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今年の「#文学」
artnewsjapan.com
AIが誰にでもアクセス可能なツールとして普及し始めた頃、理想の女性のイメージを生成できる「Gencraft」というアプリの広告が私のデバイスに頻繁に表示されるようになった。このアプリはどんな画像でも生成できるはずだが、どうやら広告やアルゴリズムは美しく若い女性たちを好むらしい。私は広告に使われていたプロンプトのスクリーンショットを撮っておいたが(そのため広告をさらに表示するアルゴリズムを働かせてしまったかもしれない)、それはこんな感じの文だった。 「赤いレオタードを着た、茶色い髪のフランス人の女の子」 「戦闘用の鎧をつけた金髪の女性」 「エルフのような細かい模様のタトゥーを背中に入れた少女が湖を眺める様子を、背後から見た画像」 プロンプトでは指定していないのに、生成された画像の女性はみな美しく、やせていて、白人だった。そして、どの女性も微笑んでいるか、穏やかで優しい表情を浮かべている。完璧
ヴェスヴィオ火山噴火の火砕流に見舞われたポンペイは住民ごと灰に埋もれ、遺体があった場所が空洞として残された。19世紀に発見されたとき、そこに石膏を流し込んで犠牲者の型が取られたが、その際、石膏像の中に遺骨の断片が閉じ込められた。今回の研究では、この骨片からDNA分析を行った結果、これまでに考えられていた犠牲者同士の関係や性別が誤りだったことが明らかになっている。 たとえば、ブレスレットを付け、子どもを膝に乗せた大人は、これまで母親とその子どもだと考えられていた。しかしDNA分析では、大人は男性で、子どもとは遺伝的関係がないことが判明した。また、抱き合ったまま亡くなっていた2人の人物は、従来は姉妹と見られていた。しかし研究結果では、少なくともそのうちの1人は男性であったことが示されている。 11月7日付で学術誌のカレント・バイオロジーに発表されたこの研究は、ポンペイ遺跡について長年語られてき
長らく個人コレクションとして保管されてきたカラヴァッジョ作品が、11月22日、イタリア・ローマの国立古典絵画館(バルベリーニ宮殿)で公開されたとニューヨーク・タイムズが伝えた。 この絵画《マフェオ・バルベリーニ教皇の肖像》は、カラヴァッジョ作品の中でも数少ない肖像画だ。モデルのマフェオ・バルベリーニは1623年にウルバヌス8世として教皇に選出された人物で、教皇領の拡大や三十年戦争の指揮をする傍ら、芸術を支援した。遡ること1598年、バルベリーニの友人で同じ聖職者だったフランチェスコ・マリア・デル・モンテは、苦境にあった芸術家を自らの家族の邸宅に住まわせて支援し、バルベリーニに肖像画の依頼をするよう勧めた。その芸術家こそがミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオだった。 当時30歳だったバルベリーニをモデルにしたこの絵画には、暗闇から浮かび上がるようにスポットが当てられた彼の姿が力強い筆
ドイツのナン・ゴールディンの写真と映像に焦点を当てた展覧会が、11月22日からベルリンの新国立美術館(Neue Nationalgalerie)で始まった。しかしオープン前から、本展はドイツの報道機関で物議を醸している。というのも、世界のアート業界で物議を醸した公開書簡──2023年にアートフォーラム誌が掲載した、ガザへの攻撃停止を求める内容で、ハマスによるイスラエルへの攻撃について言及されていないことが問題視された──にゴールディンが署名していたからだ。つまり、ドイツの一部報道機関は、ゴールディンは反ユダヤ的であると考えており、反ユダヤ的な芸術家の個展をドイツで開催するなど言語道断、というのが、彼らの主張だ。 こうしたなか、ゴールディンは個展のプレビューイベントでスピーチを行い、ドイツに対して、イスラエルによるガザへの攻撃の停止を求める人々の訴えを真剣に受け止めるよう呼びかけた。 「反ユ
マンハッタン地区検事局は、1440点の美術品をインドに返還したことを発表した。作品の価値の総額は1000万ドル(約15億6400万円)に相当するという。 これらの作品は、有罪判決を受けた悪名高い美術商、サブハシュ・カプーアやナンシー・ウィーナーらとつながりのある犯罪組織の密売ネットワークに関する捜査の一環として押収。なかでも二つの美術品は、1993年にメトロポリタン美術館に収蔵され、マンハッタン地区検事局の古遺物密売部門(ATU)によって押収されていた。 その一つが、1980年代初頭に寺院から略奪された天女の砂岩彫刻で、もう一つが、1960年代初頭にインド北西部の村から盗まれた、灰緑色の変成岩で作られたタネサール族の地母神の彫刻だ。 マンハッタン地区検事局が11月13日に発表した声明によれば、寺院の柱を彩っていた天女の砂岩彫刻は、柱から削り取られたのちに二つに分断され、カプーアの指示によっ
「1924年の夏、フランスのバラは青く染まった。森はガラスに、言葉は生き物へと姿を変え、窓を叩いてその存在を人々に知らせた」 今なお大きな影響力を持つモダニズム運動を成文化した有名なテキスト、「シュルレアリスム宣言」の初版で、アンドレ・ブルトンはこう書いた。 シュルレアリスム誕生100周年にあたる今年は、この芸術運動を記念するさまざまなイベントが世界各地で行われた。シュルレアリスムと聞けば、溶けた時計や宙に浮いた岩、毛皮に覆われたティーカップなど、有名なイメージが次々と頭に浮かんでくるほど、この運動は私たちにとって馴染み深いものとなっている。中でも、この運動を詳しく知っているつもりでいたのが、未知なるものの価値を探求する前衛芸術家たちだ。 しかし、それはこの10年で様変わりしつつある。2022年にテート・モダンで開催された「Surrealism Beyond Borders(国境を越えるシ
オランダのゴッホ美術館はこれまで本物としてきたゴッホ作品のうち、3点が本人作ではなかったと発表した。その中には、2011年にクリスティーズで99万3250ドル(約1億5000万円)で落札された《Head of a Peasant Woman with Dark Cap》も含まれている。これらは、1970年にジャコブ・バール・デ・ラ・ファイユが作成した、決定版と言われるゴッホのカタログ・レゾネにも収録されていた。 調査を行ったのは、ゴッホ美術館の3人のスペシャリスト、テイオー・ミーデンドルプ、ルイス・ファン・ティルボルフ、サスキア・ファン・ウードホースデンで、イギリスの「バーリントン・マガジン」10月号でその結果を発表した。 ゴッホ作ではないと分かった最初の作品は、《Interior of a Restaurant》。この作品は何十年もの間、1887年の11月から12月にかけて制作された《I
なぜ、古代ローマ時代の彫像は頭部がないものが多いのか? この疑問に対するまず単純な理由の一つは、人体の構造上、首が最も弱い部分だからということがある。つまり、彫像が何かの拍子に倒れたり、長時間の移動などで衝撃に遭えば、一番先に首が折れてしまうのは自然といえる。 しかし、ブルックリン・カレッジとニューヨーク市立大学の古典学と美術史の教授であるレイチェル・クーサーによると、古代ローマ人は彫像を故意に壊すこともあったという。これは、「記憶の破壊」という意味の「ダムナティオ・メモリアエ」と呼ばれる行為で、ローマ元老院は、特に嫌われた皇帝の死後、その所業を断罪する投票を行うことができた。投票で可決されれば、元老院はその皇帝の名前を記録から消し、財産を差し押さえ、肖像画や彫像を破壊した。社会的な体面や名誉を重んじたローマ人にとって、ダムナティオ・メモリアエは最も厳しい措置と見なされた。悪名高いネロ皇帝
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