。この国において、本来は反動的で反国民的な実質の政策が、マスコミの演出によって国民的で必然的な政策の外装を纏うときは、必ずそこに左側の論者や機関が介在して左側から国民を説得している。立ち回り屋がいる。
テレビを見ながら、『ワーキングプアⅢ』のときとは違う別の感慨もこみ上げた。それは、NHKがこれだけ頑張っているのに、インターネットはなぜ何もできないのかという痛憤だった。なぜネットは運動を起こせないのか。社会保障を削減させず拡充させる政策を実現しようとすれば、セーフティネット主義の政策を掲げる政党を立ち上げて、次の選挙で国会の過半数の議席を占めればいい。簡単なことだ。そうした運動を興せるネットという政治装置も持っている。郵政選挙から二年半も経つのに、一向にそうした動きが出て来ないのはなぜなのか。志(こころざし)の高い人間はどうして出現しないのだろう。そしてそれ以上に、社会科学の研究者の中から日本の社会保障を守るために颯爽と立ち上がって指導者となる人間はなぜ出て来ないのか。どうしてマルクスになろうとする人間が現れないのか。体ごと新自由主義にぶつかって行く闘士が出ないのか。そのことが不思議でならない。国民が不幸になる状況を静観して合理化している人間ばかりだ。それはこうであれはこうでこれはあれでと現代思想のクズ言葉で脱構築ごっこして終わりだ。
脱構築ごっこは要らない。個人の趣味のBLOG日記も要らない。現実を変えるのだ。国の予算と法律を国会で変えるのだ。大事なことは現実を変えることで、現実を変革する組織に結集することで、そのためにネットを使うことだ。必要なのは、高い志と血判で団結した鉄の組織だ。理想を掲げて組織を引っ張る指導者だ。番組の中には多くの人間の嘆きと涙があった。介護保険の給付を削減され、週3日1日3時間だった介護サービスを1日1.5時間に縮減され、買い物に行きながら右半身のリハビリをしてしていた72歳の女性がそれをできなくなった嘆きの涙があった。釧路の母子家庭の母親が、高校進学した娘の入学金の金がなく、市役所に相談に来て机に伏して体を震わせる場面があった。嘆きと涙がある。『反貧困フェスタ2008』へ行ったときに、グッズを売っていたところでボランティアの人と二人でのみ込んだ嘆きと涙がある。この嘆きと涙を終わらせたい。総選挙の投票結果が出た時点で終わらせたい。あと1年と4ヶ月後には、嘆きと涙が地上からなくなるようにしたい。2200億円の予算など簡単に出せるはずだ。「持続可能な制度」の言説には嘘がある。
特殊法人や防衛費の予算浪費の無視があり、財政再建に回せる国家原資(ガス田と米国債)の無視がある。
【世に倦む日日の百曲巡礼】
2000年のヒット曲で 倉木麻衣 の 『Reach for the sky』 を。
NHKの朝の連続テレビ小説『オードリー』の主題歌。
この曲が入っている2枚目のアルバム 『Perfect Crime』 が倉木麻衣の最高傑作だと思う。
このとき18歳、現在26歳。
『名探偵コナン』の主題歌になった『Start in my life 』も『always』も素晴らしい。
毎週月曜の夜、アニメの『名探偵コナン』を見ていた。いい作品だよね。
倉木麻衣というと、私の中ではそのまま『名探偵コナン』に繋がる。
倉木麻衣の歌には、ベートーベンの『第九』的な印象がある。
苦難の中を通り抜ける者をやさしく助け支え励ますメッセージがある。
そして曲作りの才能は素晴らしい。
いい子だ。日本の宝だ。
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NC9の中国残留孤児帰還報道 - 日中友好に流された汗と涙と血
http://critic3.exblog.jp/8566499/
2008-05-10T23:30:00+09:00
2008-09-03T17:12:32+09:00
2008-05-10T14:12:43+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
1987年の T-SQUARE の 『TRUTH』を。 映像は1992年5月25日のモナコGPのバトル。
このレースは夜のフジテレビで実際に見ていた。セナとマンセルの歴史に残る一騎打ち。
あの頃、翌朝月曜の職場へ行くと、男たちは朝から昼休みまでF1の話題ばかりだった。
F1-GPは90年から94年までが最高に盛り上がった時期で、その主役はセナだった。
新車のプレリュードを買って嬉しそうに乗っていた男がいたね。
月に一回、日曜日の深夜に夜更かししてテレビを見る習慣は、
1994年5月1日のサンマリノGPを最後に終わった。
関心が消えた。あれから一度もF1を見ていない。
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反中プロパガンダ゙に狂奔するテレビ朝日とユネスコ憲章の警告
http://critic3.exblog.jp/8559764/
2008-05-09T23:30:00+09:00
2008-07-09T12:14:47+09:00
2008-05-09T11:43:11+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
1989年の 美空ひばり の 『川の流れのように』 を。
もうすぐ母の日。そして美空ひばりの命日が来る。
美空ひばりの歌の中で、この曲だけが特別に素晴らしい。
昭和の時代を追うように52歳で死去。日本は間もなくバブル崩壊。
1988年の東京ドームのコンサートがスポーツ新聞の1面に出ていたのを覚えている。
来年は二十回忌。
皆さん、親孝行しましょう。
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戦略的互恵関係 - 歴史問題を後退させたチベット問題の利害
http://critic3.exblog.jp/8553883/
2008-05-08T23:30:00+09:00
2008-05-18T17:48:25+09:00
2008-05-08T13:23:06+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
<![CDATA[
昨日(5/7)の日中首脳会談後に発表された日中共同声明では、両国は「戦略的互恵関係」の新局面を切り開くことになったと宣言され、マスコミも「戦略的互恵関係」の言葉を強調して何度も報道して解説していた。マスコミは「戦略的互恵関係」の意義を積極的に評価するが、これは本質を裏返せば、単に「都合のいいように相手を利用する関係」である。今回の日中首脳会談の政治がまさにそうだった。中国側の最大の関心はチベット問題と北京五輪で、欧州とは異なる日本のマイルドな対応を世界に見せることであり、この問題で国際的に孤立していないことを世界に示すことが訪日の目的だった。福田首相の口から記者会見で「この五輪は是非とも成功させてほしい。成功しなければいけません」の言葉が出たことは、中国にとっては大きなポイントで、世界の世論に与える影響は小さくない。
日本側の関心は福田政権の支持率で、今回の首脳会談で「中国に言うべきことは全て言って多くの譲歩を引き出した」演出で国内世論に訴え、外交評価の得点を稼ぐことが目的だった。首脳会談直後にネットに報道されたマスコミの記事は、いかにも官邸と外務省に誘導されたものばかりで、政府が今度の政治をどう国民にメッセージしたかったが伝わってくる。共同通信は「胡主席が日本の常任理入り肯定 中国首脳で初めて」という見出しの記事を会談直後に発信している。これが首脳会談と共同声明発表の後に共同通信が書いた最初の記事で、ネットで情報を待っている者たちの目に最初に飛び込んで来た。時事通信は、「福田首相、ギョーザ事件の解明要請」の見出し記事を最初にネットに出し、福田首相が国民の要望に従って、ギョーザ問題で中国側に強い態度に出たように演出している。
また、温室効果ガス削減問題についても、日本が提唱推進している「セクター別アプローチ」に中国の前向きな評価を引き出し、2050年にガス半減をめざす目標に中国の積極的な姿勢を表明させたことも得点だと夜のテレビ報道は評価を与えていた。最も大きいのは歴史認識問題で、これは単なる演出ではなく共同声明に書き込まれた点で重要だが、日本側の「侵略戦争に対する反省」が共同声明文書で扱われず、単に「歴史を直視する」という表現にとどまり、中国に対して反省を拒絶する現在の日本の国民世論に対して大きく得点を稼いだ外交となった。10年ぶりの国家主席訪日の席で、しかも靖国問題のために両国関係が不具合になった後の国家主席訪日の共同声明でありながら、そこに歴史認識問題への言及がなくなったということの意味は大きい。「戦略的互恵外交」の意義はまさにこの点にあり、歴史認識問題での中国側の後退と譲歩こそが決定的と言える。北京五輪と歴史問題を日中でバーター取引した。
この共同声明からの歴史問題の後退は、反中で固まったマスコミを喜ばせ、右傾化した日本の世論を喜ばせ、マスコミの提灯記事で福田政権の支持率回復に寄与するかも知れない。日本のマスコミは、この歴史問題が消えた「戦略的互恵関係」について、両国関係の成熟の証であるとか、未来志向の前進であるなどと意義をクローズアップする報道をしている。だが、昨夜のNHKのニュースでは北京市民のインタビュー映像が出ていて、「共同声明から文言が消えても問題は残っている」という言葉が返ってきた。歴史認識の問題から離れて未来志向の関係へという姿勢は、中国だけでなく韓国に対する外交でも同じで、日本が右傾化して靖国問題を始めとする歴史問題が噴出してから、騒動の後に外務省が小細工して体面を取り繕うその場凌ぎの東アジア外交を象徴するものである。問題は必ず噴火する。右翼政治家が政権の中心に座れば、靖国問題が再浮上して「戦略的互恵関係」や「未来志向」の言葉を一瞬で無意味化するだろう。
互いに都合のいいように相手をうまく利用する。外交の観念には本来的にそうした利益の取引だとか利害の妥協だとかの意味がある。それこそが国家間の外交の本質で、原理的な立場に立たずにその場その場の利得を冷静に計算するのが外交だという考え方がある。そうした外交論で現在の政府の日中外交や日韓外交を合理化し正当化する認識や主張が正論になっている。しかし本当にそうだろうか。日本の国民と国民、そして国家と国民の関係の基本契約として憲法がある。憲法は国家と国民を原理的に拘束する。日本国憲法には哲学があり、それは平和主義の理想である。日本国民はその哲学の上に立っている。国家と国家の間にも基本関係を定める憲法はある。日本と中国の間にある基本法は72年の日中共同声明である。ここには哲学がある。どれほど時間が経っても、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」の原点は消えないし、そこへ立ち戻るように日本の政府と国民は要請される。
二国間関係や外交はゼニカネの問題のように見えて、実は本質的には哲学の問題なのである。没価値的なフラットな利害調整のように見えて、実は思想的原理的な拘束性から逃れられない世界である。なぜならそこに両国間の歴史があるからだ。現在は過去の積み重ねの上にある。本当なら、中国の国家主席が訪日したこの機会に、小泉純一郎による靖国参拝の暴挙を反省し、靖国参拝が72年の日中共同声明に対する違約行為であった事実を日本側が率直に認めて謝罪するべきだった。そういう日中首脳会談にするべきだった。ところが、チベット問題の国際政治の浮上があり、中国側に人質としての北京五輪があり、残念ながら靖国問題を謝罪して信頼回復する外交にはならなかった。逆に歴史問題に蓋をして相互に利用する「戦略的互恵関係」の外交になった。靖国問題は曖昧なままで、将来の日本の首相が参拝する可能性は残されている。共同声明の文言から歴史問題が後退したことは、靖国問題に対する日本側の縛りが緩くなったことを意味するだろう。日本国民として歓迎すべきことではない。
以上が「戦略的互恵関係」の政治について感じたことで、この没理念的な二国間のテーゼは、歴史問題の再噴出によって遠くない時期に有名無実化と再検討の憂き目を見るだろう。最後に少し意外だった点として、福田首相が北京五輪開会式への出席を確約しなかった問題がある。これは小さくない問題だ。北京五輪の成功を支援する立場をあれほど強く強調しながら、なぜ開会式出席については明言を避けたのだろう。ブッシュ大統領と李明博大統領は参加で方針が固まっている。福田首相の開会式出席を躊躇させる要素は特に何もない。考えられる理由は二つあり、これをカードとして残して、洞爺湖サミットまでにさらに温室効果ガス排出問題で中国側の譲歩を具体的に引き出すという思惑が一つ。東シナ海ガス田の交渉が妥結寸前まで行っていて、切り札としてこれを使うという戦術もある。国家主席訪日までに詰め切れなかった課題は多くあり、これからが日中外交の本格的な再始動だという考え方もある。両国外務省の事務レベルはそういう感覚だろう。
もう一つの可能性は、サミット後に福田首相が辞任するため五輪開会式参加できないという政局である。数日前の政局記事で、福田首相が森喜朗と青木幹雄の二人に会い、解散はしない旨を正式に約束したという報道があった。解散はしない。支持率が一桁に下がっても解散しない。問責決議案を出されても解散しない。これは辞めるというコールサイン以外の何ものでもないだろう。自民党の山崎拓が二日前の「報道ステーション」に映像で出て、現在の自民党内の空気を披露していた。誰が総理大臣になっても選挙で自民党は単独三分の二の議席を割る。三分の二を割るのは確実だからポスト福田は無意味である。そのように言っていた。だが、三分の二割れが確実でも、その後の政界再編を睨めば、現職の自民党議員としてはなるべく票を多く取れる総理の方がいいに決まっている。落選したくない。福田首相よりも一票でも多く取れる麻生太郎を担ごうとするだろう。福田首相は、自分の手で解散総選挙はやらない。サミット後に辞めるか、それを凌いでも秋の総裁選で辞める。
北京五輪開会式出席を確言しなかった理由は、8月に首相の座にいる可能性がきわめて小さいからである。
【世に倦む日日の百曲巡礼】
1984年の曲で中森明菜の『飾りじゃないのよ涙は』。
映像は1990年の12月。やっと掘り出した。ずっとこの感じの映像を探していた。
中森明菜は90年代が圧倒的にいい。
大人の女になり、妖艶で蠱惑的な女になり、
日本の歌手の中で最高のビジュアル・パフォーマンスを見せていた。
それをテレビで見ることができるのは、年に一回あるかないかだった。
いま43歳。容姿はまだ衰える年ではないけれど、歌の方はどうだろう。
花の命ははかなく短い。
ついでに『ミ・アモーレ』を。 この曲、いいよね。
1985年の日本レコード大賞曲。
この頃の日本人が何を求めていたのか、どこからどう変わろうとしていたのかよくわかる。
経済大国の頂点に立った日本人の内から噴出する欲望と誘惑。
心の解放とデカダンス。
バブル崩壊まであと6年。
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中国国家主席の訪日とチベット亡命政府の戦略 - 独立と自治
http://critic3.exblog.jp/8547038/
2008-05-07T23:30:00+09:00
2008-05-08T22:33:03+09:00
2008-05-07T12:21:17+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
沖縄民謡で夏川りみの『てぃんさぐぬ花』を。
暑くなってきた。今日の東京は夏の天気だった。今年も去年のようになるのだろうか。
てぃんさぐの花を爪先に染めて美しくするように
親の教えは心に染めなさい。
蒸し暑くなって、夜も半袖でよくなると、ゴーヤのチャンプルーが食べたくなるね。
晩酌の酒も欧州産安ワインからチェンジして琉球古酒と黒糖焼酎へ。
「琉球王朝」と「奄美の杜」を、一日おきにロックアンドウォーターでがぶがぶと。
ジョッキは大きめ半透明ブルーの琉球グラスで。
ウォーターはこちらをお奨め。スーパーで売ってますのでお試しを。
「民族の自由と独立ほど尊いものはない」のは沖縄だって同じだ。
奄美だって同じだ。
米軍基地負担を沖縄県民に推しつけている日本人がチベットの人権問題を言えるのか。
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胡錦濤訪日を妨害する右翼 - 東シナ海ガス田問題と靖国問題
http://critic3.exblog.jp/8533869/
2008-05-05T23:30:00+09:00
2008-05-07T18:07:25+09:00
2008-05-05T13:07:43+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
今日は子どもの日。1971年の橋幸夫の『子連れ狼』を。
若山富三郎の映画は1972年、萬屋錦之助のテレビは1973年。
小池一夫原作・小島剛夕画で「漫画アクション」に連載。
単行本になったものを田舎の貸本屋で借りて、受験勉強の合間に読んでいた。
この作品や曲は、漫画やテレビを見ていた当時もよかったが、
それ以上に、大人になってからの方が、何とも言えない感動の余韻が心の底で疼く。
大五郎の存在と配置が素晴らしく、小島剛夕の描いた大五郎の絵がかわいい。
拝一刀と大五郎。この二人のシチュエーションに胸が熱くなる。
最終回、物語の結末は強烈で、涙が出て仕方がなかった。
小島剛夕は2000年に他界。
『子連れ狼』は日本の不滅の名作。
古典となり、『忠臣蔵』のように何度も何度も永遠にリメイクされ続けるだろう。
日本の侍(サムライ)は素晴らしい。日本の男の子はかわいい。
日本の男はこうでないと。日本の男の子はこうでないと。

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四度目の憲法記念日に - 朝日新聞は小尻記者の霊と向き合え
http://critic3.exblog.jp/8521923/
2008-05-03T23:30:00+09:00
2008-05-10T18:53:46+09:00
2008-05-03T15:06:23+09:00
thessalonike4
憲法 ・ 皇室
<![CDATA[
今日は憲法記念日。新聞を読むと、各紙の世論調査で改憲賛成派が減少して護憲派が増えている事実が紹介されている。昨年7月の参院選挙で憲法改正を掲げる安倍自民党が大敗した後遺症が尾を引いているはずで、改憲を前面に出しすぎると国民に警戒されて票が逃げるという意識が政治家とマスコミの間に働き、安倍内閣当時のような改憲プロパガンダを全開せず、洗脳シャワーの栓を絞ったことが数字に影響している。3年前を思い出すと、ネットの中には護憲を主張するBLOGなど皆無だった。あれから状況はずいぶん変わり、今では護憲派の看板を出しているBLOGが無数にある。護憲を掲げるBLOGは増えたが、それらが果たして国民の世論に影響を与えているかどうかはきわめて疑わしい。実際には、現在の改憲派の後退は一時的なもので、無能で無責任な安倍晋三のマイナスシンボルのダメージのために、勢いを殺がれた改憲派が態勢の立て直しのために雌伏しているだけに過ぎない。
新しいシンボルが立てば改憲勢力は必ず攻勢に転じる。麻生太郎が新総理に就任すれば、内閣支持率は急角度で上昇し、麻生太郎が政権公約する憲法改正への世論の支持も一気に高まることだろう。世論の数字など所詮はその程度のもので、マスコミ報道が誘導するままにフラフラと簡単に変動する。マスコミが改憲で固まった以上、護憲はネットで声を上げるしかない。その声を世論に響かせる力にするしなかい。そう思い、3年前から懸命にネットで声を上げ、護憲派の政治勢力の結集を訴え、社民と共産は一つの政党に合同して選挙で護憲票の受け皿になるように呼びかけてきた。しかし、二つの政党は全く動かず、あれから国政選挙は二度あり、間もなく三度目があるけれど、勢力結集の動きは微塵もない。そういう呼びかけをするBLOGもない。逆に、護憲派の勢力の結集を訴えたブログは、ネット左翼から凄絶な誹謗中傷攻撃を受け、悪意に満ちた揶揄と罵倒と侮辱を浴びせられて袋叩きにされる災難に遭った。
マスコミに対抗する言論の拠点をネットに築こうと考えた私の認識と判断が間違っていたのだろうか。単に人を引きずり降ろして自分が上に立ち、自己を目立たせたいだけの狭小な人間や、護憲のイデオロギーで同類項を呼び集めて小さな和みサークルで群れ合うだけの人間ばかりがそこにいる。本気で政治を変えようとする主体をネットの中に見出そうとした戦略は根本的に誤謬だったのだろうか。来し方を見つめれば、溜息ばかりが出る憲法記念日に、ようやく朝日新聞の社説だけは気分を軽くしてくれるものだった。今日の朝日新聞の社説は非常にいい。朝日新聞らしい。醒めた理性と知性がある。これが朝日新聞だ。誰が書いたのか分からないが、日常の記事もこのような護憲の精神に沿って書いてもらえないだろうか。朝日新聞は社説もぶれが大きく、記事に基本精神が欠けている。せめて「醒めた理性と知性」だけは最後まで捨てずにいてもらいたいが、昨今の中国報道は様式も中身も産経新聞と完全互換で、私を苛立たせ狼狽させる。
「民主主義の社会では、だれもが自分の思うことを言えなければならない。憲法はその自由を保障している。軍国主義の過去を持つ国として、ここはゆるがせにできないと、だれもが思っていることだろう。だが、この袋にも実は穴が開いているのではないか。そう感じさせる事件が続く。 名門ホテルが右翼団体からの妨害を恐れ、教職員組合への会場貸し出しをキャンセルした。それを違法とする裁判所の命令にも従わない。 中国人監督によるドキュメンタリー映画『靖国』は、政府が関与する団体が助成金を出したのを疑問視する国会議員の動きなどもあって、上映を取りやめる映画館が相次いだ。 インターネット社会が持つ匿名性は『両刃の剣』だ。多数の人々に個人が自由に発信できる世界を広げる一方で、無責任な書き込みによる中傷やいじめ、プライバシーの暴露が、逆に個人の自由と人権を抑圧する。 こうした新しい現実の中で、私たちは自由と権利を守る知恵や手段をまだ見いだしていない」。
今日の社説は、憲法の問題は9条だけでなく25条の問題もあるのだという主張だが、結語を置く前に「言論の自由」の問題にきちんと触れている。この社説は構成がいい。構成がいいだけでなく、日本における「自由権」の問題に触れているところが秀逸だ。生存権も危機的状態だが、自由権も危険な状態にある。そのことを正しく衝いている。憲法が保障している国民の基本的人権が根こそぎ危機にある状況を浮かび上がらせている。そして私は朝日新聞に言いたい。私が現実に感じるところを率直に言えば、9条の問題はまさに言論の自由の問題そのものなのだ。両者は不可分で、9条に危機が迫れば迫るほど、そのときは言論の自由が侵されている状況になっているのである。この実感について朝日新聞にも共通の認識を持ってもらいたい。問題は具体的なのだ。この朝日の記者が書いているように、言論の自由の危機とは、映画「靖国」の問題であり、プリンスホテルの日教組へのキャンセルである。朝日の記者はいいところを衝いている。憲法の問題を見逃していない。そのとおりだ。だが、そこからよく考えて欲しい。
映画「靖国」の問題や、ホテルのキャンセルの問題は、まさに9条の危機の問題と同じではないのか。構造として実体として一つではないのか。9条を改正しようとする勢力が、映画「靖国」の上映を中止させるべく映画館に圧力をかけ、日教組の集会を妨害するべくホテルに圧力をかけたのではないのか。これは単純な「言論の自由」の侵害の問題ではなく、まさに9条の危機と一体の問題であって、憲法問題として一つの問題なのである。この社説の書き方だと、論理的な構成のためではあるけれども、9条の問題と自由権の問題が別々の問題のように配置されている。9条の問題が特殊なイデオロギーの問題であるかのような仮象で浮かび上がらされている。9条を守ろうとする立場が自由権を守る立場と無関係であるような操作が論理構成に埋め込まれている。それは違う。9条を改正しようとする勢力が権力と暴力を使って言論の自由を侵すのである。自由な言論を奪いながら9条を変えようとするのであり、9条を変えることでさらに国民の言論の自由を奪って行くのである。両者は不可分一体の問題なのだ。直近の現実としては映画「靖国」と日教組の問題がある。
だが、朝日新聞の社説は何も触れてないが、本当はもっと大きな問題があった。それは6年前からの北朝鮮拉致問題であり、拉致問題に関連しての在日朝鮮人に対する異常な迫害と人権侵害であり、拉致問題報道についての報道機関への圧力である。これこそ最近の日本における「言論の自由」侵害の最大の問題であったはずだ。従軍慰安婦問題で報道に圧力をかけた勢力や政治家も、北朝鮮拉致問題で報道に圧力をかけた勢力や政治家も、映画「靖国」で映画館に圧力をかけた勢力や政治家も、全く同じ人間たちだった。そして、朝日新聞もブログ左翼も見落としている点だが、ここ数年、改憲世論が勢いを増して9条改正に賛成が反対を上回ったのは、空気を染める決定的な要因として、そこに拉致問題があったからである。あの無能な安倍晋三が総理大臣になれたのも拉致問題があったからだ。拉致問題の報道と狂騒と思考停止があったためだ。家族会の絶叫とそれを報道するマスコミのプロパガンダのシャワーがあったからだ。家族会と救う会は日本の世論を北朝鮮との戦争に導き、9条を捨てるように毎日国民を折伏した。あの無能な安倍晋三を救国の英雄に押し上げたのは誰だったのか。
言論の自由を守ろうとすれば9条を守らなくてはならないのである。そして言いたい。ヒルとライスが米国外交の主軸となり、ラムズフェルドとアーミテージが外れて、ようやく日本の政権はマスコミにファナティックな対北朝鮮戦争誘導報道を減らすように指示するようになった。シャワーが減って拉致問題の熱は急速に冷め、9条護憲の世論が復活するようになった。しかし、9条を改正したい側は北朝鮮拉致問題に続く第2弾を用意していて、それが今度の北京五輪とチベット問題である。拉致問題も、朝日新聞やネット左翼が右翼の誘導に幻惑され便乗して共闘しなければ、あれほど国民的に泥酔した熱狂翼賛世論にはならず、改憲世論も盛り上がることはなかった。9条改正に反対する左翼が右翼の尻にくっついて、右翼と声を合わせて「拉致被害者救出」を叫ぶのは、観念倒錯と自己欺瞞のなせる業である。それは9条改正の声を上げているのと同じだ。そして言論の自由を自縄自縛する行為だ。同じ問題なのである。北朝鮮拉致問題も、靖国問題も、米軍基地問題も、チベット問題も。同じ問題なのだ。北朝鮮と日教組と中国を攻撃する中心にいる人間たちは、靖国を擁護し9条を改正しようとする人間たちである。
朝日新聞に言いたい。朝日新聞は、今回、憲法記念日に合わせた憲法特集報道を憲法25条に焦点を合わせ、ワーキングプアの問題を紙面に取り上げたが、これは朝日新聞の憲法報道としてお茶を濁す態度ではなかったか。なぜ阪神支局襲撃の原点に触れなかったのか。なぜ右翼に殺された小尻記者の霊とまっすぐ向き合う報道を避けたのか。私が代わりに答えよう。それは変節と転向を巧く隠蔽するためだ。目を背けるためだ。チベット問題の報道で産経新聞と同一論調の記事を書くようになった朝日新聞は、気まずくて小尻記者と顔を合わせられないのである。これから胡錦濤主席が来日し、朝日新聞はさらに激烈に中国批判の記事を書かなくてはいけない。右翼が喜ぶ方向へ記事の論調を傾斜させなくてはいけない。それは右翼に散弾銃で虐殺された小尻記者の霊が許さない方向である。だから、朝日新聞は、改憲化した自己を護憲的に自己演出して騙すために、今年は25条のワーキングプア問題にフォーカスしたのである。自己欺瞞としての25条報道なのだ。小尻記者が殺されたときのことを私は覚えているが、朝日新聞はあの事件の後に社員一同で固い決意をしたはずである。何を守り何と戦うかを世間に誓ったはずである。
その朝日新聞はどこへ行ったのか。朝日新聞は護憲の立場を宣言せよ。小尻記者の霊と向き合え。誰が自分たちに銃弾を放ったかをもう一度思い出せ。チベット問題と北京五輪問題で右翼と歩調を合わせる偏向報道をやめよ。日中友好の立場に立て。チベット報道を第二の北朝鮮拉致報道にするな。
2005年
■憲法は革命の瞬間に生まれる - 改憲の現実性は有事下のみ
■改憲阻止を世界の世論に - 人類史の到達点としての平和憲法
■改憲と有事 (1) - 憲法改正のイマジネーションとシミュレーション
■改憲と有事 (2) - 自作自演のテロ戦争と徴兵制による思想統制
■憲法9条を守る政治戦略 - 唯一の隘路としての護憲新党
■共産党は小選挙区票を民主党に流せ - 社民と共産は合同せよ
2006年
■日本国憲法をめぐる一年間の政治 - 護憲新党と世界署名運動
■丸山真男 「憲法第九条をめぐる若干の考察」(64年)を読み返す
■憲法記念日の憲法報道 - 朝日新聞世論調査と「九条の会」サイト
■ネット企画としての5・3憲法デイ - 平和憲法のエバンジェリズム
■ビッグネ-ム・オルグ - 村上春樹・宮崎駿・中田英寿・宇多田ヒカル
■中島みゆきに九条の歌を - 小沢征爾をA9国際運動の指揮者に
【世に倦む日日の百曲巡礼】
2000年の中島みゆきの名曲『ヘッドライト・テールライト』を。
同年に放送が始まったNHKのドキュメンタリー番組のエンディング・テーマ。
ブログを開設して四度目の憲法記念日に、
1987年に右翼に虐殺された朝日新聞の小尻記者に捧げる。
合掌。
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田中優子の問題発言 - 「チベットは一度独立してたんですよね」
http://critic3.exblog.jp/8515387/
2008-05-02T23:30:00+09:00
2008-05-04T21:22:15+09:00
2008-05-02T14:19:26+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
1980年の喜多郎によるNHK『シルクロード』のテーマ曲を。
この音楽と番組は最高だった。NHKの古典中の古典。不滅の傑作。
4WD車を連ねて河西回廊と天山南路を移動するNHK取材班が羨ましかった。
番組冒頭のタイトルバックに黒いチャドル姿の美しい女性がアップで出ていたね。
西安の城壁の西門がシルクロードへの出発点の玄関で、
そこには天皇陛下が立ったお立ち台があり、日本人観光客に必ず案内される。
この映像は一昨年新しく制作放送された『シルクロードⅡ』のもの。
青蔵高原と青海湖が出てくる。行きたい。
青海省出身の人と一人だけ出会ったことがある。
丸顔で、いかにも田舎出身っぽくて、北京のブルジョワ嬢とは全く雰囲気が違っていた。
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田原総一朗の中国バッシング - 朱建栄に対する狡猾な言論妨害
http://critic3.exblog.jp/8509319/
2008-05-01T23:30:00+09:00
2008-05-08T11:35:00+09:00
2008-05-01T16:33:40+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
<![CDATA[
7年前の5月1日、私は北京空港から成田に戻ってきた。その日は、偽造旅券で不法入国した金正男が成田から国外退去になった日で、処分を差配したのは外相に就任したばかりの田中真紀子だった。金正男は私と入れ替わりに北京へ飛び、二人は黄海上空ですれ違っていた。田中真紀子が外相に就任したのは、その5日前の2001年4月26日。第一次小泉内閣のときだった。私が中国に降り立ったのが同じ4月26日で、宿舎のテレビのニュースで小泉内閣誕生の映像を見た記憶がある。中国の人たちは、新しく誕生した小泉政権に大きな期待を寄せていた。その前の森政権のとき、国旗国歌法の成立や周辺事態法の成立や「神の国」発言があり、日本は極端に右傾化し、自由主義史観運動の毒々しい興隆があり、右翼マンガのブームがあり、中国の人々、特に改革開放時代に日本と深い関係を持ってきた日本語を話すエリート層の人々は、日本の右傾化を心配し、日中友好の稀薄化と形骸化に心を傷めていた。
そのとき、中国の人々が小泉新政権に期待を寄せた理由として、外相に田中真紀子を起用した組閣が大きかった。反中右傾化の度を深めて行く日本の状況を何とか食い止めて欲しいと願い、田中真紀子に希望を託していたのである。彼らは私にこう言った。「日本が右傾化したのは、きっと経済が悪くなったからですよ。でも、バブル崩壊から時間も経ったし、必ず日本経済は立ち直ります。経済がよくなったら日本はまた元の正常な状態に戻って、今のような酷い右傾化はなくなるでしょう。小泉さんは改革をすると言っているから、私たちは小泉さんに期待しています。日本経済に早くよくなって欲しい」。この話は嘘ではなく、作り話でもなく、私が実際に中国で聞いた言葉だ。日本語で聞いた言葉だ。絶対に死ぬまで忘れない言葉だ。その言葉に対して私がどう返事したかは、2年前のブログの記事で書いた。そして小泉内閣の5年間があり、現在の日中関係がある。読者はこの上の言葉を噛み締めて欲しい。そして歴史の皮肉と残酷さに思いを馳せて欲しい。
4月27日のテレビ朝日の「サンデープロジェクト」に、久しぶりに朱建栄が出演していた。3年前の「反日デモ」のとき以来の姿である。朱建栄は「反日デモ」のとき、エキサイトのBLOGを開設して情報を発信していた。あれから閉鎖したのだろうか。探したが見つからなかった。「反日デモ」のときは朱建栄と葉千栄がよく頑張った。ファナティックな反中狂騒一色で染まった日本の政治番組で、獰猛で暴慢な日本のマスコミ右翼の怒声と咆哮を浴びながら、日本語の能力を駆使して中国の立場を弁明していた。「世に倦む日日」が政治の記事に注力し始めたのは「中国の反日デモ」が直接の契機である。それまでは本と映画の話題が中心の趣味のブログだった。目立たない方がよく、アクセス数も少なくてよく、気の合う人に読んでもらうのが目的で、トラックバックを精力的に送信したりもしなかった。「中国の反日デモ」以来、方針を変え、なるべく多くの人に読んでもらうように努力するようになった。それは、マスコミだけでなくネットの中も狂暴な嫌韓反中右翼一色に染まり、マスコミ以上にネットの中が反中反共イデオロギーで充満して轟然としていたからだ。日中友好の立場に立ったBLOGは本当に一個もなかった。
朱建栄は1957年生まれで今年51歳だが、文化大革命のときに下放の経験がある。「ワイルドスワン」のユン・チアンと同じ。年齢を考えれば、文革末期と思われるが、BLOGの中で朱建栄は自身の下放体験について短く語っていた。私が田舎の映画館で女の子と『エマニエル夫人』を見ていた頃、朱建栄は長江下流にある中洲の島の農村で下放生活を送っていた。4/27の「サンデープロジェクト」では、米戦略国際問題研究所の渡部恒雄と田原総一朗と3人の討論だったが、例によってと言うべきか、本来は司会で中立であるべき田原総一朗が、なりふり構わず獰猛に朱建栄に襲いかかり、朱建栄が論理的な説明で反論するのを声を荒げて途中で遮り、自分だけが討論の進行を独占して反中プロパガンダを吠えていた。渡部恒雄は田原総一朗の横に寄り添い、田原総一朗に庇護してもらう格好で、喋るときもまともに朱建栄の方を見ず、専ら保護者の田原総一朗に向かって何かブツブツと垂れていた。この不細工な男は何者なのだ。ルックスも最悪、トークも最低。とてもテレビに出れるような人間ではない。米戦略国際問題研究所とは一体何なのだ。親の七光りと田原総一朗のコネ以上に、米資と電通の差し向けなのだろう。
しかし、これほど無能でルックスバッドな男が出ては、反中情報工作のプロパガンダも全く効果が上がらない。結局、朱建栄と渡部恒雄ではまともなディベートの勝負にならず、田原総一朗が朱建栄の説明に途中でオブストラクションを入れて無理やり遮断、一方的に話題を変え、朱建栄の説明を視聴者に聞かさないように悪質な討論妨害を繰り返していた。田原総一朗の手法は狡猾で、「チベットは独立していた」という田原総一朗の発言に対して朱建栄が歴史的根拠を提示して反論すると、「もう昔の話はいいから大事なのは今の話で」と喚いて朱建栄の反論を強引に中断させ、今度は、3/10から3/14までの暴動の事件詳細について朱建栄が説明を始めると、「そんなこと言ったって共産党がチベットを弾圧したから」と話を混ぜっ返して3月の暴動の事実検証の議論を潰す。それに応じて朱建栄が「解放」前チベットの奴隷制や僧侶の特権支配の歴史を説明し始めると、またぞろ「昔の話をしたって仕方がない」と切り捨てて話の腰を折る。結局のところ、朱建栄にはまともな説明をさせないのだ。させる気がないのだ。朱建栄を叩くという田原総一朗のシナリオがあるだけなのだ。討論を偽装した中国バッシングであり、視聴者を反中へ誘導するのが番組の目的なのだ。
無意味な反中宣伝番組だったが、それなりに収穫はあった。米戦略国際問題研究所の研究員の立場の渡部恒雄は、3月のチベット暴動の真相について「ブラックボックスですよね」と小さく言い、実際のチベット人犠牲者の数が何名なのか、何が発端で誰の責任で事件が発生したのか、自らの立場で責任を負って明言することができなかった。チベット亡命自治政府は、この4/27の討論の時点では、チベット側の犠牲者数は140名(4/30の最新の発表で203名)と言っている。だが、朱建栄はこの発表に対して中国政府の公式見解で反論、「140名のうち氏名が出されたのが50名、氏名と住所が示されのが5名、そのうち4名は生存、1名は該当者なし」の当局調査結果を示したが、渡部恒雄はこれに対して何も反論を返すことなく「ブラックボックス」を繰り返した。犠牲者140名(現在203名)の数字は本当にどこまで信用できるのか。この数字の出所は、米政府系ラジオ放送局「自由アジア」と米国に拠点を置くNGO団体「チベットのための国際キャンペーン」である。朱建栄も「米政府系の団体が最も情報を持っている」と言っていたが、この米政府系ラジオ局とNGO団体の提供する情報は果たしてどこまで信憑性があるのか。世界と日本のマスコミはその情報を検証しようとする態度がない。
中国が世界のメディアをチベットに入れないから中国の発表は信用できないという主張は理解できる。だが、それなら、米政府系ラジオ局や米国拠点NGOの発表はどうして事実であると無条件に信用できるのか。せめて、中国側の反論に対する再反論を米政府系ラジオ局やNGO団体に求めるべきで、4名が生存していたとする中国側の発表にどう反論するのか、残り135名の名前と住所は発表しないのか、それを聞き質してもよいのではないか。それ以上に、私にとって不可解なのは、現地情報を持っている米政府系ラジオ放送局とNGO団体の人間が表に出ないことである。プレス発表はダラムサラのチベット亡命自治政府が行っている。情報を持っている人間が裏に隠れてないで表に顔を出すべきだ。それができないから、彼らは根拠を明瞭に示せないから、渡部恒雄をして「ブラックボックス」と言わしめているのだろう。田原総一朗やマスコミは、犠牲者数を含めた事件の真相が不明である責任を中国政府の非公開の体質や政策だけに求めているが、情報についての責任は一方の当事者である米政府系ラジオ局やNGO団体にもあるはずで、万が一、彼らが政治目的で意図的に虚偽の情報を流していたのであれば、これは重大な国際問題であり、その非を糾弾されて然るべきだろう。責任者が表に出て堂々と話をするべきだ。
そう言えば、亡命自治政府が昨日4/30に「犠牲者203名」の最新情報を発表したが、日本のテレビのニュースでその情報を取り上げて報道した番組はなかった。暫定税率復活でそれどころではなかったというのが実情だろうが、この問題の関心が、チベット暴動を離れて、北京五輪ボイコットと中国のレジームチェンジへと関心が移動させられている報道の実態が分かる。チベットは単なる材料の一つであり、狙いは国民世論を中国バッシングへ斉一化することである。日本では胡錦濤主席の来日に向けて、ありとあらゆる中国関連情報を中国バッシングの材料に動員する動きが固まっていて、上野動物園にパンダが来るという情報でさえも、中国の謀略外交だから警戒せよという表現とメッセージで伝えられるようになった。中国は北朝鮮と同じ扱いにされ、嫌悪や侮辱や罵倒が投げつけられる悪の存在になっている。6年前の北朝鮮の「喜び組」報道の前夜と同じ思想環境になっている。日中友好の立場を守ろうとする言論人がいない。日中友好こそが日本の21世紀の要だと考える人間がいない。中国に挑発を仕掛け、日中関係を冷戦に持ち込もうとする人間ばかりだ。20年前を振り返れば、そういう主張をしていたのは右翼だけだった。マスコミを含めて日本中が狂暴無頼な反中右翼になり、私だけが20年前の日本人と同じ日中友好を言っている。
不思議な光景だ。20年前に較べれば、中国のシステムは先進国とコンパチビリティを増しているにもかかわらず。
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張景子への青山繁晴の罵倒と恫喝 - 朝日新聞の産経新聞化
http://critic3.exblog.jp/8501792/
2008-04-30T23:30:00+09:00
2008-12-01T13:24:28+09:00
2008-04-30T13:34:19+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
1974年にヒットしたフランス映画『エマニエル夫人』のテーマを。
懐かしさいっぱいの音楽と映像。
いわゆるソフトコア映画として話題を呼びブームに。
美しくかわいかった主演のシルビア・クリステル、元気だろうか。
上映された当時、
「男の子と一緒に見に行った」実績を作らなければいけない市場の強迫観念があり、
その需要のおかげで、お誘いの声をかけてもらった幸運な思い出がある。
フランス映画には必ずパリの白い街が出てきて、それが何とも素敵に見えた。
この頃、中国は文化大革命の後期、韓国は朴正熙の軍事政権。
この映画の思い出を語れるのはアジアでは日本だけ。
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山口2区補選結果と後期高齢者医療制度 - 「廃止法案」の欺瞞
http://critic3.exblog.jp/8488125/
2008-04-28T23:30:00+09:00
2008-05-01T08:42:38+09:00
2008-04-28T14:07:32+09:00
thessalonike4
ガソリン国会と後期高齢者医療
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
1971年の Three Dog Night の 『An Old Fashoned Love Song』 を。
哀愁漂うオルガンのイントロとロマンティックなバラードが懐かしい。
3DNはシカゴと並んで民主党支持の旗幟鮮明な米国のロック・グループだった。
『Black And White』 などいかにもそれらしいテーマの曲。
対して共和党を支持していた保守派の筆頭格がカーペンターズの兄妹。
しかし、保守化とか右傾化というのは日本だけの出来事じゃないよね。
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世界に日本のオペレーション・エクセレンスの水準示した長野聖火リレー
http://critic3.exblog.jp/8480795/
2008-04-27T23:30:00+09:00
2008-05-13T22:53:50+09:00
2008-04-27T12:58:31+09:00
thessalonike4
チベット暴動と北京五輪
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【世に倦む日日の百曲巡礼】
1998年の長野五輪開会式での小澤征爾指揮によるベートーベンの『喜びの歌』
この映像と演出は素晴らしかった。日本が世界に誇るモニュメンタルなスペクタクル。
五大陸六都市(NY、北京、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結んで同時大合唱。
こんな壮大なプロジェクトを企画してプレゼンテーションできる金と力が日本にあった。
確か大陸間の通信時差で音がコンマ数秒ズレるから補正をどうのという技術の話があり、
なるほど日本らしいハイテク応用の文化演出だと世界を納得させていた。
あの頃の日本に帰らないといけない。グローバリズムの前のハイテクの日本へ。
カジュアルな服装のアフリカ人が体をゆすりながらコーラスする「第九」が印象的だった。
小澤征爾は旧満州の奉天(瀋陽)の生まれなんだね。
中国政府に招聘されて中国の音楽家の指導もしている。
今度の問題を小澤征爾はどう思っているのだろうか。欧州にガツンと発言して欲しい。
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