[2673] ゴールはスタートでしかない

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<初めて応援しますが、頑張れ、文化庁。>

■映画と夜と音楽と…[425]
 ゴールはスタートでしかない
 十河 進

■ところのほんとのところ[20]
 One second book(1秒の本)
 所 幸則

■デジクリトーク
 私は、「アニメの殿堂」に行きたい
 三井英樹


■映画と夜と音楽と…[425]
ゴールはスタートでしかない

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20090710140300.html
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●世の中でのしあがっていくために東大をめざすのか

男は貧しい家に生まれた。だが、学校では優秀な成績を通し、世の中でのしあがっていくために東大医学部をめざす。そして、彼は見事に東大医学部に合格する。だが、親からの仕送りなんてものはない。しかし、東大医学部の学生というだけで、家庭教師の口はいくらでもあった。男は、その謝礼だけで学費も生活費もまかなって東大を卒業する。

彼が家庭教師をやった生徒はみんな金持ちの子弟で、親は子供のためならいくらでも金を出した。東大合格者の親の年収は高い。それは、新聞などでも報道されているが、高収入=高学歴なのである。高収入の親は子供の教育費を惜しまず、金持ちの家に生まれた子どもたちは、生まれたときから恵まれている。貧乏人の子は、最初からハンデを負っているのである。

ある時、男は気付く。金持ちの子どもたちの家庭教師をして東大に送り込むということは、貧しい子どもたちのチャンスを潰しているのではないかと…。自分が高額な報酬を得て受験の技術を教えている金持ちの息子が東大に入ることによって、もっと厳しい環境で努力しながら東大をめざしている貧しい少年少女たちの夢をつぶしているのではないか。

だから、男は小汚い木造アパートの一室で仲間たちと塾を始めた。そこで彼が教えたのは、私立高校になんかとてもいけないけれど優秀な少年であり、貧しい家に育った少女だった。男は社会に対して異議申し立てをしたかったのだ。金持ちで恵まれた環境に育った子どもたちばかりが、東大という日本のエスタブリッシュメントの予備軍に入り、やがて日本のエリートとして育っていくことを…。

塾を始めて二年。男の塾から四人の子どもたちが東大に合格する。マスコミがそれをとりあげ、男は注目される。大手の進学塾が男をスカウトにくる。男は天狗になり、その後の十年間を「受験の神様」と呼ばれながら生きてきた。その十年で「宇宙旅行ができるくらい金を稼いだ」のだ。年収の多さが彼の生きてきた証しだった。

だが、男は治療不能のガンにかかった。「いくら金がかかってもいい。直してくれ」と、彼は東大医学部の優秀だった同級生のガン専門医師の前に札束を積み上げる。だが、肺に転移しているガンは「一年半後には死ぬ」ことが確実だった。医者は「安らかに死ぬ準備を…」と緩和ケアをすすめる。

東大合格率九割を誇る進学塾は高い授業料を取るにもかかわらず、入学者は増え続けている。男は、そんな塾の在り方に今さらながら違和感を感じ、かつて志を抱いてスタートした木造アパートの部屋を訪れる。彼は初心を甦らせたのだ。彼は感傷に浸る。高級車の中には一千万円の札束が手提げ袋に無造作に入っている。だが、自分の命は一年半で終わってしまう。俺の人生は何だったんだ、と彼は思った。

木造アパートを出て高級車を運転しているとき、突然、少女が車の前に飛び出してくる。慌ててブレーキを踏むが車は少女と接触し、少女が倒れる。男は飛び出し少女を抱き上げる。それは、数日前、彼がコンビニで一万円札をレジに投げ「釣りはいらん」と言ったのに、車まで釣りを持って追いかけてきたうえ「小父さんの方が貧しいよ。あんなお札の投げ方して、いつか罰が当たるよ」と言った少女だった。

少女に何があったのか? 立ち上がった少女は「あたし、当たり屋なの。お金ちょうだい」と言う。男は紙袋に入れていた札束を与える。「ホントに持ってるんだね」と少女は言い、涙を流す。その涙を見た男は、少女の悲しみに共触れしたに違いない。

●夢の実現に向かって走る若者と自分の人生に賭ける中年男

「受験のシンデレラ」(2007年)という映画を見て、僕は豊原功補という俳優に改めて好感を持った。元々、好きな役者だったけれど、こんなにうまい人だとは思わなかった。ぶっきらぼうだが優しい男…。つまり、ハードボイルドな役である。「受験の神様」と呼ばれ、年収1億を稼ぐ男だ。人を人とも思っていなかった。しかし、自分の死を宣告され、彼は本来持っていた優しさを甦らせる。

彼が進学塾を始めたのは、金持ちの恵まれた子弟ばかりが東大に合格することへの異議申し立てだった。自分のように貧しい人間でも東大に入れることを証明したかったのだ。彼は損得抜きで子どもたちを鍛え、東大に合格させる。だが、いつの間にか初心を忘れ、金儲けだけを考えるようになってしまった。今、余命を認識したとき、彼は最後にもう一度、初心に戻ろうとした。彼は貧しい少女に言う。

──おまえはせっかく消費税で一円浮かせる計数感覚をもってるのに、よりよく生きる方法を知らない。人生は変えられるんだ。おまえにその方法を教えてやる。東大、いかないか。東京大学だ。当たり屋やってるよりましだと思うぜ。もう一度言ってやる。人生は変えられる。途は自分で拓いていけるんだ。気付くのに遅すぎるってことはない。

少女は、流行らない洋品店を開いてはいるが遊び歩いてばかりいる母親と暮らしている。妻に愛想を尽かし二年前に家を出た父親には、新しい若い妊娠した妻がいる。少女はどこにも救いを求められない。高校は一ヶ月だけ通って中退した。しかし、コンビニで買い物して一円足りなかったとき、一品ずつ支払いをして消費税を一円少なくするような知恵は持っている。

少女は「十万円貯まったら結婚してやる」と言ったボーイフレンドの言葉を信じ、町工場で働いて金を貯めている。十万円貯まったとき、そのボーイフレンドに会いにいくが「おまえが貧乏だから貯まらないと思って言ったんだ。だいたい、そんなダサイ恰好の女、連れて歩けるかよ」と言われ、深く傷つく。だから、男の申し出に応える。彼女は、何かを為さない限り自分の人生を立て直せない。

ふたりの挑戦が始まる。まるで丹下段平と矢吹丈みたいだ。いや、パート・ヤングが演じたトレーナーとロッキーのようでもある。赤ひげと保本登とも言えるだろう。導く者と導かれ努力する者。夢を与えられ、その実現に向かって一心に走り続ける若者。その若者に自分の人生の何かを賭ける中年男。互いに補完し合う関係が成立する。

僕は、何かに向かって努力する人間、夢を諦めない人間、走り続ける人間が好きだ。ストレートに好きだ。理屈抜きに好きだ。もちろん困難はある。辞めたくなるときもある。こんなこといくらやっても無駄だ、と思うこともある。おまけに、少女には「あんたには無理よ。東大は金持ちじゃなきゃ合格しないのよ」と、悪魔のように耳元で囁き続ける母親がいる。そんな中でモチベーションを維持し続けることの困難さが、僕に涙させる。

●「受験の神様」は東大そのものに価値を見出していない

少女の学力は小学生並みだった。数学ではなく、小学四年生並みの算数のレベルである。分数計算さえできない。しかし、知識はないが、クレバーだ。理解力は持っている。男は苛立つこともなく、図解して分数計算を教える。そのわかりやすさ。最近では大学生でさえ分数計算ができないという。この映画を見ろ、と僕は思った。

監督は受験指導のエキスパートとしても有名らしい精神科医の和田秀樹という人である。まさか、そんな人が監督しているとは知らずに見たが、デビュー作とは思えないほどの出来だった。よほど映画が好きなのではないか。受験に対してのテクニックや考え方はまさにプロで、そのくせ現在の受験体制について批判的な視点をなくしていない。

そう言えば、僕が大学受験をする頃には「受験地獄」という言葉が生まれていた。人数の多い団塊世代が高校生の頃に高石友也の「受験生ブルース」がヒットし、受験勉強のきびしさが喧伝された。その頃にマスコミが使い始めた言葉だ。まだ学歴社会が信じられていた。その世界では将来の安定を求めると、いい大学に入らなければならなかったのだ。

だが、今、「いい大学、いい会社」というラインが成立するのだろうか。そんなものが幻想だったことは、とっくに知れ渡っている。しかし、未だに東大の文I(法学部)を出て国家公務員(キャリア官僚)になるルートはしっかりと残っている。最近流行の警察小説を読むと、組織内の敵役としてそんな連中がいっぱい出てくる。

そうでなくても、弁護士、医者といった社会的エリートは、東大出身者が多いのは事実らしい。しかし、僕の少ない経験の中での判断だが、裁判官、弁護士、官僚、政治家、医学部の教授など、どの人もまるで世間知らずのワガママな子供のようだった。少なくとも、この人は人間的に尊敬できるという人には会えなかった。

ある全国紙の新聞記者は、僕と話をしている間中ベルトのバックルをしきりに触った。僕は何もわからなかったのだが、一緒にいた人に後で「あのバックル、気付いて欲しかったんですよ。イチョウのバックルだったでしょ。東大卒業を見せびらかしていたんです」と言われた。そんなことはまったく知らなかったが、イギリスでは出身大学をあらわすレジメンタルタイがある。それと同じようなものか。

豊原功補が演じた東大医学部出身の「受験の神様」は、東大そのものには何の価値も見出していないように見える。東大に入れば人生を変えられるとは思っていないのだ。それは、キッカケにしかすぎない。高校に一ヶ月しかいかずに中退した少女が東大に入ることで、何かをめざして努力することを彼は教えたかったに違いない。

だから、少女が彼の病床に報告にきたとき、彼は「合格がゴールではない。ゴールはスタートでしかない」というメッセージを彼女に遺す。東大に入れたという自信が、彼女を大きくさせる。そこから、さらに彼女は自分の人生を選択し拓いていかなればならない。東大を出たからといって、ろくでなしはろくでなしだ。嫌な奴は嫌な奴だ。成績はいいかもしれないが、バカはバカだ。

──おまえと出逢って思い出した。
  諦める人生なんて誰にもありはしないって誓ったことを…

男は、貧しい少女にそう告白する。ハードボイルドなスタイルを貫こうとしていた男のストレートな心情吐露だ。熱い、優しい心を持った男の真実の気持ちが伝わってくる。金のためではなく、自分の生きてきた証として、誰かのために懸命に生きた最期の二年間が、男にとっては死を忘れるための充実した時間になった。

少女を演じた寺島咲がいい。今どき珍しく、純朴な貧しい少女そのままのたたずまいだった。素直で、心優しく、傷つきやすい少女…。そんなイメージを体現している。得難い若手女優だ。「理由」(2004年)や「転校生 さよならあなた」(2007年)など大林宣彦監督作品は見ているが、彼女が出ているのには気付かなかった。何だか、申し訳ない。

【そごう・すすむ】[email protected]
賞金1000万の江戸川乱歩賞の選考結果が「小説現代7月号」に載っている。僕は二度目の挑戦で、また二次選考どまりだった。21編の中に残ったと喜ぶべきか、最終選考の5編に入れなかったと嘆くべきか。大沢在昌さんは今回で選考委員を降りた。結局、二度とも読んではもらえなかったなあ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■ところのほんとのところ[20]
One second book(1秒の本)

所 幸則
< https://bn.dgcr.com/archives/20090710140200.html
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去年の9月28日(日)から10月4日(土)まで、ギャラリーコンシール渋谷で開催した個展「渋谷1sec(瞬間と永遠)」。これを機に、[ところ]は新しい「第二期所幸則」として生きていくことにした。

第一期所幸則は、2006年「CHIAROSCURO 天使に至る系譜」(美術出版社)で20年の終止符をうったつもりだ。ここには[ところ]の20年以上の作品と、考え方、アイデアの出し方、手法までほとんどがつまってるのだから。この本の出版は、所幸則を一度リセットしたかったからだったんだと思う。

実際は2000年ぐらいから考えてたのだが、なかなか新しい方向性が定まらない。[ところ]がこれだと思ったのは、2008年に「One second」という概念を思いついたときだろう。それに、モノクロとランドスケープ、これらがそろって初めて「第一期所幸則」にリセットをかけられたと思っている。

作品集の出し方についても、いままでのように出版社からの依頼で出すというやり方以外にしたいと思った。[ところ]と、デザイナーと、印刷屋さんと、ファンの力で出すというやり方だ。本を出す資金のために特別に作ったサイズのオリジナルプリントを買っていただいて、そのお金で本を作る。60ページもある本ではなく、個展会場にある20ページぐらいのカタログのようなイメージ。その代わり高級感があり、かっこいい。そういう本にするつもりです。

第1号は、去年9月〜10月の個展「渋谷1sec(瞬間と永遠)」で出したもの全てを掲載ということにした。この個展が記念碑のようなものであったから、[ところ]としては一区切りつけたかった。

第2号は、その最初の個展が終ってパリに行った後から撮り始めた、初夏までのシリーズにするつもり。僕のなかでの変化がわかっておもしろい。1号の売り上げで2号を出すことにしている。

[ところ]はこれから2年間、イベントや個展続きなのでその場で売るほか、今決まってるのは川崎のマニアックなセレクトブックショップPROGETTO(TEL.044-211-4616)です。予約もしちゃってもいいですよ。あと2〜3店舗に直接頼みにいきます。新宿とか恵比寿、心斎橋あたり。1,500円〜1,750円(予価)で600〜700部くらい。

さて、重要なのはデザイナーの選定だが、最初から頭にあったのが、コシノヒロコデザインオフィスにいる上田康文君だ。聞いてみると快く「今、一番好きな写真家だから」とOKしてくれた。印刷屋さんとも仲良しなのと、彼が作ったコシノヒロココンセプトブックを小さくしたものが[ところ]のイメージだったので、なんとも理想的なことになってきた。

もう一つ大事なのがファンの力。これも十分気をつけて、良く知っているファンにだけ事前予約を募集した。想像していたよりバッと集まったけれど、デザインが凝ってるせいか印刷の見積もりが思ったより高く、もう一度追加募集してなんとかなりそうだけど、結構大変。新しいことをするってむずかしいなあ、と実感する[ところ]であった。

そして、もっとも大事なことは、[ところ]の「One second」の考え方がちゃんと伝わるかどうかだ。本の頭に[ところ]式「One secondを見るための回路」が自然にできるような文章が必要だ。今回はインタヴューで[ところ]の「One second」の考え方を誘導してもらうかたちにした。インタヴュアーは大学時代の同級生シンモト君。僕の口から出た自然な言葉でまとめてもらう。

先日、デザイナーの上田君が手作りのほぼ完成形の本を持って来てくれた。なかなかいい感じです。もちろん細かな修正点はあるんだけど。2006年の「CHIAROSCURO 天使に至る系譜」(アマゾンで買えます)と、2009年「One second 01」の両方を見て、[ところ]の頭がどうなってるのかをぜひ分析してみてください(笑)。

さて、久しぶりにスポーツグラフィックマガジン「Number」で、表紙とメインの特集をやった。もちろん、One secondでやらせてもらった。

ずっとポートレートを撮っていなかったせいもあって、かなり緊張したが、相手は4年程前に名古屋グランパスで撮ったこともあった本田圭祐君だったので、とても楽しく撮影できた。たまにはポートレートもいいものだと思ったよ。

とりわけ特集の中で、ミッドフィルダーの動きをOne secondで撮ったのと、顔のアップを初めてOne secondで撮ったものは、[ところ]にとってかなりの収穫になったかもしれない。7月2日号だからまだ書店にあると思います。見て下さいね。このところ、体力的にとても大変な[ところ]でした。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則
< http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト
< http://tokoroyukinori.com/
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■デジクリトーク
私は、「アニメの殿堂」に行きたい

三井英樹〈mitmixより転載〉
< https://bn.dgcr.com/archives/20090710140100.html
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私は大筋賛成です、国立メディア芸術総合センター。

国がマンガのために何ができるのか。それは未来を継ぐ人材を生む場所、あるいは触発を受ける場所を提供することだと思う。その場所とは、学校とかじゃない。一人静まりてマンガと向き合える場所です。博物館、理想的じゃないですか。ロダンだって、ゴッホだって、モネだって、雑踏の中ではない、非日常の中で正視してきた。マンガを伝えるべき文化とするなら、それぐらいの場所がなくては駄目でしょう、逆に。

額縁付きの原画をめでるのを云々とか言っているけど、手塚さんの原画をガラス越しに見つめ続けたよ、実際に。当たり前じゃない、輪転機では汲み取れない情熱がそこにあるんだもの。感動した。鳥肌が立った。何十年も経ったけど、忘れない。私はそっちの道には進まなかったけれど、それが未来の「手塚」を生むんです。赤字経営したって、たった一人の新しい手塚を生み出せれば、100億なんて全然OKだ。私の税負担は100円以下、毎年払ってもいいよ。そして、ゆとりがあるからやるべきことでもない。いまやらんと困る状態が見えているのも事実。絵が下手な漫画家や、売れ筋しか追えない編集者、そんな使命感失くした人間ばかりになる前に取り掛かるべき文化大事業。

私はマンガから希望をもらって生きてきた。今後それが腐っていくのは耐え切れない。現場関係者自身が、襟を正す場所としても必要。噴出している編集者vs漫画家闘争も、お前らマンガ好きでねぇの? とその場所で一喝できる場所があったほうがいい。ガラス越しでも、手塚さんの原画の前で、そのドロドロやってみろと言いたい。見てて恥ずかしい。読む側のことを考えないで、エンターテインメントなんてありえない(基本的に描き手を応援するけれど、知りたくない話が多い、文化の担い手である自分達だけで解決すべき話が)。

個人への投資話は、夢はある。でも現実的じゃない。自称漫画家に配るのか、誰が「困っていたり苦労している有望な漫画家」を認定するのか。そっちの方がアマクダリーズの思う壺で、無駄金になってしまう。下手すれば、ふんぞり返っている大御所にしか金が回らない事態に陥る。それなら、ハコモノ作って、製作現場と称して寝所を提供した方が若手支援になるだろう。2年で独立してくださいとか、ね。アニメの殿堂:公営アパート付き。国営トキワ壮。目指し易い形じゃない?、それって。

それに国が選ぶbets100とかもやれば良い。好き勝手にマンガ喫茶で非推奨マンガがはびこるから、モラルが低下する。国として、人としてどーなのというマンガが、マンガの代表のごとく語られるのは、俺の勝手でしょとか言わせているからだ。排他すべきだとは言わない。でも「正史」を作った上で、「裏史」を作ればいいじゃない。マガジンとかが何周年記念とかで漫画史をやるけど、あれの拡大版がでかい壁面一杯にあっていいじゃないか。アトムやジョーやガンダムの大壁画の前で記念撮影、それだけで夢がある。個人的にはディズニーランドで並んでるより、よっぽど文化貢献だと思う。あの頃の俺には夢があったとか、お父さんがオジサン講釈を始めてもいいじゃない。絶対に文化貢献できる場所だ。

「国営ネットカフェ」とか、そもそも文化卑下している議員さんとか、実際に行った事あるのかなぁ、ネットカフェに。小説だって貧乏学生がボロボロな古本を読み漁っている部分もあって、文化になりえているじゃない。マンガだって、貧乏学生が、ボロボロになるまで読み漁ってここまできているし、これからもそういう部分は消えないだろう。東大卒で大邸宅で育った方が、次世代を惹き付ける偉人になると思っているのかな。んな訳ないじゃない。多少は貧乏でギラギラしてメラメラしてイライラして、トキメイている人が突き抜けて行くものでしょう。手塚さんが生まれて80年。日本にたった一箇所、そんな場所があって、何が困るのか。

多分はっきりと言える事は、今卑下しながら反対している議員さんの名前も思い出せなくなった頃、新「手塚」は生まれるんだろうということ。そんな先まで考えて噛み付いているんだろうか、あの方々は。10年20年先の種蒔きとして、他にもっと優先すべき事があるんだろうか。一歩譲って、次善の策としてでも良い、こうしたマンガ文化維持事業は必要だろう。

マンガの本質は、手塚さんが言っているように、「風刺」。時代を見据えていないと分かるはずのない領域。そこに、希望とメッセージを込めて、エンターテインメントとして成立させる必要がある。そして視点の根底は、「草の根」、「庶民」。学者とか政治家とか、お高くとまっている方々じゃない。ふつーの人の目線。それはかなり高度な文化資産。そうした目を育てる場所、そしてそれを「メディア」として捉えて育てていくこと、それを国がやるって、かなり素敵だ。

国立メディア芸術総合センター、できたら絶対に行きます。アトムやガンバやネロとパトラッシュ達にも会うために。あの頃の想いを思い出すためにも。伝えるべきものや、自分の足場を考えるためにも。初めて応援しますが、頑張れ、文化庁。

募集:
・文化庁│メディア芸術の国際的な拠点の整備について(「国立メディア芸術総合センター(仮称)」構想について)│国立メディア芸術総合センター(仮称)についてアイディアを募集
< http://www.bunka.go.jp/oshirase_other/2009/mediageijutsu_iken_boshu.html
>
参考:
・“アニメの殿堂”は「無駄」なのか 保存収集の拠点、賛否両論(ITmedia)
< http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/10/news060.html
>
・「アニメの殿堂」ほど正しい予算の使い方はない(NIKKEI NET IT-PLUS)
< http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT12000008062009
>
・宝塚市立手塚治虫記念館
< http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/tezuka/
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【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
お前誰? と言われるほどご無沙汰してます。昔書いてた三井です。縁あって、掲載していただきました。毎週書いていた頃、随分と鍛えられたなと感じるこの頃です。その緊張感が懐かしくて、かすかにつながってました。これから時々出没するかもしれません、そのときはよろしくお願いします。
・mitmix< http://www.mitmix.net/
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■編集後記(7/10)

・三井英樹さんには、2002年から2006年までWebサイト構築の現場を熱く語っていただいた。またデジクリに帰って来て欲しいな。/今朝のNHKで日本のアニメの現場の疲弊がレポートされていた。こういうところにこそ、金をつっこむべきだ(介護の現場も)。文化大事業にわたしも賛成だ。/先日、高層階に住む娘から電話で「虫がいるの〜、来て〜」ってんで駆けつけた。なんだ、弱った小さな蛾だった。高いところだから、ハエも蚊も来ないはずだが、風に飛ばされて迷い込んだのだろう。同じマンションに住んでいると、かように便利に使われる(そのほか諸々)。わが家は犬がいるので庭付きの一階だから、けっこう虫の来襲はある。妻は大の虫嫌いで、床掃除していてなにか発見すると処理班のわたしを呼ぶ。今までつかまえたのは、コガネムシ科の小さなやつ、コメツキムシ、蜂、蜘蛛、蛾などである。なにかの幼虫もいた。こいつは実家で切ってもらった草花についてきたものらしい。畳の上をのそのそ這っていて気色悪い。これらは殺さないで庭に放してやる。だが、ハエが飛び込んできたときに限って、ものすごく攻撃的になる妻である。噴射力が強い方か、長持ちする方か知らないが、スプレーを手に追いつめて追いつめて、そうとう野蛮な言葉を発しながら必ず抹殺する。ハエを室内に入れないように、網戸には虫コナーズが噴射され、さらにムシストッパーをセット、ほかにもスプレーがいくつかある。一番の敵はゴキブリである。さいわい、室内にこいつの姿はない。しかし、外の通路で屍骸を見たことがあるので、いまも厳戒態勢にある。それでも、地面に接して自然が身近な一階住まいは快適だ。(柴田)

・ところさんの本、ゲットしなければっ。/三井さん、久々の登場! 復活を望む声がいまだに届く方です〜!/いつだったか、ローカルテレビのワイドショーで「(大阪)上本町に新しいスタジオができました」と紹介されていた。遠目に、黒の上下を着た先生が生徒と混じってダンス。セクシーかつキレの良いダンスで、こりゃ凄い、こんな先生のスタジオが大阪(それも上本町)に!と驚いた(余談だが、ビリー隊長のスタジオは心斎橋にできるらしい)。で、「先生は実は……」と紹介された人物を、よくよく見ると大澄賢也。こんなに凄いダンスをする人だったとは。(hammer.mule)
< http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/200903/05/ente218135.html
>
上本町で開講
< http://www.bms-gina.jp/
>  ジーナ
< http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090505-490719.html
>
シカゴ来日公演
< http://eplus.jp/sys/web/s/chicago/index.html
>
大阪はないのか?
< http://www.skystage.net/Prgm/Detail/3824.html
>  驚〜ィ賢です!