今年のゴールデンウィーク、話題になったことの一つは、九州への旅行者の大幅減だった。熊本・大分での地震直後から、中国政府が九州への渡航自粛を求めるといった動きがあり、実際に大きな被害を受けた地域だけでなく、九州全体で旅行のキャンセル等が続いている。

 過去のさまざまな自然災害の際も同様だったが、観光需要については、被災地だけでなく、周辺まで風評被害を受ける可能性が極めて高い。これには、実態が構造的に伝わりにくいという背景がある。

 まず、被害を受けた建物や地域だけが報道されることになりがちで、実際以上に被害が大きい、あるいはリスクが高いと思われがちだ。

 私自身、1985年にメキシコシティで大きな地震にあった際に経験したのだが、市内の大部分の被害を免れた建物は取り上げられることがほとんどなかった。最低でも2万人を超す犠牲者が出た大地震ではあったが、低所得者向けのアパートや公設の病院などが数多く崩壊する一方、メキシコ市内でも無傷の建物は数多くあった。

 私が住んでいたアパートも相当揺れたものの、エレベーターは止まらず、室内での被害もほとんどなかった。朝7時ごろの地震で、その後通勤のため市内を運転していて、はじめて被害の大きさに気付かされたような状態だった。

被害状況の報道が誤ったイメージを流布させる

 報道というものの特性から、被害にあわなかった建物や地域はニュースバリューをほとんど持たない。このため、全壊・半壊した建物の報道写真やニュース映像が繰り返し、報じられることになる。

 これらを通じて、地域全体が甚大な被害にあったようなイメージが流布し、定着してしまうのだ。当然のことながら、こういうイメージを刷り込まれると、世界中からの観光客はかなりの期間、大きく減ってしまう。

 ちなみに、当時は、メールやSNS(交流サイト)が自由に使えるという時代ではなく、日本との通信手段はもっぱら国際電話だった。この頼りの電話回線がずたずたになってしまい、約半年間、国際電話がつながらず、親族以外との連絡は難しい状況だった。このため、被害を受けた建物・地域の写真や映像だけを見て、こちらの安否を案じてくれた友人たちには、随分と心配をかけてしまった。

 また、自国民以外にとっては、被害を受けた地域とそれ以外の都市等の間の正確な距離や位置関係は、はっきりとは頭に入っていないのが普通だ。このため、旅行を避けるべきだと考える対象地域が、無傷の地域も含めて広範囲にわたってしまう。今回で言えば、九州全体が余震で危険であるかのように思われる、ということだ。

 思い出されるのは、東日本大震災の際の、海外の新聞報道だ。原発事故の場所を日本地図上に示した紙面があったのだが、大きなX印が東京にかかる形で描かれていたため、(日本人にとっては信じられないことだが)東京も原発の被害を受けた、と思われてしまった。

 地図だけの問題ではなく、地域名がどれくらいの広さのもので、その中のどの部分が影響を受けた・受けているのか、というのは、国外あるいは国内でも遠い地域の人々から見ると大変わかりにくい。たとえば福島県内でも本来有数の観光地である会津地方は、相対的にみれば、震災・原発事故ともに受けた影響は比較的軽微だったのだが、いまだに国内外からの観光客減少に苦しんでいる。

 災害当初の緊急対応の時期を過ぎたあと、必要な支援の内容は変わってくる。地域経済の復興の一環としての観光。それへのダメージを軽減し、一日も早く災害以前の状態に戻すための風評被害対策も、いままさに必要な支援策のひとつだと思う。

効果的だったシンガポールのSARS風評被害対策

 もちろん、原発事故の影響があった東日本大震災のケースとは違い、「しばらくすれば、元に戻る」という考え方もあるだろう。しかし、風評被害対策については、その打ち手次第で、元に戻るスピードが大いに違ってくる。

 幸いなことに、既にさまざまな形で、観光面での風評被害対策の手を打とうという動きも出始めている。たとえば、髙島宗一郎・福岡市長等の音頭で、博多どんたくに九州の他の地域も参加し、観光のアピールを行うようにする、などというものだ。これらの打ち手が可能な限り、大きなインパクトをもたらすことを願ってやまない。

 さて、こういった動きに加えて、考えておくべきことが、戦略的に現地実態と海外でのイメージとのギャップを埋める仕掛けだ。

 この点で参考になるのは、SARS(重症急性呼吸症候群)発生の際の風評被害対策のベストプラクティスといえるシンガポールの対応だ。SARSの影響を受けたいくつかの国・地域の中でも、その後の観光需要の戻りには大きなばらつきがあったのだが、シンガポールには圧倒的な早さで海外旅行客が戻ってきた。

 これはSARS後の海外向け観光マーケティングの巧拙だけの差ではなく、SARS発生中の戦略的な対応が、その後の戻りの度合いを分けたとされる。

 SARSが発生した際に、シンガポール政府は早い段階から、観光を含む海外からの人の流れに大きな悪影響が出る可能性を認識していた。このため、さまざまな施策を立案し、実行する、いわば風評被害対策の司令塔組織をすぐに立ち上げている。

 この政府組織が打った施策の中でも、もっとも大きな効果があったのは、「非アジア人によるシンガポールからの記者発表とその報道促進」だ。

 まだ、SARSが広い範囲で猛威をふるっている段階で、世界の航空会社の団体であるIATAに働きかけ、通常はヨーロッパに駐在しているIATAの広報担当のヨーロッパ人幹部をシンガポールに招請。毎週、その幹部がSARSの発生状況の最新情報をシンガポールで記者発表する、という形をとらせた。当然のことながら、この記者会見はCNNなど数多くの国際ネットワークによって、世界中に高頻度で伝えられた。

熊本地震でも「外国人による現地からのコミュニケーション」を

 この結果、世界各国の視聴者に対し、「域外のヨーロッパ人がシンガポールに行っている」 という事実を示し、それは結果的に「シンガポールは欧米人が既に安心して仕事をしている地域だ」というイメージを刷り込むことにつながった。

 すなわち、シンガポールは国全体がSARS危機に瀕しているわけでもなんでもなく、十分に状況をコントロールできていることを知らしめた、ということだ。この結果が、その後のビジネス・観光両面での海外からの訪問者数の急速な復活につながったとされている。

 もちろん、今回の熊本・大分の震災の場合、SARSとは性質が違うため、まったくそのままの形で同じことをするわけにはいかない。しかし、次のようなエッセンスは参考になるはずだ。
― 海外の潜在旅行者に対し、彼らと同じ国・地域の人からコミュニケーションを行う
― そのコミュニケーションが現地で行われていることを明示し、直接の被害地域以外の安全性を間接的に示す

 いろいろな手法が考えられるが、たとえば以下のような「外国人による現地からのコミュニケーション」を、現在の環境に即した形で行うことは、すぐにでも実行可能だし、やるべきではなかろうか。
― アジア・欧米それぞれの影響力あるブロガーを、日本政府が九州に招致
― 熊本・大分を含め、観光需要への対応が可能な「無事で安全な」地域から、SNS等での発信を依頼する

 こういった仕掛けと(沖縄に対して行ったように)九州地域限定(かつ必要に応じて時期も1年程度に限定)で、ビザの条件緩和を行う、といった広義の需要創造策を組み合わせることで、いち早い海外からのインバウンド需要復活が期待できる。

 ここは、遅滞なく、政府がリーダーシップをとり、自治体・民間と協力して、同時多発的に複数の観光風評被害対策を繰り出していくべき時期だと思うのだが、いかがだろうか。

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