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今年の「#文学」
tureture30.hatenadiary.jp
兆候は必ずある。 どんなに巧妙に隠していたとしても、人に大きな変化が生じる裏には、必ず目に見える兆候があるのだ。 それに周りが気がつくのか、それとも気がつくことができないのか。 それだけのことである。 頑張って働いていた人が突然、手に持っていた風船を離したように、フワッとフェードアウトしてしまった。 職場に体は出しているが、どうも気持ちが上の空なのだ。やる気が感じられない。 昨年くらいは、あれだけ気持ちを傾けていたのに、まるで別人のように変わってしまった。 人生、山あり谷あり。 考え方が変わってしまうこともあるだろう。 しかし、体は変わらずそこにいるのに、気持ちがそこにいない状態というのは、何とも気持ちが悪いものだ。 必要最低限のレスポンスしかない。 コミュニケーションコストが高いから、仕事に影響がないとは言い難い。 精神的、肉体的に疾患があるわけではないようだ。ただやる気がなくなってしま
映画『君の名は』の挿入歌。 この映画が公開されてから8年が経った。 8年前の私は、今の私を想像することがだきないくらいに暗中模索していた。 あれからいくつもの選択肢を選んできて、私は今の私にたどり着いたのだ。 僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 誰もが人生を駆け上がって生きている。 そして、それを遡ることはできないのだ。 積み重ねてきた時の積み重ね。 「もしもあの時に別の選択肢を選んでいたならば…」 そんなことを考えたところで、パラレルワールドに紛れ込むことはできない。 今の私は、今の私の人生を歩むことしかできないのだ。 RADWIMPS『なんでもないや』
育児に追われる8月だった。 おそらく9月も10月も、それは変わらないのだろう。 1ヶ月が長い。 それは私にとって未知の時間を過ごしているから。 年を取るにつれて、時間の感じ方は短くなっていく。 それは、経験を積み重ねることで「目新しさ」を感じる機会が少なくなるからだ。 裏を返せば、目新しい経験ばかりをしていれば、年を取ってからも時間は長く感じるのだ。 今の私はその「目新しさ」の渦中にある。 毎日夜中に起こされる生活の大変さ、 ベビーカーを押して電車に乗ることの大変さ、 いつ泣き出すのかわからない、 どうすれば泣き止むのかもわからない、 そんな生き物を抱えながら生活することの大変さ。 それを味わっている最中だ。 まだこの大変さを「当たり前」だと思えるほどの域には達していない。 人は環境を自分のものにすることで、生存競争を勝ち抜いてきた。 おそらく私もこの生活に順応することができるはずだ。 生
命が宿った事を知った時、 むず痒い気持ちがした。 心の奥の手の届かない場所。 なんだか、そこがむずむずした。 喜ぶ妻を横目に、冷静な私。 次第にむず痒さが体に広がっていき、 冷静ではいられなくなることは、 時間の問題だった。 次第に実感が湧いてくる。 大きくなる妻のお腹を触ると、 ポン、と蹴り返す振動が私の手に広がる。 確かに、ここにいるのだな。 手に残る感触を愛おしく思う。 振動一つを愛おしく思うだなんて、 こんな感情は初めてだった。 早く産まれたくて仕方がない。 そう急かすように、 お腹を蹴る回数は増えていく。 その振動は「希望そのものだった」 初めて顔を見た時、 自然と懐かしい感じがした。 初対面のはずなのに、 昔から知っていたような、 そんな懐かしさだった。 顔をくしゃくしゃにして泣く。 その姿は、この世に生まれてきた喜びを、 全身で表しているように見えた。 生まれ変わるような経験
私は、働く対価として賃金を得ている。 多くの社会人がそうであるように、労働を提供する対価として賃金を得ている。 私が働く理由として、最も大きなものは「生活にはお金が必要だから」だ。 しかし、それ以外にも私が働く理由はある。 「自己実現のため」「社会貢献のため」 その辺りがすぐに思い浮かぶ理由だ。 「自己実現」は動機としてわかりやすい。 働く中で得られる知識や経験を糧として、自身の成長を実感したり、目標としている数値を達成することで達成感を得ること。 かたや、「社会貢献」はわかりにくい。 果たして私は、働くことで「社会貢献をしたい」と本気で考えているのだろうか。 考えれば考えるほどに懐疑的になる。 社会に貢献している実感があれば、自分が「社会」というコミュニティに存在しても良いという理由になる。 言わば、居場所を確保することができるのだ。 その点からすると、社会貢献の動機を突き詰めると、結局
私の住む地域では人口の流入が激しい。 どんどん住民が増えているのだ。 だから、行きつけの床屋が尋常ではないほど並ぶようになった。 先日髪を切ったときは、1時間近く並んで髪を切ってもらった。 昔は並んでいても3人くらいだったのに。 子育て中で時間が惜しい私にとって、この1時間は大きい。 そうなってくると、1000円カットにするか、予約制のところにするかと考えてしまう。 商売をやるには良いのかもしれないが、人口が増えたところで、元々住んでいた住民にとって良いことはあまりない。 むしろ生活が不便になることの方が多いくらいだ。 土地でも持っていれば、資産価値が上がるのかもしれないが、私の場合はそういうわけでもない。 本当に少子化が進んでいるのだろうかと思う。 私の周りでは人がどんどん増えているし、保育園も第一希望にはなかなか入れないと聞く。 既婚率も高い。 一応、都市部と言えるギリギリのところに住
今日は久々に午前中の予定がなかったから、子供のミルクに起こされながらもとことん寝た。 私は割と子供の泣き声で目が覚めてしまうタイプのようだ。 ある人の話によると、ほとんどの父親は子供の泣き声で目が覚めないらしい。 だから夜は母親のワンオペ育児となり、そこで不満が募るようだ。 しかし、私は目が覚めてしまう。 なんなら妻よりも敏感に目が覚める。 その点では妻からしたら、私はありがたい父親なのかもしれない。 最近は母乳よりもミルクを優先するようになった。 夜中に私は、さっさとミルクを作って子供に飲ませる。 毎晩一度か二度はそれを行うことが習慣となった。 その後に妻がもそもそと動き出して、おむつを変えてくれる。 そうして泣き止んだことを確認して、もう一度寝るのだ。 もはやそれがルーティンになっている。 夫婦共に疲弊し切っている。 子供が泣いていても、しばらく起き上がれないことが増えてきた。 泣いて
「信念なく情熱を持って語る」 情報はいくらでも手に入る時代だ。 だから「それらしく見せるテクニック」も世の中に蔓延っている。 「人のために働きたい」だとか、 「社会の役に立ちたい」だとか、 聞こえの良いスピーチを武器に聴衆を熱狂させるための方法はいくらでも学ぶことができるのだ。 そして「信念なく情熱を持っているかのように見せかけて語る人」はヤバい。 時代に毒され、役割を演じることが役割となり、自分が本当は何をしたいのか分からなくなっている人。 もしくは聴衆を味方につけて人気を集め、自らの野心を叶えようとしている人。 多くはそのどちらかだろう。 ドラマ『笑うマトリョーシカ』 嵐の櫻井くん演じる政治家は、人を惹きつける魅力を持っているが、中身は空っぽの人という設定だ。 本人の意思とは無関係に、周りに求められる役割を演じることで、自らの存在意義を示す。 まだ話の途中だから、ここからどう発展してい
子供が生まれてからは特に1日が早く感じる。 子供中心の生活。 時間が溶けていく。 何をするにしても、子供ありきで私たち夫婦の行動は決まっていくのだ。 子供が泣いたらご機嫌を伺いにいって、ミルクかオムツか抱っこなのかを確認する。 そのどれでもなく泣き止まない場合はお手上げだ。 あらゆる手を尽くしてご機嫌をとる。 自己主張をすることが仕事で、周りの様子など考えることはできない。 このような生き物を育てていくということは、大変であると同時に大きな学びになる。 今の時代は聞き分けが良くないと社会から抹殺されていく時代だ。 現に私の周りでは、聞き分けの良い優秀な若者ばかり。 1億人のカメラマンと記者に囲まれて生きている時代だから、少し道理的に誤った行為をするだけでも、社会的に抹殺されるリスクは昔の何十倍も高くなった。 だから、乳児のようなどうりの全く通じない存在と触れ合うことは、ある意味で新鮮だと感
投資のことをブログに書くのは初めてかもしれない。 とりあえず今の私の考えを記しておく。 新NISA制度開始に伴い、日本では個人投資家、投資額共に右肩上がりに伸びているようだ。 そもそも日本人は資産に対する銀行預金、タンス預金比率が世界でトップクラスに多かったらしい。 そう考えると、投資を促す制度改正により預金を投資に回す方向性は経済活性化のために間違ってはいないと思う。 しかし、あまりにも投資先が偏っていることは問題だ。 特に積立では投資先にいわゆる「オルカン」「S&P500」を選択することがセオリーとなっている。 かくいう私も積立投資先に米国株インデックスを選択している。 しかし、数ヶ月前からは投資比率を見直して、国内株アクティブファンドへの投資比率を大幅に増やした。 その心は、損得はもちろんあるが、別のところにも意図がある。 それは毎月数兆円が外国株購入に動いていることで、円安の流れが
私には見えていない理由があり、それを元に起こした行動だとしても、私から見てそれが非合理的であれば、私はおそらくその行動を肯定することはできないだろう。 人は「主観」で物事を判断するのだ。 だから対話が必要。 今の世の中はコスパ、タイパを重視するあまり、対話を疎かにしているのではないかと思う。 1on1と呼ばれるコミュニケーションがビジネスで推奨され出したが、その目的を理解しないまま制度として導入しても効果は薄い。 その目的は、お互いの目に見えていない部分を共有するために行うのだ。 上司から見た部署の課題と、部下から見た自分の担当業務の課題。 その優先順位が両者で食い違うことは往々にしてあることだ。 そこのすり合わせをしっかりしたおかないと、両者の意見が食い違うままとなり、不信感に繋がることが多い。 つまり、全体の課題をチームで共有した上で、現場の課題に対する上司の見解を伝えることが大事、そ
今日は大谷翔平選手の30歳の誕生日とのことだ。 試合の方は気負いもあったのか、残念ながらノーヒット3三振で終わったようだ。 日比谷ミッドタウンでは「大谷翔平30年の軌跡店」というものをしている。 30歳にして、もはや偉人である。 プロ野球選手としても円熟期を迎え、まだまだこれからも数々の記録を残していくのだろう。 すでに松井秀喜氏を越えて、メジャーリーグでも日本人最多本塁打記録を更新した。 ここからどこまで伸ばしていくのか。 今年は打者に専念しているが、今の時代は投手としても選手寿命は格段に伸びている。 まだまだ記録を伸ばしていくことだろう。 本人の構想では、40歳までは現役を続けるつもりのようだ。 そもそもドジャースとは29歳で10年契約を結んでいる。 この間は怪我さえなければメジャーリーガーとして活躍を続けるはずだ。 その後はどうなるかわからないが、日本で現役を続けるようになれば面白い
私は周りから理論派であるように見られる。 しかし、完全に感覚派の人間だ。 損得勘定や確率を上げるための計算は得意で、日常的に自分が損をしないように計算をしているが、その計算結果に身を委ねるか否かは感情で決めることが多い。 自分が損をする選択だとしても、それが自分の主義に則ったものであればそちらを選択するし、自分が得をする選択肢は、気が引けて選択しないことが多い。 要は優先順位なのだ。 私が生きる上で何を行動規範にしているのか。 この歳になると、ある程度はそれを体系化できてくる。 それに従って行動を決める私は、自分では感覚派だと思っていても、ある意味では理論派なのかもしれない。 それはどっちでもいいことなのかもしれない。 大事なことは、私が理論武装よりも直感的に生きている割合の方が大きいと実感しているということだ。 「自分で自分の人生をコントロールしている実感」 それがあるということは、主体
ここしばらくはブログに書きたいことがあったからか、割と文字数の多い記事を投稿していた。 今の私は環境に変化がある時期にいるため、アウトプットしたいことが次から次に湧いてくるのかもしれない。 いわばトランス状態。 変化に対応するために脳が活性化しているのかもしれない。 しかし、気をつけなければならない。 こういう状態は長くは続かないのだ。 今は気温の変化や梅雨入りしたこともあり、環境的なストレスも大きい。 その状態で心と体への負荷を上げると、どこかで体がもたなくなるはずだ。 無理の効かない体になってしまった私だ。 そのあたりはうまくバランスをとりながらやっていくしかない。 今は実家にいる子供と妻がいよいよ自宅に戻ってくる。 気負いによるストレスを感じてはいたが、まだまだ私の子育ては始まってなどいないのだ。 これからがいよいよ本番となる。 うまいことラインギリギリのところを歩きながら、生活をや
経営の神様と呼ばれた松下幸之助さんの言葉。 リーダーになる人は「運の良い人」でなければならない。 そして、運の良し悪しはその人が「明るい人」かどうかでわかる。 明るい人は運の良い人だ。 その人には、自然と人がついてくる。 ジメジメした暗い人は、どんなに学歴が高く、能力があり、健康で誠実で合ってもダメだ。 物事のネガティブな面ばかりに目を向けて、事業を停滞させる。 有名な話だが、面接の時に「あなたは運がいいですか?」と問いかけて、「運が良くない」と答えた人は、どんなに優秀でも採用しなかったという話があるほど、松下幸之助さんは、この点を重視していたらしい。 明るい人。能力は関係ない。 いつも生き生きとしている人は魅力的だ。 新しい体験に対してポジティブな姿勢を崩さずに、失敗をしても次への糧にする。 そんな人が幸運を掴むと言われると、感覚的に納得できる。 「運が良い」と自認している人は、不運と思
ある動画を見ていて面白い言葉を聞いた。 「サプライズアクション」 今まで自分がやったことのないこと、これまでの自分だったら絶対にやらないだろうということ、 それを指す造語のようだ。 今の位置からは見えない世界が開けていく。 新しい景色を見ることで、自分の人生を切り開く実感を得ることができる。 動画主は、月に一度の「サプライズアクション」を推奨していた。 それを1年間続けることで人生が変わるのだという。 人は歳を取れば取るほど、新しいことに挑戦しなくなる。 心も体も凝り固まって、これまでのやり方にしがみつくようになるのだ。 しかし、時代はどんどん先に進んでいる。 自分をアップデートし続けなければ、時代から取り残されてしまう。 目に見えるものだけが全てではない。 いくつになっても先のことを考えて行動をしなければ、つまづいた時に取り返しのつかないことになる世の中だ。 だから準備が必要。 その準備
妻が実家に帰っているものだから、 久々の一人暮らしをしている。 そうなると生活は乱れてくる。 好きなものを食べて、好きなことをして、好きな時間に寝る。 毎週末、仲間と飲みに行ったりもしている。 特に食事に関しては、大体妻が用意してくれていたから、それがなくなると外食で済ますことが増えた。 そして体の調子は悪くなる。 規則正しい生活の重要さを痛感するのだ。 久々に羽を伸ばしてはみたものの、若い頃のように、自由気ままな生活はしっくりこない。 私の体はすでに、妻と二人で過ごす規則正しい生活に順応していたのかもしれない。 そして、もうしばらくすると規則とは無縁の三人での生活にシフトする。 私のやりたいことに割くことのできる時間は極端な減り、家事・育児に追われる生活となるのだろう。 果たして私の体は保つのだろうか。 その点が心配だ。 今は私が自由に羽を伸ばすことのできる最後の時間なのかもしれない。
長女が産まれてから、私の人生観が大きく変わろうとしている。 次の世代に思いを託したいという考えが、日に日に高まっているのだ。 子供という存在は、想いを託すに足る存在。 むしろ最たるものと考えて差し支えないだろう。 自分が叶えられなかった夢を子供に押し付けるような、変な期待をかけすぎてもいけないが、ある程度はそういう気持ちが生じでもおかしくはない。 私の感情は、そう言った類のものなのだろうか。 自分ができなかったことを、子供に叶えて欲しいと思っているのだろうか。 それとは少し違う気がする。 私が生きる中で培ってきた思いや生き様を、子供にも継いで欲しいという気持ちの方が強い。 そして、それを発展させて違う時代を生きる姿を見せてほしい。 そういう感覚だ。 そういう意味で、私の人生の主役は私ではなくなったのかもしれない。 そうやって移り変わっていく。 主役の重圧から解放されていく。 そして、新たな
一昨日の記事で2200回目の投稿となりました。 本当は昨日この記事を投稿するつもりでした。 そのための下準備として、2200個目の記事は子供が産まれたことのご報告にしました。 しかし節目の時はスワローズが顔を出す。 不思議なことに、前にも予定を変更してスワローズの記事を書いた記憶があります。 詳しいことは昨日の記事で書きましたが、スワローズの絶対的エースになると期待されて入団した奥川。 2年目で頭角を表して、いよいよエース爆誕と思ったところで相次ぐ怪我。 その辺りが伊藤智仁、佐藤由規に続く系譜のようで、スワローズの宿命を背負わされてしまったかと感じていました。 昨日の試合は、奥川にとって復活の狼煙を上げた試合。 ファンとしては、これを記事にしないわけにはいきませんでした。 私のことはいつでも記事にできますからね。 さて、私の環境も大きく変わります。 第一子となる長女が生まれたのです。 体に
ヤクルト5-3オリックス これは泣きました! 本当は本日は、2200記事投稿記念の記事を上げるつもりでしたが、これを書かないわけにはいきませんでした。 奥川恭伸。 2019年のドラフト1位。3球団競合の末にスワローズが交渉権を獲得。 名門・星稜高校では3年次にエースとして君臨し、夏の甲子園準優勝。 超高校級と呼ばれ、指標では歴代最高クラスの高卒投手との触れ込みで鳴物入りでの入団でした。 プロ2年目にはチーム最多となる9勝をマークして、クライマックスシリーズでは巨人相手にマダックスでの完封を達成! 日本シリーズでも、あの山本由伸に投げ勝ち、チームの日本一に大きく貢献しました。 しかし、エースとして飛躍する予定だった3年目。 シーズン初戦で肘を痛めて降板すると、そこから3年間一軍での登板はありませんでした。 同期の佐々木朗希、宮城大弥が順調にプロで結果を残し、WBCでは世界一に貢献する中で、高
先日、長女が誕生しました。 母子共に健康です。 妻は入院中で、そのまま実家に帰るので、私が直接育児をする機会は当分先になる予定ですが、少しずつ実感が湧いてきました。 たくさん初めての経験をしました。 出産に立ち会い、名前を決めて、役所に出生届を出し、会社への各種申請。 その過程の中で、確かに新たに1人の人間が誕生し、社会の一員になったことを実感しました。 ミルクをあげて、おむつを交換。 人間の赤ちゃんを育てるのは、本当に手間がかかる。 多くの人の協力が必要。 それが社会性を生み出して、ホモ・サピエンスを生態系の頂点にまで押し上げたというのですから、なんとも逆説的です。 私に子供が産まれた。 それは、なんとも信じ難い事実です。 ブログ開設当初は、女性から酷い仕打ちを受けて、弱者男性としてのお気持ち表明ばかりをしていた私。 そんな私に子供が産まれたのです。 人は変わるものですね。 一つだけ言え
世の中には様々な哲学がある。 何に重きを置くかによって物事の見え方は変わってくる。 心に主眼を置けば、自らの心の向きに囚われた生き方となるし、体に主眼を置けば、欲求に縛られた生き方になる。 どちらかに傾きすぎてもいけないし、ちょうどいいバランスを保ち続けたところで、常にそこに正解があるとは限らない。 大事なことは、物事を俯瞰して本質を見抜くことなのではないだろうか。 「アンコンシャスバイアス」に目を向ける、という考え方が流行っているが、それを平く訳すと「自らの無意識が発する偏りに気がつく」それを推奨するということである。 ACの広告でも流れていたが、私たちは、目の前の事象に対して、性別や年齢で区分けした時に多数派が属する方向だろうと決めつけて生きている。 しかし、ダイバーシティアンドインクルージョンを目指す現代の社会組織においては、それを悪だと捉える。 難しい言葉ばかりが世の中に溢れている
私の気持ちが落ち着かないからだろうか。 最近は通勤の満員電車が苦痛で仕方がない。 ふとしたことでイライラするのだ。 不機嫌でいると不機嫌を呼び込む。 まさに悪循環だ。 どうしてもあの閉鎖環境には慣れない。 少し動いただけで周りとぶつかる。 周りが少し動いただけで私とぶつかる。 その環境に閉じ込められるのだからたまったものではない。 心を無にして過ごしている。 それでも変な奴がいるとイライラする。 前のスペースが空いているのに、私の方に寄ってきたり、不自然に吊り革を掴もうとして腕を顔の前に突き出してきたり。 吊り革を掴むことに命をかけている人がいるけれど、あれは本当に邪魔だ。 そこまでして吊り革を掴む必要があるのだろうか。 甚だ疑問だ。 あとはフード付きの服やポニーテールの女性。 ギリギリのスペースの中では、あの出っ張りだけでも邪魔になる。 その辺りもなんとかならないのだろうか。 いろいろな
私は「めんどくさがり屋」だ。 ブログを6年近くも毎日更新し続けていて、リアルでも周りからは律儀に見られることが多い。 しかし、それは私が必要だと思うことをしているからに過ぎない。 「やりたいこと」と「やらなければならないこと」以外は極力手を出さない。 一度メンタルをやってしまってからは、その行動規範に従って生きている。 だから100点を目指す人とは相性が悪い。 80点で問題のないことは、たとえそれが仕事だとしても「それで良し」と考えるし、極端な話、やった方が良いがやらなくても問題にならないことは、できればやりたくないと考えている。 何事もバランスが大事なのだ。 なんでも定量化すれば良いというものでもない。 感覚的に「ここまでやれば良い」で済ますことのできることもまたスキルの一つである。 その点で、私と上司は折り合いがつかない。 上司は基本的にストイックだから、部下に対しても細かい指摘を欠か
昨日投稿した記事が消えた。 今投稿している昨日の記事は、投稿時間を昨日の日にちに変えて、本日投稿したものだ。 私は記事を投稿するときに、同時にTwitterでも通知するようにしている。 確かにTwitterの方には、6/1の15:58に記事が投稿されていた。 はてなブログのお知らせ画面にも、昨日の投稿時間の後に昨日のうちにスターをつけていただいた記録が残っている。 しかし、投稿したはずの記事は、下書きに戻っているわけでもないし、記事を削除したときにしばらく保存されるはずのゴミ箱にも無い。 確かに昨日、私は「6月を迎えて」というタイトルの記事を投稿していたはずだ。 それが完全に消えてしまった。 原因はわからない。 6年以上はてなブログを続けているが、こんなことは初めてだ。 放送禁止用語など、投稿したらまずい内容を記載したわけではないはずだ。 至って普通に6月を迎えての気持ちを書き綴ったものだ
出産に向けて妻が実家に帰った。 久しぶりの一人暮らしだ。 これからしばらく、産後落ち着くまでは一人暮らしとなる。 昔とはまた違った感覚だ。 「さみしさ」が募る。 実家を出て一人暮らしをした時と違い、 私は歳をとったのだ。 あの時はやりたいことが山ほどあったものだから、一人での生活にウキウキしていた。 しかし、今は一人になったところで特別やりたいことなどない。 そればかりか一人で家事をこなし、仕事から帰っても迎えてくれる人のいない生活に「さみしさ」を感じるのだ。 妻のいる生活が当たり前のように変わっていたことに気がつく。 私の生活は、もはや妻なしでは語れないほどに二人での暮らしに染まっていたのだ。 妻が帰ってきたならば、二人暮らしが三人暮らしになる。 それは、今の私の「さみしさ」は、それを恋しいと感じるくらいに慌ただしいものになるのかもしれない。 今は貴重な期間なのだ。 しっかりと英気を養う
自分が無知であることを知ることが、 賢くなるための第一歩。 ソクラテスだったか。 先人はそんなことを言っていたようだ。 私はある程度社会人として経験を積み、 その成果を持って転職をした。 そこでもある程度は習熟度を上げて、 短い期間でそれなりに成果を積んでいる。 だけれども、それは私から見える世界だけの話なのだ。 私の身近にも、私には見えない世界が広がっていて、そこでは私は無知である。 どこまでも謙虚でいたい。 私は無知なのだ。 どこでもかしこでも学ぶべきことだらけ。 そのことを忘れずにいたい。 「不満」の大半は傲慢な気持ちから生じるもの。 「不満」があるということは、謙虚な気持ちを忘れている証拠なのかもしれない。 自分一人でできることなど高が知れている。 私の知らないことをたくさんの人が知っている。 集合知に対する姿勢を見直す必要があるのだ。 表向きだけ謙虚さを演出することができていても
それを試される機会が増えそうだ。 イライラする感情をなくすことはできない。 心の奥底から湧き上がり、私の全身にゾワッとイライラが駆け巡る。 その湧き上がる感情を止める術などないのだ。 それでも、少なくともイライラを引き起こした対象ではない人に対しては、そのイライラをぶつけてはならないのだ。 ここしばらくの私はイライラすることが多い。 それに引きずられて、関係のない人に対してもイライラした態度で接することが増えている。 なんとかしなければならない。 そう思いながらも、湧き上がるイライラに翻弄されているのが現状だ。 「感情の切り分け」 イライラする感情が湧いてきた時に、自分のことを客観視して、「イライラしてきたな」と理性を働かせること。 そして、イライラを無理に抑え込もうとはせずに、ただただ客観的に湧き上がる感情を認識することだけに努めること。 それが大事なのだ。 イライラの因果関係を考察して
後期の遅れやバス運転手問題など、数々の問題を引き起こして開催の危機と報道される大阪万博。 これは一大イベントの風物詩だ。 東京オリンピックの時も同じようなことを言われていたが、結果として問題なく開催できていた。 だから個人的にはあまり気にしていない。 それよりも気になることはマスコットキャラクターの気持ち悪さだ。 「ミャクミャク」 腸に目がたくさんついたような気持ち悪い風貌。 なんでこんな気持ち悪いキャラクターを公式マスコットにしたのだろうか。 最終選考でライバルだった他のマスコットは普通の可愛らしい見た目だったと記憶している。 このキャラクターがテレビに映るたびに「気持ち悪い」と思い、大阪万博への嫌悪感を覚える。 この他のイベントでは、グッズ収入も貴重な収益となるはずだが、こんな気持ち悪いキャラクターのグッズが売れるのだろうか。 その点から考えても、行政のセンスの悪さが浮き彫りになる。
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