輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
今日、梅田で2つの商業施設がオープンしました。とても高いビルですから写真に撮ろうとすると縦位置で構えるのが一般的だと思います。私は基本的に横位置で撮るようにしているので遠くから撮るか、広角で撮ることになります。ただそれでは説明的になるのでけっこういい加減なフレーミングで撮ることが多いです。それにしても、ミナミも含めてでっかい建物ばかりで写真を撮っていると、自分がアリンコみたいに思えてくるのでした。...
どうしても自分の思い通りに撮りたいのがカメラマンの素直な気持ちなので構図やボケなどいろいろ工夫して撮影しますよね。それはそれでいいのですが程度問題で、やりすぎると被写体をよそ行きの顔にしてしまうように思います。スッピン顔がいいか、メイク顔がいいか好みの分かれるところではないでしょうか。...
通りすがりの○△□240727・slow dance with summer 1
写真の撮り方で「よく見ましょう」とよく言われます。写真は見ることがすべてと言えるので強調されるのですがそのことを意識し過ぎるのも、どうかなと思っています。土門拳さんは風景か仏像か、どちらかだったと思うのですが「走っている」と言っていたそうです。つまりよく見ている暇なんて撮影ではないのが実際ではないでしょうか。撮影の時はカメラマンも走る必要があると思っています。走るというより動き回ること、ですね。被...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 3
写真は目の前の光景を、そのレンズで写して二次元の平面の静止画像にしたら大体こんなものという像に過ぎません。不完全で、不正確な、あくまでこんなものなので、参考程度にしてくださいというのものなんですね。写っている本体の代わりではなく言葉にすると面倒なので、画像にしているだけなのです。イラストで描くのが苦手なので、画像にしているだけなのです。本体のことについては実際に会ってみること、触ってみること、行っ...
撮影してきました。近鉄生駒駅周辺だけですが駅構内は土曜日ということもあって人が多かったです。ところでアマチュアの人の写真の撮影カット数は夏と冬ではどちらが多いのでしょうか。それともいい勝負なのでしょうか。べつに勝負することもないのですが・・・...
今はテレビの画面で街角の風景の人物にはボカシが入ることが多くなりました。個人情報、プライバシーを考慮してですね。ボカすこととはその人ががそこにいたことを曖昧にすることです。曖昧にすることで、その人はそこにいたのにいなかったことにされるのです。いずれテレビの街角の風景の映像にはAIが作った、街行く人たちが登場するのではないでしょうか。もう、ボカシを入れる手間がなくなって、画面のモヤモヤもなくなり、スッ...
通りすがりの○△□240619・さよならはこんにちはのせい 2
「事実唯真」という言葉を聞いたことがあるのですが今も気になっています。「写真」はそのままに解釈すると「真実を写す、写したもの」ですがよく「写真」は真実を写すのか?と議論されます。でも、その前にハッキリさせないといけないのが「真実」とは何かなんですね。「真実」とは本当のことと言ってしまうと堂々巡りになってしまいます。辞書的な意味からは外れますが「真実」というのは人間の数だけあるのではないでしょうか。...
ある程度の違いはあるにしても人間が見ている世界は、人間たちにとっては共通だと思います。そうでなければコミュニケーションが成り立ちません。では、鳥や魚や昆虫たちにはこの世界はどのように見えているのでしょうか。複眼だからといって世界がいくつにも分かれて見えているわけではないそうです。でも、この世界は、いろんなバージョンで成り立っていて、人間の関わっている写真の世界も今は予想出来ないような世界になってゆ...
写真がウソをつくのではなく人間が写真を使ってウソをつくんですね。あるいは写真に似せて嘘をつくのです。どちらにしても、写真には罪はありません。カメラは、自分の前にあるモノを写しているだけなのですから。カメラは、撮る人のウソを写すことは出来ないのです。...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 8
最近、写真を撮っている夢を何回か見ました。どうしたんやと思っています。その中の撮り方が全然ダサいのです。撮っている自分が全然カッコよくありません。写真家なら夢の中で撮影のインスピレーションを得るのでしょうが夢で現実を突きつけられるのはツライところがあります。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 10
ノスタルジー・・・もう取り戻せないあの頃への思いが人間には必要なことがよく分かるのが写真なんですね。不確かで当てにならない、ただ、ただ明るい未来よりたとえちょっぴりうす暗いけれど、確かにあった過去のほうに人は惹かれるのだと思います。ノスタルジーそのものが幻想だったとしてもあったことにしたいのです。若くて、元気で、みんな仲がよくて、ほのぼのとしていた過去でホントの私を生きるのです。...
写真は現実をそのままにした再現ではないけれど現実をもう一つの姿として捉えたものだと思います。だから現実にはこだわる必要があると思うのです。加工がダメなのではなく現実から極端に遊離してしまうのがマズいのだと思います。写真のその人、その場所との何らかのつながりを断ち切ってしまうとそれは写真というよりデジタル画像になってしまうように感じます。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 9
写真は記録でもあり、記憶でもあると言われています。発音するとよく似ているんですね。それで同じように思われています。でも、記録はカメラ側に属し、記憶は人間側に属します。そのため微妙にズレが生じることになるのです。そのズレが写真の面白さだと思います。自分の思ったことが写っていないことがあるのは仕方のないことだと思います。...
関東甲信・東海地方は梅雨が明けたのですね。近畿地方ももうすぐだと思います。昨日は祇園祭の前祭山鉾巡行でした。若い時に撮影に行ったことがあるのですがとても今は行くのは無理・無理です。ただ、夏の風景を少しは撮りたくなったので短時間なら大丈夫だろうということでいつもの公園へ、ちょこっと散歩撮影に出かけました。さすがに短時間で帰ってきたのですが写真は現場に出向かないと撮れません。涼しくなってから真夏の風景...
イソップ童話にキツネとすっぱいブドウの話があります。取れなかったブドウにケチをつけたことをあまりいい意味には受け取られていませんよね。キツネが自分の能力不足を認めたくないのであのブドウはきっとマズいんだと決めつけて自分を正当化したのだと。でもそうでしょうか。単なるキツネの自分の負け惜しみだったのではと思うのです。とても人間的なキツネだと思います。むしろ、届かないブドウにいつまでも固執し飛びつきを繰...
「AIに負けない写真の撮り方」を考えていてもあまりいい答えは出て来ないように思います。なにしろ相手は何億人(?)ものデータなのですから戦う相手を間違えている気がするのです。アマチュアは、別にAIに負けてもいいのではないでしょうか。アマチュアの関わる相手は現実に存在する被写体です。仮想現実や拡張現実にも被写体はいるのかもしれませんが今のところよく分かりません。やはり自分の手でカメラを持って、足で歩いて周...
エモさは最初は元気が出てくるけれどいつの間にか逆に元気が出てゆく気もします。多量に摂取すると何も感じなくなって次第に過激化してゆく気がします。やがて中毒化して、それがないと落ち着けなくなって気持ちよくなるために始めたのがいつのまにか苦痛になってしまう気がします。これ、写真の話です。...
世の中は曖昧なことで出来ているのかもしれません。ハッキリと白黒つけることが出来るのはめったにないようです。白黒で連想するのが写真ですよね。モノクロ写真は世の中の曖昧さを写すのに適するのかもしれません。それにしてはハイコントラストで白トビ、黒ツブレの写真が人気なのはそうでもないのかなと、思わせられるのです。ある程度グラデーションがあったほうが世の中の曖昧さを表現できるように思います。ハイコントラスト...
「ダニング=クルーガー効果」というのがあるんですね。実力のない人ほど自分のことをスゴイと思いたがり、実力がある人ほど自分のことに謙虚になるということらしいです。さらっと、説明を読むとなるほどと思うのですがちょっと、立ちどまりたくもなるのでした。写真の場合、よっぽどでなければ誰の評価も得られていない自分の写真をスゴイと思う人はまず、いないと思うのです。それなりの評価がもらえたら自分の写真も結構いいの...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 7
写真に向いている人と向いていない人がいるそうです。向いていない人については書くと炎上するから書けないと言っています。その発言を読んでいたのですが、いくらプロでもなんでそんな思わせぶりの言い方するんだろと思いました。写真に向いているか、向いていないかはそれぞれ自分で決めればいいことではないでしょうか。プロやベテランから「あなたは写真に向いていますよ」と言われて出たやる気は、あまり持続力はないと思いま...
無駄を排除するのがビジネスだとしたら無駄を歓迎するのがアートだと思います。フィルム写真に惹かれるのは無駄の存在に魅力を感じるからではないでしょうか。無駄の面白さを味わえるということだと思います。効率を優先すればデジカメのほうが明らかに適切です。ほぼ確実に綺麗に撮影できます。今は、フィルムは高価になったのですからそれを承知でフィルムの無駄が楽しいのです。出来上がるまで待たなければならないという、時間...
ビジネスは失敗はダメですよね。途中の試行錯誤の失敗は許容されても最終的には成功が求められ、評価されます。いっぽうアートには失敗はありません。むしろ失敗が評価されることがあるのです。いかに失敗するかがアーティストに問われるのです。成功と思われていることに対して「はて?」と疑問を投げかけるのがアートの役割だと思います。ただ、アートとビジネスを結びつけることは出来ますし、アートとビジネスを完全には引き離...
デジカメはいろんなことが出来るようにしてくれました。そのいっぽうで、フィルムカメラやチェキやポラロイドも人気があります。人は何でもできるようになるとかえってつまらなくなるところがあるのではないでしょうか。不自由なほうが、思い通りにならないほうが楽しかったり、きれいに、鮮明に写らないほうが、エモかったりするのです。...
どうして雑誌の表紙の人物はたいてい笑って写っているのでしょうか。まず、笑顔がいちばん好感度を与えるからだと思います。それと笑顔は人に安心感をもたらします。あなたとは敵ではないので争うつもりはありませんよ、ということです。でも、それを逆手に取って相手を油断させることもできますよね。笑顔は悩ましい、表情だと思います。さらにマスク顔は表情そのものが分からないので「マスクの下は笑顔です」という相手を信じる...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 6
「頭ごなしに写真とはこういうもんだ!と、自分の考えを押し付けてくる、おじさんカメラマンって、嫌だよね?」と言っている人がいたとします。そしてそのあとで、そのカメラマンおじさんは「そうじゃなくて、オレは写真はこうあるべきだと思うんだっ!!」などと言ったりするのです。ん?...
じつは写真そのものに興味がある人はそれほどいないのではないでしょうか。写真はイラストや絵のように腕前みたいのものがなくても手軽に自分の思うように描けるアイテムなのだと思います。それで、写真でいろいろ出来れば写真を作ることにもあまり抵抗がないのだと思います。写真は撮る時代から作る時代になって久しいのですが最初のころにあった、ためらい感みたいなものは無くなってしまったのでしょうね。何しろ、AIに話しかけ...
撮影しました。途中、ひどい露出オーバーになっていることに気づきませんでした。もっと早く気付けばよかったのですが。私はあまり撮影ごとにモニターをチェックしないからですがまあ、これはこれでいいかなと思って投稿します。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 8
毎年、7月7日が近づくとなぜだかワクワクしてきます。じっとしていても何かいいことがやってきそうな気分がしてくるのです。「たなばた」を「たなぼた」と勘違いしているんですね。天の二人には失礼なカメ爺です。そんな私の撮る写真ですから「たなぼた写真」です。運任せで、楽して「いい写真」を撮りたいという、他力本願の虫のいい話です。でも、世の中はもちろん、写真の世界もそんなに甘くはないのでした。...
晴れの日は影の部分がつぶれたり光の当たったところが飛んだりしますよね。コントラストの強い、見た目はインパクトのある写真になります。曇りの日は光はフラットになるのですが見た目は少し大人しい感じのする写真になります。雨の日は、曇りの日よりはコントラストが付くようでメリハリが出るように思います。被写体の輪郭がハッキリしていいですね。それに、公園には人がほとんどいないのでとても撮りやすかったです。雨の日を...
いつもは雨の日の撮影は避けているのですが久しぶりに撮影したくなりました。予想で数時間は小雨の状態が続きそうなのでいつもの公園に出かけることにしました。左手に軽量の折り畳み傘、右手にカメラを握っての撮影です。その体勢で何とか撮影を続けることが出来ました。あとはいいカットが撮れていれば言うことがなかったのですが言うことはいっぱいあったのでした。...
世の中、「たら・れば」があふれているように思います。写真も例外ではなく「たら・れば」が元気です。「もう少し早くシャッターを切っていたら」「あの時、いい光線状態であれば」・・・...
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輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
人間のカラダの目は外を見るようにできています。人間のココロの目も外を見るようにできればよかったのです。でも、人間のココロの目は内を見るほうが圧倒的に多いです。そのため2つの目を分裂させてしまいました。そして外のアレと内のコレを見比べてばかりでいます。「勝負・好悪・正誤・善悪・美醜」などを秤にかけて判定に大忙しです。それはとても疲れることなのですが、回復する間もなくこう言うのです。 「なにか、面白い...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」とても文学的な文章で、意味深い感じがします。「過去...
人間の目には視野があります。人間は首や体を動かして、ぐるっと見渡すことが出来るので全体が見えているように思ってしまいます。でも実際は、視野というフレームの中の部分的なものを記憶して、それらをつなぎあ合わせて全体として脳の中で作り直しているんですね。写真を撮る時にはファインダー、あるいは液晶のモニター画面を見るわけですがそれもフレームです。人間のボンヤリした視野と違って、四角くてハッキリしています。...
「いいモノが売れるのではない。売れるものがいいモノなのだ」そのようなことを、大企業の経営者(?)の人が言っていたそうです。そんな話をだいぶ前ですが人から聞いた時、「なるほど、写真もそうかも」と思いました。「いい写真が人気になるのではない。人気になるのがいい写真なのだ」そのように言い換えれるような気がしたのです。SNSはそれを端的に反映しているのではないでしょうか。ただ、「人気」とは「人の気持ち」と書...
ヘルシーということに気を配るのはいいことですがヘルシーの食べ過ぎは反ヘルシーだとも思うのです。そのヘルシーで思い出しました。まあ写真するとは歩くことだと思っています。歩くことはヘルシーですよね。ところで今年も終わりが近づいてきました。それで凝り気味の首を振り返ってチェックしてみました。今年は自分比で撮影した日数の最多を更新していたのです。聖者の行進ならよかったのだけれど正邪の行進みたいやなと意味不...
写真の投稿だけです。...
SNSなどを見るとストリートスナップ =人を撮るものと思われているようですね。でも、必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニール傘を撮ったり、道端の花や植木を撮ったり・・・そんなんこともストリートスナップかどうか悩ましいです。ゴミは時代を反映していると言われればそうな...
デジカメが幅を利かせ出したころるデジタル画像ののっぺりさが気になっていました。やがてデジタル画像の空々しさが気になってきました。でも今はどちらかつてほど意識しなくなりました。どうやら慣れは人を麻痺させるようです。...
写真はおそらく被写体を超えることはできないと思っています。被写体の姿を借りて別の何かに変えること、それが被写体へのお礼のような気がします。何かを生み出せればいいのですかそれは簡単ではない気がしています。...
写真は記憶というものを強力に意識させるメディアだと思います。人間は、単純に言えば記憶でできていると思うのですが自分が撮った写真と、撮った時の記憶にズレが生じることは誰でも経験しているのではないでしょうか。それは、自分が記憶していることは必ずしも正確ではないことを意味します。つまりそんなあやふやなことを土台にして毎日を送っているんですね。...
前にも書いたので同じことの繰り返しになりますが写真を撮るということは程度の差はあれ、人を傍観者にさせるところがあると思うのです。自分と直接に関わっていないのに関わっているような気にさせる、自分が傍観者になっているかもしれないことを考えなくさせる、カメラにはそんなところがあるということですね。綺麗な風景の中にいるのに、スマホを含めたカメラで写真を撮ることに夢中になってしまうのは、実際には景色に触れて...
写真の場合、綺麗と美しいが曖昧に混同されている気がします。綺麗だけれど美しくない・・・そんなことがあるのではないでしょうか。写真は視覚の表現なので見た目に影響されやすいのです。そのため、美しさが遠慮がちに目立たなくなってしまう気がします。レタッチは綺麗さをさらに強調しがちで美しさがぼやけてゆくように感じるのはフィルム時代の目で見てしまうからでしょうか。いずれにせよ写真にとって「美」とは何かよーわか...
「それ」を写真を撮るだけでは 「それ」を見たことにはならないと思います。むしろ撮ったことで「それ」を見た気になるのがマズいのではないかと思います。「それ」を見たいのなら直に「それ」を見たほうがいい気がします。写真に撮るのは「それ」を「それ」以外の何かに変えたいからではないでしょうか。 そのことは「それ」にとっていいことなのかどうか「それ」から聞けることは稀だと思います。...
テレビのドラマで事故や事件が起こったら歩いていた人たちがいっせいにスマホを向けてバシャバシャ撮り出すシーンがよくありますよね。人がケガして倒れているのですが・・・私もそんな場面に出会ってカメラを持っていたらやっぱり写真を撮ろうとするのでは、と思っています。それは際立った例えとしても、どんな場面でもカメラは持つ人を傍観者にしてしまうところがあるのではないでしょうか。「あっしには関わりのないことで・・...
行ってきました。...
写真の投稿だけです。...
試しにですが3、あるいは4カットで写真を組んでみます。すると2、あるいは3カットまでは決まるのですが最後の1カットがなかなか決まらず迷うことがよくあるんですね。組み写真というほどでないにしても写真を数カットのまとまりで見た時、その中の1カットだけが目立つのはよくないようです。3枚の組み写真だとすると他の2カットが、それぞれの別の1カットを支えるというのでしょうかうまくバランスが取れると、見やすい写真群にな...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
「人間だもの」…耳に響きのいい言葉ですよね。でも最近ちょっと引っかかっています。「人間だもの」というのには「人間とは何か」が分かっている必要があるのではと思うようになりました。でも「人間とは何か」完全に分かっている人っているのでしょうか?「写真だもの」も同じように思います。「私に写真で分かっていないことなんてない!」そんな人・・・いるかどうかですね。たぶん、ですがどちらも永遠の謎ではないでしょうか...
それを撮った三次元の私と、私が撮った二次元の写真。両者は無関係ではないですが、完全に重なるわけではありません。それは頭でわかっていても、自分が撮った写真には愛着みたいなものがあるのは仕方のないことですよね。人間だもの。ただそうするとその写真を他人事のように見ることはできなくなります。評価を誤るというより、評価そのものが出来なくなるのです。たぶん、一流と言われている写真家は自分の写真を他人が撮った写...
小さいころ、大人ってすごいなと単純に思っていました。でもある時から、大人ってただ年を取っているだけだと気づかされます。そして大人から言われるのです。「そうか。大人になったな」と。...
言うまでもなく写真は平面のアートであることは分かっているのですがそのことを意識化することは、結構むつかしい気がします。目の前の光景は三次元ですから、立体的に写真を撮ろうとします。でも、三次元を二次元にすることですからそこに無理が生じて、現物と写真とに差異が出てきます。それが写真の面白さだと思うのですがその面白さを捉える、表現するのは、これまた難しいんですね。...
写真には撮影した時の思いは写らないと思っています。思いは形のないものですからその場では写せないのです。でも写真にはその写真を撮った人の何かは写っているように見えます。時には本人も気づいていないものが他の人が見たら分かることもあるかもしれません。隠された癖、好み、本音・・・そんなものですね。写真はウソついたつもりがホントのことを見せてしまう時があるのでしょうか。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...