注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
すごい愛人 @sugoi_seibyou 島津義弘が伊東家約3000人に対して300人で勝利した木崎原の戦いというやばい... すごい愛人 @sugoi_seibyou 島津義弘が伊東家約3000人に対して300人で勝利した木崎原の戦いというやばい戦いがあるんですが、勝った島津家の死者が260人ぐらいいるっていうのが一番怖いポイント リンク Wikipedia 木崎原の戦い 木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)は、元亀3年(1572年)、日向国真幸院木崎原(現宮崎県えびの市)において伊東義祐と島津義弘の間でおこなわれた合戦である。大軍(3000人という説が有力)を擁していた伊東側が少数の兵力(300人)しか持っていなかった島津側に敗北を喫したことから「九州の桶狭間」とも呼ばれる。但し桶狭間の戦いとは違い、島津軍も兵力の85%以上が討死し、ほぼ全滅した。この戦いには相良義陽も伊東軍と連合する予定で出陣したが、義弘の謀略により撤退している。 この戦いをきっかけとして伊東氏は衰退し 4 users 17
2020/07/28 リンク