丸谷才一さんが亡くなった。作家であり、批評家であり、英文学者であった丸谷さん。お書きになったものが大好きで、私にとっては、本が出れば無条件に買って読む、数少ない「追いかけ」対象の方だった。ご冥福をお祈りしたい。
私自身、文学部、それもアメリカ文学の専攻だったので、(あまり勉強はしなかったけれど)本来ならば、ジョイスやグリーンといった英文学に関わる論考や、詩歌も含めた日本文学についてお書きになったもの。あるいは、日英両国文学の伝統を踏まえたうえで、独自の世界をお創りになった小説。これらが、「追いかけ」対象の最たるものであるべきなのだろう。
だが、本当のところ、もっとも好きで、かつ大きな影響を受けたのが、どちらかと言えばやわらかめの随筆の数々だ。
「好き」の部分は、語るときりがないし、個人的な趣味にも左右されるだろうから、少し置いておく。今回は、丸谷さんの随筆から、コンサルタントである私が仕事上どういう影響を受けたか、についてだけ、少しご紹介することにしたい。
丸谷さん自身が示された読書の3つの効用
丸谷さんご自身が、ご著書『思考のレッスン』(文春文庫)の中で書いておられるところによれば、読書には3つの効用があるという。
第1が、情報を得られる、ということ。
第2は、考え方を学べる、ということ。
そして第3に、書き方を学べる、ということ。
丸谷さんのご本も、随筆に至るまで、実際にこの3つの効用を提供してくれるあたりが面白い。
第1の「情報」について。
丸谷さんの随筆は、いつも該博な知識に裏打ちされた蘊蓄に富んでいて、誰かに話したくなるようなネタが満載だ。新たに知って、面白がれるような情報が必ず入っている。しかも、自分を少し突き放したような、まさに英国的なユーモアの感覚が底流にあるので、必要以上にペダンチック(ひけらかし)になって、嫌味な知的エリート臭をさせたりすることが決してない。
試しに、手元にある『青い雨傘』(文春文庫)を開いてみると、「尾崎秀実と阿部定」という一項がある。ゾルゲ事件の尾崎秀実(ほつみ)と例の阿部定さんですね。
この中で、竹内金太郎という弁護士が、両方の事件の弁護人を務めたという話が紹介され、竹内弁護士の尾崎弁護文の漢文くずしがいかに名文か、というあたりが詳しく示される。そのうえで、阿部定事件の際の弁護文が残っていたら、「きつと頼山陽の『壇ノ浦夜合戦記』にも劣らぬ名品」だったに違いない、という落ちで稿を終えている。
なお、文藝春秋版の随筆集は、「オール読物」誌への連載をまとめたものなので、この種のネタが時々出てくるが、随筆の大部分は、ここまで軟らかいものではありません。念のため。
「知的エンターテインメント」などという呼び方をすると、中途半端に外来語を使うことに大変厳しかった丸谷さんご本人はお怒りになるかもしれないが、得られる情報もそれを読ませる文章も、本当に上質なエンターテインメントそのものだ。
第2の「考え方」。
丸谷さんの手にかかったものだと一般向けの随筆であっても、論理と情動の両方をバランスよく使った文章が随所にあり、「なるほど、そういう考え方の『型』を用いるのか」と何度も膝を打つことになる。
我々コンサルタントが文学とは全く違う世界で日々使っている思考の「型」。これらと同じような考え方も登場するので、より一層楽しめるところもあるかもしれないが。
丸谷さんが教えてくれた「謎を育てる」重要性
例えば、前述の『思考のレッスン』。この本は、まさに丸谷さん一流のモノの考え方(とその「型」)について、謎解きをしてくれる書物なのだが、まずモノを考えるうえで大事なのは、「謎を育てる」ことだという。
ビジネスの世界に置き換えると、良い「疑問」、「論点」を作り、きちんと温めていくことに当たる。何に対して、疑問を持ち、どういう論点として組み立てていくのかが、「考えること」の質を分けるポイントになる。この点については、全くもって同感だ。ボストン・コンサルティング・グループの先輩である早稲田大学の内田和成教授など、この点を突き詰めて、「論点思考」(東洋経済新報社)という一冊の本を書いてしまったくらいだ。
同業他社と比べて、研究開発費用が多い(売上に対する比率が高い)、という事実を見て、単純に「だから減らそう」というのは論外。なぜ多いのだろう、という「謎」を大事にして、論点をどう深めていくかが、勝てる経営意思決定の大前提になる。
例えば、こういった具合だ。
― 多い中身が問題(例えば、研究開発費の大部分を占めるのは研究者の人件費。彼らの時間の多くが、社内会議のための資料作成など実際の研究以外に使われている)。
― そもそも戦い方が違う中で、戦略と研究開発の整合性を取り直す、というのが論点(例えば、コモディティー化のスピードがどんどん速くなる分野で、圧倒的コスト競争力をつけることに研究開発資源も傾斜配分。あるいは、新興国競合と土俵をずらして、半歩でも早く、付加価値のとれる商品を投入し続けるために研究開発ポートフォリオを組み換え)。
丸谷さんは、付和雷同型の(日本の)社会の中で、独自の「謎」や「疑問」が浮かんだら、周囲を気にせずそれを「育てる」ということも強調しておられる。
例として挙げておられるのは、ご自分が「忠臣藏とは何か」(講談社文芸文庫)を書くきっかけだ。
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