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今年の「#文学」
kyouki.hatenablog.com
僕は20年間、会社員をして、40歳で独立して古着屋を始め、62歳で会社を廃業して引退しました。 男性のマジョリティーであろう価値観で生きてきた人間です。 この文章は、「男性的な価値観で生きている人」を対象に書きますが、表記が面倒なので、以降、「男性」もしくは「男」と略して書きます。 男は、40歳頃に中年の危機を迎えます。周囲に負けまい、なにものかになるんだと志して遮二無二働き、大多数は、なにものにもなれないと気づきます。そこで、転職したり、僕のように独立したりして、「なにものにもなれなくても、自分独自のコアを大切にする生き方」を模索します。そうやって、なんとか人生に折り合いをつけて、中年の危機を乗り越えます。 が、50歳、60歳になると、次の危機がやってきます。 定年でやることがない、孤独だ……そんな話はよく聞きます。が、古着の商売をしていた僕は、歳を取れば知識が増えるだけで、生涯現役でや
photo by Ian Southwell 「お前の骨は拾ってやるから、安心しろ」 安木部長はたしかにそう言ったのだ。 今は平成の時代で、昭和が終わってから、すでに二十年数年以上、世の中は流れているはずである。だが、僕の勤めるこの会社、ある大手通販専門会社では、どうやら時の流れは止まっているらしい。 「わかったな」 なんでもお見通しだというような鋭利な視線で僕を射抜いた安木部長は席を立った。 はいとも、いいえとも、僕は答えられずにいた。 いや、ひょっとしたら、無意識に、僕は小さく顎を引いてしまったのかもしれない。 答えを聞くまでもない、ドアを開けて面談室を出て行った安木部長のグレーのスーツの広い背中がそう言っていた。 呆然とソファに座ったまま、僕はすぐに腰をあげることができなかった。 翌日、新規サイトの概要を取締役のひとりにプレゼンするのである。新規サイトは、ある最新のインクジェットプ
photo by Stan Lupo 「この人は桁外れに凄い、負けったっていう人、磯崎課長にもおられましたか?」 僕は福島の地酒を磯崎課長のグラスに注ぎながら訊ねた。その種の質問ははじめてではなく、まあ、話の接穂として、辛口の人物評でも引き出そうとして選んだのだ。「単に桁外れに凄い人」であれば、幾人かの答えは容易に想像できた。山根社長、本間営業部長、大井戸管理部長・・・やり手の磯崎課長がいつも名前を出して、褒める人たちである。だが、「負けた人」というのは、存在するだろうか。口当たりの良い地酒を何杯も喉に流し込んでいたので、ついつい危険な領域に踏み込んだかもしれない問いを発してしまった。 「負けたか・・・」 磯崎課長は、そのゴジラのようないかつい顔で少しの間思案した。 「そういえばな、山喜サービスエリアが改装オープンした時、施設長をやったんだが・・・」 僕らの会社は高速道路などの道路施設とサ
photo by Alfredo Mendez 「豊中市浜5丁目378番地へ行ってください」 後部座席の少年は、たしかにそう言った。 半ズボンをはいた少年は小学校高学年に見える。前髪を一直線に切りそろえて、どこか昭和の香りがした。 奇妙だった。 少年を拾ったのは、高速の下を走る幹線道路で、夜の9時半という暗闇の中にひとり、手を挙げていたのだ。 「わかりますか?」 「わかるとも。けど、なんで、古い番地で?」 少年はその問には答えず窓の外を見た。 知らないはずがない。そこは私が育った実家があった住所だし、55年間の人生の旅路を巡ったあとでもなお、本籍地として記される住所だからだ。ただし、そんな番地を使ったのは何十年も前の話で、本籍地として使う場合以外は、「15の7」と言うのが普通だ。 ともかく、私は後部座ドアを締めて、賃走のボタンを押した。 少年は布のトートバックを抱えている。時間から考えて
1. 涼子 ムンクが隣のミヨちゃんの二の腕を噛んだのは、桜の花びらが降る頃だった。 ムンクは盲導犬になることでお馴染みの雌のラブラドールレトリバーで、なぜあの不気味な絵の画家の名前をつけられることになったかというと、娘の藍子が、単に語感がいいからと提案して、家族がそれを受け入れたからであった。その名前に反して、ムンクには、代表作に見られるような不気味なところはなく、すこしやんちゃで優しいな成犬に育った。 家にやってきてすでに六歳、かなり落ち着きをみせはじめたムンクを、涼子が春の陽気を存分に味あわせてやろうと庭に放していた。涼子が知らぬ間に、裏庭のゲートから隣に住む幼稚園の年少組のミヨちゃんが入ってきていた。ミヨちゃんはムンクに近づいて、噛んでいた豚耳にでも手を伸ばしたのだろう。ふだんは人に牙を剥いたりしないムンクだけど、よほどミヨちゃんがしつこく触ってきたのだろう、左の二の腕に噛みついた。
photo by Rein Rache 誰かを殺さなければならない、さもなければ自分が殺される、とゴンザは言った。 長い話を終えたあと、おとなしいゴンザがたまに見せて周囲を驚かせるあの殺気が、その目に宿っていたように思えた。 それはもう四十年近く昔のことだが、今もその時のゴンザの目を鮮明に覚えている。 オーストラリアの北のカカドゥ国立公園の中の粗末なロッジのテーブルで、僕と由美はその話を聞いていた。 友、ゴンザは、本名を権左衛門(ごんざえもん)といい、真面目な、それでいてゾクッとするような話の主人公の名前としては、あまり都合がよいとは言えない。現代に権左衛門などという名前の人間がいることが不思議だが、理由を聞かされると納得できないわけでもない。彼の家は古くから続く由緒ある棒術の道場主であり、その流派では戦国時代から、その流派を継ぐと思われる子孫の人間の名前は前もって決められているのだと言う
世間の耳目を集めている世界タイトルマッチ戦は、やがてアリーナを満席にするだろう。が、まだ客席はまばらで、この日のために新幹線でわざわざ東京に出てきた亜希子は、メインイベントに先立って行われる亮太の試合が始まるのを固唾を飲んで待っていた。 ひとり息子の亮太はプロテストに合格して、3試合目。2試合とも判定負けを喫しており、この試合に背水の陣で臨んでいた。 手を焼かされたあげく、やっと亮太が自分で選んだ道だ。大成して欲しい。だが、勝とうが負けようが、試合が安全に済んでくれさえすればいい、そんな思いも強い。ボクサーのつけるグローブは殴る相手の顔を守るのではなく、自らの拳を守るためのものだと、どこかで聞いたことがある。たしかに、2試合のあと、亮太の顔は腫れ上がった上に、いくつも深い傷が刻まれていた。 リングサイドのチケットは2万円もした。往復の交通費とホテル代を足せば、今の亜希子にとっては、痛い出費
結婚すべき男と、恋愛の対象とする男は別だ、ユウコは固く信じていた。 大学時代の友達がそれを峻別せずに次々に結婚していくのを、ユウコは危なっかしく思いながら見ていた。案の定、友達の何人かはすぐに離婚したし、結局のところあてにならない連れ合いの稼ぎに苦労を強いられている人もいた。 ユウコが選んだのは幼なじみのコウジで、まさに結婚すべき男性の条件を満たしていた。穏やかで、慎重で、優しかった。最後まで補欠ではあったもののサッカー部に所属するかたわら、コツコツと勉強し、国立大学に現役で合格、一部上場の有名製造メーカーに入社した。 コウジは、友達たちが夢中になるような、危険な匂い、しびれるようなオスの香りとは無縁であったし、おまけにタヌキのような風貌だったので、「一生安泰だけど退屈なアンパイ」を選んだユウコはなんて計算高いんだろうと友達たちは噂した。が、じつはもうひとつ、コウジの求婚を受け入れた理由が
コウタは悩んでいた。 書籍編集者として働き出して十年を過ぎていたが、夢だったミリオンセラーはいまだ出せていない。編集者としてこの世に出した本は、すでに百冊を超えた。 重版がかかったものは三割に過ぎず、『犬の生活』という犬をテーマにしたエッセイ集が唯一、五万部を超えた程度だ。 一年後輩のユウスケに、重版になる割合、出版数、累計販売部数などすべての面で凌駕されている。 「たまたま、ですよ、コウタ先輩」 「たまたまが、十年も続くかよ」 「いや、先輩、僕のつくる本は、やっぱり、売りに走ってますから。僕は、むしろ、コウタさんみたいな『いい本』出したいですよ」 それがユウスケの本音でないことは、コウタも知っている。『売れる本』と『いい本』を巡る議論は、コウタの勤める中堅出版社にとって、いわば中心命題のようなものでもあったので、机を並べるふたりの会話がそこに落ちるのはいつものことであった。口ではそう言い
老年期が近づくにつれ、切実に思うことがある。 一生続く「道楽」をもてたら、きっと、人生はもっと楽しく、辛い時にも耐えやすくなるに違いないということである。 まず、なにはともあれ、食道楽の人が羨ましくて仕方がない。 食べる、飲む、味わうことの好きな人は、そのことに常人には想像もつかないエネルギーを燃やす。 調べ尽くし、歩き尽くし、待ち尽くし、食べ尽くし、味わい尽くす。 しかも、きっと、その愉楽の探検は広さと深さにおいて、無限である。 まったく、羨ましい。 それはさておき、先日、美味しいものをふるまっていただいた。 福島県のお酒とあてである。福島にはたくさんの特色のある酒造メーカ酒蔵があり、日本有数の日本酒の名産地であるという。 その小さな会の主催者は、このクラウドファンディングの主催者のひとりでもあるid:aliliputさんで、その趣旨は、ブロガーに集まってもらい、福島の酒とおつまみを味わ
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 去年は僕にとってさまざまな出来事があった年でした。 二冊の本を出版し、念願のKimono-Archiveもやっと始動しました。 会社では四人のスタッフに正社員になってもらい、一緒に会社の拡大を目指す体制になりました。 具体的には、kimonotte(キモノッテ)というブランドで、アンティークデザイン復刻の普段着着物や雑貨づくりに挑戦しようと、事業をはじめて以来最大の投資をして複数のマシンを揃えました。 また、長女に二人目の子どもが生まれ、ふたりの孫を持つ爺さんになり、次女も無事結婚しました。 妻と僕の父と母たちは、なんだかんだありながらも、なんとか安定した暮らしを過ごさせていただいています。 こう書くと良いことづくめのようですが、眠れぬ夜も失敗もありました。 第一作の出版後のパーティの前日。パーティをすべき
Sさま おはようございます。お返事遅くなり申しわけありません。 早い段階で、商業出版のレベルに達していないと判断できたにもかかわらず、長い文章に最後までおつきあいいただき、ほんとうにありがとうございました。Sさんの仕事は、何を読むことに時間を使うかということが、とても重要なことだと思います。にもかかわらず、最後まで読んで頂き、詳細な批評をいただけたことを、深く感謝しております。 さすがに、へこみました。 しかし、書いているものにとっては、専門家の率直な意見は、得難い宝です。 たしかに、プロットも人物造形も稚拙極まりないものだったのだと思います。 考えてみれば、何かを書いている時間はそれなりに作ってきたものの、「小説を書く」ということに関して、充分な時間を割いてきたとは言えません。小説を舐めるなということでしょう。何事かに習熟してプロレベルになるには一万時間の練習が必要という言葉が今更ながら
Kimono-Archive(着物アーカイブ)、『バーチャルKimonoミュージアム』がオープンした。 『バーチャルKimonoミュージアム』というものを考えていると、このブログに書いたのは2013年の3月30日であった。 古い着物(kimono)を、毎日のように手にして写真を撮りその魅力を伝える仕事をしていると、ただただその着物たちが自分の目の前を通り過ぎていくのは残念だなと思っていた。 たくさんの素晴らしいコレクターがおられる中で、いまさら自分でコレクションをしても無力だ。 だが・・・ 素晴らしい着物たちの画像や情報は、あちこちに散らばっていて、どこかでまとめて見ることができる場所や本やウェッブは存在しない。 では、ネットに『バーチャルKimonoミュージアム』という場所をつくれたら、どうだろう? その場所に、着物ファンの方やアンティーク着物、アンティークテキスタイルのコレクターが、そ
夢なんて持つな、夢をもつから苦しくなるという人がいる。 20才の頃、小説家になるという夢を抱いた。 少しずつ書いた。 毎日ではなく、書ける日に少しずつ。 納得のいくものはまったく書けなかった。 2年経って就職し、3年経って結婚し、4年経って子どもが出来た。 8年経って係長になり、12年経って課長になった。 13年経って、ようやく長編小説をひとつ書き上げた。 入選間違いなしと思ったら、一次選考で落ちた。 小説家になる夢を完全に諦めた。 小説が大嫌いになった。 僕の13年を無駄にした、「小説」、「小説家になるという夢」を憎んだ。 14年経って、小売業の仕事の面白さを知った。 22年経って、にっちもさっちもいかなくなり、会社を辞めた。 23年経って、妻と始めた小さな小売ビジネスを軌道にのせた。 32年経って、人生の残り時間を意識した。ブログを始めて、自分の思いを書き始めた。 35年経って、ブログ
自分が参加させていただいたオフ会の記事を読んでいたら、シロクマ先生(シロクマ (id:p_shirokuma))が「最年長のかたに至っては“やがて還暦"」と書かれていて、地面がひっくり返った。 たしかに僕は56歳で、「四捨五入したら60か」と思ったことはあれ、自分のことを「やがて還暦」と考えたことはなかった。 「還暦」。 ふむ、なかなか素敵な言葉だ。 人間というのは、どんな年齢になっても、周囲が自分に向ける目と自分自身の体感に、大きな差があるようだ。 口では「おじさん」の時代はそろそろ終わりで、「おじいさん」になる準備中みたいに言うのだが、ほんとうのところ、リアルな体感がそうなっているかというと、かなり怪しい。 なんとなく、自分の体感は、永遠に「おじさん」で、「おじいさん」にはならないような気もするのだ。 シロクマ先生は、著名なブロガーであり精神科医である。 たまたま、二次会でじっくりお話
マネーの拳(1) (ビッグコミックス) 作者: 三田紀房 出版社/メーカー: 小学館 発売日: 2013/03/05 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る 久しぶりに漫画を全巻読んだ。 『ドラゴン桜』で有名な三田紀房氏の『マネーの拳』12巻である。 『ドラゴン桜』は受検勉強の指南書のような漫画であるが、『マネーの拳』のほうは会社経営者とはどういうものかということを、三田紀房氏独特の表現で伝えるものになっている。 三田紀房氏の漫画は、いつも、登場人物たちの真の動機や闇をもリアルに描く。 それが、起業から大きく成長していく企業を通して描かれているのだから、面白くないはずがない。 小さいながらも経営者である僕には耳に痛い話満載で、とても勉強になったし、人間というものをこういう洞察力で見るのかと、とても感心した。 人には光と闇があるように、会社にも光の部分と闇の部分がある。それを
毎日、努力を重ねる。 少しでも良いものを、少しでも誰かの役に立つものをと。 その方向は明らかだ。わずかでも、上に、ほんのちょっとでも、高度を上げる方向に、一歩、二歩と上がれば良い。 そして、その日一日も、満足感をもって終えることができる。 いま、自分が登っている頂きは見える。 このまま行けば、時間はかかっても、いつか確実にそこにたどり着くことができるだろう。 しかし、ふと足を止めて周囲を見渡せば、山野はどこまでも続き、自分が目指す頂よりはるかに高い山がたくさん見える。 憧れをもってその山の高い頂きを仰ぎ見る。 自分の目指している頂きに到達した時、そこからさらに上に行く道はない。 そこでは、習慣にしていた毎日の努力は、自分をどこへも連れて行かない。 そこでは、ただ立ち止まって、そこより高い山々を遠くに仰ぎ見る。 そう感じたら、道はふたつにひとつ。 それでも、その身近に見える頂きを目指して登り
松江に用事があって、ほんのちょっと時間がとれたので、今年、国宝に指定されたという松江城に駆け足で行ってきた。 現在、当時のままの建造物として、日本に残っている天守閣はわずか12で、そのうちのひとつ。 大阪城のように最新設備で再建されたところも便利で良いのだが(大阪城がもし残っていたら、待ち時間が凄いことになっていただろう)、現物が残っていてその中に入ることも触れることもできるというのは、最高にエキサイティングだと思う。 素晴らしかった。 なんせ江戸時代、1634年(381年前)に建てられた木造建築や石垣がそのまま残っているのである。 地階には井戸が残っている。 籠城戦になれば武器食糧に加えて清潔な水が必要だ。だけど、高い位置にあると思っていた天守閣の地下に井戸が掘られているということにびっくり。深さは24mあり、常時飲料水が得られたという。 柱も階段も床も、素晴らしい風合いだ。太い柱は板で
自転車通勤を始めてもうすぐ2か月になる。 自転車を買うとき、ひょっとしたらすぐにやめてしまうかもしれないと思っていた。 で、もし、すぐに乗らなくなったら次女の旦那さんにあげるということにして、ビアンキというイタリアブランドのクロスバイクを奮発した。 自転車を買ってみると、カバンが必要となりネットで評判の良いメッセンジャーバッグを買い、雨の日用にゴアテックスのレインコートも買った。さらに、雨の日に履ける靴が欲しくなり(犬の散歩の時にも困っていた)、それもゴアテックスでできた靴を買った。 合計してみたらかなりの出費となったが、自転車通勤が快適になり、車通勤をやめることができれば、それぐらいの金額は1,2年で回収できるはずである。 僕の場合、通勤と言っても、家から自宅は15分~25分ぐらいで、郊外の町だから、都心部のオフィスに通う自転車通勤ではない。 誰かの参考になるかどうかわからないが、2か月
小説のプロットづくりのために中小企業の再生や会社法について、いくつかの本を読んでいるのだが、川野雅之氏の『中小企業再生の新しい道標』という本がとても面白かった。 僕の会社は、リサイクル商品のため現金商売であり、また大きな設備投資の不要なECであるため、リーマンショック後に大きな売上減があり、事業を失うかもという恐怖を感じて事業構造を変えたことはあっても、債務の返済に困ったという経験がない。 だから、銀行からの融資とか、リスケとか、という経験がなく、企業再生の現場というものが、どうしてもリアルに想像できなかった。 この本のテーマは、いままでの企業再生が銀行の自己資本の毀損をいかに少なくするかという視点で行われていたのに対し、これからは「納税を増やす」「雇用を増やす」ということに主眼がおかれた再生方法になるということなのだが、企業再生のリアルな現場やノウハウも描かれている。 たとえば、民事再生
自分のコアビジネスとブログとサイドプロジェクトの関係について、今朝読んだMediumの記事が非常にわかりやすく、頭の中が整理できたので、ちょっとシェアしてみたい。 Mediumの記事はこちら。英語OKなら、そちらを読んでいただく方が早い。 medium.com タイトルは「サイドプロジェクト・マーケティングが新しいキングである」というもので、「◯◯◯ is the King.」といえば、「コンテンツ is the King.」などという言葉がすぐに思い浮かぶ。 この記事では、コンテンツではなく、サイドプロジェクトこそがマーケティングの(売上をあげるための)もっとも効果的な方法であるということが書かれている。 例としていくつか挙げられているが、たとえば、Crewというデザイナー・プログラマーと発注主をマッチングするサービスを提供している会社は、いくつかのサイドプロジェクトをおこなっている。
2015年9月 2014年9月 目前のことを一生懸命にやっていて、それなりに成果が出ていると、世の中の変化に遅れがちになる。わかってはいるのだけど、ついつい、それへの対応を後回しにしてしまう。 僕も、もちろん、わかってはいた。 スマホの急速な普及にしたがって、ネットショップの主戦場もパソコンからスマホに移りつつあることも。 最近の若い人は、パソコンを持たず、スマホですませてしまうというような話もよく聞くし、僕自身もiPhone6にしてから、家ではiPadも開かずiPhoneですませてしまうことが多くなった。 だが、僕の商売はリサイクル、アンティーク着物のネット販売で、多くの商品から選び出す必要があり、多数の大サイズの写真による詳細な商品の確認が必要だし、また、スマホで買い物をするのにある程度抵抗感のあるやや上の年齢層のお客様が多い。 そのため、スマホ用のサイトはかなり力を入れてつくったが、
僕の一冊目の本の韓国版が発売された。 表紙の写真が、十数年前、僕が感じていた閉塞感をよくあらわしているように思う。 後進のビジネスマンに届けたいと思って書いた文章が、こうやって海を渡り、別の国の人のもとに届く。 翻訳にあたっては、複数のエージェントの入札となり、出版社さんの話では、韓国の出版マーケットのサイズから考えると、破格の金額での落札となったという。 なぜ、韓国の人がこの本にそんなに興味を持っていただけたのか、わからないと出版社の社長さんは言う。 もちろん、隣国でありながら行ったこともない僕にも、その理由はわからない。 ひょっとすると、韓国は日本以上に競争が厳しく、組織の中で生きていくことがより難しいのかもしれないと想像するだけだ。 それにしても、嬉しいことだ。 いまだに、あの本を出版してよかったのかな、という思いがときどき胸に去来する。 とくに、厳しいレビューがついたとき、胸にぐさ
僕に投げかけられたふたつの問いが、頭の中をぐるぐると回っている。 それには、自分なりの答えを出したはずのものなのに、まだ、頭から消えてくれない。 その場では、もちろん、いつも考えている答えを言わせてもらったのだが、例の調子で、ちゃんと喋れたとも思えず、伝わってないなとフラストレーションだけが残った。また、いまだに頭にこびりついているところをみると、やはり、自分としてもはっきりした答えを持っていなかったんだなとも思う。 その問いとは、 (1)事業と書くことについて Aさん:なぜ、君は、そこまでやれているのに、なぜ全力で、事業を拡大しようとしないんだい? 僕:してます Aさん:なら、本なんか書いてる暇ないだろう (2)書くことと才能について 僕:毎日、毎日、1時間でも書いていたら、3年後には、自分がほんとうに語りたいことがみつかるよ。自分の声が。 Bくん:はい、僕も書くこと始めました。 Aさん
僕には娘がふたりいます。 下の娘は中学生の頃、僕とふたりきりで車に乗るのを嫌だと妻にこぼしたそうだす。娘から何かの話題をふってくることはないし、僕が一生懸命共通の話題を探して話しかけても、生返事が帰ってくるだけで会話は続かなかったのです。 世の中にこれほど苦しい沈黙があるのか、というような沈黙が車内を支配しました。 ふたりっきりで車にいたくないのは、お互い様だよ、と泣きたくなりました。 一方、長女とは本好きという共通点があり、中高生という微妙な年代の間も、とくに壁を感じたことはありませんでした。それでも、100%心が通い合いコミニケーションにまったく問題がなかったかというともちろんそういうことはなく、たとえば、知らぬ間に娘をいたく傷つけてしまい、泣き出した娘が長時間部屋にこもって出てこなかったこともありました。 うちの場合は、長女と次女の父に対する様子はかなり両極にあると思うのですが、おそ
父親や母親と子供の価値観が大きく異なることは、いわば定番であり、いつの時代にもあり、多くのドラマや小説になっている。 そんなことは、何度も擬似体験している、百も承知していると思いながら、人は親になり、ふと気がつくと、子どもたちとの価値観の違いに直面していて、びっくり仰天するのである。 わかっていたはずなのに、親たちはあたふたとして、まず、子どもたちに、自分の価値観がいかに正しいか、子どもたちの考えがいかに甘いか、世間というのはどういう仕組になっているのか、一生懸命説明しようとする。 しかし、たいがいそれは受け入れられない。表面上は受け入れられることがあっても、それが心の芯で受け止められることはない。 子どもたちは大人になり、いつかのタイミングでそれがあらわになる。 親はやっと納得する。 親子の対立、価値観の違いは、映画の中の他人の話ではなく、まさに自分におきることだったのだと。 親たちもそ
ある漫画雑誌から対談企画のお誘いを受けた。 とてもありがたいお話で、もちろん受けさせていただくことにした。 そういった企画は直前に潰れたりすることもあるだろうから、あまり喜んでも仕方がないが、嬉しいには違いない。 僕のブログは時々、「人気ブログ」と紹介いただくのだけど、月間PVは15万から30万ぐらいで、はたしてその紹介に相応しいものなのかどうか心もとない。 だけど、たしかに、僕はいま、自分の声を持ったように思っているし、その状態を素直に喜んでも良いのだとは思っている。 ところで、僕はこのブログを始めてからの記事をほとんどそのまま残している。 古い記事を読むと赤面すること甚だしいのだが、その3年半にわたる歩みが知りたい人もいるかもしれないと思い、そのまま残してある。読まれる人はどう思われるかわからないけど、僕にとっては、それは書くことの進歩の足跡でもある。 そのなかでも、「ブログを書く」こ
ありがたいことに、二冊目の本も、まずまず好意的に受け止めていただいているようです。 献本もさせていただいた方、あるいは、献本とは関係なくレビューを書いていただい方、また、Facebookなどで感想を書いていただいた方、シェアしていただいた方、すべての皆様にこの場をかりてお礼を申し上げます。 ほんとうにありがとうございました。 皆様のおかげで、ひとりでも多くの、この本が必要な方に届けばとてもうれしいなと思っております。 献本用の本はまだ手元にありますので、レビューを書いてやろうという方は、メールもしくはFB,Twitterなどでご連絡ください。本をお送りさせていただきます。なお、プライバシーは厳守します。 ところで、僕のような一般人が商業出版した場合、こんな風になります。 ご参考まで。 1.近所の本屋さんにはないことがわかっているので、都心店に行った時に自分の本を探し、たいていは、みつけるの
なにかとっても素敵なものをみつけた時、僕らは、それが生み出されたのはなにか特別な才能によるものと思ってしまいがちだ。 それは、『幸運にも』自分にはないなにものかを持っている人が、神様に許された特別の僥倖である、と。 僕が大塚呉服店さんのHPや店舗を見せてもらった時、まさに、そんな風に感じた。 彼らの着物の見せ方や売り方は革新的なもので、ああ、またこの業界に天才が生まれたんだなと思った。 すべての呉服業界の人がそう思ってはいないかもしれないが、おそらく、呉服マーケットの先を懸念をもって見ている多くの人は、そう見ているのではないだろうか。 さて、僕はいま、彼らのどこが凄いかということについては、長くなるのであえて触れない。 そうではなくて、彼らのその革新的な店舗や見せ方がなぜ生まれたかということについて、知らない人にお伝えしたい。 たまたま、僕は大塚さんと仕事を通じて知り合いになった。 そして
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