慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)は次世代の経営の担い手を育成すべく、エグゼクティブ向けに特化した学位プログラム「Executive MBA(EMBA)」を開設している。「EMBA」プログラムの目玉の1つが、企業経営者らの講演と討論を通して、自身のリーダーシップや経営哲学を確立する力を養う「経営者討論科目」。日経ビジネスオンラインではその一部の授業を掲載していく。
2016年12月には虎屋の黒川光博社長が「虎屋の今」と題して授業を行った。創業は室町時代後期にさかのぼるという和菓子屋「とらや」。世界でも希有な500年の歴史を誇る超長寿企業の経営の極意を第17代当主が語った。
(取材・構成:小林佳代)
虎屋の経営理念はシンプルなワンフレーズ
虎屋の黒川です。虎屋の創業は室町時代後期にさかのぼります。以来約500年にわたり和菓子屋を続けてきました。今日は私がどんなことを考えながら日々、この会社を経営しているかをお話ししたいと思います。
最初に経営理念を紹介します。虎屋の経営理念は「おいしい和菓子を喜んで召し上がっていただく」というものです。このワンフレーズだけです。
言葉として理念をつくったのは1985年のことです。ただ、社内ではそれ以前もずっとこういう内容のことを言い続けてきました。
虎屋は和菓子屋を営んでいますから、「おいしい和菓子」をつくることが大切なのは当然です。加えて、私たちはその和菓子をただ召し上がっていただくのではなく、「喜んで」召し上がっていただきたいと願っています。
経営理念はすぐに思い出せる言葉であることが大切
せっかくおいしい和菓子を心を込めてつくったとしても、それをお客様がお買い求めになる時に、「なんだか感じが悪かった」「店員の対応が良くなかった」とお感じになれば、喜んで召し上がっていただくことはできないでしょう。店頭に立つ人間が、いかに心を込めて商品をお渡しできるかも大事であるという思いを込めて、この経営理念にしています。
ごくシンプルなワンフレーズですから、当社に入ったばかりの新入社員もみんなすぐに覚えてくれています。経営理念とは社員全員が共有しなくてはいけないものです。「ええっと、うちの会社の経営理念はなんだっけ……」と考え込むようなものではなく、すぐに思い出せる言葉であることが大切です。
では「おいしい和菓子を喜んで召し上がっていただく」という理念の「おいしい」を実現するにはどうすれば良いでしょうか。
実際には味は時代によって変わる
一般に、味は不変だと思われがちです。老舗の場合は特に、「昔から変わらない」「ずっと守られてきた味」という評価を受けます。召し上がる皆さんからすると味が変わらないことがひとつの価値でもあります。「変わらないはずだ」「変えないでくれ」という思いもあるでしょう。
しかし実際には味というものは、時代によって変わるものだと思います。私は社員にも「味は変えていい」と言っています。味は不変ではないのです。
500年続く企業を率いていると、「伝統が大切ですね」とみなさんおっしゃいます。もちろん伝統は大切です。けれど一番大切なのは「今」です。今、生きている皆さん、今、買い物に来てくださる皆さんに最大限の気を配り、おいしいと思っていただけるような菓子を作らなくてはならない。伝統だけでは今日の仕事はできません。今、どうあるべきかを追求していかなくてはならないと思っています。
「少し甘く、少し硬く、後味良く」
今、虎屋がつくっている菓子の特徴を言葉で表現すると、「少し甘く、少し硬く、後味良く」となります。この言葉を社員皆で共有し、菓子の開発や製造にあたっています。そして、何より原材料を大切にしています。
長年、虎屋のおいしさを追求してきたベテランの職人に「おいしい和菓子をつくるにはどうしたらいいだろう」と聞いたことがあります。彼は「それはやっぱり原材料を厳選することでしょう」と即答しました。いちばん腕がいい職人もそう言うのですから、本人が謙虚ということもありますが、やはり原材料が大切なのは間違いありません。
和菓子の原材料はあずき、寒天、和三盆糖など。私たちの取引先には手作業で丹精込めてつくってくださる方が多くいらっしゃいます。その原材料について知識や理解を深めるため、製造にかかわる者を対象に20年ほど前から現地で「原材料体験研修」を実施しています。マイナス10度ぐらいになる冬の空の下、手作業で行う寒天づくりを手伝ったり、西表島でサトウキビの刈り取りを行ったりしています。
白小豆は栽培が難しくて希少性が高く、値段も高い作物です。使う和菓子屋もあまり多くないので、つくってくださる農家も少ないのです。けれど、虎屋の白餡には白小豆が欠かせません。群馬県昭和村には虎屋の農場もあり、現地の嘱託社員が契約栽培農家の方々のサポートを行うほか、資材担当の社員も年に数回足を運び、顔と顔を合わせてコミュニケーションをとっています。
2016年は製造にかかわる社員だけではなく、「行きたい」と手を挙げた社員約40名も白小豆の種まきと刈り取りに参加しました。
和菓子業界全体としても、生産者の方々との交流の場を設けています。2015年には、30人ほどであずきをつくってくださっている北海道の生産者の方々を訪ね、意見交換をしてきました。原材料をつくってくださる方々の多くは、それらが自分たちの手を離れた後のことをご存知ではありません。実際にどういう和菓子屋で、どんな和菓子となってお客様の元に届いているのかを知っていただこうと、現地に商品を持って行きました。実際に和菓子を味わっていただいた上で、お互いに要望や意見を伝え合いました。
商品は必ず漆の皿に載せ、黒文字を使って試食
「おいしい」を追求するために、虎屋の基礎研究室では原材料や製品に関するいろいろな研究を行っています。職人の技術を高める研修も実施しています。
人の手より機械の方が優れているような、安定性、持続性が求められる作業には機械を導入。均一な品質の製品に仕上げるために科学技術の力も借りています。
ただし、最終的に重要なのは「人の目」です。火入れや仕上げなど、最適なタイミングは熟練者の目を通して判断します。ばらつきのある天然の原材料で、気温や湿度にも影響を受ける菓子づくりでは、職人の経験と五感がものをいいます。
出来上がった製品は必ずつくった社員たち自身が順番で試食します。それもお客様が召し上がるシチュエーションを考えて、午後3時に、漆の皿に載せ、黒文字(和菓子用のようじ)を使って、ひとつの和菓子を試食するように指示しています。
時に、朝つくった製品は時間がたつとボソボソしてしまうとか、黒文字では食べにくいといったことがわかります。自分たちでは「ちょうどいいサイズ」だと思っていたけど、実際に1個食べてみると「大きすぎる」とか「甘さが強すぎる」と感じることもあります。お客様が和菓子を召し上がることの多い時間帯に、同じようにいすに座り、ひとつ食べ切ることが試食だという方針で、毎日やっています。食べた人たちの意見をフィードバックし、改良の糧にしています。
不器用なまでの真面目な社風
虎屋の社風を一言で表すならば、「製造を原点とする不器用なまでの真面目さ」ではないかと思います。愚直なほど一生懸命に真面目に菓子をつくる。安全面や衛生面に配慮し、原材料の管理や流通など地味な業務もひたむきに取り組む。こういう気風が浸透しています。
世の中には、人の目につくところで派手に活動することを好む人もいます。けれど、虎屋の社員はそうではありません。「人が見ているから」とか「自分に注目してほしいから」という理由でやるわけではない。これは日本人そのものの資質、性格なのか、ものづくりが好きな人がそういう気質なのか…、決して目立たなくても、会社のために真面目にひたむきに働くことを生きがいだと思ってくれる人が多い。虎屋はこういう人たちに支えられています。それによって500年の歴史が続いてきています。
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。