[3326] やられたらやり返せ!

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《私は、こういうのに深く感動しちゃうほうなんですが、しませんか?》

■映画と夜と音楽と...[557]
 やられたらやり返せ!
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[557]
やられたらやり返せ!

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20120907140200.html
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〈未来を生きる君たちへ/真昼の決闘/リオ・ブラボー/大いなる西部/ダーティーハリー/グラン・トリノ〉

●手を出したら何倍にもしてやり返すアメリカという国家

アフリカの難民キャンプ。スウェーデン人の医師が献身的かつ精力的に働いている。腹を割かれた妊婦が運び込まれてくる。腹の子が男か女かを賭けの対象にし、その証明をするために妊婦の腹を割いたのだ。そんな残虐なことを行ったのは、ビッグマンと呼ばれる民兵のボスである。黒人医師の説明に、彼は愕然とする。悲惨な世界の中で、救いはサッカーに興じる子供たちの姿だけだ。

一方、母親をガンで喪い、父親とポーランドの祖母の元で暮らすことになった少年クリスチャンがいる。父親の仕事の関係で各国を転々とし、ロンドンからポーランドに戻ってきたのだ。彼が父親と転校先の学校へいくと、ひとりの少年が大勢の生徒たちにいじめられている。その少年エリアスは「スゥエーデンに帰れ」と罵声を投げつけられている。

エリアスの母親は息子がいじめられていること、その首謀者が体の大きなソフスだと知っており、アフリカから一時帰国した夫(冒頭の医師がエリアスの父親)と共に教師と面談するが、教師はどちらが悪いと判断せず、曖昧なままエリアスの転校を勧める。激高する母親に、「両親に問題があるのでは?」と家庭の問題をほのめかす。いじめられるのは、本人にも原因があるという例の論理である。

エリアスと同じクラスになり席が隣になったクリスチャンは、一緒に自転車置き場にいきエリアスの自転車のタイヤの空気が抜かれているのを見付ける。いじめっ子ソフスの自転車からバルブを抜いたクリスチャンは、いきなりソフスにバスケットボールを顔面に投げつけられ鼻血を流す。このままではエリアスと同じように、いじめられる日々が待っているだけだ。

翌朝、いつものようにエリアスを追うソフスを尾けたクリスチャンは、トイレでエリアスをいじめているソフスを自転車の携帯用空気入れ(棍棒くらいの大きさのもの)で何度も殴りつける。床を転がるソフス。そのソフスの背にまたがり、クリスチャンは首にナイフを突きつけて「僕たちに手を出すな」と脅す。転校するたびにクリスチャンはそんな反撃をし、「あいつはヤバイ」と思わせてきたのだ。

しかし、ナイフを出したことを重視した学校は警察を介入させる。クリスチャンもエリアスも「ナイフはなかった」と言い張り、迎えにきた父親や母親と一緒に帰宅する。クリスチャンの父は帰宅の車の中で「殴られて、やり返していたらきりがない。戦争はそうやって始まる」と諭す。そのとき、僕は9・11のニューヨークの瓦礫に立ち、「奴らに思い知らせてやる」と国民を煽った愚かなブッシュの姿を思い出した。

「やられたらやり返せ」という論理は、世界を支配している。やり返せない奴は、腰抜けだ、チキンだと罵られる。「なめられたな」と軽蔑される。だからブッシュは、やられた以上にやり返した。アフガニスタン、イラク...、そしてオバマもパキスタンに特殊部隊を送り、10年をかけてオサマ・ビンラディンを血祭りに上げる。そのニュースが流れた夜、報復を祝うアメリカ人たちの姿がCNNに流れた。

アメリカに手を出したら、何倍にもしてやり返す。徹底的に捜索し、見つけ出し、そこがどこの国であろうと兵士を送り、武装ヘリで爆撃し、アメリカの敵を殺しまくる。それは、通学自転車のタイヤの空気を抜いたり、ボールをぶつけてきた相手を入院するほど殴りつけ、のどにナイフを押し当てて脅すクリスチャンと同じ発想である。

●二人の男に殴られっぱなしだった30数年前の夜

「未来を生きる君たちへ」(2010年)のクリスチャンは徹底的にいじめっ子ソフスを痛めつけ、自分とエリアスを守る。ある日、エリアスの父親とエリアスの幼い弟と一緒に遊びに出かけ、エリアスの弟が同じくらいの子供とブランコを取り合い喧嘩になる。ふたりを分けたエリアスの父親に、喧嘩相手の子供の父親が「俺の子にさわるな」と怒鳴り散らす。

「子供の喧嘩だ」と言うエリアスの父親を、相手の男はいきなり殴る。聞く耳を持たない。彼にはすべてが怒りの対象なのかもしれない。粗暴な言動をまき散らし、人を不快にさせるタイプだ。自分の子にも乱暴な口を利く。見るからに粗野な男である。クリスチャンは「警察に届けないの? 殴られたんだよ」と言うが、エリアスの父親は「失礼な奴だ」と相手にせず、子供たちを車に乗せる。

だが、クリスチャンもエリアスも反撃しない父親に納得がいかない。暴力的だった男を子供たちは怖がっている。帰宅し「なぜ、反撃しないの」とエリアスに問われ、父親は「奴はバカだ。殴り返せば私もバカだ。やたら殴り返していたら、世界はおかしくなる」と答えるが、殴られたことで彼の自尊心も傷ついている。父親はひとり湖で泳ぐ。火照った体と高ぶる精神を冷やすように......

クリスチャンとエリアスは相手の男の車を見かけ、その車から男の仕事場を探し出す。それを父親に知らせるのだが、それは「仕返しをしろ」という子供たちのメッセージだ。子供たちは父親を「腰抜け」だと思っているし、殴られた後で「痛くなんかない。奴はバカだ」と言ったことも、負け惜しみにしか聞こえていない。やられたらやり返さなければ、子供たちの尊敬は得られない。

30年以上昔のことだが、僕も殴られっぱなしだったことがある。相手は、酒場の隣席にいた二人連れだった。まだ、酒場での振る舞いに馴れていなかった20代のことである。何かと隣の客と目があった。後で同席していたカミサンに言われたのだが、「最初から荒れた感じで飲んでいたわ」ということだった。いわゆる、ガンを付けていたのだろう。

そのふたりが店を出るとき、言わなくてもよかったのに僕は「よく目があいましたね」と口を滑らせた。その頃の僕は、世の中の悪意を経験していなかったのである。意味のない悪意が存在することなど、夢にも思わなかった。30分ほどして店を出ると、物陰から二人が姿を現し「お兄ちゃん、待ってたよ〜」とからんできた。僕は路地に連れ込まれ、殴られっぱなしになった。

今でもよく憶えているが、カミサンは二人組が待ち伏せしていたとわかった瞬間、ピューという音がするほどの速さで姿をくらませていた。もうひとり一緒だったのは会社の先輩で(僕より小柄で非暴力のひとだった)、彼は二人組に「話せばわかる」と説得してくれたが、彼らはわからなかった。彼らの狙いは「こむずかしい話を得意そうにしていた」僕だったのだ。何かが気にくわなかったのだろう。

殴られた痛みより、ちぎれたネクタイより、破れたズボン(伊勢丹の紳士服売り場で買ったばかりだった)より、僕には精神的ショックが大きかった。意味もなく人を殴る人間がいること、そんな悪意が世の中に存在することが僕を落ち込ませ、殴られたことで自尊心がひどく傷ついたのだ。今に至るも、僕は一度も人を殴ったことはない。少なくとも暴力的な人間ではない。

そのとき「やられたんだから、奴らを見つけ出してやり返そう」とは思わなかった。日が経つにつれ、あの二人組に愚かさを感じるようになった。それは、暴力に対して暴力でやり返せない己、復讐(リベンジ)しない自分を肯定するための心理的な作用だったのかもしれないが、もし彼らを見かけても僕は何もする気はなかったし、トラブルを避けるためにこちらが身を隠したことだろう。

●すべての物語は何らかの形で何かを報復する復讐譚である

多くの物語は、「やられたらやり返せ」の論理をベースにしている。すべての物語は復讐譚であると言えるだろう。貧しく不遇な主人公が社会的に成功していくのも復讐だし、テロで愛する人を殺された主人公がテロリスト狩りを始めるのも復讐だし、会社の権力者に左遷させられた主人公が仕事で成果をあげて本社に戻るといったサラリーマン物語も復讐譚である。

赦す、やりすごす、相手にしない、相手と同じ愚かなレベルには立たない...という論理では、観客にカタルシスを与える映画は作れないのかもしれない。特に、ハリウッド映画は...。ハワード・ホークスは「真昼の決闘」(1952年)の保安官が町の人々に助けを求めたり、バッヂを棄てて町を出ていくラストシーンを批判して「リオ・ブラボー」(1959年)を撮った(それにしては制作年が離れているが)。

現在では「真昼の決闘」は、ハリウッドに吹き荒れていた赤狩りに対する批判映画だと評価されているし、バッヂを棄てるのは非暴力の宣言だ。西部劇にしては、確かにリベラルである。そういうところがマッチョ監督ハワード・ホークスには気に入らなかったのだろう。「リオ・ブラボー」は正統的西部劇であり、ジョン・ウエインを始めヒーローたちは超人的に強く、やられたらやり返すので観客は喝采する。

同じ頃に「大いなる西部」(1958年)という西部劇があった。「ローマの休日」(1953年)の知性派監督ウィリアム・ワイラーが、リベラルな俳優グレゴリー・ペックと再び組んだ大作だ。制作はワイラーとペックである。ふたりとも、この非暴力を訴える西部劇を作りたかったに違いない。ペックに対抗するのは、今は全米ライフル協会会長としてしか名が出ないマッチョのチャールトン・ヘストンだった。

西部の大牧場主の娘(キャロル・ベイカー)が東部に留学し、インテリの優男(グレゴリー・ペック)と知り合い婚約する。きちんとしたスーツにネクタイ、シルクハットをかぶるような紳士だ。男は結婚するために西部にやってくるが、馬車で牧場に向かう途中、乱暴な三人のカウボーイに取り囲まれる。大牧場主の娘婿と知った三人は、男を投げ縄で引きずり降ろして侮辱する。

彼らは、大牧場主と水源をめぐり長年対立している、岩山を根城としている地主の一族である。長男(「ライフルマン」のチャック・コナーズ)は大男で乱暴者。すべてを暴力で解決しようとする、腕力自慢の男だ。彼は東部の優男をいたぶり、彼が何も言わず屈辱を受け流したため「腰抜けだ」と言いふらす。ペックは「バカは相手にしない」という風に泰然としていただけなのだが......。

だが、婿になる男が「腰抜け」の烙印を押されたのでは、西部では生きていけないと牧場主は思う。婚約者の娘も結局は、同じような西部の論理にとらわれている。娘の幼なじみで密かに想いを寄せる牧童頭(チャールトン・ヘストン)も東部の優男を男らしくない、腰抜けだと思う。侮辱されたら撃ち殺すことも厭わないのが、荒くれ西部のルールなのである。なめられたら、生きてはいけないのだ。

だが、ペックは誰も乗れなかった荒馬に何度も振り落とされながら乗りこなし、真の勇気を見せる。チャック・コナーズと一発しか撃てない決闘用の銃で決闘する羽目になり、コナーズが卑怯にも先に引き金を引いて外した後、ペックが撃つ番になる。そのとき、コナーズは荷車の下に逃げ込むがペックは赦し、空に向けて弾を放つ。しかし、コナーズは仲間の銃を取ってペックを撃とうとし、実の父親に「卑怯者め」と撃ち殺される。

「大いなる西部」では、暴力や殺し合いの虚しさが徹底的に描かれる。暴力に頼る人間の卑怯さや愚劣さが印象に残る。真の勇気とは何かと問いかけ、非暴力を貫くことの辛さ、潔さ、むずかしさがアピールされ、それでも「闘いではなく赦しを...」「争いではなく平和を...」と訴える。グレゴリー・ペックが出た映画に愚作なし、と言うほど僕は彼の映画が大好きで「大いなる西部」もオススメしたい一本だ。

●ハリー・キャラハンは「グラン・トリノ」の老人になったが...

報復の論理で無数の観客を動員したのは「ダーティーハリー・シリーズ」(1971〜88年)だ。人を殺したり、レイプしたり、麻薬で人々を堕落させたり、犯罪で大金を稼いだりする奴らは報いを受けねばならない。だから、ハリー・キャラハンは何のためらいもなく人を殺す。「悪いことをやったのだから、やり返されるのは当然」とばかり、様々な方法で悪党たちを退治する。

しかし、それから数10年、老人になったクリント・イーストウッドは「グラン・トリノ」(2008年)を撮る。それは、ハリー・キャラハンのやり方「やられたらやり返せ」を否定する映画だった。最初、「グラン・トリノ」の主人公は年老いてはいても、ハリー・キャラハンと同じ論理で生きている。誰にも頼らず、自分の身は自分で守る。すぐに銃を持ち出し、脅す。威嚇する。

隣家のアジア人の姉弟と知り合い、弟が悪い仲間に脅されているのを知り、彼らのアジトにいきボス格の若者をダーティーハリーのように脅す。「今度、彼に手を出したらタダじゃおかないぞ」である。しかし、その報復として不良グループは姉を拉致し、暴行する。彼女の無惨に腫れあがった顔を見た瞬間、主人公は己の行動の愚かさを自覚する。報復は報復を呼ぶ。報復の連鎖を断ち切るために、主人公はある決意をする。

「報復は報復しか生まない。今こそ冷静な対応をすべきよ」と、9.11直後に開いたコンサートでマドンナは観客たちに訴えた。人気取りのために国民を煽った、西部劇の保安官を気取るブッシュより、よほど勇気のいる言動だし賢明な宣言だ。ニューヨークの瓦礫の上で、人々が「USA、USA」と合唱し復讐を誓うナショナリズムが最高潮のときに、そんなことを発言すれば銃弾が飛んでくる危険さえあった。

同じような雰囲気が、最近の日本にもある。領土問題に端を発したナショナリズムが高まりつつある。バカな週刊誌が煽る。煽れば雑誌が売れるからだ。日韓の応酬を外務省の関係者が「チキン・レースの様相を呈してきた」と発言したと新聞に出ていた。やられたらやり返せ、である。国民から「腰抜け(チキン)」と思われたくなかったら、どちらかが音をあげるまで降りることはできない。

●暴力しか振るえないバカであることを彼は自覚していない

「未来を生きる君たちへ」では、子供たちに腰抜けと思われたくはないが、「やられたらやり返せ」だけでは世界はまわらないと子供たちに教えるために、医師である父親は自分を殴った男が営んでいる自動車整備工場へ出向く。父親は、男の愚かしさを子供たちに教えようとしたのだ。「子供たちが君を怖れている。なぜ、私を殴ったのか理由を知りたい」と父親は問う。

父親と男の会話はかみ合わない。接点はないし、理解しあえるはずもない。男が車の下から顔を出す。相変わらず凄み、暴力を振るう。子供たちにも男の愚かさは伝わる。しかし、「自分が暴力しか振るえないバカであることを、彼は自覚していない」とクリスチャンは父親に突っ込む。そうであるとすれば、男は「文句を言ってきたインテリ男を撃退した」と勝ち誇っているに違いない。

クリスチャンは、男に仕返しをしない限り納得できない。報復しないのは、負けだ。負けたままでいたくない。自分が腰抜けではないことを、自分に納得させなければならない。ある日、彼は祖父の使っていた納屋であるものを見付け、危険なリベンジを思いつく。エリアスを誘い、その計画に向かって突き進む。そして、とうとう悲劇が起きる。

同じ頃、アフリカの難民キャンプに戻った父親の元には、武装した民兵たちがジープでやってくる。ビッグマンと呼ばれるボスの脚の傷を、切断せずに直せと強要される。黒人医師に「奴の傷を治すのか」と問い詰められ、父親は「医師としての仕事をするだけだ」と答える。彼は残虐非道な男も、治療を必要とする同じ患者として扱う。

だが、脚が回復したビッグマンが部下を引き連れて手術用テントを覗き、死んだばかりの若い黒人女性の遺体を「部下にくれ。奴は死体とやるのが好きなんだ」とニヤニヤと笑った瞬間、ビッグマンをたたき出す。下劣な人間は、どこまでも下劣なのだ。相手の愚劣なレベルまで下がりたくないから、赦し、やり過ごしてきたのに、それにつけ込んで相手はどこまでも下劣になる。

「やられたらやり返せ」という論理に同調せず、相手にしない、あるいは赦すといった反応をしたとき、「放っておけばつけあがって、もっとひどいことをやってくる」という言葉には説得力がある。黙って相手の横暴に耐えるのは、相当な覚悟がないとむずかしい。下劣で残虐で、死んだ方が世の中のためになる人間を、赦すことができるのかという命題は死刑廃止問題にも通じる。

「目には目を、歯には歯を」と「右の頬を打たれたら左の頬を...」は、聖書の言葉として有名だ。本来の意味は聖書の文脈の中で捉えられるべきだろうが、前者は「やられたらやり返せ」的に理解されているし、後者は非暴力主義的な意味合いで使われることが多い。聖書の中でさえ矛盾する箴言があるのなら、常人が考えて解決のつく話ではないが、穏やかな解決策はないものかと思う今日この頃です。

【そごう・すすむ】[email protected]  < http://twitter.com/sogo1951
>

最近、夏ばてか少し体調が悪い。体調が悪いと頭の働きもにぶる。ぼーっとしていることが増えた。老人力がついたというべきかもしれない。リタイアしたがっているので、体の方が先にダメになったのかもしれない。気力を...、もっと気力を。

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昔の漫才で、「地下鉄をどこから入れたのか、考え出すと眠れなくなっちゃう」というのがありましたね。「うわっ、古い。懐かしい」という人よりも「知らんぞな」って人のほうが多いかもしれませんけど。春日三球・照代という夫婦の漫才で、30年以上も前のことでした。

さてさて、長年培われてきたノウハウの集大成であるところの鉄道技術であるからして、地下鉄をどっから入れたかって問題に限らず、さまざまな創意工夫がそこここに施され、細部まで考え抜かれて、いまや極限の域に達しているんじゃないかと思います。

電車に乗っているときなど、そういう技術にふと気がついて深く感心することもあれば、ある形態に対して「これってどうしてこうなってるんだろう?」と思い悩むこともよくあるんじゃないかと思います。ありますよね? よね? よね? ないですか?

私は先日やられました。小田急線が新宿駅に到着したとき、それはもうぜーったいにありえないものを見た、との思いで衝撃を受けました。「なぜ右から?」。眠れなくなるくらい悩みました。結局、同僚で鉄ヲタのK島氏に聞いて、彼の説に合点がいったのでありました。この種の問題って、どっかに答えが書いてあることはめったになく、納得のいく説明がついたところでいちおうの正解としておこう、という形で決着することが多いです。

今回、その、私が大いに悩まされた鉄道パズルをご紹介しようと思います。その前に、私が今まで聞いた中で、これは秀逸だと深く感心した鉄道パズルをご紹介しておきましょう。とあるラジオ番組で聞いたものです。

●走り出せない貨物列車

アメリカあたりだと、やたらと長い編成の貨物列車が走ってるみたいですが、これからご紹介するのは貨物列車の技術に関するパズルです。50両編成の貨物列車が走っていました。貨物列車の走る基本的な仕組みは、世界中どこもだいたい同じだと思います。先頭に機関車がついていて、後ろに連結した車両を力強く牽引します。後ろにつながっている貨物車両はただひっぱられてるだけで、モーターはなく、ブレーキもありません。走るも止まるも、機関車のなすがままです。

最後尾にはカブース(caboose)と呼ばれる、乗務員用車両がつながれているのが普通です。といっても、最近の日本の貨物列車はカブースをつけないほうが普通になってきてるみたいですけど。このカブースには手動ブレーキがついていることがあるようです。

さて、この50両編成の貨物列車、走っている途中で何かの不具合が起き、カブースの手動ブレーキが意図せずかかってしまいました。車輪の回転がストップした状態で、なおも引きずられていきます。車輪と線路との間でキーキー音が立ち、火花が散っています。駅を通過した際に駅員がこれを見つけて、列車を止めます。

カブースのブレーキの不具合は、その場で修理されました。これで、何の問題もなくなったはずです。さあ、出発進行! あれ? 走りません。なぜでしょう? という問題。いかがでしょう。非常にいい問題なので、ちょっと考えてみませんか?

考えましたか? 答え、行きますよ。車両と車両とをつなぐ連結器にはわずかながら伸び縮みできる「遊び」が設けられています。この「遊び」は、貨物列車を走らす上で必要なものなのです。通常、先頭の機関車が後ろの貨物車両を牽引して走っている状態では、伸びた状態になっています。機関車がブレーキをかけて減速すると、貨物車両は慣性で走り続けようとするため、連結器が押し詰められて、縮んだ状態になります。

通常、この状態で停止します。走り始めるときは、機関車がまず動き始めます。機関車と先頭の貨物車両との間の連結器が縮んだ状態から伸びた状態になって、先頭の貨物車両が動き始めます。つまり、貨物車両は連結器の遊び分だけ、遅れて動き始めることになります。以下同様で、貨物車両は、一両ずつ、連結器の遊び分だけ遅れて順々に動き始めます。

いかに機関車がパワフルであっても、50両もの貨物車両を一斉に動かし始めるだけの力はありません。静止摩擦力に対抗するためには、一両ずつ、順々に動かし始めないとならないのです。

さてさて、今の状況では、カブースのブレーキが意図せずかかってしまったので、列車が止まったとき、連結器は全部伸びた状態になっています。この状態では、機関車は全部の車両をいっぺんに動かし始めなくてはならず、力が足りなかったというわけです。いったんバックして、連結器を縮めてから、再度発車すればよかったのです。

いかがでしたでしょうか? この種のことに対する感性は人さまざまなようで、天の声を聞いたかのごとく深い感動と精神の高揚を覚え、「よし、ぼくも大きくなったらエンジニアになるぞ」と決意する人もいれば、「ふーん」で終わっちゃう人もいるようです。

●右回り入線の謎

ウォーミングアップができたところで、小田急線新宿駅入線の話に入りましょう。これにはほんとうにびっくり仰天でした。小田急線は割とよく利用するのですが、一か月ぐらい前だったか、上り電車に乗っていて、終点の新宿駅に到着しようとしているときでした。乗っていた電車は上の階の3本の線のうち、真ん中に入線しようとしています。

上り線からここへ入線するための経路は2通りあります。そういうときは左回りの経路を行くもんだとばかり思っていました。ところがその電車は右回りで入線したのです。ありえない! そうすることによっていったいどんなメリットがあるというのか、考えられない。

「えっ? 本当? それ、事実なの? ありえない。信じられない」と思っていただけた方は、以下の長い説明は冗長になってしまうのですが、たぶん、多くの方は、今の説明だけじゃ、どうしてそれが驚くべきことなのか、ピンと来ていないのではないでしょうか。なので、順を追って説明します。

まず、列車というものは、平行に敷かれた2本一組の線路の上を走ります。って、そっから説き起こしていると日が暮れそうではありますが。この2本一組の線路を「軌道」と呼びます。線路2本で軌道一本です。

列車は軌道以外のところを勝手に走ることはできません。言い換えると、軌道が列車の走ることのできる道筋を規定しているとも言えます。一本の軌道の、どの地点においても、2本以上の列車が同時に存在することはできません。もし存在してたら、それは衝突事故ですな。

もし軌道が起点から終点まで単純な一本道だったとすると、その軌道上は、一本の列車がただひたすら往復するしかありません。いや、2本以上の列車をこの軌道に乗せることも可能は可能ですが、すれ違うことができないので、区間ごとに往復するとか、あたかも一列車のごとく、くっついて一緒に往復する、程度の動きしかできないことになります。これじゃ、不便極まりない。

実際には、軌道は分岐したり交差したりできるようになっています。軌道のこの分岐のことを「ポイント」と言います。起点から終点までの大部分が一本だけの軌道からなっていたとしても、途中駅の手前にポイントを設けて2本に分岐させ、列車の長さよりも長い区間、2本の軌道が走る状態が続くようにして、駅の先に再びポイントを設けて合流するような構造にしておけば、そこで2本の列車がすれ違うことができるようになります。

これで、起点から終点まで、複数の列車が往復できるようになります。このように、軌道の大部分は一本からなり、駅などで2本の列車がすれ違えるようにポイントで分岐・合流させる様な構造になっている路線を「単線」と呼びます。

単線の場合、駅と駅の間の区間ではすれ違うことができないので、列車の運行が制約を受けます。列車の運行スケジュールのことを「ダイヤグラム」、略して「ダイヤ」と呼びます。ダイヤが密になってくると、駅間ですれ違うことのできない単線では、苦しくなってきます。

起点から終点まで全区間、2本の軌道からなるようにして、それぞれの軌道を上り専用、下り専用、としておくと、どこでもすれ違えるようになります。この構造を「複線」と言います。複線の場合、日本ではどの鉄道会社も左側通行の原則を採用してるんじゃないかと思います。海外では右側通行の鉄道があります。フランスでは、RERは左側通行、メトロは右側通行でした。

ダイヤがさらに密になってくると、複線でも足りなくなり、複線を2つ並べて、4本の軌道を走らせることがあります。この構造を「複々線」と言います。例えば中央線の御茶ノ水─三鷹間は前々から複々線ですが、現在、三鷹以遠の複々線化工事が進められていますね。小田急線は、千代田線と合流する代々木上原以遠の複々線化工事が進行中です。

小田急線の新宿─代々木上原間は複線です。なので、話を複線に戻しましょう。複線の起点・終点の駅は、どのような構造になっているべきでしょうか。この辺からパズルっぽくなってきます。多数のポイントで軌道が分岐・合流・交差するようになってくると、全体の構成がだんだん複雑怪奇になってきます。軌道の構成を表現した図を「配線略図」と呼びます。

配線略図では、一本の軌道を一本の線で表します。線路は2本でも、線は一本です。また、実際の線路はカクッと折れ曲がっていては列車は走れないので、なめらかな曲線を描いていますが、配線略図では、曲線は通常用いず、区間ごとにカクカク折れた直線で書き表します。先ほど述べた、単線の路線が、駅ですれ違えるよう、そこだけ複線になっている構造は、配線略図で表すと図1のようになります。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR120907/FigDGCR120907.html#Fig01
>

起点・終点に限らず、路線の分岐点などで、軌道の配線をどのように設計すべきか、という問題は、なかなか面白いパズルです。配線略図を用いて、そのような問題を、非常にカチッと論じた本が出ています。井上孝司『配線略図で広がる鉄の世界―路線を読み解く&作る本』(秀和システム 2009/02)です。著者はかつてマイクロソフトのエンジニアだったようで、論理の明晰さに、読んでてスカッとします。

JR上野駅や小田急線新宿駅は上下2層構造になっているのですが、この構造によりすごいメリットが引き出せることを知り、目から鱗が落ちる思いでした。また、東京メトロ小竹向原駅周辺の配線略図が示されており、長らくの疑問が解けました。変な動きで電車が入線してくるなぁ、と前々から思っていたのですが、地下であるために車窓からでは配線が把握できずにいたのです。

この駅では、東京メトロ有楽町線と副都心線とが合流し、東武東上線和光市方面と西武池袋線練馬方面へと分岐します。しかも、全部の組合せで列車を通す必要があります。分岐・合流は地下での立体交差になっています。入線・発車の順番待ちのやりくりを柔軟につけられるよう、駅の池袋側では3本+3本になっていたのですね。これまた目から鱗でした。この本、非常に面白く、役に立ちます。実用の役にってわけではないですが、さまざまの疑問をすっきり解消してくれます。

さて、先ほど述べた、複線の路線の起点・終点の駅の配線をどのようにすべきか、という問題に戻ります。この問題は先ほどの本でも詳しく解説されています。まず、一番単純には、図2のように、2本の軌道を合流させて、一本の軌道だけからなる駅にするという手があります。都電荒川線の三ノ輪駅はこの構造です。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR120907/FigDGCR120907.html#Fig02
>

運転間隔が広ければこれでいいのですが、密になってくると、この構造では運行のボトルネックになってしまいます。終点の駅ではたいてい乗客全員が入れ替わるし、特急列車などでは座席の方向の反転や車内清掃の作業が入ったりすることもあります。なので、途中駅よりも停車時間が長くなります。

起点・終点の駅では、2本の軌道でもまだ足りず、3本以上の軌道が設けられていることが多いです。小田急線の新宿駅は上の階に3本、下の階に2本の合計5本が設けられています。起点・終点の配線の満たすべき要件は、駅に向かう軌道からからどの軌道にも到着することが可能で、なおかつ、どの軌道からも駅から遠ざかる軌道へ入ることが可能であることです。

ここで、パズルのような問題を3つ提示しましょう。答えの主旨は共通するのですが。第1問。複線の起点・終点の駅の配線のひとつの例として、図3のように、複線をいったん合流させて単線化し、それを2本なり3本なりそれ以上なりに分岐させる、というのがあります。確かに前述の要件は満たします。実際、西武新宿線の本川越駅はこの構造です。けど、この構造では不都合なことがあります。それは何でしょうか。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR120907/FigDGCR120907.html#Fig03
>

第2問。複線から3本に至る配線として典型的なのは、図4のような構造です。実際、小田急線新宿駅の上の階、西武新宿線の西武新宿駅、東武東上線の池袋駅などで採用されています。前述の要件を満たすためだけなら、この構造では冗長な線があります。撤去してたとしても要件を満たすのはどの箇所でしょう。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR120907/FigDGCR120907.html#Fig04
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第3問。第2問の冗長な線は、実は、あったほうが都合がいい理由があって存在しています。そうでなければ、わざわざ余計なコストをかけて設置する意味がありません。では、その理由とは何でしょうか。

答え、行きますよ。第1問。単線部分ですれ違えないので、一本の列車の到着と別の列車の出発が同時にできないという不都合が生じます。本川越駅は、手前で東武東上線をくぐるところで仕方なく単線になっているようです。
第2問。図5、図6に赤の破線で示す箇所です。
第3問。冗長箇所を撤去すると、到着と出発が同時にできない軌道の組合せが生じてしまいます。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR120907/FigDGCR120907.html#Fig05
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< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR120907/FigDGCR120907.html#Fig06
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これ、発着競合の問題といいます。起点・終点の満たすべき絶対条件ではありませんが、満たしたほうが望ましい条件として、できるだけ多くの組合せで到着と出発が同時にできるようにしたい、ということがあります。

たとえば、複線から5本の軌道に分岐する場合を考えましょう。到着番線と出発番線の組は5×5=25通りあります。けど、1番線に到着しながら、同時に1番線から出発する、ということはありえないので、5通りは除去されます。5×5-5=20通りです。平面構造の場合、そのうち半分はどうしたって交差するので、同時発着は無理です。なので、同時発着可能な組合せは、一番多くても(5×5-5)÷2=10通りです。

この10通りの同時発着がちゃんと可能になるように配線を考えよ、と言われると、これもまたちょっとしたパズルになりますけど。図7はその解答例です。2番線に到着する経路は4通りもあります。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/FigDGCR120907/FigDGCR120907.html#Fig07
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小田急線の新宿駅は、上の階が3軌道、下の階が2軌道の合計5軌道になっています。この構造では、同時発着の組は、16通りに増えます。上手い工夫と言えましょう。

先ほど図4で示した、複線から3軌道に至る配線図ですが、冗長箇所があるため、2番線に到着する経路が2通りあり、2番線から出発する経路も2通りあります。どちらを通るのが正解でしょうか。複線が左側通行の場合、左回りが正解です。つまり、経路が2通りある場合は、分岐点で左を選ぶのが正解、ということです。この法則は4軌道以上に至る場合でも、常に適用可能です。

ところが! です。小田急線のある列車が上の階の真ん中の線に到着する際、右回りの経路で進入していったのです! どうです? ありえないでしょう?これで、やっと当初の問題にたどり着いたわけですが、今度はびっくりしていただけましたでしょうか?

左回りの線路も、さびずにピカピカ光っています。ということは、2番線に到着する際、左回りで進入することも、右回りで進入することもある、というわけです。なぜだ? なぜなんだ? この問題は、自力でいくら考えても、答えに到達することはできませんでした。

会社の同僚に、濃ゆ〜い鉄ヲタのK島氏がいます。よく一緒に昼飯を食べています。運命の同僚です。私は2月に人事異動を食らって勤務地が埼玉から東京に移っているのですが、彼も同時に異動になりました。なので、今も一緒に昼飯を食べています。

自力ではお手上げのこの問題を彼に問うてみたところ、30秒ほど考えたあと、答えを出してきました。どこかに書いてあったというわけではなく、自力で考えて、です。「交差する軌道から、次の列車を早く出発させられるんじゃない?」。それだ! それが正解かどうか、確認はできないけど、それを聞くと、それ以外ないように思えてきます。きっと正解です。

一本の列車が到着する経路と別の列車が出発する経路とが交差する場合、重複箇所を同時に走るのは無理だけど、一方の到着から他方の出発までの時間をなるべく短くしたい。その場合、双方右回りが正解なのです。つまり、駅に近い側で、右側通行ですれ違うことが可能なので、その部分だけなら同時発着が可能、というわけです。同じく交差する場合であっても、出発が先で到着が後の場合は双方左回りが正解となります。

私は、こういうのに深く感動しちゃうほうなんですが、しませんか?

●変なとこを走るのが大好き

変なとこったって、線路の上以外、走れるわけじゃないんですが。普段は貨物列車しか走らないとこを、たま〜に旅客列車が走るとか。ある路線から別の路線へ乗り入れる際に、めったに走らないとこを走るとか。早朝と深夜だけ走るとことか。

この話題についても、語りだすと長くなります。何しろ、中学生のころからそういうのが大好きで、変なとこを走るやつにわざわざ乗りに行ったりしてましたから。「短絡線マニア」なんて呼称があるようです。

立川と西立川の間なんて、人んちの庭先を走ってたりして、まるで夢をみてるみたいで、不思議な非現実感覚が味わえます。最近はロングレールが普及しちゃってるんで、車輪が線路のつなぎ目を通過することによって生じるリズミカルな音がめったに聞けなくなってますけど、埼京線から武蔵野線、武蔵野線から中央線へと移る線路では、この音が聞けます。貨物列車用の線路なんで、旅客列車はめったに通りません。

......なんて話も、語りだすと長くなりそうですが、紙面が尽きてきたので、また今度にしましょう。

【GrowHair】[email protected]
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

西武線の「One ダブル」という定期券の意味、よく分からんです。今まで、西武新宿線の西武新宿駅までの定期券と、JR高田馬場駅からの定期券と、2枚を別々に買っていました。高田馬場から西武新宿までと新宿までは2路線が並行して走っているので、重複しています。

往きは乗り換えの便利な高田馬場駅で乗り換え、帰りは西武新宿駅から始発で座って帰るというメリットがあります。これが一枚の定期券になったのが「One ダブル」。それはいいんですが、なんと、値段が一緒なのです。重複区間はそれぞれに乗る頻度が半分になるので、その分ぐらいは安くなってるものと思ってたのに。

しかも、Suica のはないので、Pasmo を新たに作らなきゃならないと。カードが重複するんですけど。というわけで、作っちゃってから、これ、何の意味があったんだ、と悩み中。どなたかこのパズル解いてください。

東北新幹線の「グランクラス」に乗ってみました。E5系車両に設けられたクラスで、グリーン車よりもさらに上位、「新幹線初のファーストクラス」と謳われています。E5系車両1編成のうち新青森寄り先頭車両1両がこのクラス専用で、1人掛け+2人掛けの3席が6列並び、定員はわずか18人です。

確かに、飛行機の国際線だとエコノミークラス、ビジネスクラス(エグゼクティブクラス)、ファーストクラスの3クラスあります。それにならって、というわけなのでしょうけど、まあ、しょせん値段が2桁違うってことは押さえておかないと、比べるのは酷というものでしょう。

例えばJALの成田─サンフランシスコ往復ですと、エコノミークラスが10万円以下なのに対して、ビジネスクラスの定価が約80万円、ファーストクラスの定価が約180万円です。それに対して、東北新幹線の場合、グリーン料金は600kmまでで4,000円、グランクラス料金は9,000円です。

さる消息筋によると、JALのファーストクラスに乗ると、まずアテンダントが一人一人座席まであいさつに来るそうです。そのときに名前を呼んでくれるそうです。前のシートとの間隔は、エコノミークラスで窓1.5個分なのに対し、ビジネスクラスで3個分、ファーストクラスで5個分です。シートをほぼまっ平らまで倒しても、まだ足先の前に人ひとりが余裕で通れるほどの空間が空いています。

お酒のメニューと食事のメニューが別冊になっています。食事はいつ頼んでもよく、フルコースのメインディッシュである和牛ステーキは、二枚重ねの瀬戸物の皿に乗り、ジュージュー言ってる状態で出されます。お酒のメニューはソムリエの名前と顔写真が印刷されています。ワインは年代物があるし、日本酒は皇室御用達のがあります。そこで出されている真澄の「夢殿」はほんっとに美味いです。

飲み放題なので、この際いろいろ飲んでみよう、とばかりに、グラス一杯飲んでは別の銘柄に変えてみる、なんてことをしているうちに、着いたころには酩酊状態となっているものです。洗面道具セットがもらえるのと、メニューの冊子ぐらいは記念に持って帰ってもいいですけど、それ以外、後に残るものは何もありません。エコノミーに乗ることをもって170万円節約できたってことにして、その分、別なことに使ったほうが、ってなことを考えちゃうのは庶民の感覚ってもんなんでしょう。

さて、列車のグランクラスのほうは、というと、前後の間隔はビジネスクラス程度です。なのに、シートの位置に合わせて窓が一個だけ。しかも小さい。昔の東海道新幹線はもっと窓が大きかったような......。まあ、トンネル内ですれ違うと、二枚重ねの外側のによくヒビが入ったけど。なんとかなりませんかね?

シートは豪華ですが、45度までしか倒れません。まあ、水平になって寝る必要もないですが。グランクラスの勝ちだと思ったのは、アテンダントが若いこと。20代後半ぐらいに見えました。飛行機の場合、どうしてもベテランを起用しないとならないのか、けっこうな年の人ばかりです。

小さいころから英才教育を施して、16ぐらいからファーストクラスのアテンダントの職務に就く、なんてのはどうでしょ? 制服は、セーラー服で、とか。そこまでやってくれたら、まあ、たまには乗ってやらないこともないかな、と。あー言ってみただけです、すいません。

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編集後記(09/07)

●政治家は顔で選ぶものだ、と前々から思っていた。顔ではないだろう、政策で選ぶべきだというのが一般論なのだが、民主党の3年間を見ればバカでも分かる通り、政策なんか大衆受けのことしか言わないから、そんなものを信じるのは大間違いである。政治家は顔がすべてである。顔を見ればほぼ人格が判断できる。マンガに登場する悪人はちゃんと悪そうな顔をしている。じつにわかりやすい。でもこれが人間社会の真実だ。

「新潮45」8月号の特集「この絶望的な政治家たち」がおもしろかった。なかでも、作家・哲学者の適菜収の「政治家は政策より人格である」の切れ味のよさは抜群。この人の言う「卑劣な人間は卑劣な顔をしているし、悪人は悪人顔をしているし、山岡賢次は詐欺師のような顔をしている」にはまったく同感だ。原口一博のクレヨンで描いたような顔が信用できるわけない、というのには大笑い。「小渕恵三や梶山静六や佐藤孝行も政治家の顔を残していた。それに較べて、輿石東から仙谷由人、菅直人にいたるまで民主党にいるのは横縞の囚人服が似合うような人々です」本当にそうだ。他の面々も。

さて、自民党の総裁選だが、選ばれた人が次の次総理大臣になる可能性が高い。でも、石原伸晃は顔で選んだら最下位だな。ひときわ貧相で貫禄がなく、小心そうで、抜け目がなさそうで、それでいて口が軽そうで、とうてい一国のトップに立つ人物ではない。民主党の方は、イケメンだから選挙の顔になるという"だけ"で推された男が本当に出て勝ったらお笑いだ。政治家としての顔は泥鰌の勝ちである。大阪のあの人は、お子様顔なのでよくわからない。思惑があって寄って来る連中には、知事崩れ、市長崩れなどいるが極めて悪相、政治家は顔で選ぶんだから、当然ダメ。あ、細野君、出ないって。それでいいのだ。と思ったら、今度はクレヨンが出るとか。笑える。(柴田)

●谷垣さんの顔は好きだ。でも外交に必要な狡猾さはなさそうな顔なんだよなぁ。安倍さんの顔も好きだけど、この人もそうなんだよなぁ。岡田さんの顔は好きだったが、政権とってから悪い顔になったような気がする。好きな顔で選んだら、誇れる国にはなるものの、狡猾な他国にいいようにされる、または対立しそうな気がするんだよなぁ。

消防点検のお兄さんはとても感じの良い人だった。管理システムの暗証番号を入力するように言われたが、すっかり忘れてしまっていた。最初の頃は毎回作動させていたのだが、作動後に、ドア横の傘を取るため、ドアを開けてすぐに閉めたら、警報が鳴り、管理人さんがわざわざドアの前まで来てくれるわ、警備会社から電話かかってきたりやらで、大変であった。作動させてから2分以内に施錠する必要があって(なのに装置はリビングにある)、ゆっくりスニーカーの紐を結べなかったりもした。スーパーで買い物をして帰宅し、スニーカーを脱ぎ捨て、重い買い物袋を両手で持ってリビングに向かい(時には床に置き捨て)、暗証番号を入れて解除するのもせわしかった。

隣に住む奥様は作動させず、どころか窓全開で外出しているとのこと。そうか、そんなもんなんだ。と、真似をしはじめたため、暗証番号のことなんてすっかり忘れてしまっていた。気になることは聞いておこう。「火災確認」と書かれたボタンは何の時に使うんでしたっけ?「火災が発生した時に、画面に『火災』と出ます。このボタンで警備会社や管理人に通報できます。ただ、緊急事態ではスプリンクラーが作動し、この水の勢いは半端じゃなく、くぐり抜けてボタンを押すことはできないと思いますので、気にしなくていいですよ。作動した時点で警備会社や管理人に連絡は行きます。『非常』ボタンは、侵入者がいた時などに使います。」
めんどくさい消防点検だけど、こういうことを思い出す機会にはいいね。(hammer.mule)
< http://www2.panasonic.biz/es/densetsu/ha/mansion_ha/smartmonion/support/1m_kyodo_oyaki01/e/E02-1_1M.wmv
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火災確認ボタンの使い方。2分以内に通報したい場合に使う
< http://www2.panasonic.biz/es/densetsu/ha/mansion_ha/index.html
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マンションインターホン