今年5月1日に刊行された「米議会調査会」リポート「日米関係――議会のための問題点」(Japan-U.S. relations:Issues for Congress)が日本の「歴史認識問題」を取り上げた。リポートには「安倍晋三首相やその内閣の歴史問題に関する発言や行動は、地域の国際関係を混乱させ、米国の国益を損なう懸念がある」という趣旨のことが書かれている。安倍首相を「強固なナショナリスト」と位置付けてもいる。
「米議会調査会」とは、英語で“Congressional Research Service, the Library of Congress”(CRS)と称し、名前の通り、所属は米国議会図書館(the Library of Congress)。連邦議会の議員が高い関心を抱く分野やテーマに関して調査、研究を行い、不定期にリポートを発行する、議会のシンクタンクのような役割を果たす。議会の決議に対する拘束力は持っていないものの、リポートが多大な影響をもたらす場合もある。ときには議員からの要望を受けたテーマを選ぶこともある。この後は「CRSリポート」と略称することにする。
逆に言えば、CRSリポートに何が書かれているかを知ることによって、アメリカの連邦議員(の一部)が何を考えているかをうかがい知ることもできるわけだ。
さて、このCRSリポートについて日本の一部のメディアでは、「あんなものは“課長レベル”か低いレベルの担当者がアルバイト原稿的に書いている(ので、取るに足らない)」と一蹴しているものもある。
そこで筆者は、アメリカ大使館レファレンス資料室を電話取材してみた。
これが「アルバイトレベル」の人間か?
同資料室によれば「CRSリポートはアメリカ連邦議会の議員に配るために、その時々に関心が高いテーマを対象として、当該問題の専門家が調査チームを組んで作成する調査報告書。十分に高い権威を持っている。それによって議会を動かすか否かに関しては、各議員が判断する」とのことだった。さて、正しいのはどちらだろうか。
たまたま5月1日のCRSリポート(リンクはこちら)は、安倍首相を名指しして日本の右傾化を懸念していたため、日本で話題となった。これはすなわち、日本の右傾化傾向を連邦議員(の一部)あるいは政界(の一部)が警戒しているということの表れといえよう。
リポートの著者の筆頭にはEmma Chanlett-Avery (エマ・チャンレット=エーバリー)という女性の名前がある。
国際交流基金日米センター(The Japan Foundation Center for Global Partnership、リンクはこちら)や他の多くのアメリカ政府の情報によれば、彼女はCRSのPresidential Management Fellow(大統領マネジメント・フェロー、PMF)として2003年からCRSで仕事をしてきたという。PMF(大統領マネジメント・フェロー)プログラムとは、大統領を含めたアメリカ政府の未来を担う人材を開発するプログラムだ。そのフェロー(特別研究員)になるには非常に高い関門をパスしなければならない。アメリカ政府の公式ウェブサイトに書いてある通り、トップエリートを養成するシステムである。
エマ・チャンレット=エーバリーのCRSにおける肩書を日本語で書くと「米議会調査局外交・国防・通商部アジア問題担当分析官」。彼女が2006年6月23日に東京アメリカンセンターで講演したときの様子も見ることができる。講演内容も日本語で書いてあるので、彼女が「その辺の課長レベル以下がアルバイト原稿を書く」程度の知見しか持ってないのか否かを確認するために、ぜひアクセスしてみてほしい。
回りくどい言い方になってしまった。なぜCRSリポートの著者紹介などをしたかと言うと、筆者はCRSリポートの「影響力」を軽視してはならないと思っているからだ。
なぜか。簡単だ。2007年に何が起きたのかを思い起こしてみよう。
2007年6月26日、米下院外交委員会は「従軍慰安婦の対日謝罪要求決議」を圧倒的賛成多数で可決した。7月30日には下院本会議で採決(アメリカ合衆国下院121号決議)。当時の日本にショックと困惑を招いたものである。第一次安倍内閣のときのことだ。
下院でこの議題を提議させるに至った陰には、実は在米の華人華僑、あるいは在米コーリアン世界の存在がある。
その詳細は日経BP社から2008年に出版した『中国動漫新人類』(2007年に日経ビジネスオンラインで連載)の「反日」に関する件(くだり)で述べた。
筆者は1990年代前半からサンフランシスコやニューヨークに集まる、在米の華人華僑たちを取材してきた。中国大陸から来た華人華僑も多いが、反日ロビー活動をしていたグループの代表は台湾からアメリカに渡った華僑だった。
彼らは1994年に「世界抗日戦争史実維持聯合会」(以下、史維会と表記。英語ではGlobal Alliance for Preserving the History of WW II in Asia=GA)を結成し、アメリカだけでなく世界各国にいる華人華僑と連携しながら、日中戦争あるいは第二次世界大戦で日本が何をやったかに関する啓蒙活動を行っている。
これが中国政府の指図かと思ったら、とんでもない。
奇妙なことに、その逆だった。
財力と人権意識で政治家を動かす
このグループのうち大陸系の人々の多くは、中国共産党の圧政から逃れた過去を持つ。
早くは反右派闘争(1957年)から始まり、文化大革命(1966~76年)や天安門事件(1989年)で人権迫害を受けた人々だ。2000年までは中国に入国するビザさえ下りなかった人々が含まれている。それほど「反共」「反中」精神に燃えたグループから出発している。台湾系は蒋介石による戒厳令(1947~87年)から逃れた人々が多い。
いずれにしても彼らは「人権」という共通項で結ばれている。
アメリカには、こと「人権」に関する問題であると、非常にデリケートに共鳴する文化がある。そのためアメリカの中に「日本が何をやったかを直視しよう」という雰囲気が出来上がりつつあった。
支えているのは在米華人華僑の財力と、アメリカの「人権意識」だ。
ロビー活動を遂行するのに、この二つがものを言う。
取材の中で、アメリカの深い事情と下院議決までには以下のようなプロセスがあったことを知った。
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