結局のところ「コミュニケーション能力」って何なの?


就職活動中はもちろん、入社してからも嫌というほど聞かされる言葉、「コミュニケーション能力」。やたらと「コミュ力」を重視するわりに、その定義ははっきりしていないように思います。

本記事ではそんな「コミュニケーション能力」という言葉について、改めて整理してみました。

 

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「コミュニケーション能力」とは

内容の妥当性はともあれ、最初の引用元としては常に万能なWikipedia先生に聞いてみた。それによると、こんな定義。

 

  • 言語による意志疎通能力。「コミュニケーション能力」という言葉は、元々は言語学の分野で用いられた学術的な用語であった。
  • 感情を互いに理解しあい、意味を互いに理解しあう能力。感情面に気を配って、意味をわかちあい、信頼関係を築いてゆく能力。
  • 非言語的な要素(相手の表情、眼の動き、沈黙、場の空気など)に十分に注意を払うことで、相手の気持ちを推察する能力(非言語コミュニケーション)
  • 上記の非言語的な要素により知った相手の気持ちを尊重して、相手に不快感を与えないタイミングや表現で、自分の感情や意思を相手に伝える能力
  • 意思疎通、協調性、自己表現能力(厚生労働省による就職基礎能力の定義)
  • 社会技能(ソーシャルスキル)。暗黙知。
  • 上手にコミュニケーションを行うための体系づけられた知識、技術(コミュニケーションスキル)
  • 合意(コンセンサス)形成能力
  • 「論理的コミュニケーション能力」(自己の考えを論理的に明確に、相手に表現する能力)
  • 会話のキャッチボールを上手く行える能力
  • 企業が求人広告等で応募者に要求している「コミュニケーション能力」は、ビジネスシーンにおいて発揮が期待される精選された「折衝能力」「交渉能力」「説得能力」を指しており、必ずしも対人コミュニケーション一般を円滑におこなうスキルをもって満足するものではない
(コミュニケーション能力 - Wikipedia)

 

多すぎるわ!!
Wikipedia先生も混乱してるよ!

 

簡単にまとめれば、ひとつ目の「意思疎通能力」で説明がつくと思う。「自分」対「相手」の構図で行われるコミュニケーションにおいて、言語・非言語に関係なく、互いの意思を理解する力。

非言語交流の場合は、いわゆる「空気を読む」という行為に近しいものであるとも言えるだろう。この場合「理解する」というよりは、相手の気持ちを「察する」と言った方がしっくりくる。

ところで、絶賛就活中の大学の後輩に「コミュニケーション能力って何だと思う?」と尋ねてみたところ、「人の話を聴けて、自分の意見をちゃんとわかりやすく言えること、意思疎通ができることですかねー?」という返事が返ってきた。

本来であれば、それだけの説明で済むはずの「コミュニケーション能力」。それが今、どこに行っても耳にするものとなって、主に若者を混乱させる不可思議な言葉となっている。なんもかんも就活が悪い。…とは、言い切れない。その前から耳にしていたような記憶も。

ともあれ、就職活動における「コミュニケーション能力」を考えてみる前に、2つほど、参考になりそうな考え方を引用してみます。

 

「協調原理」は「コミュニケーション」の大前提

前述のWikipediaの記事では「定義」に加えて、言語学用語としての「Communicative competence」について説明している。そこではコミュニケーション能力の4つの要素として、「文法的能力」「談話能力」「社会言語能力」「方略的言語能力」を挙げている。

その内容もわからなくはないが、一方が言語を伝える上での説明であり、相互性が明確には見られないので、同じ言語学の観点でも、僕はグライス*1の「協調原理」(cooperative principle)を参考としたい。

 

協調原理:会話を成り立たせるには、会話の流れが一定の方向に定まるよう、会話の参加者が協調する必要があること。会話は、量、質、関係、様態の4つの格率に従っていなければならない

  • 量の格率…自分に順番が回ってきた時、提供する情報の量が多すぎても少なすぎてもいけない
  • 質の格率…自分が嘘だと考えている、あるいは確信が持てない情報は提供すべきではない
  • 関係の格率…提供する情報が会話の流れと関係性を持っていなければならない
  • 様態の格率…情報の提供の仕方が曖昧だったり、不明確だったりしてはならない
(佐久間淳一著『フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる言語学』より)

 

どちらかと言えば、「意思疎通」よりも「空気を読む」意味でのコミュニケーションに近い印象を受けるものだ。「協調」というくらいだしね。

これを守らなければ、そもそもの会話が続かない。ただ、これらの格率は、しばしば破られることもあるが、言外に含みを持たせていれば、相手がそれを察することによって、協調原理は破られないそうだ。

コミュニケーションの前提となる要素という点からしても、これら4つの格率は、一種の「コミュニケーション能力」であると言っても、間違いではないと思う。

 

<学校>における「コミュニケーション能力」

驚いたことに、コミュニケーション能力が重要視されているのは、就職活動生やサラリーマンに限らない。小中学校を始めとする、学校においても、「コミュ力」はもはや必須の能力となっているらしい。

 

何がスクールカースト*2の序列を決定づけているのか。「コミュ力」、すなわち「コミュニケーション・スキル」である。ただし、ここでいう「コミュ力」とは、場の「空気が読め」て「笑いが取れ」るような才覚のことを意味している。

カースト最上位のグループは、自分は一切いじられることなく、ほかの生徒をいじって笑いが取れるエリートの集団だ。中間層グループは、適切に空気を読んで、いじる側、笑う側に加担しようとするギャラリーである。そして最下層を占めるのは、スキルが低いために他の生徒に絡むことが不得手で、いじられ、笑われ、あるいはときにいじめの対称となるような生徒たちだ。

(斎藤環著『承認をめぐる病』より)

 

「いじめ」をテーマにした物語作品を思い浮かべてみればいい。それら作品の多くでは、確かにこのようなグループ分け、序列分けが、自然となされているはずだ。

上位グループの生徒がまとまって、最下層の生徒をいじめている場合もあれば、主犯格が存在し、一種の独裁状態を築き上げ、個人を虐げているようなこともある。

この場合の「コミュ力」は、上の引用にもあるように、「空気を読む」才覚のことだ。同時に、「笑いを取る」をことは、自身の教室内における「キャラクター」を設定し、うまく演じるための能力とも繋がってくるが、それはまた別の話。

 

<企業>対<就活生>における「コミュニケーション能力」

就職活動中、それこそ耳にタコができるほどに聞いた言葉、「コミュニケーション能力」。話す人によって定義が違う場合も多く、僕は「(良くも悪くも)その企業の歯車となって働くための能力」などと脳内変換していたけれど、いまだに何のことか分からない。

(コミュニケーション偏重主義が生み出す「承認欲求」とは『承認をめぐる病』 - ぐるりみち。)

 

直近で、僕が「コミュニケーション能力」について突っ込んでいるのが、この記事。一方、他のブロガーさんの記事では、企業が学生にコミュニケーション能力を求める理由として、 次のように説明されていました。

 

どの企業も学生に対してコミュニケーション能力を求めるのは、コミュニケーション能力という言葉がそのように多義的であるからこそなのではないだろうか。企業が想定するコミュニケーション能力と学生が想定するコミュニケーション能力とでは、置かれた状況が異なる以上その内容も変わってくる。企業はある特定の概念であるコミュニケーション能力を学生に対して求めているわけではなくて、「我々企業が考えるコミュニケーション能力」を上手く読み取れる能力を学生に対して求めている。言ってみれば、この能力こそが就職活動において企業が学生に求める「コミュニケーション能力」ということになるだろう。

(コミュニケーション能力とは何か - grshbの日記(※元サイト削除済))

 

「就職活動」という場における、「コミュニケーション能力」は、まさにこの通りだと思います。

「コミュニケーション能力」を語る側、この場合は、企業側の望む意思を汲み取り、理解した上でそれを表現する能力。ゆえに、それを知り、身につけ、表すこととは、すなわち、就活の必勝法とも言えるかもしれない。

 

 

<企業>対<従業員>における「コミュニケーション能力」

わかりやすく説明されちゃって悔しいので、プラスアルファを考えてみた。企業の求める「コミュニケーション能力」を身につけた就活生が、晴れてそこに就職し、勤め始めてからも、なお、「コミュ力」はついてまわる。

企業では、企業が従業員を評価するために、人事考課(査定)が定期的に行われるが、その中に「コミュニケーション(能力)」の項目があるところも少なくないと思う。そして、そこで問われる「コミュニケーション能力」は、入社時のそれとはまた違うものだった。

たとえば、就活時に求められた「コミュ力」に加えて、次のような要素が増えていく。

 

必要とされる「コミュ力」の変遷(例
  1. 新入社員:職場の上司・同僚と協調し、円滑な人間関係を築く
  2. 入社2年目:1に加え、お客様との良好な関係を築き、売上に繋げる
  3. リーダーなど:1、2に加え、部下の面倒を見て、フォローに回る

 

それより上の役職は分からなかったけれど、僕の勤めていた会社では、ざっくり言って、このような要素がコミュ力の基準として、段階ごとに人事考課表に書かれていた。

そりゃまあ、位が上がれば、求められる仕事内容も増えるのは分かるけれど。これを見ると、ほんと、「コミュニケーション能力」って便利な言葉だなーと思う。

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結局のところ、最近、巷で使われている「コミュニケーション能力」に、共通かつ明確な定義なんてないのです。その時々や場面場面、自分たちの現状や求める相手などによって意味が異なり、求める側の都合のいいように解釈し、変質していく、とっても便利な魔法の言葉。

だからこそ、それを求められる側である以上、就活生は、「あの企業はどういう意味で使っているんだろう」と想像し、理解しなければいけないし、実践する必要に迫られる。面倒だけど、仕方がない。

 

 

「コミュニケーション」を考える記事

*1:ポール・グライス - Wikipedia

*2:学校の教室内において自然発生する、グループ間、個人間の序列関係、「教室内身分制」