「日経ビジネス」は4月20日号において英経済学者アディール・ターナー卿による「日本は紙幣増刷を恐れる必要はない」と題した論評を掲載した。主旨は「日本の場合、日銀がお金を刷って、そのお金で日本国債を買い上げるという、従来はタブー視されてきたマネタイゼーションをしても問題は発生しない」というものだ。昨年12月29日には米コロンビア大学教授のデビット・ワインシュタイン氏も日本経済新聞の「経済教室」の欄で同様の指摘をした。

 国内でもマネタイゼーションは問題ないとする主張を展開するリフレ派の経済学者が少なくないという。

 果たして本当に、2013年4月に始まった日銀による異次元緩和は日本経済にとって何ら問題がないのか、慶応大学経済学部教授の池尾和人氏に聞いた。

(聞き手は石黒 千賀子)

昨年10月に日銀が発表した追加緩和で、日銀による年間の国債買い入れ額は80兆円と、政府による新規国債発行額約50兆円を上回ります。ターナー氏は、「日銀が買い上げた国債を永久に保有し続ければ、日銀が保有する以外の債務の残高は減っていくことになる。これは明かにマネタイゼーションだ。従来の考えでは危険なインフレを招くことになるから中央銀行としてはタブーの措置とされてきた。しかし、満期を迎えた国債の資金で新たに国債を買い入れ続ければ永遠に保有できるのだし、その分、経済を活性化できのだから実は何ら問題はない」と主張されました。本当に「問題ない」と言い切れるのでしょうか。

池尾 和人(いけお・かずひと)
1953年、京都生まれ。75年京都大学経済学部卒業。80年一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了。86年京都大学経済学部助教授。87年経済学博士(京都大学)。95年より慶応大学経済学部教授。
 90年代のバブル崩壊に伴う金融危機の際には、政府審議委員として公的資金注入による不良債権処理を提言するなど金融システムの安定化に尽力したことで知られる。金融審議会委員のほか、日本郵政公社(現日本郵便)理事、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)取締役なども歴任。最近は、金融庁と東京証券取引所が共同事務局の「コーポレートガバナンス・コードの策定に関する有識者会議」の座長を務めた。
 『連続講義・デフレと経済政策―アベノミクスの経済分析』(2013年)、『現代の金融入門(新版)』(2010年)など著書は多数。
(写真:時事)

池尾:最近、日銀が大規模緩和を続けても問題は発生しないという主張を超えて、貨幣発行益(シニョレッジ)で財政負担を軽減できるといった論調が増えてきています。

 しかし、こういう議論は、言ってみれば中央銀行というのは、「鉛を金に変える錬金術が使えるんだ」という話です。打ち出の小槌を持っているというか、一種の錬金術が可能だという話です。もし打ち出の小槌が存在すれば、こんなに嬉しい話はない。あからさまに打ち出の小槌の存在を主張しても誰も信用しませんが、貨幣発行益といった専門用語を使ってもっともらしく説明されると、願望としてはそういうのがあってほしいと思っているから、「あり得る話ではないか」と人々を惹きつけてしまうところがあります。でも、打ち出の小槌は存在しないというのが、本当の現実です。


オオカミ少年の話でもオオカミは本当に来る

 国債をあまり大量に発行したら、「国債価格が暴落するのではないか」と言われてきましたが、そんなことはこれまでは全然起きていない。「国債暴落」なんてイソップ童話の「羊飼いと狼」と同じで、オオカミ少年が言っていることに過ぎないと嘲笑する人もいます。でも、この童話では最後には狼が本当に来るんです。永久に狼が来ない、という話ではありません。

では、やはり日本の国債はどこかで暴落する?

池尾:永久運動機関は存在しないというのが物理の法則であるように、やはり「フリーランチは存在しない」というのが経済原則です。要するに、「無から有」を作り出せればいいんだけれども、「作れない」っていうのが経済原則です。

*何か便益が発生すれば、そのコストを必ず誰かが負担することになる

 ターナーさんは有名な経済学者だし、いろいろなことをよく分かっている人物です。ただし、物事をどういう時間的なスパンで評価するのかというのが重要で、ターナーさんはきわめて短期的な視野から、こうした楽観的な見方をしていると思います。私自身も、まだ4~5年、ひょっとしたら10年くらいは今みたいな野放図な財政経済運営を続けていても、日本は今のような経済状態を維持できる可能性の方が高いのではないかと見ています。

 しかし、日本の人口動態を考えれば、それ以降、景色は急激に変わっていくと思います。連続的にゆっくりとリニア(線形)に変化していけば、あらかじめ変化に気づきやすくていいんですが、直線的に変わるのではなく、急に様子が変わっていくと想定されます。ターナーさんの議論では、日本の人口動態といった中長期的な視野の問題は全く考慮されていません。今さえよければいいのであれば、ターナーさんの議論に同意できるが、先行きのことを考えると異論を唱えざるを得ないということです。

国民の貯蓄の半分は既に政府が使ってしまっている

それは高齢化がさらに進むから…

池尾:現在、日本銀行がやっている量的緩和というのは、準備預金を増発することで国債を大量に購入するというものです。準備預金というのは、民間の銀行が日本銀行にある自分たちの当座預金口座においている預金のことです。銀行が保有している準備預金の資金源となっているのは、私たちや企業が銀行に預けている預金です。銀行預金にはゼロに近い金利しか付かないけれど、国民はみんな文句も言わず銀行にお金を預けています。その預金を見合いに銀行は国債を保有したり、準備預金を保有したりしているわけです。

 要するに今は、国債<-(日銀)<-準備預金<-(民間銀行)<-預金、という資金の流れになっています。国債を消化する資金を最終的に提供しているのは、私たちや企業の預金です。財政赤字をまかなっているのは、民間の貯蓄です。これまでも、国債<-(銀行)<-預金、という流れで、国民が間接的に国債を保有していたのですが、異次元緩和の結果、間々接的な(間接を二つ重ねた)国債保有構造に変わったと言えます。

現在、引退して高齢になった人は自分の預金を取り崩して使っていますが、若い人達は貯蓄しています。企業預金も含めると、日本の預金は全体としては、まだ年率3%ほど増え続けているので、国債が年間40~50兆円増えても回っている。当面は大丈夫だという感じです。順調に銀行に預金が集まっている限り、日銀が準備預金を増発しても銀行はそれを保有できます。それゆえ、今は問題がまだ顕在化していないと言えます。

しかし、本当に未来永劫、みんな黙っておとなしく自分の貯蓄を使わないで預金のまま置いておくでしょうか。高齢化がさらに進めば、預金を取り崩して使う人の方が多くなってくるのではないでしょうか。守銭奴ならお金を持ったまま死ぬかも知れないし、使おうと思っていたけど早死にしてしまって使わなかったということはあり得ますが、普通の人は老後に使おうと思って貯蓄しているわけですから、当然、どこかで使い出すはずです。

この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り5556文字 / 全文文字

【初割・2カ月無料】お申し込みで…

  • 専門記者によるオリジナルコンテンツが読み放題
  • 著名経営者や有識者による動画、ウェビナーが見放題
  • 日経ビジネス最新号12年分のバックナンバーが読み放題