新緑の季節、通勤途中の車の窓を開けると、何とも言えない木々のいい香りがただよってくる。大きく息を吸い、深呼吸をする数秒間は、私にとって最高に幸せな時間だ。

「人生に、野遊びを」。スノーピークはこのコーポレートメッセージを通じて、自然と共に生き、人間性を回復するライフスタイルを提案してきた。

年間40~60泊のペースでテントに泊まるという筆者(写真:栗原克己、以下同)
年間40~60泊のペースでテントに泊まるという筆者(写真:栗原克己、以下同)

 私はこれまで56年間の人生で、テントで約1000泊している。最近は年間に40~60泊のペースだ。若い頃は、「好き」という気持ちだけでキャンプをしていたが、今のほうが忙しいせいか、キャンプ自体の効用を感じるようになった。キャンプに行かないと体の調子も悪いし、精神的なコンディションも低調な気がする。

 フェイスブックに「旅に出ます。探さないでください」と書き込むのが、キャンプなどの野遊びに出かけるサインだ。自然のサイクルの中で2泊すれば、多忙な日常生活で狂った何かが、必ずもとに戻る感覚を得ることができる。

 実は、野遊びの多くは、自社主催のイベントやスノーピーカーと呼ばれる全国のユーザーとの宿泊でもある。ここで語り合う時間や経験が、会社の抱える課題を解決するためのヒントとなることも多い。

経営と野遊びは、ある意味同じだ

 父の会社を継ぎ、社長になって今年で20年目を迎えた。昨年東証一部に上場を果たし、野遊びに支えられる私の社長人生で、新たなスタートが始まっている。

 我田引水ではない。振り返れば、経営と野遊びは、ある意味同じだ。

 晴れた日にキャンプに出かけても、その後も晴天が続くとは限らない。暴風になることも、大雨になることも、急に寒くなることもある。突発事項は日常茶飯事。何度キャンプに出掛けても、必ずと言っていいほど、予測不可能な出来事に遭遇することがあった。

 経営でも同じことが言える。どんなビジネスをやるかは自分が選ぶにしても、マクロ環境は日々変わっていくし、突発的な事故も数多く発生する。

 現状維持はなく、予想外の変化や困難はつきもの。そして、起こった状況に対して、最終的には自分がどう立ち向かうかという主体性を問われ続ける。乗り越えるだけの力量があるかも、常に試され続けるのだ。

東証一部上場よりもうれしい瞬間

 その一方で、カベを乗り越えれば、今日幸せだなと思える瞬間がやってくるのも、また経営と野遊びの似ているところだ。

 私が自然の中で最高の幸せを感じるのは、冒頭でも触れたとおり、美しい朝の光や森のいい香りを五感で味わうときである。

新潟県三条市の本社は広大なキャンプフィールドを隣接する
新潟県三条市の本社は広大なキャンプフィールドを隣接する

 経営者人生の中で、こうした瞬間は何かというと、実は売り上げを達成した時でも、上場を果たした時でもない。

 なぜなら、売り上げや東証一部上場は、あくまでもマイルストーンであって、目標や目的ではないからだ。上場の日には、マネージャー以上の全員で東京証券取引所に行き、皆でよかったと喜びを分かち合った。それでも、あくまでも通過点の1つと捉えている。

 仕事において上場セレモニーよりもうれしいことはどんなことか。

 私が心の底からの幸せを感じられる瞬間は、2つある。1つは自分でもワクワクするような製品ができたときだ。

 数十年前に製品開発を担当していた時も、会社のスタッフに任せている今も、素晴らしい製品が出た瞬間は、たまらなくうれしい。「これ、すごいな!」と感動するだけでなく、製品を見たユーザーさんたちの喜ぶ顔が次々思い浮かぶ。これ以上ワクワクすることはまずない。

 スノーピークのカタログの中に、「ノクターン」というランプがある。決して派手な製品ではないが、優しい光が初めて灯されたとき、この明かりのもとで家族がだんらんするシーンや、カップルがいい時間を過ごすイメージが見えてきた。

 こうした製品がキャンプシーンに取り入れられ、人の幸せな瞬間が増えていると実感できたときにも、大きな喜びを感じることができる。

 家族同士でも、普段から本音でコミュニケーションできているかと言ったら、立場があったり様々な理由があったりして、難しいことも多いだろう。そんなとき、自然の中で、裸の個人になって、もう1回、家族や人とのかかわりを築くための背中を押すのが、キャンプやアーバンアウトドアの大きな意義でもあるのだ。

 今年のゴールデンウィークも、新潟の本社の隣にあるキャンプ場には、たくさんの家族が訪れた。一緒にキャンプをしながら、至るところで幸せな一家だんらんを目にすることができた。幸せが満ち溢れる時間に寄与できたときにこそ、スノーピークの存在意義がある。5年前に本社を移転した際、オフィスの窓を一面ガラス張りにして、その先にキャンプフィールドが見えるようにしたのも、スタッフ一同がこの醍醐味を感じるためなのだ。

人間性の回復はどんどん難しくなっている

 自然と人とをつなぎ、癒やしの時間をつくり出すことが、スノーピークの社会的意義である。しかし、年々、人を癒やすためにはより原始的な道具が必要になっているのではないかと感じている。

 例えば食事のシーンについて考えてみよう。約30年前、スノーピークがアウトドア用品の開発を手掛けるようになった当時は、オートキャンプの際、ツーバーナーやカセットコンロを使って料理をして食べるだけで、人々は十分に癒やされた。

内でバーベキューができるテントまで開発し、すでに販売している
内でバーベキューができるテントまで開発し、すでに販売している

 ところが今は、ガスコンロなどを使って料理するよりも、薪や炭で火を起こし、ダッチオーブンなどで料理を楽しむ人が非常に多くなっていると感じる。デジタル化が進み、より便利な生活に変わった今、人々が癒やされるのは30年前よりもはるかに原始的な製品なのだ。人々の感じるストレスが、より大きくなっているのではないか。そうなれば、今後はどんな製品で人々を癒やすことができるのか。

 今までにはない、新しいモノを作り出すプロダクトアウトの企業として、私が常に考えているのは、5年先や10年先のことだ。どんなデザインやテイストが流行るのか。どう自然と人とをつないで癒やされる空間をつくるか。

 未来の原始的なアウトドア用品……。色々考え出すと、ついつい時間を忘れてしまう。

(構成:福島哉香)

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