新設されたBリーグ(プロバスケットボール)。初代チャンピオンに輝いた栃木ブレックスのキャプテン・田臥勇太(36歳)がインタビューで最初に口にしたのは、ともに決勝を戦った川﨑ブレイブサンダースへの感謝だった。
チャンピオンシップ決勝(栃木85―79川﨑)
「ありがとうございます。まずはここまで激しく戦ってきた川崎さんに敬意を表したいと思います」
その時、国立代々木競技場(観衆1万144人)を満員に埋めた栃木と川崎、両方のブースター(バスケットではサポーターをブースターと呼ぶ)から大きな拍手が起こった。
対戦相手への敬意を忘れない。
田臥のスピーチには、日本人初のNBA(アメリカ・プロバスケットボール・リーグ)選手として戦ってきた欧米流のマナーが表れていた。NBAに憧れ、日本のバスケットボール・シーンがいつの日か彼の地のような盛況になることを夢見てきた田臥にとって、相手に敬意を払うスピーチも長いキャリアで身に着けてきた流儀であり、こうした場面で自然と出たものだろう。
振り返ること約20年前。日本のNBA人気はピークを迎えていた。
1996年、NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダン(シカゴ・ブルズ)が初来日した。彼のスポンサーであるナイキが招き、他の契約選手と一緒にバスケットクリニックを開催したのだ。当方は1週間に及ぶジョーダンの滞在を朝から晩まで毎日追いかけていた。
NBAの高い壁に跳ね返される
その前年(95年)、中学生だった田臥勇太はこれまたNBAの人気選手だったパトリック・ユーイング(ニューヨーク・ニックス)とテレビCMで共演し、中学生の田臥は日本のバスケット界ではすでに有名な選手だった。
ここから二人は、それぞれのステージで同じようなことをやってのける。ジョーダンは、ブルズでスリーピート(3連覇)を成し遂げ、田臥は進学した能代工業高校の3年間ですべてのタイトルを取り、史上初の高校9冠を達成した。96年からの3年間、2人は日米で輝き続けたのだ。
もしこの時に今のようなBリーグが国内にあれば、田臥はすぐさまどこかのチームに入団して、そのままスター街道を突っ走っていたのかもしれない。ブリガムヤング大ハワイ校に進んだ田臥は、3年で中退して一度日本に戻った(2002年はトヨタ自動車アルバルク)ものの、すぐさまNBAへの挑戦を始める。
そして2004年9月にはフェニックス・サンズと契約し、開幕メンバーに登録された。日本人初のNBAプレーヤーの誕生である。しかし、出場は開幕戦を含む4試合にとどまり、12月に解雇されている。その後、ロサンゼルス・クリッパーズやダラス・マーベリックス、ニュージャージー・ネッツへの入団を狙ったが、レギュラーシーズンでのプレーは叶わなかった。
2008年、6年振りに日本に戻ってきた田臥は、JBL(Bリーグができる前の日本リーグ)のリンク栃木にプロ選手として加わり、現在まで同チームでプレーしている。
スポーツ不毛と嘆く栃木がバスケの街に
田臥が173センチという小柄な身長にもかかわらずNBAを目指したのは、ずば抜けたバスケットセンスを持つ者の宿命だったと言えるだろう。しかし、彼が帰国してからの日本は、国内に2つのリーグが存在し、FIBA(国際バスケットボール連盟)から国際試合への出場が禁じられる最悪の環境だった。せっかく高まっていたNBAへの関心も、日本が誇るバスケット界の逸材も、分裂した国内を盛り上げることはできなかった。
しかし、なんとか間に合った。
統一されたBリーグで田臥は、変幻自在のパスワークと相手のスキを見て自身でカットインするスピードあふれるプレーで、初代チャンピオンに輝いた。田臥というスター選手を日本バスケット界は活かすことができたのだ。
かつて栃木県の行政関係者が言っていたことを思い出す。「栃木県は、スポーツ不毛の土地なんですよ。強いスポーツが何ひとつない。何とか盛り上がるチームができないものか…」。
そんな嘆きも今は昔だ。この日の代々木競技場も8割が黄色のシャツを着た栃木ブースターが占拠していた。ブレックスが本拠地を置く宇都宮市を中心に、栃木県は今バスケットで熱くなっている。
Jリーグで創られた街の環境も一助に
Bリーグ創設の立役者・川淵三郎氏は言った。
「どんなプロスポーツでも、Jリーグのクラブがあるところにチームを作れば必ず成功しますよ」
Jリーグ(サッカー)の成功に驕っているわけではない。チーム運営に必要な要素が揃っているからだ。
- 自治体の協力体制。
- 地元企業体のサポートシステム。
- サポーターやブースターの応援意識。
- クラブやチームが存在することの意義や魅力の認識。
- 地元チームが勝つことの盛り上がり。
- 青少年への教育的効果。
- 地域住民のコミュニケーションを高める。 など…
優勝インタビューで田臥は続けた。
「チームメイトをはじめ、コーチングスタッフ、チームトレーナー、チームマネージャー、フロントスタッフ、ブレッキー(チームマスコット)、そして何より最後まで一緒に戦ってくれたファンのみなさんのおかげです。本当にありがとうございました」
上記要素に謙虚なスター選手の存在が加わって、栃木ブレックスのサクセスストーリーが完成した。日本バスケットボール界の喜ぶべき新たなスタートである。
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。