会場建設の見直しで揺れる東京五輪。筆者は今夏、過去の五輪を振り返り、五輪が開催地に残すべき有形・無形の遺産「レガシー」に関するNHKの取材に、アテネとロンドンで協力した。その模様は10月に「NHKスペシャル」で放送されたほか、12月4日の「大越健介・激動の世界を行く」でも放送される。近年の開催地の中では、2012年ロンドン大会はレガシーが成功した事例と言われ、同じ「成熟都市」である東京もロンドンに学ぶべきところが多い。
ロンドン大会がレガシーとして掲げていた5つの柱(参照記事:「パラリンピックが解き放った車椅子女性の可能性」)のうちの1つが「ロンドン東部地域の再開発」である。東部ロンドンはかつて工業地帯であり、産業が地元経済の活性化に貢献していた。だが、1970年代から80年代初頭に、急激に廃れた。有効活用されない土地が増え、土壌は汚染され、労働者や移民の多く暮らす、貧困地域であった。ロンドンは五輪開催を契機に、この東部地域を再開発することにした。その象徴が、この地域に建設されたオリンピック・パークである。
取材を通じ、筆者が最も仰天したのは、オリンピック・パーク内に五輪の象徴として建設された巨大なオブジェ「アルセロール・ミッタル オービット」である。今春には、スライダー(滑り台)に改修され、人気アトラクションとして生まれ変わった。
オリンピック・パーク内の施設の改修を担当したロンドンレガシー開発公社の再開発・コミュニティーパートナーシップ担当取締役、ポール・ブリッケル氏に、大会開催における心構えを聞いた。
ロンドンレガシー開発公社(以下、LLDC)の役割を教えてください。
ポール・ブリッケル氏(以下、ブリッケル氏):我々は、大会後に残されたものを未来に引き継ぐ役割を担いました。大会開始時にはその準備ができていることを目指し、LLDCは開催の3年前に設立されていました。オリンピック・パークが大会後に「レガシー」として利用されることを目的に、地域開発と、そのための会場の改修を行うのが役目でした。
LLDCはなぜ組織されたのでしょうか?
ブリッケル氏:我々にはずっと以前から、五輪開催における明確なビジョンがありました。実はこのストラスフォード(注:オリンピック・パークがあるロンドン東部の街)に、ビジネスに特化した新しい開発地区を作ることが、25年も前から構想されていました。しかし、目的達成には難題もありました。土地所有は細分化しており、また産業地区であったことから、土地は非常に汚染されていたのです。公共投資が必要だということはあらかじめわかっていましたが、当初、地元の人たちに、この開発が彼らに恩恵をもたらすとは感じてもらえませんでした。
そこへ五輪がチャンスとしてやってきました。まず再開発の準備を進めるために必要だった公共投資を、短期間で得る事ができました。メディアを通じ、世界に地域の認知度を高め、ここに投資機会があることを知らせるチャンスとなったのです。
さらに、五輪は地元の、特に若者たちを「インスパイア」する良い機会だと感じました。五輪とは、夢を実現するため、もしくはそのチャンスをつかむためのものです。若者たちに「学業で良い成績をとり、スキルを身につけ、仕事を得てビジネスのチャンスをつかめ」と伝え続けました。
LLDCが達成した最も重要な「レガシー」は何だったのでしょうか?
ブリッケル氏:ほぼすべてのロンドン市民、さらに政治家やロンドン市長、中央政府が、東部の再開発を支持していました。中央・地域政府、そして自治体が一つとなり、東部地区の変革に向けて動いたのです。オリンピック・パークは、大会後すぐにパーク・ランドとして改修されました。この2年半で1200万人もの来場者を記録し、地元の人たちが家族との1日を楽しむために会場を利用し、また、世界中からも訪問者が多く訪れています。
会場は、メインスタジアム、競泳用プール、ハンドボール用アリーナ、サイクリング用の「ベロドローム」と「ベロパーク」、テニス、そしてホッケー会場。(恒久的な施設として)残ったのはこれだけです。現在、国際大会にも使われ、日々オリンピアン・パラリンピアンたちが、地元の人たちと一緒に利用しています。地元の人々が、エリート選手たちによってインスパイアされることが望ましいと思っていました。アクアティックスセンター(競泳用プール)には確かこの数年で100万人の来場者があったと記憶しています。利用者が非常に多く、成功した会場です。
大会後に不要となったところは撤去され、選手村には2500の住居を建設し、人々はそこで幸せに暮らしています。ここは現在「イースト・ビレッジ」と呼ばれ、店舗や学校、ヘルスセンターもあるコミュニティです。現在、さらに新しく6500戸の住居を建設中で、新しい住居向けの学校やヘルスセンターも作っているところです。
大会は予想以上のものをもたらしました。当初予定のなかった、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンなどの教育機関、トップクラスの博物館や、ダンス・シアターもここにやってくる予定です。五輪がここへきた事で、多くの組織も、私たち自身も開眼し、ここでのチャンスを見出したと思います。おかげでストラトフォードは素晴らしい街になりました。
五輪開催から何を得たいか、事前に明確に定める
当時、レガシー開発公社というのはロンドンにとって新しい試みだったのではないかと思います。困難なことはありましたか?
ブリッケル氏:私たちには(東部再開発という)明確なビジョンがあり、五輪は、それを早期に実現するための手段でしたが、これは特殊なケースだったのでしょう。バルセロナは同様のことをしたと言われ、冬季五輪を開催したバンクーバーも、ビジョンが明確だったと言われています。彼らは社会的企業・小規模ビジネスを再活性化するのが目的で、それを実現させました。教訓は、まず大会前に、大会から何を得たいかを非常に明確にする事です。東京では(会場建設など)色々問題があると言いますが、まだ4年あるのだから、これから理由を後付けすることになったとしても、「大会から何を得たいのか」を明確にするのに遅くはないと感じます。
鍵は「明確なビジョン」なのでしょうか?
ブリッケル氏:大会前の明確さ(ビジョン)は必須です。中央・国家、地域・都市にある各政府間の連携、そして自治体のすべてが「なぜ大会を開催するのか」という点で一致することが大切です。ロンドンの場合は、この地域を変容させる事が目的でした。そして、ここに暮らす人たちの生活を改善する、ここに暮らす人々をインスパイアし「彼らの魂に火を灯す」ということです。教育、技術習得、雇用、ビジネス、そしてビジネスの成長面において、チャンスをつかめるようにする事でした。
ご自身の役割を教えてください。
ブリッケル氏:五輪招致時の約束は、大会をこの地域で行い、このコミュニティ全体が恩恵を受ける事でした。私の仕事は、この約束履行をリードすること。例えば建設関連では、地元の若い人たちが建設業においてキャリアを構築できるよう、雇用機会やインターンの機会などを考えました。また、メディアテクノロジーなどの技術や、映画スタジオや大学、美術館、ダンスシアターなどの文化施設、さらにハイレベルの技術に関連した様々なビジネスの誘致など、雇用機会を地元の人にどのように得てもらうかを考えることが、役割の大部分を占めています。
ブリッケル氏率いるチームには、公共および民間セクターから、建設やエンジニアリング、メディアなど、様々な業種を経験したプロの人材が揃っている。レガシー開発公社を通じて五輪に関わりたいと、応募者が殺到したという。ブリッケル氏自身も、実は意外な経歴を持っている。ブリッケル氏は東部地域で生まれ育った分子生物学者で、白血病の研究者だった。
ブリッケル氏:今の業務に関連して、なんら訓練を受けたことはありません。英国で最も大きな小児病院の研究機関で、血液学の教授をしていました。ある時、3カ月の休職制度を利用し、何か別のことがしたくなりました。1999年、数人の友人と共に、五輪招致の可能性と、変化を必要としていた東部地区について考え、再開発について、私なりの構想レポートを書いてみたのです。復職して半年後、その友人らから「このアイディアで、我々を助けてほしい」と頼まれ、その時点でキャリアを変える事になりました。
変化の可能性があるこの地区を見て、ここに暮らす人たちに恩恵をもたらすことができれば、人々が地域に貢献し、地元についてポジティブに思う事ができるようになる。五輪が、それを大きく助けると感じました。
オリンピック・パーク周辺には、川や運河が流れていて、桟橋がかかっていましたが、このあたり一帯は昔、産業がひしめきあっていました。化学産業やエンジニアリング、プラスチックなど、あらゆる産業ですが、イノベーションと発明という良いものをもたらした半面、辺りは汚染され、悪臭が漂っていました。
ある工場では、確かペニシリンなどの化学物質を作っていたのだと思います。うわさでは、毎週金曜、何者かが化学廃棄物を川に棄てていたと言われ、川が紫色でした。当時、私の祖父が化学薬品関連の仕事をしており、川を紫にしたのが祖父だったかは分かりませんが、個人的な罪悪感もあったのかもしれません。
汚染で紫色だった水路で子供が遊べるようになった
地域はどのように変わったのでしょうか?
ブリッケル氏:祖父母や両親などの世代から、この地域が以前、イノベーションや製造、デザインなどの拠点となっていたことを聞いて、誇りに思っていました。これらは過去の産物だと思っていましたが、現在誘致しているビジネスや大学などによって、今、もう一度この一角が、新たな発明やデザインなどを生みだしています。もう紫の水はなく、この夏、初めて水路にはボートやカヌー、スワンボートが浮かび、現在、ここの水は子供が遊んでも安全なものになりました。
また、近隣住民は、五輪が来ることにとても興奮し、人々にプライドをもたらしました。オリンピック・パラリンピック開催中、聖火がここへ来た時も、本当に素晴らしかった。聖火が街を通りぬけているとき、店から乗り出す人たち、店の上階から身を乗り出す住人たち。あまりに多様なこの街ゆえに、沿道には世界中の人たちであふれ、大会中、この高揚感はずっと続きました。
五輪開催後、2012年11月の地元のアンケートでは、生活満足度がロンドンの他の地区すべてを抜き去っていました。住民が、印象論ではなく、大会後数年に渡り、地元について良い気持ちを持ち続けました。特に若い世代の人たちの間で良いムードが蔓延していた。大会前は、ここにショッピングセンターや五輪会場、店舗など作っても「恩恵は地元に降ってこないだろう」と言われていたのですが、雇用が地元に生まれた事で、将来についても人々は自信を持つようになった。私は立場上、ひいき目で見てしまうのかもしれませんが、今は「このチャンスを絶対つかもうじゃないか」という雰囲気に満ち、五輪を開催する前とは全く違います。
東京は現在、会場建設などについてもめており、五輪開催に必ずしも肯定的な意見ばかりではありません。ロンドンも、直前まで五輪に対して冷ややかな視点が多かったと聞きますが、どのようにして人々を巻き込んでいったのですか?
ブリッケル氏:まず、政治家は自分たちの問題を解決するべきです。英国では政治家は自らが問題解決にあたり、リーダーシップをとることに専念しました。リーダーシップなくして、追随する人たちが出ないのは当たり前です。2つ目は、私たちには大会をなぜ開催したいのかという点において、非常に明確なビジョンがありました。人々が貧困にあえぎ、恩恵を受けていなかったロンドンの一部地域を、経済的なチャンスで変えるということです。人々はそのチャンスをつかみ、ロンドンや英国経済の足を引っ張るのではなく、経済に貢献する側に転換させたのです。
「こんな高価な2週間なんて」という人もいたかもしれませんが、そう言う人たちには「すまないが、その認識は間違いだ。ほとんどの支出は、ロンドン東部を変えるためのもので、これで経済活動が増加し、数年で収支は合う計算になる」と伝えました。
五輪スピリットというものは、個人に、あるいは、コミュニティに「語りかけていく」ものです。「では、あなたはどうするのか?」と。政治家がうまく立ち回れていなくとも、個人個人はどうすべきか?を問うのです。
五輪招致が決定した数カ月後、ブリッケル氏らは東部地区のある会場で「ビッグ・サンデー」というイベントを開催した。趣旨は背景の全く異なる一般の人々に参加してもらい、一人ひとりにとって「五輪は何を意味するのか」を発言してもらうものだった。
ブリッケル氏:かなり大規模な会場を借りたことと、ものすごく寒い2月の日曜日で、ちょっと不安でしたが、3万5000人もの人が集まりました。あんなに大きな集いはなく、本当に驚愕しました。興奮が溢れかえっていました。こうした事を継続し、人々を刺激し続けました。
これは東京へのアドバイスですが、政治家がリーダーシップを取っていないと感じるのなら「あなた自身はどうしたいのか」を問うべきです。オリンピック・パラリンピックは本当にものすごいイベントです。すごいものがあなたの元へ来るのです。無駄にせず、不満を言わず、変化を起こすための責任を一人一人が担うべきです。
それは本当に小さなものかもしれません。ロンドンではストリート・パーティーを開いた人々も、また、スポーツクラブを設立した人もいます。人々は「スポーツね。なるほど」と、そこでできる事を考えました。ある地域では「この5年で、自分の暮らす通りの人たちの団結を促して、コミュニティスピリットを構築しよう」と試みた人もいました。何でも良いのです。「あなたが何をしていくのか」を考える事は、とても重要な側面だと思います。
例えば、アテネやリオ、また、1964年に最初の五輪を開催した東京は、未だ発展途中で、開発の余地がありました。しかし、ロンドンも東京も今や「成熟都市」であり、インフラなどの整備は必ずしも必要ではありません。
ブリッケル氏:当然、ロンドンは成熟都市です。しかし、このご時世、成熟社会が1つのところに留まるということはありません。(進化しなくては)世界の都市から取り残されてしまいます。東ロンドン地区は長らく、我々にとって悩みのタネでもあり、同時にチャンスでもありました。五輪がその問題の多くを解決しました。オリンピック・パラリンピックは、こうした成熟都市が、世界的な都市として成長し、発達し続けるチャンスだと考えます。
この4年間ご自身の魂に五輪の火は灯り続けていますか?それは、どのようにして継続しているのでしょうか?
ブリッケル氏:とてもエキサイティングな4年間でした。この地域の人たちに、大会時の単なる傍観者ではなく、一部となってほしいという夢がありました。ビジネスチャンスを得ることで、関連の職やスキルを得て、恩恵を受けてほしかったのです。こうした夢の多くが達成され、非常に嬉しかった。失敗もあり、まだまだ先は長いですが、大学などの誘致活動を20年間やり続け、当初とはまるで見違えたような変化をもたらすことができたら、とても満足のいく道のりだったと言えるでしょう。
巨大なオブジェは滑り台に改修し人気アトラクションに
東京に「リレー」したいレガシーはありますか?
ブリッケル氏:この4年の間に、東京の人々が魂に火を灯すことができたら最高だと思います。これは、誰かのリーダーシップなしにはできないことです。政治家でなくても良いのです。ロンドン大会のもともとの概念は、ある個人が草の根グループで活動を始め、政治家がこれに追随しました。火を灯すのに政治的リーダーを待つ必要はありません。自分たちで火を起こして、彼らに飛び火すれば良い。魂に火を灯すのは、トップダウンでなくても良いのです。
現在ここで働く「パークチャンピオン」と呼ばれるボランティアたちは、五輪パークで、体の自由が利かず、ゆっくりとしか動けない人たちのためにバギーを運行し、案内もしています。パークを愛し、情熱を燃やしている彼らは、大会を通じて生まれたボランティアたちです。
また、パラリンピックは英国社会において、障害や障害者に対する意識を変えた、なんと素晴らしい契機だったことか。パラリンピックからインスパイアされた「グローバル・ディスアビリティ・イノベーション・ハブ」では、例えば、障害者の人たち向けに、既存のものではない自分たちなりの車椅子を、デジタルデザインや3Dプリントでオーダーメイドできるようにしたり、また、義手や義足をつけているひと向けには、どうやって「クールな」義手や義足を作るか、という研究を行ったりしています。病院で提供されたから装着しなくてはならないもの、という概念を、ファッション・ステートメントに変えているのです。
これらのことは、政治家に「こうしろ」と言われる必要が全くないことでした。人々が「私の住む社会、人生において、どんな意味があるのか。自分が起こす行動をどう変えれば良いのか」ということを考えた結果です。このことを、東京にリレーしたいと思います。この「インスパイア」のチャンスを逃せば、もうそこまでです。今が、その時なのです。
ギリシャ神話のカイロスは、五輪と関わりが深く、名前は「時間」を意味しますが、「輝ける瞬間」とも訳すことができます。カイロスは「チャンスの神」で、もとの五輪スタジアムの前に銅像がそびえています。カイロスがあなたに向かって走ってきたならば、即座にその前髪を掴まなければ、チャンスは通りすぎてしまう。
これが五輪のテーマです。五輪スピリットの深いところには、チャンスを見極め、そこにあるうちにそれを掴む、というもの。ロンドンでも政治家の小競り合いは存在しましたが、大会の意味を吟味し、チャンスを掴み続け、歩みを止めることはしませんでした。これは、ギリシャからロンドンへ、そして東京へ、脈々と受け継がれるべき大切なものでしょう。
大会は全ての人のもの、という事でしょうか?
ブリッケル氏:五輪は皆のものです。世界最速の走者に、最強の重量挙げ選手になりたければ、それができると信じ、厳しい練習をし、チャンスを掴まなければならない。誰もそれを代わりにやってはくれない。これこそが、世代を越えて受け継がれる五輪のメッセージだと思います。オリンピック・パラリンピックはチャンスです。そのチャンスがやってきたら、政治家やビジネスマンがチャンスを掴んでいない、と不満を言うのではなく、そのチャンスを自分の手で掴むべきだと思います。
冒頭で紹介した旧メインスタジアム(注:現・プレミアリーグ・ウェストハムのホームスタジアムでもある)の隣にそびえる巨大オブジェ。往々にしてこうした建造物は、大会後はただそこに建っているだけの「ホワイト・エレファント(無用の長物)」になりかねないが、前ロンドン市長の掛け声のもと巨大な滑り台に改修され、現在、立派なアトラクションとして成り立っている。
取材中、この「巨大滑り台」を案内してくれたのは、地元出身・20代の広報担当者だ。立ち話の際「五輪がここに来て、この地域に雇用を作ってくれた」と、誇らしく語った笑顔が印象的であった。東部地区には昔から移民が多く、この広報担当者も黒人だった。
一方で、再開発により建てられた、巨大なショッピングモールや新興住宅の影響で地域の価格が高騰し、従来ここに暮らして来た、生活水準のそう高くはない人たちの居場所がなくなってしまった、との批判もある。それでも、この地域一帯が大会前に比べ一変したことに、異議を唱えるひとは少ないのではないかと推察する。
五輪のチャンスを生かすも殺すも、開催地に暮らす人々の姿勢と知恵、そして、思いついたアイディアを臨機応変に実現する実行力、また、「参加したい」と感じたら、職を変えてでも大会に関わろうと言う柔軟性、と言えるのかもしれない。
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