
卒業アルバムの後ろのほうのページには、在籍した3年間に起きたことが写真付きでまとめられている。が、最後の年の1月以降については触れられていないことが多い。その時期にはたいてい、アルバムは印刷過程に入っているからだ。締め切りは12月中旬、という学校も多かったのではないか。
ところが、1990年12月末、印刷所に「このこともアルバムに載せてほしい、1ページ追加してほしい」と駆け込んだ高校3年生がいた。くじで負けて卒業アルバム委員になった彼が手にしているのはスポーツ新聞。一面は、有馬記念を勝ったオグリキャップが飾っている。
出版関連の仕事をしている方ならご存じのことと思うが「1ページ追加」というのはなかなか受け入れがたい申し出だ。書籍や雑誌などの印刷物は、その制作過程の都合上、ページ数は4の倍数(たいてい16ページ)で増減させるのがセオリーだからだ。
そんなルールを知るはずもない彼は「この『大事件』は自分たちの卒業アルバムに載せるべきだ」と思い、大学受験を間近に控えているにも関わらず、いやいや引き受けた仕事をぎりぎりまで全うしようとした。
たしかにそれは、大事件だった。
無名の血筋、中央6連勝、過酷な戦い
血統がものをいう競走馬の世界で、ほとんど無名の血筋。地方競馬で実績を上げて1988年に中央競馬へ移籍すると、デビューから6連勝し、有馬記念をも制した。最後方から末脚一閃、並み居る良血馬たちを鮮やかに抜き去るオグリキャップは“怪物”と賞され、押しも押されもせぬスターとなった。

翌年は前半を捻挫と炎症でほぼ休み、後半から過酷なスケジュールで戦いに挑み、ほとんどのレースで1番人気となり、6戦3勝。その名は老若男女に知られ、ぬいぐるみまで作られ、ゲームセンターではUFOキャッチャーの景品に芦毛の小さな馬が積まれた。
競馬はオジサンだけのものではなくなり、高校生にも身近な存在になった。日本中央競馬会がJRAというスマートな略称を名乗り、テレビCMにも力を入れた影響も大きい。ルール上、勝ち馬投票券こそ買えないものの、背伸びをしたい高校生にとって、競馬馬の名前や血統、戦績を知っていることは、大人びたカッコいいことになっていた。かの卒業アルバム委員のクラスメイトの中には、修学旅行で京都へ行き、自由行動日に滋賀まで足を延ばし、栗東トレーニングセンターを見学した者までいた。
その人気を牽引したのがオグリキャップだった。
しかし、1番人気で臨んだ1989年の有馬記念では5位に終わり、翌1990年5月の安田記念では1番人気で1着になって期待に応えるも、6月の宝塚記念では1番人気で2着、10月の秋の天皇賞ではやはり1番人気ながら、過去最悪の6着。瞬間的に強く輝く光のような夢を見せてくれたけど、もう、オグリキャップは終わりだろうとささやかれるようになった。11月のジャパンカップでは4番人気で、結果は11着。終焉は確定し、有馬記念での引退が決まった。
ラストラン、18万人の大歓声
1990年12月23日、オグリキャップのラストランを見届けるため、JR船橋法典駅から徒歩10分ほどの距離にある中山競馬場には18万人もの人がつめかけていた。天気晴朗、良馬場。注目は、どの馬が勝つのか、そして、オグリキャップが最後にどんな走りをするか。
ファン投票では1位だが、オッズはというとホワイトストーン、メジロアルダン、メジロライアンの後塵を拝しての4番手。勝ってほしいけれど、勝てないだろう。それが世間の評価だった。騎乗した武豊も、たとえゴールまで続かなくても、残り600メートルのところで、見ている人が「来た来た来た!」となる、オグリキャップらしい見せ場を作りたいと考えていた。そして、オグリキャップをその誕生前から育てた調教師・鷲見昌勇は、中山競馬場から遠く離れたテレビの前でこう思っていた。「勝つなんてことはわかっとるで。最後の華は飾るってことは」


こういったドラマを持つ馬が、最後のレースで、らしい勝ち方で勝ったのだから、それは大事件だ。

ただ、ドラマは探せばどこにでもあるものだし、強い存在の記憶も時間と共に忘却の彼方に追いやられるものだ。そもそも、強さを持ちながら人を熱狂させることなく表舞台から去る存在もある。なぜ、オグリキャップは特別だったのか。今もなお、多くの人の心に残像として生きるのか。ページを増やしてもらった卒業アルバム委員・久保健一は、NHK-BS「アナザーストーリーズ」プロデューサーとしてその長年の疑問を、3月22日放送の「怪物 オグリキャップ ~涙のラストラン~」で読み解いていく。

新刊『今だから、話す 6つの事件、その真相』 好評発売中

当連載『時効スクープ~今だから、聞けた』でご紹介してきたNHK-BSプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」の数々のストーリー。そこから選りすぐりの6つの事件を収録した書籍ができました。番組ディレクターたちの「現場の声」とともに、事件の新たな一面に光を当てます。 当時は話せなかったが、今なら話せる。いや、「真実」を話しておくべきだ――。過去に埋もれた「思い」を掘り起こすと、「知られざるストーリー」が浮かび上がってきました。
<改めて知る、6つの事件>
●日航機墜落事故 1985 レンズの先、手の温もり、「命の重さ」と向き合った人々 ●チャレンジャー号爆発事故 1986 悲しみを越えて、「夢」を継ぐ者たちがいる ●チェルノブイリ原発事故 1986 隠されたはずの「真実」は、そこに飾られていた ●ベルリンの壁、崩壊 1989 「歴史の闇」を知る者が静かに、重い口を開いた ●ダイアナ妃、事故死 1997 作られたスクープ、彼女の「最後の恋の駆け引き」 ●大統領のスキャンダル 1998 翻弄し、翻弄された3人の女と、2人のクリントン
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