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『梁書』諸夷伝や『南史』夷貊伝上にみえる秦論は黄武五年に交阯にやってきて、太守呉邈に送られて孫権... 『梁書』諸夷伝や『南史』夷貊伝上にみえる秦論は黄武五年に交阯にやってきて、太守呉邈に送られて孫権と会見したことになっているが、孫呉の黄武五年の交阯太守は士燮もしくは陳時であって、呉邈なんて人物の入る余地はないし、この話自体を疑うべきではなかろうか。— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2020年2月18日 にちらっと書いたことをフォローしておこうと思います。 『梁書』諸夷伝に 孫權黃武五年,有大秦賈人字秦論來到交趾,交趾太守吳邈遣送詣權,權問方土謠俗,論具以事對。時諸葛恪討丹陽,獲黝、歙短人,論見之曰:「大秦希見此人。」權以男女各十人,差吏會稽劉咸送論,咸於道物故,論乃徑還本國。 とあります。 また『南史』夷貊伝上に 孫權黃武五年,有大秦賈人字秦論來到交阯,太守吳邈遣送詣權。權問論方土風俗,論具以事對。時諸葛恪討丹陽,獲黝、歙短人。論見之曰:「大秦希見此人。」權以男女