【2020年・上半期ベストアルバム】
・2020年上半期に発表されたアルバムの個人的ベスト20(順位なし)です。
・評価基準はこちらです。
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322
個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。
個人的に相性が良くなくあまり頻繁に接することはできないと判断した場合は、圧倒的にクオリティが高く誰もが認める名盤と思われるものであっても順位が低めになることがあります。以下のランキングは「作品の凄さ(のうち個人的に把握できたもの)」かける「個人的相性」の多寡を比べ並べたものと考えてくださると幸いです。
・これはあくまで自分の考えなのですが、人様に見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。
(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)
たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。
以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。
・いずれのアルバムも10回以上聴き通しています。
[上半期best20](今回は順位なし:アルファベット音順)
赤い公園:THE PARK
例えば2曲目「紺に花」を聴くと自分は10代~20代前半の学生がカラオケで爽やかに盛り上がっている姿を想起するのだが、これは皮肉でもなんでもなく本当に素晴らしいことなのだと思う。赤い公園は非常に豊かな音楽的バックグラウンドを持ったバンドで、スティーヴ・アルビニ録音作のように荒れ狂うギターやMOTORHEAD的に硬く分厚いベースが「なんでそんな動きをする??」感じのフリーキーなフレーズを多用するのだけれども、それらはアレンジの一要素として自然に収まり機能していて、全体としてはあくまで親しみやすく煌びやかな歌ものになっている。エキセントリックなアイデアをつぎ込みまくっていても捻くれた感じは薄く、深い屈託を湛えつつ衒いなく明るく弾けることができてしまう。こんな形で王道J-POP感を発揮し表現上の強みにしてしまえるバンドは滅多にいないし(これは良い意味でオーソドックスな安定感のあるドラムスによるところも大きいかも)、それはメジャーデビュー後8年に渡る試行錯誤を経たからこそ到達できた境地でもあるのだろう。石野理子の信じられないくらい素晴らしいボーカルもそうした立ち位置や雰囲気表現に完璧に合っている。全曲良いしアルバム全体の構成も見事な傑作です。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1250361403048734721?s=21
Ambrose Akinmusire:on the tender spot of every calloused moment
フリー寄りの手法を援用した現代ジャズで大部分がインストなのだが、アルバム全編を通して明晰で饒舌な雰囲気表現がなされていて、曲展開や演奏質感の変化で微細なニュアンスを描き分けつなげていく構成が非常にうまくいっている。楽曲の各パーツが参照しているのだろうジャンル語法や曲名の意図するところを考えながら聴き込むことで初めて見えてくる論理展開があるように思われるし(それをあえて言葉にせず音で説明しているのが醍醐味といえる音楽)、そういうことを考えずに聞き流してもミステリアスな短編映画を観通したような満足感を得ることができる。関連情報を調べつつ丁寧に読み込みたいと思えるアルバムです。
ENDRECHERI:LOVE FADERS
2018年のサマーソニック出演で存在を知りそこから約2年かけて全作品を聴いてきた自分の印象は「アンサンブルの強度やグルーヴ表現力は世界的にも超一流だけれども作編曲に関してはオーソドックスなファンク形式を尊重しすぎていて個性を飛び立たせきることができていない、それが実にもどかしい」という感じだったのだが、本作ではその問題がほとんど解消されているように思う。伝統的ファンクを意識している部分はやはり多いけれども一聴して確かな個性があることが伝わるようになっているし、聴き込んでいくと面白く強力なフレーズが次々に見えてきてその都度唸らされる。複雑に絡み合った知恵の輪を解きほぐすと名リフがわらわら湧いてくるような音楽で、それがこの超強力なバンドや堂本剛の素晴らしいボーカル(過去作の時点で唯一無二性が備わっていたのはこの声があったから)により具現化されるのだからもうたまらない。「P-FUNKやプリンスみたいなことやっていて大したもんだ」みたいな妙な上から目線(こういうのを見るたびに「アイドルを舐めんじゃねえ」と思う)を捨てて語られるべき傑作です。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1275334194067992577?s=21
flanafi:flanafi
ギタリスト/マルチプレイヤーSimon Martinezのソロユニットによる1stフルアルバム。SLY AND THE FAMILY STONEやディアンジェロ、MASSACRE(フレッド・フリスのバンド)やDIRTY PROJECTORSあたりを連想することはできるものの影響源を特定することはほとんど不可能な音楽で、作編曲や演奏はもちろん音響(耳触りの良いローファイ質感を狙っているようでいて異常に緻密に作り込まれている)も極めて個性的で高品質。理解を深めるために関連バンドPULGASを聴くとさらに豊かな音楽性に良い意味でもっと困惑させられるなど、未知の興味深い音楽世界が広がっていることを心地よく示唆してくれる一枚になっている。ディグス・デュークやMAUDLIN OF THE WELLなどが好きな方は必聴と言えるジャンル越境的な傑作です。
詳しくはこちら:
(2020.7.1時点で「flanafi」とGoogle検索するとこの連続ツイートが一番上に出てくる:そのくらい知名度が低いのがもったいなさすぎる)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1224712482456993792?s=21
長谷川白紙:夢の骨が襲いかかる!
本作を聴いていて改めて実感させられるのは長谷川白紙のヴィジョンとその吟味・成否判定能力の素晴らしさ。例えば「LOVEずっきゅん」(相対性理論のカバー)では原曲のばたばたしたアンサンブル感覚(かわいらしさなどのニュアンス・在り方を表現するにあたって不可欠な質感になっている)を意識的に把握、しかも自分に見合った形で再構築してしまえている。「光のロック」(サンボマスターのカバー)ではそうした解釈を通しそれと密接につながる独自の在り方(生き急いでいるんだけれども落ち着いてもいる、切迫感がある一方で地に足が着いてもいる感じ)が表現されていて、教養の深さとはまた別の、そういう一般的な(社会の共有財産的な)ものを積み上げているだけでは身につかない固有の得難い持ち味が熟成されていることを窺わせる。
長谷川白紙の演奏技術は以上のようなヴィジョンをそのまま示すほどにはまだ磨かれきってはいない(もちろん非常にテクニカルではあるけれども、少なくとも発声技法に関しては身体的にも知識的にも開発の余地が多い)のだが、本作においてはそういう到達度の釣り合わなさもむしろ良い方向に機能しているように思われる。例えば「セントレイ」(サカナクションのカバー)の歪んだボーカルは咽頭まわりの脱力が(そしておそらくは背筋のコントロールも)こなれればもっと精密な音色操作が可能になるわけだが、このテイクではそのような制限を伴う飛び立ちきれない感じが楽曲の解釈や演奏に不可欠に貢献している。そして、そうやって激情を比較的わかりやすく滲ませつつ崩れきらない瀬戸際を保つボーカルに寄り添い時に前に出そうになる鍵盤のニュアンスが実に見事で、そのふたつを弾き語りで同時に演奏できることの凄さにも痺れさせられる。
本作に収録されているカバーはいずれも非常に良いが(原曲の深い読み込みを踏まえたほとんど自作曲と言っていい出来)、唯一のオリジナル曲「シー・チェンジ」はそれらを上回る最高の仕上がりになっている。上記のようなヴィジョンと演奏技術が完全に良い方向に機能したボーカルは光を当てる角度によって色合いが変わるプリズムのようなニュアンス表現を成し遂げていて、喜怒哀楽が虹のように輝き融けあう歌声がどこまでも素晴らしい。特に3分54秒からの無邪気な愉悦とも嗚咽ともとれる(その両方ともいえる)声は聴く度に泣きそうになる(というか泣く)し、その後のラインごとに表情を変える歌唱表現はもう神がかっている。名曲名演と言っていい音源だと思う。
アルバム最後を飾る「ホール・ニュー・ワールド」カバーを聴くと、この曲をひとりで歌うということやそれが必然性をもって違和感なく成立してしまえていることに思いを馳せさせられる。28分という短さながら完璧に完成された(表現的には未完成の部分も含めひとつの世界系としてまとまった)大傑作。この人のキャリア史上最高作だと思うし、ここからさらに進み続けてくれると信頼しています。
長谷川白紙についてはこちらの寄稿記事で詳しく書きました
(崎山蒼志とのコラボレーションや「旅の中で」カバーについても)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1273929573684527104?s=21
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1266056080636776448?s=21
Jim O'Rourke:Shutting Down Here
一昨年発表の大傑作『sleep like it`s winter』に通じるところもありつつ全然異なる世界を描いている感じの音楽で、明確な構成のある楽曲の輪郭という点ではこちらの方が格段に整っている印象がある。その上で各音色の役割(虫の音や飛行機のジェット音的な超高音などミュージックコンクレート的なつくりも多い)など聴き手がセンスオブワンダーをもって解釈すべき(切り込む視点やテーマなどの仮説立て~検証を繰り返し勘所を増やしていく必要のある)要素も非常に多く、漫然と聴き流すだけではいつまでも立ち入れない迷い家のような作品に思える。とはいえ漫然と聴き流すだけでも非常に心地よく浸れる音楽だし、部屋の空気を確実に変えるのに主張しすぎず身を潜めるような存在感も有り難い。時間をかけてじっくり付き合っていきたい傑作。
参考:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1264929647319375873?s=21
Klô Pelgag:Notre-Dame-des-Sept-Douleurs
カナダ・ケベック州出身のシンガー/ソングライター。影響源として挙げているのがダリ、マグリット、ドビュッシー、ジャック・ブレル、KING CRIMSON、フランク・ザッパなどで、ケイト・ブッシュやビョークなどと比較されることが多いのだが、声のキャラクターも音楽性(傾向としてはオーケストラルなチェンバーポップという感じか)もそれらと一線を画すただならぬ個性を確立しているように思う。本作はこの人が子供の頃に何度も通り過ぎていた看板(昨年ひさしぶりに訪れたところ村というよりも35人ほどしか住んでいない小島だったことが判明)の名前を題したもので、そこからイメージしていた不吉な情景とそれに通じる近年の自身の気分が描写されている。ポストパンク~ゴシックロックを16世紀以前の教会音楽の語法で洗練したような楽曲群は大聖堂の地下室でひっそり営業する見世物小屋のような妖しさに満ちており、それはこの整っているがどこか不穏な歌声(真摯で可愛らしくそれでいて確実にネジが何本かぶっ飛んでいる感じ)があればこそ可能になったのだろう。アルバムとしての構成も文句なしに素晴らしい。それこそ離れ小島のように完結した世界と仄暗い奥行きを窺わせる傑作。
Moment Joon:Passport & Garcon
Moment Joonは自身とこの作品のことを「日本の」「ヒップホップ」と強調しており、年間ベストアルバム選で「洋楽枠に入れようか邦楽枠に入れようか迷った(その上で洋楽枠に入れた)」というファンのツイートに対し丁寧に諭したりもしている。各所のインタビューでも明言しているように今の「日本」「ヒップホップ」の気風や状況を積極的に肯定できない立場にあるMoment Joonがその上で自身を「日本の」「ヒップホップ」と括ることの意味は重いし、そういう複雑な思いや関係性まで鑑みれば「日本の」「ヒップホップ」をここまで体現できている音楽も稀なのではないかと思う。
こういう素晴らしい作品を聴いていると、怒りや嘆きにエンターテインメント性を付与できる(娯楽へとスポイルするのではなく純度を減らさず面白みを増して呑み込ませやすくする)のが音楽をはじめとした表現一般の強みだということを実感する。そういう“言い方”の練度が本当に凄い作品だし、そういう部分を仮に切り離して(例えばリリックが全く聴き取れない人が)接したとしても刺さるくらい音楽的にも強力な傑作だと思います。
参考:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1239797154417270784?s=21
NEPTUNIAN MAXIMALISM:Éons
Bandcampの紹介記事でSunn Ra A)))rkestraと形容されているように、サン・ラがSWANSを経由して芸能山城組と接続した感じの爆音ラージアンサンブルで、2時間余を心地よく聴かせるテンションコントロールが作編曲・演奏の両面において素晴らしい。東南アジアの民俗音楽に通じるパーカッションアンサンブルやフリージャズ~インド音楽的展開、ドローンメタルを介して70年代の暗黒ジャーマンロックに接続しているような多様な音楽要素はこの手のアヴァンロックには比較的よくみられるものだが、これがベルギー出身だということを考えると、UNIVERS ZEROやPRESENT(プレザン)、X-LEGGED SALLYのような偉大な先達がこの手の領域を既に開拓していたから当地からこういうバンドが出現すること自体は意外ではない一方で、この国の外で発生し確立されてきた要素ばかりを取り込み独自の形で融合活用している音楽なのだということも見えてくる。その意味で本作は多くの仮想の民俗音楽のように「ここではないどこか」を志向する音楽なのであり(「To The Earth」「To The Moon」「To The Sun」いうチャプター名はこうした姿勢をそのまま表している)、混沌としてはいるが非常に聴きやすく仕上がっているのも明確なコンセプトやヴィジョンを持っているからなのだろう。小説『三体』やタイの地獄寺のサントラとしても実によく合う傑作。
参考:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1276500396047921152?s=21
NNAMDÏ:BRAT
自分がNNAMDÏ(ンナムディ)の名前を初めて見たのはSen Morimotoの2018年作に関するインタビューを読み漁っていた時で、シカゴの音楽シーンの豊かさ面白さを代表する存在の一人として挙げられていたように思う。その程度の認識で初めて聴くことになったこのアルバムは本当に素晴らしい内容で、西アフリカのポップス(セネガルやマリあたり、ユッスー・ンドゥールなど)的な精密な譜割りフレーズやポリリズム感覚と広義のヒップホップのフロウ感覚が自然に融けあっているようなリズム処理能力、mats & morgan的なプログレ/フュージョン~現代ジャズがインディーR&Bの領域で楽しく変容しているような作編曲など、複雑な構造がとことん親しみやすい形で提示されている音楽性に一発で惹き込まれることになった。そうした音楽的引き出しの豊かさもあってか各曲のスタイルはばらばらだが、それらが滑らかに並びアルバム全体として綺麗な輪郭を形作る様子はこの人の在り方(シャイでふてぶてしい様子)をそのまま表している感じで、本作の表現性の源として不可欠に機能している。これはflanafi(フィラデルフィアを拠点としている)などにも言えることだが、広く知られてはいないけれども非常に強力なミュージシャンが集まっている地域・シーンは無数にあり、音楽の素晴らしい世界はどこまでも広がっているのだなという感慨に(それを全て味わいきるのは一生かけても不可能なのだなという諦めも含め)浸らされるし、巡り合わせの大事さ有難さも実感させられる。
参考:
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/27/224058
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1245984098494984192?s=21
THE NOVEMBERS:At The Beginning
ロックとヒップホップをわかりやすく(その両方の要素が含まれていることが一聴してわかる形で)融合した音楽スタイルを表すジャンル用語に「ミクスチャーロック」という言葉があり、そういうのを見ると自分は「ミクスチャーじゃない音楽なんてないだろ」「人間はそもそも雑食なものだろ(だからことさらに「自分は雑食性」と誇るような言い回しはまあ気持ちはわかるが微妙だな)」などと思ってしまうのだが、そうやって何かと何かを意識的に融合または接合することで他に類を見ないオリジナルを生み出してしまう作家も少なからずいることはよくわかる。自身の制作手法を「歌を接着剤とした金継ぎ」と称する長谷川白紙はその究極型みたいなものだし(非常に意識的にやっているという点において)、THE NOVEMBERSもその素晴らしい好例なのだと思う。前作『ANGELS』関連のインタビューで言及していたENYA的な(そこからイージーリスニング方面に連なる?)音響手法をインダストリアルサウンドと融合したような音作りはディストピア感とユートピア感の気兼ねない両立具合も含め他に類をみない異形に仕上がっているし、L`Arc-en-CielやCHAGE and ASKAとメタル寄りグランジを接続するような歌もの楽曲も聴きやすさと得体の知れなさを強烈に両立している。リーダーの小林裕介が本作リリースに際するインスタライブで言っていた「借りものとか貰いものばかりで生きてる人間ですから」という話はこの作品を聴いているだけではよくわからないが、その一方で確かにそうした手法を経ないとこういう“様々な要素が溶けかかった状態で固着している”(諸星大二郎「生物都市」のような)形は生み出せないのだろうという納得感もある。そしてそれは上で挙げたようなアーティスト(ひいてはそれらに影響を受けたヴィジュアル系やグランジなどのシーンに属する後続)が培い受け継いできた在り方でもあり、THE NOVEMBERSの立ち位置や達成の凄さはそうした系譜に連なるものでもあるのだろうと思われる。現在のポップミュージックの流行や傾向から距離を置きつつ未踏の地を切り開いている、こんな類の新しい音楽が可能なのかと痺れさせられる一枚。アルバムの構成も非常によくできているし傑作だと思います。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1265298255417454593?s=21
岡田拓郎:Morning Sun
神経質なまでに作り込んだ結果として(「作り込んでいるのに」ではなく「作り込んでいるからこそ」)不思議とおおらかな印象を与えるアンサンブルが出来上がる類の音楽がある。本作はその最高レベルの好例で、その意味でSTEELY DANの代表作や坂本慎太郎ソロにも比肩する(そしてそこから微かにピリピリした気配をも抜き去った)ものになっていると思う。たとえるならば徹夜後の朝焼けの中での虚脱感、半覚醒とは薄皮を経た逆の立ち位置(半覚醒は睡眠寄り、こちらは覚醒寄り)にあり、それがアメリカのカントリー~ブラジルMPBを少しだけ英国フォークに寄せた感じの楽曲を通して魅力的に表現されているというか。自分はこちら方面(岡田氏は凄まじいレコードディガーでもある)に詳しくないので「キリンジで言えば「空飛ぶ深海魚」あたりが近いな」くらいのことしか言えないのだが、それでも本作の名曲名演群には抗いがたく惹きつけられるものがある。地味ながらまばゆいほどの輝きに満ちた傑作です。
こちらのインタビューは具体的な製作過程の面でも様々なことに対する考え方の面でも素晴らしい内容なのでぜひ:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1270865524201648128?s=21
岡村靖幸:操
自分が岡村靖幸の音楽に深く惹かれる理由のひとつに「ブルースマイナーペンタトニック~ブルーノートスケールでJ-POPを書かせたら右に出るものはいないのでは」というくらい圧倒的な音遣いセンス(歌メロも副旋律も)がある。例えば「セクシースナイパー」の歌メロはバッキングなしで歌ってもブルース的な解決しきらない進行(ループ感覚とその引っ掛かり)の妙味がよくわかるし、そこにJ-POPに求められるレベルで振幅が大きく煌びやかなリードメロディ感覚が伴っているのも凄い。岡村靖幸の楽曲はこのような珠玉のフレーズだけで構築されており、それらがTHE BEACH BOYSやEARTH, WIND & FIRE、プリンスなどに通じつつ完全に独自の形に洗練されたコード感覚により魅力的に統御されている。そしてそれはこの人固有の声(渋みを増しつついつまでも若いまま)や歌いまわし、独特の言語感覚に満ちていながら発音の快感に満ちている(そして文意の面でも以前よりだいぶ明晰に伝わるようになってきた)歌詞、リズムトラックの嗜好や仕上がり(今回は岡村の意向を踏まえつつゴンドウトモヒコが大部分を構築したようだが完全にいつものシグネチャーサウンドになっている)といった演奏/実音の部分と分かちがたく通じている。こんな音楽は他では聴けないし、これからも代替不可能な魅力に満ちたポップミュージックを生み出し続けてくれるのだろうと思う。
同時代の音楽との比較についていうと、「成功と挫折」のインダストリアルサウンド+エレクトロファンクやそれを柔らかくしたような「レーザービームガール」(マイケル・ジャクソン「The Way You Make Me Feel」とマリリン・マンソン「The Beautiful People」の中間前者寄りという感じ)など近年の音響トレンドを確かに把握している様子もあるのだが(2018年のソニックマニアでThundercatをはじめとしたBrainfeeder勢を観に来ていた模様)、その上であまり気を散らさず自分の道を貫いているようで好ましい。最後の「赤裸々なほどやましく」は「ペンション」などに通じる岡村靖幸流ブラジル音楽解釈が素晴らしいし、本当に良い曲ばかりが収められた一枚になっている。アルバムの構成的には後半の曲の並びが少しぎこちなく感じられたりもするが、全体としては文句なしに充実した傑作です。
ORANSSI PAZUZU:Mestarin Kynsi
ORANSSI PAZUZUに関しては自分は2009年の1stフル発表当時から聴いていたものの「確かに非常に優れたバンドだし個性もあるがそこまで持ち上げられるほどか?」というくらいの印象で、2016年の前作4thフルがPitchforkなどで取り上げられるようになったのも「知的なメタルはインディーロック文脈から評価しやすいから知見の広さを示すためにも取り上げる」ハイプしぐさだという印象が強かったのだけれども、昨年発表されたWASTE OF SPACE ORCHESTRA(DARK BUDDHA RISINGとの合体バンド)の傑作を経ての本作には初聴から完全に惹き込まれることになった。前作あたりから増えてきた複合拍子をほどよく複雑化させつつキャッチーな引っ掛かりとして活用できている楽曲は何よりもまず非常に聴きやすく、それを足掛かりにすることで“知識や技術があるからこそ放出できる衝動のかたち”が理想的な按配で表現されている。ブラックメタルのコアなファンからはこれもハイプ扱いされていたりもするが(ツイッターでは「ORANSSI
PAZUZUなんかより〇〇を聴いてください」という言い回しでプリミティブ/ベスチャルなバンドを挙げまくる人が現れたりもした:確かにそれもある種のアンダーグラウンド嗜好からすればよくわかる反応でもある)、ノルウェー発の“Second Wave of Black Metal”黎明期のジャンル越境傾向を考えれば本作は間違いなくその精神を受け継ぐものだし、ある意味でブラックメタルというもの自体を再発明するような気迫と完成度も備わっている。その上で興味深いのが普段メタルを聴かない音楽ファンにも好評を博していること。これは制作の同機になったという映画『ミッドサマー』に通じる甘いカルト感覚、快適に危険なところまで引きずり込んでくれるような聴きやすさによるところも大きいのかもしれない。本年度のメタル領域を代表しうる歴史的傑作です。
本作についてはこちらで詳しく書きました(ジャンル論的なことも含むまとまった話):
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1251596150919974912?s=21
Oumou Sangaré:Acoustic
マリを代表するシンガーであるウム・サンガレによるアコースティックアレンジ再録作。11曲中9曲が2017年の傑作『Mogoya』(10曲収録、現代的ビートを全面導入したヒップホップ~エレクトロ色強めのポップス)から選ばれており、同作の参加メンバーが2019年4月にロンドンで行ったスタジオライヴ録音が土台になっている。ドラムレス、ギター・ンゴニ(バンジョーのルーツともいわれるハープのような楽器)・鍵盤のみの編成なので『Mogoya』のような多彩な電子ビートは入っていないが、西アフリカのポップスならではの驚異的に精密なリズムカッティングはそれ自体で強靭なビート感覚を示すことができていて(ボーカルも含め)、特にギターの複雑なフレージングは「ギターは打楽器」というよく言われる話をこの上なく見事に示している。その上で全パートがメロディアスなのもアフロポップならではで(いわゆるブラックミュージックのルーツとされることもあってアフリカ音楽=渋いという印象もあるかもしれないが、アメリカのブルース的な引っ掛かりが希薄な音進行はむしろ日本の演歌などに近い)、耳あたりは非常によくとても聴きやすい。以上のようなスタイルということもあってか超絶テクニカルながらむしろメディテーション向きの音楽になっており、運動(ルーチンワーク)や日常生活の延長で気軽に瞑想に沈んでいくような効能がある。戦闘的ながら柔らかく、添加物のないミルクを通してエネルギーを与えてもらえるような素晴らしい作品。曲順も『Mogoya』よりこちらの方が良くなっているのではないかと思う。
なお、「Diaraby Nene」のオリジナルテイク『Moussolou』(1991年発表)収録版はビヨンセが昨年の映画『ライオン・キング(The Lion King : The Gift)』に提供した「MOOD 4 EVA」でサンプリングしたもの。その映画を下敷きにしたビヨンセ作のヴィジュアルアルバムが今年発表されるのは不思議なシンクロニシティにも思えるが、様々な情勢を考えればむしろ必然的なことなのかもしれない。
Phoebe Bridgers:Punisher
一聴するだけだとシンプルでさりげないフリーフォークという(比較的地味な)印象もあるのだが、イヤホン/ヘッドホンで聴くと実はパート構成的にも音響の色彩的にも非常に層の厚いつくりなのだということが見えてくる。これは作編曲についても同様で、歌ものとしてのフレーズの立ち方が全曲とにかく素晴らしい。こうした楽曲やアレンジが“シンプルでさりげない”抑制的な演奏表現で具現化されることでわざとらしく過剰な“泣かせ”感のない(それでいて確かに心を揺さぶる、それが鬱陶しくない)絶妙なバランスが生まれていて、少し薫りのついた清水のような吞み口に快適に浸ることができるようになっている。とはいえ静かで無難な音楽かというとそんなことはなく、きわどいテーマを穏やかに語る歌詞やドラマティックなアルバム構成(最後の曲の盛り上がりは反則的)を通してさりげなくとんでもないところに連れていかれるような居心地もある。一枚通しての完成度が素晴らしい傑作。
本作関連のインタビュー:
http://monchicon.jugem.jp/?eid=2310
Speaker Music:Black Nationalist Sonic Weaponry
初期デトロイトテクノをフリージャズ的語彙を援用しつつ精神性のレベルから現代的にアップデートしようとする大傑作。アフリカのトーキングドラムをミルフォード・グレイヴスの超絶ドラムスまたはAutechreやSquarepusherなどを参照しながらトラップ以降の高速シーケンスに落とし込んだようなビートはモノトーンながら極めて饒舌で、出自を強烈に主張する一方で汎世界的な広がりに身を沈めるような印象もある。そこにうっすら絡む電子音響など多様なサウンドの抜き差しも絶妙で、THE POP GROUPのような戦闘的姿勢&豊かさを“取り返す”(オリジネーターとしての評価もそこから分岐して他で生まれた音楽的成果なども)ような矜持に満ちてもいる。エクストリームなヒップホップに通じるような激しさと柔らかくしなやかな質感を兼ね備えた空間表現も絶品。アルバム全体の構成も含めほとんど完璧と言っていい一枚だと思う。
Moment Joonのところでも「怒りや嘆きにエンターテインメント性を付与できる(娯楽へとスポイルするのではなく純度を減らさず面白みを増して呑み込ませやすくする)」音楽の得難さにふれたけれども、これはいわゆるブラックミュージックのお家芸みたいなものでもあり、暴力的にもなりうる勢いを直接的な傷害力としてでなく健康的に体を突き動かす音響的魅力に転化してしまうプレゼンテーション能力の凄みが本作でも見事に発揮されている。ハードコアパンクが好きな方などにもぜひ聴いてみてほしいアルバムです。
Black Lives Matterとも密接に関連する本作の立ち位置についてはele-kingの力の入ったクロスレビュー(三田格&野田努)に詳しいのでそちらもぜひ:
http://www.ele-king.net/review/album/007680/
寺尾紗穂:北へ向かう
この人のことは恥ずかしながら本作で初めて(しかも3月頭リリースなのに6月になってから)知ったのだが、隅々まで素晴らしい楽曲・演奏表現に一発で惹き込まれてしまった。他の音楽で雑にたとえるなら佐井好子+Fenneszという感じで、日本流フォークロックの滋味を知り尽くしたような作編曲とどこかアンビエントとも言える長閑な時間感覚の両立がとにかく見事。それは腕利き揃いの超精密なアンサンブルによるところも大きいだろうが(70年代ソウルミュージックの代表的名盤に並ぶレベル)何よりもまず寺尾紗穂自身のボーカルがあって初めて表現できる居心地なのではないかと思う。音色や音量を大きく変化させずしかし単語/分節ごとに微細に表情を変えていく歌唱表現はそれ単体で上質なアンビエント音楽として機能しており、本作の楽曲や演奏・音作りはそれを最高の形で活かすものなのだろう。アルバムの構成も非常によく何度でも繰り返し聴き続けてしまえる傑作。過去作も聴いた上でライヴもぜひ体験してみたいものです。
TRIPTYKON:Requiem – Live at Roadburn 2019
80年代スラッシュメタル~ハードコアパンクから今に至る地下音楽において最も重要な(現人神と言っても過言ではないレベルの)ミュージシャンであるTomas Gabriel Warriorが32年越しで完成させた3部構成の組曲『Requiem』の初演音源。いわゆるヘヴィミュージックの先端が集う音楽フェスティバルRoadburn(オランダで毎年4月に開催:ZINE『痙攣』vol.1で詳説)2019年版の特別企画で、こちら方面との仕事経験も多いオランダのオーケストラThe Metropole Orkest+バンド自身という編成で披露された。これが全編驚異的に素晴らしい演奏で、「クラシック方面のプレイヤーはBPMを一定にキープするビート処理が得意でないことが多い」「生楽器大編成はロックの爆音PAとうまくミックスするのが極めて難しい」といった困難が完璧にクリアされている。バンド自身の演奏も最高で、唯一無二の個性を誇るTomのリズムギター&ボーカルはもちろんV. Santuraのギターソロは歴史的と言っていいレベルの名演では。リードシンガーとして招聘されたSafa Heraghi(DEVIN TOWNSEND PROJECTなどメタル領域の作品にも参加経験あり)のパフォーマンスも極上。最初から最後まで“音楽の特別な瞬間”に満ちた演奏になっており、現場で体験できた人々が実に羨ましい。これが完全にライヴレコーディングであることはCD付属のDVDに収録された全編動画でも確認できるので、音源に感銘を受けた方はぜひそちらの方も鑑賞してみてほしい。
本作がこれほどの傑作になったのは上記のような演奏によるところも大きいが、それは今回新曲として披露された32分に渡る(全体の3分の2を占める)第2部「Grave Eternal」の出来が極めて良かったから可能になったものでもあるだろう。Tomasの特異な音遣い感覚(十二音技法的な音進行をシンプルなメタル/ハードコアリフで表現)が近現代クラシック音楽の語法で豊かに培養強化されたような組曲はどの場面をとっても素晴らしい仕上がりで、キャッチーな引っ掛かりと無限の奥行きが両立されていて何度聴いても飽きることがない。特異な構造美と抑制された叙情に満ちた大傑作。様々な音楽のファンに聴いてみてほしい名盤(扱いされるべき一枚)です。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1262703375939846144?s=21
Vovô Bebê:Briga de Famiília
ブラジル・リオの新世代ミュージシャンの中でも特に注目を浴びる存在とされるヴォヴォ・ベベが様々な地域から特異な才能を集めて構築した3rdフルアルバム。ディスクユニオンのレビューでは「ギンガとイタスール・アスンソンが宇宙でアート・リンゼイに出会ったかのような強烈かつ唯一無二な世界」と形容されている(これも納得感がある)が、個人的にはSLAPP HAPPYやKILLING TIME(日本の超絶スタジオミュージシャン達によるプログレ/アヴァンロックバンド)と並べるほうがしっくりくるところも多い。そういう印象を生んでいる最大の要因はおそらくアナ・フランゴ・エレトリコのチャーミングかつ強靭なボーカルで、それこそダグマー・クラウゼと小川美潮の間に位置するような歌唱表現力とキャラクターが絶妙に活かされている。楽曲的には先述の2バンドをロマ(ジプシー)音楽経由で地中海に寄せたところをブラジル起点にシミュレートしているような感じもあり、ムーンライダーズやドレスコーズに接近したりMAGMAやSWANSのようになったりする場面もあって非常に面白い。そうした節操のなさが散漫な印象を生まず必然的なものとして機能しているのも好ましく、ふざけつつ粘り腰な佇まいを通してゆるく戦闘的なユーモア感覚を発揮しているような趣もある。たとえるならばお祭りの裏路地、賑やかな雰囲気は漂ってくるが人気はなく何か危険なものが潜んでいそうだが楽しさからも離れきっていないという感じ。知的な雰囲気とお茶目な面持ちが不可分に一体化した高度な音楽で、上に挙げたようなバンド/ミュージシャンが好きな方は高確率でハマるのでは。もちろん小難しいことを考えなくても楽しめるし、気軽にチェックしてみると楽しいだろう傑作です。