所得格差の拡大を背景に登場したドナルド・トランプ米次期大統領だが、そのポピュリズム(大衆迎合主義)政策は格差をさらに拡大する危険をはらんでいる。北米自由貿易協定(NAFTA)見直しや環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱など、排外主義は結局、米国経済を悪化させ、中間層の雇用を奪うことになる。その一方で、ウォール街重視の閣僚配置や金融規制の緩和は金融資本主義をさらに刺激することになるだろう。こうして、格差はさらに拡大する。この矛盾に目をつぶり、目先のポピュリズムに走れば、トランプ政策は世界経済を危機に陥れることになりかねない。
NAFTA見直しは英離脱並みの衝撃
大統領選中にNAFTA見直しを公言してきたトランプ氏は、1日の演説で「NAFTAはひどい失敗作だ。見直すことになるだろう」と述べた。当選後はNAFTAについての言及を封印してきただけに、排外主義の本質が変わらないことを改めて示すことになった。
欧州連合(EU)に次ぐ巨大経済圏であるNAFTAの見直しは、英国のEU離脱、それも自由な市場アクセスのない「ハードBREXIT」に似ている。その衝撃はグローバル経済全体に及ぶ。メキシコは日本を含め世界各国と自由貿易協定を締結している。日本の自動車メーカーなど、その多くは米市場に照準を合わせている。そうした生産ネットワーク、サプライチェーンが分断されることになる。
トランプ氏のNAFTA見直しの動きを受けて、メキシコ・ペソは急落し、メキシコの成長減速は避けられなくなっているが、メキシコ経済に大打撃を与えるだけではすまない。それは米国経済にも当然、跳ね返ってくる。
資本主義の土台揺るがす介入主義
トランプ氏はメキシコへの進出計画を打ち出している米空調大手のキャリアのインディアナ州工場での人員削減を中止させたと誇らしく語ったが、大統領の強権で企業の計画をくつがえさせることになれば、資本主義の土台が揺らぐ。本物のビジネスマンなら、この基本原理がわからないはずはない。このトランプ氏の行動に、米メディアの一部には「選挙公約を実現した」などという評があるのには驚く。米メディアや経済界から、この暴挙に対して真正面からの批判が起きないとすれば、権力者の強権を黙認する米国社会の衰退を嘆かざるをえない。
トランプ氏は「海外移転した米企業には重税を課す」とも述べている。こんな措置が実行可能かどうかは別として、米国企業がグローバル企業としてビジネスを展開することに制裁を科す事態になれば、グローバル経済の相互依存関係は大きく崩れることになる。
貿易や投資をプラスサムではなく勝ち負けでしかととらえない誤った経済感覚を改めないかぎり、トランプ氏は反グローバル主義の落とし穴から抜け出せないだろう。
ウォール街偏重に変身
大統領選挙中からの大きな変化は、トランプ氏がウォール街偏重ともいえる姿勢に転じていることだ。民主党のヒラリー・クリントン候補をウォール街寄りだと批判していたのとは様変わりの大きな変身である。財務長官にはゴールドマン・サックスのパートナーをつとめたスティーブン・ムニューチン氏を、商務長官には投資家で「再建王」の異名もあるウィルバー・ロス氏を起用することにしたのをみても、それは明らかだ。
さらに、リーマンショックを受けて導入された金融規制を緩和する方針を鮮明にしている。ウォール街にはこの金融規制には反発が強かっただけに、方針転換を歓迎し、金融株の上昇につながっている。しかに、期待先行の「トランプ・ラリー」は金融バブルとその後に待ち受ける金融危機の危険をはらんでいる。
とくに、大規模なインフラ投資や大型減税で、財政赤字の拡大が予想されるだけに、財政危機との連鎖は大きな懸念材料だ。
FRBの独立性脅かす恐れ
こうしたなかで、重要なのはFRB(米連邦準備理事会)のかじ取りだが、トランプ氏はイエレンFRB議長について「再任しない」と明言している。イエレン議長がトランプ氏の大統領当選後も金融規制の緩和に反対すると鮮明にしているだけに、両者の溝はかなり深い。
FRBは今月、再利上げするとみられているが、さらに来年も慎重に出口戦略を続ける構えである。しかし、トランプ氏は不動産王の経験から、金融緩和に傾斜している。あつれきが生じる危険がある。
問題は、米国に根付いてきたFRBの独立性が脅かされかねないことだ。それは米国経済そのものの信認、そして基軸通貨ドルの信認にも響くだろう。
保護主義と金融肥大化で格差拡大
やや皮肉だが、トランプ流のポピュリズム政策は格差の是正どころか格差の拡大を招くだろう。世界経済の潮流にそぐわぬNAFTA見直しなど反グローバル化の動きは、米国の成長力を削ぐことになる。TPPから離脱すれば、アジア太平洋地域からの成長の果実を取り込めなくなる。それはトランプ氏の集票基盤である白人中間層の雇用に響くことになる。
一方で、金融資本主義の肥大化に手を貸すことになれば、格差をさらに拡大する。所得格差が拡大したのは、グローバリズムのせいではなく、実体経済と金融経済の落差が広がったためである。いわば、ウォール・ストリートとメイン・ストリートの落差である。金融資本主義を刺激して、ウォール街をさらに活性化し、保護主義でメイン・ストリートを封鎖することになれば、格差はさらに拡大することになる。
トランプ流、負の連鎖の危険
問題は、トランプ流のポピュリズム政策が世界中に負の連鎖を起こす危険があることだ。とりわけ英国の離脱決定で混迷するEUへの連鎖が懸念される。オーストリアの大統領選挙では、極右の候補が敗退したが、イタリアでは憲法改正をめぐる国民投票で、ユーロ懐疑派のポピュリズム政党である五つ星運動の進出を許した。レンツィ首相は辞任に追い込まれ、イタリア政治の混迷は避けられなくなっている。
来年春のフランス大統領選挙では共和党フィヨン候補が最有力だが、トランプ当選で勢いづく極右、ルペン候補が決戦に残る可能性は濃厚だ。メルケル首相が4選をめざす来年秋の独総選挙でも右派勢力が台頭する危険がある。
米欧間でのポピュリズムの負の連鎖は、世界経済の大きな不安定要因になる。そうでなくてもロシア、中国、トルコ、フィリピンなどに広がる強権政治は、大恐慌後の1930年代を連想させる。
安倍首相はトランプ氏に警告を
ここで重要なのは、日本の役割である。トランプ流排外主義に物申すのは、同盟国である日本の責任だろう。真っ先にトランプ氏と会談した安倍晋三首相の責任は重い。
TPPへの参加を繰り返すだけではすまない。米国が不参加なら、他のTPP11カ国ととともに、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)との結合をめざすことだ。そうして米国の翻意を待つしかない。同時にEUとの経済連携協定の締結を急ぐことだ。EUにとっても、保護主義の防波堤になるだけに、早期合意を導ける可能性がある。
それだけではすまない。NAFTAの見直しに反対することだ。域外国だからといって遠慮する理由はない。日本企業の利害に直結しているからこそ、見直しに反対して当然だ。それによって、グローバル経済の相互依存がいかに深いか、排外主義の危険がいかに大きいかを説くべきだ。
トランプ氏は排外主義の本質を簡単に変えるとは思えないが、だからこそ国際社会と連携して粘り強く説得するしかない。それが同盟国としての責任であり、国益である。
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