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ごちゃまぜの家の裏側に豚小屋を建てている。豚は私だ。完成したら私(資本主義の豚)が暮らす。先日、... ごちゃまぜの家の裏側に豚小屋を建てている。豚は私だ。完成したら私(資本主義の豚)が暮らす。先日、大量の廃材をもらった。廃材を使えば無料で作れる。もともと、豚みたいな生活をしていた自分だ。豚は餌をあげると喜ぶ。資本主義の豚はおかねをあげると喜ぶ。見世物小屋みたいな感じになる。豚小屋に私が住み、餌の代わりにお金をねだる。お金をもらえない時は「ぶぅ!」、お金をもらった時は「ぶぅ♡」である。これはもう、どれだけチャーミングに開催できるかの勝負だ。 自分の嫌いに蓋をすると、自分の好きがわからなくなる。 愛だの感謝だのお利口なことを言っているときより、怒りを爆発させているときの方がよっぽど人間を愛せている。もっと言えば、怒る時、そのひとは『愛そのもの』になっている。 愛情表現としての怒り。 - いばや通信 https://t.co/nEmjj9pTsO— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume)
2018/10/13 リンク