1987年ブラジルのゴイアニアでのセシウム汚染事故

ゴイアニア事故の話は、福島の牛が500ベクレルだ、1000ベクレルだ、1万ベクレルだと大騒ぎしている私たちから見れば、『なんと愚かなことをしたのか』とため息の出るような話です。ゴイアニア事故では1万ベクレルなどケチなことを言わず、その9桁、10億倍の話なので、初期には教科書通りの直接的な急性障害を起こしていて、私たちが直面している、長期の影響(=癌のリスク)とは文字通り桁の違う、質の違う話です。

それを踏まえた上で、

  • ちゃんと制御されていない放射性物質は深刻な障害を引きおこしうること、
  • 放射性物質に対する最大の防御は、知識であること、

を確認するべきだと思います。

さらに、事故直後の除染作業が終わってからの、長期に渡る期間は、まさしく私たちが直面している問題になります。

ICRP111 pp 59-61

A.9. Goiaˆnia, Brazil
(A 51) 1987年の9月13日、二人のゴミをあさっていた人が、ブラジルのゴイアニアの廃病院で、打ち捨てられていた放射線照射装置を見つけた。その照射装置は50.9TBq *1の、粉末と液体のセシウム137線源が入っていた。線源の入っている照射装置の回転部を遮蔽部から取り外した後、彼らはそれを家にもって帰り、なんとかして線源に穴をあけ、部品を家に散乱させた。二人とも数時間以内に体調不良になった。5日後、彼らは回転部の部品を近所のくず屋に売った。このくず屋は、この部品から光が出ていることに気が付き、工具を使って部品を切りあけ、中の物質に手が届くようにした。この穴のせいで、塩化セシウム137の粉末が容易に広がり、拡散できるようになった。数カ所の地区と129人が相当な汚染をし、結果、4人が死亡して、一人が前腕を切断した。*2

癌はどうだか分かりませんが、この無茶苦茶な被曝で4人しか死んでいないことが驚きです。今、原発のそばの浪江町では、1MBq/m2くらいの、人が住むには厳しい条件にあります。このゴイアニア事故では、その50平方キロ分が、一カ所にあったわけです。そして、この後、事件はどんどんひどくなります。

(A 52) セシウム137の汚染は、人と人の接触や、汚染物質の売買、線源の一部の移動、風雨による拡散で広がった。汚染は7カ所の大きな建築物で見つかった。その42カ所の住居のうち、22カ所は、家族やその友人が退去することになり、残りの20カ所では放射線レベルは1から10mSv/hであった。1000万の紙幣が検査され、そのうち68枚が汚染していた。人々は空気からの吸入や、果物野菜を食べる事で人々は内部被曝し、セシウム137の透過性の強いγ線で外部被曝したが、飲用水源は汚染されていなかった。1987年10月から1988年1月にかけて総計80人から4000以上の尿、便検体が検査された。集団線量は外部被曝で56.3 man Sv、内部被曝で3.7 man Svと推定され、そのうち4人の死亡した人たちは、外部被曝で14.9 man Sv、内部被曝で2.3 man Svである。*3

この凄まじい状況で、*退去していない住居で*1-10mSv/hです。今、福島で問題にしているのと3桁違う、1000倍上の話です。この『man Sv』は、以前LNTのところで書いた、集団線量です。集団線量は各個人の線量当量を足し算できると仮定してたしたものです。死亡した4人は外部被曝と内部被曝の合計17.2Sv、平均4.3Svですから、1Svを越えると人が死に始めることが確認できます。そして7Svで全員死ぬ。

(A 53) 550人以上の除染要員が動員された。環境中の汚染物質が各所から除去されコンテナに積まれ、液体はコンクリートを入れて固形化された。固形物の除染基準はブラジルの国家基準で決められた。汚染が74kBq/kg以下のものは『汚染なし』とされ、この事故では無視された。汚染レベルは接触放射線レベルで決められ、2mSv/hと20mSv/hが、低度汚染と中度汚染の境界とされた。推定で(線源50.9TBqのうち)44TBqの放射活性が除染作業で回収され、その地域には主な危険は残っていない。廃棄物の総容量は3500立方メートルであった。*4

はい、『低レベル汚染物=2mSv/h』ですから。これ、マイクロの誤植じゃないです。私も本文を確認しました。ちなみに、『汚染なし』は74kBq/kg=2μCi/kgです。ここで、『その地域に主な危険は残っていない』と言い切っているところに違和感を感じる人もいると思いますが、もともとが巨大で、そのうち90%を除染できたので、『主な』汚染は除去されたと言えるでしょう。ゴイアニア事故の場合は、大量の放射性物質が狭い範囲の都市部に巻き散らかされた話なので、逆に除染という意味では容易と言えます。
私たちの場合、都市部では除染できますが、農村部、さらに山間部では除染は非常に困難になります。実際、チェルノブイリの場合、汚染された山間部は、かかるコストの問題から除染せず、放置しています。

(A 54) ゴイアニア事故の初期の報道は、当時起きたばかりの旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を覚えている社会に多大なる不安を引き起こした。報道機関が、とられた措置や一般の啓蒙に、報道の重心を移すにつれ状況は好転した。しかし、失われた人命と被害者の治療看護や、ひとびとと汚染地域の経過観察、前述の様な除染措置などの直接的負荷にとどまらず、事故の経済社会的な帰結には非常に重大なものがある。農産物の汚染がなかったにも関わらず、ブラジル全体の農業産品の卸価格は、事故の公表から2週間以内に50%下落した。ゴイアニア州からの工業製品は30−45日にわたり40%下落することになった。住居売却件数、家屋の売却価格、賃料、地価に明らかな影響があり、それは汚染地域のそばがより顕著であった。車で一時間離れているところでも、ホテル予約と観光はおよそ40%減少した。ゴイアニアの住民がホテルの宿泊や、航空機の搭乗、バスでの旅行を拒否されたこともある。人や物品に対する公的な非汚染証明書がいたるところで要求された。*5

この辺りから、段々と他人事ではなくなってきます。この文章は、今読むと、非常に耳が痛い。
今の地球の人間の行動では、いくら理不尽だといおうと、原子力事故が否応無しに風評被害をおこすのは、分かっていることなんです。何の責任もない住民が、それもほとんど関係ないくらいまでの広範囲に渡って、理不尽な要求をされたり、経済的に不利な取引をせざるを得なくなる。それが正しい反応とは言えないけれど、現実にはそうなる。東電事故でも観光業が打撃を受けていると報道されていますが、今は表に出ていない住居や地価の下落は、長期的には真剣に考えないといけないことじゃないだろうか。

(A 55) 長期的には、多雨地帯であるため、汚染物質は土壌深部への浸透に加えて、容易に街路を移動した。従って、長期回復作業として、主に、汚染された家屋、庭、街路に対する追加の除染作業が必要であった。当時、ブラジルの国内規制は汚染軽減措置を含んでおらず、人々が理解し、受け入れた数字は、作業する際の線量限度であった。従って、『初年度に5mSv、しかし、セシウムの天候による減少や物理的減衰を考えて、70年間は平均1mSv/年』を目標とする方針をとることが決定された。概念モデルとしては、この方針は、屋内屋外での外部被曝と、舞い上がった放射性物質の吸入、個人菜園からの食物の摂取(野菜、鶏卵、果物等)の摂取を考慮に入れている。外部被曝の基準として屋内で1mSv、屋外で3mSv、そして、内部被曝の基準は1mSv/年が採用された。ブラジル当局はブラジル国内での作業基準として確立されたものに似た基準を使わねばならなかった。*6

ここで、ICRPはブラジルの除染方針を批判していますが、表現が遠回しすぎて、何が言いたいかよく分からない文章になっています。ただ、少なくともブラジル政府の除染の方針が、事故の事を想定していない放射線の管理基準を硬直的に適用せざるを得なかった、と言いたいことは分かります。

(A 56) 除染された地域全ての経過観察は何年も行われた。しかし、社会的なストレスのため、TLD *7が観察対照の家から消えたり、観察対照地へ作業員が入るのを人々が妨害するなどの行動がおこり、1996年に環境評価プログラムは停止された。地区の司法長官は2004年に新しい調査を要請したが、その調査で対処基準より高いレベルのいくつかの汚染『ホットスポット』が市中で見つかり、除去された。その、ホットスポットは、場所のことを考えれば特に心配する必要もなかったのだが。最悪の線量シナリオで、実効線量当量が3.2mSv/年であった。*8

汚染地での放射線モニタが、地元民を被害から守るために行っているのではなく、他の人の利益のために行っていると解釈されると、住民が調査を妨害します。本来は、地元での健康状態や、放射線被曝状況を調査することは、本来的に地元住民の利益になる筈なのに、感情的な行き違いで間違った判断になる。
逆に言えば、調査した結果を迅速に公開することを保証し、同時に地元住民その結果を使って個人の行動方針に利用できるようにすることを約束しておく必要があると言えます。

(A 57) ゴイアニア事故から学べる教訓は、事故後の時期にも、準備計画が必要であり、各関係者(特に地元の住民)との協調も必要であることだ。事態に対処する計画がもっと良いもので、そして、この種の事故に対処する方法を各関係者がもっとよく理解していたなら、せずに済んだ筈のものを、無駄に実行して多大な資源が使われた。*9

これは、今私たちがまさに問われていることそのものです。大事な事は、事故後にも、

  1. 準備された計画
  2. 地元住民との協調(特に、事故対処への理解)

が必要だということです。

今回の対処でも、小学校の20mSv/年など基準を決める時に、地元の人が参加していれば、随分話は違ったのではないかと思います。その話は、正当化と最適化の話の時にも書いたので、そちらを参照して下さい。

*1:50,900,000,000,000Bq=50.9兆ベクレル、ちなみに、福島からの全放出はセシウム12EBq=12,000TBqだから、その0.4%!

*2:On 13 September 1987, two scavengers found an abandoned teletherapy device in a derelict medical clinic in Goiaˆnia, Brazil. The machine contained a radioactive 137Cs source with an activity of 50.9 TBq in the form of powdered and soluble 137CsCl. After removing the rotating assembly of the machine containing the source from its shield, they took it home and managed to rupture it and spread pieces about the property. Both became ill within hours. Five days later, they sold the pieces of the rotating assembly to a junk dealer in the neighborhood. This dealer noticed a luminescence emanating from the unit and used tools to cut the unit apart to gain access to the material inside. The rupture allowed the 137CsCl powder to disperse easily and be further distributed. Several land areas and 129 people were significantly contaminated, resulting in four deaths and one forearm amputation.

*3:137Cs contamination was spread by social contacts, the sale of contaminated material, the movement of pieces of the source, and wind and rain dispersal. Contamination was found on seven major properties; in 42 residences, including 22 homes of family and friends who were evacuated, and 20 others where radiation levels ranged from 1 to 10 mSv/h; and on 68 of more than 10 million bank notes tested. The population was internally exposed by inhalation and the ingestion of fruits and vegetables, and externally exposed to the penetrating 137Cs gamma radiation, but the drinking water supply was found to be clean. More than 4000 urine and faecal samples from a total of 80 people were analysed between October 1987 and January 1988. The estimated collective doses were 56.3 man Sv from external exposures and 3.7 man Sv from internal exposures, including 14.9 man Sv (external) and 2.3 man Sv (internal) for the four people who died.

*4:More than 550 decontamination workers were mobilised. Contaminated materials in the environment were removed from the various sites and loaded into containers, with liquids being immobilised in concrete. Decontamination limits for solids were set by the national standard. Anything contaminated below 74 kBq/kg was considered to be clean and unaffected by the accident. The contamination level was characterised by the contact radiation level, with values of 2 and 20 mSv/h being the respective limits for low- and medium-level contamination. An estimated activity of 44 TBq of 137Cs (of the 50.9 TBq of the source) was recaptured during the decontamination effort, which left the area with no significant residual hazard. The total volume of waste generated was 3500 m3.

*5:The initial media coverage of the accident raised a lot of concern for a community with recent memories of the Chernobyl reactor accident in the former Soviet Union. The situation improved when the news media focused their efforts on reporting the actions implemented and public education. However, beyond the direct cost in human lives and medical treatment and care of victims, monitoring of people and the contaminated area, and the countermeasures described above, the economic and social consequences of the accident were very significant. Even without any agricultural contamination, the wholesale value of the entire state’s agricultural production fell by 50% within 2 weeks of the announcement of the accident. Manufactured goods from Goiaˆnia state experienced a drop of 40% in their sale prices for approximately 30–45 days. There was a very definite impact on the number of homes sold, home sale prices, rental prices, and land prices, and this was more acute nearer to the contaminated areas. The negative impact on hotel reservations and tourism was approximately 40%, even in areas more than 1 hour’s drive away. Some residents of Goiaˆnia were not allowed to register in hotels, to fly on aeroplanes, or to travel on buses. Official certificates of non-contamination were requested for people and goods everywhere.

*6:In the long term, due to heavy rains, the material was easily transported through the streets in addition to in-depth soil migration. Therefore, an additional decontamination was necessary for long-term recovery, mainly dealing with contaminated houses, gardens, and streets. At the time, Brazilian regulations did not cover remediation, and the only number that people understood and accepted was the dose limits for practices. Therefore, it was decided to use an approach which leads to 5 mSv for the first year but an average of 1 mSv/year considering the weathering and physical decay of caesium over 70 years. As a conceptual model, it considered indoor and outdoor external exposures in addition to inhalation of resuspended material and ingestion of food available from private gardens (such as vegetables, chicken, eggs, fruits). The criteria adopted for external exposure was 1 mSv for indoors and 3 mSv for outdoors, and the criteria for internal doses was 1 mSv/year. The authorities had to use a similar approach to that established in the national regulation for practices.

*7:熱ルミネッセンス計測器=放射線累積値を出す線量計

*8:Follow-up of all recovered areas has been performed over the years. However, in 1996, the environmental monitoring programme was stopped because of public stress, which caused behaviours such as TLDs disappearing from monitored houses, people not allowing workers to go into monitored places, etc. A new survey was requested in 2004 by the District Attorney in which some ‘hot spots’ of contamination, with levels higher than the operational level, were found on the streets and were removed in spite of not being of primary concern considering their location. The worst-case dose scenario indicated an effective dose of 3.2 mSv/year.

*9:A lesson learnt from the Goiaˆnia accident is that the post-accident phase also requires planning and coordination with different stakeholders, particularly with the local population. Many resources were used to implement actions that could have been avoided with better planning of management of the situation, and better awareness of all involved entities on how to deal with this type of situation.