(写真:ZUMA Press/アフロ)
(写真:ZUMA Press/アフロ)

 日本語を勉強する中国人、そして中国語を勉強する日本人が必ずぶつかる壁がある。それは濁音だ。

 中国語には濁音がない。中国語を勉強し始めたばかりのころ、とても上手に中国語を操る日本人の先輩に私はアドバイスを求めた。すると彼は、「頑張って濁音を使わないようにすると、中国語っぽく聞こえるようになるよ」と教えてくれた。

日本人も中国人も濁音に苦戦する

 例えば「大学」の発音は「daxue」と表記するから日本人がそのまま読むと「ダーシュエ」になるが、実際には「ターシュエ」と濁らずに発音する。「日本」も発音表記は「riben」で、これを日本語で書くと「リーベン」としか表記のしようがなくて困るのだが、「ben」の字は「ベン」と思い切り濁って発音せず、息を口から漏らさぬよう発音すると、中国語らしく聞こえるというわけである。ただ、母国語に濁音を持つ日本人にはこれがなかなか難しい。

 言い換えれば、中国人は、日本語の濁音を濁って発音するのがとても苦手だということになる。

 私が中国語を学ぶため1988年に留学した山西省太原にある山西大学には日本語学科があった。学生は1年生から4年生まで総勢50人ほどいただろうか。今の学生のことはあまりよく知らないが、当時、中国の大学生は日本語学科に限らずとても勤勉だった。電力不足に発電所の故障が重なり、あの年の山西大学では、中国人の学生が使う教室も寮も、夜10時になると一斉に消灯してしまったのだが、それでは勉強時間が足らないからと、中には氷点下20度にまで下がる太原の冬の夜中、大学の構外に出て、道路の街灯の明かりで勉強するという、蛍雪という言葉をまさに地で行くような学生が1人や2人ではなかった。それだけ熱心に勉強するから、日本語学科の2年生で日常会話に支障がなく、4年生ともなればまさに皆ペラペラになる。

 その4年生の中でも特に上手な女子学生がいた。後に彼女は高い日本語能力が評価され、日本政府の奨学金を得て日本留学を果たしたのだが、この彼女でさえ、濁音では苦労していた。

 私と彼女は何度か、中国語と日本語の交換レッスンをしたのだが、初日の様子をいまでもよく覚えている。日本語のテキストには、私の手持ちの小説か何かを使い、彼女にそれを音読してもらったのだが、「早くしてください」という一節を彼女が、「早くしてくたさい」と「だ」を濁らずに読んだのを私は聞き逃さなかった。そして私は彼女に読み直しを命じた。

 「くたさい」「ダメ」
 「くたさい」「ダメ」
 「くたさい」「ダメ、もう一回」

 30回は繰り返しただろうか。それでもできない彼女がおもむろに、「あーっ! 私はくださいさえも言えない!」と叫んだ。無意識が功を奏したのか、「ください」と言えていた。

 「いま言えたじゃない」
 「え? そうですか?」
 「うん、言えてた。もう一度言ってみて」

 彼女は大きく息を吸い込んで、恐る恐る言った。

 「くたさい」

 また言えなかった。私と彼女は、顔を見合わせて笑った。

「ミシミシ」と「パカヤロ」

 一方で、中国人の話す濁音のない日本語については、嫌な気持ちとともに記憶している言葉もある。それは、「パカヤロ」。馬鹿野郎のことで、中国人がこれを言うときは必ずといっていいほど「ミシミシ」とセットで口にした。「ミシミシ」は「飯メシ」のこと。仕事から遅く家に帰ってきて「飯」「風呂」「寝る」しか言わないのが日本の男だとよく言われたものだが、これに日中戦争当時、馬鹿野郎と怒鳴り散らしていた日本兵のイメージが相まって、中国のテレビドラマや映画に登場する日本の男は「飯メシ」「馬鹿野郎」を連呼する人間として描かれた。さらに、日本兵に扮するのが日本語のできない中国人の俳優だったこともあり、「飯メシ」は「ミシミシ」、「馬鹿野郎」は「パカヤロ」と濁音のない音で中国中に広まった。

 1980年代から90年代半ばごろまでにかけて、学校で、友人の実家で、町中で、旅の列車の中でと、中国のどこであっても、こちらが日本人だと分かった中国人から、「ミシミシ」「パカヤロ」と本当によく言われたものだ。中国人からこれを言われると私は毎回、怒り、というような激しい感情までは起こらなかったが、なんとも嫌な気分にはなった。

「故意かどうか」が問題ではない

 この2つの言葉を私に投げかけた人たちの中には、日本人を揶揄する気持ちで言った人が多かったように思う。ただ、日本人を含む外国人と接触する機会がまだ多くなかった当時の中国で、知り合った日本人に、知っている日本語を披露したいという単純な気持ちもあって、「ミシミシ」「パカヤロ」と口にした人も、半数ぐらいはいたように思う。なぜって、彼らのほとんどが満面の笑みでその言葉を口にしていたから。

 その2つを言われた私は、時にその相手に向かって、「確かにそれは日本語ですね。でも、中国の人たちからそういう風に言われると、日本人としてあまり嬉しくないんです。だから、もし今後、別の日本人に会う機会があっても、言わないでほしいんです」と伝えたりした。すると中には、「『パカヤロ』は相手を罵る言葉だけど、『ミシミシ』は『食事をする』の意味でしょ? さっき私は『ミシミシ』とあなたに言ったけど、馬鹿にする気持ちはなかったですよ?」とさらに笑みを残しつつ聞き返してくる人もいた。「あなたにその意図がなくてもやっぱり、嬉しくないんです」と答えると、まだ完全には腑に落ちていないような顔をしつつも、そこで初めて本格的に笑顔を引っ込め、「あ、そうなんだ。まあ、そういうこともあるよね。うんうん」という感じで納得してくれるということもあった。

 一方で、中国には日本や日本人に対するあからさまな蔑称、差別語もある。「小日本」(シャオリーベン)、「日本鬼子」(リーベンクイツ)という言葉だ。前者は「ちっぽけな日本、取るに足らない日本人」というような意味、後者は先の戦争時に定着したのだろう。ネットにはこの2つの言葉がいまでも溢れかえっているし、中国人同士の会話からこの言葉が聞こえてきたこともある。読んだり、間接的に耳にするだけも、決して愉快ではない。

中国での「ジャップ経験」は必要だったか

 ただ、中国で私は、中国人から直接、この2つの差別語を投げかけられたことはない。しかし、これまでの生涯に2度、差別語を直接言われた経験をしたのも中国においてである。最初は1989年、北京の米国系ホテルで「ジャップ」「ハラキリ」「バンザーイ」と言われ、2度目は返還前の1990年代半ば、香港のフェリー乗り場で、「ジャップ」と言われた。電気に撃たれたような衝撃を覚えて言葉の飛んで来た方を振り向くと、2度とも、言葉の主らしき白人が小走りに遠ざかっていくのが見えた。

 直接といっても、いずれもすれ違いざまのことで、正面から衝突はしていないし、なぜ私がそれを言われたのかも分からない。1度目の北京の時は、そのホテルにあるイタリア料理屋のオープンテラスで、欧州のとある国から留学に来た白人の女の子と、初めてのデートをしていた時だった。黄色人種が白人の女の子とデートしていたのが、白人のあの男にはしゃくに障ったのだろうかと想像しても詮無いことだ。とにもかくにも、ドロドロとした熱いモノが腹の底から吹き上がってくるのを感じた。顔が見る間に紅潮し、瞬時に耳たぶまで熱くなった。

 ただ半面、自分がどういう行動を取ればいいのかも、よく分からなかった。体の小刻みな震えが、腹の底からせり上がってくる怒りからだけ来るものなのか、恥ずかしさなのか、恐怖もあるのか、その全部なのか、はっきりしなかった。「馬鹿なヤツはどこにでもいる。相手にしないで」と彼女に言われ、追いかけて対峙しなくてもいいんだと、ホッとしている自分が確実に存在していたということについても、正直に書いておきたい。

 この2度の経験は、今になっても折に触れて思い出すし、その時の情景もハッキリと頭の中に描くことができる。そして、差別用語をぶつけられ、どのような気持ちになったのかも。その感情は、想像を絶していた。ただ、矛盾するようだが、「実際に差別語を投げかけられなければ、その気持ちも分からなかったのだから、経験して良かった」などとは絶対に思わない。差別が言語道断の振る舞いであることを知るのに、経験など必要ない。差別語を言われた相手がどんな気持ちになるか、想像力を使うだけで十二分にわかるはずなのだから。

頭では分かっても無条件に不快なのが差別語

 沖縄県の米軍北部訓練場のヘリパッド建設工事に反対する市民に対し、大阪府警の機動隊員2人が、「ぼけ、土人が」、「黙れ、こら、シナ人」と暴言を吐き、戒告の懲戒処分になるという事件があった。『日本経済新聞』(10月22日付)によると、府警の事情聴取に2人とも「本当に申し訳ない」と謝罪するとともに、「長時間の警戒中に感情が高ぶり、思わず口をついて出た。差別的な意図はなかった」などと話しているという。日経新聞以外にも目を通してみたが、どのメディアも、「土人」については詳しく書いているが、「シナ人」の言葉の持つ差別性について、詳しく触れているものは見当たらない。2人とも、シナ人という言葉を使ったことについても、差別的な意図はなかったのだろうか。

 この事件の一報を読んで、気は重かったが、気の置けない何人かの中国人の友人に事件のことを聞いてみた。全員、事件のことを知っていた。そして、「シナ」及び「シナ人」という言葉が本来、必ずしも差別的な意味で使われたものではなかったが、日中戦争につながる一連の時代の中で、日本人が中国及び中国人の呼称として使ったことで、差別的にとらえられるようになった、ということを、やはり全員が知っていた。そして、そういう経緯は分かっているが、「シナ」「シナ人」と目にし、耳にすれば、それは不快だと、やはり全員が口を揃えた。

 先の機動隊員が、「差別的な意図はなかった」と話しているということ、それについては信じたい。ただ彼らが故意でなくても、気分を害した人が大勢いた。それは伝えておきたい。

心に染みた濁音のない日本語

 今回、中国人の友人の1人に、沖縄の「シナ人」の件で話を聞きたいと頼んだら、「職場の近くに安くてうまい広東料理の土鍋ご飯の店ができたので、そこで食事をしながら話をしよう」と誘ってくれた。「ぼくが払います」「いや、話を聞かせてもらうんだから当然オレが」の押し問答の末、年下の彼に押し切られてしまった。

 豚肉の甘みとうまみがたっぷり詰まった中国華南地方のソーセージとキャベツが乗り、広東独特の甘い醤油でできたおこげが香ばしい土鍋ご飯は確かにうまかった。話もあらたか聞き終わり、食べ終わって席を立ち店を出ようとすると、背後から、

 「いらっしゃいませー」

という日本語が聞こえた。常連の日本人客でも来店したのかと入り口に目をやったが誰もいない。不思議に思って後ろを振り返ると、店のおかみさんが私のことを見て笑っていた。注文の際、どちらが払うかの押し問答を聞き、私が日本人だと知ったおかみさんが、知っている日本語で、送り出してくれようとしたのだ。

 それを聞いた日本語の堪能な彼が、「おかみさん、間違ってるよ。お客が帰るときは、『ありがとうございましたー』と言うんだよ」と教えた。おかみさんは、「あ? そうなの?」と言い、

「ありかとこちゃいましたー」

と言い直した。

 やはり、見事に濁音がなかった。

 濁音のない日本語が心に染みた。この店に来るまで重く感じていた足取りが、帰り道には少しだけ軽くなったような気がした。

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