米国型民主主義の崩壊には、理由がある(写真=ロイター)
米国型民主主義の崩壊には、理由がある(写真=ロイター)

 現在、米国の論壇では、民主主義がトランプ前大統領のスローガン「MAGA(マガ)=Make America Great Again(米国を再び偉大に)」の狂信者、選挙否定論者、そして都合の悪い結果は無視すると脅す共和党員(彼らは選挙および政治の世論調査の監視に、忠誠心の強い者を雇う)(1)に脅かされているとの読み筋が支配的である。

 だがこのストーリーは、真実のほんの一断面でしかない。はるかに長い間語られ続けてきた別のストーリーがあり、そこには別の悪人たちが登場する。それは、過去50年以上にわたり、大学を卒業していない米国人の生活が物質的、健康的、社会的な成果の範囲において悪化してきたというものだ。

 米国の成人人口の3分の2は4年制大学を卒業していないが(2)、政治は彼らのニーズに応えるどころか、企業の利益や高学歴の米国人を優先してむしろ害を与える政策を頻繁に打ち出してきた。大学を卒業していない米国人から「盗まれた」のは選挙ではなく、政治の意思決定に参加する権利、つまり民主主義が保証するはずの権利だ。

 このように考えると、投票制度を掌握しようとする彼らの努力は、公正な選挙を否定するというより、選挙で自分たちの望むものを実現させようとする試みであることが分かる。

 この集団の原動力となっている結果をいくつか考えてみよう。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)以前から、平均寿命(個人の健康状態だけでなく社会的な健康状態が分かる手堅い指標である)は、教育水準の低い男性では2010年以降、教育水準の低い女性では1990年以前から低下し続けていた(3)。教育水準の低い米国人の若年層は、すべての年齢層で、高齢者層に比べてより多くの痛みを訴えている(4)。

 さらに労働力参加率は、教育水準の低い男性で数十年間、教育水準の低い女性で2000年以降、低下し続けている(5)。大学を卒業していない男性の実質賃金(インフレ調整後)の中央値は、1970年以来低下傾向にある(6)。教育水準の低い米国人は、結婚率が低下し(7)、婚外子出産が増加する傾向にある(8)。教会への出席率も低下し(9)、教育水準の低い男性の多くは、支援団体から浮いた存在になっている(10)。

 米紙ニューヨーク・タイムズと米シエナ大学の最近の世論調査によると、有権者の3分の2は、政府は主に強力なエリートのために働いていると考えている(11)。このような見方は、選挙に否定的な人、共和党員、教育水準の低い者に限ったことではない。しかし、政治の怠慢が許す政策で苦しんでいるのは、最後のグループだ。例えば、米連邦最低賃金は2009年以降、一度も引き上げられたことがない(12)。

 同様に、米国の政治家は北米自由貿易協定(NAFTA)と中国の世界貿易機関(WTO)への加盟を、メキシコ人や中国人だけでなく米国人をも助けるウィンウィンの政策として売り込んだ。しかし、経済学者が約束したことや過去に起こり得たことに反して、その後の雇用の喪失は、人々がレベルアップして繁栄している場所に移動することにはつながらなかった。その理由の一部は、そのような場所にはもう手が届かなくなったこと、そしてさらに、より良い仕事に就くには、以前の仕事には必要なかったもの、つまり4年制大学の学位が必要だったことである(13)。

 もちろん、例外もある。Affordable Care Act(オバマケア)は、それまで無保険であった何千万人もの人々に医療保険を提供した(14)。しかし、この法律の成立は、医療業界を買収することを意味し(15)、その結果、コストコントロールの可能性が失われた。

 ほとんどの労働者にとっては、健康保険は賃金に対する一律の税金で賄われており、これは最もスキルの低い人々の賃金を下げ、企業が外注や雇用の削減をすることを促す。労働市場を通じた健康保険の資金調達を考えると、医療費の上昇は、賃金や熟練度の低い人々が良い仕事に就くための圧力を生み出している。

 議会での立法が裕福な有権者向けのものに偏っているだけでなく、非エリートに最も関心のある問題――単一の医療保険、健康保険の公的オプション、最低賃金の引き上げなど――が、議案にさえならないのである。ロビイストの方が、有権者よりはるかにうまく(議会に)議題を持ち込むことができる(16)。

 多額の資金援助なしに議員に選出されるのは非常に難しい(不可能ではないが)。米国の選挙資金制度は、完全な汚職につながることはほとんどないが、労働者ではなく、ビジネスや資本に有利な見方をする議員を強く選ぶことになる(17)。

 そのため、議員たちは、有権者の多くを中毒に陥れていた麻薬鎮痛剤「オピオイド」の製造・販売業者に有利になるよう法律を改定し、その調査を阻止したのである(5)。このように不当な扱いを受けてきた人々の多くが、全く信用ならないエスタブリッシュメント層(支配層)の推進するワクチンを受け入れることに消極的なのは、驚くには当たらない。

 もう1つの問題は、企業がコストを上回る利幅を増やし、それによって労働から資本へ所得を再分配していることである。さらに悪いことに、この傾向は長期にわたる独占禁止法執行の弱体化によって助長されてきた。たとえ独占禁止法執行の弱体化を支持する国民がいないとしても、また立法者がそれを支持する立場をとっていないとしても、だ(18)。このような行為は、実業家団体の圧力に弱いことが予想されながら選ばれた、規制当局者や裁判官によるものだ。

 早死にするリスクが高い、教育水準の低い米国人全員が、2016年と20年の大統領選でドナルド・トランプ氏に投票したわけではないが、多くは投票した。自殺、薬物の過剰摂取、アルコール性肝疾患による「絶望死」を郡別に集計し、トランプの得票率と照らし合わせると、かなり重なるのだ(19)。

 死亡率と選挙否定派の間には、さらに緊密な関係がある。ニューヨーク・タイムズ紙が選挙区の死亡率を調べたところ、ジョー・バイデン大統領の選出認定に反対票を投じた共和党議員の選挙区では、賛成した共和党議員の選挙区よりも「絶望死」の割合が高かった(20)。これこそ、民主主義が機能しているケースだ。――ただし怒りっぽく、無益で、挫折した民主主義だ。

 民主主義は平等を前提としている。すべての市民は、政治的な決断に影響を与える機会を等しく持っているはずだ。MAGAの有権者はかつてないほどシステムを脅かしているかもしれないが、空白地帯から出現したわけではないのである。

【参考文献】
1、Right-Wing Leaders Mobilize Corps of Election Activists
2、 Almost two-thirds of people in the labor force do not have a college degree
3、Supplementary Information for Case A, Deaton A. Life expectancy in adulthood is falling for those without a BA degree, but as educational gaps have widened, racial gaps have narrowed. Proc Natl Acad Sci U S A. 2021 Mar 16;118(11):e2024777118. doi: 10.1073/pnas.2024777118.
4、Decoding the mystery of American pain reveals a warning for the future
5 、Deaths of Despair and the Future of Capitalism
6 、Inflation-Adjusted Median Earnings for Male U.S. Grads Have Fallen Over Past 40 Years
7、As U.S. marriage rate hovers at 50%, education gap in marital status widens
8、U.S. Women Delay Marriage and Children for College
9、U.S. Church Membership Falls Below Majority for First Time
10、The Tenuous Attachments of Working-Class Men
11、Threat to Democracy? Start With Corruption, Many Voters Say
12、It’s Long Past Time To Increase the Federal Minimum Wage
13、Work of the Past, Work of the Future
14、The Uninsured and the ACA: A Primer - Key Facts about Health Insurance and the Uninsured amidst Changes to the Affordable Care Act
15、Steven Brill,America's Bitter Pill,Penguin Randam House, 2015
16、Drutman, Lee, The Business of America is Lobbying: How Corporations Became Politicized and Politics Became More Corporate, Studies in Postwar American Political Development (New York, 2015; online edn, Oxford Academic, 23 Apr. 2015), https://doi.org/10.1093/acprof:oso/9780190215514.001.0001
17、Republic, Lost v2 The Corruption of Equality and the Steps to End It
18 、The Political Economy of the Decline in Antitrust Enforcement in the United States
19、Shannon M. Monnat, Deaths of Despair and Support for Trump in the 2016 Presidential Election
20、Their America Is Vanishing. Like Trump, They Insist They Were Cheated.
アンガス・ディートン[Angus Deaton]
米プリンストン大学公共国際問題大学院名誉教授
2015年にノーベル経済学賞を受賞。南カリフォルニア大学経済学部学長教授。妻である経済学者アン・ケース氏との共著『Deaths of Despair and the Future of Capitalism』(Princeton University Press、2020年)がある。

元記事 Who Broke American Democracy?

国内独占掲載:Angus Deaton © Project Syndicate, 2022

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