安心安全は『リスクコミュニケーション』で伝えるものではない。

放射能は五感で感じることができないので、何らかの道具を使って測定しなければなりません。だから、線量計、食品測定器、WBCを使って地道にデータを住民に渡す事が必要です。しかし、その数字だけでは意味がなく、どのように行動すればリスクを下げる事ができるのかを、伝えることが必要です。迂遠なようですが、データで着実に信頼関係を構築することが正しい方法です。安心や安全の方は住民が自分で判断してくれます。

担当者を二年で総入れ替えしてはいけない。

今の政府の仕組みでは、2年ごとに配置換えをしていますから、担当者が入れ替わります。そうすると、それまでの信頼関係が使えなくなります。放射能のリスクの説明が信用されるのは属人的な要素が大きいのだから、せめて一年ごとずらすなど、かならず継続して同じ人が関与できる仕組みが必要です。これも、上の線量計の話と全く同じ、属人的に信頼を構築するのが目的だからです。

線量計の他には、食品測定器と、WBCの仕組みが必要になる。

積算線量計よりもう少し高価なものとして、食品測定器があります。これは個人で買うには高額なので、資金の援助が必要です。集会所単位程度にあって、手軽に測定できることが必要です。ただし、測定には誰かの指導が必要なので、積算線量計の配布と同じく、必ず人を配置すること。食品測定器は、汚染度の高い食品を排除して被曝から住民を守るものです。
また、被曝の『検算』をするためには、WBCを使って全身の内部被曝を測定する仕組みが必要です。WBCは個人で買えるものではないので、どこかの病院と連携することになります。また、これにも積算線量計の話と同じく、人を配置することで始めて意味のあるものになります。

こういう放射線防護の仕組みは、被曝から住民を守ると同時に、政府の側から見れば、測定機器を道具として信頼をかちとるのが目的です。信頼されなければ、数字だけを出しても全く何もなりません。

帰還準備地域に帰る希望者に個人線量計を配布するのなら、必ず手当をできるようにするべき。

実効線量は実測すれば分かるのだから、電子積算線量計を用いて二週間程度帰ってみると通常の行動でどのくらい被曝するかが分かります。ただし、この『希望者に配布』は危ない。被曝線量は『数字』ですが、それを判断するための『ものさし』が必要です。だから、必ずその『数字』の意味が自分の生活に引き落として理解できるような仕組みが必要です。だから、線量計を配布するからには、説明する人間がいる。そして、こういう手当が、信用や信頼の最初のきっかけになります。『希望者に配布』して終わり、では信用を回復する重要なチャンスを捨ててしまうことになります。


(今回の会議ではでていなかったもの)

大人と子供・妊婦などの基準を分けるべきではない。

これも、丹羽先生の意見が正しく、子供は大人がいないと守れないものだから、数値で家族を分断するようなことはせず、子供や妊婦には、例えば、子供のいるところの除染を優先するなど、各論で対応すべきで、数値を分けるべきではありません。

どのくらいで達成できるのか、将来の見通しを示すべき。

政府の説明では、状況の回復に『何十年』など雲をつかむような話をしていましたが、10年後、20年後の汚染地図を示して、どのくらいで達成するのかを理解してもらえるようにすべきです。いわゆる『安心マップ』『リアルタイムモニタリング』と一見似ていますが、リアルタイムであるより、長期的将来どうなるかが大事です。

これは、丹羽先生の意見がもっともで、年単位の『避難』は長過ぎる。将来計画が分かっていれば生活設計ができるが『必ず帰還させるが、その時期は分からない』などと言われたのでは、生活設計が成り立たない。特に、原発所在地である双葉町・大熊町に関して、5・6号機の廃炉指示が出された今日では、原発経済が成り立たないことは明らかなのだから、明確な時期を示すか、移住することを前提に支援すべきだと思います。同様なことは、福島第二原発の命運にも言えます。こういう巨大経済があるのかないのかで、そこの地域での職も経済的立場も全然変わってくるから、生活設計のためにはどうするのか答えを出す必要があります。

不安の解消を目的としてはいけない。不安の解消は結果。

今回の政府の説明を聞いていて非常に違和感があったのは、政府が安心安全を目指すと言っていることです。正直に言って、政府は信用されておりません。丹羽先生と森口先生も指摘されていましたが、『安全安心チーム』という名称からして不遜です。

ICRP111のもととなった、ベラルーシのエートス計画では、生活状況の改善、rehabilitation of living conditions と言っています。放射能『だけ』を減らしても、生活状況は改善しない。被曝の低減は生活状況を改善するための手段であるという考え方が基になっています。

核事故の場合、政府が信用されないのは当然です。ベラルーシの場合でも、政府に対する不信は強かった。ベラルーシのエートス計画は、事故後10年で赤の他人のフランス人が始めて、さらに10年経過して仕組みが定着した後にベラルーシ政府(非常事態省チェルノブイリ部)が引き継いでいますが、直後にはとても無理。最初から信用されないのが現実であることを前提に行動して下さい。