日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。
※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。

 盛り上がりは国境を越えて世界に広がっていくのか――。

 台湾やシンガポールなどに続き、10月中旬からは北米での公開が予定されている「シン・ゴジラ」。これまで「Godzilla Resurgence」(ゴジラ、復活)とされていた英語タイトルは、日本での予想以上のヒットの余韻を生かすかたちで「Shin Godzilla」に決まった。米国では400を超えるスクリーンで英語字幕版(音声は日本語のまま)が上映される予定だ(米国の配給会社の公式サイトはこちら)。

 こうなると海外での反応が気になるところだ。ネット上には既に、試写に足を運んだ映画評論家や熱心なファンによる意見や感想が飛び交っている。絶賛する声が上がる一方で、「無駄な会話が多い」「政治家や官僚のセリフが意味不明」「ゴジラが映っているシーンが少なくてガッカリ」など、ネガティブな反応が目立つ。この国に巻き起った“熱病”には、海を渡って感染するだけの力がないのだろうか。

「シン・ゴジラ」は日本人だけに面白いのか? そんなはずはない

 海外の冷めた反応に「むしろそこが魅力なのに、わかってないなぁ」と突っ込みを入れたくなる人はいるだろう。「そんな反応は想定内。海外でハマるのは日本好きの外国人だけ」と、ハナから諦めの境地に達していた人もいるだろう。しかし、それでは悔しいし、あまりにももったいない。シン・ゴジラが巻き起こしてくれたこの国の熱狂を、世界中のファンに感染させて、感動を共有できたらどんなに楽しいだろう。

 それを阻む“壁”があるとしたら、その正体は何なのか? 突破口はないのか? 映画の字幕、吹き替え翻訳(濱口竜介監督作品「ハッピーアワー」、刑事ドラマ「相棒」シリーズの英語字幕他多数)、2014年のポール・マッカートニー来日公演における「リアルタイム字幕」(アドリブを含むポールのトークを瞬時に和訳してスクリーンに映し出す、世界的にも珍しい技術)など、「映像翻訳」というビジネスに20年間関わってきた経験を基に、考えてみたい。

新楽 直樹(にいら・なおき) 日本映像翻訳アカデミー代表取締役。雑誌や書籍の企画・編集・執筆業を経て、1996年、日本映像翻訳アカデミーを創設。東京と米国ロサンゼルスを拠点に、映画やテレビドラマ、ニュース・ドキュメンタリー・スポーツ番組など、動画の字幕・吹き替え翻訳に特化した翻訳事業・職業訓練事業を展開している。

米国人、中国人、韓国人の映像翻訳者はどう観たのか?

 映像翻訳事業を行う弊社には、日本の映画やテレビドラマ、ドキュメンタリー番組などを外国語の字幕や吹き替えに翻訳するプロが多数所属している。そこで今回、米国人映像翻訳者(日⇒英)のジェシー・ナスさん、中国人映像翻訳者(日⇒中)の李寧さん、韓国人映像翻訳者(日⇒韓、英)のパク・ソンジュンさんの3人を劇場に誘い、自分が自国語の字幕翻訳を手掛けることを想像して観てほしいと頼んだ。なお、念のためにお断りしておくと、現時点で弊社及び所属する映像翻訳者は「シン・ゴジラ」の翻訳事業には関わっていない。あくまで、一ファンの思い入れとしてやらせていただいたことをご了解いただきたい。

 私は3回目、パクさんは2回目、米・中の2人は初鑑賞だという。まずはナスさんに感想を聞いてみよう。彼女はNHK大河ドラマ「真田丸」の公式英語ホームページで動画や解説文の英語訳を手掛けた経験を持っている。

 「う~ん、そうですねえ…ハリウッド映画のわかりやすさや“親切さ”が身体に染み付いたアメリカの観客にとって、会議のシーンでの大量のセリフやテロップ(画面に表示される文字)をそのまま訳して見せたとしたら、ストレス以外の何物でもないでしょう」と、のっけから悲観的だ。

 日本のテレビドラマの中国語字幕などを手掛ける李さんも、「『次に、東京湾沿岸等への対処ですが、噴火による噴石等の被害の危険性があるため、警戒レベルを避難準備とし、羽田空港も万が一を考えて全便欠航として、危機管理を徹底しております』。会議のシーンではこんなセリフが機関銃のように繰り出されていて、そのまま字幕にしたらスクリーンの大きさが足りないよ」と、情報量の多さには白旗を揚げた。一方で、「為政者や官僚が右往左往している姿は中国の観客にも十分伝わるし共感を得るだろう」と言う。

 「ただし、そのためには作り手の側に『権力者たちのダメっぷりを風刺する狙い』があることを、観客にはっきりと感じ取らせる翻訳を行いたい。滑稽なセリフはそこを強調して上手く訳して、笑いを取りにいきたい。そうすれば、ゴジラが東京を襲うまでの間も退屈しないだろう」

 中国の観客から笑いを取りたい例の一つとして、「巨大不明生物特設災害対策本部(巨対災)」に召集されたメンバーたちに、取りまとめ役の森課長(森文哉・厚生労働省医政局研究開発振興課長)が言い放ったセリフを挙げて中国語字幕にしてくれた。漢字の字づらだけを見ていも可笑しな雰囲気が伝わってくる。

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 日本のドキュメンタリー番組などの韓国語翻訳に携わるパクさんに意見を聞くと、「韓国での公開を想定した場合、これは、翻訳が厄介なセリフですよ」との指摘があった。主人公・矢口蘭堂内閣官房副長官のセリフだが、一見すると難解な要素などないように思える。

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 パクさんの作った韓国語字幕例をそのまま日本語に戻すと「どんな絶望にも俺たちは打ち勝ってきた。今度もきっとやれるさ」となる。第二次世界大戦による荒廃から力強く復興を遂げたことを示唆する「スクラップ・アンド・ビルド」という言葉に問題があるので、そこを言い換えているわけだ。

 「この作品の韓国でのヒットを願う身としては、本筋とは関係のない部分でケチが付き、ネット上で悪い評判が立つことを防ぎたい。そのため、日本が先の大戦から復興を遂げたというニュアンスについては、できるだけ薄めるのが得策に思える」

 このように、映像翻訳者に期待されているのは“言葉の置き換え”だけではない。起点となる国や地域の文化、社会規範、習慣、流行など「言葉で表現されない領域に存在するもの(コンテクスト=行間)」もひっくるめて、目標となる国や地域の観客にあの手この手で伝えようともがく。それが功を奏しても、観客から褒められることはまずない。観客は上手くできている字幕や吹き替えの存在は気にしないのだ。反対に少しでも違和感があれば「意訳しすぎだ」「勝手な解釈をするな」と怒る。そんな風にお叱りを受けることのほう圧倒的に多いから、たいがいの映像翻訳者は打たれ強くチャレンジ精神旺盛だ。

 そんな彼らが「シン・ゴジラの映像翻訳はやっかいだ」と口を揃えている。それでも突破口はあるはずだ。私案を述べたい。

突破口その1:もっと「笑える」ポイントを打ち出せ!

 今回の、私にとって3回目の鑑賞で、3人の外国人翻訳者の反応が日本人の観客とは違うことに気づいた。かなりの頻度で声を出して笑うのだ。冒頭から続く会議のシーンでは、小さい笑いが一定間隔で続き、石原さとみが演じるバイリンガルの米国大統領特使、カヨコ・アン・パタースンが登場して不思議な英語&日本語を話し始めるとずっと笑いっぱなしである。

 それ以前の2回、客席はほぼ埋まっていたが、笑い声を聞いた記憶がない。そもそも自分も笑っていない(初回はシーンに合わせて揺れたり、水が噴出されたり、匂いがしたりする4dxシートだったため、パタースンこと石原さとみの登場時に漂う“香り”に気を奪われてしまったせいでセリフに集中できなかったという事情もある)。 

 では、なぜ3人は笑ったのか?

「作り手が私たちを笑わそうとしているんだから、笑ったほうが楽しいでしょ?」

 言われてみれば確かにその通りで、「緊迫した会議のセリフをリアルに再現している」と話題のシーンでさえ、お笑い芸人顔負けの軽妙な“ボケ”が随所にちりばめられている。緊迫のシーンの中に、ふっと間を外すような台詞が設けられていて、翻訳者たちは素直に反応していた。無粋を承知で例を挙げれば、「それ、どこの役所に言ったんですか?」「総理、緊急の課題はしっぽの正体より今後の対応です」「えっ動くの?」などなどキリがない。

 もちろん、バカウケを狙った脚本だとは思わないが、間違いなくヤヤウケぐらいを狙ったものだとわかる。観客のほとんどが無言でセリフに聞き入る状況は、作り手にとってはむしろ想定外であり、3人の外国人翻訳者の反応こそが期待したものではないか。彼らと一緒に笑わなかったことを、今になって後悔している。

 劇中の緊迫感にひたりきって真剣に見入るのもいいし、随所に現れる“ボケ”を笑い飛ばしていくことも、「劇中にも、小難しい話についていけない偉い人がいる。だから、見ている貴方たちもあんまり深く考えずに楽しんでよ」という作り手の思いに応える行為だと思う。余談になるが、東日本大震災や福島の原発事故を想起させるシーンを笑うのを、不謹慎だと批判するのは的外れもいいところだ。

 つまり、どちらも正解なのだ。難解なやり取りの真意を紐解いて深掘りするのも良し、難解さを笑い飛ばすのも良し。「理屈抜きでも十分楽しめるが、ほじればほじるほど面白い」というのは「新世紀エヴァンゲリオン」や「機動戦士ガンダム」、「攻殻機動隊」にも共通するジャパン・コンテンツの強みだ。

 「シン・ゴジラ」の場合、「難解なやり取りの真意を紐解いて味わうのがファンの嗜み」という情報が先走って海を渡ってしまったかのように見える。「難解さを笑い飛ばす」という楽しみ方があり得ることは、ほとんど伝わっていないようだ。ネット上で「無駄な会話が多い」「政治家や官僚のセリフが意味不明」という反応が目立つのはそのためではなかろうか。

 今からでも遅くはない。「難解さを笑い飛ばすのも面白いんだぞ」というメッセージを世界に向けて発信できないものか。「最初はコメディ、最後は大迫力のスペクタクル。笑って、驚いて、感動した!」という感想が世界各地から聞こえてくるようになれば、世界市場での成功も夢ではない気がする。

突破口その2:「無人在来線爆弾」の真意を翻訳せよ

 都心3区を破壊し尽くして東京駅舎付近に居座るゴジラに対し、ついに最終作戦「ヤシオリ作戦」が決行される。在日米軍が最新鋭のドローン(戦闘用無人航空機)を用いる一方で、「この機を逃すな!」の号令のもとゴジラに体当たりを試みたのは、なんとJR東海のN700系新幹線だ。その後も日ごろお世話になっている山手線や京浜東北線の車両たちが次々とゴジラめがけて襲いかかる。度肝を抜かれるシーンであり、日本人であれば誇らしい気持ちになれるシーンでもある(私は3回観て3回とも泣きました)。

 米国人翻訳者であるナスさんに「無人在来線爆弾」の英訳について尋ねてみた。

 「“Unmanned train bombers”はどう? 『無人』の英訳は“driverless”などいくつか考えられるけど、”unmanned”が一番ミリタリーっぽくてかっこいい」

 やはりそう来たか。でも、それはちょっと日本人的にポイントがずれている。

 「兵器が無人化されて攻撃するならその通りだよね。でも、在来線の電車たちは兵器じゃないし、かっこよくもない。そして何より、本来はJRの職員が運転する乗り物で、『無人』にしたのは、この作戦のためなんだ」

 「?」

 「つまりね、本当は通勤するサラリーマンが日常的に使う乗り物が、この危機を救うため、いわば無理を押して無人化されて兵器になっている。そこに健気さがあって、だから日本人は感動するんだよ」

 そんな議論を経て“Conductorless train bombers”という英訳案に辿り着いた。これなら「ほんとうは人間が運転しなければいけないのに、特別に無人で動かしている」というニュアンスが英語圏の観客にも伝わるという。「技術大国ニッポンの在来線はふだんから無人で、いざという時は兵器にもなる」などと勘違いされたら目も当てられない(こちらも、実際の公開版でどのように英訳されたかは考慮していない個人的な発言なので、念のため)。

 「シン・ゴジラ」の翻訳において重要なのは、こうした一つひとつのモノや言葉にこめられた真意を「安易に置き換えない注意深さ」だろう。

 ビジネスとしては当たり前なのだが、映像翻訳者は、字幕・吹き替えを行う言語の側にいる観客が納得することを最優先して考える。そのためには「起点となる言語が有する本来のニュアンスをそぎ落とすことも辞さない」と考えがちだ。

 その手法が適したコンテンツがあることは否定しないが、この作品には向かない。日本人でも滅多に耳にしないお役所言葉や専門用語、ジョーク、過去のゴジラ作品へのオマージュ、エヴァンゲリオンのパロディなどなどの複雑かつ繊細な配合の結果に私たち日本のファンは酔いしれているのだから、そこから何一つそぎ落としてはいけない(と、希望したい)。この映画に限っては、外国人のためにわかりやすく丸めた翻訳なんて自殺行為じゃないかと思う。

突破口その3:それでも「セリフの翻訳」だけでは足りない

 世界でのヒットを目指すうえで、ハリウッド映画にあって日本映画にないものがある。それは作品を鑑賞させる以前に「設定や背景に関する知識、役者や監督によるメッセージ、本国での評判」といった情報が受け手の側に行き届いていることだ。

 米国における社会生活のコンテクスト(行間)を共有する国や地域であれば、ハリウッド映画が歓迎され、よき娯楽となるのは当然のことだ。米国に行ったことがない人でもFBIとはどんな組織なのか、ホワイトハウスとはどんな建物かを知っているのだから。今世紀に入ってからは韓国のエンターテインメント業界がコンテクストの輸出に努め、特に日本やアジア諸国で一定の成功を収めたように見える。そろそろ私たちの出番ではないだろうか。

 その「コンテクスト」という意味で行けば、「シン・ゴジラ」は、我々日本人が持っているコンテクストの塊でもある。現実対虚構、日本対ゴジラ、とは、プロデューサーをはじめ制作側が何度も繰り返し訴えている本作のポイントだ。

「シン・ゴジラは、超兵器やスーパーヒーローじゃなくて、私たち現実の日本人がゴジラと戦う物語なんですよ。我々のダメなところやおかしなところで笑って、頑張るところに拍手してください。え、本当にあんなに何度も会議を開くのか? …それはですね、我々が出来る限り、関係者全員の納得を得ようとするからです。誰も責任を取りたくない気持ちの裏返しでもありますが(笑)」

 みたいに説明すれば、会議シーンの持つ意味や笑いどころも見えてくるかもしれない。

 もちろん言葉の“壁”は高い。もしもこの国のメディアやブロガー、あるいはSNSなどを通じた情報発信を日常的に行っている市民の多くが英語(あるいは他の外国語)使いであったなら、この国で巻き起こった「シン・ゴジラ」ブームの熱はとっくに海を渡り、世界的なヒットにつながっていたかもしれない。「発声可能上映会」の盛り上がり(こちら)も、この一連のコラムだって、ほんとうなら英語にして、世界中にシャワーのようにまき散らしたいという思いがある。

 幸いなことに、日本を訪れる外国人観光客は増加の一途を辿っている。2020年の東京オリンピック・パラリンピックへの注目度も増すだろう。英語を日常的に使う日本人も増えていくに違いない。この国のコンテクストを世界に広める大きなチャンスがやってくるのだ。

 「シン・ゴジラ2」を待ち望む世界中のファンと、「上陸するならまた鎌倉か?」「今度は京急がリベンジする設定はどうだ?」などと語り合える日が来ることを願う。

※先の囲みの紹介文を英訳しました。もし英語圏の方に「シン・ゴジラ」を紹介する機会がありましたら、よろしければご活用下さい! さらなるブラッシュアップも大歓迎です。

"Shin Godzilla" isn't a story about superheroes or superweapons - it's a story about how we Japanese would realistically fight against Godzilla. We want you to laugh at the mistakes we make, but also applaud when we do well. You might be wondering if we would really hold that many meetings. The thing is, we always feel that we need the approval of everyone involved. I suppose it's a result of no one wanting to take full responsibility... (laughs )

読者の皆様へ:あなたの「読み」を教えてください

 映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?

 その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。

 その挑発的な情報の怒涛をどう「読む」か――。日経ビジネスオンラインでは、人気連載陣のほか、財界、政界、学術界、文芸界など各界のキーマンの「読み」をお届けするキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を開始しました。

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(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)

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