日産自動車がパリモーターショーに出展した「可変圧縮比エンジン」。「Infiniti」ブランドのブースで「VC(Variable Compression)ターボ」として展示された。2018年の実用化を目指す
日産自動車がパリモーターショーに出展した「可変圧縮比エンジン」。「Infiniti」ブランドのブースで「VC(Variable Compression)ターボ」として展示された。2018年の実用化を目指す

 前回に続いてパリモーターショーの話題をお届けする。今回パリモーターショーで見たかったものの1つが、日産自動車が発表した「可変圧縮比エンジン」だ。量産エンジンとして世界初の実用化となる、非常に画期的なものだと思う。筆者は実は、このエンジンの原型を約10年前に見ている。2005年2月に開催された日産の技術説明会で、開発中の先進技術の1つとして、今回実用化されたエンジンと同じ原理の可変圧縮比エンジンを見せられたのだ。

 当時の筆者は不明にも、こんな複雑な機構のエンジンは実用化されないだろうと思っていた。それが今回、10年あまりの時を経て実用化されることになった。しかも、このエンジンの開発開始からの年月は足掛け20年になるというから、技術者の執念には驚くばかりである。

可変圧縮比の意味とは?

 ここまで「可変圧縮比」という言葉を説明せずに使ってきてしまったが、改めて今回の新型エンジンの意味を考えていこう。この連載の第1回などで触れたように、圧縮比というのは、エンジンのシリンダーの中で、ピストンが一番下にあるときと一番上にあるときの容積の比率である。例えばピストンが一番下にあるときの容積が10で、ピストンが上昇し、一番上に達した時、すなわち容積が一番小さくなったときの容積が1なら、圧縮比は10ということになる。

 熱力学の教科書によれば、この圧縮比が高いほど、エンジンの熱効率も高くなることになっている。だから圧縮比はなるべく高くしたいのだが、むやみに高めることはできない。圧縮比を高くし過ぎると、ピストンが上昇している途中で、混合気が熱くなりすぎて、点火プラグで火をつける前に部分的な爆発が起こり、エンジンの異常な振動が発生してしまう。これがノッキングである。このため、従来ガソリンエンジンの圧縮比は、10程度が普通だった。

 しかし、実際にノッキングが起こる状況というのは、実は限られている。エンジンにかかる負荷が高い加速時などは、たしかにノッキングが起こりやすいのだが、一定の速度で走っているときなどは、エンジンの負荷が低く、ノッキングは起こりにくい。だから、ノッキングが起こりにくい状況ではなるべく圧縮比を高くしてエンジンの効率を上げ、ノッキングが起こりやすい状況のときだけ圧縮比を下げられれば理想的である。これまでのエンジンではそんなことはできなかったのだが、そのエンジンの理想を初めて実現したのが、今回の可変圧縮比エンジンである。

アトキンソンとどう違う?

 では圧縮比を変えるとはどういうことなのか? 世界初と言っておきながら矛盾するようだが、これまでもすでに圧縮比を変えるエンジンは実用化されている。いわゆるアトキンソンサイクルエンジンとか、ミラーサイクルエンジンとか言われているものがそれだ。厳密にいえばアトキンソンサイクルとミラーサイクルは違うものなのだが、一般には、吸気のタイミングを早めたり遅らせたりして実質的な圧縮比を変えるエンジンをこう呼んでいる。

 現在量産されているアトキンソンサイクルエンジンでは、吸気のタイミングを通常より遅くする「遅閉じ」を採用する例が多い。この場合、ピストンが一番下まで下がり、再び上昇して少し上に移動したところで吸気バルブを閉じる。ピストンが一番下まで下がったところでバルブを閉じるのに比べて、シリンダ内で空気を圧縮する行程が短くなるので、圧縮比が下がるというわけだ。難しい言葉でいうと、ピストンの実質的な下死点(空気を圧縮し始めるピストンの位置)を動かして圧縮比を下げる。

 これに対して、日産が開発した可変圧縮比エンジンは、ピストンの下死点ではなく、上死点を動かして圧縮比を下げる。つまり、ピストンが一番上に達したときの位置を、通常よりも少し低くすることができる。すると、ピストンが一番上に達したときのシリンダ内の容積が増えるので、圧縮比が下がるという仕組みだ。

 では、アトキンソンサイクルと、可変圧縮比エンジンでは何が違うのか。アトキンソンサイクルでは、ピストンが一番下の位置から少し上昇したところでバルブを閉じる。従って、一度シリンダ内に吸い込んだ空気を、少し吸気ポート内に押し戻すことになる。このことは、エンジンが吸い込む空気の量が少なくなることを意味する。エンジンに取り込む空気の量が減れば、それに見合って燃焼室内に送り込む燃料の量も少なくなる。少ない量の空気を少ない量の燃料で燃やせば、発生する出力は小さくなる。

 先程、ふだんは高い圧縮比で運転していても、加速時など高負荷運転の状態ではノッキングしやすくなるので、圧縮比を下げる必要があると書いた。しかし、ここで圧縮比を下げるためにアトキンソンサイクルを持ってくると、出力が下がってしまうことになる。高負荷時、つまり出力が欲しいときに出力が下がってしまうわけで、こういう場面ではアトキンソンサイクルエンジンは使えないことが分かる。

 つまり、アトキンソンサイクルは、実質的にエンジンの排気量を小さくする効果があるので、高負荷時ではなく、むしろそれほど出力を必要としない状況で、燃費を向上させる技術として使われるものだ。今回の日産の可変圧縮比エンジンでも、負荷の低い領域ではアトキンソンサイクルとして、燃費を稼ぐようにしている。

リンクを介してクランクを駆動

 このように可変圧縮比エンジンは、可能な限りエンジンの圧縮比を高く保つことで熱効率を向上することができるので、これまでも多くのメーカーが実用化に挑戦してきた。面白いものでは、今は消滅してしまったスウェーデン・サーブがかつて、シリンダーヘッドを動かして燃焼室の容積を大きくすることで圧縮比を変えるエンジンを提案したことがある

 これに対して、今回日産が採用したのはリンク機構を活用したものだ。通常のエンジンはピストンとクランク軸を「コンロッド」と呼ぶ部品で結合する。コンロッドとは「コネクティングロッド」の略で、文字通りピストンとクランクシャフトを結合するためのロッドだ。これに対して日産の可変圧縮比エンジンは、コンロッドをクランク軸と直接結合するのではなく、複雑なリンク機構を介してクランク軸と結合するのが特徴だ。

VCターボエンジンの仕組み。左が圧縮比14:1、右が8:1の状態。モーターでリンクの支点を動かすことで圧縮比を変える
VCターボエンジンの仕組み。左が圧縮比14:1、右が8:1の状態。モーターでリンクの支点を動かすことで圧縮比を変える
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 英語で恐縮だが、上がその説明図だ。複雑に見えるのだが、原理自体は非常に簡単である。中心的な役割を果たすのは「マルチリンク」という部品で、中央にクランク軸が、一端にはコンロッドが取り付けられている。マルチリンクの役割は、ちょうどシーソーのようなものだと考えていただければいい。シーソーでは一方の端が上がれば、もう一方の端は下がる。それと同じで、マルチリンクも中央のクランク軸と結合された部分を中心に回転できるようになっていて、一端が上がれば、もう一端は下がる。

 上の説明図はどちらも、ピストンが一番上にある「上死点」の状態なのだが、この状態で、マルチリンクのコンロッドが取り付けられているのとは反対側の一端の位置を上に上げると、コンロッドを取り付けた点は下に下がる。すると、ピストンの位置も下に下がるので、燃焼室の容積が大きくなり、圧縮比は下がるという仕組みだ。このマルチリンクの位置をずらすために、この図では右側にある「ハ―モニックドライブ」と書いてある部分の回転軸を回して、2本のアームの位置関係を変える(こちらの動画参照)。

 この仕組みは、約10年前に筆者が取材したときと全く変わらない。だから、この複雑な仕組みをよく実用化したな、と思ったのだが、今回改めて取材してみて、いろいろと感心させられた。構造が複雑になることの懸念の1つは摩擦の増加だ。通常、動きにかかわる部品が増えるほど、部品同士が摩擦する個所が増えるので、摩擦も増える。このことがエネルギーの損失につながる。

摩擦も騒音も減る

 ところが、今回のエンジンは従来のエンジンよりも部品点数が増えているにもかかわらず、むしろ摩擦損失は減っているという。その大きな理由は2つある。1つは、ピストンとシリンダーの間の摩擦が減ることだ。燃料の爆発力でピストンが押し下げられ、その力がコンロッドを通じてクランク軸を回す時、ピストンがだんだん下がってくると、コンロッドは斜めにクランク軸を押すことになる。このとき、コンロッド自体もクランク軸からの反力で、下から斜めに押されることになる。この斜めに押される力によってピストンはシリンダーの内壁に押し付けられる。このときに発生する摩擦力が大きいのだ。

 これに対して、日産の可変圧縮比エンジンでは、ピストンが下に下がるとき、コンロッドはほぼ真上からマルチリンクを押してクランク軸を回す。このため、ピストンに横向きの力が加わらず、ピストンとシリンダーの間の摩擦が大幅に減る。

 もう1つ大きいのは、バランサー機構が不要なことだ。通常の4気筒エンジンでは回転バランスが悪いため、排気量2.0L以上のエンジンでは、騒音・振動をキャンセルするためのバランサー機構を付けることが多い。このバランサー機構というのは平たく言えば、振動を打ち消すように重りを付けた軸を回転させるもので、エンジンの騒音・振動は減るが摩擦は増える。今回の可変圧縮エンジンは、エンジン自体の回転バランスも向上するためバランサー機構が不要になるという。

 また、このバランサー機構は通常、クランク軸の下に配置するのだが、可変圧縮比エンジンではこれが不要なので、今回の可変圧縮比エンジンでは圧縮比を変える機構をクランク軸の下に配置できた。これにより、エンジンの高さが増えることなく可変圧縮比エンジンを実現できた。

圧縮比を変える機構。クランク軸の下に配置されている。
圧縮比を変える機構。クランク軸の下に配置されている。

 発表資料によれば従来の4気筒エンジンの振動に起因する騒音レベルがある基準に対して30dB(デジベル)なのに対して、新型エンジンの振動は10dBに減るという(いずれもバランサーなし)。dBというのは音や電波の強さを表す単位で、長さなどの単位と違って20dB小さくなるということは、音圧が1/10になることを意味する。つまり、今回の可変圧縮エンジンは、従来の4気筒エンジンに比べて騒音レベルが1/10ということになる。ちなみに、排気量3.5LのV型6気筒エンジンの騒音レベルは3dBということなので、可変圧縮比エンジンよりもさらに小さいのだが、7dB低いというのは、音圧にしてだいたい半分くらいなので、可変圧縮比エンジンとの差はそれほど大きくない。

燃費が27%向上?

 日産はこの可変圧縮比エンジンに「VC(Variable Compression)ターボ」という名前を付けているのだが、面白いのはこのエンジンをV6エンジンの「VQエンジン」の後継エンジンと位置づけていることだ。VCターボの特徴の1つは、先程から紹介しているように、エンジンの運転状況に合わせてなるべく高い圧縮比を保つことによって、熱効率を向上させ、ひいては燃費を良くすることができることだ。日産は従来の同等出力のV6エンジンに対して、VCターボは27%燃費を向上させることを目指すと発表している。

 3割近くも燃費が向上するとは凄い、と思ってしまうのだが、この向上幅は可変圧縮比システムだけで達成されているわけではない。2005年に最初に日産が可変圧縮比エンジンを公開したときに、開発担当エンジニアは燃費向上効果が10%強だと語っていたので、恐らく可変圧縮比だけを取り出した燃費向上幅はこの程度だと考えられる。

 では残りの17ポイントは何かというと、VCターボエンジンと同等出力のV6エンジンの排気量は3.5L程度なので、VCターボエンジンは排気量3.5LのV6エンジンを2.0Lターボで置き換えるダウンサイジングエンジンと考えられる。つまり27%の燃費向上幅は、可変圧縮比とダウンサイジングの両方の効果によりもたらされているということなのだ。ちなみにVCターボの最高出力は200kWで、排気量3.5LのVQ35HRエンジンの225kWに比べると低いのだが、逆にVCターボの最大トルクは390N・mと、VQ35HRの350N・mよりも高い。

市場の変化が後押し

 パリモーターショーの会場で話を聞いた開発担当者によれば、可変圧縮比エンジンの技術的な開発そのものは、実は10年ほど前にはほぼ終了していたという。それでは商品化になぜ10年もかかったのか。それは「商品としての魅力」をどこに求めるかということの追求だった。

 2005年に公開された試作エンジンは、2.0Lの自然吸気エンジンだったのだが、単に2.0Lの自然吸気エンジンを可変圧縮比にして、燃費を10%程度向上させたとしても、コスト上昇分に見合う商品の魅力アップにはつながらないと日産は判断したのだろう。これに対して今回は、ターボと組み合わせてV6エンジンを置き換えるエンジンとして位置づけた。これなら燃費向上幅は大きくなるし、コンパクト化・軽量化にもつながる。しかもVCターボはV6エンジンに近い振動・騒音特性を備えている。可変圧縮比化に伴うコストアップも、V6エンジンの代替ということであれば吸収しやすい。

 ただ、こういう商品企画は、少し前までだったら難しかっただろう。今回のVCターボエンジンは、まず米国向けの「Infiniti」ブランドの車種で2018年から商品化される予定だが、米国では少し前までV6エンジンやV8エンジンといった“多気筒エンジン信仰”が強く、V6エンジンを直列4気筒エンジンで置き換えるようなダウンサイジングは、商品力が低下するとして受け入れられなかっただろう。

 こうした多気筒エンジン信仰は、現在でも完全になくなったわけではないが、一頃に比べればだいぶ薄れてきた。米国でも今後、燃費規制の強化が進むことを考えれば、こうしたダウンサイジングは避けられない方向だ。世界で初めての可変圧縮比エンジンが日の目を見ることになった背景には、こうした市場の嗜好の変化がある。

 もう1つ、個人的な興味としてスカイラインのエンジンがどうなるか、ということがある。現行型のスカイライン(海外ではInfiniti Q50)は、ドイツ・ダイムラー製の排気量2.0L・直列4気筒ターボエンジンを搭載している。このエンジンを採用した当時は、日産を代表する車種に海外製のエンジンが搭載されたということで話題になったのだが、今回のVCターボは排気量2.0のターボで、ダイムラー製エンジンと同クラスだ。「このエンジンはスカイラインにも載るんですよね?」という筆者の質問に、パリモーターショー会場の説明員は「個人的な思いとしてはそうなればいいと思いますが…」と言葉を濁していたのだが。

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