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今年の「#文学」
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以下の文章は『新潮』2023年10月号に掲載されたものです。編集部の許可を得て全文公開します。 —– 「立岩真也の思い出」 2006年から龍谷大学で職を得て働き始めたのだが、たまたま縁があって、2017年の4月から立命館大学大学院の「先端総合学術研究科」というところに移籍することになった。正式に移籍することが決まる前に、京都駅のホテルグランヴィア京都のカフェラウンジで立岩真也と会った。それまでも、先端研にはいろいろとお世話になることがあり、何度か博論の口頭試問などで挨拶はしていたのだが、グランヴィアのラウンジで立岩真也とはじめてサシでゆっくり喋ったのだった。 立岩真也は戦後の日本の社会学が生み出した最大の天才だと思う。テレビに出たりして、一般向けに有名なひと、というのはほかに何人かいるが、立岩は膨大な量の論文と本を書き、おそらく社会学のものとしては世界最大級のアーカイブをネットに築き、立命
まず、腹が減ったということと、空腹であるということについて。血糖値が下がっている問題であるというのはその通りだ。まずはそれでよい。腹が減ったという内的な感覚がまずあり、様々な労働や生活の現場で、長時間にわたって飯を食ってないという事実がある。そのように私たちは腹が減ったという感覚を感じる。飯を食ってないという事実が、一方に結びついている場合があることを考えていくことはよいことのように思われるのだが、腹が減っているという感覚に結びついていない場合もあるだろう。それを認めてもよい。私の考えを述べればこうなる。同意する必要はない。 すると今度は、腹が減っているということを、それは個人的なことでありながら同時にこの社会に普通に存在する価値や現実に関わっているように思われるのだが、どうするかという問題がある。結局、なにごとかをなし、なにものかを摂取するということになる。それほどややこしく、こんがらが
弁天町の駅から歩いてすぐのところに、安治川の一部を四角く切り取ったような不思議な内港というか船溜まりがあって、土日は行き交うトラックもほとんどいないので、たまに散歩しに行く。工場や倉庫に囲まれ、大きなクレーンや素っ気ない小型タンカーが静かに並んでいる。海は汚いけど、とても美しい。 その日もその不思議な風景が見たくて、環状線に乗ったのだが、いつまでも続く緊急事態のせいで人恋しくなり、住宅地を歩きたくなって、野田駅で電車の扉が開いたときに飛び降りた。6月6日の日曜日の、17時ごろ。 野田駅前のファミマに警官が5人ぐらいいて、入り口に黄色い「非常線」みたいなものが張ってあって、えらい騒がしかった。コンビニ強盗でもあったのだろうかとtwitterを検索したけど、何も出てこない。 そのまま南にまっすぐ歩く。大通りの一本路地裏の、旧街道のような道。古い長屋が並んでいるが、ところどころ新しいマンションや
新型コロナウィルス、というものが流行っていて、この春はすべてのイベントが中止や延期になり、公的な施設には閉鎖されるところもでてきて、学校も全国で一斉に休校にするかどうかという話があり、そのわりには朝の満員電車はあいかわらずで、それからやっぱりデマもとびかっている。 ドラッグストアやコンビニの店頭からマスクが消え去り、さらにトイレットペーパーがマスクと同じ材料で、もう中国から入ってこなくなるので売り切れるだろうというデマがひろがって、トイレットペーパーも店頭からなくなった。コストコに長蛇の列ができたとか、対応していたドラッグストアの店長が鬱になったとか、そういう記事をたくさん読んだ。 いったい誰がどういう意図で流すのか知らないけど、30度ぐらいのぬるま湯を飲むと熱に弱いコロナが死ぬ、というデマもかなり広がって、さすがにこれは笑った。体温より低いやん。 まあ、しかし笑えない。若年者の致死率は低
もうずっと前、10年以上前のこと。当時勤めていた大学の学生たちを連れて、神戸の某所で、阪神大震災で被災した語り部の方のお話を伺ったことがある。 まだ若い女性の方で、静かな、穏やかな声で、瓦礫に埋まった近所の小さな子どもの手をずっと握っていた話をされた。その手がだんだん冷たくなっていったんです。 学生たちも泣いたし、私も泣いた。終わってからその方に、こんな辛いお話を大勢の人びとの前でなんども何度もするのは、ご自身が辛くありませんか、と聞いたら、すこしきょとんとしていた。そんな感じがした。とにかく、この話をひとりでも多くのひとに語らなければならない、と思っていたのかもしれない。その話をするときに、自分がしんどいかどうかなんて、考えたこともなかったのかもしれない。 次の年に、またおなじところで、またその年の学生たちを連れて、震災の語り部の方のお話を伺った。 その方は年配の男性の方だったのだが、個
シュレディンガーの猫の話が、むかしから嫌いだ。猫がかわいそうすぎる。 箱のなかに猫がいて、生きてる状態と死んでる状態が重なり合っている。箱を開けると、文系にはよくわからない理由で、生きてるか死んでるかはっきりする。 調べてみると、単に生きてるか死んでるかはっきりしたときの、死んでる状態って、たんに病気とかで死んでるんじゃなくて、青酸カリで殺すらしい。 シュレディンガーはなんてひどい話を考えるんだろう。シュレディンガーが憎い。 かわりに箱に閉じ込めてやりたい。シュレディンガーの猫ではなく、猫のシュレディンガー。箱のなかにシュレディンガーが入っている。生きてるか死んでるかわからない。猫が器用に箱をあけると(たまにキッチンのドアとかを開ける子いるよね)、シュレディンガーは、いつも生きている。猫は飼い主にそんなひどいことをしないからだ。 シュレディンガーと猫のふたりは、いつまでも仲良く暮らす。 あ
淡々と書きます。 きなこがいなくなった。 https://twitter.com/sociologbook/status/930026752147054593 きなこが突然いなくなってから2週間ほど経つ。きしさいとうはぜんぜん回復しない。毎日、突然どちらかが泣きだすと、つられてもうひとつのほうも泣きだす。椅子に座ったり立ったり、なにか動作をするたびにため息ばかりついてるし、泣きすぎて頭がいたくて頭痛薬ばかり飲んでいる。ぜんぜん効かない。 ずっと頭が痛くて、目の奥のほうが重い。ちょうどこれは、泣きすぎたあとの感じと同じだ。もちろん、一日じゅう泣き続けているわけではないが、泣いていないときでも、泣いてるときと同じような頭痛と、目の重さがある。 たぶん、自分でもわからない、脳の奥のほうでは、ずっと泣き続けているんだろうと思う。さすがにもう普通に電車乗って出勤して、授業も会議も出てるし、友だちとく
雨すごかったですな ──すごかったなー。もう(台風)すぎたかな すぎたみたいですな。もう大丈夫でっせ。 ──あ、そうか。 * * * ──おっちゃん、ずっと京都? 京都……。もう40年ぐらいになりますかな。70やから、もう40年かな ──70歳か! 若いな。 何言うてますの(笑)。 ──ずっと京都で働いてんの? そうですな。 ──タクシーはそんなに長くない? ええ、タクシーは長くないですわ。 * * * もとは和歌山。 ──あ、和歌山な 親父が運送屋はじめて、そのてったい(手伝い)してましてん。それが始めのころはえらい儲かって、調子乗ったんですな。親父に怒られて、もう出ていけーちゅうて(笑)。ほな出てったるわーいうて、それからですわ。 親父亡くなるまで帰りませんでした。 ちょうど京都に兄貴がおったんで、そこに転がり込んで。 いろんなことありました。いろんなことしました。 四条に、ハ
1日だけ休みをとって、ぶらっと電車乗って、明石と須磨に行ってきた。近いところにある、遠い昭和。 はじめてちゃんと明石焼きを食べた。あれはうまい食いものだな。ついつい、ビール。 また電車乗って須磨へ。ロープウェーに乗った。 ずっと昔からある昭和。いつでもそこにある。ちょっと電車に乗ったら、いつでもそこへ行ける。手に触れることもできる。 楽しかったから、調子に乗って「写るんです」で撮りすぎて、すぐにフィルムが切れてしまって、須磨のロープウェーの次に乗ったリフトの写真とかを撮れなかった。 写るんです、楽しいな。そのへんのコンビニとかでぱぱっと買って、これだけ持って、また電車乗ってどこか近所にある遠い昭和を見にいこう。
最初に鈴木育郎さんとお会いしたのは太田出版の『atプラス』の「生活史特集号」の撮影のときで、なぜか私の写真が表紙になるということで、恥ずかしかったけど、どうせならと撮影場所には大阪の京橋という下町の盛り場をお願いした。 はじめて会った鈴木さんは、背の高い、男臭い、ボクサーみたいなかっこいい人で、真っ赤なコートを来て、手ぶらで京橋駅の改札に現れた。「え、手ぶらなんですか」って聞くと、ポケットからボロボロの古いニコンを出して、これ一台だけです、レンズもこれだけで十分ですと言った。やられた、この人かっこいい。 撮影も楽しかったけど、フィルムで撮られた写真がほんとうに、とても素敵で、そのときの写真はいまでもときどきプロフィール写真として使わせてもらっている。 いいよなあ、フィルム。 もちろん鈴木さんの足元にもおよばないけど、なんとなく自分でも遊んでみたくなって、よく見ると近所のコンビニや写真屋さん
沖縄に流れる独特の時間を共有することは、私たち内地の人間にとっては、ほんとうに難しい。先日、那覇で乗ったタクシーのおっちゃんから、面白い話を聞いた。そのおっちゃんは50代後半ぐらいだったんだけど、その両親が、かなり歳の差が離れているにもかかわらず、同じ誕生日なのだという。 私は最初、わけがわからなくてぽかんとしていたのだが、よく聞くとこういうことだった。戦後、彼の両親の村は焼け野原になった。そのために、村の人びとの戸籍をもういちど作り直すことになった。そういうことは、戦後の沖縄ではよくあったらしい。 そのときに、当時の区長(自治会長)が、村の人びと全員の誕生日をあらためて調べるのが面倒だったので、すべて「自分の誕生日で」申請してしまったという。 だから、その地区の住民は、若いひとも年寄りも、男も女も、すべて同じ生年月日なのだ。 こういう感覚。 こういう感覚は、いちど焼け野原にならないと、生
先日、たまたま降りた小さな駅でトイレに行ったら、誰もいない無人のトイレで、機械の声がエンドレスで流れていた。 ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。 ここが、トイレです。右が男性用、左が女性用です。 誰もいないトイレで、意思をもたない機械が、その電源が続く限り、ここがトイレだと、世界に向かってつぶやき続けている。その言葉が誰かに届くかどうか思い悩むこともなく、誰かに届けと祈ることもなく、ただここがトイレですよと、右が男性用で、左が女性用だと教えているのだ。 そして、視覚障害者の方だけでなく、そのときの私のような、たまたま通りがかった者もまたこの声を聞き、そうか、ここがトイレか、そして右が男性用で、左が女性用なのだなと、知ることができる。 あのトイレの声は、今日もまた、これを書いている今も、ここがトイレですと、誰もいない宇宙に向かって、大事な言葉を送っているのだろう。 そういう言葉
みんなが雨宮まみさんの文章で救われました。 救われる、ということは、どういうことでしょうか。誰が、何から救われるのでしょうか。 私たち読者は、雨宮さんの文章を読むことで、自分自身から救われるのかもしれません。自分の憎悪や不安や恐怖から解放されるんです。 そういう負の感情を解毒する力を持った文章だったと思います。あなたは悪くない、ということと、でも正面から努力することも必要、ということを、誰も傷つけない形で書くことはほんとうに難しいことです。しかしそれをやってのける力を持ったひとでした。 みんなが雨宮さんのいろんな文章で、ネガティブな感情から解放される経験をしました。そうやって私たちは雨宮さんに頼ってきました。でももう、この世界からいなくなってしまいました。私たちのそういう感情の爆発を押しとどめてくれるような文章を書ける書き手がひとり、いなくなってしまったのです。 ついこのあいだの、『早稲田
ふと思い立ってメガネを新調した。もう10年以上、あるいは20年近くにもなるだろうか、同じものをかけ続けていて、フレームもボロボロだったし、だいたい度が合わなくなっていた。 せっかくやしめったにないことだしちょっと張り込んで、グランフロントの金子眼鏡に入った。 いろいろ丁寧に視力を測ってくれた。結論としては、右目が近視+遠視で、左目が近視+乱視で、その乱視が相当度が進んでいて、これでは見づらいでしょう、ということだった。 左右の度があまりにも違うので、「外では右目、仕事で近いところを見るときは左目」になっていた。利き目は左目である。右目を使うのがしんどくて、仕事用の眼鏡(老眼鏡じゃないよ!単なる度のゆるい近視用の眼鏡だよ!!←必死)を外でもずっとかけていて、左目ばっかり使っていた。 で、昨日、その眼鏡ができあがったので、店まで取りにいった。その場でかけてみた。 世界、めっちゃ立体やな(笑)。
もうそろそろ、大阪の人ってお好み焼きとご飯を一緒に食べるんでしょ? それって炭水化物と炭水化物だよねーという、ほんとうにくだらない、ありきたりなネタについて最終的な回答を与えておきたい。今後、またこのネタを引っ張り出したひとがいた場合には、どうかこう言ってあげていただきたい。 お好み焼きは炭水化物ではない。それは、刻みキャベツと肉と卵を少量の水溶き小麦粉や長芋をつなぎとして焼いたものに、ソース・マヨネーズ・青海苔・鰹節をまぶしたものだ。 もっと簡単に言えば、お好み焼きとは、肉と野菜と卵を焼いて固めたものなのである。 したがって、ご飯のおかずとしておかしくない、どころか、これ以上ご飯がすすむおかずはないといってもよい。ご飯にぴったりのおかずである。 関西以外でお好み焼きと称する何かを食べると、いつも重くて湿ったブヨブヨの何かがでてきて驚く。水溶き小麦粉の生地が多すぎるのである。あきらかに、「
ふっと思い出したんだけど、もう20年以上も前だけど、大阪のどこかの美術館に「大ゴッホ展」みたいなのが来た。どこの美術館でもそうだと思うけど、こういう「大シャガール展」とか「大ピカソ展」とかって、めちゃめちゃ集客する。 そのときもその美術館は超満員だった。私はもうゴッホ見に来たんだか人見にきたんだかわからんようになって、もうざあっと眺めてはよ帰ろうと思ってたら、会場にぎゅうぎゅうになってる大阪のおばちゃんの集団が、大声で喋りながらゴッホの絵を見てた。おばちゃんたちは口々に、 「ゴッホ、絵うまいな。さすがやな!」 「ほんまに上手やなーゴッホ」 と言いながら見てた。 なんか知らんけどめっちゃ思い出す。ゴッホは絵がうまい。なんか知らんけどものすごい大事なことに思える。そうだよな、そういうもんだよな。アートとか芸術とかっていっても。みんなそんなもんだよな。
なんかスポーツができる人間だったら、もうちょっといまとは違う人生だったかな、と思う。 スポーツ何もかもできないし、できないだけじゃなくて、見てても何やってるかわかんない。バスケもサッカーも、ひととボールがランダムにあっちいったりこっちいったりしてるようにしか見えない。ボクシングとかのすごい試合をyoutubeで見ても何やってるか理解できないし、マラソンの中継とかを長時間テレビで見続けられるのが信じられない。走ってるところみてどこが面白いのか理解できない。 これほど徹底的にスポーツができない、できないだけじゃなくて見ててもルールすら理解できない人間じゃなくて、もうちょっと人並みに体を動かすことができたら、もうちょっと違う人生だっただろうか。 とにかく普通に走ったり、ボール投げたりができない。特に球技がまったくできない。飛んできたボールを受け止めることもできない。20m走ると息が切れるのは、子
というわけで、3ヶ月続いた『毎日新聞』でのコラムも無事に終了しました。たくさんの方に読んでいただいて、(一部で)ご好評をいただきました。みなさまありがとうございました! 読める記事数に制限があるみたいですが(笑)、いちおうまとめてURLを置いておきますので、またおヒマなときにでもお読みください。 この連載、じつは全13回分を、2日ぐらいで書き上げました。とても楽しかったのですが、そのなかで、「これだけたくさん書くんだから、ひとつぐらいわがまま言わせてもらおう」と思って書いたものがあります。そしてそれは、みごとにボツになりました。 記念に、このページのいちばん下に置いておきますので、よければお読みください。たんにdisってるだけの文章で、自分でも「そりゃーボツだわな……」と思います。 新聞紙上で連載するのは初めてでしたが、反響も大きく、楽しいお仕事でした。また機会があればどこかでぜひ続きを書
さっき職場から帰る電車のホームで、ひとりのスーツ姿の男性がケータイで、仕事の話をしてたんだけど、そのうちかなり強い口調で、こう言った。 「そこを受け入れるか突っぱねるかは山口さん次第です。」 ふと顔をみると、いまどきのツーブロックのカリアゲの、若いイケメンだった。なんとなく切なく、悲しくなった。 あのな。ちょっと、山口さんがなんでそこで立ち止まってしもたか、なんで山口さんがそこで悩んでしもたんか、考えてやれよ。 山口さんはな、簡単に選ばれへんねん。受け入れるか突っぱねるか。それが選べないのが山口さんだし、山口さんのポジションは、そんなにほいほいどっちか決められへんようなところにあるやんか。 理屈で言うたらそらキミのほうが正しいよ。だって仕事は仕事だもん。ほんまにそうやで。そこどっちか決めへんかったらな、しょうがないやんか。みんなそうやって、難しい選択肢のなかからどれかを選んでるんやから。
社会学者や評論家や作家で、ふだんリベラルなことを言うのに、性的な領域に関する話題になるととたんに「ロマンティシズム全開」になるおっさんがいる。 ふだんは個人主義的で合理主義的なことを発言するのに、「性」、あるいは「女」についてのことになると、とたんに「ただのおっさん」になる。 たとえば、労働市場における女性の不利な扱われ方についての議論をしているときに、こういうおっさんはよく、「女性を『男性なみ』にすることは、女性が本来持っている役割を否定することにつながる。悪しき平等主義だ!」とかいうことを言う。 古典的といえば古典的だが、いまだにこういうことを言うおっさんはとても多い。 最近笑ったのが、これ。 島地勝彦の「遊戯三昧」 「絆す」の読み方、わかりますか? 2人の伝説的編集者が明かす人間関係の奥義──第13回ゲスト:松岡正剛さん(後編) http://gendai.ismedia.jp/ar
私もまだまだ、ジェンダー・バイアスに縛られている。いろいろ勉強してるつもりにはなっていても、ぜんぜんダメである。いまこれを書いているのは梅田のシェアオフィス(あるいはコワーキングスペースともいう)だが、カフェよりもこっちのほうが他のみんなも仕事してるので自分も仕事に集中できるのでよく使うんだけど、さっき受付で誰もいなかったので、すぐ目の前で机をクロスで拭いていた若い女性に「あの、すいません」って言ったら苦笑されて、他のひとを呼びにいった。 あっっっっっしまった、スタッフじゃなかったのか…… もちろん、「机を拭いていたから」そう思ったんだけど、いうまでもなく「若い女性だったから」という部分がないかっていうと嘘になる。すいません、ジェンダーバイアスめっちゃありました……。 その女性には「すみませんすみませんすみません……」と平謝りしたが、しばらく私の顔は真っ赤になっていたと思う。めっちゃ汗かい
さっき研究室に学生がふたり遊びに来てて、ちなみにカップルなんだけど(笑)、彼氏がガタガタ貧乏ゆすりしてるのを彼女がその膝を叩いて「貧乏ゆすりやめーやー」と言った。 なにお前ら夫婦みたいやねんな(笑)。 わたし貧乏ゆすり嫌いなんですよー。先生も貧乏ゆすり嫌いでしょ いやー、そういや歳のせいか、おれのまわりで貧乏ゆすりするやつさいきん見んな。おれもしないし。 あー、じゃあもう貧乏じゃなくなったんですね。 なんか知らんけど、笑いながらもグッときた。しみじみしてしもた。そんなに意味はない。こういうのに意味なくいちいちしみじみする年齢なんだろう。 そういえば、先週も、2回生あいての少人数のゼミで、2回生ももう12月になると、学生生活も半分終わりやな、という話をしてた。 どうやねん、キミらもう大学生活半分終わってんねんで! わー、いややー まあ、おれなんかもう人生の半分以上終わってるけどな。 ここでも
さいきん気づいた小さなこと。 いまでこそ極端な嫌煙家になってますが(スナック・バー・居酒屋を含むすべての飲食店を完全に禁煙にせよ)、もともとはかなりのスモーカーでした。ハイライトとクールのメンソールを吸っておりました。 10年以上前にすっぱり止めたんですが、禁断症状で苦しんでいるときに、ふと短くなった鉛筆(鉛筆派です)を口にくわえて、小さな消しゴムをライターにみたてて火をつけるふりをして、おもいっきり吸い込むと、禁断症状がすーーっとラクになりました。 あ、こんなんでええんや。これぜんぜんタバコのかわりになるわ。 そのあとしばらく、ずっと消しゴムで鉛筆に火をつける真似をしてすぱすぱ吸っておりました。すぐ禁煙できた。 もちろん個人差というか、人によるとおもいますが。こんなんでええんや、と思った。 さて、酒のほうはあいかわらずだいぶえらいこと飲んでおりますが、さいきんさすがに体のほうがついてこん
承前。先日の沖縄での調査実習のときに、学生たちと聞き取り調査に向かう途中で乗ったタクシーの運転手が、ダッシュボードにたくさんの喫茶店の紙ナプキンを入れていて、それで見事なバレリーナを、その場で作って、私たちにくれた。 「いや、おじい! 前見て! 前! あぶないよ!」 おじいは、そのバレリーナの背中に、もう一枚の紙ナプキンで作ったひもをくくりつけて、「こうすると、壁に掛けられるさー」と言った。 「だから前見ないとあぶないよ!」 ほんとうに見事なバレリーナだった。 たいしたもんだ。
おそらく、たくさんの人が、すでに同じことを書いていると思うけど。 「シリア難民中傷風刺画について、今までの流れ」(『東京育児日記──子どもが寝ているあいだに書くブログ』) http://yuco.hatenablog.jp/entry/2015/10/05/000019 yucoさんもrnaさんもすごい。ほんとにすごい。俺も何度でも報告しよう。 それにしてもひどい話だが、このイラストを最初に見たときから、怒りや悲しみとともに、なにか手応えのない、意味のわからない、もやもやとしたものを感じていた。作者のレイシスト的な意図はよくわかるのだが、その意図を実現するための手段として考えると、理解できないところが残る。もちろん意図も何も、最初からまったく理解はできないのだが、それにしても、差別的表現としてはなにかこれまで見た(見させられた)ものと異質なところがあると感じた。 この絵は、レイシスト的なひ
結婚とか夫婦とかの制度はたしかに面倒だし、個人の自由にとって抑圧的だから、ほんとうに、ないほうがいいとまでは言わないけど、できるだけそういうものを選ばない自由が保証され尊重されるべきだし、個人の自由な生き方がたくさんあったほうが、より良い世の中になる。 ただ、どうしてもある種の規範を持ち出してしまうときがある。たとえば、ふつうに結婚してて、でも仕事の都合とかで子どもをなかなかつくらない夫婦をみると、こちらから余計な口出しをすることはないけど、自分の体験から、やっぱりできるうちに作っておいたほうが、あとから欲しくなっても、と思ってしまう。 そういうときは、「夫婦であれば子どもがいたほうが幸せ」という規範に、無意識に自分も従ってしまっているんだろうか、と思う。 ほかにも、不倫している若い女の子の話をきくと、バカだなやめとけよ、って言ってしまうけど、でももしそれが、将来や現在のリスクをすべて理解
3泊4日の「社会調査実習」の合宿で、沖縄で20名ほどの高齢者の生活史を聞き取りして、たった今、伊丹空港から自宅に戻ってきた。 語り手の方は、ほとんどがあの沖縄戦を体験している。 ひとりの女性は、米兵に追われて山中を逃げる途中で迫撃砲をくらい、父親を亡くしている。自分も爆発の衝撃で土砂をまともにかぶり、傷だらけになったそうだ。 やっと山の中に逃げこんで、きれいな小川で着物と体を洗ったら、川の水が真っ赤になった。 土砂をかぶったと思ったのは、真横で被弾した父親の血や肉や骨だった。 お話を聞いたあと、その女性が持ってきてくれた大量のマンゴーを、学生たちとみんなで食べた。めっちゃ甘くてめっちゃ美味しかった。大きなタッパーに入れて持ってきてくれたマンゴーを、全部食べた。 逃げ込んだ山中では、あまりにもヒマだったので、自生しているタバコの葉っぱを乾燥させて手製のタバコを作って吸っていたらしい。 聞き取
こんなことを言ったひとがいた。 「学生がデモに参加したら、就職できないかもしれない。べつにデモに参加するなとは言わないけど、世の中そんなに甘くないから。そういう会社も多いからね」 うまく言えないけど、こういう語り方に似てるものはたくさんある。 社会学者の野口道彦(大阪市大人権問題研究センター名誉教授)の主著『部落問題のパラダイム転換』(明石書店、2000年)に、こんな語りが紹介されている。部落問題に関するアンケートの自由記述部分を集めて分析している章のなかで引用されているもののひとつの、そのまたごく一部だけど、こういうもの。 「差別はいけないことだと思っていても、もしも我が子が被差別部落の人とつきあったりということになると、悩んでしまうかもしれないというのが現状です」 部落の人と結婚しようとする我が子に対して、自らの結婚差別を正当化する語りとして、親からよく語られる、ある種の語りのパターン
ちょっと前の話ですが。 よく髪を切りにいくところで、その日もうだうだ喋りながら髪を切ってもらってたら、ひとりの小柄なおっちゃんが店に入ってきて、待合のソファに座った。深く帽子をかぶって顔が見えないようにしていたが、それはどう見ても板東英二だった。 その次の日、いつもよく行くマッサージ屋で、台湾人のHさんにぎゅうぎゅう揉まれていたら、店中に響き渡る声で、板東英二が入ってきた。うつぶせになっていたので顔は見えなかったけど、あの声は聞き間違うことはないと思う。でかい声で関テレがどうしたこうしたと喋ってた。 その次の日、すこし離れた場所にあるジャズクラブで、とても好きなボーカルとピアニストが出演するので、おさいと聴きにいった。カウンターで飲みながらマスターと喋ったら、とつぜん「さっきまで板東英二さんが来てましてん」と言った。 いやこれほんまやって。ほんまの話やって。
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