皆さんの中にも、 「いつの日か、悟りたい。悟れたらいいな。」と 思っていらっしゃる方はいることでしょう。。 自分なんかには到底無理かな?と思っていて 最初から諦めて苦しんで居るだけの人生なら それはちょっと勿体ない話かもしれません。 何故なら、 僕みたいに、幼少期に虐待されて 病んで人間不信になったこのような人間にも 悟りの光のようなものが 垣間見れたこともあったからです。 自分は、それまで欲深い人間でもありました。 自分さえ良ければいいやと言うようなところも 以前はありました。 とてもじゃないけれど誇れるような人間では無かったです。 妻とも別れているし。。 ただ、そんな自分も一度だけでしたが…
瞑想の日々を送っていると <自分>という自我は本当に錯覚なのかもしれないと 思えるような事象が増えてくる。 人間は、 <眼> <耳> <鼻> <舌> <身> 体全体 <意> 心 が備わっていますが、、 自我が在る(有る)ように感じるのは、 <生物学的な本能で五蘊に執着するから現れる錯覚だ> とお釈迦様は断言しています。 因みに五蘊とは・・・ 1.色(しき)(=肉体) 2.受(じゅ=感覚) 3.想(そう=想像) 4.行(ぎょう)(=心の作用) 5.識(しき)(=意識)です。 つまり、我々はいつも執着に因る <自我の錯覚で苦しんでいた>のです。 だからこれを読んだ皆さんも、 今日から苦しむのをやめ…
僕の一日の始まりは<慈悲の瞑想>から始まる。 どうしてかって言うとこの慈悲の瞑想をやると そんなもの心の中に無くても毎日やってると 心は感化されてしまい(悪く言えば騙されてしまい) 本物の慈悲が否応なく育っていくことを知ったからだ、。 (それからは自分でも超真剣に取り組むようになって笑ったけどw) 脳は、スーパーコンピューターを遥かに凌ぐ 性能を持っている存在でありながら 意外とアホで騙されやすい。 自分の幸せしか願えなかった自分も 今では人が死ぬと悲しくて仕方がない程にまで 慈悲の心が育った。 フジコ・ヘミングさんが亡くなった時も 本当に悲しくて、悲しくて、 耐えきれずに思わず涙を零した。 …
年金の件ですが、 自分は今58歳(男)です。 現在は独身です。 20年程前に妻と別れた後に 病気になったこともあり 無職で、生活費は貯えていた お金だけで生活してきました。 そのお金も、流石にもう無くなってきており 60歳で5年前倒しで貰う時点で完全に 底を突くような状況にあります。 その貰える年金額ですが、 65歳からの受給であれば2ヶ月毎に 9万円を貰えるのですが、5年前倒しで 貰うと2割減額になるので 72,000円しか貰えないので 月当たりに換算すると税込みで36,000円に なります。 泣いても笑ってもこれだけで やっていくしかありません。 年金は貰うようになっても 国保にしても税金…
執着は恐ろしい。。 人間、執着こそ捨て去るべきだ。 例え、仏教などに関心などは無くとも。。 自分は幸いにもこの本来のお釈迦様の教え、 初期仏教という科学・真理と出会えたから 良かったものの。。 もし出会わなかったとしたら、 死ぬ瞬間まで愚かな儘だったろう。。 まあ、今は未だ大して変わってはいないがw 人間は、誰でも4つの執着を持っているそうだ。 1.本能である五欲(感覚)に対する執着 2.見解への執着(不和・トラブル・争いの元) 3.儀式・儀礼への執着 (形ばかりのものに囚われて執着する心) 4.我語論(我論)に対する執着 (※一番戒めなければならない執着) これら4つの執着があると大変不味い…
僕の大好きだった女性、、フジコ・ヘミングさんが 先月の4月21日(2024年)に膵臓癌が原因で 入院先の病院で息を引き取られました。 92歳でした。。 僕は、20年以上も前から彼女のことを尊敬していて また一人の女性としても大好きな女性でした。 (恋愛感情とは違いますが。) それなのでCDも買ったし、 彼女の自伝の本も何度も読んだものです。 去年の事でしたでしょうか。。 ある日、ふと彼女の事を思い出し。。 彼女は高齢だし、この世は無常だから 間もなく旅立つことになるだろうなと そんなことを思った日がありました。。 彼女がいなくなったら嫌だなと心底思ったんです。 僕は、そう簡単に人を好きになった…
仏陀釈尊のヴィパッサナー瞑想ですが、その中に<食べる瞑想>というのがあります。やり方は簡単で、全て細かく実況中継しながら食べるだけなのですが。。その食事メニューなのですが、、出来るだけ簡素な物にしています。これには諸々の理由があります。まずは、食事と言うのは、<自我で食べるもの>ではなく<体に与えるもの>であるからです。人間は食べなくても死にますが、食べてもいつか必ず死にます。それでも食べるのは、直近の死を避ける為です。食べる真の理由は、それだけだったんですね。また、豪勢な食事は<快楽>を齎します。この快楽は後で必ず<苦>を齎します。(勿論、味などに執着さえしなければ大丈夫です)これを避ける為…
あと2年で還暦を迎えるそこら辺の凡庸なおじさんです。仕事はとっくに引退してます。全然余裕ないのに。苦笑愛する妻も20年ぐらい前に出掛けていったきり帰ってきません。家から徒歩10年のスーパーにでも買い物に行ったのでしょうか?(^^;)まっ、仕方がないので僕は僕で頑張るしかなさそうです。こんな私の今の目標は<瞑想して悟ること>です。果たして、死ぬまでに悟ることが出来るのでしょうか??と言う事で、不束者ですが、皆さん宜しくお願い致します。 ※本ブログに出て来る数多の言葉はお釈迦様や先人の 智慧及び知恵の賜物であり、私の言葉ではありません。
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