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今年の「#文学」
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長野のテンホウ、それはみんなのテンホウ長野県を中心に中華レストランをチェーン展開している、「テンホウ」。 最古店である「城南店」は、現在では本店として扱われている。 2019年にリニューアルし、新築に建て替わったテンホウ 諏訪城南店。 みんなのテンホウ の看板がポップで親しみやすい。 夕陽に染まる、テンホウ 諏訪城南店。 昭和31年創業 信州発祥のラーメンチェーン とある。 昭和31年は1956年、実に半世紀以上の歴史を刻んでいる。 リニューアル前からここにある「中華そば てんほう」は昔のままの姿で健在だ。 以前は「中華そば てんほう」の右側に「テンホウ 諏訪城南店」の旧店舗があった。 餃子・ラーメンの自動販売機が設置されている。 これがテンホウの自動販売機。 テンホウのあのラーメンや、あの餃子の味が自宅で楽しめる! いつでも買える! それでは入店してみよう。 テンホウってどんな店?テンホ
【トピック】なぜチェーン店は、地名を店名に冠すのか?考察 2019年9月16日 2020年11月26日 トピック 「そのお店、○○(地名)発祥ではない店につき」店名に地名が冠されているお店って、よくあります。 なぜその地名を名乗っているのか? それは、この二つの理由が考えられます。 その地名に発祥したから出される料理がその地名に根付いたカルチャーだからほとんどの場合、このどちらかでしょう。 しかし後者の場合、しばしば「そのお店、○○(地名)発祥ではない店だよ」というツッコミを目にします。 そもそも店名に地名を冠する場合、その地に発祥したチェーン店である必要があるのか、それとも無いのか? 創業者とて、生半可な気持ちでその地名を背負っているわけではないと思います。 たとえ創業の地ではなくてもです。 では、店名に地名を冠するチェーン店で、その地名が創業の地ではない店舗について、その地名を付けた理
「うちの店、評価が3.8になって喜んでたら、次の日急に、クチコミ数は変わってないのに評価だけ3.6に下がってた。そしたら、食べログから電話きて、年会費払えば元に戻すし、評価上げるって言われた。もちろん断った。つまり評価3.6以上の店は食べログにお金払ってる」 こんなツイートをきっかけに、なんか食べログ界隈が騒がしい。 食べログの点数は、食べログにお金を払ったお店だけが3.6以上の点数になるのだという噂が急に広まっている。 この騒動に対して、カカクコムは、公式見解を発表。 飲食店向け有料サービスを含む食べログとの何らかのお取引によって、お店の点数やランキングが変動するということは一切ございません。飲食店向け有料サービスはあくまでお店からの情報発信機能を充実させ集客にお役立ていただくためのものであり、そのご利用の有無が、ユーザーの声を集約した点数・ランキングに影響を生じさせることは一切ございま
東京で生まれた博多ラーメン東京ローカルで店舗展開するとんこつラーメンチェーン「博多天神」。 その1号店は、新宿西口店だ。 ※2019年9月、閉店しました。 新宿駅の西口大ガード。新宿を象徴する風景といえばここだ。 線路を挟んで、歌舞伎町の反対側の方面に行く。 そこから徒歩3分の所に、博多天神 新宿西口店が存在する。 「本場 豚骨」と書かれた大きな看板に食欲をそそられる。 1993年に始まった博多天神の歴史博多天神は、有限会社近江商事によって1993年に創業したラーメンチェーン店である。 近江商事という名前は、創業者である野田安雄氏が滋賀県出身ということで名付けられたのだという。 野田氏は博多天神を創業する前の1977年、「つけ麺大王」を食べてその味に確信し、「つけ麺大王 原宿店」をオープンさせた。 すぐに軌道に乗り、4店舗まで店舗を増やしたところで有限会社近江商事を創業。 その後もしばらく
謎に包まれたラーメン店「ラーショ」赤に白い文字で「ラーメンショップ」と書かれたラーメン店がある。 それも、全国あちこちに。 しかしその全貌は誰も把握できていないという。現代においても謎に包まれたラーメン店だ。 そんなラーメンショップの1号店、あるいは本店に相当する店舗と言われるのが、大田区羽田にある「GOOD MORNING ラーメンショップ」だ。 環八通り沿い、京急の大鳥居駅付近にあるGOOD MORNING ラーメンショップ。 そのレトロな外観から漂うのは、古き良き昭和のラーメン店といった佇まいだ。 なんといっても気になるのは「GOOD MORNING」の文字。 何が「GOOD MORNING」なのか? これは、このお店の営業時間が朝6時から昼の2時まで、というものに因んでいる。 しかも月曜から金曜までの平日しか営業しないため、なかなか敷居が高い。 食べるなら始発の京急で大鳥居駅に行き
江古田の地に根付いた定食屋さん牛めしの「松屋」は実に半世紀以上の歴史を誇る定食屋である。 その1号店は、東京の練馬区にある江古田店だ。 西武鉄道池袋線 江古田駅から徒歩3分。 江古田市場通り商店街の交差点にある松屋が江古田店であり1号店である。 外観は他の松屋と何ら変わるところなく、ここが1号店であることは外観からは分からない。 松屋の歴史は中華料理店からのスタート 現在の牛めしの松屋としての1号店はこの江古田店であり、1968年創業である。 しかし松屋のルーツとなる店舗があった。 それは、江古田店オープンの2年前である1966年、創業者であり現・松屋フーズ会長である瓦葺(かわらぶき)利夫氏が練馬区の羽沢に創業した中華飯店の「松屋」だ。 ルーツ店とも言えるこの「松屋」は、ラーメンや餃子などの中華から、親子丼やカツ丼など出す店だったという。(現在は閉店) 2年後に江古田の地に移ったのは、その
飲食店のメニュー表は、饒舌に語りかけてくるチェーン店に限らず、飲食店ならたいがいの店に用意されているのは「メニュー表」だ。 お客さんが入店して、「さあ、何を食べようか?」と思って最初に見るのがメニュー表である。 つまりメニューとはインターフェースであり、一番最初にお客さんとお店がコミュニケーションする手段である。 そんな、レストラン to クラウドなインターフェスである所のメニュー表では、その限られた紙面の中で、お店の様々な思惑やプライドが見え隠れする。 「このお店の『売り』をすぐに分かってもらいたいし、楽しんでもらいたい」 「どんなラインナップがあるか、全てを分かりやすく伝えたい」 「なるべくトッピングをたくさん載せたような、高単価なものを注文してもらいたい」 「単品だけでなく、ドリンク、ライスもセットで注文してもらいたい」 例え店主が無言でも、メニュー表は店主以上に語りかけてくる。 こ
2024年9月17日 廻鮮寿司しまなみ 1号店 曙店 広島の福山市で創業したグルメ回転寿司「廻鮮寿司 しまなみ」1号店の曙店について。瀬戸内のキトキトな地物と、エンタメ性あふれるネタの数々が楽しい。
奇跡的に残された1号店の跡地牛丼とうどん、そして親子丼が人気のチェーン店「なか卯」。 いまではゼンショーグループの一員として、2018年3月時点では461店舗にて全国展開を行うなか卯だが、その1号店の跡地は大阪府茨木市に現存する。 ※2005年5月に閉店しています。 阪急電車 茨木市駅。なか卯の1号店は、この駅にすぐ近くにある。 駅とペデストリアンデッキで直結した商業ビル「ソシオ」。 このビルの飲食店街になか卯1号店の跡地が今も存在するという。 やたらレトロな雰囲気を漂わせる年季の入ったこのビルの地下1階が、飲食店街となっている。 ソシオの飲食店街マップだ。当然ここには、なか卯の案内は無い。 今はカラオケの音が鳴り響く場末感満点のスポット 昭和の空気がそのまま残るような、まさに異世界といった雰囲気全開のソシオ飲食街。 茨木市駅の駅前にこんな空間があるのだ。 飲食街はこちらからである。 「ご
ちゃんぽんではなく「ちゃんめん」長崎ちゃんぽんではなく、「長崎ちゃんめん」。それはメニューの名前であり、店名でもある。 山口県を発祥とする「長崎ちゃんめん」の1号店は、山口県厚狭にある「山口厚狭店」だ。 JR厚狭駅から徒歩12分の所にある「長崎ちゃんめん 山口厚狭店」が、長崎ちゃんめんの1号店なのである。 長崎ちゃんめんは山口県を中心に岡山県・広島県にも店舗が多く、中国地方を中心にチェーンしている。 なお、長崎を含む九州には1店舗も存在していない。 この教会のようなとんがり屋根を見ると、どこか長崎ちゃんぽん リンガーハットを思わせる所があるが、実のところ全くの無関係で、両方とも長崎にある教会をイメージしているのだ。 山口県で生まれた長崎ちゃんめん、その歴史 長崎ちゃんめんの歴史は長い。 創業は1971年6月。「長崎ちゃんめん 厚狭店」として、厚狭の地に創業した。 「ちゃんぽん」ではなく「ち
エンダ~~~!!沖縄ローカルチェーン店として、一番最初に思いつくのはここ、エンダーこと「A&W」(エイアンドダブリュ)だろう。 その日本1号店は、沖縄の北中城(きたなかぐすく)にある屋宜原(やぎばる)店である。 アメリカから来たA&WA&Wは、元々はアメリカのカリフォルニア州のロディにて、1919年に創業したルートビアのスタンドである。 そのA&Wという名前は、ロイ・アレン(Roy Allen)とフランク・ライト(Frank Wright)の名字の頭文字であり、アレン&ライトの略称だ。 やがてA&Wはアメリカで人気のハンバーガーレストランとなり、今では世界10カ国に1200店舗を構えるグローバルなファストフード店として展開されている。 日本では沖縄がまだアメリカ統治下の時代だった1963年に、この日本1号店である屋宜原店がオープンした。 日本初のファストフード店は、1971年に銀座三越にオ
博多うどんの濃密な世界を堪能できる店九州にあるうどん文化を形成するチェーン店のひとつ、「牧のうどん」は福岡県と佐賀県で展開しているチェーン店だ。 その本店は、福岡県糸島市にある「加布里本店」だ。 牧のうどんの加布里本店は、国道202号線・唐津街道沿いにある。 大きな看板が出ているので、見つけやすいだろう。 牧のうどんの店舗がどこにあるかマッピングされている看板もある。 2017年8月現在、全18店舗が営業している。 読み方は「マ↑キ↓の↓うどん」ではなく「マ↓キ↑の↑うどん」 牧のうどんは、1973年に加布里で創業した「畑中製麺所」という製麺所で、麺の小売りをしていた店をルーツとする。 当時この地域の名前である「牧」から、愛称のように「牧のうどん」と呼ばれており、それが正式な店名になったのだという。 そこに地元の駐在さんが昼ご飯を食べに来た時、湯がきたての麺がおいしいと言ったのを切っ掛けに
日本最大のカレーライス専門店、その発祥の地日本で最も店舗数の多いカレーライス専門チェーン店、ココイチことカレーハウスCoCo壱番屋。 1978年に創業してから現在に至るまでカレー一筋。 その創業の場所では、今も変わらず営業が続けられている。 (注:建て替える前の店舗の情報です。現在の店舗はこちら) CoCo壱番屋 第1号店という看板が誇らしい。 その場所は、名古屋の北西、名古屋市と隣接する清須市にある。 西枇杷島店は、その名の通り以前は西枇杷島町だったが、2005年に清須市に編入された。 3つの店舗が連なった建物は以前と違い、営業をしているのはこのCoCo壱番屋西枇杷島町だけとなってしまっている。 そして周囲の環境も大きく変化したようだ。以前は田んぼや畑が多く、のどかな雰囲気だったが、最近はマンションが増えて賑やかになっている。 そんな中、このCoCo壱番屋西枇杷島店は1978年当時から姿
埼玉発祥のうどん専門店が食堂へと進化!埼玉を中心にチェーンするうどんとそばの食丼「山田うどん食堂」。 赤いかかしが目印のお店だ。 西武新宿線・所沢駅から少し離れた小金井街道沿いに、山田うどんの「本店」がある。 まさに本店然とした堂々たる建物であり、ここに山田うどんの本社機能もある。 隣接する山田食品産業株式会社の山田うどん事業本部。 もちろん一般客は入れない。 「山田うどん」と大きく書かれた入口が迫力だ。 山田うどんのシンボルといえば赤いかかし。 「かかしくん」と名付けられている。 マスクを付けるのはお約束だ。 ちなみに「山田うどん食堂」になったタイミングで、かかしくんもリニューアルされている。 以前は、 口が「ヘ」の字になっていたが、今は ニッコリ口になっているのだ。 外の看板だって、以前は… 「へ」の字口だが、今は ニッコリ口になっている。 それでは入店してみよう。 山田製麺所から始ま
サイゼリヤの歴史が保存された記念館日本を代表するイタリアンレストラン、サイゼリヤ。その歴史は試行錯誤とこだわりの連続である。 代表メニュー「ミラノ風ドリア」は今日に至るまで実に1500回以上もの改良が加えられ、そして299円という破格のプライスを掲げる。 そんなサイゼリヤの1号店の跡地が、千葉の本八幡にあった。 本八幡の駅を降りて徒歩1分。八百屋の上にそれはある。 看板には「サイゼリヤ」… 確かにあのサイゼリヤであることは間違い無さそうだ。それにしては、建物が小さい。
カレーならここ一番や!の1号店カレーハウスCoCo壱番屋の1号店である「西枇杷島店」がリニューアルしたのは2014年。 リニューアルした現在の西枇杷島店である。 土地は同じだが、建物は完全に新築され、新しく、広く(以前の店舗の入っていた集合住宅の敷地全てが新店舗となった)、そしておしゃれになった。 ちなみに以前の西枇杷島店はこのような建物だった。 2階には予約必須のミュージアムが! 新しくなった西枇杷島店の最大の特徴は、2階に「壱番屋記念館」があることだ。 ここは、CoCo壱番屋創業時からの、さまざまな関連品を収蔵・展示してある施設で、観覧は無料だが、本部への3日以上前からの電話予約が必要となっている。 壱番屋記念館は、圧倒的な物量の展示物と、創業時からの「想い」や歴史の積み重ねが、丁寧にディスプレイされ、本当に素晴らしかった。 創業当時から今に至るまでのメニュー表、スプーンや皿、ユニフォ
川崎生まれのサクサクのとんかつ川崎発祥で、全国に広まったとんかつメチェーンと言えば、「とんかつ和幸」だ。高いクオリティのとんかつを、低価格で提供するとんかつ和幸は、川崎の地に生誕してから60年近くになる。その1号店は川崎駅ビルのBE川崎にある「BE川崎本店」だ。 ※2018年追記 現在はアゼリア川崎に移転しています。 川崎駅東口方面、駅と繋がっているいわゆる駅ビルである「川崎BE」の中にそれはある。「川崎BE」は、神奈川県では最も歴史のある駅ビルで、1959年に開業した。当初「とんかつ和幸」は駅ビルの地下1階に存在していたのだという。つまり、この駅ビルの歴史は「とんかつ和幸」の歴史でもある。 駅ビルの進化と共に ここが本店だと分かる部分は唯一、のれんに記載された「川崎本店」の文字だけだ。川崎駅東口、西口ともに急激に開発され、創業50年の駅ビルの存在感が薄れていく中、脈々と受け継がれていると
もう一つの「王将」「王将」と名の付く、餃子のおいしい中華料理店といえば「餃子の王将」こと京都王将と、「大阪王将」だろう。 だがもう一つの「王将」がここにあることはご存じだろうか。 その店は「餃子の鹿児島王将」という。 天文館の電停を降りて徒歩1分。ちょっと裏の路地にこの店はある。 餃子の鹿児島王将 中町店。ここが鹿児島王将の1号店だ。 関西と関東で生活した自分にとって、餃子の王将の看板は幼少の頃から今に至るまで見慣れたものである。あのフォント、あの色、全てがあの餃子の味を連想させるくらいの刷り込みがある。 鹿児島まではるばる来て目にした鹿児島王将の看板は、まずその色遣いに度肝を抜かれる。 サイケデリックなのだ。 京都王将のデザインに準じているが、京都王将の看板は赤地に白抜きで「王将」、周りの《》は黄・オレンジ・黄緑という順番だ。しかし鹿児島王将は赤地に黄抜きで「王将」、《》は黄・黄緑・水色
存在感抜群!中洲川端にそびえる一蘭タワー「味集中カウンター」でおなじみの、九州とんこつラーメンのチェーン店「一蘭」の総本店は、福岡の中洲川端にある。 圧倒的存在感でそびえる一蘭本社ビル。 このビルこそが、一蘭の本社であり本店だ。 横から見ても前から見ても、圧倒的な存在感を周囲に示している。 各階にぶら下がっているのはちょうちんで、夜になると全て光る。 とにかくその存在感に圧倒される。 まさに一蘭ファンであれば一度は訪れたくなる、本店だけが放つ魅力がある聖地だ。 一、 ここは中洲の社交場ばい むすっとせんで笑わんね 一、 自分からしゃべりかけんね 一、 ヨカ姉ちゃん兄ちゃん金持ちばひっかけて遊びにいけばよかたい 一、 しゃこしゃこせんでおごっちゃらんね気持ちよかことい 一、 しゃからしかこといわんばい 一、 大声でしゃべらんばい 一、 よそから来たもんに色々教えちゃらんね 一、 えらそうせん
びっくりドンキーの歴史は札幌から始まったびっくりドンキー。その名前のインパクトと語感の良さが好きである。 もともとは、盛岡のハンバーグレストラン「ベル」をルーツとしており、札幌の地で新たに創業したハンバーグレストランが「びっくりドンキー」だ。 その1号店は、札幌市西区にある「西野店」である。 以前は24時間営業だったようだが、今は午前3時までの営業となっている。 24時間営業でないにせよ、午前3時までの営業とはかなり長い。 DONKEY HUMBERG RESTAURANTと書かれた壁。他店ではあまり見ない表現かも知れない。 そしてSince 1981とある。 しかしながら、実は1980年に別の店名でオープンしている。その店名は「ドナルドダック 西野店」。 しかしながら諸事情で改名し、「ドナルド」と改名した後、1986年に改めて「びっくりドンキー」と改名された。 バラック小屋のような外装の
2012年再訪の新しいエントリはこちらです 純日本のハンバーガーチェーン代表格といえば、モスバーガー。マクドナルドを皮切りに日本中がファーストフードブームに沸いた70年代前半、「モスバーガー」として成増の地に第1号店である「成増店」をオープンさせた。 成増駅を降りて、徒歩1分。これほど駅から近い所にある本店も中々珍しいかも知れない。一軒家のような建物がモスバーガーである。 2階建てのこぢんまりとした佇まいは、「街のハンバーガー屋」という趣きを感じさせる。 当初オープンした1号店は別の場所にあり、後年になってこの場所に移転してきた。 朝6時から深夜の2時までの営業と、24時間営業に近い形態である。入り口などは他のモスバーガー店と何ら変わらない。 店内は狭く、1階はほぼ厨房とカウンターのみであるので、ほとんどの人が2階席を利用する。 モスバーガー成増店には、1号店であることを記念したものがたく
書籍が出ます! 「全国飲食チェーン本店巡礼 ~ルーツをめぐる旅~」 2013年7月16日 2021年8月9日 トピック 書籍化されることとなりました!!やったーー!!!ようやく発表できます。思えばここ半年以上、もくもくと取材と執筆を続けておりました。 「本店の旅」ブログ開始時から「いつか書籍に…」と夢見て、苦節7年。 いよいよその時が来ました。 タイトルは 全国飲食チェーン本店巡礼 ~ルーツをめぐる旅~ 単行本(ソフトカバー): 160ページ 出版社: 大和書房 ISBN-10: 4479392440 ISBN-13: 978-4479392446 発売日: 2013/7/28 価格: ¥ 1,365 7月28日に、大和書房さんより出版となります!! 帯コメントは、ライムスターの宇多丸さんに書いて頂きました! そもそも出版のきっかけとなったのは、TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウイークエ
群馬で生まれたたこ焼き店外がカラっとした食感で人気のたこ焼き店、「築地銀だこ」の1号店は、群馬県みどり市のショッピングセンター、アピタ笠懸の中にある「アピタ笠懸店」だ。 ※アピタ笠懸の閉店に伴い、閉店しました。 ここがアピタ笠懸店。巨大だ。 築地銀だこ1号店だ。 築地銀だこはその名の通り築地発祥だと思いきや、1号店は群馬県のショッピングセンターの中にあり、築地の発祥というわけではない。 しかし、築地と名乗ることに意思がある。 1997年に生まれた人気たこ焼き店の1号店 創業者である佐瀬守男氏は1997年に「魚河岸の活気」と「新鮮な素材を使っている」という意味を込めて、築地銀だこを氏の出身地である群馬でオープンさせた。 「銀」はいつか銀座に店を出すという目標と、金ではなく銀ということで、金を目指す向上心を込めたもので、これは1999年の銀座店出店で叶えられている。 なお、築地銀だこは1号店が
「0号店」と名付けられたお店1号店より前の店がある。それは0号店… 狐につままれたような話だが、それは実在する。 1号店より前、つまりパイロット店舗。つまり、本格展開をする前の実験店舗のことを指す。 「プロント」の0号店は、新宿駅西口にある「新宿西口店」だ。 昼はカフェ、夜はバー、というハイブリッド型ブランドで展開するプロント。 今の太陽と月のマークは、2001年の「プロントルネッサンス」と呼ばれるブランド再構築によりデザインされたものだという。昼も夜もそれぞれの楽しみ方が出来ますよ、という意味だという。 さらに言えば、プロントはUCC上島珈琲とサントリーの共同出資による会社「プロントコーポレーション」により運営されている。昼はUCC、夜はサントリーという、それぞれの持ち味を活かした店舗というわけだ。 新宿西口のあるプロント0号店は、他のプロントとはかなり赴きが異なる。看板のデザインも全く
東京の中心でそばを食べる首都圏で展開する立ち食いそばの定番店、「富士そば」。 東京に行けば、誰もが見かるお店だろう。 そんな富士そばの1号店は、渋谷のど真ん中にある「渋谷店」だ。 ※2016年1月31日に閉店しました。 富士そばは、1966年に創業者である丹道夫氏により、渋谷・新宿・池袋・西荻窪にて「名代 富士そば」として創業したことが発祥だ。当時の店舗は24時間営業だったという。 1972年には富士そばの経営に専念するためダイタンフード株式会社を設立する。 その後、富士そばを運営するグループ会社は着々と設立され、ダイタンフード株式会社の他にも
アメリカンスタイルの本格的レストランのルーツ店ココス(COCO’S)はガストやデニーズと並ぶ、全国的に店舗数の多いファミリーレストランである。 1号店は1980年、茨城県でオープンした「ココス中貫店」だ。 ココス 1号店 中貫店 ココスはアメリカのレストラン「COCO’S」のライセンシーを得て、株式会社ろびんふっどが運営をしていたものであるが、これに先立ち株式会社ろびんふっどは「ろびんふっど」というレストランを1978年に開業させており、その後このココス土浦店に転換された。 よって、この店舗は日本におけるココスのルーツ店と言える。 ココス 土浦店は1978年にオープンした「ろびんふっど 土浦店」から転換されたココスである。 ファミリーレストランであったろびんふっどから建物も建て直されること無く、当時の空気を伝える1970年代のセミ・クラシックな風情のあるレストランとなっている。 ココスの歴
本格派イタリアンの草分け店は、亡き創業者の想いを今に伝える北海道から沖縄まで全国に店舗を広げるイタリアンレストラン「カプリチョーザ」。 その1号店は、創業者である故・本多征昭氏の想いと共に、今も渋谷で営業を続けている「渋谷本店」だ。 渋谷駅から青山学院の方向に向かって徒歩8分ほど。ファーストタワーの裏手くらいにひっそりと地味に佇むカプリチョーザこそ、1号店である「渋谷本店」だ。 「華婦里蝶座」と漢字で書かれたレリーフが大きく掲げられた入り口が印象的である。 カプリチョーザの創業者である本多征昭氏は、イタリア国立エナルクホテル学校をイタリア人以外で初めて首席で卒業した。 その功績が認められ、1970年に開催された大阪万博ではイタリア政府から派遣され、イタリア館の料理を担当していた。 そして1978年になって創業したのがここ、カプリチョーザ 渋谷本店である。 当時まだまだ一般的ではなかったイタ
名古屋の喫茶店文化を感じられるお店首都圏にも進出し、「名古屋発」の喫茶店文化をじわじわと全国区にする勢いのあるコメダ珈琲店。 コメダ珈琲店1号店である菊井店、は本店とは対照的に、こじんまりとした「いかにも喫茶店」と言った趣のある佇まいであった。 ※2014年3月に閉店しました。 名古屋駅から徒歩数分の、ちょっとした路地にあるコメダ珈琲店 菊井店こそが、今をときめく全てのコメダ珈琲店のルーツである。 看板のすすけた感じが、コメダ珈琲店40年の歴史を感じさせる。 昭和風情を思わせる「純喫茶」という言葉があるが、まさにコメダ珈琲の1号店は純喫茶のようだ。 くつろげる空間とフカフカのソファー コメダ珈琲店1号店である菊井店の店内はこじんまりとした小さなお店だ。 細長いフロアに、細長い厨房とソファ。決して多くの人数が入店できない。 コメダ珈琲店1号店である菊井店のメニュー。 当店では扱っておりません
45年ぶりにリニューアルされた本店名古屋に発祥して、全国的に展開する喫茶店チェーン「コメダ珈琲店」。 その本店は、名古屋市瑞穂区の上山町にある。 上山町の落ち着いた住宅街の中にあるコメダ珈琲店 本店。 珈琲所 コメダ珈琲店のクラシカルなサインは、全国共通だ。 入口上にあるCOMEDA’S COFFEEのサイン。 この建物は、2022年の10月に新たに建て替わったもので、旧本店のモチーフを多く残している。 これも旧本店のモチーフのひとつだ。 入口脇にある門柱。 これは、旧本店でも使われていた物だ。 ここで、2022年8月まで45年間に渡って使われていたコメダ珈琲店の旧本店の写真を見てみたい。 これがコメダ珈琲店の旧本店。当初は「上山店」という名前だった。 旧本店も2階建ての洋館のような建築。このモチーフは新本店になっても受け継がれている。 名古屋の喫茶店文化を全国に広めた立役者コメダ珈琲店は
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