地盤沈下著しい総合スーパー(GMS)業界にあって、ご多分に漏れず苦戦するセブン&アイ・ホールディングス傘下のイトーヨーカ堂。2016年2月期には上場以来初の営業赤字に転落。すでに不採算店舗の閉鎖など構造改革案を打ち出してはいるものの、復活に向けた明確な道筋を描けたとはいえない状況が続く。
そのイトーヨーカ堂で3月1日、中国事業を統括していた三枝富博・常務執行役員(67)が社長に昇格した。
セブン&アイで「お家騒動」が表面化し、約25年にわたって同社を率いた鈴木敏文会長(84、肩書は当時)が電撃退任したのは2016年春のこと。カリスマ不在の巨艦をいかに舵取りするか――。経営トップを引き継いだ井阪隆一社長(59)が求心力の源泉として頼ったのが、伊藤雅俊名誉会長(92)ら創業家の存在だった。
伊藤家はグループを束ねる象徴でありながら、その名前を冠したイトーヨーカ堂はセブン&アイの足を引っ張る存在でもある――。三枝氏はこの皮肉な「ねじれ」を解消し、イトーヨーカ堂を再び輝かすことができるのか。
3月4日、土曜日。昼どきのイトーヨーカ堂アリオ北砂店(東京都江東区)で、週末のスーパーに似つかわしくないスーツ姿の男性が歩きまわっていた。まずは野菜、次に肉、さらには魚……。早足で売り場から売り場へと移動しながら、時折ハッとした表情をみせては陳列棚に手をかけ、パッケージは正面を向いているか、値札は曲がっていないかと点検する。
「朝起きてから顔を洗ったり歯を磨いたりするのと一緒。売り場がきちんと整っていないとなんだか気持ち悪くて、どうしたって手が動いてしまいますよね」
屈託なく笑うこの男性こそが、ヨーカ堂社長に就いた三枝富博氏だ。この週の水曜に就任したばかりの同氏。店長会議や各事業部門へのヒアリングが重なって本社からなかなか抜け出せなかったといい、就任してから初めて迎えた休日、さっそく店舗視察に繰り出していたのだ。
中国駐在20年、異色の経歴
三枝社長は異色の経歴の持ち主だ。
明治大学法学部を卒業後、大和証券を経て1976年にヨーカ堂に入社。主に文具関連のバイヤーとして活躍した後、ヨーカ堂が1996年に中国出店を決めると、現地進出プロジェクトへの参加を志願。1997年に中国に正式赴任してからは約20年間、現地駐在社員として一貫して中国本土で職務にあたってきた。
日本国内のヨーカ堂社員の多くは、三枝社長と直接の面識がない。「はじめまして、店長です」「三枝です、どうぞよろしく」。この日の視察では、社員らが自分たちの新しいボスがやってきたと気づくたび、店内のあちこちで「社内名刺交換会」が開かれていた。
三枝社長は就任初日の3月1日、店長や本社幹部ら約800人が出席した会議でも「ほとんど私のことを誰も知らないと思いますので」と話し、自己紹介に長い時間を割いている。
中国事業を専門としてきた三枝氏がヨーカ堂本体の社長に就いたのは何故なのか。日本の総合スーパー産業の現状をどう認識していて、長らく経営不振に苦しむヨーカ堂をいかに復活させようと考えているのか――。日経ビジネスは3月上旬、改めてインタビューする機会を得た。
中国に20年間駐在していた三枝社長。2月下旬まで同国に滞在するなど、ギリギリまで「中国漬け」は続いたが、それでもこの3〜4年は役員会に出席するために毎月のように日本に帰国し、国内動向に目をこらしてきた。中国では「沿海部から内陸へ」「実店舗からネット通販へ」など消費スタイルが劇的に変化し、「日本で起きている構造的な問題が、中国でも(すぐに)起きるようになった」ためだという。
そんな三枝社長が日本の小売り業界について常々感じていたのが、誰しもが安易な業態論に走りすぎているのではないか、という点だった。
「『総合スーパーはダメになった』とか『ショッピングモールだから勝てる』とかいうのは幻想です。どんな業態だって(競合他社に真似されれば)すぐに同一化、陳腐化するんです。そうじゃなくて、個別のお店がその地域でどんな存在として位置づけられていて、お客さんのニーズに本当に応えられているのかをまず考えなくては」
総合スーパーのビジネスモデルは、1階の食品売り場で集客し、2階より上層で売る高利益率の衣料品・家庭用品で稼ぐというもの。消費者にとっては、お店に足を運べばワンストップで暮らしに必要な商品が揃うのが魅力だった。
ただし、このビジネスモデルがうまく機能したのは1990年代の中頃まで。衣料品や家庭用品は機能性と価格を両立させた商品作りが得意なユニクロやニトリなどの製造小売り業(SPA)に客を奪われた。
だから、もう総合スーパーという業態では成長は見込めない……というのが一般的な「総合スーパー限界論」。だが、この「総合スーパーだからダメ」という業態論は、お店の形態に責任を押しつけた言い訳であるともいえる。
尖ったファッションは求められていない
「衣料品が売れないと言われるけど、そもそもお客さんがヨーカ堂に求める商品を置けているのか。ヨーカ堂は、どんなお客さんに、何を売る店なのか。総合スーパーがダメなんじゃない。本当はお客さんだってワンストップでいろんな商品を買いたいと思っているのに、『いざ来店しても欲しいものがない』という状況になってはいなかったか」
たとえばヨーカ堂は2015年以降、セブン&アイ傘下の百貨店であるそごう・西武と連携。日仏の著名デザイナーと組んだプライベートブランド(PB)商品を相次いで企画、売り出している。だが「ヨーカ堂に尖ったファッションが求められているとは思えない」(三枝社長)。
お客はカジュアル着や値ごろな肌着・靴下を欲しいと思っているのに、店頭で目立つのは斬新なデザインの商品ばかり。日常使いの衣料品の販売がなくなったわけではないが、商品開発のリソースはどうしても分散する。買いたい服がないと感じたお客は、次第に衣料品売り場から遠ざかることになるだろう。三枝社長は「我々経営陣も含めて、リーダーの強烈な反省が必要」と指摘する。
総合スーパーがダメなのではなく、現場が思考停止状態に陥っている。これが三枝社長の分析するヨーカ堂低迷の真因だ。しかし、それは何故なのか。「功罪があるとは思うが」と前置きしたうえで、三枝社長はこう語る。
「トップのリーダーシップが強ければ強いほど、やっぱり社員はそれに拘束される。発揮されたリーダーシップを鵜呑みにする状態がずっと続いていたために、現場が創意工夫するという意識が薄れてしまった」
「この何年かを振り返ると、どうも言われたことをやるとか、受け身というか、やらされ感というか、そういった姿勢が目立つようになっている。自分が考えて『こうしたい』と提案する習慣がないと、(消費者のニーズなど)いろんな変化に敏感になれないですよね」
名前に直接言及したわけではないが、念頭にセブン&アイ前会長の鈴木敏文氏を置いているのは明らかだろう。鈴木氏といえばセブンイレブンの生みの親。一方、1980年代にはヨーカ堂でも徹底した業務改革を推し進め、業績を回復させた実績をもつ。
ただし、何事にもプラスとマイナスの両面がある。鈴木氏の場合、強烈なトップダウン型の経営でセブン&アイを日本のトップ小売り企業に押し上げたのは確かだが、その裏では、現場社員のあいだに受け身文化が根付いてしまう副作用をもたらした。この傾向は2005年、セブン&アイHDの発足により一層加速している。
帰国後、鈴木氏とは何度も面会
だからといって鈴木氏を否定するわけではない、というのが三枝社長の基本姿勢だ。同氏の社長就任には、昨春の「お家騒動」で鈴木氏と折り合いのつかなかった伊藤名誉会長の意向が反映されたとされる。だが、三枝社長はこう語る。
「そう解釈するのが一番わかりやすい見立てかもしれませんが、私は全然そうは思っていません。だって私、日本に戻ってきてからも、伊藤名誉会長より鈴木前会長とのほうがはるかに多くお会いしていますから。私は伊藤派でも鈴木派でも何でもありません」
「そうではなくて、ヨーカ堂が創業以来大事にしてきた経営理念とか、お客さんに支持してもらうためにどうするかを愚直に考える。そのほうが会社を強くするのではないですか。私自身ずっとそうやって働いてきました。私は『イトーヨーカ堂派』なんです」
ここまで聞いていると、三枝社長が自身の使命として、ヨーカ堂を蘇らせる新たなビジネスモデルを考え出すより、同社が持っていた「ヨーカ堂らしさ」を取り戻すことを重要視しているのだと伝わってくる。
「私が革命的なアイデアを持っているわけではありません。私が重視するのは土台づくり。その先の成長路線は、本来は40〜50代の、まだあと10年や20年は経営の一線にいられる世代が考えるものだと思うのです。すでに30~40代の社員約30名で部門横断型のチームを結成し、次世代のヨーカ堂がどうあるべきかを徹底的に議論してもらう取り組みを始めました」
「ただし、どんな経営フォーマットができるにしても、結局ヨーカ堂を支えるのは会社やお店が持っている雰囲気や文化であることは間違いない。これは簡単に変えられるものではない。だからこそ、そういう基礎・基本をしっかり立て直していきたいのです」
まさに、4日の店舗視察で三枝氏が陳列棚を直してまわっていたのは、こうした哲学に裏打ちされた行動だったといえるだろう。そういえば視察当日、随行していたある幹部社員が「これだけ経営層が基本の徹底を叫んでいるのは10年以上ぶりではないでしょうか。僕らが若手社員のころは口酸っぱく言われていたものですが、やはり疎かになっていたのだと思う」と漏らしていた。
長引く低迷でリストラが相次ぐなかでは、社員のモチベーションをいかに高めるかというのも重要な経営課題になるだろう。そういう意味では文化も民族も言葉も違うなかで中国事業を束ねてきた三枝氏に白羽の矢が立ったのも頷ける。
井阪HD社長も「意見を言えるように」
セブン&アイHDのグループ各社は3月16日、東京都内のホテルで新卒社員の合同入社式を開いた。井阪社長が春からグループに加わる約1200人に語ったのは「基本を大切に」「お客の立場に立って考えて」「コミュニケーションを大切に」の3点。なかでもコミュニケーションについて、井阪社長は「去年から新体制が発足したわけだが、現場が疑問に思ったことは口に出して言える。上司がその意見をきちっと受け止め、日々の仕事に反映する。そんな自由闊達で風通しの良い組織にしていきたい」と強調していた。
トップダウンの指示を待つのではなく、社員一人ひとりが、お客が何を求めているのかを考え抜く――。ヨーカ堂について三枝社長が語ることは、そのままセブン&アイHDグループ全体にも通じる課題であるということだ。
三枝社長の言葉は同時に、セブン&アイの井阪社長自身にとっても重い意味をもつ。鈴木前会長が会社を去ってから、井阪氏は創業家をグループの求心力の源泉に据えてきたからだ。
たとえば、新体制として初めて中期経営計画を公表した2016年10月には「この巨大なグループの素晴らしさは(伊藤)名誉会長が躾レベルで植え付けてくださった理念」と発言。2017年3月の合同入社式でも、セブン&アイが世界17カ国・地域で6万超の店舗を展開する規模に成長した歴史を誇りつつ、あえて「(もともとは)終戦後、本当に何もない時代に、ここにいらっしゃいます伊藤名誉会長がわずか2坪のお店から始められた」と持ち上げている。
グループを束ねるうえで拠り所があったほうが良いのは理解できるが、それを個人に求めるのであれば、トップダウン型の経営を志向した鈴木前会長の時代と本質的には変わらない。社員一人ひとりが頭を使って提案するボトムアップ型の企業文化に変えていきたいのなら、いずれは「創業家依存」から脱する必要がある。
イトーヨーカ堂は三枝新社長のもと、グループ全体に投げかけられているこれらの課題をいち早く達成する存在に生まれ変われるだろうか。
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