「よく、この程度でうちの会社に入って来られたな」
3月は人が動く。街には新生活のスタートに向けた広告が溢れて、週末ともなれば都心の店舗には人が群がる。そして、会社員にとっては異動や昇進という大イベントもある。
恒例の人事通達を告げる社内システムの画面を見ながら、Bさんは心の中で呟いた。
「そうか、Hさんは“あの街”に行くのか」
現在課長職のBさんは4月から次長に昇進する。そして、Hさんはかつての上司で今年で55歳になる。Hさんが異動する支社は、一昨年新たな新幹線が開通した北陸の都市だ。
「なんか不思議な縁なのかな……」
Bさんがそう考えるのには理由があった。それは、今から7年ほど前に遡る。Bさんにとっては忘れられない経験があったのだ。
その頃、Hさんは営業セクションの課長でBさんはいわば「番頭格」の部下だった。課の業績は比較的安定していて、Bさんにとっては居心地の良い部署だった。
Hさんは元々はバランス感覚の優れた人で、仕えていて大きな不満はなかった。ところが、ある時期からHさんに妙な「癖」のようなものが強くなった。
新入社員などの若手に対して、やたらと辛く当たるのだ。Bさんのように30代半ばの中堅には普通に接しているのに、若手にはきついことを言う。
「よく、この程度でうちの会社に入って来られたな」
そんな言いぐさはまだいい方で、ある時、きちんとした挨拶ができなかった新人にこんなことを言った。
「いったい、どんな育てられ方をしてきたんだよ!」
この時は、言われた新人も顔色が変わった。慌てたBさんたちが、「いや、いろいろ忙しくて気が回らなかったんでしょう」と諫めたほどだった。
何で変わってしまったのか?部下や同僚も首をひねるばかりだったし、Bさんにもその理由はわからなかった。
「育成下手」という烙印
そんな状況が続けば若手の間では不満が募るし、「どうも、やりにくい人だよな」という評判は広まっていく。
「Hの下じゃ、若手は伸びないよ」
上の方からはそんな声が聞こえるようになった。実際にパフォーマンスの低い部下が、異動したとたんに成果を上げるケースもあった。
人事部もHさんの部署に新人を配属するのを避けるようになり、課の平均年齢は上がっていく。また、全社的に人材育成を重視するようになり、課長職の評価においても、育成力に重きが置かれるようになった。
「お前のところは、若手が育たないな」
上からそう評価されてしまえば、管理職としては致命的だ。だからHさんが本社に異動しても、周りは驚かなかった。見た目は横滑りだが、明らかに第一線を外れた感じだった。
そして、後任はBさんとなった。
異動に当たっては、いろいろと引き継ぎがある。当然のように「メシにでも行くか」ということとなった。
Bさんは、Hさんに確かめたいことがあった。そう、「若手に辛く当たる」理由である。
それまでも、Hさんが叱った若手のことをかばって「いつもはきちんとやってるんですよ」とフォローすることはよくあった。そういう時、Hさんは「わかってるよ」と言う。しかし、若手を前にすると感情が抑えられないように見えるのだ。ただ、「なぜですか?」とは聞けなかった。
その晩も、なかなかその話は切り出せなかった。Bさんが逡巡していると、Hさんが唐突に言った。
「そういえば、お前はX大学だったよな?」
「はい」と答えて、Bさんは次の言葉を待った。
きっかけは息子の中退だった
Hさんが話し始めたのは、彼の一人息子のことだった。それは、4年前にX大学の付属高校に合格した、という話から始まった。
X大学は私立の名門で、社内にも出身者が多い。Hさんも都内の私大出身だが、X大学の方がいわば「格上」だ。
「いや、本当に嬉しかったよ。オレを超えてくれたと思ってさ」
Hさんは、飾らずにそう話した。若手に苛立っているような時とは別人のようだった。
そして、その話は意外な展開を迎える。
家族中で喜んだ息子さんの合格だったが、1年生の途中で様子がおかしくなった。学校に行きたがらなくなり、結局中退したのだという。いじめのようなものがあったわけでもなく、学校も熱心に対応してくれた。
勉強についていくのは結構大変だったらしいが、それだけで中退に至ったとも思えないという。「理由については、今でもはっきりしないんだよな。"青春の病"みたいなものなのかな」とHさんはこぼした。
当然だが、その時は相当ガッカリしたようだ。それは、そうだろう。期待が高かっただけに反動も大きいはずだ。
そして、その頃から、若い社員に苛立ちを感じるようになったのだという。まだまだ仕事は穴だらけなのに、能天気に一人前のような顔をしている元気な若手を見ると、悔しさとかも哀しさともつかない妙な感情が高まってしまったという。
「ある種の“嫉妬”とか、もしくは”八つ当たり”みたいなものなのかね」
自分で分かってはいても、どうしようもなかったらしい。そして、「育成下手」との評価を受けていることも、十分にわかってはいた。
「よく『仕事を家庭に持ち込まない』って話は聞くけどさ、俺の場合『家庭を仕事に持ち込んじゃった』ってことなのかな」
「だから、今回の異動も仕方ないんだよ」と悟ったように語るHさんに対し、Bさんは何も言えなくなってしまった。
息子に投影した自らのコンプレックス
「でも、大学には進学できたんだよね」
中退した息子さんだが、その後一念発起して高卒認定の試験に挑戦。遠回りしたものの、今年北陸地方のとある大学に合格したそうだ。
「まあ、この話をするのは初めてだったし、これからも、話すことはないだろうな」
Hさんは、別れ際にそんなことを言った。他言してくれるな、という気持ちもあったのかもしれないが、もちろんBさんも話すつもりはない。というよりも、誰にも話せないなと思う。
そういえば、とBさんは思い出す。以前、X大学出身の新人が配属された時のことだ。Bさんと打ち解けて話す様子を見た後で、Hさんがポツリと言った。
「いいなあ、X大は仲が良くて」
いまにして思うと、その言い方に妙な棘を感じたのだが、きっと、息子さんが岐路に立っていた時期だったのだ。
息子が自分を超えた嬉しさと、そこからの落胆。彼の中のある出身大学へのコンプレックスと、周囲への嫉妬心。それらが絡み合って相当にこじれて、若手に対する厳しい言動として「噴出」したのだ。
Hさんの息子は、きっと、もう大学を卒業して社会人になっているはずだ。そして、ふと自分のことを振り返れば、息子の高校受験が来年に迫っている。X大学の付属高校や、さらに格上の学校にも挑戦するという。合格してほしい気持ちはもちろんだけれど、どんな結果でも受け入れてやりたいと思う。
学校の”ブランド”が、その後の人生に影響を与えることは多少はあるだろう。しかし、「どの学校を出たのか」という経歴だけで、社会に出てからのキャリアが決めるわけではない。会社員を30年もやっていれば、そのくらいのことはよくわかる。同じX大学の出身者でも、順調にキャリアを重ねる者がいる一方で、不遇をかこつ者もたくさんいる。
社会で求められていることは、「今の自分の力」を磨き続けることだ。「未来を見つめる意欲」は、過去の経歴から得られるものではない。
そういう、人生で本当に大切なことをいつか息子にも伝えてやりたい。そんなことを考えながら、BさんはHさんのことを思い出す。彼はこの会社でのキャリアを、自分の期待に背を向けた息子が暮らした街で終えることになるのだろう。
Hさんはあの後、自分自身の中にある葛藤を上手に消化できたのだろうか。息子さんとの関係は、どうなっているんだろう。穏やかな気持ちで過ごされればいいな、とBさんは改めて思った。
妙に学歴にこだわったり、気にしたりする人がいる。就職活動から、昇進あるいは商談の成否などに関し、意に沿わない結果だった原因を出身校に求めるケースが多いように思える。
出身校のブランドが、人生に何ら影響を及ぼさないとまでは言わない。ただ、出身校のおかげで被ったと感じられるデメリットの数々は、その原因が別にもある場合が少なくないのではないだろうか。また、同様に、得られたと思っているメリットも、単なる自己満足のレベルに過ぎないかもしれない。
はっきりしているのは、他人の学歴を羨んだとしても、自らの学歴を誇示したとしても、得られるものはさしてないということ。場合によっては、自分の首を絞めることになる。
また、消化しきれない自分の思い、もしくは自己満足感を子どもに強く“投影”しても、子どもが必ずしも、その期待に応えてくれるとは限らない。異なる道を選んだ場合に双方が負う心の傷は、想像以上に深くなるかもしれない。
■ちょっとしたお薦め「親と子」は、歴史においても文学においても、繰り返し取り上げられるテーマだ。誰しも、自分の親、もしくは子との間には様々な思い出や葛藤がある。特に「父と息子」「母と娘」は、同性ならではの複雑な綾もあるだろう。
「父子」をテーマにした作品の中でも、有名なのがツルゲーネフの「初恋(はつ恋)」だ。若い頃に読んだ人も多いだろうが、時を経て、自分の人生を振り返りながらいま読み返すと、また異なる思いが行き来するかもしれない。
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