「工夫しろ」
東芝で不適切な会計が行われていた2009~13年、前社長の佐々木則夫氏(現副会長)は、利益が計画に届かない部署に対しメールや口頭で、こんな圧力をかけていたことが、関係者の証言で明らかになった。佐々木氏は副会長を退任する見通しだ。
「工夫」が「粉飾」を指したかどうかは今後の調査を待つしかない。ただ、その一言が持つ意味を、優秀な東芝の社員たちは暗黙のうちに理解したのだろう。彼らの従順な行動は積もり積もって、利益を1700億~2000億円もかさ上げすることになったと見られる。
一方、佐々木氏の後を受けて社長に就任した田中久雄氏も、現場に利益の水増し圧力をかけていたと指摘されている。事実なら社長辞任は必至だ。
連結売上高約6兆5000億円、従業員数20万人の巨大企業の中枢で何が起きていたのか。浮かんできたのは日本を代表する名門企業を率いていると思えない、醜い権力闘争の痕跡である。
社長就任会見で露呈した不仲
「彼(佐々木氏)は年度の初めに立てた売り上げ目標を一度も達成したことがない」
佐々木氏の前任である西田厚聰(あつとし)氏は2013年6月、週刊誌のインタビューでこう語った。西田氏と佐々木氏の不仲が明らかになったのはその年の2月、田中氏の社長就任を発表する記者会見でのことだった。
西田氏が社長候補の田中氏に「東芝を成長軌道に乗せてほしい」と発言すると、佐々木氏は気色ばみ「業績を回復し、成長軌道に乗せる責任は果たした」と反駁した。
2人の対立が表面化したのはこの時だが、西田氏はかなり前から社内で佐々木氏の経営に不満を漏らしていたという。関係者の間では、西田氏に「業績を上げろ」とプレッシャーをかけられた佐々木氏が現場に「工夫しろ」と圧力をかけた、との見方が有力だ。
西田氏と佐々木氏は最初から不仲だったわけではない。社長時代、原子力と半導体への「選択と集中」を掲げた西田氏は2006年、社運を懸けて米原子力発電機器大手のウエスチングハウス(WH)を買収した。このとき電力システム部門のトップとして奔走したのが佐々木氏である。佐々木氏は54億ドル(当時のレートで約6400億円)の買収を見事にまとめた。その力を西田氏に買われて2009年、社長に抜擢されたのだ。
リーマンショックの影響でライバルの日立製作所が7873億円という巨額赤字に沈んだ2009年3月期、東芝の赤字が3436億円と日立の半分で済んだ。これも西田氏と佐々木氏による「選択と集中」の成果とされ、経営者としての2人の評価はうなぎ登り。経営の現場を佐々木氏に任せた西田氏は、その国際性や教養の高さから経団連会長の有力候補に擬せられた。
東日本大震災で狂った目算
だが、2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故で2人を取り巻く状況は一変する。その象徴が米国での新規原発建設計画「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)」の頓挫である。
国内の原発新設が見込めない中、WHを買収した東芝は東京電力と組み、海外での原発受注に打って出た。ところが福島第1の事故でそれどころではなくなった東電がプロジェクトから撤退、米電力大手のNRGエナジーも追加投資を取りやめた。この案件に出資と融資で約600億円を投じていた東芝は、監査人の新日本監査法人(現新日本有限責任監査法人)から減損処理を求められた。
東芝は「事業をあきらめたわけではない」と激しく抵抗したが、2011年のオリンパス事件で粉飾決算を見抜けず評価を落としていた新日本は譲らなかった。結局、東芝はSTPに関連し、2014年3月期の決算で310億円の減損を計上した。
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