100年前の中東では、ペルシア湾を挟んで2つの帝国が覇権を争っていた。トルコ人のオスマン帝国と、イラン人のペルシア帝国である。イスラム教の開祖、預言者ムハンマドを生んだアラブ人は落ちぶれ、オスマン帝国とペルシア帝国とに分割支配されていたのだ。
預言者ムハンマドの一族であるアリー家が、ササン朝ペルシアの王女の血を引くという伝承により、このアリー家だけを指導者とみなすシーア派はイランで広まった。
一方のアラブ世界では、血統よりもイスラム法の継承を重視するスンナ派が多数を占め、預言者の血統でなくても能力次第で「カリフ」(教団指導者)になることができた。
しかし「能力次第で」ということは下剋上を許すということにもなった。遠くモンゴル高原に兵を起こしたトルコ人は、騎馬軍団を率いてイスラム世界を席巻し、トルコ人の君主に過ぎないオスマン家が「カリフ」を僭称するようになった。
いずれにしても、アラブ人にとっては容認しがたい事態である。
アラブ復権を果たしたサウジアラビア建国
1740年代、日本では「暴れん坊将軍」吉宗の時代のこと。
アラブの部族長の一人、サウード家のもとを一人のイスラム法学者が訪れ、ワッハーブと名乗った。彼はアラブの衰退と異民族の支配を嘆き、その原因をアラブ人による『コーラン』の軽視にあると説いた。『コーラン』だけを法とし、これに反する逸脱行為―――飲酒はもちろん、唯一神(アッラー)以外の偶像を祀ること、王や聖者の墓所に対する崇拝、歌舞音曲など―――を厳禁し、これらに鉄槌を下すことで我らアラブは神の恩寵に浴し、再び世界を席巻できる、というわけだ。
心を動かされたサウードは聖戦(ジハード)の兵を挙げ、アラビア半島の統一を図った。従わぬものは容赦なく斬首し、彼らが「逸脱」とみなすあらゆる習慣や文化財を破壊した。その激烈さは、今日のIS(イスラム国)やアルカイダが行なっている破壊行為と変わらない。彼らもワッハーブ派だからである。
ワッハーブ派を恐れたオスマン帝国は討伐軍を派遣したが、縦横無尽に砂漠を移動するワッハーブ派を根絶するには至らなかった。彼らは2度滅ぼされるが3度起き上がり、ついに20世紀初頭、第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国が崩壊したのに乗じて、サウード家のアブドゥル・アジーズがサウジアラビア王国を建国した。その国旗は、イスラムを象徴する緑地に白で「剣とコーラン」を描いている(関連情報)。
石油をめぐる英米の介入が招いたスンナ派内の対立
石油利権の確保を狙う英国は、サウジアラビアによるアラビア半島統一を阻止するため、ペルシア湾岸のクウェート、カタール、バーレーン、アラビア半島南岸イエメンの部族長を軍事援助してその独立を認め、これらのミニ国家でサウジを包囲する体制を敷いた。
また、オスマン帝国時代に聖地メッカの知事を務めていたアラブの名門ハーシム家の王子を擁立してイラクとヨルダンを建国させ、地中海からペルシア湾へ至るルートを確保した。この英国の遠大な策略に比べれば、10年後に日本が満州国を建国したことなど児戯に等しい。英国人リットンを団長とする国際連盟の調査団が、日本に対する制裁を勧告できなかったのは、英国自身が中東で同じようなことをやってきたからだ。
孤立するサウジに救いの手を差し伸べたのが米国だった。フランクリン・ローズヴェルト大統領はアブドゥル・アジーズ国王と会見し、ロックフェラー系石油資本に石油掘削権を認める代償として軍事援助を与えた。「剣とコーラン」に、今度は米国系石油資本が加わったのだ。
サウジ王家(サウード家)から見れば、アラビア半島周辺のミニ国家は「英国の傀儡」であり、いつでも「討伐」の対象になりうる。よってこれらの国々は、もう一つの大国であるイランに接近することでサウジを牽制する。
ペルシア湾岸に近いサウジ領内にはシーア派の住民が多い。サウード王家の支配が揺らげば、これらの地域はイランに併合されるだろう。厄介なことに、このシーア派地域の下には油田が広がっている。この地域を手放すことは、サウジ王家にとって「死」を意味する。よって、イランとの対決は避けられない。
米国は、イランの石油利権をも握っていた。しかし、1979年のイラン革命で親米王政を倒したシーア派政権(ホメイニ政権)が米国の石油利権を国有化してしまったため、米国は革命イランを敵視し、サウジへの援助を強化した。追い詰められたイランはついに核開発に着手し、北朝鮮ともつながるようになった。
ムハンマド王子の強権とカショギ氏殺害
石油資本との繋がりが弱いオバマ政権は、従来のイラン敵視政策を大転換し、経済制裁を緩和した。これはサウジから見れば「米国の裏切り」である。もし米国が対北朝鮮経済制裁を突然緩和すれば、日本はどう思うか。これと同じことをオバマ政権はやった。
80歳代のサルマン国王の事実上の摂政として実権を握るムハンマド・ビン・サルマン王子(「ビン~」は「~の息子」を意味する)―――通称MBSは米国石油資本に頼らない国づくりを目指して強力なリーダーシップを取り始めた。このMBS改革は、既得権益の上にあぐらをかく他の王族たちの妨害にあう。MBSは汚職容疑でこれらの王族を容赦なく取り締まり、混乱につけ込もうとするイランを牽制するため、周辺諸国への圧力も強めてきた。
サウジ王家のスキャンダルを報道するニュース局アルジャジーラを経営するカタール王家に対する厳しい経済制裁、イエメンのシーア派武装勢力への容赦ない空爆。サウジ国内では北朝鮮並みの報道管制が敷かれ、弾圧の実態を報道する記者は命を狙われる。
トルコ系サウジ人のジャーナリストであるカショギ氏が、結婚の手続きのためトルコのサウジ領事館を訪れ、領事館内で殺害された事件は、このような状況下で起こった。
トランプ政権がオバマの中東政策を批判し、再びイランを締め上げてサウジとの同盟関係を再構築しようとしている矢先にこの事件が起こった。トランプ大統領にとっては迷惑以外の何物でもなく、イランはほくそ笑んでいるだろう。犯行の舞台となったトルコはメンツを潰された形だが、真相究明に努力する善意の第三者としてふるまい、この事件を冷え込んでいた対米関係の改善に利用するだろう。サウジアラビアの権威失墜は、オスマン帝国の継承者たるトルコの威信を高めることになる。
MBSが直接、殺害を指示していたかどうかが争点となる。MBSの意向を工作機関が忖度して暴走したのか。それともMBSの失脚を狙うサウジ内の反対勢力が仕組んだのか。領事館内での殺人というあまりにお粗末な計画だけに、後者ではないかと私は勘ぐっている。
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