慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)が日本で初めてエグゼクティブに特化して開設した学位プログラム「Executive MBA」。経営の根幹を理解し、実践する上で必須の能力を習得する「コア科目」の中から、今回は岡田正大教授が行った授業を取り上げる。テーマは新興国ビジネス。サブサハラアフリカ市場で75%、ガーナで90%ものシェアを獲得したヤマハ発動機の船外機ビジネスについて考察する。

 ヤマハ発はなぜ、手こぎ船ぐらいしかなかった未開の新興国市場に進出したのか。手間や時間ばかりがかかり、ほとんど実りが得られなかった時期にも撤退せず、ビジネスを継続した背景とは。受講者たちの様々な意見から、当時の経営判断や行動の理由が明らかになっていった。

(取材・構成:小林 佳代)

<b>岡田正大(おかだ・まさひろ)氏</b><br /> 1985年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、本田技研工業入社。慶応義塾大学大学院で経営学修士(MBA)を取得。米アーサー・D・リトルの日本法人を経て、米ミューズ・アソシエイツ社フェロー。米オハイオ州立大学大学院でPh.D.(経営学)を取得。慶応義塾大学大学院経営管理研究科准教授を経て2013年10月に教授に就任。専門は経営戦略論。「包括的(BOP)ビジネス戦略研究フォーラム」を主宰。慶応ビジネス・スクールExecutive MBA課程学習指導委員。(写真=陶山 勉、以下同)
岡田正大(おかだ・まさひろ)氏
1985年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、本田技研工業入社。慶応義塾大学大学院で経営学修士(MBA)を取得。米アーサー・D・リトルの日本法人を経て、米ミューズ・アソシエイツ社フェロー。米オハイオ州立大学大学院でPh.D.(経営学)を取得。慶応義塾大学大学院経営管理研究科准教授を経て2013年10月に教授に就任。専門は経営戦略論。「包括的(BOP)ビジネス戦略研究フォーラム」を主宰。慶応ビジネス・スクールExecutive MBA課程学習指導委員。(写真=陶山 勉、以下同)

 ヤマハ発動機がサブサハラアフリカ(サハラ砂漠より南の地域)市場で高シェアを獲得した要因として、「競合メーカーが進出しなかったから」という意見が出ていました。では、ヤマハはなぜ、他社が進出しないような市場に打って出て行ったのでしょう。

 ヤマハ発が最初に手掛けた新興国は東パキスタン、今のバングラデシュです。現地の人たちは船外機なんて全く知りません。船といえば手こぎ船か帆掛け船です。

 こういう市場に先進国の企業が出て行ったら、「あまりに早すぎる」「もう少し経済が発展してから来よう」と日本に帰るのも1つの選択肢だと思います。

 とにかく手間も時間もかかります。舗装もされていない道路を歩き、一軒一軒家を訪ね、現地の人の年収に匹敵するような高価格のものを買っていただこうというのだから非常にハードルが高い。究極のドブ板営業を繰り広げるしかありません。

 それだけの労力をほかの市場に振り向ければ、もしかしたらもっとたくさんの船外機を売ることができるかもしれません。

 けれど、ヤマハ発はあえてそういう難しい新興国市場に進出し、そこにとどまってビジネスを続けました。なぜでしょうか。そこにはヤマハ発ならではの判断があった気がします。いかがですか。

受講者:「自分たちの製品で何か社会の役に立てないか」という思いが強かったからではないでしょうか。経済性よりも、貧しい国を豊かにしたいという社会性により重きを置いていた。

 経営者が大局的視野に立って判断したということですね。確かに、ヤマハ発が船外機事業を始めたのは、いずれ豊かになったら、日本人もプレジャーボートに乗って水上レジャーを楽しむようになるだろうと考えたからだし、最初に東パキスタンに進出したのは、当時の川上源一社長が駐日パキスタン大使と会談し、「東パキスタンでは雨季になると水が河川からあふれ出し、バスでさえ道を通れなくなる」という話を聞いて「ヤマハ発には船外機があるから、何かお役に立てるかもしれませんね」と答えたのが始まりでした。

 「ガッチリ稼いでやろう」というよりも、「国を豊かにすることに貢献したい」「社会のためになることを手助けしたい」という思いが強いのは事実でしょう。経営者の理念、視点でビジネスを始め、継続したということですね。それだけでしょうか?

「ホンダがいないところに出て行く」意図があった
「ホンダがいないところに出て行く」意図があった

受講者:長い目で見ての先行投資だったのではないでしょうか。船外機で入り込み、現地にヤマハブランドを確立し、将来、二輪車ビジネスにつなげようと。

 船外機から二輪車という潜在的な市場拡張の可能性に賭けたということですね。船外機ビジネスでは大きく稼がなくても、それによって新興国市場が理解できるし、現地にチャンネルができ、ブランドが浸透する。その後で二輪車で稼ぐという2段階でいくと。ある種、リアルオプション的な判断ですね。

 ほかにはどうでしょうか。手こぎ船しかないようなところになぜ参入したのか。そしてなぜ活動を継続したのでしょうか?

受講者:先進国に比べ、潜在的な市場の成長性が高いことは確かですから、そうなると「いつ進出するか」という問題になります。「競合メーカーがいない時にこそ進出すべき」と考えたのではないでしょうか。早いうちに出て行って顧客を囲い込んで競合メーカーが進出してきた時の参入障壁をつくっておこうと。

岡田:なるほど。その場合、競合メーカーというのはどこをイメージしていたでしょうね。

受講者:欧米のグローバル企業。

岡田:なるほど。しかし実際に品質や性能レベルでマークしていたのは日本企業。ホンダです。当時は、彼らはホンダが出ていないところに出て行こうとしていたそうです。

 ホンダは海外進出でヤマハ発よりも早く成功しています。二輪の黎明期にはホンダが100%近いシェアを獲得していた国もあるほどです。後からヤマハ発やスズキが出て行ってもなかなか追いつけません。製品特性にはさほど大きな差はなく、価格競争ではホンダの方が規模の経済が効いて原価も低減できるからです。

 こういう経験から、ヤマハ発はホンダが行っていない地域、対象としていない顧客層を重点的に開拓していこうとしたと考えられます。

 ヤマハ発が1991年に設置した海外市場開拓事業部は、最初からそれを使命としていました。通常、海外事業を手掛ける時には北米、欧州、中近東、アジアという具合に地理的に分割して担当を決めることが多いと思います。例えば、アフリカの場合は、「欧州・中近東・アフリカ部」のように大きな市場と一緒にされることが多い。しかし、そうするとどうしても儲かる地域に傾斜投資することになり、アフリカなどは経営資源の投入が少なくなりがちです。

 そこで、ヤマハ発は世界の新興国市場全体をターゲットとする海外市場開拓事業部という組織をつくり、積極的に攻めていく体制を整えたのです。ある意味、退路を断って取り組む意思の表れです。

 話を戻せば、ヤマハ発がサブサハラアフリカに参入した要因の1つには、「競合がまだ行っていないところにいち早く行って現地に浸透する」という思いがありました。これは経営理念やミッションに基づく進出とはまた違います。主観的な思い入れによるもの。戦略的意図です。

 戦略的意図とは自社が目指す将来の姿を「意図・野心・執念」として持続的に抱き、その姿にアプローチするために資源や能力を獲得しながら前進しようとすることを指します。主観的な思いであり、具体的戦略の前提であり、戦略のミッションや理念よりも相対的に短期のものです。時間軸の長さで言えば、理念やミッション>戦略的意図>戦略、という順番です。

 ヤマハ発の場合、この戦略的意図がサブサハラアフリカでは断ちきることなく持続的に抱かれ続け、それが実現して高シェアにつながりました。

 ただ、「競合がまだ行っていないところを狙って行く」という戦略実行の途中段階では、行き詰まることもあったはずです。手間や時間ばかりかかり、実りはなかなか得られないというような状況です。そういう局面に陥っても、ヤマハ発は新興国ビジネスを止めることなく、今まで継続しています。

 なぜ、継続したのか。潜在的な成長性が大きい、リアルオプション的に張り続けなくてはならない、こういう理由以外に、何があるでしょうか。

一度かかわると、その魅力に取り憑かれる

受講者:事業全体としてのポートフォリオを考えたのではないでしょうか。ピアノというのは経済が発展し、成熟した社会で使われるものです。それに対して、経済が発展途上の未成熟な社会で使われる船外機のような製品を手掛けておきたかった。

 その視点は重要です。新興国での船外機ビジネスだけを取り出して見るのではなく、全体のポートフォリオの中でどういう意味を持つかを考えていくということですね。

 ポートフォリオといえば皆さん真っ先に思い浮かべるのがプロダクトポートフォリオでしょう。それから地理的なポートフォリオ。顧客層のポートフォリオもあり得ます。それに加えて、対象とする市場の経済発展段階にもポートフォリオを考えるべきではないかということですね。
 ほかにはいかがですか。やり続ける理由。

受講者:想像なんですけれど、実際に新興国ビジネスにかかわってどっぷり浸かった人は、その魅力に取り憑かれるんじゃないでしょうか。これ以上ないやりがいを感じて止められなくなる。

 そう。実際、まさに取り憑かれるようです。やりがいや生きがいなど、非金銭的な動機付けが高まりやすいタイプのビジネスなのかもしれません。

 こういうビジネスはものすごく社員個人や組織の能力を鍛えていきます。現場を訪ねた営業担当者から本社の担当者、技術部まで、クレームや要望に基づいて改善・改良のPDCAサイクルがものすごく早く回っているという話をしましたけれど、それも能力向上の1つの事例です。

 新興国市場でも低所得の国々(途上国)は、先進国では常識としてあるものが存在しないことの多い環境です。販売チャネルがあって、ブランドが浸透していて、名刺を持っていけばそれなりに取り扱ってもらえるという市場と対極にあります。そういう場所でゼロからやっていく経験というのは組織にとっても個人にとっても非常に貴重です。組織や個人の力を育成し、成長を促す場としては、こんなに適したところはないでしょう。だからやり続ける。

受講者:簡単に言うと止められなかったというのもあると思います。ヤマハ発が撤退してしまったら現地の人たちは生活に困ります。もうやり続けるしかなかった。ある製品を供給して、シェア100%近くになったら止めたくても止められないという局面もあると思います。

 そうかもしれません。でもそれを理由に止めないというのも大したものですよね。合理的に判断し、市場からぱっと撤退するという会社もいくらでもあります。

受講者:そこは見栄もあったかもしれません。あとは曲がりなりにも利益が出るビジネスになっていたことが大きいと思います。

 現地への責任意識と少なくても確実な利益が背中を押し続けたということですね。

経営にはある種の感性も重要

受講者:ヤマハ発のホームページを見ると、起業家的な言葉がいっぱい並んでいます。起業家気質を重視している会社なのだと思います。起業家って拡大志向が強く、子供のように無邪気な心を持っている人が多い。一種のゲーム感覚で地図の中に自分たちの色を付けられていないと、「ここの色も塗りたいよね」という意識がある。「ここも色を塗りたい」という思いで進出し、大成功とは言わないまでも、6割方成功したら、とりあえずやり続けていく。そんな感じだったのではないでしょうか。

 確かにヤマハ発は起業家気質があるのか、次々と新しい分野に進出していくタイプの会社ですね。ゴルフカートとか、電子部品とか、昔は家具も手掛けていました

受講者:そもそも、楽器メーカーがオートバイをつくるようになったり船外機をつくるようになったこと自体、ちょっと普通ではあり得ない経営判断だと思います。ヤマハ発にはそういうチャレンジスピリットがあるのだと思います。

 オートバイに関して言えば、ヤマハ発は当時、100社ぐらい競合メーカーがいる中にあえて参入していきましたからね。これ以上ないほどのレッドオーシャンです。当然、反対意見も強かった。それでも押し切ってオートバイ市場に進出した。なぜでしょうね。

受講者:当時の経営者の頭の中には、世界に比べれば日本のオートバイメーカーのレベルはまだ低く、品質が高い製品を提供すればチャンスはあるという思いがあったのではないでしょうか。

 なるほど。経営者は日本の競争状態ではなく、世界の技術の分布を見ていたと。欧州の技術水準を自分たちが再現できれば、日本の競合メーカーには勝てると確信を持って入って行ったということですね。それは実は合理的な判断ではありますね。ローカルな競争にばかり目が向きがちですが、巨視的に見れば、まだ付け入るスキはあった。どこを視野に入れるかで、ずいぶん判断は変わります。

 色々意見が出てきました。こうして見てみると、企業の意思決定、行動は、完全に経済合理性に基づいているわけではないということが分かります。

 ここはビジネス・スクールですから、正味現在価値(Net Present Value=NPV)を計算し、一番大きくなるような選択肢を選ぶというファイナンシャルなテクニックも学んでいます。もちろん、こういう経済合理性に基づく経営手法を学ぶことは非常に重要です。

 しかし、企業が新規ビジネスに参入するとか、大胆な投資を行うとか、新たな国に進出するといった重要な経営判断を経済合理性のみに基づいて行っているかというと、実際にはそういう例の方が少ないかもしれません。

 例えば、ホンダはかつて二輪車の海外進出で米国市場を選びました。もし、当時、NPVを計算すれば、間違いなく米国ではなく、アジアの方が大きくなっていたはずです。また、自動車の海外生産で、米国の次の拠点をカナダに置くか、メキシコに置くかという判断に迫られた時には、「需要のあるところで生産する」「顧客のいるところで事業活動を営む」という理念を貫き、カナダを選びました。おそらく、この時もNPVを計算すればメキシコの方が高かったでしょう。しかし、将来的にいつか米国の自動車市場で勝負したいという強い意思が拠り所となった。

 経営にはファイナンシャルなテクニックだけでなく、ある種の感性のようなものも必要です。多くの日本企業が成長の過程でその両方を活用しています。皆さんにも経済合理性に基づく経営手法と感性の両方をぜひ身に付けてほしいと思います。

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