粉川哲夫の【シネマノート】

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ヘルタースケルター
Helterskelter/2012/Mika Ninagawa
★ [1/5]

●マスメディアでイジメを受け続けている沢尻エリカの再起になるかもしれない作品。監督は、『さくらん』の写真家蜷川実花。脚本は、不運な交通事故のため伝説の人となっている岡崎京子の「原作」にもとづき、『電車男』の金子ありさが担当。出演は、寺島しのぶ、窪塚洋介、新井浩文、大森南朋、原田美枝子、鈴木杏、水原希子、綾野剛、哀川翔、寺島進、桃井かおりなどなど、文句なしの面々。テーマソングには浜崎あゆみを起用している。

●しかし、期待は大きく裏切られた。センスがあまりにフルすぎるのだ。時代を現代に設定している以上、岡崎の原作のせいではない。そもそも、岡崎が排除していたはずの妙なモラリズムが最初から顔を出す。この映画の基底には、エスカレートする整形美容への批判(あるいは批判の身ぶり)がある。例によって大量のスチルショットを重ねた映像のイントロのあと、大森南朋が妙に暗いつくりの鈴木杏に(新劇調の)他人ごとめいたモノローグのようなせりふを吐くシーンがあり、一体ここはどこなのかと思ったら、それは検察庁の事務所内で、大森は検事、鈴木は事務官を演じているのだった。

●原作はどうあれ、いまの美容の問題をあつかうのなら、死者が出たの、たえずメンテをくりかえしていなければ後遺症が出てしまうとか、金のぼったくりだといったありきたりの批判では歯が立たない。女は(男も)なぜ整形に走るのかは、「あくどい」商売の結果ではなくて、身体観の変化が基礎にある。もし美容整形で医療的な、あるいは商取引上の問題が出ているとすれが、それは、技術がダメだったのであり、取引システムがずさんだっただけのことである。身体をいじりまわす傾向は、それとは関係なく加速する。

●沢尻エリカが演じるタレント、りりこは、いわば静止画的な資料で(つまり雑誌の表紙を見せたり、写真撮影の現場をちらりと見せたり程度)示唆されはするが、実際に何をやっているのかは不明である。ルーズソックスを履いた女子高生の集団の追っかけ(その描き方もフルすぎる)の熱狂する姿はあるが、明らかにその熱狂ぶりを愚弄し、彼女らをスキャンダラスなうさわの増殖集団としてしかとらえていない。まあ、表よりも楽屋を描くんだから、そっちはどうでもいいと言われれば、仕方がないが、その描き方があまりに薄っぺらい。桃井かおりが演じるりりこの所属事務所の社長は、桃井にまかせればこんな感じになるのではないかと思われるようなありがちな「食えないババア」で何の面白みもない。ただ、桃井には期待しないとしても、りりこの言いなりになるマネージャーを演じるのは寺島しのぶである。寺島の才能からするともったいないことこのうえない。設定がなっていないから、沢尻と寺島との性的サドマゾ劇も浅薄なものになってしまう。

●蜷川実花は、『さくらん』では「破廉恥な女」(土屋アンナ)を小気味よく居直らせた。が、今回、沢尻エリカが置かれている状況からするとまさに居直りに絶好であるはずの機会をまったくいかさず、彼女に否定的な役を演じさせた。この映画では、りりこという<田舎出のブス>が整形美容で芸能界の頂点に君臨するようになり、わがままほうだいにふるまうが、それがグロテクスクなこととして描かれている。この程度の「わがまま」がなぜいけないのか? 整形に失敗したら、どんどんしなおせばいいじゃないか。体をいじるかぎり、そのくらいの覚悟はもつべきだ。とにかく、チラシにあるようにこの作品が「映画というより事件!」だというのなら、沢尻に関するマスコミ報道とどこか重なるおもむきのりりこのふるまいは、居直り的に肯定されるべきだった。これでは、せっかく沢尻を引き出しても、ずっと干され続けの不公平に若干のプラス要因をあたえるだけの効果しかないだろう。

●沢尻がキレるシーン(お得意のはずだが、今回はパンチがない)は多々あるが、そのどれとして、あの土屋アンナが『さくらん』でわずかに口走った「なめんじゃねぇよ」のインパクトはいささかもない。それは、沢尻のせいではなくて、脚本と演出のせいである。この映画で、沢尻エリカがまだ健在であることだけは示されたので、この映画が彼女の次の仕事の演技見本になればと願う。ただし、この映画自体は、アメリカ市場では評価されにくいかもしれない。JTがスポンサーになっているせいか、やたらタバコを吸うシーンが多いのが一つ、ドラッグの描写にかけては一定のレベルが確立されているアメリカ映画にくらべて、あまりに稚拙なシーンが多いからである。

●スチルショットを重ねるシーンで使われたバルトークまがいの音楽は最悪だった。それは、映像を見る邪魔になり、映像から目を逸らさせるさもしい韜晦のようにすら聞こえた。が、クライマックスでベートーベンの第9の「歓喜の歌」を使う凡庸さにくらべれば、それはマシだったかもしれない。

●セックスの描き方もあまりにフルい。りりこが周囲を無視してこれ見よがしに窪塚とセックスするシーンでは、明らかに周囲をとまどわせたいという欲求が感じられるが、映画を見ている側からすると、なんでこの程度のことでと思ってしまう。沢尻が演じるセックスシーンが「肉体性」を欠いているのは、それは、実は彼女の演技力の貧しさのためではない。彼女は、身体性を欠いたセックスしか演じられないのであり、それが彼女の新しさなのだが、それが全く活かされた演出になっていなために、映画としてもリアリティをもてないのだ。

●唯一面白いと思ったのは、ここで描かれるニヒリスティックな人間関係か。それは、マネージャーに対するりりこ、りりこに対する社長のなかに鮮明に出ているが、この映画に登場するどいつもこいつも、ビジネスをつづける熱意や(人工的であれ)連帯感がない点が面白かった。ありがちなオーバージェスチャーで撮りまくるフォトグラファーの姿が何回か登場するが、これは、フォトグラファー蜷川の皮肉か? お前らみたいにやってたら、日本のビジネスには先がないよという揶揄か? たしかにりりこの所属事務所も、こんなことをやっていては先がない。

(アスミック・エース配給)


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