目標を達成するために、手っ取り早く他社を買収するという誘惑
企業の経営者が次期経営計画を策定中に、既存事業の売上予測をどう積み上げても、株主に約束した成長率がどうしても達成できそうもない…そんなとき、経営者の頭によぎるのが ──。
「そうだ! それなら、手っ取り早く目標を達成するために、他社を買収すればよいではないか!」という誘惑です。
事実、日立製作所は、2018年までの2年間で、買収に1兆円を投じると報道されています(日本経済新聞 2017年2月10日)。
また、ソフトバンクはかつて2006年の英ボーダフォン日本法人の買収で携帯電話事業に進出し、最近では昨年、英半導体設計大手アーム・ホールディングスを買収し、あらゆるモノがインターネットにつながる「IoT」分野へとその事業を拡大しようとしています。
日本電産においても「2015年4月に発表した中期戦略目標では、自立成長とM&Aを基軸に、2020年度売上高2兆円、営業利益率15%以上、株主資本純利益率(ROE)18%以上を目指していきます」(日本経済新聞 2015年7月28日)と、その成長戦略の中に買収戦略がしっかりと組み込まれているようです。
一方で、東芝では、買収した原子力関連事業の含み損が表面化し、会社の存続すら危ぶまれる事態となっています。
第一三共では、2008年にインドのランバクシー・ラボラトリーズを約5000億円で買収しましたが、インドの品質管理問題などが発覚、買収後の株価急落による評価損や、インド工場の品質問題に伴う米政府への和解金支払いなど、計上した損失額は計約4500億円に上りました(日本経済新聞 2017年1月31日)。
また、キリンホールディングスが約3000億円を投じて買収したスキンカリオール(現ブラジルキリン)は業績が低迷、2015年12月期決算で約1140億円の特別損失を計上しました(日本経済新聞 2016年1月23日)。
このように、せっかく行ったM&Aがうまく行かず、大きな損失を計上することになった企業も後を絶ちません。そういう意味で、M&Aは「経営の上級者向けのスキル」だと言うことができるでしょう。
「シナジー」という言葉が出てきたら要注意
キャッシュは潤沢にあるが自社の既存事業の成長は踊り場にきている、そんな企業の所にはしばしば、一見魅力的に思える買収案件が持ち込まれて来ます。そんなときによく用いられるのが
「御社と買収先企業とが一緒になれば、シナジー効果が期待できます」
というセリフです。
しかし、競争戦略論で知られるマイケル・ポーター先生もハーバードビジネススクールの講義でおっしゃっていましたが、この「シナジー」という言葉が出てきたら要注意です。「シナジー」とは、日本語では「相乗作用」などと訳され、薬物などを同時に用いた場合に、作用方向が同じで相互の効力を増強し合い、1足す1が2以上になる現象のことを指します。
「シナジー」という言葉は、買い手を惑わせる魔法の言葉
そして、買収しようとする企業の価値は、その会社が現在の経営方針をそのまま継続する前提で計算される「①スタンドアローンの価値」に加え、その企業を買収した会社が買収した企業をそれまでとは異なる経営方針で経営した場合に実現される製品・サービス価格の向上や売上の増大などから得られる「②収益シナジー」、買収した企業との間で経営資源(生産・物流・販売拠点やITシステムなど)の共有・統廃合・ノウハウ共有がもたらす効率改善や調達コスト削減などの「③コストシナジー」、さらに、買収先が破壊的ビジネスモデルの場合には、そのビジネスを手に入れることによって自社が破壊されるリスクを避けられることになる「④戦略オプションの価値」の4つの価値の合計と考えることができます。
ですが、M&Aを検討する際に使われる「シナジー」という言葉は多くの場合とてもあいまいで、持続的買収も破壊的買収も、あるいは実はシナジー効果がない場合もすべて一緒くたにして買い手を惑わせる魔法の言葉として使われているようです。特にそれが、買収を成立させさえすれば報酬が得られる人々から発せられている場合には十分な注意が必要です。なぜなら、東芝の原子力関連のM&A事例でも分かるとおり、企業は下手な買収をすれば、そうした言葉を発した人達と違い、長期間にわたって大きな重荷を抱えることになるからです。
「破壊的買収」のために超えるべき4つのハードル
さて、私たちはこれまでの連載を通じ、他社の破壊的イノベーションに対抗する手段として「①自社の独立した組織で実行する」やり方を学んできました。しかし、他社の破壊的イノベーションへの対抗策には、これに加え「②破壊的イノベーションを起こしつつある企業を買収する」というやり方もあります。
そうしておけば、もし将来、その破壊的事業が、自社の既存事業を浸食し、自社の持続的ビジネスモデルが破壊されてしまったとしても、買収した破壊的ビジネスモデルからの収益が見込めますので、自社が破壊されるリスクをある程度ヘッジすることができるわけです。
私はこのような、「他社の破壊的イノベーションへ対抗するために、破壊的イノベーションを起こしつつある企業を買収する」タイプの買収を「破壊的買収」と呼んでいます(注1)。しかし、これを成功させるためには、以下の4つのハードルを、全てクリアする必要があります。
【ハードル1】:資源を買う「持続的買収」なのかビジネスモデルを買う「破壊的買収」なのかを明確にする
【ハードル2】:買収先企業の価値を正確に見極める
【ハードル3】:妥当な条件で買収契約を結ぶ
【ハードル4】:買収した企業を適切にマネージする
破壊的イノベーションに対抗するためのM&A、すなわち破壊的買収には、資源獲得を目的とする通常のM&Aとは異なるマネジメントが求められます。以降の連載では、「破壊的買収」の4つのハードルの超え方について、順に学んでいきましょう。まず今回は、「ハードル1」についてです。
【ハードル1】:資源を買う「持続的買収」なのかビジネスモデルを買う「破壊的買収」なのかを明確にする
「持続的買収」の例、システムを統合した証券会社
企業は、新たな資源(従業員、顧客、技術、製品、設備、キャッシュ、ブランドといった、企業が顧客に価値を提供する際に用いるもの)を獲得することによって、売り上げが伸びたり、コストが削減できたり、より高い価格での販売が可能となったりします。このような「『資源の獲得』を目的とする買収」を「持続的買収」と呼びます(注2)。
例えば、既存事業のコストを低下させるのに効果が出やすいのは「顧客基盤」を買うことです。インターネット証券の(旧)マネックス証券が、同じくインターネット証券の日興ビーンズ証券を2004年に合併して(新)マネックス証券(経営統合時はマネックス・ビーンズ証券)となった事例では、両社の顧客が使う証券システムは、マネックスのものに統合されました。これにより、マネックスは一つのシステムのユーザー数を増大させて顧客一人あたりのシステムコストを低下させるとともに、高度な分析ツールを安価に提供することが可能となり、既存の顧客の満足度をも同時に向上させることができたのです。
「資源」を得たいのか、「破壊的ビジネスモデル」を得たいのか
もうひとつの場合、すなわち、新たなビジネスモデルを獲得することによって自社では取り組めないような市場を攻略し、戦略オプションを獲得する「破壊的買収」のケースでは、買収企業の評価基準や買収後のマネジメントで重視すべきポイントが先ほどお話しした「持続的買収」とは全く異なります。
ですから、企業経営者は、その買収によって既存事業のオペレーション効率を向上させるための「資源」を得たいのか、既存事業とは全く異なる顧客に価値を提供できる「破壊的ビジネスモデル」を得たいのかという第一のハードルを、今一度しっかりと見極めてクリアしてから次のハードルへと進むべきでしょう。
さて、いかがでしたか? 今回もお楽しみいただけましたでしょうか?
注1:クリステンセン教授はこのようなタイプのM&Aを「リインベント・マイ・ビジネスモデル型 M&A(RBM)」と呼んでおり、これを意訳したものです。
注2:このようなタイプのM&Aをクリステンセン教授は、「レバレッジ・マイ・ビジネスモデル型 M&A(LBM)」と呼んでいますが、既存事業のテコ入れによる持続的イノベーションを目指すところから「持続的買収」と意訳してみました。
出典:『真実のM&A戦略』(ダイヤモンド社、Kindle版のみ)、『C.クリステンセン 経営論』(ダイヤモンド社)
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