世界有数の流通コングロマリットを長く率いてきたカリスマ経営者、鈴木敏文氏。1963年に黎明期のイトーヨーカ堂に身を転じてから、トップの座を去るまでの53年間、日経ビジネスは彼の挑戦や奮闘、挫折を、常に追い続けてきた。そして2016年、カリスマ経営者のすべてをまとめた書籍「鈴木敏文 孤高」を上梓した。だが、書籍には収まりきらなかった珠玉のエピソードがまだ数多くある。イトーヨーカ堂創業者・伊藤雅俊氏の素顔から、鈴木敏文氏がそれぞれの時代に語った言葉まで。日経ビジネスが追った鈴木氏と伊藤氏の半世紀を、特設サイト「鈴木敏文 孤高」で連日、公開する。

 今回公開するのは、日経ビジネス1989年2月13日号に掲載した記事だ。コンビニエンスストアの競争力の源泉が中食にあることは、今では当たり前のことである。だがおよそ30年前、コンビニの中食は決して「おいしい」と胸を張って言えるものではなかった。業界1位のセブン-イレブン・ジャパンが挑んだ中食の鮮度競争。この取り組みがあったからこそ、コンビニは日本国民の生活インフラとなり、外食産業を脅かすまでの大きな存在となったのだ。1989年、セブンイレブンはどのような取り組みを実施していたのか。(写真:的野弘路)

※社名、役職名は当時のものです。

緊張感に包まれる役員試食会(左から3人目が鈴木敏文氏)
緊張感に包まれる役員試食会(左から3人目が鈴木敏文氏)

 1988年11月以来、コンビニエンスストア最大手、セブン-イレブン・ジャパン本部の役員会議室では、1日も欠かさず、役員による昼食会が開かれている。メニューはすべてセブンイレブンの店頭で販売される弁当だ。

役員を連日“弁当責め”

 1989年1月中旬某日のメニューは鶏の照焼弁当。当日のテーマは、工場で製造されたばかりの弁当と、店頭から買ってきた弁当の「比較研究」である。米飯を食べ比べた鈴木敏文社長から、「米飯の粘りに微妙な差がある」と厳しい指摘が飛ぶ。「一体、いつまでテストに時間をかけるのか。直ちに品質劣化をゼロにせよ」。叱責を受けた担当マネージャーは真っ赤になって首をすくめる。

 実は、セブンイレブンは今、弁当・調理パンなど調理済み食品の鮮度向上を図るため、製造・配送時間の大幅な短縮に取り組んでいる。1989年2月いっぱいを製造・配送体制の組み替え終了の目標に据えているため、試食もより入念になるわけだ。セブンイレブンがこうした改革に踏み切るきっかけになったのは、たった1本のテレビ番組なのである。

NHKが暴露したセブンの弱点

 1988年11月7日、 NHKは朝のニュースで、コンビニの弁当の鮮度にメスを入れた。NHKのレポーターはまず、セブンイレブン店頭で手にした弁当の中に製造日だけが表示されているものと、製造日と製造時間が入れられているものが交じっていることを指摘した。

 さらにNHKのカメラはセブンイレブンの調理済み食品ベンダー(納入業者)の工場にも入りこみ、たとえ製造時間が表示されていても、表示時間と実際の製造時間に2〜3時間のズレがあることを暴露したのだ。

 取材直後にベンダーから事の顛末の報告が入るや、セブンイレブン本部は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。弁当・調理パンの1日3便製造・配送網の全国整備も目前に迫り、調理済み食品の鮮度管理にはコンビニ業界で最も先進的な取り組みをしているとの自負もあっただけに、虚をつかれた格好になった。

 そこで、早速全ベンダーへの緊急立ち入り検査が実施された。

 その結果、次のような事実が明らかになった。全国の大部分のベンダーでは、表示のズレは1時間以内なのだが、店舗を集中出店している首都圏では、各工場の割り当て製造量が多く、1回ごとの製造開始から終わりまで、どうしても時間がかかる。そのため、別に製造時間表示シールを大量印字して弁当に張りつけると、表示に最大2〜3時間のズレが生じるというわけだ。

 セブンイレブンは応急処置として、番組放映の翌日から弁当の製造時間表示をすべて1時間ごとに切り替えた。だが、鈴木社長は事態をもっと深刻に捉えた。鈴木社長はこう反省する。

 「自分たちとしては完璧な鮮度管理システムを作り上げているつもりでいながら、実際にはこんなに初歩的なバグ(プログラムの誤り)があった。食品の鮮度とは何かを初心に帰って考え直し、今までのシステムをいったんご破算にする必要があると判断した」

 そして事実、全社に製造・配送・販売体制を徹底的に洗い直し、鮮度向上を妨げている要因をしらみつぶしにするよう命じたのである。

 それにしても、そうまで急いで鮮度向上を図る必要があるのか。ほかのコンビニは製造時間さえ表示していないし、製造・配送についても、まだ1日2便体制というのが現状だ。

 あるコンビニチェーンの幹部はこう語る。「コンビニの弁当や総菜は、しょせん独身者や共働き主婦が間に合わせに買っていくもの。たかだが1〜2時間の鮮度の差に消費者が血眼になるとは思えない。それよりも、レトルト食品、冷凍食品を活用しながら、『すぐに食べられる食品』のアイテム数を増やす方が消費者のニーズに合っている」。

 この説明、確かに一理あるように思うのだが、鈴木社長はこう主張する。「我々はほかのコンビニとの競争など念頭にはない。顧客の嗜好変化を見つめた結果、やはり『鮮度』に可能な限りの投資をすべきだと判断したのだ」。

専業主婦にモテる商品を

 鈴木社長はその根拠として、最近5年間のセブンイレブン顧客調査を示す。それによると、セブンイレブンの客層のうち、独身男女は20%強。それに対して既婚者は35%〜40%で推移している。もはや、独身者が顧客の中心とは言えない。

 それでは共働き主婦の利用が増えているのかというと、それも当たらない。主婦の利用は午前9時から午後7時までに集中していることから見て、専業主婦が大半を占めているものと推測できる。

 つまり、今やあらゆる客層が、時間にゆとりのあるなしに関わらず、コンビニを利用し、調理済み食品を購入するようになってきたのだ。こうした現象は鈴木社長によれば、人間の「根源的な欲望」に根ざしたものだという。

 「カネで解決がつくのなら、調理の手をかけずにうまいものが食べたい人間のこうした欲望に、際限などはない。今後は、調理済み食品は単なる『間に合わせ』ではなく、家庭の食卓で重要な地位を占めるようになるだろう。それなら、顧客が品質に厳しい目を向け始めるのは当然の流れではないか」(鈴木社長)。

 こうした「マクロの状況変化」を感じ取りやすい立場に鈴木社長がいることも幸いしていたのだろう。鈴木社長はイトーヨーカ堂の副社長も兼務しているが、同社でも総菜など調理済み食品の伸びは、食品売上高全体の伸び率を常に数ポイント上回っている。しかも、「出来たての味」に対する顧客の要請がますます強まり、総菜用の厨房が店内に設けられるケースが増えているという。

 

 今や、セブンイレブンの調理済み食品にとって、真のライバルはかつての持ち帰り弁当チェーンやほかのコンビニから、スーパー、百貨店の食品売り場に移行している。こうした業態での店頭調理品の鮮度に対抗するには、セブンイレブンは、顧客の購買時間と量を正確に予測し、できるだけ販売直前に必要な量を作り、速やかにジャスト・イン・タイムで各店に商品を持ちこむシステムを作りあげる必要がある。

 新鮮さを追求する理由はもう一つある。調理済み食品は腐敗しやすいから、どうしても日持ちしやすい素材を使う傾向がある。しかし、作ってから売り切るまでの時間を短縮できれば、日持ちの難しい素材を多用して、より高級感のあるメニューを開発することも可能になるというわけだ。

1979年から中食の鮮度を追及し始めた

 鮮度追求という問題意識を、セブンイレブンは、昔から根強く持っていた。そのため、着々と独自の鮮度管理システムの構築を進めていた。

 まず、ベンダーの選別では、温度管理された生産ライン、仕分け場、保冷車を所有することを条件としてきた。そして1983年から徐々に導入を進めてきた1日3便体制に対応できるよう、24時間年中無休で工場を稼働させるよう、ベンダーを指導してきた。

 また、1979年からは、極力製造時間をラベルに記入し、1986年からは、その表示をもとに店頭での商品陳列は常に新しいものを前面に出し、18度の保冷ケースに商品を置いているにも関わらず、売れ残りは納入後20時間ですべて廃棄するようにさせた。万が一にも古い商品が顧客の手に渡らないよう、1982年には、POSデータに「デイリー商品別売り切れ時刻一覧」を盛りこみ、単品管理も徹底させた。

 ただ、こうした鮮度管理とは別に、セブンイレブンは調理済み食品の急激な需要拡大への対応にも追われていた。とりわけ、1980年頃から、首都圏では調理済み食品は、毎年2割の売り上げ増が続き、これまでに育成してきた20数社のベンダーだけでは、とても対応できなくなってきた。彼らのほとんどが、企業規模で言えば中小企業であり、拡大のテンポには資金・人材面で自ずと「天井」があるからだ。

 ここに、大きな落とし穴があった。実はこの「量への対応」に追われるうちに、セブンイレブンはいつしか、当初の「鮮度追求の精神」を風化させていったのである。

 調理済み食品の生産量を急激に増やすために、セブンイレブンは大手食品メーカーの経営資源を活用することを思いついた。1984年以来、キユーピー、ハウス食品工業、プリマハム、伊藤ハム、味の素、スギヨといった企業に、関東地区で次々と調理済み食品を製造するセブンイレブン専用協力工場を設立させた。

 もっとも、直ちに既存ベンダーの脅威とならぬよう、様々な配慮はしている。新たに工場を設立する場所は、セブンイレブンが指定した、既存ベンダーでは十分にカバーしきれていなかった地区が中心である。メニューについても、既存のベンダーと調整してすみ分けるようにしている。

ベンダー管理の徹底があだに

 だがその一方で、セブンイレブン本部は、ベンダー間に厳しい「競争原理」を導入しようと画策した。1988年4月、三井物産に弁当・調理パンの物流子会社トランス・フリートを設立させたのは、その布石だった。

 この会社の目的は、首都圏の弁当類の配送体制を速やかに1日2便から3便に切り替え、商品の鮮度向上と欠品の排除を目指すことにあると、対外的には説明された。だが本当の狙いは、既存ベンダーから配送機能を取りあげてしまうことにあった。

 各ベンダーに配送を委託したままだと、商品力よりも配送能力の優劣がベンダー選択の決め手になる場合が往々にして起きる。従来から、各地区とも弁当については3業者に納入させているのに、商品の品質向上競争になかなかつながらないのはそのためだ。しかし、配送を専門会社に一本化すれば、ベンダーは商品の品質向上にしのぎを削りあうようになるだろうとの読みだ。

 セブンイレブンという企業は、自前では製造・配送・販売機能を全く抱えず、外部の企業を結びつけて一つのシステムを作り上げることで、付加価値を生んできた。

 そのため、ベンダーの選別は本部にとってはまさに生命線。これまで、セブンイレブンの要求に応じられないメーカー、問屋は容赦なくふるい落とされてきた。最も外注管理が難しい調理済み食品ベンダーに関しても、大手食品メーカーの援護射撃が決まった時点で自由競争に突入させ、危機感をあおることで、量と品質の向上を一気に達成しようと考えたわけだ。

 だが、この考え方には、「製造時間と配送時間をいかに短縮させるか」という視点が抜け落ちていた。全工場の生産リードタイムを平均して短縮するには、強い業者への生産集中は、むしろマイナスになる。配送も、トランス・フリートに一本化すると、各ベンダーからの集荷に時間が食われ、結果として配送時間は長くなる。

 そうした矛盾にセブンイレブンの目を向けさせる契機になったのが、 NHKの問題提起だったのだ。

スーパー、百貨店と戦う武器に

 それではセブンイレブンは、どのように調理済み食品の供給体制を組み替えようとしているのか。ポイントは「地域分散」にあると言う。

 岩国修一常務はこう説明する。「調味料や缶詰など、一般の加工食品は鮮度を厳しく問われないから、製造・配送をなるべく集中してスケール・メリットを享受した方が良い。しかし調理済み食品は、『新鮮さ』が新たな付加価値を生み出すから、作業は可能な限り分散し、製造・配送のリードタイムの短縮に力点を置くのが望ましい」。

 具体的な実現策の詳細は不明だが、ベンダーからの情報を総合すると、以下のようになるはずだ。

 まず、店舗経営を指導する各地区のFC(フィールドカウンセラー)に命じて、各店の調理済み食品のロスの発生状況と原因を細かく分析させる。そして各店の1日3回の発注量をなるべく平準化し、工場の生産量の日内変動の幅を小さくする。

 その上で、工場の作業の組み立てをいじる。おかずの調理、米の炊飯、ケースへのパッキング、包装、仕分けなどを従来は順番にやっていたが、同時並行で処理することで、製造開始から終了までの時間を2分の1に短縮する。

 また、工場の稼働率を腹八分に保ち、臨界点に達したら、ラインを増強するのではなく、分工場を作るよう指導する。配送体制も変更する。1988年秋までに進行していた配送一本化計画はいったん中止し、以前通り、ベンダーが自社製品を配送することにした。

 ただし、こうした分散処理化が製造費・配送費の上昇につながっては元も子もないので、同時に各種の措置も講じている。まず、食材は各ベンダーがばらばらに購入するのではなく、セブンイレブン本部による一括購入を推進し、購入価格を低減する。配送についても全ベンダーが行うのではなく、小地区ごとに代表ベンダーを決めて、ほかの2社分の荷物を混載して店まで配送することになる。

 一連のシステム改変に伴い、セブンイレブン本部はベンダーにライン変更に伴う資金援助を行っている。だが、こうしたコストを支払ってでもセブンイレブンは、改革の1989年2月終了に向けて、全力疾走している。それというのも、前述したようにスーパー、百貨店とも調理済み食品の店頭調理に力を入れているし、セントラルキッチンの活用が常識のファミリーレストラン業界でも、各店での分散調理によって鮮度を高める動きが見られる。

 セブンイレブンが業界の枠を越えた鮮度競争に踏み出した以上、1988年秋からの対応は、決して時機尚早とは言えないのだ。

(日経ビジネス1989年2月13日号に掲載した記事を再編集しました。社名、役職名は当時のものです。)

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