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■武&山根の展覧会レビュー
震えて響け──【LISTENING TO THE LINES 線を聴く】展を観て
武 盾一郎&山根康弘
■武&山根の展覧会レビュー
震えて響け──【LISTENING TO THE LINES 線を聴く】展を観て
武 盾一郎&山根康弘
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■武&山根の展覧会レビュー
震えて響け──【LISTENING TO THE LINES 線を聴く】展を観て
武 盾一郎&山根康弘
< https://bn.dgcr.com/archives/20150626140100.html
>
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武:こんばんは!
山:こんばんはー
武:夏至ですね。
山:ああ、そうか。夏至ってなんかするんやったっけ。あまり記憶にないが。
武:今夜からはもう昼より夜が長くなっていくんだよなあ。だからちょっとさびしくなるんだよね。でもこれから暑くなるから、すぐそのさびしさは消えるんだけど。
山:まだ夏ちゃうしな。
武:そんな感じで早速レビューに入ろうか。
山:どんな感じやねん。というかですね、今回もまた展示に行けてない、、、行きたいのはいくつかあるんですが。
武:なんと! 展示に行ってないとな! じゃあ、行きたい展示のレビューを書くってのはどう? いかにその展示を観たいか、を述べ合うんさよ。
山:……レビューじゃないような気もするが、チャット持つんかね。
武:持たなかったら「武盾一郎が量子力学について無駄に熱く語るチャット」になるw
山:おー、僕最近もう疲れ果ててるんで、武さんそれピンでお願いします!
武:何を言うとる! あ、俺、展示観てるわ。それについてチャットしてみて、その後に何を観たいかをチャットするとか。
山:え? 何観たんですか?
武:パッと観れちゃう展示なんですが、「LISTENING TO THE LINES 線を聴く」展。場所は銀座メゾンエルメス。7月5日までやってる。
< http://www.maisonhermes.jp/ginza/gallery/archives/8115/
>
【線を聴く/銀座メゾンエルメス フォーラム】
山:へー、ちょっと面白そうですね。
武:面白かったよ。展示観た後にサイトにあるYouTube観たんだけど、この動画見たら展示観なくてもいいくらいw あまりにもよく出来てる動画、、、
山:なるほど。解説もされてるからわかりやすいな。
武:あ、でも展示良かったですよ。心地良い空間でした。
山:ってかね、そのうちYouTubeも3Dとかになるでしょ。ほとんどその空間にいるのと同じになった場合、どうなるんやろ。それでも実際に行った場合とは、やっぱり感じ方は違うんかな。作品に対して。
武:違うとは思うよ。ただ、現代アートって動画とか画像とか、そういうデータになった方がカッコ良く見えることがままある。昔はそういう方向に対して物凄くアレルギーがあった。今は心地よく観ることはできるんだけどね。実際、展示良かったし。
山:そうなんや。
武:「だけどね、」と、ちょっと考えてしまう。どの作品も思考やコンセプトそのものが作品となっている。あ、岩の現物があったけど、それ以外は。研ぎ澄まされた現代アートってそうだよね。そういったものって、その「思考」と「コンセプト」が分かれば「ブツ・現物」、或いは「展示現場」って要らないんだよなあ、、とも思ってしまう。
感覚や感情に寄り添おうとして作られた作品って「古典的」なんだけど、古典的な作品は「本物・現物」または「現場」に意味があって、動画や画像などの記録データはあくまでも「紹介」でしかないんだよね。
その違いについて考えざるを得なかった。
山:ふむ。「思考」と「コンセプト」そのものが作品だとすると、展示されてるものはプレゼンの素材ってことやね。作品の素材ではなく。ただわかりやすくさせる為だけにあるもの。作品の一部ではあるかもしらんが。
武:プレゼン素材という側面もあるけど、「構造体のみ」ってことなのかな。そこがいい、ってのはある。
展示されていた作品の中で好みだったのは、イグナシオ・ウリアルテという人の作品なんですが、まあ「構造体そのもの」の作品なんですわ。
< >
シンプルなルールがあって、手作業をする、それが構造体として作品になる、みたいな。プロセス自体も構造体になっている。
山:なんかわかるぞ。そう言えば昔、武さんと僕の展示考えたのんとちょっと似てる。
武:どういうんだっけ?
山:企画だけで結局やらんかったけどね。
●過去の展示企画書
山根康弘[line]……「線」の分解を表現した絵画の展示。
○ベースコンセプト
「絵」とは何かを考えた時に私が行き着いたのは、絵とは「二次元」を立ち現す存在であるということです。
二次元、たとえば何もない茫漠とした平面は、それ自体知覚することが出来ません。
ですが、そこに一本の線を引くことによって、はじめて二次元の存在が明らかになるのではないか。
では一本の線とは何でしょうか。
線を無限に拡大して見ていった、あるいは思考した時に立ち現れる景色は、そこもまた線である。つまり、一本の線は多の線の集積である→一本の線は無限に拡大(分解)出来る、と考えます。
○フォーマット
1)ドローイングを描く
一本の線(線の集積)を描く。
2)ドローイングを動かしながらコピーをして新たなドローイング(コピードローイング)を作る。
コピー機によってドローイング(線)を分解する。→線をさらに拡大し、ミクロの視点を表現する。
予期せぬズレを生じさせる。→線の存在を強調する(二次元をより明確化させる)
3)コピードローイングを元にして、タブローを描く。
身体性のある絵仕事に戻る。→絵に立ち返る
タブローにすることによって、線をさらに拡大させる。
武:おー!
山:2005年だって。
武:10年前か、、もうちょっとルールを抽出して純度上げれば、仕上げの構造が見やすくなったのかもなあ。ちょっと分かり難い。。
山:そうやね。なんかスケール感ばっかり追い求めて、よくわからんことになってるわな。
武:画像ないの?
山:えーと、、見れますか?
武:見れた! いやあ懐かしいねえ。。
< https://goo.gl/photos/fnbH4jekBRpdBBLr8
>
山:「線」に対する意識というのは何かあったんですね。
武:「線を拡大したらどうなるか」ってのは悪くないよな。フラクタルへの思考もあったろう。
山:折り目(線)を不規則に動かしてみるとか、輪ゴムの作品とか、イグナシオ・ウリアルテ氏の作品はなんか分かる。
で、今回武さんが観た展示は「線を聴く」というタイトルですが、そこらへんを感じる作品はなかったんですか?
武:「線を聴く」という展示タイトルは良かったけど「線を聴く感じ」はあんましなかったかも。
山:なんで「聴く」って入ってんやろか。
武:音を聴くだけが「きく」ではないからね。お香も「聞く(きく)」っていうし。
山:じゃあ実際、具体的に線を聴くにはどうすればよろしいか。
●線とは何か
武:「線」とは何かっていうと、まずは「輪郭線」じゃないですか。
で、「輪郭線」って何か? っていうと「モノの境界線」ってことじゃないですか。じゃあ「境界線」ってのは何か? っていうと「モノとモノじゃないものが混ざり合ってる場所」じゃないですか。
じゃあそこを拡大してみよう、ってなると「掴めない」んですよ。「輪郭線」って存在しないんですよね。
山:それはよく言われることよな。存在しない。でも、二次元上では存在するってことやんな。
武:二次元から現実世界に線という存在を持ってこようとすると、それは「結界」を指すんじゃないかなって思うんです。つまり、「線」ってのは描かれた時点で「結界」のメタファーなんですよ。俺的には。
山:結界か。「秩序を維持するために区域を限ること」とある。よく子どもが地面に足で線を引いて「こっから入るな」みたいなことやるよね。あれも「結界」みたいなもんやね。
武:そうですね。じゃあその「結界」の線に眼を近づけて虫眼鏡で拡大して見て「聖と俗」の本当の境界を見ようとすると、、、「聖と俗の境」は消えてしまうw
山:無限に拡大出来るからな。仮に結界と言う「線」が存在するとして、それを5億倍ぐらいに拡大すると、そこには非常に曖昧なスペースができるからね。
武:実はその超拡大を描こうとしていたんだろうな、山根は。コピー機の拡大じゃ表現できなかった。
山:その曖昧なスペースさえ、さらに拡大することが出来て、、という無限ループをイメージしてたんだろうけど、結局のところ二次元でも境界には辿り着かず、線と言う「仮に定義したもの」だけが平面上に茫漠と残る。というようなことを考えていたような考えていなかったような。
武:構造が見える、というより、そのプロセスが露出している感じだな。道なかばの状態というか。
山:でだ、「線を聴く」ってのはどういうことだ。
武:はい。線とはそのように最初は「境界」を示すものとして捉えたのでした。で、それは拡大していくと消えてしまう、存在しない。形がない。がしかし、境界はやはり存在する。
形はないのに、でも確かに在る。それってなんだ? と考えると、それは「音」なんですよね。「線」のことを考えていくとそれは「音」に結びついていくんですよ。
山:ほう。
武:少なくとも俺はそうだ。人間の普遍的思考かは分からないよ。でも線と音を結びつけている人はまあ割と多くいる。
山:「旋律」は音の線的繋がり、とか、確かに関係がありそうだ。
武:実際に弦という線から音が出るしね。線はだから「震え」を表してるものでもある。
山:なるほど。震えということは揺らぐということか。
武:ですね。不確定要素がある。ある種の「儚さ」と捉えても良い。だから「線を聴く」という言葉はちょっと繊細で曖昧で儚いニュアンスがある。そこがなんとなく展示から感じることができたってことかな。
あとは「どうやったらこういう企画に呼ばれるのか?」と。もうそれに尽きますよw
山:まさに線を描いてるのになw どうしたもんやろね。
武:作品が感覚的に面白いとか感情に訴えるとかいう、古典的判断の領域で勝負してるアートだと、割と本当に作品が受けるかどうかが鍵となるんだけど、現代アート系って何をどうしたらこういう企画に呼ばれるのかさっぱり分からない。
山:そうやねえ、やっぱりいろんな人と出会うしかないんじゃないのかね。
武:そうですね。頑張ります。デジクリを読んでるキュレータやアート関係の方、武盾一郎をよろしくお願いします!
●美しい危険
山:他に気になった作品とかありました?
武:そうですね、天然の岩ですかね。なんで美しくなるのか。というか、長い年月をかけて自然にできていった石の状態を「美しい」と感じるように、人間の感性がプログラムされてるのかもしれないが、、
山:カイヨワコレクション、ですか。面白い人やな。
< https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%AF
>
武:ホントだ! 興味深い人ですね。こういう自然が作った色彩や造形を観ると、なんか人間が頑張って作ってもかなわないよ、っていう心地良い無力感に襲われるんですよ。
山:規模や年月、方法も人間と比べられないからね。
武:経年劣化したマテリアルも若干そういう雰囲気を醸し出すのかな。
山:そういうとこあるよな。それを真似ても本物にはかなわない、とかね。真似も面白いけど。
武:自然が作り出す造形を美しいと感じるこのクオリアは誰が作ったのか。
山:美しく感じない自然の造形もたくさんあるやろ。
武:ああ、確かにあるな。川や沼の付近の雑草や枯れ葉が無秩序に広がってる湿った場所は、なんだかあんまり美しく見えないよ。生態系としてはとても貴重な場所なのに。
山:ある種の規則性に反応するんかね、人間の感性は。
武:規則性、或いは数学性というか。自分の命を脅かすのかな? 湿地帯って。毒蛇とかいたりして。危険な場所は美しく感じないようにすれば生存には助かる。しかし、落雷とか、深い森とか、危ないのは美しく感じるよなあ。
山:山を見るとわかりやすいんちゃう? 遠くから見ると美しいが、中に入ると危険極まりない、みたいな。山並見ると稜線が美しい、とか思うもん。
武:眺める分にはいいけど近づくと危険なものは基本「美しい」、と。
山:昔の絵の具も毒やし。だから逆に美しい、てのはあるかも。
武:ああ、なるほど。確かにある種の怖さがないと、美しく感じないってのはあるな。
山:きっとカイヨワの石も相当危険なんすよw
武:それが地表にあった当時は何億年前か分からないけど、高温だったり酸素なかったりするんだろうな。
山:そういった中で作られた造形を、外から眺めて美しいと感じるという。
武:「美しい」って感じると、だけど癒やされるよね。危ないものなのに。
山:しかしこの石、僕はYouTubeでしか観てないが、言われてみればなんか聴こえてきそうな感じする。線っていうか石だけど。
< >
武:おお。そう言えば石って何か聴こえてきそうだよね。子どもの頃、石に耳をあてた記憶があるわ。貝殻と似てたから、なんか聞こえそうだと思っただけかもだけど。まあ何も聞こえないんですけどね。思った以上に石が熱かった記憶が。
山:石って妙に重宝されるよな。
武:果てしない年月が具現化してるからね。
●線を聴く方法
山:結局、線から何か聴こえてくるのか? さっき「稜線」って言ったけど、山の尾根ですよね。尾根も線としては実際には存在しないよね。輪郭線みたいに。でも遠くから見ると線として感じられる、というか考えられる、なのかな。
武:確かに稜線を歩いてても、線の上を歩いてる感じはしないだろうね。
山:もし遠くから見てる自分と、実際歩いてる自分の両方の視点を持ってたら、「線歩いてるわ〜、聴こえるわ〜」って思うんか?
武:ナビを見ながら歩くってことか。
山:ナビじゃなあ、ちょっと。あれ、でもそういうことなん?
武:スケールの異なる視点を同時に持つってことは、案外普通にできるんだな、人間の脳って。けど、瞬間瞬間は片方だけど「歩く」っていうもうちょっと長い時間軸で複数視点を掌握するのかな。まあその場合、線というのは実感ではなくて概念だよね。
山:ふむ。そうすると、「線を聴く」というのは概念を聴くということになるのか??
武:概念が音を鳴らすって面白いね。ありかも。観念の方が音になりそうだが。
山:「震える」とか「響く」とか、関係あるんか。
武:関係あるよね。「震える」はホストで「響く」はゲストの関係になるんじゃないかな。「震える」が発信で「響く」が受信。
山:となると、震わせながら響いてたら、線は聴こえる、と。
武:ああ、両方同時ってことか。線にとっては響くってことは震えるってことだからね。
山:なんやもうわからんw
武:確かに山の稜線からは音は聴こえてきそうだよね。「ヤッホー」って。あ、それからあともうひとつあるんですよ! 気になったのが。アトリエ・ワンが出展してた。
< >
山:お、僕がアトリエ・ワンの作品を最後に観たのは、東京国立近代美術館ですね。
武:こんなところでアトリエ・ワンに出くわすとは! みたいな。ちょっと驚きました。
山:そうやね、線って聞くとちょっと繋がらない。
武:展示のテーマと作品が合ってるかどうかってまあ関係ないんですよ。実際。
山:アトリエ・ワンは線をこう考える、みたいなことなんやろな。
武:ビックリしたのは個人的なところなんです。経緯を話さないと分からないよね。ちょっといいかな?
山:手短にお願いします!
武:2007年に遡るんですが「246表現者会議」ってのがあったんです。
< http://kaigi246.exblog.jp/i3/
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20071212140100.html
>
< https://bn.dgcr.com/archives/20080116140300.html
>
山:知ってます。
武:そんなこんなで渋谷駅前で会議をやってたら、宮下公園がネーミングライツでナイキ化されるというニュースが飛び込んできたのです。
『ふらっと公園に訪れるすべての人々への暴力──宮下公園がナイキ・パークに!?』
< https://bn.dgcr.com/archives/20081008140100.html
>
この宮下公園ナイキパークの設計がアトリエ・ワンなんですよ。で、246表現者会議はアトリエ・ワンに公開質問状を制作する。
< http://kaigi246.exblog.jp/10349071/
>
俺はナイキ化反対だったんだけど、ナイキもアトリエ・ワンも好みだった。なのでアトリエ・ワン批判になっていくのが、実を言うと苦痛だったんです。そんなアトリエ・ワンと再会して心がざわついたんですわ。
山:ほう。
武:「線を聴く」というタイトルに惹かれて観たけれども、まさかそれ以外の方向から自分と関連するものを観るとは思わなかった。
山:そうか。作品はどうだったんですか。
武:YouTube観れば分かるんだけど本棚なんですね。展示では「これ可動式だよな〜」って分かるし、デザインも良かった。作品観てすぐに「アトリエ・ワンだ!」って分かりはしなかったけど。
壁の広範囲に直接線を描いてる作品があって、本棚にも線が描かれてたんだけど、なんかそれはあんまり良く感じなかった。空間を取り込もうっていう線なんだろうけど、なんとなく本棚が汚されてるように見えてしまった。その線でちょっと不愉快になった。
てことは、俺はその壁に直接線を描いている作品に嫉妬したってことなのかな。
山:どういうこっちゃ。
武:琴線に触れたのかも。
山:へー。その線の作品は実際どうだったんだ?
武:まあ、動画の通りなんだけど、なんつかな、キレイに見えなかった。
< >
きっと「俺だったらもっとガッツリ描くのに!」とか内心思ったんだろうなあ。。。いやあ、もう、心が震えましたよ。鯨津朝子さんというアーティストかあ。
山:めっちゃ反応してるな。
武:線が聴こえました。
山:聴こえたんかい!
【線を聴く/銀座メゾンエルメス フォーラム】
< http://www.maisonhermes.jp/ginza/gallery/archives/8115/
>
会期:2015年4月24日(金)〜7月5日(日)
開館時間:月〜土 11:00〜20:00(入場は19:30まで)
日 11:00〜19:00(入場は18:30まで)
休館日:エルメス銀座店の営業時間に準ずる
入場料:無料
【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/震えて響く線と銭】
OneWallOneArt 第二弾7月5日まで!
最終日午後はカフェmuniさんにいますのでぜひ来てください!
< https://www.facebook.com/pages/One-Wall-One-Art-Project-produced-by-TeamUttoco/810666848970016
>
次回 OneWallOneArt は指扇のカフェCoco House の予定です。乞うご期待!
< https://www.facebook.com/cafe.cocohouse?fref=ts
>
アートラッシュ「Tシャツ展」に出展します! 2015年7月1日〜20日
< https://www.facebook.com/media/set/?set=a.990215207690033.1073741841.206228169422078
>
・facebookページ < http://www.facebook.com/junichiro.take
>
・Twitter < http://twitter.com/Take_J
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・[email protected]
13月世の物語 ガブリエルガブリエラ
< https://twitter.com/G_G_jp
>
< https://www.facebook.com/GabrielGabriela.jp
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< http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp/
>
【山根康弘(やまね やすひろ)/また富山】
[email protected]
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編集後記(06/26)
●大相撲の続き。四股名は非常に蘊蓄というか奥が深いものがある。プロなのにアマ〜、わたし得意の駄洒落も安馬が横綱「日馬富士」になったことで終了。しかし、日を「はる」と読ませるのはそうとう苦しい。日が出て晴れるからそう読むのか。デーモン閣下が命名の秘密を披露していた。安馬が横綱に上がるとき、師匠(現役時代は旭富士)は安治川から伊勢ヶ濱を継いでいた。安馬のままで横綱はどうだろうねと周囲も思っていた。そこで改名。安を残すか、馬を残すか、あるいは師匠の名前から一字いただくのか。しかし旭の専売特許は大島部屋にあるので使えない。富士しか残らない。これは誰でも使える字。
そこで旭を解体し、九をとって日を残す。安馬の馬をとって、それに富士をつけて強引に「はるまふじ」と読ませた。そんな経緯初めて聞いたと、やくみつるも驚く。閣下は部屋のルーツをじつによく知っている。二人が同意するのは、隠岐の海(島根県)、鳰の湖(滋賀県)、豊響(山口県豊浦町)など典型的な自分の郷土型が安心できるということ。二人は触れていないが妙義龍はどうよ。妙義山に由来すると思ったら兵庫県高砂市出身だ。「いろいろな技を出せるように」という意味だという。舞の海は非常に美しく高度な四股名だ。自分の相撲のタイプを四股名に読み込み、みごとにハマった、とやく。
二人はそうはいわなかったが、キラキラネームもある。天空海(あくあ)は掟破り。碧天(おおぞら)。相武紗季みたいな四股名は阿武咲(おうのしょう)、読めません。阿夢露(あむうる)はロシア出身。けっこう苦しい。やっつけ感がありあり。引退したが風冨山、字面的にきれいにまとめている。お察しの通りカザフスタン出身。珍名奇名はいいかげんに歯止めをかけなければなるまい。きれいな四股名を呼び戻したい。法則:強そうな荒々しい四股名は意外と相撲が伴わない。ところで、遠藤の四股名はどうなるか。一部の報道では「清水川」を継ぐという説も。やくが勝手に推すのは「鳳の珠」(とりのたま)???
相撲を見る人には最低限の伝統的な一線は守って欲しいという二人。プレート応援は絶対ダメ。名前コールと手拍子もよろしくない。チームだったらまだしも、一対一の勝負だから。ブーイングもダメ。座布団投げは本当に禁止事項(風物詩ではない)。相撲という様式美の世界では、観客席側もその構成要素のひとつであるという自覚を持ってもらいたい。大相撲の空気はその場にいるみんなで作っているのだ。一方、力士のファンサービスもガイドラインを作るべきだ。せめて本場所中の花道では、良い意味で力士を演じ切って欲しい。スージョが率先してルールを守ればオジサンたちもついてくる、かな。 (柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120047075/dgcrcom-22/
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やくみつる・デーモン閣下「勝手に大相撲審議会」
●マラソン続き。スタート門をくぐったのは、号砲が鳴ってから約19分後。最初はキロ7分〜8分にしたいのでセーブ。6分前後だと後でつらくなる。が、皆はガンガン飛ばしていて、このブロックはギリギリランナーブロックですよね? と問いたくなった。団子状態ではあるが、道路の幅が広いので走りやすい。
キロ8分のつもりだったが、1km時点で7分を切ってしまう。セーブを心がけるのにずっとこのペースで、例外は給水のある地点のみ。足首と足裏に違和感があって痛いのに、睡眠不足なのに、身体自体は軽い。いかに大会だとテンションが上がり、まわりのペースに巻き込まれるかがわかる。
ウィンドブレーカーは2kmぐらいで脱いだと思う。日差しが強くて喉が渇き、2.5kmごとに給水があると思い込んでいたら、最初の5kmまでは無くて苦しかった。5kmではスポーツドリンクを2杯飲み、水も少し口にした。お腹がタポタポになるかと思ったが、そうでもなかった。
記憶が曖昧なのだが、5kmの給水までに先頭集団とすれ違ったと思う。あの人たちは15km地点あたりで、ええっもう? と。皆が拍手したわ。続く。 (hammer.mule)