慶応義塾大学の岸由二名誉教授には、ちょうど1年前に日経ビジネスオンラインで、広島県安佐南区でおきた線状降雨帯による豪雨と、それに伴って起きた土石流災害の解説をしていただいた(記事はこちら)。
当時、広島の水害報道の多くは「豪雨による崖崩れであり、地質が原因」というスタンスだった。しかし岸さんは「地質ではなく、地形の問題」と指摘、狭い範囲の流域の上にずっと雨が降り続いた結果、土石流が川のように流れ出し、流路である扇状地につくられた住宅地を襲った「小流域災害」である、と分析した。
岸さんによれば、日本の土地はほとんどどこかの河川の流域に属しているという。ということは、「一定以上の雨量を受ければ、どんな土地でも、こうした流域水害が発生する」ことを意味する。
今回の鬼怒川の氾濫は、どう受け止めるべきなのだろうか。
(聞き手は柳瀬博一)

今回の鬼怒川水害をどうご覧になりますか。
岸:「線状降雨帯(長時間にわたって同所に豪雨を降らせる積乱雲の帯)によって起こった水・土砂災害」という点では、昨年の広島と原理は同じです。スケールははるかに大きいですが。
鬼怒川流域の、下流から上流にぴったり沿ったかたちで線状降雨帯が居座り続け、上流から集まった膨大な雨水で下流部の脆弱なところが決壊しました。ひとつの流域に大量の雨が長時間降り注ぎ、増水した河川の流れがオーバーフローし、破堤したわけです。
鬼怒川の流域のかたちを地図で見てみましょう。
岸:オレンジ色が鬼怒川流域です。薄黄色の利根川流域の一部ですね。水害のあった常総市は鬼怒川が利根川に合流する直前の下流部に位置しています。
鬼怒川流域は上流部が扇子状に広がっています。山間から出てきたいくつもの河川が合流し1本に収束して、下流部の流域は幅が狭くなっています。上流部に大量の雨が降り続ければ、大きな洪水の塊が流れ落ち、幅の狭い下流の流れに集中するわけです。
薄い青で示したのは、今回、線状降雨帯に覆われた地域のイメージです。扇子状に広がった上流部に大量の雨が降り続け、下流部には雨に加えてそれらが加算されていく。濃い青の矢印で示した通りです。
上流に降った雨の水が、まとまって下流へ殺到する
細い数本の矢印が、まとまって太い矢印になっていく。
岸:最終的に、下流部の脆弱な箇所でオーバーフローし、堤防の破壊、大水害につながりました。広島で土石流災害があった場所も、扇子状に源流部が広がり、下流にかけて収束するかたちです。
今回の鬼怒川水害の被害拡大を防げなかったのは、なぜでしょうか?
岸:報道を見る限り、豪雨の予想、線状降雨帯の分析は進んでいます。しかしその一方で、実際に水害を引き起こす流域の構造と、水害の発生状況については、一部の専門家を除くと、一般市民はもちろんのこと、メディアや地方行政の理解が進んでいないと感じました。昨年の広島の水害の時点から、あまり進歩がみられない。残念なことです。
具体的には。
岸:豪雨は水害の条件です。実際に水害が起きるかどうか、それを規定しているのは、雨そのものではなく、大雨が降り落ち川に集まり、流れ下る「流域の構造」と、人々の「居住の構造」の相関なのです。その点に対する理解が足りない。
豪雨の予測や分析は進んでも、なぜその土地で水害が起きるのか、どんな氾濫になり得るのか、地形に基づく理解が、報道や市民の間でなかなか進みませんね。
水害は、「流域の構造」と「居住の構造」の相関で起こる?

岸 由二(きし・ゆうじ)氏
慶応義塾大学名誉教授
1947年東京生まれ。横浜市立大学文理学部生物学科卒業、東京都立大学理学部博士課程修了。理学博士。進化生態学、流域アプローチによる都市再生論、環境教育などを専門とする。鶴見川流域、多摩三浦丘陵など首都圏のランドスケープに沿った都市再生活動の推進者としても知られる。著書に『自然へのまなざし』(紀伊國屋書店)『いのちあつまれ小網代』(木魂社)、『環境を知るとはどういうことか』(養老孟司との共著、PHPサイエンス・ワールド新書)、訳書に『利己的な遺伝子』(ドーキンス、共訳、紀伊國屋書店)、『人間の本性について』(ウィルソン、ちくま学芸文庫)、『生物多様性という名の革命』(タカーチ、監訳・解説、日経BP社)、『足もとの自然から始めよう』(ソベル、日経BP社)、『創造』(ウィルソン、紀伊國屋書店)、『「流域地図」の作り方』(ちくまプリマー新書)など多数。
岸:日本列島の大地は、「流域構造」に埋め尽くされています。みなさんの住まいや働く場所は、必ず大小さまざまな河川の「流域」のどこかに属しています。日本全体をみると、ジグゾーパズルのように大型河川の「流域」で大地が区切られているのが分かります。今回水害があった鬼怒川は、利根川水系の支流になります。そして、「流域の構造」のどこに「居住」しているかによって、豪雨などがあったときに、その人が水害に遭うかどうかある程度規定されてしまうんです。
それはごく簡単に言えば、上流で大雨が降ったとき、増水して溢れやすい下手の低地に住んでいるか否か、ということですか?
岸:ええ。もともと扇状地だったり氾濫源だったような低地は、流域の構造上、高台などに比べ、豪雨による水害に遭うリスクが増えます。まさに水害は「流域の構造」と「居住の構造」の相関なのです。
氾濫した河川だけではなく「流域」での水害
鬼怒川の場合はどうだったんでしょう。
岸:大きな被害に遭った常総市の当該地区は、山間地の広い領域に降る大雨が巨大な流れとなって時間差で流下する、流域幅の狭い低い土地です。頭の上がたとえ晴れていようと、上流・源流部が豪雨に見舞われれば、大きな氾濫のあり得るところです。先ほどもお話ししましたが、山間地に広大な領域がありそこに降り注いだ大雨が、下手の狭い下流の土地に一気に流れ落ちてきた。そこに人々がたくさん暮らしていた。結果、住民が被災し、甚大な被害につながりました。
なるほど。
岸:ちなみに、昨年の広島の災害があった箇所も、源流部上流部が大きく広がった枯れ谷の出口でした。逆三角形の小流域の上流部から、雨の水が土石を押し流しながら一気に谷口に集まり、土石流となって下流の扇状地にできた住宅街を襲ったわけです(図2参照)。
水は高いところから低いところに集まり、川となって、最後は海にたどり着きます。川は、大地を浸食し、土砂を運搬し、下流で堆積し、大量の水が流下すれば、氾濫を引き起こす。こうした仕組みは小学校高学年で誰しもが習いますね。
ところが、以上のプロセスをまとめて、それぞれの土地が、雨水を川に集水し流下させるどのような構造をもっているか、つまり、どんな「流域の構造」で成り立っているかについて、実は小学校はもちろん中学でも高校でも大学一般教養課程でも教えません。
学校で教えていないんですか?
岸:教えません。だから、一般市民はもちろん行政やメディアに至るまで、ばらばらの情報は持ち合わせていても、流域単位で災害を考えるという基本的な視座を共有できないんです。流域の形、流域の特性が、氾濫、水害に強く関連する。そんな基本についての理解が広がらない。ここ数年、線状降雨帯による水害が繰り返されていますが、「流域」に対する一般的な無理解が事態を改善しない要因の一つ、ともいえます。
たしかにここ数年、たくさんの水害がありました。
岸:広島だけではなく、2014年の長野県南木曽町の土石流災害も、2013年の伊豆大島の土石流災害も、2011年の和歌山の土石流災害も、そして今回の鬼怒川の水害も、それぞれの流域の構造に短時間で豪雨が降り注いだ結果起きた洪水に対して、流域の危険地域に居住する人々、人々を守るべき行政が対応しきれなかった結果起きた「流域水害」なのです。
繰り返しますが、流域単位での分析と対応は、専門的な河川管理領域の専門家たちを除くと、一般の行政や、報道、市民に、まだまだ活用されていません。今回、未曽有の豪雨におそわれた鬼怒川流域で避難指示などが地方自治体単位にとどまり、上流部から下流部までを見据えた総合的な流域単位での危機対応ができなかったのは、無理もないとも言えます。
そこで、ぜひ皆さんには、「流域思考」を持ってほしい。
流域思考とは?
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