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今年の「#文学」
kfujiiasa.hatenablog.com
①ふるさと厚狭図書館からの知らせ 厚狭図書館(山口県山陽小野田市立)から写真と共に私の新しい本「厚狭吉亭日乗Ⅱ」の貸し出しを始めたと連絡が届いた。 新刊コーナーを終えた後は「郷土資料」の棚に一冊目とともに閲覧に供するとのことで、もう既に貸し出され、一冊目と併せて目を通す方も居られるらしい。 本を出版する一番の目的が厚狭の方々に読んで貰うことであったので素直に嬉しい。 厚狭図書館を窓口にして、山口県立山口図書館、山陽小野田市立中央図書館、厚狭中学校、山陽小野田市立歴史民俗資料館、山陽小野田市立山口東京理科大学へもそれぞれ置いて貰っている。 またお世話になった下関市立歴史博物館、島根県奥出雲町三沢公民館、山陽小野田語り部の会などへも別に送らせて貰った。 国立国会図書館へは出版元から送られて登録されている。 何れにせよこの知らせで半年以上に渡った苦労がかなり報われたような気がしている。 ②現役時
知人から自家の木で採れた大きく立派な栗を沢山頂いた。 今年はあちこちで熊が里に出没してニュースになっているが、知人の山あいでも例外ではないらしく心配している。 近年栗と言えば菓子やケーキのなかで味わっているだけなので、子供の頃運動会などで食べた「茹で栗」にしてみようと思い立ち、インターネットで検索しその教えに従いチャレンジしてみた。 一部をよく水洗い 水をたっぷりと入れた鍋に栗を入れ、塩を水1Lに大さじ半分の割りで入れてよくかき混ぜ、中火で沸騰させその後弱火で50~60分程度茹でる。 1時間程度そのままの状態で粗熱を取り、その後取り出して半分に包丁で割りスプーンで食べる。(栗を割るとき縦方向に切ると切りやすい反面、渋皮を内側の実の方に巻き込み易い気がする。面倒でも横方向に切った方が良い) 採りたての感じで身が充満して締まり、あの子供の頃食べた、菓子の味と違う自然の甘さの記憶がよみがえって来
子供の頃から新聞は身近にあり、新聞を見ながら食事して叱られた時期もあった。 長い間新聞一紙が当たり前だったが、仕事に就いて時間が経つと日経新聞を読む必要に迫られ、日経新聞と普通紙一紙という状態になり、この頃から普通紙の、朝日、毎日、読売、産経各新聞の、同じことを扱う際の視点の違いが気になるようになって来た。 その為外出先や喫茶店などで新聞を手にする際は、家で購読していないものを選んで読むようにして、その違いを私なりに分析することを心がけた。 現在住んでいる施設の図書室では、日経と普通紙四紙、更に地方紙・神戸新聞が置いてあり、いわば新聞天国といって良い状況で、私は日課として経済関連記事が素晴らしい日経と、左右のバランスをとって毎日と産経の三紙を読み、時折時間があると神戸新聞や読売、朝日の様子を見ることにしている。 先日、周知の通りいわゆる「袴田事件」の再審で静岡地方裁判所から無罪の判決が言い
昨日は住んでいる施設の有志で近くの健康公園で蝉の羽化を観察する会に参加させて貰った。 数年前にも観察したことがあったらしく、予め目星を付けた公園のシナノキ(科の木)を午後8時頃から観察した。 事前に確認したところ確かに蝉の脱け殻(空蝉)が沢山残されておりその事は昨日のこのブログに一部の写真を載せた。 幸いにも上手く羽化に遭遇出来て、以下にその写真を載せる。 これは画像検索ではアブラゼミのようで、脱け殻に泥などの付着もなく検索結果を裏付けている。 この写真を施設の通路に掲示させて貰った。 今朝8時頃確認すると蝉は完全に飛び去っていて、脱け殻のみが残されていた。やはり爪先は葉を貫いていて、蝉の羽化のサーカスのような動きにもしっかり万全に対応出来ていることがわかる。 揺れる葉に爪刺し堪えて蝉生る 当日、このシナノキには他に二匹の羽化が確認出来た。 こちらは特徴的なクマゼミ、画像検索でも裏付けられ
古代律令制下で令外官(りょうげのかん・制度に規定のない新しい官職)鋳銭司(じゅせんし・ちゅうせんし)は現代で云う造幣局で、皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)と呼ばれる和同開珎(わどうかいちん)など十二種の銅銭等を鋳造を担当する役所だったと考えられている。 河内国(大阪府)、山城国(京都府)、長門国(山口県)におかれ、天長2年(825)には長門から周防国(山口県)に移された周防鋳銭司が開設されたとされる。 長門国及び周防国(何れも山口県)に鋳銭司が設けられているのは2022年9月15日のこのブログなどに書いて来たように、大仏創建時の材料にもその銅が使われた、長登(ながのぼり)銅山などが近くにあり材料の調達に適していたからだと考えられる。 周防鋳銭司跡は現在の山口市鋳銭司(すぜんじ)にあり昭和41年(1966)に発掘調査が開始され昭和48年(1973)に国史跡に指定されている。 正式な呼称「
住んでいる神戸市垂水区にある五色塚古墳は、築造時に近い形で復元された古墳として聞いており、いつか行ってみなければと思いつつ月日が過ぎていたが、ここに来て二つのことで背中を押されようやく昨日腰をあげて訪れた。 ・俳句会でこの古墳のことを詠んだ句に出会った。 ・故郷の厚狭にある二基の古墳をきっかけにして少しづつ古代の事にも関心が向くようになった。 垂水駅から15分程度歩けば良いと思って海岸通りを西へ歩いたところ、近くまで来ても電車の線路を渡る道が無く、倍くらい歩いて次の駅まで来たところで線路を渡りその後大きく迂回して引き返す羽目になってしまった。 汗を拭きつつ管理事務所の方に聞くと北側に住宅街を抜ける道があるとの事で帰りはほぼ半分の行程で助かった。 五色塚古墳は4世紀の終り頃の築造とされ全長194m(墳丘高約19m)の前方後円墳、兵庫県では最も大きい古墳と言われる。以下の写真の通り明石海峡、淡
現在地に越して来て毎日目の前に見える淡路島は身近な存在になって来ている。 以前にもこのブログで触れたことがあるが、兵庫県は律令制の旧国、摂津(せっつ)・播磨(はりま)・丹波(たんば)・但馬(たじま)・淡路の5ヵ国にまたがる珍しい県でもちろん全国で兵庫県のみである。 他の4ヵ国は地続きでもあり理解出来るが、淡路島全域の淡路国(あわじのくに)が兵庫県というのがどうも理解出来ていなかった。 というのも淡路国の名前の由来は諸説あるなかで最も有力なのが、畿内から四国・阿波国(あわのくに)への通路である、「あわみち・あわじ」であること。 また律令制下では国内各国を五畿七道(ごきしちどう)に区分しているが、淡路国は阿波国と同じく南海道に位置付けられていて明らかに県内の他の各国とは位置付けが異なる。 また江戸時代阿波国を領した蜂須賀(はちすか)氏は「大阪の陣」後にその功で淡路国を加増され以後明治維新まで阿
昨日は住んでる施設のハイキング企画で、北へ2~3kmの近場にある標高186mの高塚山へ行って来た。 14名の参加でスタッフさん3名も入れて総勢17名、登山口まではバスの往復でトータルの歩行距離は5kmくらい、途中ローゼンファームカフェという店の仕出し弁当を食べる休憩も入れて、ドア~ドア約4時間半の無理の無い設定であった。 最近、低山登りにご無沙汰しているので、足慣らしと思い参加させて貰ったのだが、私にとって思わぬ嬉しい収穫が得られたハイキングになった。 山の出口に降り立ったところコース説明の看板が有り、どうやら我々が通って来た道は「徳川道」と名付けられた古い道の一部であったらしいことがわかった。 その名前に興味が湧いて帰宅後色々調べて見ると、今まで知らなかった神戸の歴史の一端に繋がっていることがわかってきた。 「徳川道」は当時正式には「西国往還付替道(さいごくおうかんつけかえみち)」と呼ば
昨日は住んでいる施設の俳句サークル5月の定例句会であった。 私は今までブログに出したり手元に書いて置いた句を推敲(すいこう)して以下の五句を出した。 今月の兼題は「藤」であり五句の内一句は藤を取り入れた。 ①母の待つ藤棚ありし田舎駅 私の生まれた町の駅は地方では比較的大きい方で駅を出た右手に藤棚のある店があった。この駅前商店街も、人口減少と水害の影響もありほとんど店じまい、藤棚もその店も今はもう見られない。 ②歩めども山頭火には成れぬ春 俳人・山頭火は私と同じ山口県の出身である。放浪とも云うべき生涯を送ったが、その自由律の素晴らしい俳句と、どうしようもない私生活は共にとても真似が出来そうにない。 ③宵の雨朝霞にて雲に帰す 昨日降った雨が翌朝霞になって天に戻っていく様子を自然の摂理と思い詠んだ。 ④夕燕飛翔自在に虫を狩り ベランダから見ていると燕が私の眼下を自由自在に、また障害物をすり抜け虫
今日は寒風のなか、播磨に住むからには一度は行かなければと思っていた兵庫県三木市にある三木城址に行ってきた。 兵庫県に来て二年近くになり、海沿いの辺りには少しずつ慣れて来たような気がするが北の山手は全く土地勘がなく、車は遠慮して電車を利用した。 やはり電車では大きく回り道になるようで、シャトルバスで市営地下鉄の学園都市に出て、湊川経由で神戸電鉄を利用して片道約1時間半かかってしまった。 湊川は初めて通過したが、南北朝時代に南朝方の楠木正成が足利尊氏に敗死した地で、子供の頃から「湊川合戦」の記憶があり、駅名アナウンスに何か旧知の響きがある。 三木城の名前が歴史に深く刻まれたのは云うまでもなく戦国時代末期の「三木の干殺し」といわれた凄まじい籠城戦であり、播磨国ひいては兵庫県では連綿と語り継がれている。 私も2023年2月10日『「別所一族の興亡」・播州三木城の戦い』の記事など既に何度かこのブログ
金 重明(KimJungMyeong)著 「物語 朝鮮王朝の滅亡」岩波書店 刊 を読み終えた。 著者は在日二世の小説家で本の題名に「物語」と付いているように、史料に基づいて歴史的事実を考証するのではなく「朝鮮王朝の滅亡」という重苦しい事実を平易に物語風に書こうとしているものである。 往々にしてこういう場合、個人の主張が前に出てしまいがちになるが、その部分はかなり抑制的で事実を書くという姿勢がうかがえ、日本人読者としても違和感を余り感じなくて済んだ気がしている。 この本は14世紀末に李成桂(イ・ソンゲ)によって建国され「李氏朝鮮」と呼ばれた国が、1910年8月韓国併合と呼ばれた日本との条約によって滅亡するまでの歴史を追跡したものである。 著者は、李朝の改革を志し中興の名君といわれ「英正時代」とも称される、第21代・英祖(ヨンジョ・1726ー76)、第22代正祖(チョンジョ・1776ー1800
上杉和彦著「歴史に裏切られた武士 平清盛」アスキー新書刊 を読み終えた。 この本は標題に表されているが、一般的に驕る独裁者として悪人のイメージが定着している平清盛について、最近の研究成果を踏まえながら清盛の実像に迫ろうとするもので、著者は日本中世史の専門家で私は、鎌倉幕府や源平合戦の関連本でお世話になった記憶がある。 私が引っ越して1年半を超えた神戸は、平清盛に非常にゆかりのある地で、彼が修築し瀬戸内海運を経て日宋貿易の拠点にした大輪田泊(おおわだのとまり)は現在の神戸市兵庫区の海岸で、和田岬が西風を抑える古代からの良港で近世まで兵庫湊として栄えた。 また出家後京から居を移した福原は、神戸市中央区から兵庫区にまたがる地域で、ここから政治的実権を行使し、例えば後白河上皇の院政を停止して幽閉する「治承3年(1179)の清盛クーデター」の折には、福原から数千騎の武者を率いて上洛し果断な処置を行っ
施設の映画会で2022年の日本映画「土を喰らう十二ヵ月」の知らせがあり参加してきた。 ネタバレにならない範囲で簡単に書くと、物語は初老に差し掛かった作家(沢田研二)が信州の山裾で、時折訪れる年下の恋人で編集者(松たか子)や、愛犬と暮らし、村人や亡くなった妻の母親、弟夫婦等との付き合いを交え、土から得られた野菜や山菜の恵みを調理(土を喰らう)して生きる姿が描かれる。 冬から始まり冬で終わる十二ヵ月だが、信州の季節の移り変わりに合わせ、雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)、清明(せいめい)、穀雨(こくう)などの二十四節気が字幕で説明され観る者に季節の変化をより感じさせることに繋がっている。 今まで二十四節気とは無縁の生活を送ってきたが、最近俳句を始め、多少このような季節の移り変わりにも目がいくようになり、改めて農業や自然に関係する「節気」の言葉の意味合いを感じている。 出演者のなかでは、今年亡くな
磯田道史/倉本一宏/F・クレインス/呉座勇一共著「戦乱と民衆」講談社現代新書刊を読み終えた。 著者は何れも国際日本文化研究センターに所属する日本史関係の教授、准教授で、この本の後半を構成する一般にも公開されたこのテーマに関係するシンポジウム「日本史の戦乱と民衆」の出席者も著者を含めてセンターのメンバーである。 国際日本文化研究センターは日文研とも呼ばれ、日本の文化・歴史を国際的な連携のもとに研究したり、海外の日本研究者を支援する大学共同利用機関として京都にあり、大学院大学として院生も受け入れている。 一般的に歴史は指導者や政治、軍事、経済などの分野で語られることが多いが、この本は民衆に視点をおき、「ふつうの人々が戦争をどのように生き延びてきたか?」の問いに答えようとするものである。 著者ごとに古代から幕末までの4つの戦乱をあげ、それぞれの事例を論じているなかで印象的な内容を書き出しておく。
神戸に引っ越してきて車に乗る機会は用事で大阪を往復するか、買い物の運転手を務めるくらいのもので、以前に比べめっきり減った気がしている。 しかし走行距離にかかわらず年月が経つと車検の通知がやって来て、その見積もりに出掛けてきた。 街の修理工場で以前トライして貰ったがドイツ車の為かエンジンオイルの交換にも手こずる始末で、今回は最初から引っ越し後の最寄り正規ディ-ラ-に持っていった。 診断では冷却水がサーモスタットケースから水漏れしているので、車検を通すには交換が必要とのこと、半信半疑で現象を見せてくれと伝え立ち会ったが確かに少量漏れた痕跡が見られた。 通常水漏れの場合部品単品とシールパッキン類を交換すれば済むと思うが、これを修理するのにはユニット全体の交換が必要と言われた。 そもそも部品の供給単位がユニットで、細かい個々の部品を交換するような体系になっていないらしく、サービスメンテナンスの後の
NHKBSで放映された2006年の日本映画「かもめ食堂」を録画して見終わった。実に不思議な感覚に陥る映画で、時間がゆったりと過ぎて行き、見終わると日常の雑事などどうでもよくなるような錯覚が起き、精神衛生上実に効果があるような気がする。 これと全く同じような感覚になった登場人物が全てめがねをかけている「めがね」という映画の記憶があり、観終わって調べてみるとやはり同じ監督で「荻上直子」という方の作品らしい。 何故かフィンランドのヘルシンキで「かもめ食堂」という名前の、おむすびなど日本食の食堂を開いた主人公を演じるのが小林聡美さん。 地図を開いて目をつぶって指した場所がヘルシンキでそれを目指してやって来た女性を片桐はいりさん。 長い介護を終えてたまたま見たTVでフィンランドのおらかな国民性を知りやって来た女性をもたいまさこさんがそれぞれ演じていて3人で食堂を切り盛りすることになる。 全く客が来な
私の生まれ故郷・山口県厚狭周辺を給領地にしていた厚狭毛利家のことはこのブログで色々と触れて来た。 先日山口で行われた山口県地方史学会の70周年記念大会で「厚狭毛利家文書」と呼ばれる貴重な史料が、厚狭図書館に保管保存されるまでの経緯を書いたものが山口県文書館発行の古い「文書館ニュース」に載っていると教えて貰った。 「代官所日記」や「山陽町史」などこの文書に関連した資料にお世話になっている身として、是非目にしておかねばと思い、山口県文書館のホームページから苦心して探しだし読み終えることが出来た。 筆者・江沢能求(えざわのうきゅう)氏は厚狭毛利家菩提寺の洞玄寺(とうげんじ)元住職で「山陽町史」の編纂委員長でもあった。 「厚狭毛利家文書」は初代・毛利元康関連の「豊臣秀吉朱印状」「毛利輝元書状」や系図などと、藩政時代の行政関係資料「御用所日記」「代官所日記」「沙汰書」などが含まれる。 厚狭毛利家は第
政治学者・中村敏子著「女性差別はどう作られてきたか」集英社新書 刊を読み終えた。 私にとってこのようなジャンルの本を手に取るのは全く初めての試みなのだが、次回の放談会のテーマが「ジェンダー」であり、一度くらいは関連する本に目を通しておかねばという気持ちもあった。 この本は題名の通り西洋世界や日本で女性差別が形作られる経緯を追いかけ日本の女性差別をどう克服するかまでを語っている。 この本を読んで一番驚いたことは西欧世界の基本的な理念であるキリスト教が歴史的にみた場合の女性差別の根源にあるということであった。 少し長くなるが、私なりにこの本の論点を要約すると以下の通りである。 旧約聖書のエデンの園でのアダムとイブの原罪行為が女性は男性の支配下にいるべき者などとされる解釈の源にある。 近代社会成立のきっかけである宗教改革や政治革命は、男性は自由で平等な「個人」となる一方で女性は家族の中に取り残さ
司馬遼太郎さんの大作・「街道をゆく」のなかの「近江散歩」を読んでいる。近江国(おうみのくに)は現在の滋賀県の旧国名である。 近江は元々「近淡海国」(ちかつあふみ)と呼ばれ都に近い淡水糊・琵琶湖を表した国名である。 余談に成るが現在静岡県の一部になっている旧国名遠江国(とおとうみのくに)は元々「遠淡海国」(とほつあふみ)と呼ばれ都から遠い浜名湖を表した旧国名である。 司馬さんはこの近江北部にある姉川のほとりで、織田・徳川連合軍と、浅井・朝倉連合軍が戦った「姉川の合戦」に思いを巡らす。 この戦いは周知のように織田信長が越前朝倉氏討伐に軍を進めた際に、信長の妹婿であった浅井長政が織田に背いて朝倉氏側に付いたことを発端にその決着を図る戦いでもあった。 信長は浅井長政を深く信頼していたとされ、当初長政が背いた知らせを聞いても容易に信じなかったと言われる。 この裏切りの原因は従来、長政の父・浅井久政は
インドの人口が中国を抜いて世界一(2023年でおよそ14億3千万人)になったことが最近色々なマスコミでとりあげられている。 4~5年前に孫とインドについて話して以来インドの将来は私のウオッチテーマのひとつにしてこのブログでも書いたことがある。 最近インドについては前向きな情報を聞くことが多く例えば以下のようなことである。 ・インド系英国首相(リシ・スナク)の誕生 ・米国のIT産業は経営者も含めてインド系技術者が中心になって成長している。 ・2022年GDPはイギリスを抜き世界5位になり近い将来日本を抜いて世界3位になるのは確実。 またインド系の人々が海外特にアフリカ、東南アジアなどで印僑(いんきょう)と呼ばれ確固とした地位を築いているのは周知の事実である。 このような評価の反面、日経新聞の経済教室で現代インド経済が専門の佐藤隆広氏が「モディ政権、経済改革に遅れ」と題してインドの地位を世界大
稲吉晃著「港町巡礼・海洋国家日本の近代」吉田書店刊を読み終えた。 著者は人文社会科学系の研究者で、この本は海外との窓口が港に限定された近代、日本の港が開かれた1850年代から海を越える人の移動手段が船舶から飛行機へと転換し、コンテナの登場により港そのものに変化が生じる1960年代までの間の各地の港町を巡ることで日本の近代を描くのを目的としている。 ここに取りあげられた日本の代表的な15の港町各々についてその港にふさわしいテーマを挙げてその切り口から近代の政治外交と地域社会の相互作用を描こうと試みており、例えば今住んでいる神戸は「故郷を離れる」というテーマで海外への移民を取り上げ、広島は「軍隊と暮らす」として軍都・軍港としての歴史を追いかけている。 全ての港を取り上げる訳にはいかないので私の故郷に近く馴染みの山口県下関について少し触れると「技術が発達する」というテーマで水産業の発展を見つめて
武藤秀太郎著「抗日中国の起源・五四運動と日本」筑摩書房(筑摩選書)刊を読み終えた。 現代中国に繋がる歴史的事件として天安門広場の記念碑に刻まれているのが、古い順に、・アヘン戦争の起点になった林則徐がイギリスのアヘンを破棄する行動、・太平天国の乱、・辛亥革命、・五四運動である。 五四運動とは今からおよそ100年前に起こった事件で、この本の中に載せられている高校教科書の内容を転載すると 『中国では、第一次世界大戦中に日本がドイツの拠点であった青島を占領し、山東(半島)権益の継承をふくむ二十一か条要求を中国に認めさせた。中国は戦後のパリ講和会議で山東権益の返還を要求したが受け入れられなかった。これをきっかけに、1919年五月四日、北京で学生を中心とする反日運動がおこり全国の主要都市にひろがった。』 著者は五四運動に関連する事実を党派性を排して中立的立場から丹念に追究し、 ・この運動の中心になった
豊田武著「苗字の歴史」吉川弘文館刊を読み終えた。 この本は日本中世史を研究する著者が苗字(名字)の起こりからその発展する歴史や色々な名字の由来を地方豪族や武士団の成長等とも絡めて論じたものである。 あまりに範囲が広いのでここでは私の個人的興味を引いた部分のさわりを書き残して置くことにした。 ①苗字の起こり 名字を苗字と書くのは苗の字に種とか血筋の意味があるためで同種同根の苗裔(びょうえい)というところから用いられるようになった。公に使われるようになったのは江戸時代で「苗字帯刀」というように使われた。 それまでは名字が基本でありその名字は字(あざな)が起源と考えられる。字は本名を呼ばれるとその身に禍がかかるタブーや、下人が主の名乗りを呼ぶのは面白くないこととされたことなどから普及し、律令制の姓氏に繋がる本名とは別に呼び名を定めた。源氏の家の次男で源次などである。 これでは同名のものが何人もい
NHKBSプレミアムで放送された番組「業の花びら~宮沢賢治 父と子の秘史~」を録画していたがようやく観ることが出来た。 宮沢賢治といえば誰でも知っている詩人で童話作家だが、私の好きな作品は、学校でも習ったことがある詩、「永訣の朝」「雨ニモマケズ」童話であれば「よだかの星」「風の又三郎」などだろうか。 宮沢賢治の地元花巻市に死後建てられた詩碑について、碑文は代表作の「雨ニモマケズ」だが、詩を選ぶに当たって関係者が協議した際に、父親が最初に提案したのは「雨ニモマケズ」ではなく「業の花びら」という詩であったという。 この事実に向き合い番組のディレクターが、なぜ父親が「業の花びら」がふさわしいと考えたのか?父と子にとって仏教用語でもある「業」とは何なのかを追求した番組であり大変見応えがあり勉強にもなった。 (業とは人間の行為全般を指し輪廻転生や因果応報とリンクするが一般的には悪業として捉えられるこ
昨今の国内の色々なニュースの中でも日本銀行総裁が交代したことに関連する情報は大いに注目されているもののひとつで、日本の将来にも影響があると思われる。 前任の黒田総裁が行った10年間にわたる異次元金融緩和については、色々なメディアがその評価を行っているが私の見たところ概ねその最大公約数としては、 ・スタートからの前半戦はデフレに陥っていた状況から物価も小幅に上昇したり、為替の円安方向、株価上昇などで一定の成果かあった。 ・後半は長期金利を過度に押さえ込んだり国債を大量に買うことで、赤字財政を深刻にしたり債券市場に歪みが出ている。更には海外と金利差が大きくなったことによる円安が行きすぎて輸入物価高が生活を直撃するなど弊害も大きくなった。 といったところだろうと思われる。 新任の植田総裁の発言内容をマスコミ経由で聞くと、今後については、現下の経済状況からみて基本の金融緩和は継続するが、その弊害も
柳谷晃著 「人生がラクになる数学のお話43」文芸社刊 を読み終えた。 数学者である著者は、我々が生きている世界で自然現象などの偶然の事象によって引き起こされる被害や恵みに対し、その恵みを最大限に享受し被害を最小限にするための道具が数学や物理であると定義している。 身近な事柄43の切り口をもとに、数学的な考えでその起こっている偶然の事象にどのように対処をすればその偶然を有利に使うことが出来るかを説明し、そのような対処の仕方が、結果的にバランスの良い人生、更には社会的なバランスを取ることにも有効であると説明している。 43の切り口の内私が最も興味があり納得したのがNo21の「金融工学は未来を予測出来るか」でありその要旨は、 デリバティブという金融商品がありもともと為替などのリスクを最小限にするために作られていたが、これを運用する際この時はこうすれば良いという運用の理論的根拠を与えたのが、ブラッ
NHKBSプレミアムで放送された2021年の松竹映画「キネマの神様」を録画して観終わった。 松竹映画の100周年記念映画ということで現在も松竹のエースというべき山田洋次監督が作家・原田マハさんの同名小説を映画化されたものである。 ネタバレを避けて簡潔に書くと、撮影現場で助監督として働く主人公「ゴウ」が自ら脚本を書いた初監督作品「キネマの神様」の撮影途中で失敗、挫折、帰郷する。 それを追いかけた恋人と結婚したものの、今は酒や競馬で借金も作り娘や孫にも愛想をつかされている。ゴウの孫が昔の「キネマの神様」の脚本を読んだことから、キネマの神様が実際に微笑みかけて来るようなストーリーが生まれることになる。 ゴウの若い時を菅田将暉、老いた日を沢田研二、ゴウを追いかけ結婚する娘を永野芽郁、老いた妻を宮本信子、他に寺島しのぶ、北川景子、小林稔侍、リリー・フランキー等々記念映画らしく錚々たる出演者が並ぶ。
はてなブログの運営会社から「ブログを開設されて四年になりました」という通知がメールで来た。 そうか、「誰でも無料でブログが始められる」というキャッチコピーに釣られてもう四年になるのかと我がことながら少し感慨もありデータを見てみると ・投稿回数が1310回 ・累積アクセス数が91083回 ・現在の読者数が301人 になっており、故郷厚狭の歴史のことなど余り一般的ではない内容にもかかわらず有難いことだと感謝している。 やり始めるとついつい毎日書くのが習慣になってしまうが、今後は毎日に余りこだわらず「書きたいことがある時に書く」を基本に出来るだけ長く続けていきたいと思っている。 また昨日はお彼岸で永く住んだ大阪八尾まで車で墓参りに行ってきた。良い天気に恵まれひょっとして近くの桜が咲いているかなと思ったもののまだまだ少し早くて残念。 自分が住んでいた場所を通り抜け、車から客観的に見るのもなかなか複
昨日は墓参りで帰った故郷で、山陽小野田市歴史民俗資料館主催の郷土史関係の企画展とそれに関連した講演会があり、企画展の対象にゆかりがある山口県在住の同級生と共に参加してきた。 歴史民俗資料館 企画展は以前私のブログでもふれたことがあるが、江戸時代に酒造業を営み地域の庄屋でもあった厚狭山野井の大田家に所蔵されてきた古文書の一部を公開するもので『大田家文書ー山野井村長府藩領庄屋家の記録』と題したもの。 展示室内 古文書の実物と併せて解説が付してあるので中身が分かりやすくなっており、庄屋家が村の窓口としてまた酒造業を営むうえに於いて、酒の値段のようなことまで藩や幕府の数々の指示や統制を受けていたことや、年貢課役の様子などが良くわかる。 また古い写真も幾つか展示され当時の庄屋家の豪壮な構えがしのばれる。 私の故郷厚狭は大部分が長州・萩藩の家来筋、厚狭毛利家と熊谷家の給領地になり、山野井地域のみが長州
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