輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
ますます「写真」が何を指しているのか分からなくなってきました。いずれ「写真」あるいは「photogragh」という言葉はなくなるかもしれません。それはそうとして、個人的には自分の考える写真を撮り続けるだけしかないと思っています。
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 11
観光などで初めての場所に行くと見るものすべてが新鮮に映りますよね。それで写真を撮ると興奮状態ですからいわゆる撮らされている結果になりあまりいい写真は撮れないよという意見があります。宿泊できるのなら初日はカメラを持たずにブラブラ歩いて、自分の目でチェックしてゆくようにしましょうと言われています。そうすると2日目にカメラを持って出かけることで冷静に観光地を見れるのでいい写真に結びつくということですね。...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 2
時々「ローアングル」と「ローポジション」が混同されていることがあり、気になっています。地面近く、低いところでまっすぐ水平方向に撮るのは「ローポジション」での撮影なんですね。よく言われる「子供目線」とか「ペット目線」は「ローポジション」のことだと思います。いっぽう、下から上方向にに撮るのが「ローアングル」での撮影です。ビルの屋上で、真上に旋回するヘリコプターに向かって撮るのが「ローアングル」での撮影...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 10
ウジェーヌ・アジェという写真家がいます。写真史では必ずと言っていいほど出てくる人です。画家になりたくてパリに出てきたのですが、画家ではなく写真家として「美術家のための資料」にとパリの街を撮り集めることで生活の糧にしました。生活は恵まれなかったみたいで死ぬまでパンと砂糖とミルクを常食としていたというカッコいい写真家だったと思います。アジェには他人事だからそんなふうに言えるんだと怒られるかもしれません...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 9
表現というのは自分が中心になると思うのですがコミュニケーションというのは相手が中心になると思います。そのため表現は相手に届かないことも受け入れる必要がありますがコミュニケーションは相手に届かないと成立しないものなんですね。写真のSNSなどを見ているとそのことが混同されている気がします。「繋がる」という言葉が使われますが表現を意識しているのかコミュニケーションを意識しているのかあいまいな気がするのです...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 8
写真の投稿だけです。...
道頓堀にも撮影に行きましたが「ここ、日本?」なんて思えてくるのです。来るごとに。まるで自分が異邦人みたいな感じがします。まあ異邦人というのはカッコつけすぎでよそ者、場違いな人とということですね。いつも「お邪魔しました」とサッサと立ち去るのでした。...
行ってきました。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 7
フィルム写真が人気というよりフィルムカメラが人気なんでしょうね。古さがもたらすノスタルジーというより古さがもたらす新しさが魅力なのではないでしょうか。言葉としては変なのですが人は「変」が好きなのだと思います。...
5月も終わりかけになりいつもの公園はいろいろな花が咲いていてとてもカラフルでした。私も負けずに「オレも、カラフルやなあ」と思ったのです。ただ、空っぽで、振っても、中身が何の音もしない「空、振る」なのが、私の写真ということのようです。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 5
写真でポイントになるのは「どこから撮るか」なんですね。それと比べると「どんなカメラやレンズで撮るか」とか「どんな被写体を撮るか」とか「どう撮るか」は二の次になってくると思います。「どこから撮るか」はカメラマンの立ち位置のことですから先ず「立場」をハッキリさせる必要があると思います。...
通りすがりの○△□240517・a dramatic fine day of May 1
ある時、「写真が好きですでは、まだまだダメだ」と言われました。それはまだ自分が写真より優位に立っていると思っているから、そう言えるのだそうです。写真に憑りつかれて、初めて写真家になれるのであってそれは自分ではどうしようもないことだったのです。なりたいと思ってなるものではなくなりたくなくてもなってしまうもの・・・それが写真家というもののようです。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 4
久しぶりの中之島公園です。自宅から少し遠いですが、徒歩圏の公園もよく撮っているのでそことの違いを見つけたいのですが写真にすると同じようになりそうで、緑の扱いが難しいですね。草木などの緑は画面の印象を強く左右しますが緑のお世話ばかりになるのも、どうかなと思うのです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 10
昨日は友達と会うために朝から夕暮れまで出かけていました。会う前と別れた後、大阪城公園とその周辺を撮影してきました。夕方の大阪城公園はよかったですね。上手く撮れたかどうか・・・考えないことにしています。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 9
人混みは苦手なのですが、人出無しも嫌な私です。先週の日曜日に「日本橋ストリートフェスタ」があったのですが出かけようか、止めようかで迷っていました。動画を見ると、ものすごい人出だったんですね。まあ、出かけなくてよかったようです。...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 6
「自分が好きなモノを撮りましょう」と言われます。それはそうですよねと思うのですが、何か引っかかるのです。「自分の好き」には、すでに「誰かの好き」が入り込んでいるように思うのです。自分が本当に好きなのか、微妙です。好きだと思い込んでいるだけではないか・・・などと思うと、「自分の好き」に自信がなくなってくるのです。それに食べもので言うと自分が嫌いなものを食べて病気になることってあまりないと思うのです。...
写真の投稿だけです。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 8
歳のせいでしょうか、最近は写真を撮るのが億劫になっています。撮りたいというより、撮るのがメンドクサイのですがそれなら撮らなければいいというのでもないんですよね。別に撮らなくてもいいのなら逆に撮ったほうがいいのかもと思ったりするのです。まあ、人の写真を使って作品化する以外は自分で写真は撮らなければ始まらないメディアです。マネーレスにパワーレスのカメ爺ですがカメラとタイムはあるので、撮影に出かけようと...
写真の投稿だけです。...
撮影してきました。...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 7
上手い写真を撮る人は「いい写真」を撮れる人だと思っていました。でも写真をやっていると「いい写真」というのが曖昧で、よく分からなくなってきます。ある人が「いい写真」というのが自分には「いい写真」には見えないことがあるからです。もちろん自分に写真を見る目がないからとも言えるのですがかと言って自分に写真を見る目が出来るのはいつのことになるやら分かりません。それで思うようになりました。自分がこの人ならと思...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 6
かつて、いいえ最近まで「森山大道、スゴイ!」と思ってきました。写真を始めた若いころなんて、ほぼ神格化していましたね。でも森山さん、有名になるにつれ、「ん?」と思うようになってきました。スゴイことは変わりませんが。当たり前です。自分と比べたら病院行きを勧められるでしょうね。ただ、森山さんの写真ってデザイン的なんだなあと感じるようになったのです。「写真よさようなら」という写真集がありますが「デザインよ...
写真の投稿だけです。...
写真はストーリーと言われます。物語りです。でも「何が」語るのでしょうか。たいていは、自分から語ることのできない被写体ではなく写真を撮った人が語る物語なんですね。ほとんどはその人の「自分語り」ではないでしょうか。被写体自身に語らせるのは至難の業だと思います。...
写真撮影は基本的にはシャッターを押すことの繰り返しという単調な作業です。そのため変化を求めて被写体探しに明け暮れることになりやすいのです。でも、被写体探しは目新しさの発見のためだとしても、疲れてくるのではないでしょうか。「誰にも撮れない写真」=「誰もが知らない被写体の写った写真」ではありません。陳腐な被写体でもいいのです。ありきたりの被写体を同じように撮りながらも、ちょっとした違いを見つけること、...
「多様性」が言われています。簡単に言うといろんなあり方のことですよね。そのいろんなあり方が、気のせいかバラバラにしてゆくようにも感じます。写真も「多様性」の時代だと思うのですがバラバラになりながら「一様性」に向かっている気もします。でもたぶん、私が時代が見えていないせいだと思います。...
通りすがりの○△□240425・いつものことだから いつものことだけど 3
「絶景写真」というように「絶景」という言葉があります。「他にはない素晴らしい景色」みたいな意味です。ただ、「他にはない」というのはとてもあいまいな基準ですよね。何を持って「他にはない」と言うかです。ある人にとっての「絶景」が他の人にとっては「絶景」ではないということがあり得ます。結局、「絶景」というものはなくて「絶景」と名づけられた景色が存在するだけなんですね。「絶景」という言葉を被せることで「絶...
写真の撮り方の本や動画には間違いが多いという指摘があります。ただどこがどう間違っているのか詳しいことが分からないんですね。そんなにたくさん読んだり見たわけではないのですが間違っているようなところは見当たらなかったのです。動画などは、少しタイトルがオーバーでは?と思うことはありますがキャッチーなコピーも必要なのだろうと思っています。購読者にしろ視聴者にしろ、不特定多数ですから説明の仕方は難しいと思い...
通りすがりの○△□240308・継続 every day 5
「いい写真」という言い方があります。私もよく使いますが、他に言葉が見つからないのでとりあえず使っています。SNSなどで見るとたいてい「私にとっていい写真」なんですね。失礼な言い方になりますがちょっと自閉的な響きがします。それが悪いことではないと思いますが出来れば「不特定多数にとっていい写真はなんだろう」と考えれるようになれれば、もっと広がってゆくのではないでしょうか。「私」の中心へと向かうのではなく...
通りすがりの○△□240402・Umeda Dopamine Around noon 5
カメラには適切な距離があると言います。特に撮られるのが人の場合はあまり近づかないようにというアドバイスするプロもいるんですね。カメラはある程度離れないと人にストレスを与えるからだそうです。でもカメラというのは、自分に近づいて来られなくても距離に関係なくカメラを向けられること自体がストレスなのではないでしょうか。カメラは被写体を一瞬の、さらに平面の姿に固定してしまいます。それはあらゆる被写体を「モノ...
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輝く、未来、明日、青空、思い、希望、夢、涙、前へ、楽しい、幸せ、ポジティブ・・・歌の番組での字幕でよく目にする言葉です。マナーがよくないのですが、目が欠伸をしています。...
コミュニケーションで必要なこと⇒まず相手をよく知ることと言われていますよね。⇒写真もコミュニケーションについてよく触れられます。⇒そのためには見てほしい相手をよく観察し⇒相手の見たいものを知ること、だと。⇒その上で相手に合わせて分かりやすく撮りましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく仕上げましょう、⇒その上で相手に合わせて分かりやすく説明しましょう、と。⇒でも、気になることが・・・⇒相手に合わせるっ...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道「過去はいつも新しく、未来はつねに懐か...
写真というのはどうでもいいことを撮るほうが面白くなると思っています。「価値!価値!価値!」とカチカチの息苦しい世界から離れて無価値を楽しむというのでしょうか。美しい被写体そのものには写真ではかないません。綺麗な景色は全身で味わうものだと思います。大切なその人は、どうしても写真でしか会えない時以外は本人がそばにいてくれるに越したことはありません。逆に日常を写真に撮ると「非日常感」が出てくることで美化...
SNSで投稿されている写真にはよく、カメラやレンズ名が併記されていますよね。でも、自分は写真の趣味がない人の知りたいのはいつ・どこで撮ったかではないでしょうか。それほど詳しくなくてもいいので「2024年12月、東京・新宿」もしくは「2024年、東京」くらいの明記があるといいなあと思います。...
世の中、ドンドン幼児化して行っているように感じています。写真でいえば、要らないもの、邪魔なものって今は簡単に消せますよね。まあ、嫌だから消しちゃえっということでしょうか。写真に写っているものを消したり、欲しいものを付け加えたり・・・それって、写真?と思うのです。それは写真というより、写真を使った別のもののような気がしますがそう思うのは、もう古い感覚なんでしょう。「そこのおっちゃん、ジャマ、ジャマ、...
あっ、軽い写真は明るい写真に成れるのでしょうか。...
写真を撮影した日は写真脳というのでしょうか、それが一種の興奮状態のように感じています。写真脳というものが医学的にあるかどうかは分かりませんがそのせいで、帰宅してチェックしていると撮った写真の中に傑作があるかも、のように見えたりするものです。当日を過ぎても数日くらいはその興奮状態が続きます。それで、写真選びは1週間以上くらい経ってから行うようにしたほうがいいと思っています。だけど、人によって違うと思...
他に言葉が見つからないので「いい写真」という言い方をしています。でも、とてもあいまいな言葉だと思っています。「いい」なんてコロコロ変わるのですから。ただ「良い写真」という言い方には慣れません。良い⇒悪いを連想するからでしょうか。「悪い写真」って何だろうと思うのです。「悪い写真」の中にも「いい写真」があるように思います。「良い写真」の中にも「つまらない写真」があるように思います。...
こらからもエモイ写真って流行っていくのでしょうね。私「あのう、私の写真、見てくれませんか?」行きずりの人「あっ、どんな写真を撮っているんですか?」私「説明しにくいのですが、あえて言えば絶〇写真です」行きずりの人「ほおーっ、では見せてくれますか」私「はい、お願いします」行きずりの人「どれ?どれ?ぎゃあっ!な、何ですか、この写真!」私「絶叫写真ですが・・・。まだ、たくさんありますよ」行きずりの人「えっ...
もう何十年も前のことです。ある人の写真展を見に行きました。「こ、こんなにきれいなプリント、どうしたら出来るねん!」。その人のモノクロプリントの作品を見た時、自分には、こんな綺麗なプリントは作れないと思いました。ショックは受けたのですが、もっと違った写真の楽しみ方を探すことにしました。まあ、正直言うとそのころには写真は絵画とは違うし工芸品でもないので、作品を目指さなくてもいいと思い始めてもいたのでい...
見たものを撮ればいいと写真を楽しんでいる人と映え狙いで写真を楽しんでいる人とカメラ沼に入って写真を楽しんでいる人と。一見、共通点がないみたいですが・・・。でも、あるのではと思ったりするのです。興味の中心、関心の中心にあるのは自分、つまり「私」なのではないでしょうか。写真は目的ではなくて手段なのです。「見たものを撮る」のは「私の好き」を見つけるため。「映えを狙う」のは「私の輝き」をみんなに受け入れて...
SNSやカメラ雑誌などを見ているとストリートスナップ=人を撮るものと思われているようですね。ファッション・ポートレート撮影などにもストリートスナップという言葉が使われています。街なかで撮影しているからでしょうか。ただ、私は必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていないません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニー...
人間のカラダの目は外を見るようにできています。人間のココロの目も外を見るようにできればよかったのです。でも、人間のココロの目は内を見るほうが圧倒的に多いです。そのため2つの目を分裂させてしまいました。そして外のアレと内のコレを見比べてばかりでいます。「勝負・好悪・正誤・善悪・美醜」などを秤にかけて判定に大忙しです。それはとても疲れることなのですが、回復する間もなくこう言うのです。 「なにか、面白い...
私は読んでいないのですが「過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい」という本で森山(大道)さんは次のようにおっしゃっているそうです。「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」とても文学的な文章で、意味深い感じがします。「過去...
人間の目には視野があります。人間は首や体を動かして、ぐるっと見渡すことが出来るので全体が見えているように思ってしまいます。でも実際は、視野というフレームの中の部分的なものを記憶して、それらをつなぎあ合わせて全体として脳の中で作り直しているんですね。写真を撮る時にはファインダー、あるいは液晶のモニター画面を見るわけですがそれもフレームです。人間のボンヤリした視野と違って、四角くてハッキリしています。...
「いいモノが売れるのではない。売れるものがいいモノなのだ」そのようなことを、大企業の経営者(?)の人が言っていたそうです。そんな話をだいぶ前ですが人から聞いた時、「なるほど、写真もそうかも」と思いました。「いい写真が人気になるのではない。人気になるのがいい写真なのだ」そのように言い換えれるような気がしたのです。SNSはそれを端的に反映しているのではないでしょうか。ただ、「人気」とは「人の気持ち」と書...
ヘルシーということに気を配るのはいいことですがヘルシーの食べ過ぎは反ヘルシーだとも思うのです。そのヘルシーで思い出しました。まあ写真するとは歩くことだと思っています。歩くことはヘルシーですよね。ところで今年も終わりが近づいてきました。それで凝り気味の首を振り返ってチェックしてみました。今年は自分比で撮影した日数の最多を更新していたのです。聖者の行進ならよかったのだけれど正邪の行進みたいやなと意味不...
写真の投稿だけです。...
SNSなどを見るとストリートスナップ =人を撮るものと思われているようですね。でも、必ず人が写っていないとストリートスナップではないとは思っていません。人が写っていなくてもストリートスナップはあるんですね。ただ、落ちているゴミを撮ったり、壊れて捨てられたビニール傘を撮ったり、道端の花や植木を撮ったり・・・そんなんこともストリートスナップかどうか悩ましいです。ゴミは時代を反映していると言われればそうな...
デジカメが幅を利かせ出したころるデジタル画像ののっぺりさが気になっていました。やがてデジタル画像の空々しさが気になってきました。でも今はどちらかつてほど意識しなくなりました。どうやら慣れは人を麻痺させるようです。...
写真はおそらく被写体を超えることはできないと思っています。被写体の姿を借りて別の何かに変えること、それが被写体へのお礼のような気がします。何かを生み出せればいいのですかそれは簡単ではない気がしています。...
写真は記憶というものを強力に意識させるメディアだと思います。人間は、単純に言えば記憶でできていると思うのですが自分が撮った写真と、撮った時の記憶にズレが生じることは誰でも経験しているのではないでしょうか。それは、自分が記憶していることは必ずしも正確ではないことを意味します。つまりそんなあやふやなことを土台にして毎日を送っているんですね。...
前にも書いたので同じことの繰り返しになりますが写真を撮るということは程度の差はあれ、人を傍観者にさせるところがあると思うのです。自分と直接に関わっていないのに関わっているような気にさせる、自分が傍観者になっているかもしれないことを考えなくさせる、カメラにはそんなところがあるということですね。綺麗な風景の中にいるのに、スマホを含めたカメラで写真を撮ることに夢中になってしまうのは、実際には景色に触れて...
写真の場合、綺麗と美しいが曖昧に混同されている気がします。綺麗だけれど美しくない・・・そんなことがあるのではないでしょうか。写真は視覚の表現なので見た目に影響されやすいのです。そのため、美しさが遠慮がちに目立たなくなってしまう気がします。レタッチは綺麗さをさらに強調しがちで美しさがぼやけてゆくように感じるのはフィルム時代の目で見てしまうからでしょうか。いずれにせよ写真にとって「美」とは何かよーわか...
「それ」を写真を撮るだけでは 「それ」を見たことにはならないと思います。むしろ撮ったことで「それ」を見た気になるのがマズいのではないかと思います。「それ」を見たいのなら直に「それ」を見たほうがいい気がします。写真に撮るのは「それ」を「それ」以外の何かに変えたいからではないでしょうか。 そのことは「それ」にとっていいことなのかどうか「それ」から聞けることは稀だと思います。...
テレビのドラマで事故や事件が起こったら歩いていた人たちがいっせいにスマホを向けてバシャバシャ撮り出すシーンがよくありますよね。人がケガして倒れているのですが・・・私もそんな場面に出会ってカメラを持っていたらやっぱり写真を撮ろうとするのでは、と思っています。それは際立った例えとしても、どんな場面でもカメラは持つ人を傍観者にしてしまうところがあるのではないでしょうか。「あっしには関わりのないことで・・...
行ってきました。...
写真の投稿だけです。...
試しにですが3、あるいは4カットで写真を組んでみます。すると2、あるいは3カットまでは決まるのですが最後の1カットがなかなか決まらず迷うことがよくあるんですね。組み写真というほどでないにしても写真を数カットのまとまりで見た時、その中の1カットだけが目立つのはよくないようです。3枚の組み写真だとすると他の2カットが、それぞれの別の1カットを支えるというのでしょうかうまくバランスが取れると、見やすい写真群にな...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
「人間だもの」…耳に響きのいい言葉ですよね。でも最近ちょっと引っかかっています。「人間だもの」というのには「人間とは何か」が分かっている必要があるのではと思うようになりました。でも「人間とは何か」完全に分かっている人っているのでしょうか?「写真だもの」も同じように思います。「私に写真で分かっていないことなんてない!」そんな人・・・いるかどうかですね。たぶん、ですがどちらも永遠の謎ではないでしょうか...
それを撮った三次元の私と、私が撮った二次元の写真。両者は無関係ではないですが、完全に重なるわけではありません。それは頭でわかっていても、自分が撮った写真には愛着みたいなものがあるのは仕方のないことですよね。人間だもの。ただそうするとその写真を他人事のように見ることはできなくなります。評価を誤るというより、評価そのものが出来なくなるのです。たぶん、一流と言われている写真家は自分の写真を他人が撮った写...
小さいころ、大人ってすごいなと単純に思っていました。でもある時から、大人ってただ年を取っているだけだと気づかされます。そして大人から言われるのです。「そうか。大人になったな」と。...
言うまでもなく写真は平面のアートであることは分かっているのですがそのことを意識化することは、結構むつかしい気がします。目の前の光景は三次元ですから、立体的に写真を撮ろうとします。でも、三次元を二次元にすることですからそこに無理が生じて、現物と写真とに差異が出てきます。それが写真の面白さだと思うのですがその面白さを捉える、表現するのは、これまた難しいんですね。...
写真には撮影した時の思いは写らないと思っています。思いは形のないものですからその場では写せないのです。でも写真にはその写真を撮った人の何かは写っているように見えます。時には本人も気づいていないものが他の人が見たら分かることもあるかもしれません。隠された癖、好み、本音・・・そんなものですね。写真はウソついたつもりがホントのことを見せてしまう時があるのでしょうか。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...
写真の投稿だけです。...