京セラ創業者で名誉会長の稲盛和夫氏が亡くなりました。日経トップリーダーでは稲盛氏の過去の講話をまとめた連載を掲載しております。今回は2017年2月の盛和塾尾張開塾式での講話を掲載します。謹んでお悔やみ申し上げます。
(日経トップリーダー編集長 小平和良)
ここまで企業を成長発展させるために経営者に求められるフィロソフィについて、具体的な項目を挙げて説明してきました。以上述べたフィロソフィを実践するならば、必ずや立派な企業をつくり上げることができるはずです。
では、そのようにしてつくり上げられた立派な企業を維持していくためには、どうすればよいのでしょうか。私は、そのためには、何よりも経営者に「謙虚にして驕(おご)らず」というフィロソフィが求められると思います。
立派な企業をつくり上げれば、その経営者は周囲からちやほやされるようになります。そして、知らず知らずのうちに傲慢になっていくものです。決して、自分では気がつきません。だからこそ、「謙虚にして驕らず」ということを、自分に厳しく言い聞かせ、絶対にそうあってはならないと、強く心していかなければならないのです。
私は、かつて京セラの経営スローガンで、この「謙虚にして驕らず」ということをうたいましたが、それは京セラが急成長企業、高収益企業として、社会から高い評価を受けている、まさに絶好調のときでした。
そして私は、その経営スローガンにおいて、「謙虚にして驕らず」と、社員が傲慢になることを戒めた後に、「さらに努力を」という一節を続けました。この「謙虚」である上に、さらに果てしない「努力」を重ねていくことが大切なのです。
人間というのは、うまくいけばいくほど、どうしても傲慢になって失敗していくものです。同時に、慢心し、「このぐらいはいいだろう」と気持ちが緩み、安楽さを求めるようになっていきます。それが落とし穴になるのです。
戦後の企業経営史を見ますと、まさに寂寞(せきばく)の思いがいたします。歴史もあり、社会から高い評価を受け、素晴らしい経営を続けていたはずの企業が、乱高下の激しい波乱に満ちた歴史をたどるようになったり、むしばまれるように衰退を遂げていったり、ついには破綻してしまうなど、まさに死屍累々(ししるいるい)の観を呈しています。また現在でも、もともと立派であった大企業が大変な苦難に遭遇しています。
そういう無残な様を見るにつけ、「やはり、経営者の気持ちが慢心し、堕落していくから、そのような悲惨な事態を招いてしまったのだ」と思い、今までずっと「謙虚にして驕らず、さらに努力を」と、口うるさいほどに京セラで言い続けてきたのです。
創業期と同じ努力を続ける
また、2010年からおよそ3年にわたってその再建に携わり、無事に再生を果たすことができた日本航空の社員に対しても、私は同じように、この「謙虚にして驕らず、さらに努力を」を戒めの言葉として贈りました。
つまり、日本航空は経営破綻してから3年間、社員の皆さんの必死の努力によって、世界最高の収益性を誇る航空会社に生まれ変わりました。しかし、そのことに慢心することなく、今後も、その3年間に払ったのと同じ努力を続けていかなければ、決してこの好業績を維持することはできない、とお話ししたのです。
そのときに、常に謙虚さを忘れず、果てしない努力を続けていくということで、日本航空の社員たちに紹介したのが、「空中に浮かぶ人力自転車」です。空想ではありますが、ここに漕(こ)げばプロペラが回り、空中に浮かび上がる、ヘリコプターのような乗り物があるとします。
今まさに、空中に浮かんでいます。重力がかかっていますから、空中に浮かんでいるだけで、相当に漕がなければなりません。ましてや、重力に逆らってさらに上昇しようとすれば、今までにもまして勢いよく漕がなければならないはずです。
このことは、経営でも同様です。会社を高収益のまま維持していこうと思えば、その高度まで上がってきたときと同じだけの努力を今後も続けていかなければなりません。ペダルを踏む力を少しでも弱めたら、重力に負けて、次第に降下していき、やがて地面に墜落してしまいます。
つまり、立派な企業であり続けるためには、創業期の頃に払ったのと同じくらいの努力を今後も永遠に続けていかなければならないのです。それは言わば、最初に述べた「誰にも負けない努力をする」という経営者としての原点に常に立ち返るということを意味しています。
現在の状態は過去の自分自身の努力の結果であって、未来はこれから自分が払う努力の結果で決まるのです。現在の経営状況がいいということは、これまで企業に集う仲間たちが努力をしてきた結果であり、決して未来を保証するものではありません。企業の未来は、ひとえにこれからどういう努力を払うかにかかっているのです。
私も85歳を超えた今も、懸命に努力しています。皆さんも、この「謙虚にして驕らず、さらに努力を」ということを、ぜひ拳々服膺(けんけんふくよう)していただきたいと強く思います。
寝る前に振り返り 反省と感謝を
また同時に、企業の繁栄を持続させるためには、経営者自身が「心を高める」努力を怠らないことが重要です。人は得てして、高邁(こうまい)な哲学や人間のあるべき姿などは一度学べば十分だと思い、繰り返し学ぼうとはしないものです。しかし、スポーツ選手が日々の鍛錬を怠ってはその肉体を維持できないように、心や人格も常に高めようと努力し続けなければすぐに元に戻ってしまいます。
今日、私は企業を発展させるために経営者が持つべきフィロソフィをいくつか紹介しましたが、今この場では私の話を聞いて、「なるほど、自分もそのようなフィロソフィを実践するように心がけよう」と思っても、ひとたびこの場を離れてしまえば、往々にして忘れてしまうものです。人間というのは、そのくらいいい加減なものなのです。
かくいう私自身も、決してフィロソフィの全項目を完璧に実践できているわけではありません。しかし、たとえ完璧に実践することができなくとも、日々フィロソフィを実践しようと努力し続けることが大切だと思うのです。
それは、「人間としてこういう生き方をすべきなのだ」と理解し、少しでもそれに近づこうと懸命に生きている人と、そう思わずに漫然と生きている人では、人生や仕事の結果が全く異なってくるからです。言い換えれば、フィロソフィを体得できるかできないかではなく、そのようにありたいと願い、折に触れて反省し、何とか体得しようと努力し続けることこそが大切なのです。
これは、仏教やキリスト教で説いている戒律と同じことです。仏や神から様々な戒めが説かれ、その戒律を守ることをお坊さんや信者は求められています。しかし、いかに宗教界の権威者であっても、仏や神が説く戒律のすべてを守ることはできていないはずです。人間である以上、守ろうと思ってもどうしても守れない。しかし、それでも守らなければならないと真剣に思い、事あるごとに教典や聖書をひもとき、反省する。そのような人とそうでない人とでは、人生や経営の結果は全く違ってくるのです。
よくお話ししていることですが、私自身、若いときから、毎晩寝る前に、一日を振り返って反省するという習慣が身についています。一日を思い返してみて、自分の態度がいくらか傲慢であったことに気づくと、洗面所で家内にも聞こえるくらいの声で「神様ごめん」と言って反省します。また、逆によいことがあったときには、「神様ありがとう」と感謝の言葉も口をついて出てきます。
最近では、「神様」の代わりに「お母さん」とつぶやくこともあります。それは、子供にとって母親とは、いつまでも天のどこかで見守ってくれている存在であり、子供のころに神仏に手を合わせてつぶやいたように、「お母さん、ごめん」「お母さん、ありがとう」と語りかけているのかもしれません。
そのように、常に反省のある日々を送らなければなりません。日々反省をしつつ、フィロソフィを実践しようと懸命に努め続ける。その努力を通じて、少しでも自分の魂を磨き、心を高めていく。そのことが、フィロソフィの実践に最も大切なことだと、私は考えています。
そのように、経営者である皆さん自身が心を高め、純粋で美しい心になろうと懸命に努めることで、従業員も「この人のためならば」と思ってくれ、共に社業の発展に尽くしてくれるようになるはずです。
いかなる業種・業態であっても、従業員の心をつかみ、企業を燃える集団へと変えていくには、経営者自身に人々を引きつける人間的魅力、人格がなければなりません。
もちろん、企業を経営していくわけですから、営業や物流の体制、さらには管理会計や経理システムの構築など、具体的な経営の手法、手段の整備ということも不可欠です。しかし、それらを実行していくにしても、従業員の協力がなければできません。
経営者ですから、命令したり、権力によって従業員を従わせることはできます。しかし、心から納得した上で仕事をしてくれなければ、結局は、すべての努力は水泡に帰してしまいます。逆に、従業員が経営者を信頼し、尊敬し、自分の会社のために尽くそうと思ってくれれば、指示を与えなくても、自主的に行動を起こしてくれるようになります。
だからこそ、フィロソフィの実践を通じて、経営者が心を高め、従業員から尊敬されるような人格を備えることが求められるのです。そして、「社長がそういう立派な考え方をしているから、我々従業員は共鳴もするし尊敬もする。だから社長と一緒に会社発展に尽くしていこう」と、従業員が考えるようにしていかなければならないのです。
このことをよく理解していただき、経営者として、従業員とともにフィロソフィの体得に励んでいただきたいと思います。そうすれば、企業は必ず成長発展を遂げていくとともに、その繁栄を長く持続することができるはずです。
みんなで切磋琢磨し従業員を幸福に導く
本日は、「なぜ経営に哲学が必要か」と題して、経営における哲学の必要性、また、企業の発展プロセスの中で、それぞれ経営者が持つべき具体的な哲学とはどのようなものかについて、お話し申し上げました。
ぜひ、新しく塾生になられた皆さんも、そして、これまで長く学んでこられた皆さんも、立派な経営哲学を確立することの大切さを改めて認識していただき、従業員とともに素晴らしい会社を築いていっていただきたいと思います。
私自身も、先ほども申し上げましたが、もう85歳になりました。昔のように塾生の皆さんと頻繁にお会いすることはできないかもしれませんが、このように真摯にフィロソフィを学ぼうとする皆さんがいる限り、また私の体力と気力が続く限り、この盛和塾の活動を続けていきたいと考えています。
ぜひ皆さんも、この盛和塾において、切磋琢磨して心を高め合い、自らの会社をさらに立派な企業へと発展させ、多くの従業員を幸福へと導いていただきたいと思います。そのことをお願い申し上げ、本日の私の話の結びとさせていただきます。ご清聴、ありがとうございます。
(この記事は、「日経トップリーダー」2022年9月号の記事を基に構成しました)
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