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今年の「#文学」
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●1989年(平成元年) 1月7日、昭和天皇が崩御。翌8日より元号が変わり、昭和64年から平成元年となる。前年9月の昭和天皇の吐血報道以降、テレビはバラエティー番組を中心に自粛ムードが広がる。危篤報道から崩御、その翌日まで、テレビは報道特別番組一色となり民放はCMの放映を自粛した。日本の広告費は初めて5兆円を突破する。バブル景気の中、国内消費は極めて堅調だった。リクルート事件の影響等で国内の政局は不安定で、竹下登、宇野祐介、海部俊樹と総理大臣が三度も変わっている。 この頃の世相を象徴する広告は、三共の滋養強壮剤「リゲイン」のCM、『24時間タタカエマスカ?』だろう。俳優の時任三郎が歌うコマーシャルソングが大流行した。歌詞は〈黄色と黒は勇気の印。24時間タタカエマスカ? リゲイン、リゲイン、僕らのリゲイン。アタッシュケースに勇気の印。遥か世界でタタカエマスカ? ビジネスマン、ビジネスマン、ジ
本当は専門家が語るべきだろうと思うが、今回の騒動で問題となった同和という言葉を中心に少しだけ。僕らの世代では当たり前でも、今の若い人たちはあまり知らないことなのかもと思うし、極めて党派的対立が強い分野なので、専門家ではない一般人がアウトラインを語る意味は少しはあるだろうと思う。 もともとこの言葉は被差別部落の環境改善と差別解消を目的とした事業を、差別によって立ち遅れていた生活インフラや都市環境を他の地域と同じような水準にすることで差別を解消しようという意味で同和事業と呼んだことから来ている(追記あり)。地方で個別に行われていたものが、69年、同和対策事業特別措置法として正式に立法化され国策事業になった。10年の時限立法だった。 多額な予算を投入する国策事業なので、どうしても利権ができる。で、その利権を巡るいくつかの騒動が事件となり同和利権という言葉ができた。一方で、部落解放運動の中で、大き
ウェブで『「今残さないと、調理文化が消える」 食研究家たちが支持するレシピ本、危機感から制作』という記事を読み、その関連で、なんとなく食べ物のことを考えていて、ふと、昔、母がつくってくれたオムレツのことを思い出し、 僕の母は甘く煮た牛肉そぼろが中に入ったオムレツをよく作ってくれて、20歳くらいまではオムレツは中に肉そぼろが入ったものと思い込んでいたけど、それは国が進めていた栄養運動の中の推奨レシピだったということを最近知った。 と、Twitterでつぶやいた。すると、珍しくいいねやリツイートが付き始めて、ああ、みんなもこの牛肉そぼろオムレツを食べていたんだよなあ、思い出でつながるTwitterっていいよなあ、なんて思っていたけど、徐々に、さて、どこで知ったんだろうと気になりだして、検索したりしてみるも手がかりが見つからず、まあええか、寝るか、と布団に入った瞬間に「あっ、朝の料理番組で土井善
かんぽ生命不正販売という不祥事が起こることは、2年前に流れていたあるCMが予言していた―― そう言われたら、あなたはどう思うだろうか。CMに何かの暗号が仕組まれていたのか。はたまたタレントが話すセリフがアナグラムになっていたのか。それとも、特定の人にしか見えないメッセージが電波とともに送られていたのか。 期待された方には申し訳ないが、そういうオカルトめいた陰謀論を書きたいわけではない。CMがどのような目的でどのように作られていくのか、そのプロセスを理解していれば誰でもある程度は分かることだからだ。もちろん、かんぽ生命不正販売という具体的な部分まで予言されていたわけではない。しかし、この手の顧客コミュニケーションに絡む問題が起こるかもしれないということくらいはCMを見ればすぐに分かるはずだ。 ZAITEN2017年10月号の連載で、僕は日本郵政グループのあるCMを取り上げた。少し長くなるが、
2015年の大阪市住民投票後に「大大阪と大阪都」という記事を書いたこともあるので、今回の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙の結果について僕が感じたことをこのブログに残しておきたいと思った。 結果は大阪維新の圧勝、大阪自民、立憲民主、共産などが共闘を組んだ反維新陣営は惨敗だった。 僕は大阪都構想については大大阪幻想を喚起する「大阪都」というレトリックを軸に、そのレトリックが大阪府民、大阪市民にどう受容されてきたかという切り口で見てきた。住民投票の際には大阪にいたので各陣営の街頭演説を回ったり、在阪民放各局の報道のされ方をチェックしたり、かなりその空気感については理解をしていたつもりではある。一方で、今回、選挙期間中はずっと東京にいて、その空気感がいまいちわからない部分があり、結果を見て、「ああなるほど、そういうことだったのだな」と事後的に理解した部分が大きい。 「大阪都」というレトリックについ
僕がこのイベントを知ったのは少し遅くて、Twitterのリツイートで流れてきた例の「冷笑」ツイートを見て、なんか嫌な感じのことをつぶやいているなあ、何があった、と少し不可解かつ不愉快な気持ちになって、それから2、3日後のことでした。リツイートでおぼろげながら例のツイートの理由みたいなものが分かってきて、少し時を遡って調べてみると、通常のしくじりや、Twitterで起こりがちな派手で面白そうなものごとに対する異論反論、嫌儲をベースとした批判等とは違う問題の複雑さが次第に浮かび上がってくるように僕には感じられました。 僕が調べ始めた時には既に所謂「炎上」になっていて、大勢の方々がそれぞれの思いで批判の言葉を投げかけていました。マスコミ等で今も引用され、イベント運営側が批判に対する反論として使われる「木がかわいそう」という言葉は、この初期のツイートを指しているのだと思います。この言葉は「生活のた
嘘みたいな話ではあるけれど、人気アイドルがラジオ番組をはじめるというようなニュースが出たときなんかに、ラジオ局や家電量販店で若い人から「ラジオってどうやって聴くんですか?」という質問が寄せられるらしい。また、若い人に「ラジオって聴いてる?」と質問すると「聴いてる、聴いてる」と答えるので「ラジオで?それともradikoで?」と尋ねると「うんん、YouTubeで」。まあ、どちらの話も笑い話ではあるけれど、あながち嘘ではないんだろうなあ、とも思ったりします。 これは前に書きましたが、現在のラジオの聴取率は関東広域圏で6%前後。曜日や時間帯によって変わりますが、大雑把に言えば、100人いれば6人くらいラジオを聴いている計算になります。ちなみに、ラジオの聴取率調査が始まった2002年の聴取率は関東広域圏で8.3%でした。現状をどう評価するかは、数字の読み方を知る知らないによって違うでしょうし、立場に
興味深い記事がネットに出ていた。当該記事はフジテレビの不調を揶揄するゴシップ記事ではあるけれど、別の見方をすれば今のラジオのメディアパワーを感覚的に把握する上で、非常に示唆的な記事として読むことができる。 打開策が見えないまま夏休みシーズンに突入するフジテレビだが、苦戦の影響に『ミヤネ屋』だけでなく、ある番組の名前が上がっているという。 「それが、大竹まことさんの『ゴールデンラジオ!』(文化放送)です。毎週、平日の13時から15時半まで放送しています。放送時間がほとんど同じこの番組は、同時間帯の関東のラジオ局で一番聴取率がいいんです。テレビとラジオで簡単に比較はできませんが、少なからず影響があると上層部は判断しているようです」(番組スタッフ) 視聴率1.1%の『グッディ!』ライバルは『ミヤネ屋』ではなく『ゴールデンラジオ!』だった!? - 日刊サイゾー(2015.07.21) 本文には「
即時性が求められるブログ記事としては出遅れた感もあるし、あまり政治に詳しいわけでもないのでたいしたことは書けないだろうと思っていたのでtwitterでつぶやくだけにしていたけれど、時間が経つにつれ、こういう切り口でならまとまった考察としてブログに書いてもいいかなと思ったし、まわりを見渡すと、こういう切り口で論じているものはあまりないような気もしたので、遅まきながら書くことにした。 率直に言うと、タイミングは逸したけれど、こういう考えがあるということをネットの片隅に記録しておくこともいいかもしれない、何かしらの意義があるのではないか、と思った。明快な意見では決してない。けれども、これまで大阪都構想について言及してきたことや考えてきたことの断片をつなげながら、順を追って、余談を含めて丁寧に記録することで、ひとつの考え方の輪郭を示せるのではないかと考えている。 ● ● 僕が大阪都構想を考え
オウム事件から20年が経ちました。あの頃、私は六本木にある広告制作会社に勤めていました。1995年3月20日の朝、いつものようにJR恵比寿駅を降りて地下鉄日比谷線の恵比寿駅へ向かおうとしたところ、駅の入り口に人だかりができていました。時間は記憶が定かではないけれど、確か朝の8時半だったように思います。どうやら地下鉄が運休していることのようでした。 「どうしたんですか」 「何やら食中毒があって地下鉄が止まっているようなんですよね」 なぜ食中毒で地下鉄が止まるのだろう。そんなことを考えながら、六本木に向かうために都バスに乗ったことを覚えています。会社に着いてデスクワークをこなしていると、大阪に住む母から電話がありました。その頃、携帯電話は一般的ではありませんでしたので、正確には、会社に電話がかかってきたということです。会社に入って間もなくだったこともあり、正直、恥ずかしいなあという思いがありま
テレビ朝日の報道ステーションで朝日新聞の謝罪会見を見ていたとき、あるフレーズに違和感を持ちました。それは、吉田調書スクープ報道についての謝罪の後、従軍慰安婦問題での吉田証言についての謝罪の言葉の中の結びの部分です。 「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」 語られた言葉の一部分を切り取ってあれこれ語るのはあまりよくないとは思いますので、該当部分を正確に書き起こすと以下のようになります。 「記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことでご批判をいただきました。裏付け取材が不十分だった点は反省しますとしましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとしてより謙虚であるべきであったと痛感しております。そして吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」 私が違和感を持ったのは、「訂正が遅きに失し
思想家の吉本隆明さんが生前よく言っていた言葉に「死は自分に属さない」というものがあります。確か、湘南で海水浴中に溺れた後、目や体を悪くして、その際に読書や文筆に支障を来し、これからの人生をどうしようかと思い悩んだ末、辿り着いた結論だったと思います。簡潔に言えば、生きている意味がない思っていたけれど、やっぱり生きようと思ったということです。死は自分に属さないのだから、生きているうちは生きるにまかせるしかない、それが生きることだ、ということですね。 吉本さんは文芸批評家でもあるわけだから、自死を積極的に否定するようなある種のヒューマニズムや、生きることこそ素晴らしいといった狭義の思想から導き出された言葉ではなく、生と死を突き詰めた、吉本さんなりの原理的思考から導き出された言葉であると私は理解しています。 父は糖尿病を患い、随分前からインスリンを打っていましたし、糖尿病の合併症から片目と片耳が機
ナイティナインのオールナイトニッポンが9月いっぱいで終わるそうですね。8月28日深夜放送分をradikoで聴きました。矢部さんが終わる理由を話していました。たぶん、その理由はいろんなところで報道されるでしょうから、ここでは詳しくは書きませんが、私はとてもいい終わり方だと思いました。こんな理由で20年続いた番組を終わらせることができるのも、ラジオというメディアのいいところだと思うんですよね。 ラジオの出演者はパーソナリティと呼ばれます。テレビではパーソナリティとは呼ばれません。ナイティナインはテレビで冠番組をいくつも持つ人気タレントです。でも、そんな彼らにもそれぞれの人生があるわけで、その中でテレビでは決して表現しないけれど、当然、人間として心のなかで感じていることもあるわけですよね。その秘めた思いを、きっとほんの少しだと思いますが、きちんと表現できるのが、映像を禁じられた音声メディアである
私が高校の頃ですから、もう20年以上前になりますが、日曜日の深夜にいつも聴いていたラジオ番組がありました。『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』です。当時、大阪の西梅田のサンケイビルにあったOBCラジオ大阪から放送されていました。今は、OBCは弁天町ですね。鶴瓶というのは、笑福亭鶴瓶。新野というのは、大阪の放送作家の新野新。私と同じ世代で大阪で過ごしていた人なら、新野先生はご存知だと思いますが、大阪以外の人はあまりご存知ないかもしれませんね。 当時はテレビの深夜放送もそれほどなく、ラジオもさすがの日曜深夜はどこも放送しておらず、街中がひっそりと静まりかえっていました。そんな中、ラジオをつけると、この鶴瓶と新野先生の声だけが聞こえてきて、もしかするとこの放送を聴いているのは私だけじゃないか、と錯覚してしまうような、妙な気持ちで聴いていました。最初の頃は、民放なのにCMがなかったんですよね。12時開始
MacBook Air+外部モニターがとってもいい感じ、というか、こういうのがモバイラーの夢だったんだよなあ、というお話。 私はモバイラー(この言葉、懐かしいですね)だったりするので、これまでたくさんのモバイルPCを持ち歩いてきました。最初がNECの文豪ARDATA。その次が富士通のIntertop 310。で、東芝のLibretto L3、PowerBook G4、MacBookと来て、現在のMacBook Air 11inchに至ります。 いろんな機種の使い心地には一長一短があって、ARDATAはワープロ文豪ベースだけに起動も速くて文字もサクサク打てて、そのうえバッテリーの持ちもよかったのですが、やはりあの頃のモバイル機はPCとは違うのでプリンタとかファイルの管理とか、いろいろ困ったこともたくさんありました。ただ、あの頃はメールなんかもあまり普及してなかったし、それはそれでよかったりし
福島県いわき市小名浜に「アクアマリンふくしま」という水族館があります。福島県立で、正式名称は「ふくしま海洋科学館」といいます。ほんとよくできた水族館で、環境水族館と自らが名乗っている通り、海の生き物たちがどんな環境で生きているのかがとてもよくわかる水族館です。 昨年の3月11日に起こった大震災で、このアクアマリンふくしまも被害を受けます。そして、原発事故。津波による浸水で9割の魚が死亡して、セイウチなどの怪獣たちも他の水族館に避難したりしました。この一連の危機的状況の中で生まれたのがブログ「アクアマリンふくしま復興日記」でした。ブログのスタートの日である2011年3月31日の記事にはこんなふうに書かれています。 アクアマリンふくしま震災復興ブログをはじめました! 津波の影響で電源、ネットワーク機器が壊滅的被害を受け、正式ホームページで情報発信が困難になりました。 そのため、このブログでアク
何を言うんだろうなあ。 いろいろ難しいなあ。社会も広告も、ここ10年くらいでずいぶん変わったからなあ。これ、ほんとに変わったなあと思うんですよ。たとえばね、この文章を読んでくれてますよね。どうも、ありがとうございます。文章は読まれてなんぼなので、すごくうれしいです。でもね、これはよくよく考えてみると、この文章を読んでもらってるというのは、そのぶんほかのものを見たり聞いたり読んだりできなくなっちゃってるってことなんですよね。時間は誰でも平等に1日に24時間しか与えられてないですから。 これ、10年くらい前では考えられなかったことなんですよね。もちろん、その頃も同人誌とかはあったよ。でもね、同人誌って手に入れるのに、ちょっと努力がいるじゃないですか。でも、このブログを読むのに努力はあまりいらないですよね。RSSに登録してもらってたら、更新の度にリアルタイムでお知らせが来ますし、ときには、twi
より短い形式である俳句のほうが短歌より後にできた。これ、ちょっと不思議な感じがしませんか。普通、シンプルな形式がより複雑化するのが道理な感じがしますよね。でも、日本の定型詩の歴史で言えば、俳句が後というのは、概ねこれは事実であるようです。あまり私は詳しくはありませんし、この分野はいろいろ説があるようにも思いますが、少なくとも、きちんとした定型詩の形式として成立という意味では、短歌が先で俳句はかなり後になってから、ということは言えると思います。 でも、これはジャズの歴史でも同じなんですよね。これも大雑把な捉え方になってしまいますが、ジャズの発祥と言われるデキシーランドジャズなんかは複数のホーンと、ベース、ドラム、ギターかバンジョーというような中編成のバンドが多かったですし、その後、商業音楽として成功したジャズはビッグバンド形式でした。 大きなホールや酒場でビッグバンドで演奏されていたジャズで
コンテクストは同じでも、twitterというコミュニケーションの場がつくるモードの中では、表現は生っぽくなる というわけで実証。 状況としては、土曜の深夜、はてなブックマークの新着エントリーで知ったYouTubeのビデオクリップを見て、あっ、これいいなと思ってツイートしたのがきっかけ。KNOTSさんは、なかなか人気のある作家さんみたいですが、私ははじめて聞きました。タイトルが「年越しセックス」というものなのですが、なんか2011年という年を考えると、ああ、確かになあ、そういう気分かもなあと思ったりしました。 で、歌詞や音作りが私の世代になじみがある感じで(Yukiさんの曲なんかに通じるものがありますね。90年代のクロスオーバーな音というか)、こんなツイートをしました。 なかなかよい歌&よい映像。タイトルはあれですが、おすすめ。ちょっと懐かしい音ですね。 / “年越しセックス/KNOTS”
iPod Touchを紛失しました。ジャケットの胸ポケットに入れていて、ジャケットを脱いで椅子の背にかけたときに落としたのだと思います。その後、残念ながらiPod Touchは出てきませんでした。8Gなので、16,800円。ちょっと痛い。でも、思ったよりも落胆はなく、そのことに自分ごとながら少し驚いています。 パスコードをかけているので、まあ第三者に使われることもないでしょうし、フラッシュメモリに記録されている写真データなんかもiCloudを通してMacBookに保存されているし、iPod Touchだけに保存されている情報も特になく、あえていえば、ちょっと退屈だなあ、とか、メールとかtwitterとか、いろんなものが外でもサクサク見られたのに、それができなくなっちゃったなあ、ということくらい。まあ、今までなかったものだし、それ以外は特に不自由もありません。 逆に、主に自宅で使っているMa
2年前の今頃、『「つぶやき」と訳したのがよかったのかもね。』というエントリを書きました。読み返してみて、あの頃は、私はまだtwitterユーザーではなかったんだなあ、と土曜の深夜にしみじみ。ちょっと前のエントリを引用してみます。ちょっと長いですが。あの頃、twitterの宣伝文句はこんな感じだったんですね。 サービスがはじまった当初のキャッチフレーズは、こうでした。 What are you doing? 日本語で言えば、「今、何してる?」という感じですね。Buzz(このBuzzって、蜂のブンブンという羽の音のこと)的な、気軽で前向きなコミュニケーションの指向性を感じますね。これも、相手に語りかけるという意味では「つぶやき」とは違います。 で、今の英語版のキャッチフレーズは、こうなってます。 Share and discover what’s happening right now, an
いやはや、すごいもんです。ここ最近のインターネット界隈で、いちばんいいニュースだったのではないでしょうか。PINK MARTINI & SAORI YUKI / 1969の大ヒット。この素敵な出来事は、いろいろな記事になっています。 由紀さおりが米国iTunesジャズチャートで1位獲得のワケ - 日経トレンディネット 由紀さおり、1969年作品を歌う『1969』が世界20ヵ国以上でリリース - BARKS ニュース 由紀さおり、ニューヨークでスタンディングオベーション - BARKS ニュース 由紀さおり「夜明けのスキャット」、なんとギリシャremixが世界50ヵ国以上で配信決定 - BARKS ニュース なによりも素敵だなと思うのは、この日本語の歌がアメリカで売れて、そこから世界に広がったこと。聴いてみてわかるのは、PINK MARTINIの演奏が、驚くほど「歌謡曲」なんですよね。アメリ
近くのおいしいパン屋さんでクロワッサンを買って、うまいなあ、サンドイッチもいいけど、やっぱりパンのうまさはパンのうまさだよねえ、パスタも塩こしょうとバターのがうまいし、うどんそばも盛りがうまいよなあ、うん、海原雄山の言う通り、なんて朝から悦に入ってたら、なんか昔のことを思い出しました。 その昔、コピーライター養成講座に通っていたことがあるんですね。CIプランナーの見習いをやっていた頃で、もちろん自分の希望でもあったんだけど、その頃、会社が人員削減とかで人手が足らなくなってきていたりして、コピーライターの見習いを兼務していたんですね。とりあえず見よう見まねでやってはいるけど、これじゃ駄目かなと思って通い出したんです。確か、宣伝会議が倒産して、まだ再建できていない間の頃で、一時的に久保田宣伝研究所コピーライター養成講座という名前だったと思います。 で、その講座で、こんな課題が出たんです。 「あ
ブログをはじめたての頃、投稿ボタンを押すのがすごく怖かったんです。 誰でも閲覧できる場所に自分が書いたものを投げ出すわけですから。はじめて投稿ボタンを押した時はすごく緊張しました。でもまあ、投稿ボタンを押してすぐに、名もなきブログのエントリをひとつ公開したくらいでは誰も見てはくれない、なんてこともわかるんですけどね。 あの頃はまだユーザーの多くに、インターネットはオープンな空間であるという共通認識はあったと思います。無断リンク禁止みたいなことで、特定のブログコミュニティとの揉めごとはあったけれど、オープンであるがゆえの怖さみたいな感覚は、ほとんどの人が持ち合わせていたような気がするんですね。 批判したら反論される。オープンな空間なんだから当たり前の話で、このブログでも過去に何かや誰かを批判する内容のものもありますが、それなりに覚悟を持って、怖い気持ちを乗り越えながら投稿ボタンを押したりして
海の向こうではSOPAやPIPAへの抗議のためにWikipediaがブラックアウトをしたり、Twitterが各国の法律に従って検閲を行うこともあり得るという方針を発表し、その方針に抗議するために「#TwitterBlackout」というハッシュタグを使って、逆にユーザーがブラックアウトするという行動に出たり、インターネットの自由は今すこし曲がり角に来ているように思います。 今回のTwitter社の発表については、今、全世界でサービスを提供しようとするならば仕方がないと思う部分もあって、メリット、デメリットを最悪のケースまで考えてどちらをとるかという問題なのだろうと思います。アメリカの有識者の論議で言えば、どちらかと言えば、「Twitter社は現在の残念な実態を教えてくれているのだと思う」と述べ、Twitter社の発表に一定の理解を示した電子フロンティア財団のシンディー・コーン氏の意見に近い
TBSラジオのお昼の人気番組「キラ☆キラ」のパーソナリティ、小島慶子さんが降板されるそうです。いろいろ憶測でニュースが流れたりして、その誤解を解くために、小島さんが自身の言葉でオープニングで降板の理由を語っています。 理由は、局側から「まだラジオを聴いていない、40代、50代の男性の自営業の人を意識したしゃべりをしてください」と言われて、「ラジオはリスナーとの会話。今聴いている人に話しかけながら、その肩越しに聴いていない人を呼び込むしゃべりをしろ、と言われたら、それは絶対できない」とのことで自分から降板を申し出たそうです。(出典:J-CASTニュース) 生放送ですが、TBSラジオのサイトでポッドキャストで聞くことができます。こういうニュースは活字で読むとニュアンスが変わるし、これは結構重要なことですが、この話が語られたのは隣にピエール瀧さんがいて、彼女の話を聞いてくれているという状況ですの
思い起こせば、このブログを書き始めてから4年と3ヶ月になるんですね。その半分以上の時を、東京糸井重里事務所で働きながら過ごしたことになります。 このブログには書きませんでしたが、2年と少し前のある日、このブログを読んでいただいていたという糸井さんからメールをいただきました。それが入社のきっかけです。私にとって糸井重里さんという広告人は、お手本でもあり目標でもありました。つまり、特別な存在なのです。これは、決してお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちとしてどうしようもなくあるのです。 もしかすると、リアルタイムで広告クリエイターとしての糸井重里さんがつくる広告を追って来た世代は、私の世代で最後かもしれません。それ以降の世代では、文化人としての糸井さん、ほぼ日の糸井さんという感じだろうと思います。このブログでも、糸井さんのことはたくさん書いてきました。代表的なエントリは、きっと「糸井重里さんの重
私は大阪市民ではありませんが、生まれも育ちも大阪市ですし、大阪市がこれからどうなるのかは気になります。昨年の大阪府知事・大阪市長同時選挙は東京にいながら私なりに注視してきました。とはいってももっぱら、テレビや新聞、ネットでのニュースが情報源でした。 このブログを読んでいただいている方はおわかりのことでしょうが、私は政治についてはあまり造詣が深くありません。ということもあり、メディアでの報道を追っても、橋下市長が主張していた「大阪都構想」は私にはよくわかりませんでした。というか、東京に住む私にとってはピンと来ないというのが正直なところでした。 たぶん「都」にバイアスがかかっていたんですね。今はそれほどではないかもしれませんが、大阪人は東京への対抗意識があります。「都」という言葉が大阪人の誇りを刺激する部分があるのかな。そんなふうに考えていました。でも、なぜ大阪市を大阪府と統合させて、つまりは
http://wikimediafoundation.org/wiki/SOPA/Blackoutpage Thank you. The Wikipedia blackout is over — and you have spoken. More than 162 million people saw our message asking if you could imagine a world without free knowledge. You said no. You shut down Congress’s switchboards. You melted their servers. From all around the world your messages dominated social media and the news. Millions of people ha
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