日下部保雄の悠悠閑閑

零戦やYS-11、研三など。愛知・岐阜、もの作り県の航空博物館巡り

大江時計台航空史料室のエントランスにて。このエントランスのみ撮影可能。記念写真スポットとなっていた

 愛知県の「大江時計台航空史料室」と「あいち航空ミュージアム」、岐阜県の「岐阜かがみはら航空宇宙博物館」を先日訪問した。

三菱重工業 大江時計台航空史料室

住所: 〒455-0024 愛知県名古屋市港区大江町2-15
完全予約制。詳細はWebサイト参照

 大江時計台航空史料室は、三菱航空機の歴史を大正から第二次世界大戦、そして終戦後の昭和20年代までに至る資料を整理して展示したものだ。初めて聞く施設だったが、これまで三菱重工名古屋宇宙システム製作所の小牧南工場にあった資料室が老朽化したために、大江工場の旧事務本館に移設して新たに一般公開となったものだ。見学はWebからの予約制で、カメラやレコーダーも持ち込み禁止だったので、残念ながら手元に資料は残せなかった。

 局地戦闘機 雷電や一式陸攻の発動機である「火星」が展示されており、巨大な星型14気筒エンジンの実物を見ることができた。雷電は爆撃機用のエンジンを積むことで前面が大きくなるのを防ぐため、機体の中央に寄せて前面を絞ったことでズングリした姿になったことはよく知られている。日本機には珍しいファストバックということもあり味方にもグラマン F6Fと間違われたという。

 大江時計台航空史料室は伝統ある建物で、当時のエンジニアが製図版に向かっていたかもしれない大部屋や、歴史を感じさせる階段に静謐な中にも往時の活気が伝わってくる。

 復元機は零式戦闘機(ゼロ戦) 52型と局地戦闘機「秋水」が展示されている。秋水はドイツのロケット戦闘機「メッサーシュミット Me163 コメート」の日本版だが、ドイツから運ぶ途中、ほとんどの図面が失われる中で、やっと届いたわずかなマニュアルから再設計されたものだ。試作機が燃料系のトラブルで墜落してしまったので実戦配備に至らなかったが、当時の技術を知る上でなかなか興味深い。

 さすがに三菱の資料館だけあって豊富な展示物は1日いても飽きないが、2時間の入れ替え制なので、大江時計台航空史料室の象徴的な時計台を後にした。

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館

住所: 〒504-0924 岐阜県各務原市下切町5丁目1番地
企画展: 「スピードを追い求めた幻の翼 研三―KENSAN―」開催(2月8日~3月16日)
詳細はWebサイト参照

岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の研三の実物大模型。幻の飛行機とも言われていたが、豊富な資料とともに展示されていた

 続いて訪れたのは岐阜かかみがはら航空宇宙博物館。岐阜県各務原は日本でも古い軍用飛行場で陸軍部隊が展開していた。ここが多くの試作機の実験場として使用されていたのは、地形が恵まれていたのと、三菱などの航空機メーカーが近在していたことだろうと推察される。現在は航空自衛隊の航空実験団が各務原基地として使用しているのもその流れがあるからだろう。

 初めての岐阜かかみがはら航空宇宙博物館は想像していたよりも大きな施設だった。屋外には救難飛行艇のUS-1や哨戒機のP-2J、戦後初の日本製旅客機YS-11などが展示されており感激!

 今回の目玉は「研三」。戦争中に陸軍航空技術研究所(航研)が速度を追求し、航空機の周辺技術を獲得するために開発された実験機で、機体の設計、開発は現在はオートバイなどで知られる川崎重工業が行なった。

 エンジンは輸入されたダイムラー・ベンツ DB601Aを大改造して使う予定だったが、航研へのエンジン割り当てが不明だったために、エンジンの改造は小規模にとどめて開発することになった。DB601は陸軍、海軍ともダイムラーと別々に契約して(なんて無駄なこと! 当時のお互いの仲のわるさが分かる)、ライセンス生産を行なう予定だったことも背景にあった。

 研三は高高度や旋回性能を求めない速度実験機で、前面投影面積の小さい液冷エンジンが選択された。

 高度3000mでの最高出力を目指してオリジナルエンジンから過給機のブーストアップ、メタノール噴射を採り入れるなどで最終的にはオリジナルの1050PS程度から1550PSにまでパワーアップされた。

 冷却器は張り出しが大きく空気抵抗が増える通常のラジエータから冷却液を蒸発させて冷やす蒸気冷却を使う構想もあったが、日本にデータが乏しかったため、紆余曲折の末、胴体での表面冷却と抵抗は増えるものの胴体側面に付けられた小型ラジエータを併用することで解決していた。オイル冷却は胴体のラジエータで行なわれている。

 研三は3式戦闘機「飛燕」よりもふたまわりほど小さい。主翼も極端に短い。いかにも速度実験機らしいスタイルだ。記録によれば昭和18年12月27日の第31回目の試験飛行で、日本のレシプロエンジンとしては最高の699.9km/hという速度記録を達成した。

かつて神戸ポートターミナル展示された飛燕は、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で常設展示されている

 結局、研三の開発過程では多くのデータが得られたが、研三に続いて構想されていた後継機に引き継がれるまでには、工業技術が追い付かない面もあり、研三プロジェクトは昭和19年初めに終了した。

 展示会場では飛行中の映像が残っており、軽やかに舞い上がって旋回していく姿は戦闘機とは違った美しさがあり、今見ても素晴らしい姿だった。岐阜かかみがはら航空宇宙博物館では2016年に神戸で会った三式戦にも再会できたことも嬉しい。当時の最先端である工業技術品がきちんと保存されているのは素晴らしいと思う。

こちらは実験機「T-2 CCV」。T-2 CCVの右にちらりと見えているのは、STOL実験機「飛鳥」のエンジン部分
あいち航空ミュージアム

住所: 〒480-0202 愛知県西春日井郡豊山町大字豊場(県営名古屋空港内)
特別企画展: 日本の翼 YS-11展(1月11日~4月13日)
詳細はWebサイト参照

実物大レプリカの零戦52型。あいち航空ミュージアムでは、YS-11の実機も展示さている

 県営名古屋空港内に立地するあいち航空ミュージアムではYS-11やMU-2、零戦52型の復元モデルも展示されている。こちらも広い敷地に実機も含めた多くの展示品があり、子供連れも多い。とくに戦後初の国産旅客機であるYS-11に関しては、4月13日まで特別展示を実施。機内への乗り込み体験もできるようになっていた。

 あいち航空ミュージアムでは、名古屋空港の風景を屋上や館内から楽しめるようになっており、1機ごとにカラーリングの異なるFDA(フジドリームエアラインズ)の離着陸を見ることができる。名古屋空港は航空自衛隊 小牧基地と滑走路を供用しており、平日であれば自衛隊機の離着陸も見ることが可能だ。

 また、今回は時間の問題で立ち寄ることができなかったが名古屋空港にはMRJミュージアムもあり、Webから申し込むことで見学ができる。そのチェックインカウンターもあいち航空ミュージアム 2階にあるので、せっかくあいち航空ミュージアムに行くのであれば、Webからの事前予約でMRJミュージアムへ立ち寄ることも検討してみていただければと思う。

 愛知、岐阜といった中京圏は、自動車生産だけでなく航空機生産も盛んで、高度な技術を有する日本のもの作りの中心地とも言える。そこにある航空博物館巡りはあっと言う間だったが、念願の夢がかなった2日間だった。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。