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  • ウィンナワルツを口ずさみながらスロージョグ

    北国に住んでいると、気温が10℃を超えると「ああ、春が近づいてきたな」という感覚になる。南西諸島在住時は、気温が13度にもなると、部屋に暖房もないので「耐えられない寒さだ!」と顔をゆがめていたっけ。昨日は、約2か月ぶりに広瀬川沿いをスロージョグしたら、あまりにも春めいていたので、ついウインナワルツが口に出てしまった。ヨハン・シュトラウスの「青く美しきドナウ」や「春の声」などのメロディーがたどたどしく口について出たが、春先に浮かぶ曲として一番心地よいのは、1975年3月25日(だと下記HPが教えてくれた)にカール・ベー&ウイーンフィルが演じて生まれて初めて聞いた「南国のバラ」なのかもしれない。「こうもり」序曲まで6曲演奏されているが、「南国のバラ」だけは、今でも心に焼き付いている。えもいわれぬ美しいメロディ...ウィンナワルツを口ずさみながらスロージョグ

  • 大寒の日にやっと春の声が

    膝痛のためずうっと走ることをやめていたが、今日大寒の日、最高気温が11℃ということから始動する。日差しといい、草の匂いといい、野鳥たちの躍動感といい、春がもう近づいていることを肌で感じる。あくまで膝の具合を確認しながらのスロージョギングに努めたら、それほどの苦痛を感じなかった。来月の10キロマラソンまであと二十日、なんとか持ちこたえてほしい。明日から毎日走ろう。昨年末からとても寒い日が続いたが、広瀬川河畔の草むらに、いつもどおり「イヌフグリ」のうす紫の花がお日様の方を向いて、微笑んでいるかのようであった。スロージョギング、久しぶりにランナーズハイを感じた。かぜねこ三百名山未踏峰・空想(共有)登山藤原岳(ふじわらだけ・1140m・日本三百名山№274)三重県北部、三重・滋賀県境にそびえる花の百名山。石灰岩質...大寒の日にやっと春の声が

  • 三百名山とふもとの温泉郷

    日本百名山・日本二百名山・日本三百名山に選定された301座の名山のふもとに温泉郷(明確な定義はないが複数の温泉宿・施設が集中している場所と決めたい)はどれくらいあるのだろうか。2025年山渓新年号の付録である地図帳をもとに拾ってみたいかぜねこ三百名山未踏峰・空想(共有)登山御在所岳(ございしょだけ・1214m・日本二百名山№182)ロッククライミング、奇岩で有名な花崗岩質の山。山頂までロープウェイとリフトで歩かずして、それも1年中1200mの高所に登れるということは、国内でも珍しいだろう。ふもとに湯の山温泉もあり、山頂付近にスキー場もあり老若男女に寄り添う山だ。寅さん第三作「フーテンの寅」のロケ地が湯の山温泉だったんだ。登ってみたい山リストに搭載決定。「かほの登山日記」さん提供中登山道で御在所岳山頂へ!父...三百名山とふもとの温泉郷

  • 比良のシャクナゲ.

    日本三百名山未踏峰の空想(共有)も琵琶湖の西岸に広がる比良山地の蓬莱山や武奈ヶ岳にまでやってきたら、ふと、井上靖さんの詩集「北国」に書かれていた「比良のシャクナゲ」を読みたくなった。書庫からボロボロの新潮文庫「井上靖全詩集」(昭和58年版)を取り出して読んでみた。むかし「写真画報」という雑誌で、〝比良のシャクナゲ〟の写真をみたことがある。そこははるか眼下に鏡のような湖面の一部が望まれる比良山系の頂きで、あの香り高く白い高山植物の群落が、その急峻な斜面を美しくおおっていた。・・・・・」という書き出しで始まるこの短い散文詩に惹かれて、この詩の中の「私」のようにオイラもいつかはシャクナゲの花が咲くころに比良山地のどこかの山の山頂に立ってみたいと思っていたが、この詩の中の「私」同様、いまだそのシャクナゲを知らない...比良のシャクナゲ.

  • 明日を夢見る力

    われわれがいかようにも避けられないもの。それは、いつやってくるかもしれない「天変地異」と「私という生命の終わり」だろうか。「天変地異」は「私という生命の突然の終わり」をもたらすものであるから人類共通の不安であり、恐怖でもある。古くは、外敵の侵略や暴虐、パンデミックなども加わり、これらが人類を恐怖せしめてきたが、であるからこそ人類は「宗教」や「芸術」に救済と再生への糸口を求めてきたのだろう。とりわけ西洋のヒトビトはキリスト教のせいだろうか、「死=苦悩」→「安息」→「復活」→「歓喜」というファンタジーが肉体感覚として共有しているようで、ベートーヴェンもブラームスも例外ではないだろう。ブラームスの交響曲1番は、ベートーヴェンの第九を継承した「第十」と呼び慣わされているように苦悩からの脱却と歓喜をテーマとした音楽...明日を夢見る力

  • 3/17・3/22聴き比べ ベーム&ウイーンフィルのブラ1

    Youtubeのサービスはすばらしい。すぐに見つかった。「1911mhler」さんありがとう。1975年3月22日、オイラが確実に聴いたカール・ベーム&ウイーンフィルのブラームス交響曲1番。昨日お世話になった[BOHM75」さんの1975年3月17日の動画と今宵じっくり聞き比べしてみよう。両者の再生事情により音質は異なるかもしれないが、ライブ感は味わえるだろう。なんだか、オイラはこの両日ともNHKホールの三階以上の席で同じプログラムを聴いた気になってきた。そして、どうなんだろうベームのNHKホールの演奏は、当時NHKFMで生放送されてはいなかったか。録音かもしれないが、初日にベームが演奏した「君が代」と「オーストラリア国家」も聞いた記憶が・・・。(頼りにならねえ記憶)結果は、明日ここにコメントコメント欄「...3/17・3/22聴き比べベーム&ウイーンフィルのブラ1

  • 1975年3月17日と22日のカール・ベーム

    (この話題は、かつてこのブログで書いたのかもしれないが…あれこれ運命的な出会いだったので)遠い日の甘美な記憶が、今あるネットの力で甦る。クレメンス・クラウスつながりで、「徳岡直樹チャンネル」をさまざまに閲覧していたら、50年前の1975年にウィーンフィルとともに来日公演したカール・ベームがブラームスの交響曲第1番(通称ブラ1)を振った演奏のことが話題になっていて、これらの演奏はLP・CD・DVDという記録媒体によって残されている。この演奏は3月17日と22日の2回行われているが、両日の演奏ともこれら記録媒体によって聴くことができるというのである。徳岡さんが言うには、はじめに発売されたのは3月22日の演奏だったところ、たぶん両日の演奏を聴いたコアなファンから「3月17日の演奏のほうがずうっといいので、こちら...1975年3月17日と22日のカール・ベーム

  • 知らずに登っていた関西圏の日本二百名山・三百名山

    公開というより備忘録的にこのブログに書きとどめておくこととする。「日本百名山」完登を意識し始めたのは、一度目の沖縄勤務のころからだから2001年以降で、2007年に100座完登して「深田百名山を登ろう」という目標は果たされた。まだまだ若く、個人的に山登りに専念する意識が強かったら、すかさず、「日本二百名山」そして「日本三百名山」、これらに重なる山も多いだろうが「花の百名山」・「日本百高山(日本の山岳標高ベスト100)」へとチャレンジしていただろうが、なぜかその道を選ばず、2007年から20018年ころまでの約10年間は、マラソンやトレランで日本中を駆け巡る道を選択して、名山行脚には挑まなかった。今から思うとそういう方向性もあったかと少し残念である。とはいえ、10代後半から60代半ばまでボチボチ歩いた山で、...知らずに登っていた関西圏の日本二百名山・三百名山

  • クレメンス・クラウスのニューイヤーコンサート

    未明、枕元のスマホから、エネルギッシュにクラシック音楽の解説をしてくれる「徳岡直樹チャンネル」が流れていた。昨夜酔って寝入るときに別のYoutubeチャンネルを聴いていたが、何のアルゴリズムの因果の流れなのか、数時間後目覚めたとき、徳岡さんが「クレメンス・クラウス」という指揮者の「ウイーンフィル・ニューイヤーコンサート」の事を解説してくれていたのだ。名前は聞いたことがある指揮者ではあったが、今も受け継がれるニューイヤーコンサートの創設時の指揮者で、彼が亡くなる4か月前だという1954年1月1日に演奏した記録がCDで残されていることを、寝ながら理解した。(オイラが生まれた頃の古い古い演奏か)そのあと、その演奏の一部が流れるや・・・彼とウイーンフィルの演奏があまりにも素晴らしいので、跳ね起きてBluetoot...クレメンス・クラウスのニューイヤーコンサート

  • 電車に乗って昭和の湯の町へタイムスリップを

    「温泉街」や「湯の町」などと呼び習わされている場所は東北だけでもいくつあるのか。そんな場所でも、オイラは時代の流れに乗り遅れたように、建物や街路があまりアップデートされない、昭和の香りが漂う「街」や「街」を歩くのが好きだ。この七日間フリーパスで訪ねた温泉地のうち、「鳴子温泉」、「飯坂温泉」、「いわき湯本温泉」は、そんないまだ昭和感が湯の香ともに漂うところであるが、「いわき湯本温泉」の方は、「みゆきの湯」が土地区画整理のため解体されるなど、まもなく町の塗り替えが進みそうでレトロ感は薄れていくのだろう。「鳴子温泉」は、廃れ行くものが多く、町はずれに進むにしたがってもはや街の一員と言えないような空き店舗が目立ので、この先は心配である。豊富な湯量や様々な泉質の湯が沸き、温泉としたら別府や草津と並びうる存在なだけに...電車に乗って昭和の湯の町へタイムスリップを

  • 七日間、締めの温泉地は・・・・

    JR東日本「北海道&東北フリーパス(普通車限定)」7日間連続フリーパスは、日帰り温泉の旅にはうってつけのフリーパスだと認識した。1日24時間という限られた時間の中で、列車に揺られること往復4時間から8時間、温泉地の滞在時間2時間から4時間、家から最寄り駅までの往復時間1時間、最大でも13時間を日帰り温泉のために費やし、最短でも11時間は家で睡眠や朝と晩の賄に費やすことができるのだから、余裕である、苦痛なんてない。「鈍行に揺られて8時間はつらかろう」という蔑む富裕層や忙しすぎる勤労者はおられるのだろうが、列車の時間は、家で行うと同じくネットのニュース閲覧、左右を問わない論客Youtuberらのご意見拝見、NHKらじるらじる「聞き逃し配信」による英会話や音楽鑑賞をBluetooth用イヤホンで聴くことに費やし...七日間、締めの温泉地は・・・・

  • 大雪情報のため、列車の運休を気にしながらの鳴子温泉再訪

    今日は、大雪による列車の運休リスクが高い山形、岩手方面は避けることにして、またまたわが郷土の名湯鳴子温泉に行ってしまう。何年ぶりだろう、一応公共の湯とされているが土地のお年寄りはあまり来ない「早稲田桟敷湯」を訪ねる。リニューアルされたとかで湯船のヒノキを新しくしたみたいだが外観・内観は昔のままだ。オイラがこの湯をあまり気に入らなかったのは、かつては結構な旅の青年たちでにぎわってはいたことと、ユニークな建物デザインと外装の黄色が何か都会じみて、インテリ風で肌に合わなかったかもしれない。が今日は雪のせいもあっただろうか、湯客も二三人、しまいにはおいら一人で湯船を独り占めにすることができたし、湯けむりこもる高い高い天井付近の窓からさす自然光の織り成す妙を感じて、なかなかしゃれたデザインじゃないかと再評価してしま...大雪情報のため、列車の運休を気にしながらの鳴子温泉再訪

  • メヒカリ食べて、常磐湯本の湯に入る

    「あかずしてわかれしひとのすむさとはさはこのみゆるやまのあなたか詠み人知らず」「いやになって別れたんじゃないあの女の住む里は、三函の見える山の向こうか」常磐湯本の立派な温泉神社の前に立つ、郷土の詩人「草野心平」さんの揮毫かと思われる、これも立派な石碑。恥ずかしながら、湯本駅前から10分以内にあ公共の湯「さはこの湯」を、「佐和子さんの湯」、湯本駅前に立つ「みゆきの湯」を中島みゆきさんと同じ「みゆきさんの湯」と誤解していた。「さはこ」は「三函」、湯本温泉の古い地名だという。「みゆき」はすぐ近くの「御幸公園」の「御幸」にちなむ名称なのだといってみてわかった。どちらの湯も「含硫黄ーナトリウムー塩化物・硫酸塩温泉弱アルカリ性」という大変に温泉らしい湯で、300円で入れるという地元民料金で入れるのがいいな。残念なこと...メヒカリ食べて、常磐湯本の湯に入る

  • 激熱(げきあつ)の湯 福島飯坂温泉・鯖湖湯

    福島駅を起点とした日帰り可能な温泉地としては、福島電鉄飯坂線で行く飯坂温泉、バスで約40分くらいの高湯温泉と土湯温泉があり、後者は吾妻連峰の登山でよく利用したお気に入りの風呂だが、最も福島駅から近くて公共の湯もたくさんあるリーズナブルな飯坂温泉なのだが、訪れたのは、今日で人生三度目か、あまり多くは訪れていない。理由は、「とにかくお湯の温度が熱い」からである。お湯の質が単純温泉というのもインパクトがない。本日入湯した公共のお湯を代表する歴史のある「鯖湖湯(さばこゆ)」を測ったわけではないが、源泉51℃、湯船で47℃とある。東北に限ったことではないかもしれないが、地元のお年寄りが多い公共の湯は、なぜかどこも熱い。年寄りは熱い湯が好きなのか。(オイラは温いのも暑いのもどちらも好きだ)。絶対心臓に悪く、湯船で天国...激熱(げきあつ)の湯福島飯坂温泉・鯖湖湯

  • 花巻の湯めぐり能わず

    ああ、湯めぐり三日目。大失態。11時に花巻駅まで行きつき、駅前の時刻表で13時発鉛温泉行のバスを確認したので、まずマルカンビル大食堂で「マルカンラーメン」をいただいてから賢治さんなじみの鳥矢崎神社に初もうでをして、お気に入りの藤三旅館の湯に向かおうときめていた。計画通り、事を済ませて13時前に花巻駅に戻ったのだが、・・・・なんと13時発というのは「土日の時刻表」で平日の時刻表では30分前だった。(無念)次は14時過ぎしかないので、この日の鉛温泉行はあきらめてスゴスゴ上りの列車を待つ。年明けから、ボケの兆候を感じ入る。花巻駅からマルカンビルまで15分ほど歩くが、人気のあまりない市街を歩いて、この、すでに廃業されたデパート6階のマルカンビル大食堂に行きつくと、広いホールに埋め尽くすほどの市民がワイワイざわめい...花巻の湯めぐり能わず

  • 4度目となる赤湯元湯へ

    山形県南陽市赤湯温泉の公共の湯「赤湯元湯」。このオッチャンは、この温泉に四度訪れたことになる。元気だった50代前半。隣町の「長井マラソン」に参加するために。たしか駅レンタカーを借りて前日、紅葉真っただ中の朝日連峰の鋭鋒「祝瓶山」に日帰り登山を実施。その日の夕方、赤湯温泉のこの湯で汗を流し、裏手の公園の草むらにテント泊。翌日長井マラソン42.195Kを確か4時間前半で走り終えて、会場で出会ったランナー仲間とともにここの湯で汗を流した。3度目は、一昨年末、NHKFM「かけクラ」の公開放送があったため、南陽市を再訪。会場とは反対方向であったが、駅から歩いて「赤湯元湯」にやってきてくつろいだ。辛みその「赤湯ラーメン」がこの地のご当地ラーメンとかで近くの「福」とい店で遅い昼食をとり、約40分歩いて市民会館に行った。...4度目となる赤湯元湯へ

  • 滝の湯から始まる湯めぐりの1年

    この年の初湯は、まず鳴子温泉の公共の湯「滝の湯」へ。いつの間にか料金が倍増していて300円となっていたが、公衆浴場と言っても、そんじょそこらの銭湯じみた風呂釜とは異なり、それこそ滝のような白い硫黄泉がゴンゴンと惜しみもなく流れ落ちていて、この滝音を聴きながら比較的熱い白い湯のヒバ風呂どっぷり浸かると温泉の国に住まう歓びがこんこんとわいてくる。鳴子とくればこの湯、年の始まりにふさわしい入湯である。わずか2時間半ばかりの滞在時間だが、「滝の湯」をでたあと鳴子温泉お気に入りの湯船「旅館すがわら」の美肌の湯へ。酸性の滝の湯とは真逆のアルカリの泉質が、体に優しく、ここの湯にはいつも「安らぎ」というものを感じる。滝の湯と異なりやや温めなので、「黒湯」と言われる露天と、よりアルカリ度の高い内湯にかわるがわる入れば小1時...滝の湯から始まる湯めぐりの1年

  • 7日間の湯めぐりへ

    JR東日本の「北海道&東日本パス(普通列車指定)」を利用して七日間連続湯めぐりといこうか。日帰りで行ってこれるところ、東北線は花巻、黒磯あたりまで、常磐線はいわき湯本あたりまで、奥羽線は赤湯、天童までくらいか。愛しい銀山温泉はいまや外人さんで賑わうというのでパス。欠かせないのが陸羽東線の鳴子だが、その先は不通となって代行バスは不便そう。まあ、鳴子温泉に毎日通ってもいいくらいだが。さてどこから行こうか、なんて行き当たりばったり。明日の天気予報を聞いて、土日の混雑具合も加味しないとね。来週月曜から冬休みも終わるのでどこもまた閑散としているだろう。かぜねこ三百名山未踏峰・空想(共有)登山瓶ヶ森(かめがもり・1897m・日本三百名山№290石鎚連山は、石鎚山から瓶ヶ森、伊予富士、笹ヶ峰までの縦走路が整備されていて...7日間の湯めぐりへ

  • 砂浜を歩いて波音聴くのもいいかも

    新年二日、NTT系ドコモサイトがサイバー攻撃を受けて通信障害を受けたことで、オイラもブログの書き込みができず、昨日途中まで書いていたブログの下書きも、障害が回復した今朝再スタートしようとして開いたところ一切消えていた。したがって下記の記載は、また一からスタートとなった。なんと迷惑なサイバー攻撃なのだろう。このところの一連のサイバー攻撃は、誰が、何の目的で行っているのだろう。2025年の不安要素にまた材料が加わった。1月1日に、Youtubeを開いたら、どのようなアルゴリズムが働いたというのか、下記に張り付けた「HealingStone&Music」のサイトが上位に現れた。このところ、みゆきさんの音楽はYoutubeでアップしたことはなかったので、どうしてオイラの目の前にこのサイトが現れたのは、新年早々の不...砂浜を歩いて波音聴くのもいいかも

  • 昭和100年、戦後80年、阪神淡路震災・地下鉄サリン事件30年の2025年

    年が明けた。メモリアルイヤーオンパレードのこの年、昭和100年の歴史を政治、経済、社会文化、災害、事件事故といった様々な側面から「来し方」を見つめなおし、日本や世界の「行く末」を自ら考えよう。朝日新聞の元日の社説の冒頭「胸騒ぎがする。波乱が起きる予感が、それが何かわからない。いつにも増して先の見えない年が、明けた。」初日の出を仰ぐヒトも、神社にお参りするヒトも、オイラのように朝からビールを飲んでモーニングショーを視聴するヒトも、多くの日本人、いや地球人が深層として抱いている不安ではないだろうか。そうした不安がどこからきて、その不安を解消する手立てはなんなのか、自ら考えていきたいが、オイラは花鳥風月を愛で続けることで、その糸口をつかみたいな。例年のようにテレ朝モーニングショーのお世話になり富士の初日の出拝ま...昭和100年、戦後80年、阪神淡路震災・地下鉄サリン事件30年の2025年

  • 九州の山々にサヨナラと言って、年の瀬を渡る

    急ぎ足だが、さまざまなYoutuberのお世話になっての二本三百名山未踏峰空想(共有)登山の旅は、なんだか楽しくなってきた。あたかも自分で登ったような気にもなっていて、ヤマケイ新年号付録の地図帳に歩いた道を動画の登山者の歩きに合わせ、緑の蛍光ペンでマーキングしている。ますます老いてボケ始めると、「あそこは登ったよ」と平気で虚言を発するようになるのではと、少し怖くなる。しかしながら、空想(共有)登山を進めていくうちに、由布岳や英彦山はぜひ、「生きているうちに」登りたいな、と思ってきた。そんな現実を求める山は、この先まだまだ増えるのかもしれない。背振山の動画で、あと二年で傘寿となるおじさんは、まだ元気にスキーをすべていた。力をいただいて、まだまだ元気を続けよう。今日の大晦日、九州の残る二山を登って区切りをつけ...九州の山々にサヨナラと言って、年の瀬を渡る

  • NHKで放映された花の百名山のころ

    三百名山空想(共有)登山の九州エリアを歩いて、佐賀・長崎県境の「多良岳(たらだけ)」までやってきて、なぜか昔NHKBSで毎朝放映されていた「花の百名山」で紹介されたキツネノカミソリという花のことを思い出した。放送内容はとうに忘れたが、(ビデオに撮っていたがすべて処分していたので)なぜか多良岳と言えばあのオレンジ色の鮮やかなキツネノカミソリが思い起こされ、この花によって「たらだけ」という山名が今でも連想されるのである。正確には、「オオキツネノカミソリ」というのだそうで、似てはいるがノカンゾウやニッコウキスゲのようなユリ科の花ではなく、ヒガンバナ科に属する毒のある花だということである、名前の物騒なことから記憶に残っているのだろうか、本州にも咲くというのだが見たという記憶がなく、あの放送の記憶がおぼろにあるだけ...NHKで放映された花の百名山のころ

  • 記憶と記録

    (トリップアドバイザーさん提供の雲仙普賢岳から平成新山の眺め)記憶では、2007年3月の春分のころ、オイラは百名山最後の山となる九州は霧島の「韓国岳」に登頂を果たし、その足で熊本県玉名の友人に車で港まで送ってもらい、フェリーに乗って長崎の島原半島に渡り、「雲仙普賢岳」に登ってから、長崎を観光して18きっぷのお世話になり帰途についた。現に、上記の普賢岳山頂から1991年の大噴火で隆起した怪鳥ラドンが広げたような「平成新山」仰いだ「映像記憶」があるので、間違いなく登ったのだと思う。だが、オイラにはもう一場面の記憶もうっすらと残っている。それは、ふもとの雲仙温泉街を歩いたが、確かあたりは雪景色だった映像である。雪に阻まれて、じつは温泉に入っただけで、普賢岳には登らなかったのではとの疑念もある。実は、その年前年、...記憶と記録

  • サヨナラ青春18きっぷ

    年末の人込みで賑わう駅近くの本屋に行って「天体観測手帳2025」(技術評論社)を購入し、その足で駅の券売機で「北海道&東日本パス(普通列車限定)」を合わせて購入してきた。明日から年末年始の休暇にに入るからか、駅は雑踏ともいえる混み具合で、とてもみどりの窓口に並んでキップを買う気にはなれない。この頃は年末年始にかかわらず、昼さ中ともなると、みどりの窓口は少なくとも30分は並ぶ状態になっている。利用者増とJR側の人員削減が理由のようだ。オイラはこれまで「青春18きっぷ」などのフリーパスキップ類は、みどりの窓口に並んで買っていたが、恥ずかしながら券売機で簡単に並ばずして購入できることを昨年あたりまで知らなかった。今や、「大人の休日パス」や「大人の休日俱楽部割引乗車券」の購入も、スマホで指定した指定席券等の受け取...サヨナラ青春18きっぷ

  • メリイクリスマス

    このところ毎朝、寄席で贔屓の噺家を聴くような期待度で、フリージャーナリスト菅野完(すがのたもつ)氏のYoutubeサイトに登録して彼の話術と政治観を学び、楽しんでいるが、雑談で、「年を経ても何年かおきに【おさむちゃん】を読みたくなってくる。」と太宰治のことを好きだと言っていた。彼は、今朝「駆け込み訴え」が抜群にいいから読めと言っていた。手元にないので、青空文庫を開いて「青空文庫inBrowsers」という縦書きで読めるアプリで「駆け込み訴え」をあらためて読んでみたが、それほどには感じなかった。最後の晩餐でイエスキリストを裏切ったユダのパロディではあるが、たぶん菅野氏は聖書の深読みをしているから名作と評価しているのだろう。今日は「クリスマスイブ」ということで、この日にちなんで「メリイクリスマス」という掌編を...メリイクリスマス

  • 年賀状じまいと捨てられない年賀状

    土曜日の朝日新聞別刷り版「be」の「読者とつくる」のテーマ「年賀状を出しますか?」という記事を読んで、アマノジャクのオイラでも驚いた。読者2084人にたずねたこの問いに、なんと74%のヒトビトが「いいえ」と答えたのだ。「はい」と答えたヒトは三割にも満たないのだ。朝日は、15年前の2009年にも同じ質問をしているが、その時は「はい」が91%と圧倒的に多かったのだという。この15年で日本は、経済の衰退とともに人間関係も衰退の一途をたどっているのか。オイラはてっきり「いいえ」の理由について1枚63円から85円に34%も値上がりした年賀はがきの値段高騰が第1位に来ると思っていたら、第1位の理由は、「年賀状じまいをした」からだった。「年賀状じまい」という言葉はいつから使われだしたのだろう。いまや「年賀状じまい」が堂...年賀状じまいと捨てられない年賀状

  • 暮れの都大路の思い出

    ランニングを四、五年前にやめてからTVで放送されるマラソン競技の放送にあまり興味を示さなくなったが、駅伝だけは見る機会が今でも多いが、暮れの都大路・京都市内で繰り広げられる「全国高校駅伝」と正月の「箱根駅伝」だけは、いまでも楽しんでいる。50代のころは、この二つの駅伝については、競技の開催に合わせて現地に行って実際のコースを自分で走ってみた思い出がある。「高校駅伝」の場合は、午前に女子、午後に男子のレースが行われるので、女子スタートの1時間前くらいに西京極の競技場をスタートし、コースに沿った歩道をジョギングし、女子の折り返し地点で待機し、やってくる選手たちを応援し、そのあとさらに男子のコースに沿った歩道をジョギングし、男子の折り返し地点である国際会議場地点で待機し、男子を応援し、あとはのんびり京都駅方向に...暮れの都大路の思い出

  • ムラサキシメジとムキタケのペペロンチーノ

    ひと月前に収穫したムラサキシメジとムキタケが冷凍庫に眠っていたので、在庫整理の意味も込めてペペロンチーノにしていただく。どちらもオリーブオイルとバターで炒めると癖もなく素晴らしい食感のキノコとなる。ムラサキシメジは、昨年名前を憶えて食したが、うわさどおり埃臭いというか独特の臭さがありあまりうまいキノコではないと思っていたが、西洋では人気のあるキノコだという。チャンネル登録をしているYoutuber野食ハンター茸本朗さんから教えてもらったのだが、ムラサキシメジは油との相性がよくよく炒めるといいのだとか。なので、よく炒めて西洋風パスタにしたらとても良いキノコになってくれた。なので、来年の秋も美しい紫色のキノコを収穫するのだろう。今年もいろいろなキノコを覚えて、いろいろな味わいを教えてもらったが、ペペロンチーノ...ムラサキシメジとムキタケのペペロンチーノ

  • 今年の暮れは,モーツァルトでいこう

    暮れになると聴きたくなるクラシックは、その年の気分に合わせたくなるが、どうも陰惨な殺人事件や理不尽な選挙結果、ますます複雑・混迷化する世界情勢、コメの6割上昇に代表される物価高騰などイライラが募るばかりだから、第九を歌って高揚したり、バッハやヘンデルでクリスマスを祝うような気分になれない。そんな時、モーツァルトがやってきた。彼の音楽を聴いていると、なにゆえかしれんが、心が次第に澄みきっていき、滅入った気持ちを雲散してくれる。最晩年のオペラ「魔笛」なんかどうだろう。光と闇の相克、愛と憎しみの相克、愛と喜びの成就云々と、まさに年の瀬に聴く音楽としてはぴったりだ。今や何も大きなオーディオや棚からCDを引っ張りださなくとも、SNSが世界中から名盤とやらを直ぐに届けてくれる。ノートパソコンとダイソーで仕入れた500...今年の暮れは,モーツァルトでいこう

  • 三百名山の未踏峰をYoutuberとヤマケイ付録の登山地図のお世話になって空想登山する

    日本二百名山と三百名山は全部で201座が選定されているが、数えてみたら二百名山は42座、三百名山は66座、合計108座が未踏峰であることが分かった。もう10歳若ければ、「よーし、全山踏破やるか!」と威勢のいいことを言ったかもしれないが、もうとてもそんな元気と資金力がないことを自覚している。ならば、「空想登山」しかないが、ネットの発展、とくに登山するユーチューバーの激増で、いまやYoutubeをアップして、未踏の「〇〇山」と検索すれば、すくなくとも数人が山行記録をアップしてくれている。あのグレートトラバース百名山一筆書きで名をはせたプロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんも全山かどうか確認していないが、「日本三百名山ひと筆書き」をアップしてくれている。オイラは、昨日手に入れたヤマケイ新年号付録の「2025日...三百名山の未踏峰をYoutuberとヤマケイ付録の登山地図のお世話になって空想登山する

  • 人生最後のヤマケイ新年号

    おおおっと重いぜ!「山と渓谷2025年新年特別号」特集「日本百名山・日本ニ百名山・日本三百名山」たしか、2021年の新年号に「深田久弥と『日本百名山』」を特集したところ、バカ売れして重版まで出したことに気をよくした山と渓谷社が、毎年のよう新年号には百名山にちなんだ特集と付録のルートマップ集を出してきて、百名山ファンのオイラはそれ以来、毎年のように新年号だけは年末恒例のルーテインとして購入してきた。昨年は「日本百名山と日本二百名山」が特集されていたが、今年はいよいよ三百名山が加わって、このシリーズもいよいよ完結のきらいがある。縮尺などで端折ることもなく丁寧に三百名山までの地図とルート図を追加したのだから、付録の地図帳の厚くて重いこと。232ページもあり、なんと本誌の210ページより紙数が多いのだ!定価税込み...人生最後のヤマケイ新年号

  • テントを張ってMeteor shower(流星群)を観察する計画をしようぜ

    本日の未明は、三大流星群のうち「ふたご座流星群」のピークだったが、こんな冬の寒い夜は、いつも通りネットで世界中がライブ中継をやってくれているので、そちらのお世話になっている。下記はウェザーニュースのまとめた動画であるが、まとめなくても実際のライブ中継でも1分に1つくらいの流れ星が出現して飽きさせない。こんなに流れるのだから、現実に戸外で観測したいものだが、もう寒さが「老骨に浸みる」齢(よわい)になったことを自覚せざるを得ない。東北に住んでいると、流星がいっぱい流れるいわゆる三大流星群のうち、8月の「ペルセウス流星群」だけが気持ちよく戸外で観察できるので、今年は尾瀬のキャンプ場を予約していたように、灯りの乏しいキャンプ地にテントを張って一晩中気兼ねなく流星を撮影しながら楽しもうと画策していたのだが、台風接近...テントを張ってMeteorshower(流星群)を観察する計画をしようぜ

  • アルゴリズムによる情報社会を浮遊する日々

    たった一度だけ試みたスロージョギングにより生じた古傷の右膝蓋骨周辺の疼痛は、ロキソニンsテープやインドメタシン配合スプレー、膝用サポータなどの使用による保存療法で回復を待つことし、(急激に寒くなったこともあり)今週は安静にしようと家にいようと決めたが、果たして回復してくれるか疑わしいところである。家にいて、さて何をしようかと考えてみるが、やはり「お腹を引っ込める」とか「家にいながら減量する運動」とかを優先したくなりパソコンのYoutubeでアップされるそれらしきサイトを少しだけ見て「後でやろう」と「お気に入り登録」をしているが、一向に実践できていない。このYoutubeであるが、最近まで「お気に入り登録」しているのは「きのこ狩り」や安涼奈やかほさんといったかわいこちゃん系の「登山日記」、「英文法や英会話講...アルゴリズムによる情報社会を浮遊する日々

  • お弁当をいただきながら首都圏をワープで日帰り温泉に行く

    まったく予測不能のばからしい日だってある。JR東日本の「どこかにビューン」というキャンペーンをご存じであろうか。駅中での買い物などでたまったJREポイントから数千ポイント(東京駅だと6000ポイント、仙台駅だと5000ポイント)を使えば、AIによってランダムに提示される出発駅から新幹線で行ける4つの駅を希望選択すると、三日以内にそのうち一駅がAIによって一方的に選択され、当該駅までの往復チケットが「無料で」付与されるというものである。オイラは、数々の恩典に踊らされて、この春JREバンクというものの口座を設けた関係で、「どこかにビューン」2000ポイントクーポンなるものを手に入れていたので、仙台駅始発だから3000ポイントを供出してこのキャンペーンに応募してみた。4つの駅は、ランダムに表示され、気に入らなけ...お弁当をいただきながら首都圏をワープで日帰り温泉に行く

  • ランニング二日目にして膝痛!ウォーキングに変更

    いったんはスマホから消去していた無料ランニングアプリを再インストール。近所に10キロのコースを二、三設定し、来年2月の10Kレース制限時間内完走のための(記録のためのではない)練習コースとする目論見で家を出る。その程度の距離であれば、1日2時間もあれば家に帰ってこれそうなので、できるだけ毎日の日課としたいなという目論見で家を出る。ところが、家を出た瞬間右膝、膝蓋骨の内側に痛みが走る。昨日の「いきなりスロージョギング」で、古傷をまた痛めた模様。昨年あたりから、体重増と筋力低下のせいか、そのあたりが思わしくなく、特に山歩きでは下りに痛みが生じていた。我慢できないほどの痛みではないが、時々再発していた。医者にもいかないでロキソニンsテープを張りながらだましだまし歩いてきたが、昨日いきなり2時間ばかり体重をかけた...ランニング二日目にして膝痛!ウォーキングに変更

  • 2024年師走・突然スロージョギングを始める

    年々感受性というものが薄らいでいくことを自覚している。12月に入ったのだからと、今朝Youtubeでオイラお気に入りの「ブルーノ・ワルターの第九」を聴き始めたが、十年以上前の暮れに、京都から延暦寺をお参りし大津の坂本側に下るときにイヤホンで聴いた時の鼓動というものは甦らなかったので、三楽章を終えたところで聴くのをやめて昼にした。外は少し寒そうだが快晴の青空。「そうだ、12月から走りを再開すると心にきめていたではないか・・・・」やにわに、タイツやトレラン用短パン、ウインドブレーカーにランニングキャップを引っ張り出し身に着け、もう買って十数年にはなろうかと思われるつま先に穴の開いたアシックスのランニングシューズをげた箱から引っ張り出し靴ひもを結わえ外に出た。もう昔のようなジョギングはいきなりできないから、肩に...2024年師走・突然スロージョギングを始める

  • 遅い秋

    もう30年以上前の和歌山県田辺在住時、たしか12月の初めだつたか、山奥の湯の峰温泉に車で移動する際、あざやかに色づいた山肌を目のあたりにして、目を疑った記憶がある。それまで長年住んでいた北国は12月ともなれば、すでに落葉樹はすっかり葉を落とし、小雪も舞いはじめる頃合なので、「さすが南紀、秋が遅いよな」と改めて南国に住んでいるという自覚を覚えた。2024年、いまその北国にまた住んでいて、もうあと三日もすれば12月だというのに、今朝市内の公園を歩いたら、モミジ、カエデ、イチョウなど秋色の主役たちが色鮮やかに錦を織りなしているではないか!北緯38度のこの地方も、とうとう南の国の一角を占めるようになったか。秋が遅いの正しいことなのか。この地方も、いずれは南紀のような照葉樹林帯になってしまうのか、少し高いところに...遅い秋

  • 青葉の森・晩秋の捧げもの

    通い続けている青葉の森も2024年の晩秋を迎えた。昨年秋から、キノコたちとの出会いを求めることで地上に眼をやりすぎて、空を仰いで樹々の色づきを愛でる風流はどこかに行った感がするが、キノコは木の子、冬を前にした樹々の子供たちに好感を抱いてもいいのかもしれない。古い切り株に数えられないほど「なめこ」の幼菌がきらめいていた。きらきらとまん丸かさが輝いてまるで宝石だ。切り株にびっしり生えていたが、、三分の一ほどをいただいて帰ったが、。それでもボウル二杯をみたすほど数えきれない数が収穫できた。半分は、今週の朝のナメコの味噌汁用に、半分は冷凍保存して後の楽しみとした。天然ナメコの幼菌のぬめり様は市場のものと比較にならぬほどで、まったく癖もなく、あらためて山に感謝したい。昨年より、少し遅いのかもしれないが、昨年生えてい...青葉の森・晩秋の捧げもの

  • 野の花のような男たちに哀悼をささげます

    今日の正午すぎ、晩秋のキノコたちとの出会いを求めて青葉の森の乾いた尾根筋を歩いていた。山にいても電波の届くところで、入ってきたニュースをスマホで確認する癖がある。画面の導入部、最近入ったニュースやメールのテキストが数行みられるが、「火野正平・・・」のテキストに気が付いて、何だろうと気にしながらyahooニュースを開く。「腰の不調で体調を崩していた火野正平さん(75)、11月14日逝去。」の報。わが目を疑った。外傷が癒えて、てっきり来春からはNHKBSの「こころ旅」に元気な姿で登場してくるものと信じていた。何かの間違いかと思ったが、NHKプラスの昼のニュースを見て、中山果奈アナウンサーのアナウンスと火野さんの映像を確認して、「あ、ほんとなんだ」と落胆した。なにかこう、こみ上げてきた。少し齢は離れているが、同...野の花のような男たちに哀悼をささげます

  • 乳頭温泉への道すじ、スマホをかざす懐かしい山々

    週末の金曜日、大人の休日パス最終日は、やはりというか、おきまりのと言っていいか、田沢湖温泉を日帰りの乳頭温泉行とした。当日は、露天風呂が気に入って、このところ連続して入湯している「蟹場温泉・がにばおんせん」としばらくぶりの「休暇村乳頭温泉郷」を訪問。「休暇村」の湯は、かつてトレランをやっていたころ秋田駒の笹森山から乳頭温泉までのブナの森の気持ちのいいほど緩やかなくだり道を駆けおりて、バス時刻に間に合わせるため忙しく大浴場に入った記憶があるが、ゆっくり入湯したのは初めてだった。ぬるめの炭酸水素泉とやや熱い単純硫黄泉、そして同じ硫黄泉のブナ林に囲まれた気持ちの良い露天風呂が設けられていて、とくに炭酸水素戦泉はあまりにも肌になじみ気持ちよく、時間が許せばいつまでも入っていたくなるような湯であった。もしかしたら、...乳頭温泉への道すじ、スマホをかざす懐かしい山々

  • 旅の日は、山菜そばときのこ汁で過ごす

    大人の休日4日目は、中休み?のつもりで、今年になって覚えた「チタケ汁」の味を求め宇都宮にゆく。栃木県民が「チタケ」と呼んでいるベニタケ科の「チチタケ」は、何も栃木県にだけ生えているわけではなく、わが県の近隣の山にも9月頃に地面から茶色の饅頭型のカサをのぞかせており、二本指で柄を地面からゆっくり抜くとカサの表面やヒダに細かな白い乳を吹き出してくるので、すぐにこのキノコと判別できる。この「チチタケ」が、栃木県民だけが郷土料理としてこよなく愛するという話は、昨年あたりからキノコに興味をもってから知ったのであり、悲しいかなわが郷土はこのキノコを好んで採取し料理にする伝統がなかった。そんなこの年になるまでなじみのないキノコだったが、この秋、二度ほど採取した「チチタケ」をネットなどの情報をもとに自己流に汁にして食べて...旅の日は、山菜そばときのこ汁で過ごす

  • 大糸線、雲掻き消えて高峰輝く

    大人の休日パス3日目、まだ夜明け前の松本駅始発の大糸線に乗車。ガラガラの四人掛け座席、もちろん進行方向左側の窓際の座席に陣取り、カメラの準備をするが、晴れ予報が外れてどんよりとした雲に西側のアルプスは覆われている。この日の目的地は、信濃森上(しなのもりうえ)駅。ここから30分ほど緩い坂を上っていくと岩岳マウンテンリゾートがあって、営業中のゴンドラに乗ることができ、降りた場所から白馬三山や天狗尾根から不帰の嶮より南方向に唐松岳、五竜岳が一望できると見込まれた(過去形)のだが、どんよりとした雲は朝9時になっても消えてくれなかった。忙しく登っていくゴンドラを眼前にして、この日の岩岳からのアルプス展望をあきらめて、昼過ぎに白馬駅を立つ上り電車まで、のんびり白馬の街をめざして歩いた。途中、木流川の小径という小川の辺...大糸線、雲掻き消えて高峰輝く

  • 谷川の岩稜輝いて

    前日、越後湯沢の民宿に泊まり、朝8時の上越線で土合の駅に降りる。登り列車のホームは、いわゆる「日本一なモグラホーム」ではない普通の地上にある。実は、オイラは下りホームを経験しておらず、この日の帰り、ふたたび越後湯沢にもどる下り列車で初めてモグラホームに降りるために永遠につづくかと錯覚するほどの超長階段を下ったのだが、こんな年寄り泣かせの地下ホームには金輪際降り立つことはないだろう、と確信した。あのホームは、若きアルピニストの足慣らし用に国鉄が「わざと」こしらえたのだと思いたい。それはさておき、この日はまれに見る無風快晴の日で、標高1000メートル以下は、まだ秋色に染まっていた。そんなんだから、躊躇なくロープウェイとリフトを利用し、天神平の展望台にのぼり、その後、まだ仰いだことのない魔の岩稜「マチガ沢」と「...谷川の岩稜輝いて

  • 妙高のふもとの露天風呂近くにテントを張ったこと

    新潟上越の妙高山には、20代のころと、50を越してからの二度登った。最初は火打山を登ってから妙高に登り、燕・関温泉に下つた。何処だったか大きい大きい露天風呂入った。とても感激したので、二度目の妙高登山は、燕・関温泉を起点にして登り、またあの大きな大きな露天風呂に入ろうかと企画した。だが、このネット時代に、どうしてもあの露天風呂が探せなかった。キツネやタヌキにばかされて肥溜めにでも入ったのかもしれない。仕方なくて、二度目の登山は、まちがいなくあの露天風呂とは異なるが、「黄金の湯」と「河原の湯」という無料の露天風呂が登山道沿いにある燕温泉を起点にした。前泊日帰りの登山を計画したが、燕温泉には適当な(リーズナブルな)宿がなかったので不適当な(指定地外キャンプ)ことは承知で、その無料の露天風呂近くで登山道から離れ...妙高のふもとの露天風呂近くにテントを張ったこと

  • 新雪の山々を見に行こう

    八日、泉ヶ岳を歩く。山頂付近がうっすらと雪化粧しているのを確認。山道も標高900mあたりから倒木や苔むした石の上に前夜の雪が解けずに残っていた。標高1000付近から細かな足の速い雪が降りだしてきたので、山頂とキノコハントをあきらめて標高500近辺の山ろくで時間を費やす。この日の目当ては、晩秋にはえるという「シモフリシメジ」であったが、とうとう出会えないで雪の季節を迎えた。もうそろそろ、キノコの季節も終わろうとしているが、今期は様々な初顔のキノコたちに出会えたので内心満足している。家の狭い冷凍庫はストックされたキノコたちたちでいっぱいなので、そろそろ採取活動は終えたいが、この「シモフリシメジ」と正月まで見られるという「エノキタケ」にターゲットをしぼり、年末を過ごしたい。ただし、来週は「JR東日本大人の休日パ...新雪の山々を見に行こう

  • 湯治宿の窓を開ければ

    先週は、1週間ほど岩手の湯治宿二つを渡り歩く。職を辞してからもう6年になろうとしているが、遠く母親の胎内で36℃前後のお湯に浸かっていた心地よい記憶がそうさせるのか、温泉への郷愁が日々増してきて、とくに秋から春の寒い時期はお湯が恋しくてならない。そんな欲望を満たすには、日帰り温泉もいいが、できれば「湯治」という古来からの文化に従って温泉宿に連泊し、朝から晩まで温泉三昧をするのがいい。.ただし、宿の連泊は年金暮らしの庶民にとって経済的に苦しい。だが、わが東北には、一泊3,000円台の自炊宿がまだまだ残っていて、年に数日だけではあるが、そんな欲望を満たしてくれている。なかでも、先週いつものように三泊ほど滞在した、北上市の湯治宿「夏油温泉」は、湯の質はもちろん山歩きを思う存分楽しめるという環境にあるので、山菜の...湯治宿の窓を開ければ

  • 賢治さんの丘と下の畑に立って

    湯治場を花巻の賢治さんゆかりの宿に移動する。午後のチェックインまで時間があつたので、花卷駅のコインロッカーに湯治用所帯道具や山靴などを収納した大型ザックやバックを預けて、駅から歩いて四、五十分のところに位置する賢治「雨ニモマケズ」碑まで歩いてくる。この地、下根子桜の木立に囲まれた丘には、今は移築されたが100年ほど前に宮澤家の別宅があって、賢治さんの愛する妹トシが病気療養で過ごしたり、1926年教師を辞めた賢治さんが設立した「羅須地人協会」の本部として三年程起居した場所。この丘から東に少し下った北上川右岸に近い耕作地が、いわゆる「下の畑」で、賢治さんが農作物の栽培に汗を流したところ。いまも一部有志によって白菜や菊などが植えられいた。二度目となる賢治碑訪問だつたが前回はこの畑には立たなかったので、今回念願...賢治さんの丘と下の畑に立って

  • 一採一食の湯治場の夕餉

    自炊部と名付けられた湯治場には、基本、お米(電子レンジのあるところはパックご飯)、パスタ、蕎麦やうどんの乾麺、各種調味料やバター、ごま油などのオイル類、タンパク源に卵と納豆、あとはお気に入りの漬物だけ持参して、メインとなるおかずは、春ならば山菜、秋ならばキノコなどをその日のうちに採取してきて、その日のうちにバスタなどに添えることを、このところの原理原則としている。このような食の形式、つまり山菜、キノコは保存するほど多くを採らず、ほんの少しだけ採って、その日のうちにいただく行動様式を「一採一食」と命名したい。今日も、雨があがった昼に宿を出て、午後の3時には宿に戻り、採ったきた少しのキノコを虫出しのため塩水に漬けるなど下処理をして、「キノコペペロンチーニ」にしていだいた。初めて出会ったチャナメツムダケやハナビ...一採一食の湯治場の夕餉

  • 暮れる秋色、湯治場の瀬音

    今年もいつもの湯治場にやってきた。今年の秋色は、中くらいかな。ここは、もう晩秋の風情。ストーブをいれない部屋はしんしんと冷えて、湯冷めもはやく、重たい毛布を膝にかけてアルコールをいただく。わずかに採れたナメコとムキタケとブナハリでキノコ汁を作り、つけそばでいただくが、すぐに冷めたので、プラ容器に入れ替え、チンして温め直す。ことしは、ブナの実が豊作で、山のアイツはおとなしいのだと聞いた。暮れる秋色、湯治場の瀬音

  • 青葉の森でも腐生菌は元気なのだ!

    10月23日、バスで20分、青葉の森を2時間ばかり歩く。このところの体調不良は、季節の変動か、焼酎の飲みすぎか、まあ、そのどちらでもあるのだろうが、それでもキノコたちの仲間と出会いたいという気持ちで、晴れれば野外に出る。森の入り口でいきなり、白みを帯びた褐色のナラタケのかたまりとイボイボの黄色い傘が可愛いヌメリスギタケモドキの束生の塊を見つける。歩道からさして歩かない距離なのに誰にも採取されていないのは、いかにキノコたちの生成速度が速いかなのだろう。このキノコたちは昨日の雨の日にひそかに姿を現し、本日その最盛期の姿を偶然オイラの目の前に表し、明日にでもなればもう胞子を放ち役目を終えているのかもしれない。秋の森のキノコの生涯というものはそういうものかもしれない。とりあえず、塊の3分の1ほどいただいて、あとは...青葉の森でも腐生菌は元気なのだ!

  • こんにちは、腐生菌さんたち!

    今年の夏、毎週少なくとも1回は訪れようと意気込んでいた泉ヶ岳周辺ではあるが、富士山以来の体調不良や北アルプスだ、大人の休日パスだ、ドジャースのポストシーズンだと騒いでいるあいだに、気づいてみれば、もう10月も後半に入ってしもた。そんなことで、泉ヶ岳始発のバスに乗ったのは、(このブログの記録によると)あのチチタケと初めて出会った8月22日以来と、もう2か月ぶりであることに驚く。当初の計画では、まずいつものように泉ヶ岳に登り、秋色に染まった船形連峰を眺めて、後半は秋キノコたちとの出会いを楽しむというものであったが、登りはじめに「チチタケ」の群生を見つけたのでそれの採取にいそしんだのだ。だが、それら「チチタケ」から滲み出してきた白い乳が、黄色に変色したので、持参した図鑑を確認したところ同じ仲間だが「毒」とされて...こんにちは、腐生菌さんたち!

  • ドジャースに奪われた秋のお出かけタイム

    この秋は、大事な秋にお出かけタイムの大半をドジャースのポストシーズンに奪われたといって過言ではないだろう。というよりも、あの暑い夏の盛りから9月のにかけても、連日ドジャースの放送は午前9時ないし11時スタートだったから、外出ままならず、すっかりテレビっ子(いやジジィ)になり果てていた。昼のテレビで、志らく師匠も言っていたが「もう、日本野球なんてどうでもよくてドジャースを応援していた」が本音。だって、NHKBSが必ずドジャースの大谷の放送をやってくれるから、必然、野球といえば大谷ドジャースばかり応援したくなっている。この環境のせいで、否が応でも日本人の大半が、それも家で朝からテレビを見られる環境にいる無職の年金生活者の大半は、「野球といえばMLBのドジャースを応援していれば、いい気分させてくれる」状態になる...ドジャースに奪われた秋のお出かけタイム

  • ドジャースで奪われた秋のお出かけタイム

    この秋は、大事な秋にお出かけタイムの大半をドジャースのポストシーズンに奪われたといって過言ではないだろう。というよりも、あの暑い夏の盛りから9月のにかけても、連日ドジャースの放送は午前9時ないし11時スタートだったから、外出ままならず、すっかりテレビっ子(いやジジィ)になり果てていた。昼のテレビで、志らく師匠も言っていたが「もう、日本野球なんてどうでもよくてドジャースを応援していた」が本音。だって、NHKBSが必ずドジャースの大谷の放送をやってくれるから、必然、野球といえば大谷ドジャースばかり応援したくなっている。この環境のせいで、否が応でも日本人の大半が、それも家で朝からテレビを見られる環境にいる無職の年金生活者の大半は、「野球といえばMLBのドジャースを応援していれば、いい気分させてくれる」状態になる...ドジャースで奪われた秋のお出かけタイム

  • 自己責任でいただくキノコの新しい仲間

    さまざまなキノコ図鑑を読ませていただいて、日本の山に顔を出すキノコのなかまで「致命的な猛毒」とされるのは、テングタケ科のドクツルタケ、クロタマゴテングタケ、ウスキテングタケ、フクロツルタケ、ガンタケとボタンタケ科のカエンダケ、フクロシトネ科のシャグマアミガサタケくらいだけだが、これらのキノコは食用のキノコとまちがえることはないから「即死」だけは免れることはできる。テングタケ科はタマゴタケ以外はすべて手を出さないと覚えておけばよく、カエンダケとシャグマは見ただけで不気味なので手は出ない。問題なのは、やっかいな中毒をもたらす毒キノコと食用んキノコが類似していて間違って毒キノコを摂取することだが、典型的なのは、今朝も地元のニュース流れたで報道されたのだがブナなどの枯れ木に生えるツキヨタケ科のツキヨダケ。これを同...自己責任でいただくキノコの新しい仲間

  • キノコ採りの道迷い

    先週、足しげく通っている青葉の森なのであるが、歩道を外れ山中に入り、あちこち出ている新顔のキノコたちに挨拶して、いろんな方向から写真を撮ったり、図鑑とにらめっこして名前の同定に夢中になっていたりして、はっと我に返った時、オイラが一体どの方向からこの山中に入り、もとの歩道の戻るにはどちらに行けば分からなくなって、20分程度山中を彷徨った。ほんの近所の山中であっても、少し背筋が寒くなった経験をした。これが、もっと山奥のヒトがあまり歩かない山中だったらと思うと、キノコ採りや山菜採りって、もしかしたら登山よりずうっと危険な野外活動ではないかと思った。yahooニュースなどで山岳遭難関連の見出しがあれば、必ずクリックして内容を確認することとしている。秋になって目に付くのは、キノコ採りに出かけた人が行方不明になって捜...キノコ採りの道迷い

  • 長雨おわり秋キノコたちの季節

    この1週間、秋雨前線が列島に張り付いて雨だったり、曇りだったり、スカッとした秋はやってこなかったが、昨日あたりからようやく回復の兆しを見せ、夏以降暑さのため敬遠していた青葉の森にもようやく秋が来たのかなと、昨日今日と歩いてみる。涼しくはなったが、まだ顔に吸血志向の羽虫がやってくるし、耳をすませばいまだツクツクが鳴いている。もう10月半ばだというのに、何かおかしい。昨年まで、森の花、チョウ、野鳥たちのウォッチングに向けられていた志向は、今はすっかりキノコたちに向けられている。雨を吸った10月の大地は、いよいよ「秋キノコ」を地上に迎え始めたのかとの期待で心がうずく。この二日、「夏キノコ」の代表タマゴタケが鮮烈な赤色の傘と美しい黄色の柄を草生した森に輝かせていたが、この二日新たに「夏から秋」のアカモミタケ、ヌメ...長雨おわり秋キノコたちの季節

  • 旅で学んだ味を家で再現するとりくみ

    宇都宮のうどん店で堪能したチタケ汁(ベニタケ科チチタケ料理)だが、写真撮影はできなかったがちょっといい情報を得ることができた。メニューを見ると、その店はこのキノコ料理を「季節限定」ではなく、年中食べられることになっていた。帰り際に忙しく働いていた神経質そうなおやじに、「チタケは乾燥保存か冷凍保存か」と尋ねたところ、「冷凍だ。詳しくはキノコ専門店に聞いてくれ」とつっけんどんな返事を得た。「そうだ、当地でも夏から初秋にかけて歩いた山で、チチタケを採取することができたのだから、多めにとれた時は冷凍保存しておいて、好きな時にあの店のようなチタケ汁を作ればあのうどん屋のようなチタケ汁を年中味わうことができるかもしれない。」と学んだ。昨夜は、その学びをもとに、市販のシイタケ、ヒラタケ、マイタケを少し凍らせておき水で戻...旅で学んだ味を家で再現するとりくみ

  • 長かった一週間 山と食の記憶

    旅すれば時が長ずる。たった1週間の旅ではあったが、遠い昔の出来事が折り重なるような感覚に囚われる。石垣島や沖縄本島からやってきたオールドエイジたちと合流し、松本から上高地へ。当初、涸沢ヒュッテに宿をとり、錦秋の涸沢カールを愛でて、翌日は蝶ヶ岳に登り壮大な槍穂高の山岳風景を眺めて山頂のヒュッテに泊まる予定であった。蝶では、石垣島時代に知り合った若い仲間が一人三俣から登ってきて我々に合流し、彼が持ってきた日本酒1升を酌み交わす予定であった。予定というものはいつも仮の未来にすぎない。涸沢ヒュッテは混みすぎて予約がかなわず、向かい側の涸沢小屋も同じく。それどころか、9月末の終末、上高地界隈の宿泊施設がどこも予約でいっぱいの状況なので驚いた。が、今になってみればその理由が分かった。要するに、上高地と涸沢を結ぶルート...長かった一週間山と食の記憶

  • 色づかない涸沢

    久しぶりに石垣や沖縄の知り合いと9月末の山を歩くことを決め、みんなの希望で「涸沢カール」と「蝶ヶ岳」を計画した。錦秋の涸沢カールを楽しむには、涸沢ヒュッテや涸沢小屋に泊まるかキャンプをするしかないが、高齢者ばかりのグループではテントは重いので、小屋泊まりをしようと計画していたが、両小屋とも1か月前からの電話予約となっていて、午前8時からの予約スタート時から全く電話がつながらない状態で、あろうことかホームページの予約状況欄は、ものの1時間ほどで「満室」となっていた。おそらく、宿泊枠の半分以上は旅行会社のツアー客で占められていて、一般客の枠は狭い状態ではなっかと推測される。涸沢ヒュッテはテントやシュラフのレンタルもやっていたが、そこも「満席」となっていた。過去は涸沢の紅葉といえば9月半ばから10月10日ごろが...色づかない涸沢

  • なつかしき昭和の山紀行「雨の徳本峠」

    昨夜20時過ぎに配達されたヤマケイ文庫「深田久弥選集百名山紀行」(上・下巻)を手に取り、枕元で下巻に掲載されていた「雨の徳本峠」をまるでわが人生の記憶を手繰り寄せるかのように読む。「そうか、そうだったのか・・」と忘れていた部分がよみがえり合点がいく。概要をメモると以下の通り、①あの写真に写っていた横尾山荘の家族4人が上高地からの下山ルートに「徳本峠越え」を選択する。②横尾から蝶ヶ岳~常念を計画したが、雨のため引き返すが、妻や子供たちの意見を尊重し「徳本峠越え」を選択したこと。(実は、上高地からのバス代が100円不足していたという、切実な理由があった。あの頃は、カード払いなどなく、現金本位の暮らしだった。もちろん上高地に郵便局はなかったろう。)③二日目に宿泊した徳澤の宿を出発したのは、10時ころと遅かった。...なつかしき昭和の山紀行「雨の徳本峠」

  • いつか読んでいた深田家族の徳本峠越えの顛末

    月末は、上高地から12年ぶりに徳本峠に登る予定である。今からは考えられないことだが、2012年10月、当時のランナー仲間K君と往年のクラッシックルートである「徳本峠越え」をやろうということで、早朝に島々の集落をスタートし、片道8時間のコースを島々谷を辿って昼過ぎに徳本峠(2140m)に到書してからそれぞれのテントを張ってから、往復7時間の霞沢岳(2645.8m)を登ってきて、峠に戻っ頃にはすっかり暗くなっていた強烈な思い出がある。幸い、まだ小屋が営業をしていて、二人で乾杯した缶ビールの味は格別であった。そんな強烈な思い出の徳本峠だから、深田久弥さんの何かの紀行文で、深田さん家族がいつだったか上高地に行ったときに徳本峠から島々へのルートを下ったのだが、途中で日没になってひどい目にあったことを書いていたことを...いつか読んでいた深田家族の徳本峠越えの顛末

  • これからの富士山の歩き方

    富士山後遺症は思ったほど長引き、いまだ軽い咳とたんが少し続いている。ただし、体力は回復し始めて来週末からの北アルプストレッキングを念頭に、昨日から1時間半ばかりの速足散歩をはじめた。階段の上り下りでも膝の痛みはあまり感ぜず、あの長い須走の砂走のダメージはそれほどではなかったようで安心している。20024年9月の須走登山ルート登頂を機に、富士山開山中の山頂登山はひとまず卒業ということで、約15年にわたった、オイラだけの富士登山物語は終わりのページを閉じたが、ある物語の後日譚というか続編をもう少しばかり書き続けていこうという気になっている。そのキイワードは、「富士山開山期間外編」とでもいおうか、あのごった返す登山客のいない期間に富士山五合目以下の緑に満ちた山域を静かに歩こうという構想である。5月~6月の新緑の...これからの富士山の歩き方

  • 抗原検査キットのお値段

    富士登山から帰って1週間、日曜から38度台の熱で3日寝込み水曜日には回復したかと思われたが、また熱がぶり返したが、昨日今日とやっと平熱に落ち着いた。結局、富士登山はオイラに1週間の負債を負わせた。先週の火曜日だったか、街の薬剤師常駐ドラッグストアでコロナの抗原検査キットを1,950円で購入し、さっそく自己検査を行い「陰性」となったので安心したが、水曜日になっても熱が引かないので、さては.インフルだったかと心配になった。街のドラッグストアでは、今はどこでもインフルの抗原検査キットは置いていない、とのことであったんで、ネットを開いたらコロナとインフルが同時に検査できる抗原検査キットが、ひと箱750円で売り出されていたので、試しにと二箱購入したら、二日後の金曜日には届いた。ただし、もう熱が引いたので、これをまだ...抗原検査キットのお値段

  • 富士山後遺症

    富士山から帰った翌日から高熱が続き、三日間ばかり寝込みんだ。今日の昼になってようやく平熱に戻り、布団をたたんだ。38℃の高熱、喉の痛み、咳、たん、倦怠感といまだ収まらないとされるコロナの症状とそっくりなので、「しまった!富士山での満員で山小屋やバスで感染したか!」と不安になり、いくつかの「発熱外来」を検索したが、「予約制でも1時間半以上の待ち時間」や「あらかじめ検査キットで陽性の方に限る」など、患者に寄り添わない医療機関が目立った。それではと、高熱を押して街の薬局で新型コロナ抗原検査キットを1,900円くらいで買ってきて、唾液を試薬にかき混ぜてテストカセットなるものに垂らして15分待ったら「陰性反応」がでた。100%信用できるかというとそうではないらしいが、三日間も高熱を発していれば唾液はコロナウィルスで...富士山後遺症

  • 富士山全コース踏破で卒業宣言

    一昨年9月、最後の富士登山をしようとまだ歩いたことのない須走コースをできるだけで麓からと馬返しから歩き、五合目で一泊、翌日未明から歩いて吉田に下る日帰り登山を企てたが、一日中雨のため頂上をあきらめ、六合目の長田山荘のところから五合目吉田口までのトラバース道を歩きそのまま吉田の古道をくだり浅間神社までの遊歩道を歩き通した。ずうっと美しい緑に包まれ難路もなく、歴史も感じ、実はこんな富士山との関わりが、今後の「富士山の歩き方」なのかもしれない。話を主題に戻すと、その須走コースをおととい、昨日七合目の小屋一泊で歩き通した山頂に達した。もう4度ばかり最高峰の剣ヶ峰を踏んでいるので省略し、白山岳下で剣ヶ峰を仰ぎながらしばらく休んだ。と言うよりもそんな元気が残っていなかったというのが正直なところ。下りは須走下山コースを...富士山全コース踏破で卒業宣言

  • 鳴子温泉まで

    すこし涼しくなってお湯の恋しい季節が近づいてきた陸羽東線湯けむりラインのどこかの湯に浸かろうと、出かけたら、鳴子温泉から先の新庄駅までの路線が不通となつていた。7月末の豪雨により土砂崩れがあったとのこと。もう近年は、日本全国、津々浦々、毎日のように、あちこち災害が起きてその都度どこそこの電車が止まっているなんてニュースが流れており、もう7月末の豪雨なんて記憶の地層に埋もれてしまっていた。湯けむりラインが「鳴子温泉行き」となっていて、事の次第を知ったのは、恥ずかしながら陸羽東線の気動車に乗ってからであつた。湯けむりラインは、まだ回復の見込みが立っていないとのことで、お気に入りの中山平温泉にも当面行けない様子だ。最近の「国鉄」は、不採算路線の復旧工事を損得で考える傾向にあり、陸羽東線鳴子新庄間も、廃線危機の「...鳴子温泉まで

  • 年寄りにやさしい青空文庫アプリを繙きながら、風の又三郎を読む

    最近の青空文庫アプリ、なんて字が大きいんだろう。これじゃ、80,90歳になっても読み込めるだろう。9月1日は、勝手ながら「風の又三郎の日」と決めている。この青空版テキストは、岩波文庫の童話集を底本にしているみたいで、童話の始まりに「9月1日」の表記がないが、ちくま文庫全集版には「9月1日」から「9月12日」までの物語となっている。風の又三郎は、たしかに今日9月1日はじまりなのだ。読むたびに発見があり、新鮮な賢治さんの童話。今日は、9月4日、日曜の章のこの文章に惹かれた。人間離れした感覚ではある、・・・・風が来ると、芒(すすき)の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、せわしく振って、「あ、西さん、あ、東さん。あ西さん。あ南さん。あ、西さん。」なんて云ってゐる様でした。・・・・・年寄りにやさしい青空文庫アプリを繙きながら、風の又三郎を読む

  • 幻影の涸沢・秋日和

    この秋、石垣島と沖縄の山仲間を錦秋の涸沢に案内しようと計画を立てていたのだが、ちょうど涸沢に泊まる日が土曜日に重なってしまったのか、予約開始日の電話がどうしても繋がらず、その宿はすぐに満員となってしまい計画はご破算となった。ただ、彼らとは運よく徳本峠と蝶ヶ岳の小屋で穂高の大展望を望む予定を立てたので期待したい。数年前、沖縄の旧知のランナー仲間たちと「第1回松本マラソン」を走るべく松本に集まるまえに涸沢ヒュッテを訪れたのは、同じく9月末だったか。正直、色づきは2012年を超えるものではなかったが、それでも秋の涸沢の風景には感動した。涸沢の秋。2012年の10月7日に当時ランナー仲間だったK君と初めて訪れて訪れて、そのときは「10年に一度の美しさ」とうたわれるほど、素晴らしい彩度だった。k君と独立したテントに...幻影の涸沢・秋日和

  • 共有しよう!平出さんの「遺書ビデオ」

    先月27日、チャレンジしていた世界第二の高峰K2西壁登攀中に、相棒の中島健郎さんとともに一本のロープ(昔のわれらはザイルと称す)につながったまま滑落遭難した平出和也さんの遺書ともいえるビデをメッセージが今Youtubeに公開されている。20代で眺めたパキスタン・カラコラムの7000メートル峰シスパーレの鋭鋒に魅せられて、15年ほどの歳月を要し4度のチャレンジで成功したこと。人生の目的は、この世界で人がまだ辿ったことのないルートを登ってみたいこと。そしてそこからの風景は、まだ人類が見たことのない風景であり、その風景をすべての人に届けたいこと。一つの未踏峰に登れば、その山頂から新たなより高く美しい頂を眼にすることができ、そこの未踏ルートにさらに挑もうとしていたのだろうし、それがK2西壁だったのだろう。そのルー...共有しよう!平出さんの「遺書ビデオ」

  • 18きっぷで行く富士山

    酒の飲みすぎも一因したのかもしれないが、あのチチタケとタマゴダケ入りの蕎麦汁で蕎麦をいただいた翌朝から、38度程度の高熱が続き、熱は二日ばかりでおさまったが、腹は痛くないのに得体のしれない下痢が三日ばかり続き、ようやく今日になって通常に戻った。チチタケもタマゴタケもそのような毒性が報告されておらず、一緒に入れた少しばかりのヒラタケも無毒なのであり、間違って猛毒のツキヨダケと間違った可能性もない。高熱の際は、一瞬「コロナ」に感染したのかもとも思ったが、高熱は二日ばかりで収まったし、頭痛ものどの痛みもなかったのでそうではあるまい。今度また、.同じようなキノコの組み合わせで食べてみて同じような症状がでたら気を付けなければならないとおもうが、単なる飲みすぎと夏風邪だったと信じたい。盆過ぎに「18きっぷ」を購入して...18きっぷで行く富士山

  • 山でいただくコーラ、家でいただくキノコ蕎麦

    家でカチンカチンに凍らせたアクエリアスのパック(じつは家でOS-1に詰め替えた使いまわしパック)とその日の朝に駅の売店で仕入れたコーラ500mlをモンベル製クーラーバックに並べて山に向かい、汗をかきかき、我慢をしながら山頂付近まで登り詰めて、見晴らしのいい場所に着いたら、座り心地のよさそうな岩に腰かけて、そのクーラーバックのジッパーをおもむろに開き、ギンギンに冷えていたコーラをグググイと飲み込む。これ、夏山の至福のひと時なるかな。そして、夏の低山歩きで夢中なのは栃木県民(だけ?)がこよなく愛するというベニタケ科のチチタケ探し。おおむね6時間の山歩きをしながら血眼?で登山道の脇をチェック。昨日は、まだ虫の入っていない6本ほどをゲット。下山中に見つけたテングダケ科のタマゴダケとヒラタケ科のウスヒラタケとつけ汁...山でいただくコーラ、家でいただくキノコ蕎麦

  • 2万円のスマホでも野山でしっかり働いてくれそう

    昨夜届いた2万円のアンドロイドスマホの機種変更手続きを無事終える。4月にスマホを亡くした時には、「ラインのトーク」や「おサイフケータイ」のバックアップができていなかったので、だいぶ被害を受け、回復に時間を要したが、今度は事前にバックアップやおサイフお預かり機能などができたのですんなりいった。例えは悪いが、やはり「突然死」と「余命宣告を受けての死」のどちらを選ぶかと選択されれば、「残された者」?にとっては後者のほうが混乱もなく相続ができるのである。ただし、死する側の立場に立てば前者が精神的に楽なのである。(ああ、例えが悪かった。)で、2万円のスマホは、スマホを使いこなす若者にとっては、その劣位は明らかなのあろうが、「突然死と余命宣告」を気にしているジジイにとっては、そんなことは知る由もない。逆に、この十数年...2万円のスマホでも野山でしっかり働いてくれそう

  • 人生〇代目のスマホ君にわずか4か月でお別れを・・

    この4月、宮城蔵王の山域でズボンのポケットに入れていたスマホを、山菜の女王といわれるタラの芽採取に夢中になっている間に、どこかの草むらに紛失した。紛失に気付いた直後からヒメギフチョウの観察もそこそこに懸命に捜索したが現れてくれなかった。幸い家の者が同機種を購入していて使用していないのがあったので、SIMといわれる通信チップをそいつに挿入するだけの被害で、おおむね現状を回復し、しばらくは平穏の日々を送らんと過ごしていたのだが、先週の朝目覚めて、いつものように枕元に置いていたそのスマホ君を開いたら、なんと画面中央に鮮やかなピンクの縦の線条が数本輝いていたではないか!何も悪いことをした覚えはないというのにだ・・・・(〇〇教の信者だったら、お盆に先祖をお参りしていないせいだと咎められたかもしれない)再起動しても、...人生〇代目のスマホ君にわずか4か月でお別れを・・

  • キノコを学びながら夏を乗り切る

    1年前の山歩きスタイルと比べたらすごいぜ。ザックにクマ鈴を二つ、ホイッスルと防犯ブザー(ただしヒャッキンの小学低学年生用)を括り付け、肩にかけたサコッシュにクマよけスプレーと虫よけ用ハッカ油スプレーと液体ムヒ、プラス、ザックのヒモに携帯蚊取り線香とノーマット(ヒャッキン)と夏の低山歩きの完全装備のいでたちなのだ。そこまでして、どうして出かけるかというと「キノコ」にハマっているからである。1年前までは「夏キノコ」という言葉さえ、そして食べられるキノコの名前さえ知らなかったのである。去年の秋から今年の夏まで採取していただいたキノコの名前。秋、「ムキタケ」「ヒラタケ」「ウスヒラタケ」「マスタケ」「アイカワタケ」夏、「タマゴタケ」「チチタケ」「ヤマドリダケモドキ」「アカヤマドリ」と全く1年前まで名前さえ聞いたこと...キノコを学びながら夏を乗り切る

  • ペルセウス流星群とTJARのお茶の間ウォッチ

    今年のペルセウス流星群の極大となる日と時間帯が本日12日の23時ごろから13日未明にかけてだと天文観測手帳の情報を得ていたので、昨日と今日の二泊尾瀬のキャンプ場に予約を入れておいたのだが、間が悪いことに台風5号が東北地方を横断するとの2,3日前からの予報を受けて、この予約はキャンセルとした。ほんとに運の悪い男である。その台風ときたら北東北方向を横切り、仙台は12日昼現在、まったくのそよ風と小雨程度であり、沖縄で台風を何度も経験した者にとって、何らあの怪物的な気配をもった台風の雰囲気がみじんも感じられず、肩透かしを食ってしまった。「登山天気アプリ」をのぞいたら、尾瀬の燧ケ岳は晴れマークも見せており、キャンセルせずに行っていれば、あるいは「1時間に60個も期待できる」とされていた流星に目を見張っていたかもしれ...ペルセウス流星群とTJARのお茶の間ウォッチ

  • 夏の山で飲むゼロビール

    家の冷蔵庫の冷凍室でペットボトルの水やスポーツドリンクを凍らせておき、朝、山に出発する前にモンベルのクーラーバックに入れておけば、午後まで氷がすっかり解けることなく、ギンギンに冷えた水分で乾いた喉を潤すことがわかったので、昨日はこのバックにノンアルコールのビール350m缶を秋空間に入れて泉ヶ岳に出かけたが、山頂に至る前に体がビショビショになるほど.汗をかいてしまったので、途中の休憩場所で我慢できずいただいてしまった。山で乾いたとき「ガンガンに冷えたビール」を飲む快楽を知っているだけに期待したが、ギンギンと冷えてはいるが「う~ん、いまいちの味」、やはりビールにアルコールが含まれないと、なにか体が楽しまない。多少罪の意識を抱えながら、山頂で飲むビールじゃないとビールの存在感を受け止めることができない。ただし、...夏の山で飲むゼロビール

  • 夏空・沢音・セミの歌・・・ 故郷の山と空をながめて

    パキスタン・カラコルム山脈のK2峰で仲良く永遠の旅に出かけようとしている二人にとって、故郷の山の風景はどんなだっただろう。平出さんは長野県育ち、八ヶ岳や南アルプス北部の山々が心の残っていただろうか。中島さんは奈良県育ち、吉野や紀伊の山並みが目に焼き付いていただろうか。雪と氷と岩の世界に魅入られて、そこを人生の舞台に選んだ二人であっても、故郷日本の青い山並の四季の風景、沢の音、小鳥やセミの歌声、高原を渡るさわやかな風の匂いは忘れることはなかったろう。オイラの故郷の山の一つといってもよく、何度も登っている泉ヶ岳の頂上付近の岩に腰かけて、雲間から現れる夏空とその下方に広がる北蔵王の山並みを眺めながら、そんなことをぼんやり考えていた。「ギィ・・・・・・・・・・♪」抑揚もなく単調な音ではあるが、エゾゼミの歌声を聞く...夏空・沢音・セミの歌・・・故郷の山と空をながめて

  • 金字塔の壁に動かぬ二人

    金字塔K2峰(.ライセンスフリー画像)日本で今やもっとも著名であるといえるアルペンクライマー平出(ひらいで)和也さんと中島健郎(けんろう)さんのお二人は、パキスタンのカラコルムに聳え立つ金字塔・世界第二の高峰K2(8,611m)の未踏ルート・西壁からの登頂にチャレンジしていた。7月27日、日本時間午前9時33分、標高7000m地点にいた平出さんから「日帰りでC2(第二キャンプ地)より上部を偵察に行く。」と連絡があったが、同日11時30分、二人とも滑落したとの報告をうけたと二人が所属する「石井スポーツ」から第一報が入った。おそらく現地BC(ベースキャンプ)で二人を支援していたスタッフが無線や望遠鏡などを使用し、ふもとから二人の動向を逐次チエックしていたのではなかろうか。現地との時差は約4時間(日本が早い)だ...金字塔の壁に動かぬ二人

  • 日曜日朝の散歩のあとで.・・・

    日曜日の朝、数年前からコンビニで毎日新聞を購入して、他紙のなかでも最も充実したパズル(特に大きなクロスワードがひいき)に取り組むことを日課としていたが、この二月に歩いて三分ほどにあったコンビニが閉鎖となってから、少し歩いた距離にあるコンビニまで歩いて、同紙日曜版を手に入れる始末となった。それが、悲しいかな、(失礼だが)毎日新聞購買層が極端に少ないと思われる東北の地方都市のコンビニでは、いまや同紙を新聞棚に置いているコンビニは少なくなってきて、オイラの知る限り特定のローソンにかろうじて一部のみ陳列されている状況なのである。そして、オイラと同好の士がいるというのか、そのたった一部の新聞も日曜の昼近くにもなるともはや姿を消しているのだ。今朝も、まだ9時30分を過ぎたばかりだというのに、歩いて20分ぐらい歩いたと...日曜日朝の散歩のあとで.・・・

  • 遥かなる山、日高山脈ペテガリ岳

    yahooニュースなどを通じて、山の遭難報道は毎日のようにチェックしている。7月半ばまでの富士山での死亡事例を含め、このところ高齢者の山岳遭難のニュースが目に付く。富士山はやっと晴れるようになったが、北アルプス方面は、いまだ梅雨明け前の悪天が続いているようで、体力や反射神経の衰えた高齢者たちが、この悪天による低体温症、疲労、滑落などを原因として死傷しているようだ。また、昨今の営業小屋の宿泊代の高騰災害の遠因になっていないか。高い山小屋料金の支払いを躊躇して悪天時にかかわらず「停滞」を躊躇したり、予約済の者は高いキャンセル代を払いたくないなどの理由などもあって、荒天の予報が出ていても出かけたりすることが遭難の原因となっていないか。少し気になるところである。高齢者関係ではないが、22日の報道で、北海道の日高山...遥かなる山、日高山脈ペテガリ岳

  • クマよけ症候群患者

    未明は熱帯夜だったか、カナカナのあとにジリジリ、ミンミン、ツクツクと日中のセミたちまでもうるさく鳴きだしたが、ふしぎなことにそう長くは続かず、そのあとウグイスやスズメたちのささやきが時々耳に入ったが、野鳥たちの朝の給餌活動の気配をセミたちは察したのかもしれない。早く目が覚めたので、yahooニュースを閲覧していたら、上高地と前穂高の登山道に位置する岳沢小屋.(だけさわごや・2160m)のテント場に、21日夜、クマが現れてテントに覆いかぶさってきたとのニュースが目に入る。同じテント場では、18日にも無人のテント内にあったフリーズドライの食品がクマに食べられる被害があったとかで、テント内に食べられるものがあると学習したクマが、21日にもテント場に現れたのだろう。このニュースのコメント欄に、この小屋から登山道を...クマよけ症候群患者

  • 富士山ライブカメラの空に火球、あれはいったい何だろう

    富士山のライブカメラでも下記のAGEMATSUさん提供の山中湖方面から眺める富士山が好きで、このところチョイチョイと眺めさせていただいている。(晴れていれば)7月からの登山シーズンのいま、山小屋の灯りが登山道に沿って煌々と輝いている。一番列をなしているのは、今話題の山梨県側の富士吉田コース上にある山小屋。これらの灯りのいくつかの宿に、数回もお世話になった記憶がよみがえる。そのコースに八合目付近で交わる二つ三つの灯りの列は、須走コースの山小屋。9月にオイラが宿する山小屋の灯りも輝いているようだ。その奥の稜線にポツン、ポツンと輝いているのは御殿場コースの小屋の灯りだろう。数年前に泊まった宿もありそうだ。午前2時もすぎると八合目から上に一直線の灯りが確認できるが、これはご来光を仰ぐために宿泊先の山小屋を出発した...富士山ライブカメラの空に火球、あれはいったい何だろう

  • 星月夜と過ごす夕べ

    昨夜、7月21日の暮れに満月となった。久々に、晴れた夜空を仰いだような気がする。鬱陶しい日々を送っていて、夜空の輝きを忘れていた。晴れれば、もう日中は30度オーバーは当たり前の様相を見せているが、それでも日が落ちて、セミたちもカナカナを最後にひっそりしだすころ合いから、夜風を受けての天体観察は納涼にぴったしだろう。そろそろ、ムシたちも鳴きだすかな。虫の声を聴きながらも涼みにはいいかも。いちいち、家や宿を出入りするのはおっくうだから、キャンプをしながらテント場ちかくで星月夜の天体観察が絶好だろう。山沿いならば空気も澄んでいるし。東北南部、今日にも梅雨明けの報道がなされるであろう。暑い盛り、毎週、どこかのキャンプ地を訪ねながら星月夜の観察と撮影を試みよう。まずは、近場の泉ヶ岳に行って練習しようかな。星月夜と過ごす夕べ

  • 夏キノコの観察に行ったが、2時間で退却した青葉の森

    昨年から「食べられるキノコ研究」を始めたが、知らないことを覚えるのは子供のようで楽しい。たとえば、キノコ狩りといえば初秋から晩秋にかけての風物詩であったことから、キノコは秋に生えるものだと思い込んでいたが、図鑑を読むと、「春から秋」とか「夏秋」という風に観察できる季節が分類されているので「キノコは秋」は思い込みにすぎないことがわかる。そして、昨今はyoutube動画などのSNSを通じて、夏に採取するおいしいキノコなどの情報が盛りだくさんであり、それらを見ると例えば「アミダケ」(当地ではアミッコの愛称で親しまている)など傘の裏がひだではなく網状または細かい泡状の穴が無数にあるイグチ科のキノコは初夏から盛夏にかけてが、まさに今頃が旬だということがわかるし、テング科でも毒がなくおいしいとされる「タマゴダケ」、不...夏キノコの観察に行ったが、2時間で退却した青葉の森

  • 酷暑の日本列島を高地で過ごそう

    関東・東海地方の梅雨明け発表があった。気象庁の言い回しだと、「梅雨が明けたと思われる。」といつもどおりの責任回避論法なのであるが・・東北南部も、来週月曜日から晴れマークが続いているので、まもなくなのだろう。そして、また「記録的な高温の夏がやってくる」と、これだけは気象庁も気象予報士も断言しまくっている。東北地方太平洋側の「ヤマセ」や賢治さんの「サムサノナツハオロオロアルキ」という言葉がいやに懐かしくなってくる。もう、オイラの生きている間に、そういう時代はやってこないのか。報道機関は、毎日のように「お年寄りは無理せずエアコンを使いましょう!」と繰り返すが、我が家は残念ながら一度もエアコンを家に設置したことはない、扇風機・団扇派なのである。(沖縄在住時を除いてだが・・)これまでは窓を全開にしていると、室温も3...酷暑の日本列島を高地で過ごそう

  • 山上で鳴るプッチーニのアリア

    先週末、栗駒岳(1626m)から「天馬尾根コース」の緩やかな尾根を踏みながら、途中行き会った二人組の家族と花を愛でながらおしゃべりしつつ最終ピーク秣岳(まぐさだけ・1424m)に到着。このコースでは、トキソウ、サワラン、キンコウカ、イワイチョウ、モウセンゴケの花などを観察。二人組が先に下って行ったので、思い出したようにザックの雨蓋から、こないだ購入したBluetooth用スピーカを取り出して、スマホに録音したNHKFMの音楽番組「かけクラ」を再生したものをつないでみた。山頂にプッチーニのアリア「私のお父さん」が澄んだ音で鳴り響く。誰もいないので音量を最大にして聞いてみた。山上から100メートル四方にソプラノの声は響いたかな。これぐらいの音量と音質だと、さすが耳のいいクマさんは「異界から異様な音が聞こえる!...山上で鳴るプッチーニのアリア

  • 故郷の山をもっと歩こうよ・・キンコウカ咲き誇る夏の栗駒山の宿

    梅雨の晴れ間の予報を受けて、栗駒山の岩手県側の登山基地である須川高原温泉の湯治部に二日ばかり逗留してくる。名峰があって、その山を歩くためのコースがいくつかあって、その宿から日帰りで目指す山を登ってこられて、そこまでにバスや鉄道といった公共交通機関が通じていて、自炊ができるプランの部屋があって、もちろん料金はリーズナブルで、そして何よりも何度も入れる良質の温泉があって、というすべてのベターな条件がかなえられる宿というのは、東北にあっても数少くなってきているが、須川高原温泉は、そんな要件をすべてかなえてくれる宿と言って過言ではあるまい。蔵王と並び、オイラにとっては故郷の山といえる栗駒山なのだが、数えてみれば、訪れたのが高校ワンゲル時代を含めても10回に満たないのだし、そのほとんどが日帰りで、この宿を利用するの...故郷の山をもっと歩こうよ・・キンコウカ咲き誇る夏の栗駒山の宿

  • あのCMの風景を探せ

    最近盛んに流れている「サントリー天然水」のCM。俳優柄本佑さん扮する父親が山道を走る男の子を追いかけて、「大丈夫・・そろそろ休憩しようか」と言って、その子とペットボトルの天然水をゴクリと飲み、安藤サクラさんが「その天然水は100年先を約束している・・・」とナレーションを入れる、あのさわやかなCM。バックに流れている「ハナミズキ」を歌う女学生コーラスも気になるところだが、山好きには何といっても背景の残雪をいただいた雄大な山々が気になるところ。「はて?どこの山だっけ、見たことがあるぞ・・」とyoutubeのCM動画を何度か繰り返してあの山々の特定を試みる。そうして・・昨年4月に撮った白馬町松川上流に展開する白馬連山の写真などと見比べてみたら、白馬天狗尾根から鋭く切れ落ちて不帰の劔に至る稜線や白馬三山と三国境に...あのCMの風景を探せ

  • オリヒメ・ヒコボシたちの夜に

    今宵は七夕。夜が更ければふけるほど南の天頂近く天の川をはさんで、向かって右側に織姫星(こと座の一等星ベガ左側に牽牛の彦星(わし座一等星アルタイル)が輝いているはずだ。夏の三角形とは、このオリヒメとヒコボシと白鳥座の一等星デネブを結んだ正三角形に近い形をいうが、どうして古代中国のオリヒメ・ヒコボシ伝説にこの白鳥座のデネブを登場させなかったろうか、という疑問が残るが、もしかしたら伝承にあるオリヒメとヒコボシの逢瀬を仲介するカササギ役目をこのハクチョウが担っていたのではないだろうか、デネブをハクチョウの尾としたら、天の川に横たう巨大なハクチョウの羽が天の川に架かる橋となって、オリヒメ・ヒコボシたちはその橋を渡ったのではなかろうか。そんな他愛もないロマンスを想像する齢でもなくなったが、熱い昼間から逃れて少しは涼し...オリヒメ・ヒコボシたちの夜に

  • ニィニィ鳴いて、暑い暑い夏がやってj来る

    おとついあたりから、公園の松林を歩くとニィニィ(セミ)の高周波が耳に届きはじめた。七月初めのニィニィ、七月末から旧盆までのカナカナ(ヒグラシ)、旧盆過ぎのツクツク(ボウシ)、彼らの音響が、幾たびも本州の夏を生きてきたオイラの心を慰めてきてくれたことか。このニィニィの「岩にしみいる声」と「閑さ」を、芭蕉翁になったつもりで体験したくて、毎年のように7月のはじめ山寺の立石寺にお参りする。吹き出る汗をぬぐいながら、いくつもの石段を登り、奥の院にお参りした後、五大堂の舞台に立って、夏の風を正面に受けながら、山寺の集落を囲む北蔵王の山々を眺める。この時耳を澄まし、あのニィニィの声を拾う。そして、冥界にいる心地とは、このようであってくれと祈る。オイラの山寺参りは、この五大堂の舞台で芭蕉翁の蝉音を追体験することで結願する...ニィニィ鳴いて、暑い暑い夏がやってj来る

  • なつかしい夏のオアシスで眠りたい

    どうしたことか、昨年は一度もテント泊をしなかった。昨年はコロナ禍からやっと解放され、どこにでも行こうと行けば行けたし、まだコロナが怖いのならテント泊で足りたのに、それでもどこにも行かなかった。じつは、6月初めと8月半ばに尾瀬のキャンプ場を予約していたが、どちらも悪天やら何かの事情でキャンセルしている。夏山でどうしても登ってテントを張りたい場所もあった。北アルプスの種池山荘付近にテントを張って、そこから裏剣の威容をみて、日帰りで鹿島槍に行ってきたかった。どうして行かなかったのだろう。もうアルプスのロングトレースはきついと自覚しているが、立山の雷鳥沢だけでなく、ちょっと苦労して登ればそこにテントを張って軽装登山できる場所はいくつもある。北アルプスなら、梨木平、横尾山荘あたりを基地として何日か過ごして、日帰りで...なつかしい夏のオアシスで眠りたい

  • 何ものかに引き寄せられるかのごとく・・富士山の山小屋を予約してしまう

    やっぱり、今年の吉田口山開きは強風を伴う悪天により、頂上で日の出を仰ぎながら万歳する絵は報道されていない。山梨テレビの記事では、せっかく7合目の小屋まで前日登ったのに、今朝はあきらめて下山したものが多いようだ。風は南西からのものであり、北面に位置する吉田口の登山客らはまともに風を受けることなく何とか下山できたのだろう。賢明な行動である。これがもし山頂付近まで無理して登ったら、稜線の暴風に巻き込まれ、こないだの複数人の遭難者が火口で発見されたような惨事に至るところだったかもしれない。「君子危うきに近寄らず」である。ところで、オイラは、昨日の午後から富士山のライブカメラを眺めながら、「須走ルートだけは未踏なので、未練はある・・」みたいなことを記してしまったせいかもしれないが、こんだけ騒がれている富士山に嫌気が...何ものかに引き寄せられるかのごとく・・富士山の山小屋を予約してしまう

  • 富士山山開きは「空想登山」で

    2024年6月30日午後、オイラは富士山の現在形を映し出しているライブカメラを時折のぞいている。河口湖の北面をのぞむと、富士山山頂に黒い雲がかかり、さらにその上に傘雲状の雲まで張り付いていて、富士山の八合目から上は、悪天の兆しが顕著である。今年の山梨側山開き前日は、梅雨前線らしき長い前線が日本海側に張り付いて、明日にかけて低気圧が北上しており、本州全体が下り坂気味である。アプリ「登山天気」を開き、富士山頂の予報をみると、明日7月1日の日の出時刻は午前4時21分だが、その前後の予報では、天気は小雨のち雨、気温は7℃前後だが、風速が南西の風21mとあり相当な強風が吹いている予想である。まあ、日の出時刻に吉田川山頂にいれば、雲の切れ間からあるいは日の出が望め、万歳をする登山者の後姿を撮影した新聞社の第一報が報じ...富士山山開きは「空想登山」で

  • クマ騒動は続くよ、どこまでも

    予想していた通り北八甲田の酸ヶ湯温泉周辺は、登山道の立ち入り規制のみならずクマ被害にあった地点を中心に半径3キロが、国有林であることから管理者である国によって「入山規制」されたようだ。これによって酸ヶ湯温泉側から北八甲田の大岳方面、谷地温泉から高田大岳に至る一般登山道が閉鎖状態となったようだ。疑問に残るのは、猿倉温泉を起点にする、いわゆる南八甲田といわれる櫛ヶ峰(1516m)や駒ヶ嶺(1416m)方面の登山はどうなんだという疑問がわいた。報道によれば「入山規制」は、すべて観光道路となっている国道103号線を挟んで北側、いわゆる北八甲田のエリアだけのようだ。人があまり入らないが、夏にはワタスゲが風に揺れる高層湿原とたおやかな山容が魅力的な東北百名山にも選ばれている櫛ヶ峰などの登山はできないのだろうか。と疑問...クマ騒動は続くよ、どこまでも

  • 酸ヶ湯温泉周辺、登山道、そしてキャンプ場まで閉鎖の憂き目に

    ATV青森テレビの報道によれば、クマによる人身事故を受けて八甲田山の酸ヶ湯温泉から睡蓮沼までの間にある登山道の入り口が立ち入り禁止となり、何とオイラが憧れていたキャンプ場まで閉鎖になったとか。おそらく、酸ヶ湯温泉方向からの今季の登山は絶望的だろう。登山道にある毛無岱の広大な高層湿原などは、これからが高山植物の見ごろを迎えるだろうに残念がっている登山者も多いことだろう。被害者の近くにいたクマを猟友会や警察が取り逃がしたということで、そのようなクマが危険であることは、先月の鹿角市での二次被害からも明らかであり、当然の措置だろうが、一個体のクマの行動範囲を考えるとそれだけでいいのか不安である。また、山菜採りの者は、何も登山道を利用せずともどこからでも入山できるので、登山道入り口だけを閉鎖しても、山に入ろうと思え...酸ヶ湯温泉周辺、登山道、そしてキャンプ場まで閉鎖の憂き目に

  • 酸ヶ湯温泉周辺における不都合なニュースと不気味なコメントの傾向

    青森県北八甲田の酸ヶ湯温泉からほど近い地獄沼付近で、25日までタケノコ採りの高齢女性がクマに襲われて死亡が確認されたとの報。この付近では、二、三日前も同じようにタケノコ採りに向かったグループが、クマに襲われたり、持ってきたおにぎりを奪われるという報道もあって、入山規制があってもおかしくはなかったが、死亡事例までに発展したことは、残念でならない。先月は、八甲田から直線距離で五、六十キロ南に離れた十和田湖の南岸方面の秋田側でも、同じようにタケノコ採りの男性が人身被害にあって命を落としており、まじめな話、北東北の八幡平から八甲田にかけた山岳エリアのクマさんには、何やら得体のしれない脅威を感じざるを得ない。ヒトを攻撃対象とするクマの子孫たちが、このエリアに広がり始めていないかという脅威なのかもしれない。山菜採りだ...酸ヶ湯温泉周辺における不都合なニュースと不気味なコメントの傾向

  • されどフィルムカメラ、思い出だけが美しいか・・・

    ミドルエイジ以降のカメラ愛好家なら「ペンタックス」というカメラの愛称で呼ばれていたカメラを知らない人はあるまい。かつては旭光学工業という会社のカメラメーカーがつくるカメラだった。とくに風景写真を目指した方なら「ペンタックス67」や「ペンタックス645」などの中版カメラに憧れたもんだ。昭和の終わりから平成の半ばまで、おいらは幾度となくこれらの機材(交換レンズまで含めて)購入を検討したが、山歩きには重いという理由のほか、新品で一揃い購入したら数十万はかかるだろうという、おもに経済的理由でついに手を出さなかった。あるいは、手を出していればほかの遊びをやめて、別の人生を歩んでいたかもしれないのだが・・たとえば、90年代の半ばに知り合ったある団体の事務局長は、重たくて大きい「ペンタックス67」の愛好者で、日本全国の...されどフィルムカメラ、思い出だけが美しいか・・・

  • 仲夏(夏至・・)のころの雨色=水色の花たち

    宵月を蛍袋の花で指す中村草田男昨日の夏至の日、野草園で、決まってこのころに姿を見せるホタルブクロ(蛍袋)の白や赤紫の紙でできた提灯のような花たちに出会って、オイラは草田男の詠んだ句を思い出していた。ホタルブクロの茎を根元のほうから切り取って、まるで小さな提灯をぶら下げた格好で白い花を月に向けるなんて粋であり、絵になる。ホタルブクロの名のいわれは、多くの図鑑が、昔(といってもいつの昔かわからないが)子供たちがホタルブクロの花の中にホタルを入れて遊んだから・・とまるでメルヘンのように書いているが、それはないだろう。蛍はすぐに逃げてしまうし、もしも閉じ込められたとしてもストレスで、とてもお尻に明かりを灯す気にはならないであろう。それよりも、昔(江戸のころか)細長い提灯をまるでホタルのような明かりを灯すからそう名...仲夏(夏至・・)のころの雨色=水色の花たち

  • ささやかな幸福の日々、 オオタニサン ちゅらさん バスセンター風カレーづくり

    午前中・・・このところNHKBSで放送されるオオタニサン出場のドジャース戦観戦が日課となっており、オオタニサンが活躍してドジャースが勝った日には居心地がいい。今朝なんか、二本もホームランを打っての勝ち試合であり、1日中幸せな気分が持続する。ドジャースは勝率が高いので気持ちの良い1日の確率も高い。プロ野球ファンに申し訳ないが、このところのオイラには、野球といえば、もうドジャース戦だけで充分である。NHKさん、もう毎日のように放映してくれるから、観て、勝って、ささやかな幸福をいただける日常は悪くない。昼・・・・このところロスの時間帯から、オオタニサンの試合は昼をはさんで行われているのだが、そちらの放送はつけっぱなしにして、もう一台のテレビをつけてNHK総合で再放送されている朝ドラ「ちゅらさん」を視聴している。...ささやかな幸福の日々、オオタニサンちゅらさんバスセンター風カレーづくり

  • クマさんの森にラジオを響かせることができるか

    数年前までは山を歩きながらラジオを鳴らしているオッサンがいたら軽蔑したもんだった。この森の、鳥の声を、樹々のざわめきを、風のハーモニーを山男らしく静かに耳を傾けぬかと・・山に街の騒音を持ち込むなと・・だが、最近のクマ騒動を受けて、ヒトを怖がるようなまっとうなクマよけ対策としてラジオも必要ではないかと思うようになってきた。臆病者のゆえの心の変化が残念でならない。そこで、家にある小さな携帯ラジオを山に持ち込もうと考えたが、大方の山、特にクマさんと出会いそうな鬱蒼とした森の中は電波状況が悪く、思うように鳴らせないことに気づいた。それでは、スマホが役に立ってくれまいか、と考えた。電波の届く範囲ならスマホはクリアに音を拾える。電波の届かない場合は、オフラインでも録音していた音を流せばよいのではないか、と考えた。ただ...クマさんの森にラジオを響かせることができるか

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